本塁打

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本塁打(ほんるいだ)、ホームラン英語: Home Run)とは、野球における打者記録スポーツ新聞紙上などではHRと略される事がある。

定義

投手が正規の投球を行い、打者が正規の打撃を行ったもののうち、次のいずれかの場合を本塁打という。

  1. 打者が打ったフェアの打球が、地面に着くことなくプレイングフィールドの外へ出た場合。「プレイングフィールドの外へ出る」とは、一般の野球場では外野スタンドに入ること、更には外野スタンドを越して球場外へ出ること(場外本塁打)を意味する。概ねボールがスタンド内(もしくは球場外)に落ちた瞬間に、行方を確認した審判員外審もしくは各塁審)により本塁打が宣告される。
  2. 打者が打ったフェアの打球が、地面に着くことなく、内野スタンドと外野スタンドとを隔てるファウルポール、もしくはポールのフェアゾーン側に張ってある長さ数メートルの金網に当たった場合。その瞬間に行方を確認した審判員(外審もしくは各塁審)により本塁打が宣告される。
  3. 審判員が、明らかに上記1、2になるであろうと判断した打球に対して、野手がグローブや帽子などを本来身につけるべき場所から外して投げつけ、打球の進路を変えた場合。
  4. 打者が打った打球のうち、一度でも地面に落ちたフェアボールを守備側が失策を伴うことなく処理する間に、打者走者が本塁まで進塁した場合。これを特にランニングホームラン英語ではinside-the-park home runまたはinside-the-park homer)と言うが、記録上は上記1、2、3の本塁打と変わらない。

本来スタンド内に入らない軌道の打球であっても(主にフェンス際で)野手がグラブ等で弾いてフェア地域のスタンド内に落ちる、あるいはファウルポールに当たった場合も、上記の定義1・2に該当し、本塁打である(俗にアシストホームランと呼ばれ、元ホークス岸川勝也、元中日ドラゴンズ川又米利らが記録している。ホセ・カンセコは、カルロス・マルティネスの放った打球が頭に当たり、これがフェンス外側へ飛んで、結果ホームランにしてしまったことがある)。

よじ登ったりした場合も含めてフェンス付近でホームラン性の打球を捕球した場合、捕球したままグラウンド内へ戻ればアウト、ボールがこぼれてグラウンド内に入ればインプレーとなる。また、捕球した選手ごとスタンドへ入ってしまった場合、打者はアウトになりボールデッド。その際、無死もしくは一死で走者がいれば、各走者に1個の安全進塁権が与えられる。(1979年公認野球規則に2.15「キャッチ」【原注】が書き加えられたが、アウトになるルール自体が改正されたわけではない)ただしいずれも、審判が「正規の捕球」時以外の体勢(片足でもスタンド内に足を付けている状態など)で仮に触れなければホームランと推定される打球に接触した場合や、スタンドへ倒れた後に捕球したと判断された場合は、ホームランとなる。一方、外野スタンド内に落下着地する前に観客が手をフェンス外に出して捕球した場合は二塁打判定となる。

上記1、2、3はボールデッドになる。審判員は右手を頭上で回すジェスチャーとともに「ホームラン」と宣告する。この宣告により打者を含めた全ての走者には本塁までの安全進塁権が与えられる。上記4はボールインプレイであり、審判員の「ホームラン」の宣告はない。

走者は本塁まで正規の走塁を行うことにより、その数だけ得点することができる。打者走者が正規に本塁まで走塁し得点が認められたとき、打者に本塁打が記録される。

ドーム球場のフェア地域の天井や懸垂物などにボールが当たったり挟まったりした場合、その場所によって本塁打と認定するなど各球場ごとにグラウンドルールが定められている。詳しくはドーム球場の特別ルールの項を参照のこと。

概要

本塁打は野球の最も印象的なプレイの一つとされ、完璧な本塁打を打つことによって、本塁打による得点以上のダメージを相手チームに与えることができるとも考えられている。これは球がフィールド外に飛び出すことにより、打者の力が投手の力を完全に上回ったとの印象を与えること、守備側の選手(特に投手)はするべきプレイが無いまま打者が塁を回る姿を見ることになり、観客がいるプロ野球などでは殊更に音響などで演出をするためである。塁上の走者数に応じ、ランナーがいない場合はソロ(ホームラン)、以下走者1人はツーラン、2人はスリーラン、満塁は満塁本塁打(英語でグランドスラム)と称することが多い。試合が劣勢の状態であっても満塁本塁打で一瞬にして雰囲気が変わり、その勢いで逆転したり、サヨナラ本塁打で試合に勝利することもある[1]

本塁打を量産することで多くの得点をもたらし勝利に貢献する打者はエース投手と並ぶチームの象徴とされ、そのような打者は「大砲」なかでも4番打者、またはチームで最も本塁打を期待できる打者は「主砲」と呼ばれる。同チームに強打者が複数在籍する場合には、例えば王貞治長嶋茂雄を合わせてON砲山本浩二衣笠祥雄YK砲秋山幸二清原和博を合わせてAK砲などとも表す。

本塁打を「一発」「○○弾」と言い換えて「試合を決めた一発」や「決勝満塁弾」、また、打球が放物線を描いてスタンドインする様子を橋に見立てて「アーチを架ける」などと表現する。ライナー性の打球がスタンドインする様子には「スタンドに突き刺さる」などの表現が用いられる一方、高く打ち上げた場合は「滞空時間が長い」、「大きな放物線を描く」などと形容表現される。主にプロ野球中継やダイジェスト放送などで、解説者や中継アナウンサーなどは 空中に打ち上がりスタンドインした本塁打のことを風流に「花火」と形容することもある。「今日のAチーム対Bチームのゲームでは、両チーム合わせて7発 の花火が夜空に打ち上がりました(世間で花火大会の多い夏の試合でこのような表現をされることが多い)」など。また、「空砲」とは、期待されたほどの 強打者ではない、又は本塁打が勝利に結びつかないなどの意味である。なお、打たれた投手は「被弾する」と表現される。その他、得点の多くを複数の本塁打で取ることを「一発攻勢」、双方のチームが本塁打で得点を取り合う乱打戦を「空中戦」、被安打が少ない代わりに打たれる時は本塁打、かつそのショックで制球が乱れ出して失点が続く投手の状態を「一発病」と称するなど、本塁打から派生する慣用表現は多い。

本塁打数の少ない打者が本塁打を打った場合、自分を謙遜して「交通事故」と呼ぶ選手が多い(広島東洋カープ東出輝裕東京ヤクルトスワローズ福地寿樹など)。普段本塁打を打たない選手に本塁打を期待して「事故待ち」などとも言われている。

本塁打は選手の能力以外に球場の構造にも影響されるが、近年では、バットやボールの改良、ステロイド系に代表される薬物使用による身体能力の向上といった、観客からは判りにくい方法によってその数が増加しているとの疑いも持たれている。“日本では飛び易いボールが使用されている”という指摘もあり、2011年シーズンからプロ野球公式試合球には、内部構造が改められたミズノ製の“飛び難い”ボールが使用される事になった[2]

ベーブ・ルースが現れるまでは、本塁打よりむしろ打率のほうが選手の評価の対象だった。これには最初期のルールで、飛球を直接捕球するだけでなく、一度地面で跳ね返ってから捕球してもアウトだったことから、アウトになりにくい地面に叩きつけるような打球が好まれたことがあげられ、ルールが変更された後もこの影響が続いたためである。

アベック本塁打

アベック本塁打(アベック砲、アベック弾、アベックホームラン、アベックホーマー、アベックアーチ)とは、同じ球団の2人の選手が同じ試合で放った本塁打をいう。試合毎に回数で数える。1つの試合の中で一方又は双方の選手が複数の本塁打を放って達成した場合も1回と数える。2人の強打者が同時期に同球団に所属していなければ多く発生しない。

王貞治長嶋茂雄ON砲巨人)による106回、山本浩二衣笠祥雄YK砲広島)による86回、秋山幸二清原和博AK砲西武)による62回が有名である。

サイクル本塁打

日本プロ野球において「一試合に」一人でソロ、2ラン、3ラン、満塁の4種類の本塁打(サイクルホームラン)を打った者は未だにいない。1999年4月18日中日レオ・ゴメス東京ドームで行われた対巨人戦で2回にソロ、3回に3ラン、5回に2ランを放ち、その後8回の5打席目に満塁の場面で打席が回ったが空振り三振に倒れ記録達成はならなかった。

ただし「一日に」一人で上記の4種類の本塁打は、1979年5月27日にヤクルトのジョン・スコット甲子園球場で行われた阪神とのダブルヘッダーで2試合に跨る形で記録している(第1試合の1回に小林繁から2ラン、9回に江本孟紀から満塁、第2試合の8回に山本和行からソロ、9回に安仁屋宗八から3ラン)。

被本塁打

被本塁打とは、投手打者に打たれた本塁打のことを言う。ただし、投手によって投球回数が違うため、被本塁打数が多いからといって一概に本塁打をよく打たれる投手とは言えない。そのため、本塁打を打たれやすいかどうかは、被本塁打率(被本塁打÷投球回数×9)で比べることが多い。この率が低ければ低いほど本塁打を打たれにくい投手と言えるが、単年での被本塁打率は当てにならないと言われている[3]

被本塁打記録

  • 通算記録
順位 選手名 本数 被本塁打率
1 鈴木啓示 560 1.10
2 山田久志 490 1.14
3 東尾修 412 0.91
4 北別府学 380 1.10
5 金田正一 379 0.62
  • シーズン記録
順位 選手名 所属球団 年度 本数 被本塁打率
1 池谷公二郎 広島東洋カープ 1977年 48 1.91
2 金田留広 東映フライヤーズ 1971年 42 1.41
高橋里志 広島東洋カープ 1977年 1.33
井本隆 近鉄バファローズ 1980年 1.84
山田久志 阪急ブレーブス 1985年 1.70
  • ゲーム記録
順位 選手名 所属 日付 相手
1 川崎徳次 巨人 1949年4月26日 大映 8
2 田所善治郎 国鉄 1958年6月1日 大洋 7

本塁打率

本塁打率とは打数を本塁打で割った数字をいい、1本の本塁打を打つのに何打数必要かを表す。主に打者の長打力の参考等に使われる。

日本記録

  • 通算記録  王貞治  10.66
  • シーズン記録  1974年  王貞治  7.86

メジャーリーグ記録

本塁打に関する記録

本塁打の日本プロ野球記録を持つ王貞治

日本プロ野球

記録はいずれも2011年シーズン終了時点

個人通算記録

順位 選手名 本数 順位 選手名 本数
1 王貞治 868 11 金本知憲 470
2 野村克也 657 12 土井正博 465
3 門田博光 567 13 タフィ・ローズ 464
4 山本浩二 536 14 長嶋茂雄 444
5 清原和博 525 15 秋山幸二 437
6 落合博満 510 16 小久保裕紀 409
7 張本勲 504 17 山崎武司 402
衣笠祥雄 18 山内一弘 396
9 大杉勝男 486 19 大島康徳 382
10 田淵幸一 474 原辰徳

(備考)松井秀喜は日本とアメリカの通算で505本塁打を記録している。

個人シーズン記録

順位 選手名 所属球団 本数 記録年
1 王貞治 読売ジャイアンツ 55 1964年
タフィ・ローズ 大阪近鉄バファローズ 2001年
アレックス・カブレラ 西武ライオンズ 2002年
4 ランディ・バース 阪神タイガース 54 1985年
5 野村克也 南海ホークス 52 1963年
落合博満 ロッテオリオンズ 1985年
7 小鶴誠 松竹ロビンス 51 1950年
王貞治 読売ジャイアンツ 1973年
タフィ・ローズ 大阪近鉄バファローズ 2003年
10 王貞治 読売ジャイアンツ 50 1977年
落合博満 ロッテオリオンズ 1986年
松井秀喜 読売ジャイアンツ 2002年
アレックス・カブレラ 西武ライオンズ 2003年

新人本塁打数

順位 選手名 所属球団 本数
1 1959 桑田武 大洋ホエールズ 31
1986 清原和博 西武ライオンズ
3 1958 長嶋茂雄 読売ジャイアンツ 29
4 1953 豊田泰光 西鉄ライオンズ 27
5 1949 大岡虎雄 大映スターズ 26
6 2003 村田修一 横浜ベイスターズ 25
7 1958 森徹 中日ドラゴンズ 23
8 1950 深見安博 西鉄ライオンズ 22
1969 田淵幸一 阪神タイガース
1981 原辰徳 読売ジャイアンツ
1990 石井浩郎 近鉄バファローズ

最多本塁打

  • シーズン

年齢別シーズン最多本塁打数

年齢 所属 選手名 本数
17歳 国鉄スワローズ 金田正一 1本 1950年
18歳 西鉄ライオンズ 豊田泰光 27本 1953年
19歳 西武ライオンズ 清原和博 31本 1986年
20歳 西鉄ライオンズ 中西太 36本 1953年
21歳 西鉄ライオンズ 中西太 31本 1954年
西武ライオンズ 清原和博 1988年
国鉄スワローズ 町田行彦 1955年
22歳 読売ジャイアンツ 王貞治 38本 1962年
読売ジャイアンツ 松井秀喜 1996年
23歳 読売ジャイアンツ 王貞治 40本 1963年
西武ライオンズ 秋山幸二 1985年
24歳 読売ジャイアンツ 王貞治 55本 1964年
25歳 埼玉西武ライオンズ 中村剛也 46本 2008年
26歳 読売ジャイアンツ 王貞治 48本 1966年
埼玉西武ライオンズ 中村剛也 2009年
27歳 読売ジャイアンツ 王貞治 47本 1967年
28歳 南海ホークス 野村克也 52本 1963年
年齢 所属 選手名 本数
29歳 中日ドラゴンズ 西沢道夫 46本 1950年
30歳 西武ライオンズ アレックス・カブレラ 49本 2001年
31歳 西武ライオンズ アレックス・カブレラ 55本 2002年
32歳 ロッテオリオンズ 落合博満 52本 1985年
33歳 大阪近鉄バファローズ タフィ・ローズ 55本 2001年
34歳 読売ジャイアンツ 王貞治 49本 1974年
35歳 大阪近鉄バファローズ タフィ・ローズ 51本 2003年
36歳 読売ジャイアンツ 王貞治 49本 1976年
読売ジャイアンツ アレックス・ラミレス 2010年
37歳 読売ジャイアンツ 王貞治 50本 1977年
38歳 読売ジャイアンツ 王貞治 39本 1978年
ロッテオリオンズ ジョージ・アルトマン 1971年
松竹ロビンス 岩本義行 1950年
39歳 東北楽天ゴールデンイーグルス 山崎武司 43本 2007年
40歳 南海ホークス 門田博光 44本 1988年
41歳 東北楽天ゴールデンイーグルス 山崎武司 39本 2009年
42歳 オリックス・ブレーブス 門田博光 31本 1990年
43歳 読売ジャイアンツ 落合博満 21本 1996年
44歳 福岡ダイエーホークス 門田博光 7本 1992年
45歳 西武ライオンズ 野村克也 4本 1980年
  • 上記表の年齢はそのシーズンが開催される年に達する満年齢である。豊田泰光、町田行彦、岩本義行、門田博光は早生まれであり、ジョージ・アルトマンも日本の学齢に合わせると早生まれとなる。
  • 最年長本塁打の記録は岩本義行の45歳5ヶ月である。

初打席本塁打達成者

名前 所属 達成日 対戦相手 備考
かねみつ/金光彬夫 横/朝日軍 1944年4月22日 巨/東京巨人 代打
とくら/戸倉勝城 ロ/毎日 1950年3月11日 西ク/西鉄 パ・リーグ第1号
しおせ/塩瀬盛道 日ハム/東急 1950年5月11日 ロ/大映 初球 投手 生涯唯一の打席
たかき/高木守道 中日 1960年5月7日 横浜/大洋
ハトリ/K・ハドリ ソフトバ/南海 1962年5月1日 西/西鉄 外国人選手
ことう/後藤忠弘 近鉄 1962年8月21日 ロ/大毎
あいかわ/相川進 中日 1966年9月28日 ヤ/サンケイ 代打
スチユアアト/D・スチュアート 横浜/大洋 1967年4月19日 阪神 外国人選手
こむろ/小室光男 西/西鉄 1968年8月21日 近鉄 代打 初球
やまむら/山村善則 西/太平洋 1975年5月30日 ロッテ 代打 2打席目も本塁打
ハチスタ/R・バチスタ ロッテ 1975年6月3日 ソフトバ/南海 外国人選手
ミツチエル/B・ミッチェル 日本ハム 1976年4月27日 近鉄 外国人選手
なかい/中井康之 巨人 1979年4月11日 阪神 代打
かかわ/香川伸行 ソフトバ/南海 1980年7月8日 近鉄
ハンフトン/I・ハンプトン 近鉄 1981年6月5日 日本ハム 外国人選手
こまた/駒田徳広 巨人 1983年4月10日 横浜/大洋 満塁弾
もり/森厚三 広島 1984年5月30日 ヤクルト 初球 投手
あへ/阿部慶二 広島 1984年8月8日 巨人 代打
むらかみ/村上信一 オリ/阪急 1984年8月9日 ソフトバ/南海 代打 2打席目も本塁打
あおしま/青島健太 ヤクルト 1985年5月11日 阪神 代打
よねむら/米村明 中日 1986年8月23日 ヤクルト 投手
テシンセイ/D・デシンセイ ヤクルト 1988年4月8日 巨人 外国人選手
イイスラア/M・イースラー 日本ハム 1988年5月19日 ロッテ 外国人選手
ロ/呂明賜 巨人 1988年6月14日 ヤクルト 外国人選手
ひろなか/広永益隆 ソフトバン/ダイエー 1989年4月8日 日本ハム 代打
テイステフアアノ/B・ディステファーノ 中日 1990年4月7日 横浜/大洋 外国人選手
はやし/林博康 ロッテ 1990年6月29日 ソフトバン/ダイエー 代打
さえき/佐伯秀喜 西武 1990年9月24日 日本ハム
フラツトリイ/F・ブラッドリー 巨人 1991年4月06日 中日 外国人選手
もりた/森田幸一 中日 1991年4月10日 広島 投手
シユルシイ/D・シュルジー オリックス 1991年5月29日 近鉄 外国人選手 初球 投手 日本球界在籍中、唯一の打席
マアシヤル/M・マーシャル 日本ハム 1992年4月4日 西武 外国人選手
ミツチエル/K・ミッチェル ソフトバン/ダイエー 1995年4月1日 西武 外国人選手 満塁弾
いなは/稲葉篤紀 ヤクルト 1995年6月21日 広島 達成者の中で最多本塁打
てくち/出口雄大 巨人 1995年9月19日 中日
おの/小野公誠 ヤクルト 1997年7月20日 巨人 現役最終打席も本塁打
ふくとめ/福留宏紀 オリックス 1997年9月15日 西武 初球
ホオリツク/F・ボーリック ロッテ 1999年4月14日 オリックス 外国人選手
ホオル/C・ポール 西武 1999年6月25日 ソフトバン/ダイエー 外国人選手
ひろいけ/広池浩司 広島 1999年9月29日 阪神 投手
ナナリイ/J・ナナリー オリックス 2000年6月28日 近鉄 外国人選手
しょうごう/ショーゴー 中日 2001年5月1日 巨人 初球
へいうち/塀内久雄 ロッテ 2002年4月8日 日本ハム
のくち/野口祥順 ヤクルト 2002年9月13日 横浜
オオテイス/J・オーティズ オリックス 2003年3月28日 近鉄 外国人選手
ひか/比嘉寿光 広島 2005年9月19日 横浜 代打
かしまえ/加治前竜一 巨人 2008年6月6日 ロッテ サヨナラ
フランコ/T・ブランコ 中日 2009年4月3日 横浜 外国人選手
ふくた/福田永将 中日 2009年7月7日 ヤクルト 代打
ラントルフ/S・ランドルフ 横浜 2009年8月16日 広島 外国人選手 投手
もりた/森田一成 阪神 2011年7月26日 中日 代打
マルハアン/R・マルハーン 西武 2011年8月5日 ソフトバンク 外国人選手

投手の本塁打記録

  • 満塁本塁打
日付 名前 所属 対戦相手 球場
1941年8月2日 古谷倉之助 大洋軍 黒鷲 後楽園
1946年6月2日 大下弘 東京セネタース 中部日本 西宮
1946年8月21日 藤本英雄 東京巨人軍 中部日本 後楽園
1949年4月26日 川崎徳次 読売ジャイアンツ 大映 金沢
1950年4月21日 杉下茂 中日ドラゴンズ 西日本 佐賀
1950年9月28日 江田貢一 松竹ロビンス 国鉄 日生
1951年8月15日 高野裕良 大洋ホエールズ 松竹 後楽園
1952年6月14日 服部受弘 名古屋ドラゴンズ 国鉄 後楽園
1956年4月11日 米田哲也 阪急ブレーブス 高橋 西宮
1957年10月21日 義原武敏 読売ジャイアンツ 大洋 後楽園
1971年5月30日 成田文男 ロッテオリオンズ 東映 東京
1972年6月9日 阪急 西宮
1972年9月22日 金田留広 東映フライヤーズ 南海 後楽園
1975年6月26日 星野仙一 中日ドラゴンズ 大洋 川崎
1981年6月23日 山本和行 阪神タイガース 広島 甲子園
1984年5月13日 津田恒美 広島東洋カープ ヤクルト 長崎
1999年5月21日 ガルベス 読売ジャイアンツ 阪神 甲子園
1999年8月13日 横浜 横浜
  • サヨナラ本塁打
日付 名前 所属 対戦相手 球場
1949年6月18日 藤本英雄 巨人 南海 後楽園
1955年5月26日 金田正一 国鉄 中日 川崎
1959年5月30日 大洋 後楽園
1955年6月9日 別所毅彦 巨人 中日 後楽園
1967年5月13日 佐藤進 産経 中日 東京
1968年5月18日 堀内恒夫 巨人 産経 後楽園
1969年4月12日 木樽正明 ロッテ 南海 後楽園
1969年5月29日 金田留広 東映 西鉄 後楽園
1973年8月30日 江夏豊 阪神 中日 甲子園
1988年5月13日 郭源治 中日 巨人 ナゴヤ
1990年4月8日 木田優夫 巨人 ヤクルト 東京D
1990年8月14日 佐々岡真司 広島 中日 広島
最多本塁打記録
記録 名前 所属 日付 補足
歴代通算最多本塁打 36 金田正一 国鉄・巨人 他に代打本塁打2本。
36本中、国鉄で34本・巨人で2本
セ・リーグ通算最多本塁打
パ・リーグ通算最多本塁打 33 米田哲也 阪急・阪神・近鉄 33本はすべて阪急在籍時。
歴代シーズン最多本塁打 7 藤本英雄 巨人 1950年
記録 名前 所属 日付 試合・球場
1試合最多本塁打 3 川崎徳次 巨人 1949年4月26日 大映スターズ戦・石川県営兼六園野球場
堀内恒夫 巨人 1967年10月10日 広島東洋カープ戦・後楽園球場

川崎は前述の1試合8被本塁打の記録を作った同じ試合で記録。堀内は3打席連続で、この記録は現在も破られていない。また、同じ試合でノーヒットノーランも記録している。

DH制導入後のパ・リーグ球団同士の試合での投手の本塁打
名前 所属 日付・球場 試合 相手投手
シュルジー オリックス 1991年5月29日日本生命球場 近鉄11回戦 赤堀元之

ランニング本塁打

満塁ランニング本塁打
日付 名前 所属 対戦相手 球場
1947年7月3日 野口明 阪急 巨人 西宮
1950年4月11日 阪田清春 広島 阪神 甲子園
1974年8月28日 弘田澄男 ロッテ 南海 仙台宮城
1977年5月14日 ウィリー・デービス 中日 巨人 ナゴヤ球場
1989年7月1日 田辺徳雄 西武 日本ハム 東京ドーム
1997年4月15日 高木大成 西武 日本ハム 東京ドーム
1999年8月20日 小久保裕紀 福岡ダイエー 日本ハム 福岡ドーム

小久保の記録は同じ回に秋山幸二も満塁本塁打を打ったため、史上2例目となるチーム1イニング2本の満塁本塁打という記録でもある(次節)。

サヨナラランニング本塁打
日付 名前 所属 対戦相手 球場
1943年7月1日 渡辺絢吾 大和 阪急 甲子園
1952年9月4日 牧野茂 名古屋 大洋 刈谷
1957年4月7日 玉造陽二 西鉄 阪急 平和台
1984年9月16日 松永浩美 阪急 ロッテ 西宮

1イニング2本の満塁本塁打

日付 チーム 1本目 2本目 相手チーム 球場 補足
1996年10月9日 阪神 新庄剛志 塩谷和彦 中日 阪神甲子園球場 日本プロ野球史上初。塩谷は代打本塁打。
1999年8月20日 福岡ダイエー 秋山幸二 小久保裕紀 日本ハム 福岡ドーム 小久保はランニング本塁打。
2007年4月1日 東北楽天 フェルナンデス 山崎武司 オリックス フルスタ宮城
2010年6月20日 北海道日本ハム 小谷野栄一 金子誠 オリックス 京セラドーム大阪

その他の記録

球史に残る有名な本塁打

最長飛距離

日付 対戦 球場 内容
1949年8月18日0 大映-東急 札幌市円山球場 東急の大下弘が大映の野口正明からライトスタンドはるか上空を越え駐車場と道路を越えた先の竹藪(現在は動物園前のロータリーになっている)に飛び込む超特大の本塁打を放った。着地地点に人が入るのが困難で公式な距離は出なかったが飛距離は170m近かったと言われる。
1953年8月29日 西鉄-大映 平和台野球場 西鉄の中西太が大映の林義一からバックスクリーンのはるか上(約9mと言われている)をライナーで越える超特大本塁打を放った。球場の発表では162mだった。
1988年7月13日 阪急-西武 西宮球場 阪急のブーマー・ウェルズが西武の渡辺久信からレフト場外に消える特大本塁打を放った。落下位置から飛距離は162メートルと測定され、落下地点が確認された本塁打としては史上最長の飛距離である。
1990年6月6日 日本ハム-近鉄 東京ドーム 近鉄のラルフ・ブライアントが日本ハムの角盈男から放った打球は二塁後方の屋根からつり下げられている球場スピーカーに当たり、「認定本塁打」の第1号となった(東京ドームも参照)。推定飛距離は170メートルともいわれている。
1998年7月22日 全セ-全パ ナゴヤドーム 全セの4番松井秀喜巨人)が高村祐からライトスタンド5階席にライナーで運ぶ特大の本塁打を放った。推定飛距離は160メートルともいわれ、この本塁打を生で見ていた近藤貞雄は「私が今まで見た中で最も遠くまで飛んだ本塁打である」とコメントしている。
2005年6月3日 西武-横浜 西武ドーム 西武のアレックス・カブレラが横浜の三浦大輔から放った打球はレフトの屋根に当たって左中間のグラウンドに落ち、西武ドームのグラウンドルールにより認定本塁打とされた。打球が直撃した屋根の鉄骨部分には記念プレートが取りつけられている。推定飛距離は180メートルともいわれている。
2009年5月7日 中日-広島 ナゴヤドーム 中日のトニ・ブランコが広島の前田健太からナゴヤドームの高さ50mの位置にある天井スピーカーに直撃する飛球を放ち、打球はそのままグラウンドに落ちた。これがナゴヤドーム開場後初となる認定本塁打となった。推定飛距離は160メートルと言われている。

日本プロ野球記録など

日付 対戦 球場 内容
1956年3月25日 巨人-中日 後楽園球場 巨人の樋笠一夫が3点ビハインドの状況での代打逆転サヨナラ満塁本塁打(いわゆる「釣り銭無し」)。日本プロ野球史上初。
1962年4月7日 南海-阪急 大阪球場 1回表、阪急の衆樹資宏が南海のジョー・スタンカが投じた初球を先頭打者本塁打。開幕戦の初回に初球を先頭打者本塁打したのは史上初。
1964年5月3日 巨人-阪神 後楽園球場 巨人の王貞治が史上初の1試合4打席連続本塁打を達成。
1971年5月3日 ロッテ-東映 東京スタジアム 10回表、ロッテの佐藤元彦から作道烝が勝ち越し本塁打を放つと、続く大下剛史大橋穣も本塁打。代わった佐藤政夫からも張本勲大杉勝男が本塁打を放ち、5者連続本塁打の日本記録を樹立した。
1983年4月10日 巨人-大洋 後楽園球場 巨人の駒田徳広が打った史上初のプロ初打席満塁本塁打。
1984年6月9日
6月11日
近鉄-南海 藤井寺球場 6月9日には近鉄の加藤英司が南海の金城基泰から逆転サヨナラ満塁本塁打。6月11日には近鉄の柳原隆弘が南海の山内和宏から代打逆転サヨナラ満塁本塁打を放ち、史上初の2試合連続逆転サヨナラ満塁本塁打。
1986年6月26日 巨人-阪神 後楽園球場 阪神のランディ・バースが、8回表に巨人の江川卓の内角高めの速球を右翼場外へ弾き返し、巨人の王貞治監督の持つ「7試合連続本塁打」のプロ野球記録に並んだ。
1986年8月6日 近鉄-西武 藤井寺球場 8回表に西武の西岡良洋清原和博石毛宏典ジョージ・ブコビッチ秋山幸二大田卓司が本塁打を放ち、史上初の1イニング6本塁打を達成。
1991年5月29日 近鉄-オリックス 日本生命球場 オリックスの抑えのシュルジーはリリーフに失敗し、先発投手の勝利を消してしまったが続投。指名打者の選手が守備についていたため、同点の場面で巡ってきた打順でシュルジーはそのまま打席に立ちソロ本塁打を放つ。これでオリックスが勝ち越し、シュルジーが勝利投手となった。パ・リーグが指名打者制度を導入して以来初の投手による本塁打となった。
1992年10月17日 ヤクルト-西武 明治神宮野球場 日本シリーズ第1戦、試合は3-3で12回裏へ。一死満塁という大チャンスで代打の杉浦享が日本シリーズ初の代打サヨナラ満塁本塁打を放つ。
1994年4月9日 西武-近鉄 西武ライオンズ球場 開幕戦、西武は0-3の9回裏にノーヒットノーラン寸前であった野茂英雄から清原和博の二塁打等で一死満塁のチャンスを作り、代わった赤堀元之から伊東勤が史上初の開幕戦逆転サヨナラ満塁本塁打(釣り銭無し)。
1996年10月9日 阪神-中日 阪神甲子園球場 1回裏、阪神の新庄剛志塩谷和彦が中日の金森隆浩から満塁本塁打(塩谷は代打)。1イニング2本の満塁本塁打は史上初。
2001年7月11日 ロッテ-ダイエー 千葉マリンスタジアム 千葉ロッテのフランク・ボーリック日本プロ野球史上初、延長戦で3点ビハインドの状況での逆転サヨナラ満塁本塁打(釣り銭無し)。
2001年9月26日 近鉄-オリックス 大阪ドーム 大阪近鉄の北川博敏がプロ野球史上初の代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打(釣り銭無し)。
2001年9月30日 オリックス-ロッテ グリーンスタジアム神戸 オリックスの藤井康雄がプロ野球史上初の二死からの代打逆転サヨナラ満塁本塁打(釣り銭無し)。二死以外を含めても前述の樋笠、北川に次いで3例目である。
2004年10月19日 西武-中日 西武ドーム 日本シリーズで西武のアレックス・カブレラと中日の谷繁元信が打った日本シリーズ史上初の1試合2逆転満塁本塁打。
2006年4月30日 巨人-中日 東京ドーム 巨人の二岡智宏による史上初の2打席連続満塁本塁打。
2007年3月30日 横浜-巨人 横浜スタジアム 1回表、巨人の高橋由伸が横浜の三浦大輔が投じた初球を先頭打者本塁打。開幕戦で初回に初球を先頭打者本塁打したのはセ・リーグでは史上初。両リーグを通じても45年振り2度目。
2008年6月6日 巨人-ロッテ 東京ドーム 10回裏、巨人の加治前竜一がロッテの川崎雄介からプロ初打席でサヨナラ勝ちとなる本塁打を放つ。プロ初打席、プロ初安打がサヨナラホームランはプロ野球史上初。
2008年10月12日 ヤクルト-横浜 明治神宮野球場 ヤクルトの小野公誠が8回に代打本塁打を放つ。既に引退を表明していた小野は1997年のプロ入り初打席でも本塁打を放っており、プロ入り初打席と最終打席が共に本塁打(プロ1打席で1本塁打のみという塩瀬盛道ドン・シュルジーの例を除く)という史上初の記録となった。
2009年4月10日 巨人-阪神 東京ドーム 阪神・金本知憲が、4月8日の対広島戦(甲子園)での3打席連続本塁打に続き、中1日で再び3打席連続本塁打。月間で2度の3打席連続本塁打を打ったのは史上初。
2009年10月22日 日本ハム-楽天 札幌ドーム クライマックスシリーズ第2ステージで、日本ハムのターメル・スレッジが楽天の福盛和男からクライマックスシリーズ初となる逆転満塁サヨナラ本塁打を放つ(釣り銭無し)。

その他

日付 対戦 球場 内容
1959年6月25日 巨人-阪神 後楽園球場 プロ野球初の天覧試合。4-4で迎えた9回裏、巨人の先頭打者の長嶋茂雄が阪神の村山実から左翼ポール際へサヨナラ本塁打を放つ。長嶋はこの試合2本目の本塁打。王貞治も7回裏に本塁打を放ったが、106回のONアベック弾の最初のものとなった。
1967年10月10日 巨人-広島 後楽園球場 巨人・堀内恒夫が投手としては史上初の3打席連続本塁打、投げてはノーヒットノーランを達成。
1973年8月30日 阪神-中日 阪神甲子園球場 江夏豊が0-0の延長11回裏に、自ら放ったサヨナラ本塁打で延長戦ノーヒットノーラン(日本プロ野球唯一)を達成。
1977年9月3日 巨人-ヤクルト 後楽園球場 巨人の王貞治が打った756号本塁打(ハンク・アーロンアメリカメジャーリーグ記録を超える)。
1978年10月22日 ヤクルト-阪急 後楽園球場 日本シリーズ第7戦、ヤクルト・大杉勝男の6回に打った本塁打はファウルボールではないかと阪急監督上田利治が抗議し、日本シリーズ最長の1時間19分の中断。
1981年7月19日 日本ハム-西武 後楽園球場 柏原純一が、永射保が投じた敬遠球を本塁打にした。
1985年4月17日 阪神-巨人 阪神甲子園球場 7回裏、阪神のランディ・バース掛布雅之岡田彰布によるセンターへの「バックスクリーン3連続本塁打」。投手は槙原寛己
1989年10月12日 西武-近鉄
(ダブルヘッダー)
西武ライオンズ球場 優勝の行方を左右するダブルヘッダーで近鉄はラルフ・ブライアントが第1試合で満塁を含む3本、第2試合1本の4打数連続本塁打を放つ活躍で勝利。この2日後に近鉄はリーグ優勝を決める。
1990年4月7日 巨人-ヤクルト 東京ドーム 開幕戦、巨人の篠塚利夫がヤクルトの内藤尚行から右翼ポール際へ本塁打を放つ。ファウルではないかとヤクルト監督の野村克也が抗議するが判定は覆らず。外野線審廃止による誤審ではないかと物議をかもした(以後ポールのはわかりやすい配色に変更)。
2000年9月24日 巨人-中日 東京ドーム 0-4とリードされていた9回裏、1死満塁から巨人の江藤智による同点満塁本塁打の後、続く二岡智宏のサヨナラソロ本塁打で優勝決定。1990年9月8日には、吉村禎章がサヨナラ本塁打で優勝を決めており、本拠地では、10年ぶりの出来事となった。⇒サヨナラゲーム#サヨナラゲームにまつわるエピソード
2004年8月17日 巨人-ヤクルト 東京ドーム 巨人・工藤公康200勝のかかった試合で、プロ入り後自身初本塁打が決勝本塁打となった。そして完投で200勝達成。41歳3か月での達成は当時の史上最年長記録であり、入団してから23年目での初本塁打は史上最も遅い記録である。
2010年3月27日 巨人-ヤクルト 東京ドーム 2010年シーズンから導入された本塁打ビデオ判定の公式戦初適用事例。9回1死二塁、ヤクルトのガイエルの打球が中堅フェンスの上部付近で跳ね返ったがインプレーとなる。直後に審判団がビデオを確認した結果、「フェンスを越えており本塁打」と判定を覆した。
2010年5月13日 横浜-ロッテ 横浜スタジアム 6回1死満塁の場面で代打出場したロッテ・福浦和也の打球はライトポール際へ大飛球を放ち、一塁塁審はファールを宣告したが、ビデオ判定の結果、本塁打と判定を覆し、代打逆転本塁打となった。ビデオ判定導入以降ファウルが本塁打に覆ったのは初めて。
2011年10月22日 巨人-横浜 東京ドーム 巨人・長野久義がシーズン最終戦の対横浜戦で代打逆転サヨナラ満塁ホームランを放つ。セ・リーグ40年振り・4回目の代打逆転サヨナラ満塁ホームラン及びセ・リーグ通算1000本目の満塁ホームランでもあった。

メジャーリーグベースボール

本塁打のメジャーリーグ記録を持つバリー・ボンズ

通算記録

記録はいずれも2011年シーズン終了時点

順位 選手名 本数 順位 選手名 本数
1 バリー・ボンズ 762 11 ハーモン・キルブリュー 573
2 ハンク・アーロン 755 12 ラファエル・パルメイロ 569
3 ベーブ・ルース 714 13 レジー・ジャクソン 563
4 ウィリー・メイズ 660 14 マニー・ラミレス 555
5 ケン・グリフィー・ジュニア 630 15 マイク・シュミット 548
6 アレックス・ロドリゲス 629 16 ミッキー・マントル 536
7 サミー・ソーサ 609 17 ジミー・フォックス 534
8 ジム・トーミ 604 18 ウィリー・マッコビー 521
9 フランク・ロビンソン 586 フランク・トーマス
10 マーク・マグワイア 583 テッド・ウィリアムス

シーズン記録

順位 選手名 所属球団 本数 記録年
1 バリー・ボンズ サンフランシスコ・ジャイアンツ 73 2001年
2 マーク・マグワイア セントルイス・カージナルス 70 1998年
3 サミー・ソーサ シカゴ・カブス 66 1998年
4 マーク・マグワイア セントルイス・カージナルス 65 1999年
5 サミー・ソーサ シカゴ・カブス 64 2001年
6 サミー・ソーサ シカゴ・カブス 63 1999年
7 ロジャー・マリス ニューヨーク・ヤンキース 61 1961年
8 ベーブ・ルース ニューヨーク・ヤンキース 60 1927年
9 ベーブ・ルース ニューヨーク・ヤンキース 59 1921年
10 ジミー・フォックス フィラデルフィア・アスレチックス 58 1932年
ハンク・グリーンバーグ デトロイト・タイガース 1938年
マーク・マグワイア アスレチックス→カージナルス 1997年
ライアン・ハワード フィラデルフィア・フィリーズ 2006年

最多本塁打

その他の記録

ランニングホームラン数
1試合両打席満塁本塁打
2003年7月29日 ビル・ミラーボストン・レッドソックス
1イニングに2本の満塁本塁打
1999年4月23日 フェルナンド・タティースセントルイス・カージナルス
メジャー初打席満塁本塁打
※は初球
1試合1チーム最多満塁本塁打
3本(ニューヨーク・ヤンキース)(2011年8月25日オークランド・アスレチックス戦)[4][5]
ロビンソン・カノ (5回裏)、ラッセル・マーティン (6回裏)、カーティス・グランダーソン (8回裏)

注釈

  1. ^ たとえば、読売ジャイアンツの歴史を詳細に扱った書籍『巨人軍5000勝の記憶』では、掲載40数件のエピソード中、本塁打のエピソードが10以上を占める。『巨人軍5000勝の記憶読売新聞社ベースボールマガジン社、2007年。ISBN 9784583100296
  2. ^ 「飛ばないボール」来季から12球団使用毎日.jp2010年8月24日
  3. ^ When do stats become meaningful?
  4. ^ 両チーム合わせた場合、1986年と1987年に1試合3満塁本塁打が記録されている。
  5. ^ ヤンキース1試合3満塁弾のメジャー記録樹立 Sponichi Annex 野球 2011年8月26日閲覧。

関連項目