トーマス・フェルメーレン
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ベルギー代表でのフェルメーレン (2018年) | ||||||
| 名前 | ||||||
| ラテン文字 | Thomas VERMAELEN | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1985年11月14日(33歳) | |||||
| 出身地 | カペレン | |||||
| 身長 | 183cm | |||||
| 体重 | 80kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| 在籍チーム |
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| ポジション | DF (CB, LSB) | |||||
| 背番号 | 24 | |||||
| 利き足 | 左足 | |||||
| ユース | ||||||
| 1991-1999 |
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| 1999-2000 |
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| 2000-2003 |
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| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 2003-2009 |
| 99 | (8) | |||
| 2004-2005 |
→ | 13 | (2) | |||
| 2009-2014 |
| 110 | (13) | |||
| 2014- |
| 11 | (1) | |||
| 2016-2017 |
→ | 9 | (0) | |||
| 代表歴2 | ||||||
| 2002-2003 |
| 5 | (0) | |||
| 2003-2004 |
| 7 | (0) | |||
| 2004-2007 |
| 13 | (1) | |||
| 2008 |
| 5 | (0) | |||
| 2006- |
| 58 | (1) | |||
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1. 国内リーグ戦に限る。2017年6月7日現在。 2. 2016年9月6日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
トーマス・フェルメーレン(Thomas Vermaelen、1985年11月14日 - )は、ベルギー・アントウェルペン州カペレン出身のサッカー選手。FCバルセロナ所属。ベルギー代表。ポジションはディフェンダー。
トーマス・ヴェルマーレンと表記されることもある。
経歴[編集]
アヤックス[編集]
5、6歳の時にKFCジェルミナル・エケレン(現在は解散)の下部組織に入団した[1]。エケレンはオランダのアヤックス・アムステルダムと友好関係があり、2000年、15歳の時にアヤックスのユースチームに移籍した[1]。2003年にトップチームに昇格し、2004年2月15日のFCフォレンダム戦でデビューした。この年アヤックスはエールディヴィジ優勝を果たすが、これ以降退団まで優勝を経験することはなく、最初で最後の優勝となった。
2004-05シーズンはRKCヴァールヴァイクへとレンタルされた。レギュラーポジションは掴めなかったが、エールディヴィジ初ゴールを記録。13試合出場で2ゴールとまずまずの結果を残した。2005-06シーズンにアヤックスに復帰して以降はチームの中心選手となり、KNVBカップ、ヨハン・クライフ・シャールの連覇に貢献。2008-09シーズンにはアヤックスのキャプテンに選ばれたが、チームは無冠に終わった。
2009年6月19日、イングランドのアーセナルFCへ移籍金1000万ポンド(約15億9000万円)で移籍した[2]。
アーセナル[編集]
8月15日のエヴァートンFC戦でプレミアリーグデビューを果たし、プレミアリーグ初出場で初得点を記録した。その後は驚異的な早さでチームに順応し、ウィリアム・ギャラスと鉄壁のセンターバックコンビを形成。開幕からわずか数試合でクラブにおける地位を確固たるものにした。シーズンを通してチームを牽引し、加入1年目にして替えの利かない絶対的な存在となった。ただ、2010年4月14日のトッテナム・ホットスパーFCとの「ノース・ロンドン・ダービー」に於いて前半でミカエル・シルヴェストル負傷交代し、その後シーズン終了まで復帰できなかったが、チームメイトのセスク・ファブレガスと共に2009-10シーズンのプレミアリーグのベストイレブンに選出された[3]。
2010-11シーズンはギャラスがそのトッテナムへ、ソル・キャンベルがニューカッスル・ユナイテッドFCへ、シルヴェストルがヴェルダー・ブレーメンへ移籍したことにより、新加入のローラン・コシールニーやセバスティアン・スキラシ、昨シーズン終盤に怪我から復帰したヨハン・ジュルーと共にセンターバック陣の形成を期待された。しかし9月7日のEURO2012予選・トルコ戦でアキレス腱を負傷し、公式戦出場は8月28日のブラックバーン・ローヴァーズFC戦までのわずか3試合に留まった。当初は短期間で戦列に復帰できると見込まれていたが回復せず、2011年3月17日にヴェンゲル監督により2010-11シーズン中の復帰は無理と発表された[4]。しかし、それを覆して4月28日のマンチェスター・ユナイテッドFCとの練習試合で復帰した。5月8日のストーク・シティFC戦では遠征メンバーに帯同し、5月15日のアストン・ヴィラではフル出場を果たした。
主将だったセスク・ファブレガスの移籍 (FCバルセロナへ) によって、2011-12シーズンは新主将ロビン・ファン・ペルシに次ぐ副主将となった。この年は、何度か怪我による離脱もあったがDFながらチーム3位タイの6得点をあげるなど活躍を見せた。
ファン・ペルシがマンチェスター・ユナイテッドに移籍したため、2012-13シーズンは新たに主将に就任した。しかし、2012年11月3日のユナイテッド戦で自身のクリアミスからそのファン・ペルシに先制弾を許して1-2で敗北[5]。さらにそれ以外にもミスが目立ち、主将ながらベンチに降格。コシールニーとペア・メルテザッカーの後塵を排した。
バルセロナ[編集]
2014年8月9日、FCバルセロナへ5年契約で移籍した[6]。加入後も度重なる負傷によって離脱を繰り返し、チームはリーガ・エスパニョーラ、コパ・デル・レイ、チャンピオンズリーグの三冠を達成するものの、自身はリーグ戦1試合のみの出場に留まった。
15-16シーズンは開幕戦からスターティングメンバーに名を連ね、開幕2戦目の8月29日、対マラガCF戦で決勝点となる移籍後初ゴールを決め勝利に貢献した。しかし、再び負傷によって戦列を離れ、復帰後のパフォーマンスは低調に終わりポジションを得るには至らなかった。
2016年8月8日、セリエA・ASローマへレンタル移籍した[7]。買取オプション付きのレンタルとなる。
17-18シーズンはバルセロナに復帰するも出場機会が得られない状態が続いたが、CBに負傷者が続出したことでレギュラー入りを果たす。12月23日のレアル・マドリーとのエル・クラシコではフル出場し無失点に貢献した。
代表[編集]
2006年3月5日、ルクセンブルク代表戦でベルギー代表デビュー、レギュラーを獲得。北京オリンピックにも出場し、3位決定戦でブラジルに敗れ銅メダルを逃すもチームの健闘を支えた。2009年10月8日からはベルギー代表のキャプテンに指名されている。2009年11月14日の親善試合・ハンガリー戦で代表初ゴールを記録。
表記[編集]
- 日本では、フェルマーレン、フェルメーレン、ヴェルマーレン、ヴェルメーレンなどいくつもの表記が存在するが、ベルギーでの呼び名はヴェルマーレンが最も近い。
タイトル[編集]
- エールディヴィジ:1回 (2003-04)
- KNVBカップ:2回 (2005-06, 2006-07)
- ヨハン・クライフ・スハール:2回 (2006, 2007)
- FAカップ:1回 (2013-14)
- リーガ・エスパニョーラ:3回 (2014-15, 2015-16, 2017-18)
- コパ・デル・レイ:3回 (2014-15, 2015-16, 2017-18)
- UEFAチャンピオンズリーグ:1回 (2014-15)
- FIFAクラブワールドカップ:1回 (2015)
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ:1回 (2018)
脚注[編集]
- ^ a b 「1000万ポンドの輝き」ワールドサッカーダイジェスト、日本スポーツ企画出版社、2009年10月15日号、42-44頁
- ^ Thomas Vermaelen completes move to ArsenalアーセナルFC公式ウェブサイト、2009年6月19日
- ^ Two Arsenal stars in PFA Team of the YearアーセナルFC公式ウェブサイト、2010年4月26日
- ^ Vermaelen ruled out for rest of the seasonアーセナルFC公式ウェブサイト、2011年3月17日
- ^ ヴェンゲル、ミスのヴェルメーレンを批判Goal.com 2012年11月4日
- ^ バルサ、ヴェルメーレン獲得を正式発表Goal 2014年8月10日
- ^ “トマス・フェルメーレンがASローマへレンタル移籍”. FC Barcelona (2016年8月8日). 2018年5月4日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- Thomas Vermaelen (@thomasvermaelen) - Twitter
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