トーマス・フェルメーレン

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トーマス・フェルメーレン Football pictogram.svg
2015 UEFA Super Cup 39.jpg
バルセロナでのフェルメーレン (2015年)
名前
本名 トーマス・フェルメーレン
Thomas Vermaelen
ラテン文字 Thomas VERMAELEN
基本情報
国籍 ベルギーの旗 ベルギー
生年月日 1985年11月14日(30歳)
出身地 フランデレン地域の旗 フランデレン地域
アントウェルペン州の旗 アントウェルペン州カペレン
身長 183cm
体重 80kg
選手情報
在籍チーム イタリアの旗 ASローマ
ポジション DF (CB, LSB)
背番号 15
利き足 左足
ユース
1991-1999 ベルギーの旗 ジェルミナル・エケレン
1999-2000 ベルギーの旗 ジェルミナル・ベールスホット
2000-2003 オランダの旗 アヤックス
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2009 オランダの旗 アヤックス 99 (8)
2004-2005 オランダの旗 RKC (loan) 13 (2)
2009-2014 イングランドの旗 アーセナル 110 (13)
2014- スペインの旗 バルセロナ 11 (1)
2016- イタリアの旗 ローマ (loan)
代表歴2
2002-2003 ベルギーの旗 ベルギー U-18 5 (0)
2003-2004 ベルギーの旗 ベルギー U-19 7 (0)
2004-2007 ベルギーの旗 ベルギー U-21 13 (1)
2008 ベルギーの旗 ベルギー U-23 5 (0)
2006- ベルギーの旗 ベルギー 57 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年8月8日現在。
2. 2016年6月26日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

トーマス・フェルメーレン(Thomas Vermaelen、1985年11月14日 - )は、ベルギーアントウェルペン州カペレン出身のサッカー選手ASローマ所属。ベルギー代表。ポジションはディフェンダー

『トーマス・ヴェルマーレン』と表記されることもある。

経歴[編集]

アヤックス[編集]

5、6歳の時にKFCジェルミナル・エケレン(現在は解散)の下部組織に入団した[1]。エケレンはオランダアヤックス・アムステルダムと友好関係があり、2000年、15歳の時にアヤックスのユースチームに移籍した[1]。2003年にトップチームに昇格し、2004年2月15日FCフォレンダム戦でデビューした。この年アヤックスはエールディヴィジ優勝を果たすが、これ以降退団まで優勝を経験することはなく、最初で最後の優勝となった。

2004-05シーズンはRKCヴァールヴァイクへとレンタルされた。レギュラーポジションは掴めなかったが、エールディヴィジ初ゴールを記録。13試合出場で2ゴールとまずまずの結果を残した。2005-06シーズンにアヤックスに復帰して以降はチームの中心選手となり、KNVBカップヨハン・クライフ・シャールの連覇に貢献。2008-09シーズンにはアヤックスのキャプテンに選ばれたが、チームは無冠に終わった。

2009年6月19日イングランドアーセナルFCへ移籍金1000万ポンド(約15億9000万円)で移籍した[2]

アーセナル[編集]

8月15日エヴァートンFC戦でプレミアリーグデビューを果たし、プレミアリーグ初出場で初得点を記録した。その後は驚異的な早さでチームに順応し、ウィリアム・ギャラスと鉄壁のセンターバックコンビを形成。開幕からわずか数試合でクラブにおける地位を確固たるものにした。シーズンを通してチームを牽引し、加入1年目にして替えの利かない絶対的な存在となった。ただ、2010年4月14日トッテナム・ホットスパーFCとの「ノース・ロンドン・ダービー」に於いて前半でミカエル・シルヴェストル負傷交代し、その後シーズン終了まで復帰できなかったが、チームメイトのセスク・ファブレガスと共に2009-10シーズンのプレミアリーグのベストイレブンに選出された[3]

2010-11シーズンはギャラスがそのトッテナムへ、ソル・キャンベルニューカッスル・ユナイテッドFCへ、シルヴェストルがヴェルダー・ブレーメンへ移籍したことにより、新加入のローラン・コシールニーセバスティアン・スキラシ、昨シーズン終盤に怪我から復帰したヨハン・ジュルーと共にセンターバック陣の形成を期待された。しかし9月7日EURO2012予選トルコ戦でアキレス腱を負傷し、公式戦出場は8月28日ブラックバーン・ローヴァーズFC戦までのわずか3試合に留まった。当初は短期間で戦列に復帰できると見込まれていたが回復せず、2011年3月17日にヴェンゲル監督により2010-11シーズン中の復帰は無理と発表された[4]。しかし、それを覆して4月28日マンチェスター・ユナイテッドFCとの練習試合で復帰した。5月8日ストーク・シティFC戦では遠征メンバーに帯同し、5月15日アストン・ヴィラではフル出場を果たした。

主将だったセスク・ファブレガスの移籍 (FCバルセロナへ) によって、2011-12シーズンは新主将ロビン・ファン・ペルシに次ぐ副主将となった。この年は、何度か怪我による離脱もあったがDFながらチーム3位タイの6得点をあげるなど活躍を見せた。

ファン・ペルシがマンチェスター・ユナイテッドに移籍したため、2012-13シーズンは新たに主将に就任した。しかし、2012年11月3日のユナイテッド戦で自身のクリアミスからそのファン・ペルシに先制弾を許して1-2で敗北[5]。さらにそれ以外にもミスが目立ち、主将ながらベンチに降格。コシールニーとペア・メルテザッカーの後塵を排した。

バルセロナ[編集]

2014年8月9日、FCバルセロナへ5年契約で移籍した[6]。 加入後も度重なる負傷によって離脱を繰り返し、チームはリーガ・エスパニョーラ、コパ・デル・レイ、チャンピオンズリーグの三冠を達成するものの、自身はリーグ戦1試合のみの出場に留まった。

15-16シーズンは開幕戦からスターティングメンバーに名を連ね、開幕2戦目の8月29日、対マラガCF戦で決勝点となる移籍後初ゴールを決め勝利に貢献した。しかし、再び負傷によって戦列を離れ、復帰後のパフォーマンスは低調に終わりポジションを得るには至らなかった。

16-17シーズン、フリーでローマへレンタル移籍した。

代表[編集]

2006年3月5日ルクセンブルク代表戦でベルギー代表デビュー、レギュラーを獲得。北京オリンピックにも出場し、3位決定戦でブラジルに敗れ銅メダルを逃すもチームの健闘を支えた。2009年10月8日からはベルギー代表のキャプテンに指名されている。2009年11月14日の親善試合・ハンガリー戦で代表初ゴールを記録。

表記[編集]

  • 日本では、フェルマーレンフェルメーレンヴェルマーレンヴェルメーレンなどいくつもの表記が存在するが、ベルギーでの呼び名はヴェルマーレンが最も近い。

所属クラブ[編集]

オランダの旗 RKCヴァールヴァイク 2004-2005 (loan)
イタリアの旗 ASローマ 2016- (loan)

タイトル[編集]

オランダの旗 アヤックス
イングランドの旗 アーセナルFC
スペインの旗 FCバルセロナ

脚注[編集]

  1. ^ a b 「1000万ポンドの輝き」ワールドサッカーダイジェスト、日本スポーツ企画出版社、2009年10月15日号、42-44頁
  2. ^ Thomas Vermaelen completes move to ArsenalアーセナルFC公式ウェブサイト、2009年6月19日
  3. ^ Two Arsenal stars in PFA Team of the YearアーセナルFC公式ウェブサイト、2010年4月26日
  4. ^ Vermaelen ruled out for rest of the seasonアーセナルFC公式ウェブサイト、2011年3月17日
  5. ^ ヴェンゲル、ミスのヴェルメーレンを批判Goal.com 2012年11月4日
  6. ^ バルサ、ヴェルメーレン獲得を正式発表Goal 2014年8月10日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]