ホセ・フェルナンデス

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ホセ・フェルナンデス
Jose Fernandez
東北楽天ゴールデンイーグルス #3
Jose Fernandez.jpg
西武時代(2011年8月30日、こまちスタジアム
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 ラ・ベガ州コンセプシオン・デ・ラ・ベガ
生年月日 1974年11月2日(37歳)
身長
体重
192cm
100kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手三塁手
プロ入り 1993年
初出場 MLB / 1999年7月3日
KBO / 2002年4月5日
NPB / 2003年4月18日
最終出場 MLB / 2001年9月29日
KBO / 2002年
経歴(括弧内は在籍年)

ホセ・マヨバネクス・フェルナンデス・ロハスJosé Mayobanex Fernández Rojas , 1974年11月2日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属するドミニカ共和国出身のプロ野球選手内野手)。

目次

[編集] 経歴

[編集] MLB時代

1993年モントリオール・エクスポズと契約。1999年からエクスポズ傘下3Aで三塁手としてレギュラー出場し、7月には怪我で離脱したマイケル・バレットに代わってメジャー初出場。2001年にはロサンゼルス・エンゼルス傘下3Aで打率.338・30本塁打・114打点を記録。2年ぶりのメジャー出場も果たしたが目立った成績は残せなかった。

メジャーでの通算成績は21試合出場、49打数7安打0本塁打1打点、打率.143。メジャー唯一の打点は1999年7月8日の対ニューヨーク・メッツ戦で吉井理人から打った適時打。

[編集] KBO時代

2002年SKワイバーンズに入団し、打率.281・45本塁打・107打点を記録した。この年の本塁打王は、のちに千葉ロッテマリーンズ読売ジャイアンツオリックス・バファローズに所属する李承燁で、フェルナンデスとは2本差だった。韓国では現地の発音からペルナンデスと呼ばれた。オフに年俸契約で交渉が決裂し、SKを退団。

[編集] ロッテ時代

メジャー復帰を目指して春季キャンプから参加していたが、開幕一軍に残れず、2003年シーズン開幕直後の4月、キャンプ中に退団したロバート・ローズの穴を埋める形で千葉ロッテマリーンズに入団、背番号は42

126試合に出場し、打率.303・32本塁打・100打点の好成績を残したが、活躍する時期が遅過ぎたと指摘されて自由契約。翌年に西武へ入団。

この年、東京ドームでの日本ハム戦で、自打球によりその場に崩れ落ちた際に、スタンドのファンに「痛いの痛いの飛んでいけ~っ!」と野次られたことがあり、珍プレー好プレーでネタにされた。

[編集] 西武時代

2004年、西武ライオンズに入団。背番号は伊東勤の「何でも1番になって欲しい」という願いから1に決定。

アレックス・カブレラが怪我で離脱したが、その穴を埋める打率.285・33本塁打・94打点を記録。レギュラーシーズンは2位に終わるも、この年から導入されたプレーオフでは全8試合で満塁本塁打1本を含む4本塁打を放ち、チームの2年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献。中日ドラゴンズとの日本シリーズでも山本昌から本塁打を放つなど活躍。チームの12年ぶりの日本一返り咲きにも大きく貢献した。

2005年は復帰したカブレラが4番の座を守り、同じ三塁手の中村剛也石井義人の活躍もあり指名打者での出場が多かった。打率.293・26本塁打・84打点を記録し、クリーンアップの一角として十分な仕事をしたものの、球団の経済事情と守備面の不安から自由契約となった。

[編集] 楽天時代

2006年、創設2年目の東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍。背番号はロッテ時代と同じ42

開幕早々からクリーンアップの一角を任され、本塁打を量産。交流戦での大爆発もあって常に本塁打ランキング上位に位置し、最終的には打率.302・28本塁打・88打点の好成績を残した。パシフィック・リーグ三塁手部門にてベストナインを受賞。球団創設以来初の個人タイトルを獲得し、フェルナンデスにとっては来日以来最高のシーズンとなった。

2007年、背番号を17に変更。17について、「ドミニカ・アメリカでも付けたことがある番号だったので、特別な思い入れがあった」とのこと。

4月1日の対オリックス・バファローズ戦(フルキャストスタジアム宮城)では、3回裏に1イニング2本の満塁本塁打が出たが、1本をフェルナンデスが打った(もう1本は山﨑武司)。しかし、前半戦で打率.250を下回り、夏場でも一向に調子が上がらず、自身も「人生最大のスランプ」と漏らすほどの低空飛行が続いた。オールスター明け以降は11本塁打・43打点と復調し、8月度月間MVPを獲得、8月以降は打率が.350を超えた。最終的には打率.270・22本塁打・79打点の成績を残し、来日以来5年連続20本塁打を記録。しかも盗塁が多く、外国人の大砲では異例の8盗塁も記録した一方で、守備での失策が多く、一塁手三塁手として12失策ずつを記録。一塁手と三塁手の両部門で同時に失策数リーグワーストになるという不名誉な珍記録を作ってしまった。

2008年はこれまでの活躍とは逆に打撃不振に陥った。特に、チームが大失速した7月には本塁打を1本も打てなかった。それ以降は徐々に復調し、最終的には本塁打こそ来日以来最低の18本にとどまったが、打率.301・99打点と上々の成績を残した。シーズン終了後、中村紀洋のFAによる楽天入団が決定、これがきっかけとなり自由契約となった。オフにオリックス・バファローズ阪神タイガースが獲得に興味を示したが、年内は契約がまとまらなかった。

[編集] オリックス・メキシカンリーグ時代

オリックス時代
(2009年9月5日、スカイマークスタジアム

2009年はオリックスへ移籍。背番号は3。西武でチームメイトだったカブレラが在籍していたため、かつての同僚と同じユニフォームを着る形となった。

開幕からレギュラーを任されるが、開幕前に右足指を骨折した影響で満足な活躍が出来ず、不振が続いた。他に故障者が続出した事情もあって、カブレラとローズが共に戦線離脱した間は4番を任された事もあったが、一向に調子が上向かなかった。9月13日の対埼玉西武ライオンズ戦(西武ドーム)では、7回裏に後藤武敏の打球を顔面に受けて左頬骨を骨折。全治約3ヵ月の重傷で戦線離脱した。117試合に出場して打率.261・15本塁打・47打点と来日以来最低の成績に終わった。

相変わらずの守備難があることや、得点圏打率.224、0本塁打とチャンスで打てなかったため、11月17日ライアン・ボーグルソンと共に退団した。退団後はメキシカンリーグのクインタナロー・タイガースと契約した。

[編集] 西武復帰

2010年6月25日、離脱している中村剛也に代わる右の長距離砲を探していた西武が、フェルナンデスを獲得。西武へは5年ぶりの復帰となり、日本野球界で8年目を迎えた。背番号は52[1][2]。途中入団のため、57試合の出場ながら9月7日には通算1000本安打を達成するなど、打率.339・11本塁打・45打点と好成績を収めた他、三振は僅か26だった。課題の守備でも、一塁に固定されたこともあり無難な守備を見せた。

2011年6月6日に出場登録日数が8年に達し、国内FA権を取得。それに伴い翌年から日本人選手扱いとなる。シーズン前半は不振に陥ったものの、9月頃から調子を上げ、チームの逆転CS進出に大きく貢献した。最終的には142試合に出場し、打率.259・17本塁打・81打点の成績を残し、ベストナイン(指名打者部門)にも選ばれたが、シーズン終了後の契約交渉が決裂し、12月2日付けで自由契約となった。

[編集] 楽天復帰

12月11日、楽天と契約したことが発表され、4シーズンぶりに復帰することになった[3]。背番号はオリックス時代と同じ3[4]

[編集] プレースタイル

[編集] 打撃・走塁

典型的な本塁打打者と思われがちであるが、打率も高い。各年、打率を超える得点圏打率を残すなど、勝負強さも大きな武器である。マイナー時代の1995年には66試合で29盗塁・盗塁成功率.879を記録したこともあって、コーチ陣からも意外と足が速いとの評を得ており、2007年シーズンは8盗塁を記録している(7盗塁死なので成功率はそこまで高くない)が、その割に併殺打が多い。相手守備陣の隙をついたディレイドスチールを仕掛けることもあり、走塁に関しては積極的なプレイを見せる傾向がある。2011年では内野ゴロの際一塁へ全力疾走しないことが多かったため、ファンから反感を持たれた。

温暖なドミニカ生まれのためか寒さを非常に苦手にしており、春先は不調で夏場に集中的な活躍を見せる傾向がある。

2011年5月22日の対阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)で本塁打を記録したことにより、大阪近鉄バファローズを含む13球団から本塁打を放った。

[編集] 守備

フェルナンデスの守備はお世辞にも上手であるとは言えず、千葉ロッテマリーンズを自由契約になったのも守備難が大きな原因であると言われている[誰?]

打球反応は良く、痛烈な打球に反応して飛びついて好守備を見せることもあるが、グラブ捌きやフットワーク、打球判断に極端な難があり、「何でもないゴロを足で蹴飛ばす」「明らかに追いつける打球を呆然と見送る」など、信じられないようなミスをしばしば行う。あまりの守備難から指名打者で起用されることも多いが、守備からプレー全体のリズムを作るタイプのフェルナンデスは、指名打者では打撃不振に陥ることが多く見られる。

2004年は三塁手として109試合、一塁手として21試合に出場したが、三塁手としての失策は19で守備率.934。守備率は規定試合数(93試合)に到達した4選手で最低で、19失策はロッテや近鉄の三塁手全体の失策数より多い(ロッテは14、近鉄は15)。さらに一塁手としては4失策で守備率.976。

西武時代の2004年、中島裕之の失策数は17で、フェルナンデスと中島の合計40失策は、この年のセ・リーグ覇者・中日ドラゴンズのチーム総失策数45に匹敵する数値。もっとも、前半戦に捕球の上手なアレックス・カブレラが欠場しており、さらに本職が一塁手でない貝塚政秀が守る試合が多かったこと、対照的に中日は守備の名手で、この年のゴールデングラブ賞を獲得している渡邉博幸が一塁手を務めていたこともあった。

2005年は三塁手として出場していたが、中村剛也石井義人の好調とカブレラが一塁手として定着していることもあり、交流戦で指名打者を使えないセントラル・リーグの主催試合は代打出場が主となった。

2006年の楽天移籍後は開幕から三塁手として出場。一時期、一塁手や指名打者での出場があったが、交流戦以降は守備難に不安を抱えつつ三塁に定着した。

2007年も開幕から三塁手として出場。失策数が減る傾向が無いため一塁へ回されるも、最終的にリーグワーストの24失策(一塁手、三塁手としてそれぞれ12失策)を記録した。

2008年も相変わらず失策が多く、サンデーモーニングで「フェルナンデスは、ヘタナンデスか?」と揶揄されたほか、失策の映像を見た張本勲からは「無茶、ヘタナンデス」と付け加えられてしまった。7月26日の対オリックス・バファローズ戦では一塁手として起用されたが、2回裏に下山真二の三塁ゴロをファールボールと勝手に判断し、一塁に入らない大失態を犯した(記録は内野安打)。野村克也も試合後の会見で「50数年、プロ野球に関わってきてるけど、初めて見たわ!サードゴロでファーストに誰もおらんの!!」とボヤかれた。

2008年10月2日の対千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリンスタジアム)で、初めて左翼手の守備に就いたが、打球は飛んで来なかったため守備機会は無かった。

2010年は大きなミスは無かったものの、片岡易之が捕球するはずの打球を取りに行ってしまい、投手との連携が上手く行かずに内野安打を許してしまうこともあった。

2011年は交流戦前まで浅村栄斗が一塁に定着したこともあり、守備機会はなかった。交流戦後は浅村を外野で使うことが多くなったため、再び一塁のポジションに定着した。

[編集] 人物

愛称はミドルネームからとった「マヨ」。ファンからは「ホセ」と呼ばれることが多い。

非常に気さくで明るく、ムードメーカー的な選手でもある。ファンサービス精神も旺盛であり、ホームランの後にはテレビカメラの前でチームメイトと一緒にパフォーマンス(通称アギリータダンス - アギリータとはスペイン語でイヌワシの意)を披露する。勝利への執着心というものは非常に強く同じ外国人選手のリーダー的存在を買って出るなど信頼は厚い。

2007年から殊勲打を放った後に、メッセージ性の強い、哲学的なコメントを発表するようになった。キリスト教の教訓や読書で得た知識を基にしており、周囲を元気づけようという意識から始めたのだという。その後、東北楽天球団のモバイル公式サイトに、発表されたコメントを集めた専用のコーナーが設けられた。

2007年7月13日、チームを激励するため、また自分を奮い立たせるために、チームメートに以下のメッセージが入ったTシャツを贈った。

" WINNING IS AN ATTITUDE.. IF SOMEONE HAS TO WIN,WHY NOT US! "[5]
(勝つこととは心の持ちよう。誰かが勝たなければならないのなら、それは我々ではないのか!)

出身国であるドミニカ共和国の公用語はスペイン語であるが、ヒーローインタビューなどでは英語で話している。

趣味は日本語研究で、日本に居る期間が長いためか、簡単な日本語の会話は通訳無しでも話せるらしい。

2010年には、チームがサヨナラ勝ちすると、サヨナラ打を打った打者にポリバケツに入った水などを思い切りかけている。このため、サヨナラ打を打った選手はずぶ濡れになることが多くなった。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
1999 MON 8 25 24 0 5 2 0 0 7 1 0 0 0 0 1 0 0 7 1 .208 .240 .292 .532
2001 ANA 13 27 25 1 2 1 0 0 3 0 0 1 0 0 2 0 0 10 0 .080 .148 .120 .268
2002 SK 132 556 499 81 140 24 0 45 299 107 4 4 0 1 49 2 7 114 8 .281 .353 .599 .952
2003 ロッテ 126 537 478 83 145 30 1 32 273 100 4 5 0 2 54 1 3 106 16 .303 .376 .571 .947
2004 西武 131 580 513 87 146 23 1 33 270 94 5 1 0 0 53 3 8 117 9 .285 .361 .526 .887
2005 120 473 420 60 123 26 1 26 229 84 5 1 0 3 46 4 4 91 12 .293 .366 .545 .911
2006 楽天 132 552 490 72 148 33 0 28 265 88 2 0 0 6 53 5 3 75 18 .302 .370 .541 .911
2007 132 502 444 52 120 15 1 22 203 79 8 7 0 4 49 4 5 94 16 .270 .347 .457 .804
2008 142 606 541 81 163 40 0 18 257 99 5 3 0 5 53 1 7 78 12 .301 .368 .475 .843
2009 オリックス 117 447 410 43 107 21 0 15 173 47 4 0 0 2 31 1 4 71 15 .261 .318 .422 .740
2010 西武 57 243 221 28 75 11 0 11 119 45 1 0 0 3 17 0 2 26 8 .339 .387 .538 .925
2011 142 577 529 49 137 21 0 17 209 81 3 3 0 7 39 4 2 84 19 .259 .308 .395 .704
MLB:2年 21 52 49 1 7 3 0 0 10 1 0 1 0 0 3 0 0 17 1 .143 .192 .204 .396
KBO:1年 132 556 499 81 140 24 0 45 299 107 4 4 0 1 49 2 7 114 8 .281 .353 .599 .952
NPB:9年 1099 4517 4046 555 1164 220 4 202 1998 717 37 20 0 38 395 23 38 742 125 .288 .354 .494 .848
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 表中のロッテ(2003年在籍)は、NPBの千葉ロッテマリーンズ

[編集] 年度別守備成績

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一塁 三塁 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2003 4 40 2 0 2 1.000 85 69 143 19 12 .918 - - - - - -
2004 21 150 11 4 9 .976 109 103 166 19 11 .934 - - - - - -
2005 17 126 8 2 7 .985 47 41 68 8 9 .932 - - - - - -
2006 44 344 34 1 22 .997 91 68 142 14 11 .938 - - - - - -
2007 81 575 54 12 61 .981 44 29 51 12 5 .870 - - - - - -
2008 114 803 74 8 65 .991 51 29 64 9 3 .912 1 0 0 0 0 -
2009 29 213 22 3 28 .987 35 25 48 5 1 .936 - - - - - -
2010 55 424 24 1 37 .998 1 0 0 1 0 .000 - - - - - -
2011 42 368 31 3 36 .993 - - - - - - - - - - - -
通算 407 3043 250 34 267 .990 463 364 682 87 52 .923 1 0 0 0 0 -
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 表彰

[編集] 記録

初記録
節目の記録
その他の記録
2004年限りで消滅した大阪近鉄を含む13球団からの本塁打は、史上7人目[6](他の達成者はフェルナンド・セギノールフリオ・ズレータアレックス・カブレラ谷佳知和田一浩小笠原道大の6人)
  日付 対戦球団 球場 相手投手
1 2003年4月19日 オリックス4回戦 千葉マリンスタジアム 4回裏 小林宏
2 4月27日 西武5回戦 千葉マリンスタジアム 2回裏 石井貴
3 4月29日 日本ハム4回戦 東京ドーム 2回表 正田樹
4 5月6日 近鉄6回戦 千葉マリンスタジアム 4回裏 ジェレミー・パウエル
5 8月12日 ダイエー18回戦 福岡ドーム 6回表 杉内俊哉
6 2004年3月27日 ロッテ1回戦 西武ドーム 8回裏 清水直行
7 2005年4月2日 楽天2回戦 フルキャストスタジアム宮城 6回表 藤崎紘範
8 5月6日 広島1回戦 広島市民球場 3回表 トム・デイビー
9 6月8日 ヤクルト4回戦 インボイスSEIBUドーム 8回裏 藤井秀悟
10 6月11日 巨人5回戦 東京ドーム 6回表 岡島秀樹
11 2006年6月4日 中日6回戦 フルキャストスタジアム宮城 4回裏 小笠原孝
12 6月6日 横浜4回戦 フルキャストスタジアム宮城 6回裏 三橋直樹
13 2011年5月22日 阪神1回戦 阪神甲子園球場 6回表 ランディ・メッセンジャー

[編集] 背番号

  • 14 (1999年)
  • 39 (2001年)
  • 42 (2003年、2006年)
  • 1 (2004年 - 2005年)
  • 17 (2007年 - 2008年)
  • 3 (2009年、2012年 - )
  • 52 (2010年 - 2011年)

[編集] 登場曲

  • 『Fernando Villalona』Dominicano Soy

[編集] 脚注

  1. ^ フェルナンデス、5年ぶりに西武復帰
  2. ^ 余談だが、フェルナンデスと栗山巧は、2004年 - 05年までの在籍時と背番号が入れ替わっている(当時はフェルナンデスが1、栗山が52)。
  3. ^ ホセ・フェルナンデス選手との契約合意に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2011年12月11日). 2011年12月11日閲覧。
  4. ^ 前回在籍時の背番号(17と42)がともに他選手(17はダレル・ラズナー、42はケルビン・ヒメネス)が着用しているため、ランディ・ルイーズの退団で空き番となった3番が用意された。[独自研究?]
  5. ^ 楽天イーグルスオフィシャルサイト「Featured Players,vol.29」掲載 2007年9月11日
  6. ^ フェル 2戦連発!13球団制覇弾! スポーツニッポン 2011-05-23閲覧

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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