「ヴィッセル神戸」の版間の差分
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運営会社の筆頭株主だったダイエー(資本金10億円のうち、50%を出資)が震災の影響から3月に撤退した。当時強化部長だった安達貞至がスポンサー獲得に奔走、5月31日に運営会社の商号を株式会社ヴィッセル神戸に変更。ユニフォームにも白と黒のストライプにオレンジのラインが襟と袖に入っていたがダイエー撤退に伴い、オレンジからエメラルドグリーン(ヴィッセルブルー)に変更した。 |
運営会社の筆頭株主だったダイエー(資本金10億円のうち、50%を出資)が震災の影響から3月に撤退した。当時強化部長だった安達貞至がスポンサー獲得に奔走、5月31日に運営会社の商号を株式会社ヴィッセル神戸に変更。ユニフォームにも白と黒のストライプにオレンジのラインが襟と袖に入っていたがダイエー撤退に伴い、オレンジからエメラルドグリーン(ヴィッセルブルー)に変更した。 |
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[[1996年]]、リーグ後半戦となる16節を前に |
[[1996年]]、リーグ後半戦となる16節を前に当時現役[[サッカーデンマーク代表|デンマーク代表]]の[[ミカエル・ラウドルップ]]が加入<ref>[[週刊サッカーマガジン]] 1996年9月11日 no.571号 p.26-28 [[ベースボールマガジン社]]</ref>。最終節でNTT関東に3-1で勝利したことで、[[ジャパンフットボールリーグ]](JFL)準優勝<ref>[[週刊サッカーマガジン]] 1996年11月13日 no.580号 p.118-121、 JFL第29-最終節 ヴィッセルJ昇格、優勝目指して最後の戦い [[ベースボールマガジン社]]</ref>、1997年シーズンからJリーグへ加盟した<ref name="jleague" />。1997年、リーグ第2節の[[名古屋グランパスエイト]]戦では永島昭浩が2ゴールを挙げ、チームはJリーグ初勝利を挙げた<ref>{{cite web|url=https://www.vissel-kobe.co.jp/match/result97.html| title=ヴィッセル神戸 1997| publisher=ヴィッセル神戸| accessdate =21 January 2021}}</ref><ref>{{cite web|url=https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=2880| title=1997Jリーグ 1stステージ 第2節| publisher=data.j-league| accessdate =21 January 2021}}</ref>。同年、Jリーグ史上初の[[Jリーグアウォーズ|フェアプレー賞(高円宮杯)]]を受賞した。1998年は韓国代表FW[[金度勲]]を獲得し、永島との強力2トップを要したものの、シーズン途中には16連敗を喫するなど低迷。J1参入決定戦で札幌を下して何とかJ1残留を決めた。1999年は監督に[[川勝良一]]が就任。2ndステージは7位となり、2016年に更新されるまで長年クラブの最高順位記録だった。 |
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[[2000年]]、DF[[海本慶治]]がクラブ初の代表選手に選ばれた。2ndステージは連敗が続くなど苦しい戦いながらJ1に残留を果たした。この年限りで永島が現役を引退した。 |
[[2000年]]、DF[[海本慶治]]がクラブ初の代表選手に選ばれた。2ndステージは連敗が続くなど苦しい戦いながらJ1に残留を果たした。この年限りで永島が現役を引退した。 |
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[[2003年]]、新たに[[副島博志]]を新監督に迎え、公式戦3連勝スタートを切ったが、1stステージ第14節大分戦ではワースト記録となる8失点で敗れるなど、年間通して多くの失点を喫する(リーグワースト63失点)。それでも終盤にカズ、播戸らの活躍で最終節を待たずして残留を決めた。 |
[[2003年]]、新たに[[副島博志]]を新監督に迎え、公式戦3連勝スタートを切ったが、1stステージ第14節大分戦ではワースト記録となる8失点で敗れるなど、年間通して多くの失点を喫する(リーグワースト63失点)。それでも終盤にカズ、播戸らの活躍で最終節を待たずして残留を決めた。 |
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ダイエー撤退後、{{要出典範囲|メインとなるスポンサーは現れずに苦しい経営が続き、毎年赤字を計上。Jリーグ昇格1年目の[[1997年]]末時点での累積赤字は約25億円|date=2013年12月}}。[[1998年]]シーズン終了後には[[伊藤ハム]]がユニフォーム胸スポンサーから撤退。{{要出典範囲|この補填のため神戸市から9億円の無利子融資を受けたが、条件としてチームのリストラを要求される他、運営会社も減資を行い年間予算も13億円まで大幅に切り詰めた。|date=2013年12月}} |
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{{要出典範囲|母体企業を持たない神戸の年間予算は他クラブと比較しても少なく、年間入場者数も伸び悩んだ為、不足分を地元自治体である神戸市からの単年度貸付に拠らざるを得ない経営が続き、年度ごとに額を増やしながら借入を繰り返した。|date=2013年12月}}2003年12月15日、運営会社の株式会社ヴィッセル神戸は[[東京地方裁判所]]に[[民事再生法]]の適用を申請した<ref name="j040120"/><ref name="history2003">{{cite web|url=http://www.vissel-kobe.co.jp/club/history/2003.html|title=クラブヒストリー2003|work=ヴィッセル神戸|accessdate=2013-3-4}}</ref>。{{要出典範囲|累計赤字約42億円で神戸市からの無担保融資は約15億円にのぼった。|date=2013年12月}} |
{{要出典範囲|母体企業を持たない神戸の年間予算は他クラブと比較しても少なく、年間入場者数も伸び悩んだ為、不足分を地元自治体である神戸市からの単年度貸付に拠らざるを得ない経営が続き、年度ごとに額を増やしながら借入を繰り返した。|date=2013年12月}}2003年12月15日、運営会社の株式会社ヴィッセル神戸は[[東京地方裁判所]]に[[民事再生法]]の適用を申請した<ref name="j040120"/><ref name="history2003">{{cite web|url=http://www.vissel-kobe.co.jp/club/history/2003.html|title=クラブヒストリー2003|work=ヴィッセル神戸|accessdate=2013-3-4}}</ref>。{{要出典範囲|累計赤字約42億円で神戸市からの無担保融資は約15億円にのぼった。|date=2013年12月}} |
2021年4月1日 (木) 01:37時点における版
ヴィッセル神戸 | ||||
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原語表記 | ヴィッセル神戸 | |||
呼称 | ヴィッセル神戸 | |||
愛称 | ヴィッセル | |||
クラブカラー |
クリムゾンレッド[1] 白 黒 | |||
創設年 | 1966年 | |||
所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ | |||
所属ディビジョン | J1リーグ | |||
クラブライセンス | J1 | |||
ホームタウン | 兵庫県神戸市[1] | |||
ホームスタジアム |
ノエビアスタジアム神戸[1] | |||
収容人数 | 28,962[1] | |||
運営法人 | 楽天ヴィッセル神戸株式会社[1] | |||
代表者 | 立花陽三[2] | |||
監督 | 三浦淳寛 | |||
公式サイト | 公式サイト | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
652-0855[1] 兵庫県神戸市兵庫区御崎町1-2-1 御崎Uビル3F[1] |
設立 | 2004年1月5日 |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 2140001023240 |
事業内容 | サッカークラブの運営 |
代表者 | 代表取締役社長 立花陽三[2] |
資本金 | 9,800万円[2] |
売上高 | 52億3,700万円(2017年12月期)[3] |
営業利益 | ▲1億円 (2017年12月期)[3] |
経常利益 | ▲1億5,300万円 (2017年12月期)[3] |
純利益 | 2億4259万5000円(2019年12月31日時点)[4] |
総資産 | 37億1601万7000円(2019年12月31日時点)[4] |
決算期 | 12月期 |
主要株主 | 楽天 100% |
関係する人物 | 三木谷浩史 |
外部リンク | https://www.vissel-kobe.co.jp/ |
特記事項:2017年1月に株式会社クリムゾンフットボールクラブから、同年4月に楽天フットボールクラブ株式会社から商号変更 |
ヴィッセル神戸(ヴィッセルこうべ、Vissel Kobe)は、日本の兵庫県神戸市をホームタウンとする[1]、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
概要
1966年創部の川崎製鉄水島サッカー部(1987年に川崎製鉄サッカー部に改称)が前身となり[1]、1997年にJリーグへ加盟した[1]。ホームスタジアムはノエビアスタジアム神戸[1]、練習場はいぶきの森球技場である[1](詳細は#スタジアム・練習場を参照)。
チーム名の「ヴィッセル」は、英語の「VICTORY(勝利)」と「VESSEL(船)」を合わせた造語[1]。「勝利の船出」を意味し、国際港湾都市・神戸をイメージ[1]。神戸市民の夢を乗せ、勝利に挑戦し続けるチームである事の誓いもこめている[1]。
マスコットは神戸・兵庫に馴染みの深い、牛をモチーフとした「モーヴィ(MOVI)」[1]。牛の鳴き声「モー」と勝利「ヴィクトリー」を合わせた造語。
運営会社は楽天ヴィッセル神戸株式会社(旧・株式会社クリムゾンフットボールクラブ)である[2]。2004年に同社が設立された当初は合同会社クリムゾングループ(楽天代表取締役の三木谷浩史の個人資産管理会社)からの全額出資であり、楽天からの出資は無かった[5] が、2014年12月に楽天が運営会社の全株式を取得した[6]。
歴史
創設
1993年12月、「神戸にプロサッカーチームをつくる市民の会(オーレKOBE)」が地元市民の有志により発足[7]。同時期に岡山県倉敷市を本拠地とする川崎製鉄サッカー部の誘致活動を行い、川崎製鉄本社の意向もあり1994年3月に1995年からの神戸市へ移転が決まった。1994年6月、当時神戸市に本社を置いていた総合スーパーのダイエーがメインスポンサーとなり株式会社神戸オレンジサッカークラブを設立[1][7]。1994年9月、クラブ名称が「ヴィッセル神戸」に決定した[7]。
1995年 - 2003年
1995年1月1日、ヴィッセル神戸としてスタートした[1] が、練習初日であった1月17日に阪神・淡路大震災が発生し、選手らは岡山県倉敷市のグラウンドで初練習を行った[7](2月6日)。なお、神戸市内の練習場「いぶきの森球技場(旧)」は1995年7月に完成した。また6月に後にクラブの象徴的存在となり、「ミスター神戸」と称されたFW永島昭浩が加入した。
運営会社の筆頭株主だったダイエー(資本金10億円のうち、50%を出資)が震災の影響から3月に撤退した。当時強化部長だった安達貞至がスポンサー獲得に奔走、5月31日に運営会社の商号を株式会社ヴィッセル神戸に変更。ユニフォームにも白と黒のストライプにオレンジのラインが襟と袖に入っていたがダイエー撤退に伴い、オレンジからエメラルドグリーン(ヴィッセルブルー)に変更した。
1996年、リーグ後半戦となる16節を前に当時現役デンマーク代表のミカエル・ラウドルップが加入[8]。最終節でNTT関東に3-1で勝利したことで、ジャパンフットボールリーグ(JFL)準優勝[9]、1997年シーズンからJリーグへ加盟した[1]。1997年、リーグ第2節の名古屋グランパスエイト戦では永島昭浩が2ゴールを挙げ、チームはJリーグ初勝利を挙げた[10][11]。同年、Jリーグ史上初のフェアプレー賞(高円宮杯)を受賞した。1998年は韓国代表FW金度勲を獲得し、永島との強力2トップを要したものの、シーズン途中には16連敗を喫するなど低迷。J1参入決定戦で札幌を下して何とかJ1残留を決めた。1999年は監督に川勝良一が就任。2ndステージは7位となり、2016年に更新されるまで長年クラブの最高順位記録だった。
2000年、DF海本慶治がクラブ初の代表選手に選ばれた。2ndステージは連敗が続くなど苦しい戦いながらJ1に残留を果たした。この年限りで永島が現役を引退した。
2001年、京都を退団したFW三浦知良、MF望月重良、DFシジクレイ、清水からMFサントスらが加入。神戸ウイングスタジアムのこけら落としとなった試合ではクラブ史上最多の3万813人を動員した。
2002年は横浜から城彰二、G大阪から播戸竜二らを獲得するも、1stステージでは5連敗を喫するなど低迷し、川勝が辞任し後任にコーチを務めていた松田浩が昇格する形で就任した。2ndステージ開幕前にFWオゼアス、MFアリソンを獲得。最終節で清水を下しギリギリで残留を果たした。
2003年、新たに副島博志を新監督に迎え、公式戦3連勝スタートを切ったが、1stステージ第14節大分戦ではワースト記録となる8失点で敗れるなど、年間通して多くの失点を喫する(リーグワースト63失点)。それでも終盤にカズ、播戸らの活躍で最終節を待たずして残留を決めた。
ダイエー撤退後、メインとなるスポンサーは現れずに苦しい経営が続き、毎年赤字を計上。Jリーグ昇格1年目の1997年末時点での累積赤字は約25億円[要出典]。1998年シーズン終了後には伊藤ハムがユニフォーム胸スポンサーから撤退。この補填のため神戸市から9億円の無利子融資を受けたが、条件としてチームのリストラを要求される他、運営会社も減資を行い年間予算も13億円まで大幅に切り詰めた。[要出典]
母体企業を持たない神戸の年間予算は他クラブと比較しても少なく、年間入場者数も伸び悩んだ為、不足分を地元自治体である神戸市からの単年度貸付に拠らざるを得ない経営が続き、年度ごとに額を増やしながら借入を繰り返した。[要出典]2003年12月15日、運営会社の株式会社ヴィッセル神戸は東京地方裁判所に民事再生法の適用を申請した[12][13]。累計赤字約42億円で神戸市からの無担保融資は約15億円にのぼった。[要出典]
2004年 - 2005年
- 2004年
1月14日、兵庫県出身で楽天の代表取締役である三木谷浩史が代表を務める株式会社クリムゾンフットボールクラブ(2004年1月5日設立)が2月1日付でチームの営業権を譲り受けた[12][13]。神戸市はチーム運営から撤退し、スタジアム使用などの側面支援を行う事になった。神戸市の株式会社ヴィッセル神戸に対する最終的な債権額は11億6500万円。ほとんどが神戸市からの貸付金であり回収不能となった。[要出典]
イワン・ハシェックが監督に就任。2002 FIFAワールドカップのトルコ代表FWのイルハン・マンスズが加入したが、イルハンは出場は3試合にとどまり、シーズン途中に自らの希望で退団。2ndステージ開幕直前には、元東京Vのパトリック・エムボマ、鹿島アントラーズから平瀬智行、チェコの名門FKテプリツェからMFパベル・ホルバトらを獲得するなどテコ入れをおこなった。クラブは下位にとどまったが、播戸がリーグ戦17得点をあげ、得点ランキング3位タイとなった。
東京Vから現役日本代表DF三浦淳宏を獲得。開幕戦で勝利して以降、公式戦12試合勝ちなしとなり、6節広島戦終了後に松永英機が辞任し、エメルソン・レオンが就任したが成績は上向かず、2か月余りで解任された。その後パベル・ジェハークが正式に監督に就任。2001年からクラブの顔として在籍したFW三浦知良が構想から外れたこともあり、7月に退団。8月にブンデスリーガでのプレー経験もあるFWイヴォ、DFマルティンを獲得。2004年加入のMFホルヴィを加えて、チェコ人3人体制となった(2004年から所属のDFホージェル、2005年6月加入のMFディエゴ・ソウザは退団)。第7節に最下位に転落して以降、年間通して低迷し、11月20日の大宮戦に敗れ、J2に降格した。
また、監督は2004年から1年半の間にハシェック、加藤寛、松永英機、エメルソン・レオン、パベル・ジェハークとかわるがわる5人の指揮官が務めたことも、当時のクラブの迷走模様が浮き彫りとなっている。
2006年(J2)
- チームスローガン:Kobe Forever Forward
初代監督のスチュワート・バクスターが9年ぶりに監督に就任。FW播戸竜二がG大阪へ移籍したものの、三浦淳を始め多くの主力が残留した。DFラインには長年イングランド・プレミアリーグで長年プレー経験のあるDFエメルソン・トーメを獲得。攻撃陣にはJ1で出番の少なかったFC東京FW近藤祐介、広島FW茂木弘人を獲得。
トップチームにおいてサテライトチームを「ヴィッセル神戸U-21」として若手選手の育成強化のためのチームに特化させると共に、出場経験が少ない選手に対する実践機会提供を図る観点からSC鳥取(現:ガイナーレ鳥取)と提携。また、横浜FMユース、ナショトレ関西地区担当の安達亮がU-21監督に就任。
4月10日、クリムゾンFC社長の三木谷が代表取締役会長に就任。安達がGM兼任で代表取締役社長に就任。5月、読売サッカークラブや浦和、日本サッカー協会などで重要職を担ってきた佐藤英男がGMアシスタントとして就任。また、人工芝グラウンドがいぶきの森に完成した。
8月24日、バクスターが家庭の事情で帰国することになり、4日前にコーチとして神戸に復帰していた松田浩が監督に昇格。リーグ戦は、横浜FC・柏と自動昇格を争い、最終節で柏に逆転され3位の成績。最終戦で退場処分になった三浦を欠いたホームでの初戦は引き分け、12月9日、福岡との入れ替え戦第2戦、後半、FW近藤のゴールで先制。その後同点とされ福岡の猛攻を受けたが耐え凌ぎJ1昇格を決めた。
2007年 - 2012年(J1)
- 2007年
- チームスローガン:トモニイコウ We walk together forever
松田体制2年目。育成部長に滝川第二高校サッカー部監督・黒田和生が就任。
横浜FMから榎本達也、C大阪から大久保嘉人を完全移籍で、山形からレアンドロ、元全北現代のボッティを期限付き移籍で獲得した。シーズン途中に三浦が退団した一方、浦和からMF酒井友之、新潟からMFディビッドソン純マーカス、福岡からレンタルで古賀誠史らを獲得。第21節から第26節まで5連敗したが、第31節の甲府戦に勝利してJ1残留が決まった。なお、最終順位は10位。
- 2008年
- チームスローガン:トモニイコウ We walk together forever
松田体制3年目。
韓国代表主将のMF金南一、大分から元日本代表FW松橋章太、横浜FMからMF吉田孝行、FC東京からMF鈴木規郎、甲府からFW須藤大輔などを獲得。一方で近藤祐介が退団した。
大久保嘉人がキャプテン、北本久仁衛、榎本達也が副キャプテンとなった。開幕から好調を維持し、一時は2位につけていた。その後、レアンドロ、古賀誠史、北本久仁衛らが次々と怪我をし、一時は降格圏内まで順位が落ちたが、その後J1クラブ記録となる5連勝を達成するなどし、11月23日のFC東京戦で残留を決めた。天皇杯は4回戦で松本山雅FCにJリーグ加盟後の公式戦最多得点(8 - 0)で勝利したが、5回戦で鳥栖に敗退した。
共同通信によると11月時点で松田浩に監督続投を要請していたが、12月に松田が監督から解任された[14]。また、栗原圭介、酒井友之らベテランに加え、ユース出身の4人もが契約満了により退団した。
- 2009年
- チームスローガン:トモニイコウ We walk together forever
監督にCRフラメンゴからカイオ・ジュニオールが就任。
FW大久保嘉人がVfLヴォルフスブルクへ、FWレアンドロがG大阪へ移籍した一方、ブラジル人のFWマルセウ、MFアラン・バイーア、川崎から我那覇和樹、オーストリアのレッドブル・ザルツブルクから元日本代表DF宮本恒靖を獲得した。
リーグ戦は第5節(4月11日)の横浜FM戦で2006年以来の5失点で大敗した。その後も下位に沈んだ。6月、FW大久保嘉人が復帰したが、6月30日にカイオ・ジュニオールがカタールクラブ監督を理由に監督を辞任。後任には和田昌裕がチーム統括本部長と兼任で就任した。8月、大宮や札幌の元監督の三浦俊也が監督に就任(和田はヘッドコーチに就任)。三浦の就任後は首位鹿島を下すなど8月は無敗で乗り切ったが、9月以降はなかなか勝ち点を伸ばせず、第33節に柏の降格が決定したため、残留が確定。シーズン成績は14位。
- 2010年
- チームスローガン:トモニイコウ We walk together forever
三浦体制2年目。社長職が安達から叶屋宏一へ交代。
金南一がロシアリーグに移籍した一方、草津からJ2で23得点あげた都倉賢、大分からMFエジミウソンを獲得。更に古賀誠史と内山俊彦が抜けた左サイドに大宮からDF冨田大介、柏からMFポポを獲得した。開幕戦こそ勝利したが、代表戦で負傷した大久保嘉人のコンディションが上がらなかった事や、都倉や冨田といった新加入選手が出遅れた事もあり連勝できない状態が続いた。
W杯での中断明けに練習に参加していたFWイ・ジェミンと7月に契約した。一方でリーグ戦は17節から23節までの7試合で6人の退場者を出し、そのうちの2度がGK榎本達也の退場で、フィールドプレーヤーがGKを務める事態も2度生じた。9月11日の京都戦に敗北した翌9月12日に三浦が解任され、和田が監督に就任。なお、第33節終了時点で16位であったが、最終節で浦和戦に勝利し、第33節時点で15位のFC東京が敗れたため、最終順位15位でJ1残留が決まった。なお、2010年シーズンの反則ポイントが149となり150万円の反則金を課された(反則ポイント17位は大宮で100ポイント)。
- 2011年
- チームスローガン:トモニイコウ We walk together forever
和田体制2年目。
小林久晃、冨田大介が甲府へ、エジミウソンが熊本へ、榎本達也が徳島へ、高橋祐太郎がC大阪へ、我那覇和樹がJFL・FC琉球へ完全移籍、坪内秀介(大宮)、荻晃太(甲府)がレンタル移籍先へ完全移籍した。
補強として、C大阪からDF羽田憲司、UAEリーグアル・ワスルからMFホジェリーニョが完全移籍で加入、DF柳川雅樹、MF馬場賢治がレンタル移籍から復帰した。
序盤は好調だったものの、ホーム広島戦でのMF三原雅俊の負傷離脱以降は9戦で3分6敗と低迷する。その後は補強選手が機能せず怪我人が多く、9試合勝ちなしなど苦しい戦いを強いられた[15] が、「よりボールを保持し相手を圧倒するサッカー」[15] が浸透し、新主将吉田、大久保、朴康造、ドイツ2部のコットブスを退団しシーズン途中に加入した相馬崇人らベテラン勢の活躍もあり最終的には過去最高順位となる9位でリーグ戦を終え、今季目標に掲げていた「一桁順位達成」をクリアした[15]。また、年間合計入場者数が昨年から引き続きJ1に在籍したクラブの中で唯一昨年より増加した(前年比103.1%)。
- 2012年
- チームスローガン:トモニイコウ We walk together forever
和田体制3年目。
ボッティがフィゲイレンセFCへ、ホジェリーニョがセアラーSCへ、ポポが浦和へ、石櫃洋祐が名古屋へ、松岡亮輔が磐田へと移籍した。また、草津にレンタル移籍した柳川雅樹が栃木SCに、三島康平が水戸に、馬場賢治が湘南に、楠瀬章仁が松本に完全移籍。有田光希が愛媛に、紀氏隆秀が鳥取に、昨シーズン2種登録だった廣田隆治がプロ契約後、岐阜にレンタル移籍。また、宮本恒靖が引退した。
補強は、G大阪から橋本英郎、高木和道、鹿島から田代有三、野沢拓也の計4人の元日本代表選手を獲得。また、山形からGK植草裕樹、ハイドゥク・スプリトを退団していた日本代表DF伊野波雅彦を獲得、またイ・グァンソン、奥井諒の2人の大卒選手が入団した。選手以外では3月に元FCバルセロナ副会長のマルク・イングラが取締役に就任。また、5月にはタイ・プレミアリーグのチョンブリーFCと業務提携を結んだ。
リーグ戦は開幕2連勝後に4連敗(ナビスコ杯を入れると6連敗)。第8節終了時で3勝5敗(ナビスコ杯を入れると3勝7敗)となった、4月30日に和田を監督から解任。ヘッドコーチの安達亮が暫定監督に就き[16]。5月19日にG大阪元監督の西野朗が就任した。2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選によるリーグ戦中断が開けた第14節から3連勝したが、9月以降にリーグ戦および天皇杯のSAGAWA SHIGA FC戦で公式戦9試合連続勝ちなし、うち3試合連続で逆転負けを喫した。
11月7日の横浜FM戦に敗戦した翌8日に西野を監督から解任、ヘッドコーチの安達亮が後任監督に就任した[17][18] が、第34節でサンフレッチェ広島戦に敗北して16位となり、J2降格が決定した。
2013年(J2)
- チームスローガン:トモニイコウ。 We walk together forever
安達体制2年目。トップチームコーチに千葉前監督の木山隆之が就任し、武田治郎GKコーチの後任にはシジマールが就任した。
大久保嘉人が川崎へ、野沢拓也が鹿島へ、伊野波雅彦が磐田へ、近藤岳登が水戸へ、高木和道が大分へそれぞれ移籍。フェルナンド、アンデルソン、ペ・チョンソクが退団し、朴康造、羽田憲司が現役を引退した。また嘉味田隼、廣田隆治が鳥取へ期限付き移籍した。
補強は、浦和から2011年まで在籍していたFWポポを、清水からGK山本海人を、蔚山現代FCからMFエステバンをそれぞれ完全移籍で獲得し、川崎から杉浦恭平を期限付きで獲得。期限付き移籍していた有田光希、河本裕之、大屋翼、紀氏隆秀がチームに復帰し、ユースから松村亮、前田凌佑、和田倫季が昇格した。2月にブラジル・パルメイラスからFWマジーニョが期限付きで加入した。
開幕から3連勝。第4節京都戦に敗れたが、第5節から9試合負けなし(6勝3分)の成績。しかし、第16節・鳥取戦に敗れ、同節終了時点で第2節以来キープしてきた首位をG大阪に明け渡した。その後は第34節まで2位を維持し、第35節から第38節までは再び首位に立った。また、第37節・松本戦ではリーグ戦クラブ記録となる1試合7得点を記録した。第39節、勝てば2位以内確定となる3位京都との直接対決に引き分け、自力でのJ1復帰決定を逃す[19] と同時に、再びG大阪に首位を明け渡したものの、第40節、先に試合を行った京都がG大阪に敗れた時点で神戸のシーズン2位以上が確定、1年でのJ1復帰を決めた[20]。なお、J2リーグ戦は2位の成績。天皇杯は3回戦でC大阪に敗れた。
2014年 - (J1)
- 2014年
- チームスローガン:一致団結~One Team, One Family, One Dream~
安達体制3年目。2012年途中から就任したブローロフィジカルコーチが名古屋へ移籍し、2007年まで新潟でフィジカルコーチを務めたフラビオがフィジカルコーチに就任した。
前年16得点を挙げたFWポポが磐田へ完全移籍、9得点を挙げたFWマジーニョがパルメイラスへ復帰。有田光希、三原雅俊がそれぞれ京都、長崎へ期限付き移籍。その他DFイ・グァンソンが福岡へ、C大阪から期限付きのDF金聖基、鳥取に期限付きしていた廣田隆治、戦力外通告を受けた紀氏隆秀、都倉賢、林佳祐がチームを離れた。またMFエステバンは選手登録を抹消され、済州ユナイテッドFCを経て2014年7月徳島ヴォルティスへ期限付き移籍となった。
補強は、前年J1で16得点をあげたFWマルキーニョスを横浜FMから、Kリーグで17得点をあげたFWペドロ・ジュニオールを済州ユナイテッドFCから獲得。その他DF増川隆洋、高橋峻希、MFシンプリシオ、チョン・ウヨンが加入。川崎から期限付きで加入していたMF杉浦恭平は完全移籍で獲得。ユースからGK吉丸絢梓が昇格し、FW金容輔が興國高校より入団した。
リーグ戦第8節鹿島とのアウェーゲームに15年ぶりに勝利し、クラブ史上初のリーグ戦首位に立つなど、ワールドカップ中断期間までは3位。ナビスコカップではクラブ史上初の決勝トーナメント進出を果たした一方、天皇杯は2回戦(初戦)で関西学院大学に敗れた。11月2日に第31節サガン鳥栖戦の敗戦でAFCチャンピオンズリーグの出場が消滅し、その直後に約2年間指揮をとった安達亮監督のシーズン終了後の契約満了が発表された[21]。最終的にシーズン終盤はリーグ戦4連敗を喫するなど11位。12月9日には橋本英郎、茂木弘人との契約満了を発表した。12月12日にはシジマールGKコーチ・フラビオフィジカルコーチの退任が発表された。それに伴いアレックストップチームGKコーチ・ピメンテウフィジカルコーチの就任とネルシーニョの監督就任が発表された。
- 2015年
- チームスローガン:一致団結~One Team, One Family, One Dream~
ネルシーニョ体制1年目。
GK植草裕樹が長崎、DF茂木弘人が福島、MF橋本英郎がC大阪、MF杉浦恭平が仙台へそれぞれ移籍。DF河本裕之が2012年に期限付き移籍した大宮へ完全移籍し、京都へ期限付き移籍していた有田光希はそのまま完全移籍となった。そのほか、ブラジル人MFシンプリシオとFW田代有三が退団した。FW松村亮は栃木へ1年間の期限付き移籍となった。
補強は、FC東京からFW渡邉千真、大宮からDF高橋祥平、鳥栖からDF安田理大、ブラジルからMFフェフージンと清水からブエノが期限付きで加入した。前年福岡から期限付きで加入したFW石津大介は期限を延長した。京都へ期限付き移籍していたMF田中英雄と長崎へ期限付き移籍していたMF三原雅俊が復帰。東福岡高校からMF増山朝陽、早稲田大学からGK松澤香輝が新人として入団した。
年間を通して故障で主力を欠くことが多く、4月以降はホームゲームで勝ち星を稼げず、1stステージは13位と低迷。2ndステージ開幕前にフェフージンとの契約を解除し、入れ替わる形でFWレアンドロが2008年以来7年ぶりにチームに復帰。2ndステージ開幕戦では、そのレアンドロも得点をあげるなど5-0と圧勝するスタートしたが、4節から6節まで3連敗。この時期はホームとして使用するノエビアスタジアムのピッチコンディションが悪く、試合後の記者会見で、ネルシーニョが「リズムを作れなかったのはピッチコンディションが影響した」と苦言を呈するほどだった[22][23]。そのため、2ndステージ9節サガン鳥栖戦とナビスコカップ準々決勝柏レイソル戦は神戸ユニバー記念競技場に試合会場が変更された。9月から5連敗、2ndステージ14節時点で年間勝ち点15位と降格の可能性を残したが15・16節の残留を争うモンテディオ山形と松本山雅FCとの2連戦に連勝して残留を確定させた。ナビスコカップはベスト4、天皇杯はベスト8に入った。
- 2016年
- チームスローガン:一致団結~One Team, One Family, One Dream~
ネルシーニョ体制2年目。
DF奥井諒が大宮に、DF安田理大が名古屋、DF増川隆洋が札幌、DFブエノが鹿島、MF森岡亮太がポーランド・ヴロツワフ、チョン・ウヨンが中国・重慶力帆FCへそれぞれ完全移籍。FWマルキーニョスとMF和田倫季が退団。
補強は、水戸からDF田中雄大を、鳥栖からMF藤田直之を、韓国・蔚山現代から韓国代表GKキム・スンギュを完全移籍で獲得。清水からDF村松大輔を期限付き移籍で獲得。栃木に期限付き移籍していたMF松村亮が復帰。ユースからDF藤谷壮、DF東隼也、MF中坂勇哉がトップチームへ昇格。関西学院大学から元ユース所属のMF小林成豪、阪南大学からMF松下佳貴が新卒入団した。また2月9日に磐田を退団したDF伊野波雅彦が4年ぶりに復帰することが発表された。2ndステージからSCインテルナシオナルからMFニウトンと浦和からDF橋本和が加入。
開幕前の始動がJリーグで最も遅く、プレシーズンマッチも1試合だけという異例の調整[要出典]を行ない開幕を迎えた。開幕戦は甲府に敗れたものの、2節の新潟戦で6-3の逆転勝利で初勝利。前年は怪我に泣かされたFWペドロ・ジュニオールが復調し、レアンドロとの2トップが固定されて以降は攻撃面は安定感を発揮した[要出典]が、ボランチのコンビがなかなか定まらず、毎試合構成を変更を余儀なくされた。1stステージは12位と苦しんだが、2ndステージは前述したMFニウトンとDF橋本和を獲得。2ndステージ8節FC東京戦以降はリーグ戦8勝1分1敗と好成績を収めた。2ndステージ15節仙台戦で敗れたため、ステージ優勝の夢は途切れたものの、2ndステージを2位で終えた。年間成績は過去最高の7位。またFWレアンドロが19得点を挙げ、クラブ初のJリーグ得点王に輝いた。
- 2017年
- チームスローガン:一致団結~One Team, One Family, One Dream~
ネルシーニョ体制3年目。
DF相馬崇人が引退、GK山本海人が千葉、DF高橋祥平が磐田、FWペドロ・ジュニオールが鹿島、GK松澤香輝が徳島、DF田中雄大が札幌へ完全移籍、MF松村亮が徳島、MF増山朝陽が横浜FCへ期限付き移籍、FW石津大介は期限付き移籍期間満了で福岡へ復帰、群馬へ期限付き移籍していたFW田代容輔が退団した。
補強は、仙台からDF渡部博文、G大阪からMF大森晃太郎、FC東京からMF高橋秀人、湘南からFW大槻周平、ポルトガル1部リーグのスポルティングCPから昨年柏でプレーしたFW田中順也が完全移籍で加入。期限付き移籍だったDF橋本和が完全移籍で加入、GK吉丸絢梓、DF山口真司が期限付き移籍先から復帰した。また、元ドイツ代表FWルーカス・ポドルスキが加入して7月にチームへ合流。同じ7月にオランダ1部のADOデン・ハーグから、元日本代表FWハーフナー・マイクが加入した。
クラブ史上初の開幕4連勝を達成する好スタートを切ったものの、開幕戦で前年得点王のレアンドロが全治6か月の重傷を負う(9月の復帰目前で再び同じ箇所を負傷しシーズン絶望となった)。さらに田中順也、渡邊千真のストライカー陣が序盤から不振にあえぎ、得点力不足に陥ると[要出典]4月中旬から下旬にかけて3連敗を喫するなど順位は低迷。ルーカス・ポドルスキが加入したものの、夏場に再び3連敗を喫し、8月16日にネルシーニョと監督契約を解除し、ヘッドコーチの吉田孝行が監督に就任した。守備を安定させ、攻撃では孤立気味だったポドルスキを自由にプレーさせるなどしたものの[要出典]、シーズンラスト3ゲームはいずれも黒星でシーズン3度目の3連敗となった。リーグでの順位は9位となり、2年連続での一ケタ順位となった。天皇杯は準決勝でC大阪に敗れた。
- 2018年
- チームスローガン:一致団結~To Become the No.1 CLUB in Asia~
吉田体制2年目。
ジュニアユースからクラブに在籍し主力としてプレーしたDF岩波拓也が浦和へ完全移籍したほか、MFニウトンがブラジル・バイーアへ、MF高橋秀人が鳥栖へ、MF大森晃太郎がFC東京へ、GK徳重健太が長崎へ、徳島へ期限付き移籍していたFW松村亮が長野へ、MF田中英雄が宮崎へ完全移籍。DF東隼也が福島へ、DF山口真司が大分へ、MF小林成豪がモンテディオ山形へ、MFウエスクレイがブラジル・セアラーへ、FW向井章人がFC今治から復帰後MIOびわこ滋賀へそれぞれ期限付き移籍。
福岡でJ2リーグ19得点を挙げたFWウェリントンをはじめ、浦和で優勝経験もあるDF那須大亮、仙台で主力としてプレーしていたMF三田啓貴、11年ぶりの復帰となるGK荻晃太、2015年までプレーしていた韓国代表MFチョン・ウヨンが3シーズンぶりに復帰。タイ代表DFティーラトンを期限付き移籍で加入した。昨年2種登録されたユース出身FW佐々木大樹、びわこ成蹊スポーツ大学出身のDF宮大樹、青森山田高校出身のMF郷家友太から入団した。また、クラブのスポーツダイレクターに2007年まで在籍した三浦淳寛を迎えた。チームキャプテンにはルーカス・ポドルスキが就任。5月にはFCバルセロナから、スペイン代表MFアンドレス・イニエスタの完全移籍が発表された[24]。シーズン途中に徳島からDF大崎玲央とFC岐阜よりFW古橋亨梧を完全移籍で獲得。FWレアンドロが東京Vへ、MFチョン・ウヨンがアル・サッドへ完全移籍で退団。FWハーフナー・マイク、小川がそれぞれ仙台、湘南へ期限付き移籍した。
新加入の三田、ウェリントンが早々にフィットしたことや、ルーキー佐々木・郷家といった若手選手の活躍、そしてワールドカップ後に加入したイニエスタの活躍もあり、一時は4位に浮上し、目標としたACL出場の可能性も現実味を帯びていたが、8月下旬から5連敗を喫し一気に順位を落とす。9月17日に吉田が監督を退き、後任としてフアン・マヌエル・リージョが就任した。残留の大一番となった31節名古屋戦を勝利するなど、シーズン終盤6試合で1敗で乗り切り、33節にJ1残留が確定した。
- 2019年
- チームスローガン:the No.1 Club in Asia ~ 一致団結 ~
リージョ体制2年目。
ニューヨーク・シティFCより元スペイン代表のダビド・ビジャが加入。他にもC大阪より山口蛍、鹿島より西大伍、G大阪より初瀬亮が加入し、小川が期限付き移籍から復帰した。シーズン開幕後にはヴィトーリア・セトゥーバルよりダンクレー、FCバルセロナよりセルジ・サンペールが加入した[25]。長沢駿、ティーラトン、アフメド・ヤセルの期限付き移籍期間が満了したほか、藤田直之がC大阪、高橋峻希が柏、大槻周平が山形、松下佳貴が仙台に移籍。神戸から期限付き移籍していた選手ではハーフナー・マイクは新たにバンコク・ユナイテッドFCへ期限付き移籍し、小林成豪が山形への移籍期間満了を経て大分へ完全移籍した。
7月には、鳥栖でプレー経験のあるDFジョアン・オマリとバルセロナを退団したDFトーマス・フェルマーレンが完全移籍で加入した他、3年半在籍したGKキム・スンギュが退団した穴埋めとして横浜FMからGK飯倉大樹が完全移籍で加入。8月には佐々木大樹が期限付き移籍より復帰した他、大分から藤本憲明、ハンブルガーSVから酒井高徳が完全移籍で加入した。
開幕前の2月にはJリーグクラブでは初となるアメリカ合衆国を拠点にプレシーズンツアーを実施し、MLSのチームと試合を行った[26]。また7月27日、FCバルセロナと「Rakuten Cup」にて、親善試合を行った[27][28]。
4月17日、本人の意向により同日付で監督・リージョの契約を解除。ヘッドコーチのイニーゴ・ドミンゲス、アシスタントコーチのホルヘ・ムニョスも同時に契約解除となった[29]。後任には前年9月まで監督を務めた吉田孝行が再び就任した[30]。
その後4月から5月末にかけてリーグ戦クラブワーストとなる7連敗を喫するなど公式戦9連敗で順位を大きく落とし、中断期間中に吉田が退任。ドイツ人トルステン・フィンクが新指揮官に就任した。フィンク就任後に加入した酒井高徳、フェルマーレンが早々にフィットし、フォーメーションを3バックに固定して以降は不安定だった成績も安定。シーズン成績は8位に終わった。クラブ歴代最多の61得点をあげた一方で無失点試合がわずか5試合。59失点はリーグワースト2位となり、守備に課題を残すシーズンとなった。
その一方で、天皇杯は順調に勝ち上がり、新国立競技場のこけら落としとなった決勝で鹿島を下し、クラブ史上初タイトルを獲得。同時にAFCチャンピオンズリーグの出場権を獲得した。
- 2020年
- チームスローガン:the No.1 Club in Asia ~ 一致団結 ~
フィンク体制2年目。
チームトップ13得点を挙げたFWダビド・ビジャとDF那須大亮、GK荻晃太が現役を引退。DF橋本和が岐阜へ、DFジョアン・オマリがFC東京へ、DF宮大樹が鳥栖へ、MF三原雅俊が柏へそれぞれ完全移籍。DF小林友希が横浜FCへ、MF増山朝陽が福岡へ期限付き移籍。その他、MF野田樹、FWウェリントン、FW向井章人、FWルーカス・ポドルスキ、FWハーフナー・マイクが契約満了で退団。
清水からFWドウグラス、筑波大学からDF山川哲史、山口から菊池流帆が加入。昨年期限付き移籍していたDF初瀬亮、MF中坂勇哉が復帰。
リーグ開幕に先駆けて開催されたFUJI XEROX SUPER CUP2020ではPK戦の末初優勝を飾った。コロナウイルスの中断期間やそれに伴うACLの日程変更などの影響で異例といえる過密な試合日程の中で勝ちきれない試合や試合終盤に競り負ける試合が多く、8月から9月にかけて7試合リーグ戦勝利なしとなった9月22日、本人の意向でフィンクが退任。後任にはスポーツダイレクターの三浦淳寛が就任した[31]。三浦新体制ではビべスアシスタントコーチが指揮した試合も含めて4連勝スタートを切ったものの、その後が続かず、リーグ戦は29節から34節にかけて6連敗を喫してシーズンを終えた。年間14位勝ち点36は2014年昇格以来最低となった。
初挑戦となったACLでは、2月のジョホール・ダルル・タクジムFC戦(後に大会を辞退したため無効試合)、水原三星ブルーウィングスに1-0と勝利。その後11月に再開され、広州恒大にも勝利しグループリーグを突破。決勝トーナメントでは上海上港と水原三星を下したが、準決勝で蔚山現代FCに延長戦の末敗れ、ベスト4で敗退した。
- 2021年
シーズン途中に就任した三浦が留任。
DF渡部博文とダンクレーが契約満了で退団。2シーズン在籍したDF西大伍が浦和へ完全移籍し、ユース出身のFW小川慶治朗が横浜FCへGK吉丸絢梓とDF藤谷壮が北九州へ完全移籍した。
東京VからMF井上潮音、広島からGK廣永遼太郎、磐田からDF櫻内渚、前橋育英高校からMF櫻井辰徳、CRフラメンゴからFWリンコン、ケニア代表FWアユブ・マシカが加入。期限付き移籍していたDF小林友希とMF増山朝陽が復帰した。
成績
タイトル・表彰
クラブ
- 天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会:1回
- スーパーカップ:1回
- J1リーグ
- フェアプレー賞高円宮杯:1回(1997年)
- J1フェアプレー賞:1回(2019年)
- J2リーグ
- J2フェアプレー賞:1回(2013年)
個人別
スタジアム・練習場
ホームスタジアムはノエビアスタジアム神戸であり[1]、神戸総合運動公園ユニバー記念競技場でも不定期にホームゲームを開催している。なお、過去のホームゲーム開催スタジアムはヴィッセル神戸の年度別成績一覧#年度別入場者数を参照のこと。
練習場は神戸市西区井吹台東町七丁目(西神南ニュータウン)にある「いぶきの森球技場」が使われていたが、2003年10月にビオフェルミン製薬が練習場用地を新工場建設のために取得(2004年3月に引渡し)[32] したため、2005年2月より神戸ハイテクパークに隣接する神戸市西区櫨谷町に約5億円かけて建設した「いぶきの森球技場」(名称は同一)に移転した。
チケットの価格設定
ヴィッセル神戸は2009年シーズンからリーグ戦において対戦相手によってチケット価格が異なる制度を導入している(カップ戦は設定なし)。A価格はB価格に比べて大人で1,000円、小中生で500円高い。なお、各年度のカテゴリの対象クラブは下表の通り。
年度 | 所属 | A価格 | B価格 |
2009 | J1 | 浦和、FC東京、横浜FM、G大阪 | 山形、鹿島、大宮、千葉、柏、川崎、新潟、清水、磐田、名古屋、京都、広島、大分 |
2010 | 鹿島、浦和、G大阪、広島 | 仙台、山形、大宮、FC東京、川崎、横浜FM、湘南、新潟、清水、磐田、名古屋、京都、C大阪 | |
2011 | 浦和、G大阪、C大阪 | 仙台、山形、鹿島、大宮、柏、川崎、横浜FM、甲府、新潟、清水、磐田、名古屋、広島、福岡 | |
2012 | 浦和、名古屋、G大阪、広島 | 札幌、仙台、鹿島、大宮、柏、FC東京、川崎、横浜FM、新潟、清水、磐田、C大阪、鳥栖 | |
2013 | J2 | 設定無し | |
2014 | J1 | 浦和、G大阪、C大阪、広島 | 仙台、鹿島、大宮、柏、FC東京、川崎、横浜FM、甲府、新潟、清水、名古屋、徳島、鳥栖 |
2015 | 鹿島、浦和、柏、松本、名古屋、G大阪 | 仙台、山形、FC東京、川崎、横浜FM、湘南、甲府、新潟、清水、広島、鳥栖 | |
2016 | 鹿島、浦和、G大阪、広島 | 仙台、大宮、柏、FC東京、川崎、横浜FM、湘南、甲府、新潟、磐田、名古屋、福岡、鳥栖 | |
2017 | 設定無し |
ユニフォーム
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チームカラー
チームカラーの変遷
- 創立 - 1995年5月:白( )、黒( )、オレンジ( )
- 前身の川崎製鉄サッカー部のチームカラーは赤( )。
- 1995年6月 - 2004年12月:白( )、黒( )、ヴィッセルブルー( )
- 白:フェアプレー、黒:力強さと闘争心、ヴィッセルブルー:神戸の海と希望
- 白と黒の縦縞(ヴィッセルストライプ)は協調を表し、黒が全ての光(市民の声、支援)を吸収し、白がそれを発していくことを意味。
- 2002年から2004年までアウェー用ユニフォームに採用されたシルバーは「パールのごときチームの珠玉の輝き」を表していた。
ユニフォームのあれこれ
- 1997年から1998年の2シーズン、袖スポンサーの下部にJリーグから特例として認められたメッセージワッペン、「明日へ!!神戸」を付けていた。同じ神戸を本拠地とするプロ野球・オリックス・ブルーウェーブは「がんばろうKOBE」と付けていた。
- 1995年第4回JFLリーグ戦前期(5月-7月末)は袖スポンサーがなかった。さらに、1999年から2003年3月まで胸スポンサーがなく、チームロゴを付けていた。
- 2005年は阪神・淡路大震災から10年の節目を迎えるにあたり、神戸市主催の「震災10年 神戸からの発信」事業に協賛し、オリジナルロゴを右袖のJリーグマークの下部に付けていた。
- 2005年から、背番号の下部に選手名が入るようになった。
- 2008年から、右袖のJリーグマークの下部に地域名「KOBE」が入るようになった。
- 2010年から、GKユニフォームのみ3rdユニフォーム(シャツ:緑、パンツ:緑、ストッキング:緑)を使用。
- 2007年から2009年まで番号の縁取り、2008年から2009年までユニフォームのパイピングに「ゴールド」が使用。
- 2010年から2012年までユニフォームのパイピングに「ベージュ」が使用。
- 2015年のGKユニフォームの2ndのカラーリングは、従来の緑色ではなく青色を採用。それに伴い1stのカラーリングが黄色から緑色に変更された[36]。なお、黄色は2015年のスペシャルユニフォームのGKのカラーリングとして採用された。[37]
- 2016年は1stユニフォームとして黒を基調としたストライプ柄を12年ぶりに採用[38]。ユニフォームの袖部分にクラブ名の由来にもなっている船のシルエット、裾部分に錨マークがプリントされている。また、GKユニフォームの2ndのカラーリングが青から黄色へと戻っている。
- 2015年から襟の内部にロゴがつけられるようになり、2015年は「VISSEL 20 YEARS」、2016年は「一致団結」のロゴがつけられている。
- 2018年はクラブ初となるフィールドプレーヤーの3rdユニフォームを採用。3rdユニフォーム採用に伴い2ndユニフォームは白ではなく水色となっている。
- スペシャルユニフォーム
- 2014年
- 2015年
- 2017年
- 神戸市民の花である紫陽花をモチーフとしたピンクと紫のツートンカラーのユニフォームを採用[43]。夏季のホーム4試合で着用[44]。GKユニフォームは2ndユニフォームと同じ黒だがスペシャルユニフォームに合わせたデザインとなっている。
ユニフォームスポンサー
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
胸 | 楽天 | Rakuten | 2004年 - | 2004年 - 2012年は「楽®天」表記 2014年 - 2016年は「®」表記 2013年・2017年は「®Rakuten」表記 |
---|---|---|---|---|
鎖骨 | 楽天メディカル | Rakuten Medical がん克服。生きる。 CONQUERING Cancer. |
2018年7月 - | 左側に表記 2018年 - 2019年は「Rakuten Aspyrian がん克服。生きる。 CONQUERING Cancer.」表記 |
楽天toto | Rakuten toto | 2018年7月 - | 右側に表記 | |
背中上部 | シュゼット | アンリ・シャルパンティエ | 2019年 - | 2016年 - 2018年は背中下部 2019年のFP 1st・3rd / GK 1stは「HENRI CHARPENTIER」表記 |
背中下部 | 川崎重工業 | Kawasaki | 2019年 - | 2003年は胸 2004年 - 2018年は背中上部 2014年は「Kawasaki Powering your potential」表記 2015年 - 2017年の2nd / GK 3rd及び 2014年 - 2015年の特別ユニフォームは「川崎重工」表記 |
袖 | ノエビア | NOEVIR | 2016年 - | |
パンツ前面 | ケンミン食品 | ケンミン 焼ビーフン |
2019年 - | |
パンツ背面 | なし | - | - |
ユニフォームサプライの遍歴
歴代ユニフォーム
FP 1st | ||||
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FP 2nd | ||||
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FP other | ||||
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歴代ユニフォームスポンサー年表
年度 | 箇所 | サプライヤー | |||||||
胸 | 鎖骨左 | 鎖骨右 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ前面 | パンツ背面 | ||
1995 | 伊藤ハム | 解禁前 | asics / ノーリツ |
解禁前 | - / ARKA |
- | 解禁前 | asics | |
1996 | ノーリツ | ARKA | |||||||
1997 | KIRIN | adidas | |||||||
1998 | |||||||||
1999 | - | asics | |||||||
2000 | KOBE | ||||||||
2001 | KOBE / HAA神戸 | ||||||||
2002 | HAA神戸 | ||||||||
2003 | Kawasaki | ||||||||
2004 | 楽®天 | Kawasaki | FULLCAST | 大和証券 SMBC | |||||
2005 | SPORTS DEPO |
伊藤ハム | |||||||
2006 | |||||||||
2007 | KitΔC | ||||||||
2008 | |||||||||
2009 | スカルプD | ||||||||
2010 | |||||||||
2011 | |||||||||
2012 | スカルプD | スマ婚 | |||||||
2013 | ®Rakuten | es e-zakkamania | |||||||
2014 | ® | Kawasaki Powering your potential (通常) 川崎重工 (特別) |
es e-zakka mania | ||||||
2015 | Kawasaki (1st) 川崎重工 (2nd / GK 3rd / 特別) | ||||||||
2016 | Kawasaki (1st) 川崎重工 (2nd / GK 3rd) |
アンリ・シャルパンティエ | NOEVIR | e-zakka mania | |||||
2017 | ®Rakuten | ||||||||
2018 | Rakuten | - / Rakuten Aspyrian がん克服。生きる。 CONQUERING Cancer. |
- / Rakuten toto |
Kawasaki | |||||
2019 | Rakuten Aspyrian がん克服。生きる。 CONQUERING Cancer. |
Rakuten toto | HENRI CHARPENTIER (1st / 3rd / GK 1st) アンリ・シャルパンティエ (2nd / GK 2nd) |
Kawasaki | ケンミン 焼ビーフン | ||||
2020 | Rakuten Medical がん克服。生きる。 CONQUERING Cancer. |
アンリ・シャルパンティエ | - | ||||||
2021 |
スポンサー
アカデミー
創設時に、神戸フットボールクラブからユース・ジュニアユースを移管して、アカデミーが発足した[45]。
2005年、育成支援個人協賛会「Vitamin Club(ヴァイタミンクラブ)」が発足した[46]。
2006年、伊丹ジュニアユースチームを設立[47]。
2009年3月、「いぶきの森球技場」に近い神戸市西区櫨谷町福谷に選手寮(通称:三木谷ハウス)が完成した。総工費は約2億3,000万円で全額を三木谷が負担し、前札幌GMの村野晋が寮長に、また夫人である村野明子が寮母となった。また、育成部長の黒田和生がユース監督に就任した[48][49]。
2011年12月、地域のスポーツ活動の普及・育成に寄与することを目的に、一般社団法人ヴィッセル神戸スポーツクラブが創設された[50]。
出身選手
主なタイトル
ユース
- 優勝2回(1999, 2013)
- 優勝2回(2013, 2017)
- 優勝1回(2011)
- 優勝3回(2006, 2009, 2011)
ジュニアユース
- 優勝1回(2009年)
- 優勝1回(2009年)
メディア
- 毎日放送(MBS)
- 「VVヴィッセル」(2014年7月16日-)※2014年度は月一回放送、2015年度は11月を除き偶数月のみ放送。
- サンテレビジョン(SUN)
- 「ヴィッセルスタジアム」(不定期放送)※2016年度は月一回放送
- 「ヴィッセルLive!」(試合中継番組。2017年 - )
決算
ヴィッセル神戸の決算は、つぎのとおり。
損益
年度 | リーグ | 収入 | 広告料 | 入場料 | 配分 | その他 | 費用 | 事業費 | 人件費 | 管理費 | 利益 | 純利益 |
2005 | J1 | 1,876 | 692 | 439 | 250 | 495 | 3,105 | 2,621 | 1,500 | 484 | -1,228 | -1,054 |
2006 | J2 | 1,362 | 528 | 215 | 134 | 482 | 2,031 | 1,600 | 1,024 | 430 | -669 | -488 |
2007 | J1 | 1,865 | 660 | 329 | 243 | 633 | 2,422 | 1,926 | 1,317 | 496 | -557 | -75 |
2008 | J1 | 2,026 | 725 | 392 | 227 | 682 | 2,505 | 2,019 | 1,369 | 486 | -479 | -354 |
2009 | J1 | 2,446 | 715 | 421 | 228 | 1,082 | 2,722 | 2,273 | 1,545 | 449 | -276 | -538 |
2010 | J1 | 2,035 | 710 | 401 | 210 | 714 | 2,275 | 1,810 | 1,167 | 465 | -240 | -53 |
年度 | リーグ | 収益 | 広告料 | 入場料 | 配分 | 育成 | その他 | 費用 | 人件費 | 試合 | トップ | 育成 | 女子 | 販売 | 利益 | 純利益 |
2011 | J1 | 2,059 | 708 | 392 | 206 | 219 | 534 | 2,149 | 1,010 | 186 | 243 | 100 | 0 | 610 | -90 | -133 |
2012 | J1 | 2,250 | 742 | 454 | 202 | 225 | 627 | 2,364 | 1,157 | 176 | 264 | 107 | 0 | 660 | -114 | -296 |
2013 | J2 | 1,960 | 682 | 339 | 104 | 231 | 604 | 2,401 | 1,160 | 187 | 304 | 115 | 0 | 635 | -441 | -370 |
2014 | J1 | 2,471 | 945 | 486 | 211 | 247 | 582 | 2,954 | 1,348 | 215 | 439 | 124 | 0 | 828 | -483 | 1,746 |
2015 | J1 | 3,663 | 2,198 | 425 | 188 | 240 | 612 | 3,561 | 1,767 | 271 | 496 | 111 | 0 | 916 | 102 | 11 |
年度 | リーグ | 収益 | 広告料 | 入場料 | 配分 | 育成 | 物販 | その他 | 費用 | 人件費 | 試合 | トップ | 育成 | 女子 | 物販 | 販売 | 利益 | 純利益 |
2016 | J1 | 3,865 | 2,221 | 427 | 190 | 219 | 130 | 678 | 3,823 | 2,068 | 337 | 171 | 70 | 0 | 143 | 1,034 | 42 | 29 |
- 金額の単位: 百万円
出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2016
現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。 |
資産
年度 | 総資産 | 総負債 | 純資産 | 資本金 |
2005 | 3,382 | 5,593 | 2,210 | 98 |
2006 | 2,809 | 2,638 | 170 | 98 |
2007 | 1,012 | 917 | 95 | 98 |
2008 | 829 | 1,089 | -259 | 98 |
2009 | 1,441 | 2,247 | -806 | 98 |
2010 | 913 | 1,774 | -861 | 98 |
2011 | 909 | 1,865 | -956 | 98 |
2012 | 788 | 2,040 | -1,252 | 98 |
2013 | 610 | 2,231 | -1,622 | 98 |
2014 | 679 | 556 | 122 | 98 |
2015 | 1,220 | 1,087 | 133 | 98 |
2016 | 1,371 | 1,208 | 163 | 98 |
現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。 |
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t “プロフィール:ヴィッセル神戸”. 日本プロサッカーリーグ. 2020年9月6日閲覧。
- ^ a b c d “クラブ概要”. ヴィッセル神戸. 2017年10月5日閲覧。
- ^ a b c “2017年度(平成29年度)Jクラブ個別情報開示資料”. 日本プロサッカーリーグ. 2018年8月7日閲覧。
- ^ a b 楽天ヴィッセル神戸株式会社 第16期決算公告
- ^ 株式会社楽天 第16期有価証券報告書(p.50、p.181-p.183) 2013年7月5日閲覧
- ^ "楽天、ヴィッセル神戸の全株式を取得し、Jリーグに参入" (Press release). 楽天. 2014-11-6. 2017-11-25閲覧。
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の日付が不正です。 (説明) - ^ a b c d “クラブヒストリー1994”. ヴィッセル神戸公式サイト. 2013年3月4日閲覧。
- ^ 週刊サッカーマガジン 1996年9月11日 no.571号 p.26-28 ベースボールマガジン社
- ^ 週刊サッカーマガジン 1996年11月13日 no.580号 p.118-121、 JFL第29-最終節 ヴィッセルJ昇格、優勝目指して最後の戦い ベースボールマガジン社
- ^ “ヴィッセル神戸 1997”. ヴィッセル神戸. 2021年1月21日閲覧。
- ^ “1997Jリーグ 1stステージ 第2節”. data.j-league. 2021年1月21日閲覧。
- ^ a b "(株)ヴィッセル神戸と(株)クリムゾンフットボールクラブの営業譲渡を承認" (Press release). 日本プロサッカーリーグ. 20 January 2004. 2017年9月16日閲覧。
- ^ a b “クラブヒストリー2003”. ヴィッセル神戸. 2013年3月4日閲覧。
- ^ “J1神戸が松田監督を解任 続投要請から方針転換”. 共同通信 (2008年12月4日). 2013年7月3日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b c “クラブヒストリー2011”. ヴィッセル神戸公式サイト. 2013年3月5日閲覧。
- ^ "監督交代のお知らせ" (Press release). ヴィッセル神戸. 30 April 2012. 2013年3月15日閲覧。
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、|date=
の日付が不正です。 (説明) - ^ サッカーJ1神戸、西野監督解任(DAILYSPORTONLINE 2012年11月8日配信記事(配信日に閲覧))
- ^ “「最高のシチュエーション」もドロー…神戸は昇格まで勝ち点1”. ゲキサカ. (2013年11月3日) 2013年11月14日閲覧。
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- ^ 神戸ネルシーニョ監督 ノエスタに苦言 デイリースポーツ 2015年7月15日
- ^ "アンドレス イニエスタ選手完全移籍加入のお知らせ" (Press release). 公式サイト. 24 May 2018. 2018年5月30日閲覧。
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- ^ ヴィッセル神戸、アメリカでプレシーズンツアー実施! Jリーグのクラブでは史上初 サッカーキング 2018年12月29日
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- ^ 第15節鳥栖戦と第32節横浜FM戦。
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- ^ 第4節G大阪戦、第5節広島戦、第7節川崎F戦、第9節鳥栖戦、第11節新潟戦
- ^ "ヴィッセル神戸 ニュース/レポート : 「神戸開港150年記念ユニフォーム」に関するお知らせ" (Press release). ヴィッセル神戸. 8 June 2017. 2017年8月30日閲覧。
- ^ 第18節仙台戦、第19節大宮戦、第21節鹿島戦、第23節横浜FM戦
- ^ “KFCジュニアユース紹介”. 神戸フットボールクラブ公式サイト. 2013年3月5日閲覧。
- ^ "2012年度ヴィタミンクラブ会員募集のお知らせ" (Press release). ヴィッセル神戸. 2012-6-20. 2013-3-4閲覧。
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の日付が不正です。 (説明) - ^ “伊丹ジュニアユース設立と選手募集のお知らせ”. J's GOAL (2005年10月13日). 2013年7月5日閲覧。
- ^ “ヴィッセル神戸『三木谷ハウス』の竣工式”. J's GOAL (2009年3月6日). 2013年3月5日閲覧。
- ^ “選手寮「三木谷ハウス」が完成”. 神戸新聞 (2009年3月6日). 2013年3月5日閲覧。
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の日付が不正です。 (説明)
関連項目
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