ペドロ・ビスポ・モレイラ・ジュニオール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ペドロ・ジュニオール
名前
本名 ペドロ・ビスポ・モレイラ・ジュニオール
Pedro Bispo Moreira Júnior
愛称 ペドロ, PJ[1], ペドロゴール[1]
ラテン文字 PEDRO JÚNIOR
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1987-01-29) 1987年1月29日(37歳)
出身地 サンタナ・ド・アラグアイアポルトガル語版[2]
身長 182cm
体重 75kg
選手情報
在籍チーム ブラジルの旗 ヴィラ・ノヴァ
ポジション FW[2]
背番号 7
利き足 右足[3][4]
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2007 ブラジルの旗 ヴィラ・ノヴァ
2005-2006 ブラジルの旗 グレミオ (loan)
2007 ブラジルの旗 クルゼイロ (loan)
2007 ブラジルの旗 サンカエターノ (loan) 10 (5)
2007-2009 日本の旗 大宮アルディージャ 15 (2)
2008 ブラジルの旗 ヴィラ・ノヴァ (loan) 18 (7)
2009 日本の旗 アルビレックス新潟 (loan) 21 (10)
2009-2011 日本の旗 ガンバ大阪 9 (3)
2010 ブラジルの旗 スポルチ (loan) 6 (1)
2010 ブラジルの旗 ヴィラ・ノヴァ (loan) 2 (1)
2011 日本の旗 FC東京 (loan) 2 (0)
2012 ブラジルの旗 サンカエターノ 7 (0)
2012 ブラジルの旗 ヴィラ・ノヴァ 17 (9)
2013 大韓民国の旗 済州ユナイテッド 29 (17)
2014- 2016 日本の旗 ヴィッセル神戸 74 (25)
2017-2018 日本の旗 鹿島アントラーズ 28 (7)
2018 中華人民共和国の旗 武漢卓爾 (loan) 6 (6)
2019 ブラジルの旗 フォルタレーザ 0 (0)
2019 タイ王国の旗 ブリーラム・ユナイテッド 15 (6)
2019 アラブ首長国連邦の旗 ホール・ファカン 2 (0)
2020 タイ王国の旗 サムットプラーカーン・シティ 3 (0)
2020-2021 ブラジルの旗 CSA 23 (5)
2021- ブラジルの旗 ヴィラ・ノヴァ
1. 国内リーグ戦に限る。2020年1月13日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ペドロ・ジュニオール(Pedro Júnior)こと、ペドロ・ビスポ・モレイラ・ジュニオール(Pedro Bispo Moreira Júnior、1987年1月29日 - )は、ブラジルパラー州出身のプロサッカー選手。ポジションはフォワード

Jリーグ時代の登録名はペドロ・ジュニオール[5]Kリーグ時代の登録名はペドロハングル: 페드로)[6]

経歴[編集]

7歳からサッカーを始める[4]。当時の憧れはロマーリオ[1]ブラジル中部にあるゴイアス州ヴィラ・ノヴァのユースチームで頭角を現し、2003年11月に16歳でプロ契約[7]。ブラジルのユース代表選手にも選ばれた。当時ブラジル国内では、アレシャンドレ・パトらとともに期待の若手選手の一人として「ヤング5」に選出されるなど、将来を嘱望されていた[8]

2005年には名門グレミオがその才能に目を付け、保有権の半分を買い取り、加入させるが大きな活躍はできなかった。2006年にはポルトガルの強豪クラブへの移籍を目指すが交渉が決裂。その後も中東のクラブとの交渉が報道されるが、移籍には至らず。翌2007年にはグレミオから選手トレードの形でクルゼイロレンタル移籍するが、FWのアラウージョロニーからポジションを奪えず、ここでも出番はなかった。

2007年4月にレンタル移籍したサンカエターノでチーム得点王になるなどの活躍が認められ、同年8月にヴィラ・ノヴァからJ1(Jリーグ1部)大宮アルディージャへ完全移籍[9]。J2(2部)降格の危機に瀕したクラブの得点力不足解消を期待されるも、思うように出場機会を得られなかった。

2008年は春季キャンプからポジションを得て、開幕戦で得点を挙げるなど才能の片鱗を見せた。しかし、復調したデニス・マルケスとの2トップが機能せず、押し出される形でレギュラーから外され、負傷治療の名目でブラジルへ帰国する。その後、1年契約が満了した大宮は、再度契約を結びなおしてからシーズン終了まで古巣ヴィラ・ノヴァにレンタル移籍[10] させた。ヴィラ・ノヴァではチームの絶対的エースであるトゥーリオ・マラヴィーリャのサポート役として活躍した。

2009年はJ1・アルビレックス新潟へレンタル移籍[11]4-3-3システムの左FWを任され、8月までのリーグ戦21試合で10得点を挙げる活躍を見せた[1]

シーズン途中の2009年8月、レアンドロの後釜を探していたJ1・ガンバ大阪へ完全移籍した[12][13]。ペドロの保有権を所有していた大宮から新潟が保有権買い取りオプションを行使して一旦新潟へと完全移籍した後[14]、新潟からG大阪へ完全移籍する形となった[12][8]。G大阪ではリーグ戦7試合に出場し、大宮戦と京都戦で計3得点を挙げたものの、ドリブルが最大の持ち味でありながらG大阪監督の西野朗から3タッチ以上禁止、ボールキープ禁止といった「持ちすぎ禁止令」を出されるなど[15]、G大阪のパスサッカーに最後までフィット仕切れずリーグ戦を終えた。天皇杯では3試合に出場し、流通経済大学とJ2鳥栖相手に1得点ずつ計2得点を挙げていたが、新潟時代から痛めていた左膝の治療のため、同大会準決勝戦消化前の12月13日にブラジルへ帰国した。

2010年も開幕からベンチ起用が続き、3月20日の第3節新潟戦では負傷したFWルーカスに代わり後半10分から途中出場したものの、わずか24分後の後半34分に途中交代を命じられた[16]。これで今まで溜まっていたチームへの不満が一気に爆発したペドロは激昂し、ベンチの西野に向かって暴言を吐き、腕を突き上げるなどの挑発行為をした上で、着ていたユニフォームを脱ぎピッチに投げつけたため[16]、G大阪サポーターからブーイングを浴びた[17][18]。同月24日にクラブから直近の公式戦2試合の出場停止処分を科された[19][16]

3月26日、練習前のミーティングで選手、チームスタッフ、西野に対して謝罪をしたものの[20]、西野は和解の意思をみせず、結局この一連の騒動が引き金となってG大阪の戦力構想から完全に外れ、同年4月にブラジルのスポルチ・レシフェへレンタル移籍した[21][16]。同年8月、古巣ヴィラ・ノヴァへ移籍[22]

2011年、J2・FC東京にレンタル移籍[23][24]。保有権は引き続きG大阪が持つ。4月30日のJ2第9節・札幌戦で途中出場。この試合がFC東京での初出場となった。左サイドのアタッカーとして期待されていたものの[25]、その後抱えた怪我が治らず[26]、同年6月17日にクラブより両者合意によるレンタル契約解除が発表され、FC東京を退団した[26]

2012年、G大阪から古巣のADサンカエターノに完全移籍で加入した。契約期間は2年間[2]

2013年Kリーグクラシック済州ユナイテッドFCに移籍。登録名はペドロ[27]。第1節の全南戦で早速得点を挙げ、同節のベストイレブンに選出された[27]。チームは下位に沈んだものの、ペドロは出だしから好調を見せ、FWマラニョンとの連携も機能し[28]、第13節ソウル[29]、第17節慶南[30] ではハットトリックを記録。得点王争いをリードしていたが、シーズン終盤に入るとペドロはオファーを受けた神戸への移籍を望み[31]、済州が来季を見据えた戦いへと切り替えたために[28][32]出場機会を得られず[31][32]、得点ランク3位の17ゴールに終わった。

2014年、J1・ヴィッセル神戸へ完全移籍[33]4-5-1システムの中盤左サイドでアタッカーとして起用され、シーズン前半はリーグトップに立つなど得点量産体勢に入っていたが[34]、シーズン後半に失速した。それでもリーグ戦32試合出場で13得点を挙げるなど、2009年以来となるJ1リーグ二桁得点を達成した。

2015年グロインペイン症候群発症によりシーズンの大半を欠場[35]。また、出場した試合でもプレーに精彩を欠くなど、リーグ戦13試合出場で1得点に終わった。

2016年は怪我が癒え開幕戦から先発出場。2トップでコンビを組むFWレアンドロと抜群の相性を見せ、リーグ戦29試合出場で11得点を挙げる活躍に加え、リーグトップのアシスト数を記録するなど完全復活の働きを見せた。

2017年より鹿島アントラーズに完全移籍[36]。 この年は7ゴールを上げたが、翌年の18シーズンでは、金崎夢生鈴木優磨とのポジション争いに敗れ、出場機会が減少した。

2018年7月13日、中国・甲級リーグ武漢卓爾足球倶楽部にシーズン終了までのレンタルで移籍した[37]

2019年1月11日、フォルタレーザECに完全移籍[38]。その後、タイ・リーグ1ブリーラム・ユナイテッドFCへ移籍した。

7月16日にJ2アビスパ福岡への完全移籍が発表されたが[39]、1週間後の7月23日、選手登録の手続き上の問題があったとして契約解除が発表された[40]。日本サッカー協会が定めた「サッカー選手の登録と移籍等に関する規則」には、「1つのシーズン中に公式戦出場可能なのは最大2チームまで」という趣旨の文があり、ペドロが同シーズン中にフォルタレーザ及びブリーラム・ユナイテッドで公式戦出場を記録していた為、このルールに抵触した可能性があると報じられている[41]

2019年7月27日、アラビアン・ガルフ・リーグに昇格したばかりのホール・ファカン・クラブへ移籍[42]

2020年1月13日、タイ・リーグ1のサムットプラーカーン・シティFCに移籍。鹿島時代の監督であった石井正忠の指導を再び受けることになる[43]

2020年5月7日、サムットプラーカーン・シティFCと契約解除[44]

エピソード[編集]

  • 2007年の訪日後しばらくの間常連として通ったサイゼリヤのおかげもあって日本に適応できたと語る[7]
  • ブラジルのメディア・ラジオ730とのインタビューで、日本に帰化して日本代表としてプレーしたい希望を表明している[45]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2003 ヴィラ・ノヴァ セリエB
2004 (pt GO州1部
2004 (en セリエB
2005 (pt GO州1部
2005 (en グレミオ セリエB
2006 (pt RS州1部
2006 セリエA 11 0
2007 (pt クルゼイロ MG州1部
2007 (en サンカエターノ セリエB 10 5 -
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2007 大宮 33 J1 6 0 - 0 0 6 0
2008 13 9 2 3 1 - 12 3
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2008 (en ヴィラ・ノヴァ セリエB 18 7 -
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2009 新潟 9 J1 21 10 3 0 - 24 10
G大阪 39 7 3 - 3 2 10 5
2010 11 2 0 - - 2 0
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2010 (en スポルチ 33 セリエB 6 1 2 0 8 1
ヴィラ・ノヴァ 2 1 -
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2011 FC東京 17 J2 2 0 - - 2 0
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
2012 (en サンカエターノ SP州1部 7 0 -
2012 (en ヴィラ・ノヴァ セリエC 17 9 -
韓国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2013 (en 済州 10 Kクラシック 29 17 - 2 1 31 18
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2014 神戸 7 J1 32 13 5 1 1 0 38 14
2015 13 1 4 2 1 0 18 3
2016 29 11 5 3 3 4 37 18
2017 鹿島 21 7 0 0 1 0 22 7
2018 7 0 0 0 0 0 7 0
通算 ブラジル セリエA 11 0
ブラジル セリエB 36 14 2 0
ブラジル セリエC 17 9
ブラジル 州1部 7 0
日本 J1 147 47 20 7 9 6 176 60
日本 J2 2 0 0 0 0 0 2 0
韓国 Kクラシック 29 17 - 2 1 31 18
総通算 248 87 22 7 11 7 282 101

その他国内公式戦

国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFCACLクラブW杯
2010 G大阪 11 1 0 -
2017 鹿島 7 5 3 -
2018 2 0 -
通算 AFC 8 3 -

タイトル[編集]

クラブ[編集]

ヴィラ・ノヴァ
グレミオ
ガンバ大阪
スポルチ・レシフェ
鹿島アントラーズ

個人[編集]

  • Jリーグ・優秀選手賞:2016年

代表歴[編集]

  • U-18ブラジル代表

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 『FC東京ファンブック2011』フロムワン,朝日新聞出版、2011年、49頁。 
  2. ^ a b c AZULÃO APRESENTA SETE REFORÇOS PARA ENTRAR FORTE NO PAULISTÃO(ポルトガル語)ADサンカエターノ (2011年12月27日)
  3. ^ 選手名鑑 (2009年版)”. 2009年8月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月16日閲覧。 スポーツニッポン
  4. ^ a b 『Jリーグ選手名鑑 2014J1・J2・J3エルゴラッソ特別編集』三栄書房、2014年、137頁。 
  5. ^ ペドロ ジュニオール”. J.League. 2023年12月5日閲覧。
  6. ^ 페드로”. K League. 2023年12月5日閲覧。
  7. ^ a b 『FC東京ファンブック2011』フロムワン,朝日新聞出版、2011年、76-81頁。 
  8. ^ a b G大阪が電撃引き抜き! 新潟FWペドロを獲得 (cache) スポーツ報知 (2009年8月27日)
  9. ^ ペドロ ジュニオール選手加入のお知らせ”. 2007年11月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月16日閲覧。 大宮アルディージャ (2007年8月14日)
  10. ^ ペドロ ジュニオール選手、ヴィラノバ・フットボールクラブへ期限付き移籍のお知らせ J's GOAL (2008年7月1日)
  11. ^ ペドロ ジュニオール選手 移籍加入内定のお知らせ アルビレックス新潟し (2009年1月12日)
  12. ^ a b ペドロ ジュニオール選手 大宮アルディージャから完全移籍獲得、ガンバ大阪へ完全移籍のお知らせ アルビレックス新潟 (2009年8月27日)
  13. ^ アルビレックス新潟 FWペドロ ジュニオール選手 ガンバ大阪へ完全移籍のお知らせ ガンバ大阪 (2009年8月27日)
  14. ^ ペドロ ジュニオール選手アルビレックス新潟へ完全移籍のお知らせ 大宮アルディージャ (2009年8月27日)
  15. ^ 天皇杯 西野監督がペドロ・ジュニオールに持ち過ぎ禁止令 ゲキサカ (2009年10月29日)
  16. ^ a b c d ペドロ・ジュニオールが来季、F東京に加入? ゲキサカ (2010年11月12日)
  17. ^ G大阪内紛! P・ジュニオールが西野監督に暴言 スポーツニッポン (2010年3月21日)
  18. ^ G大阪造反劇ペドロ交代に切れた 日刊スポーツ (2010年3月21日)
  19. ^ ペドロジュニオール選手の処分について ガンバ大阪 (3月24日)
  20. ^ G大阪ペドロ謝っても西野監督“構想外” 日刊スポーツ (2010年3月27日)
  21. ^ FWペドロ ジュニオール選手 Sports Club Do Recife(ブラジル)へ期限付き移籍のお知らせ ガンバ大阪 (2010年4月9日)
  22. ^ Atacante do Sport, Pedro Junior cogita retornar ao Vila Nova(ポルトガル語) (2010年8月19日)
  23. ^ FWペドロ ジュニオール選手 2011シーズン FC東京へ期限付き移籍のお知らせ ガンバ大阪 (2011年1月6日
  24. ^ ペドロ ジュニオール選手 期限付き移籍加入決定のお知らせ”. 2011年1月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月16日閲覧。 FC東京 (2011年1月6日)
  25. ^ G大阪からペドロ獲得 左サイドアタッカーで起用へ 東京中日スポーツ (2011年1月7日)
  26. ^ a b ペドロジュニオール選手 契約解除のお知らせ FC東京 (2011年6月17日)
  27. ^ a b c 페드로-최원권, 1R 주간 베스트11 선정(朝鮮語) 済州ユナイテッドFC (2013年3月5日)
  28. ^ a b 올 시즌 마지막 희망 놓친 제주의 고민(朝鮮語)大韓サッカー協会 (2013年9月15日)
  29. ^ Jeju United vs. Seoul 4 - 4(英語)SOCCERWAY
  30. ^ Gyeongnam vs. Jeju United 2 - 4(英語)SOCCERWAY
  31. ^ a b 득점2위 페드로 빗셀 고베행…김신욱 사실상 득점왕 확정(朝鮮語) (2013年11月17日)
  32. ^ a b 득점왕, 선두 페드로보다 김신욱-케빈을 주목하라(朝鮮語) (2013年10月22日)
  33. ^ 済州ユナイテッドFC(韓国)よりFWペドロ ジュニオール選手 完全移籍加入のお知らせ ヴィッセル神戸 (2014年1月6日)
  34. ^ 2014Jリーグ ディビジョン1 得点順位表【第24節】 Jリーグ (2014年9月20日)
  35. ^ 【J1】開幕直前チェック 神戸編 唯一のPSMでも新システムが機能せず。不安を残すシーズンインに サッカーダイジェスト (2016年2月25日)
  36. ^ ペドロ ジュニオール選手が加入』(プレスリリース)鹿島アントラーズ、2016年12月27日https://www.antlers.co.jp/news/release/579292016年12月27日閲覧 
  37. ^ ペドロ ジュニオール選手が武漢卓爾職業足球倶楽部に期限付き移籍”. 鹿島アントラーズ オフィシャルサイト (2018年7月13日). 2018年7月13日閲覧。
  38. ^ ペドロ ジュニオール選手がフォルタレーザECに移籍”. 鹿島アントラーズ オフィシャルサイト (2019年1月11日). 2019年1月11日閲覧。
  39. ^ ペドロ ジュニオール選手 ブリーラム・ユナイテッドFC(タイ)より 完全移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)アビスパ福岡、2019年7月16日https://www.avispa.co.jp/news/post-251772019年7月24日閲覧 
  40. ^ ペドロ ジュニオール選手との契約解除のお知らせ』(プレスリリース)アビスパ福岡、2019年7月23日https://www.avispa.co.jp/news/post-252432019年7月24日閲覧 
  41. ^ “16日加入発表の福岡P・ジュニオールが衝撃の契約解除…今季3クラブ目となる登録が原因か”. ゲキサカ (講談社). (2019年7月24日). https://web.gekisaka.jp/news/detail/?280180-280180-fl 2019年7月24日閲覧。 
  42. ^ “福岡と仮契約解除のペドロ・ジュニオールがUAEクラブに加入!”. 超ワールドサッカー. (2019年7月28日). https://web.ultra-soccer.jp/news/view?news_no=358957 2019年9月1日閲覧。 
  43. ^ SAMUT PRAKAN CITY FRONT LINE WITH OUR LATEST SIGNING: FORMER "THUNDER CASTLES" STAR STRIKER”. サムットプラーカーン・シティFC (2020年1月13日). 2020年1月13日閲覧。
  44. ^ เขี้ยวสมุทรยกเลิกสัญญา เปโดร จูเนียร์”. タイ・リーグ1 (2020年5月7日). 2020年5月7日閲覧。
  45. ^ 日本代表入りを夢見るペドロ・ジュニオール。だが現時点では困難とも認める”. フットボールチャンネル (2016年12月23日). 2018年4月6日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]