甲武鉄道

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甲武鉄道
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運行期間 1889 – 1906
後継路線 国鉄を経て
JR東日本中央本線
軌間 1067mm
KBHFa
御茶ノ水
BHF
水道橋
BHF
飯田町
BHF
牛込
BHF
市ヶ谷
BHF
四ツ谷
BHF
信濃町
BHF
千駄ケ谷
ABZrg
日本鉄道
BHF
代々木
BHF
新宿
ABZrf
日本鉄道
BHF
大久保
BHF
柏木
BHF
中野
BHF
荻窪
BHF
吉祥寺
BHF
BHF
国分寺
ABZrf
川越鉄道
BHF
立川
ABZrf
青梅鉄道
BHF
日野
BHF
豊田
BHF
八王子
STR
官設鉄道

甲武鉄道(こうぶてつどう)は、明治時代日本に存在していた鉄道事業者である。

会社概要[編集]

東京市内の御茶ノ水を起点に、飯田町新宿 を経由、多摩郡を横断し八王子に至る鉄道(動力=蒸気のち一部区間は電気を併用、軌間=1067mm)を保有・運営した。 1906年(明治39年)公布鉄道国有法により同年10月1日に国有化され、中央本線の一部となった。

もともとは、1870年に開業したものの、2年後に廃止された玉川上水の船運の代わりに、その堤防沿いに新宿 - 羽村馬車鉄道(甲武馬車鉄道)の敷設を企画したことにはじまる。1886年にはこれを東京市内 - 八王子の蒸気鉄道に変更して出願、1888年には設立が認められた[1]。以降、1889年4月に新宿 - 立川、8月には 立川 - 八王子を開業した。

新宿から東京市内への路線延長は、当初は甲州街道沿いが計画されたが、青山練兵場三崎町の工廠の後押しもあり、1889年5月に申請、7月に仮免状[2]が下付されたもので、1894年10月には新宿 - 牛込が、1895年4月に牛込 - 飯田町が開業している。これは更なる延長が計画され、1890年に飯田町 - 万世橋を出願、1900年には当時計画中の東京縦貫高架鉄道(現在の上野 - 新橋のJR鉄道路線)の接続を条件に免許状が下付され、このうち1904年12月に御茶ノ水までの延長が完成した。

開業から1891年までは新宿で路線が接続し、また創立委員長の奈良原繁が社長を務めた日本鉄道が営業管理を行っていた。

また、東京市内区間での旅客が増えたことから1904年8月21日に飯田町 - 中野間を電化し、日本の普通鉄道では初めて電車運転を行った。車体長10mほどの二軸車ではあったが、総括制御を採用し重連運転も可能で、郊外電車として十分な性能を備えていた。詳しくは甲武鉄道の電車を参照されたい。この電車運転区間は複線化されていた。

一直線の真実[編集]

甲武鉄道の柏木(現在の東中野)-立川付近の約27・4キロにわたる一直線路線は、新幹線の長大トンネルが建設される以前までは全国で3番目に長いとされた。この一直線路線を建設にあたって、当初は「甲州街道および青梅街道沿いの敷設を予定していたが、住民の反対運動により田園・林野の現路線に変更した」(朝日新聞社会部『中央線』や各自治体史)といわれてきた。事実、馬車鉄道の計画には、「自然作物の成長が阻まれる」「街道がさびれる」(明治18年8月の南豊島郡9村、9月の和田村外3村の陳情)などと反対の声が強かった。

一方、「馬車鉄道から蒸気鉄道への動力変更に当たって、建設が鉄道局に委託されたため、(平坦・効率的な最短の)武蔵野台地上の一直線ルートが考えられたと思う」(青木栄一)など、住民の反対で路線変更した訳ではないという説もある。

関連する路線[編集]

現在の西武国分寺線および新宿線の東村山 - 本川越である川越鉄道、および青梅線である青梅鉄道は、甲武鉄道の支線にあたる。

いずれも甲武鉄道が東京市内への延長線建設に追われていたため、地元の資本を利用して設立したもので、その株主は甲武鉄道の主要株主と沿線在住者で構成されていた。特に、軌間が同じである川越鉄道とは、直通運転などが実施されていた。

駅一覧[編集]

御茶ノ水-八王子間(27.8
御茶ノ水駅 -(0.5哩)- 水道橋駅 -(0.3哩)- 飯田町駅 -(0.5哩)- 牛込駅 -(0.7哩)- 市ヶ谷駅 -(0.5哩)- 四ツ谷駅 -(0.8哩)- 信濃町駅 -(0.4哩)- 千駄ケ谷駅 -(0.6哩)- 代々木駅 -(0.5哩)- 新宿駅 -(0.9哩)- 大久保駅 -(0.6哩)- 柏木駅 -(1.3哩)- 中野駅 -(2.5哩)- 荻窪駅 -(2.3哩)- 吉祥寺駅 -(2.0哩)- 境駅 -(3.5哩)- 国分寺駅 -(3.8哩)- 立川駅 -(2.1哩)- 日野駅 -(1.4哩)- 豊田駅 -(2.6哩)- 八王子駅

車両[編集]

蒸気機関車[編集]

K1形 (1, 2, 4, 5, 8, 9)
ナスミス・ウィルソン社製・軸配置2-4-2 (1B1) タンク機→鉄道院600形 (622 - 627)
192→3
ニールソン社製・軸配置4-4-0 (2B) テンダ機→1897年鉄道作業局に返還。のち鉄道院5400形 (5406)
K2形 (6, 7)
クラウス社製・軸配置0-4-0 (B) タンク機→鉄道院10形 (12, 13)
K3形 (10-12)
ブルックス社製・軸配置2-6-2 (1C1) タンク機→鉄道院3020形 (3020 - 3022)
K4形 (13, 14)
独クラウス社製・軸配置0-6-0 (C) タンク機→鉄道院1550形 (1550, 1551)
K5形 (15-17)
独クラウス社製・軸配置0-6-0 (C) タンク機(買収後に落成)→鉄道院2060形 (2060 - 2062)

電車[編集]

東京市街線電化用として1904年に製造された、全長10mあまりの二軸電車。買収によって官設鉄道籍となり、「国電」の元祖として知られる。

客車[編集]

すべて木製2軸車

  • いろ1.2 2両 新橋工場製 定員一等12人二等16人 国有化後イロ279.280(形式274) 一二等車 形式図
  • いろ3-7 5両 甲武鉄道会社飯田町工場製 定員一等10人二等14人 国有化後イロ309-311(形式309) 一二等車 形式図
  • ろ1 1両 東京平岡工場製 定員36人 国有化後ロ744(形式744) 二等車 形式図
  • ろ2.3 2両 飯田町製 定員32人 国有化後ロ614.615(形式503) 二等車 形式図
  • ろ4.5 2両 飯田町製 定員26人 国有化後ロ757.758(形式746) 二等車 形式図
  • ろ6.7 2両 平岡工場製 定員20人 国有化後ロ799.800(形式799) 二等車 形式図
  • はぶ1-5 5両 新橋工場製 定員47人 国有化後ハフ2783-2787(形式2661) 三等緩急車 形式図
  • は6.7.9 3両 新橋工場製 定員50人 国有化後ハ2166-2168(形式2024) 三等車 形式図
  • は10.13 2両 平岡工場製 定員50人 国有化後ハ2302.2303(形式2302) 三等車→多摩鉄道(西武多摩川線)フハ1.2 形式図
  • は11.12.14-21 10両 平岡工場製三田製作所工場製 定員50人 国有化後ハ2304-2313(形式2304) 三等車 形式図
  • は22-24 3両 近岡製 定員34人 国有化後ハ2478-2480(形式2478) 三等車 形式図
  • は25-37 13両 近岡製飯田町製 定員50人 国有化後ハ1760-1772(形式1005) 三等車 形式図
  • にと1.3-5 4両 飯田町製 国有化後ユニ3909-3912(形式3906) 郵便手荷物緩急車 形式図
  • にと2 1両 飯田町製 国有化後ユニ3913(形式3913) 郵便手荷物緩急車 形式図
  • にと6 1両 飯田町製 国有化後ユニ3914(形式3914) 郵便手荷物緩急車 形式図
  • にと7 1両 飯田町製 国有化後ユニ3915(形式3915) 郵便手荷物緩急車 形式図
  • にと8 1両 飯田町製 国有化後ユニ3916(形式3916) 郵便手荷物緩急車 形式図
  • に1.2 2両 平岡工場製 国有化後ニ4318.4319(形式4318) 手荷物緩急車 形式図
  • に3-7 5両 飯田町製 国有化後ニ4320-4324(形式4320) 手荷物緩急車 形式図

リンク先は国立国会図書館近代デジタルライブラリーの『客車略図 上巻』

脚注[編集]

  1. ^ 「鉄道布設免許状下付」『官報』1888年4月6日(国立国会図書館デジタル化資料)
  2. ^ 「鉄道線路測量仮免状下付」『官報』1889年7月17日(国立国会図書館デジタル化資料)

参考文献[編集]

関連項目[編集]