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'''麻生 太郎'''(あそう たろう、[[1940年]][[9月20日]] - )は、日本の政治家、[[実業家]]。[[衆議院議員]](9期)。[[為公会]](麻生派)会長。 |
'''麻生 太郎'''(あそう たろう、[[1940年]]([[昭和]]15年)[[9月20日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]、[[実業家]]。[[自由民主党総裁]](第23代)。[[内閣総理大臣]](第92代)。[[国会議員|衆議院議員]](9期)。[[為公会]](麻生派)会長。身長175cm、血液型A型。 |
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[[経済財政政策担当大臣|経済企画庁長官]](第[[第1次橋本内閣|53]]代)、内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)(第[[第2次森改造内閣 (中央省庁再編後)|2]]代)、[[総務大臣]](第[[小泉再改造内閣|3]]・[[第2次小泉内閣|4]]・[[第3次小泉内閣|5]]代)、[[外務大臣 (日本)|外務大臣]](第[[第3次小泉内閣改造内閣|137]]・[[安倍内閣|138]]代)や、[[自由民主党政務調査会#政務調査会長|自由民主党政務調査会長]]、[[自由民主党幹事長]]を歴任。 |
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[[モントリオールオリンピック]][[クレー射撃]]([[クレー射撃#クレー|クレー]]・[[クレー射撃#スキート|スキート]]競技)日本代表<ref name="asouofficial">[http://www.aso-taro.jp/ 麻生太郎オフィシャルサイト]</ref>(41位)。元[[麻生ラファージュセメント|麻生セメント]][[代表取締役]][[社長]]。 |
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== 略歴 == |
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* [[1940年]]9月 - [[福岡県]][[飯塚市]]に[[麻生太賀吉]]と和子の長男として生まれる<ref>父方の祖父の名前もまた、“麻生太郎”である</ref>。麻生塾小学校(現在は閉校)を経て、小学3年生の頃、上京し[[学習院初等科]]に編入する<ref>『麻生太郎の原点 祖父・吉田茂の流儀』 79-80頁</ref>。 |
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* [[1959年]]3月 - [[学習院高等科]]卒業。 |
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* [[1963年]]3月 - [[学習院大学]][[政治経済学部|政経学部]]政治学科[[卒業]]。 |
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* 1963年4月 - [[スタンフォード大学]]大学院に[[留学]]。 |
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* [[1965年]] - [[ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス]]に留学。 |
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* [[1966年]]8月 - 麻生産業株式会社に入社。 |
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* 1966年11月 - 麻生産業株式会社の[[取締役]]に就任。 |
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* [[1973年]]5月 - 麻生セメント株式会社の[[代表取締役]]社長(1979年12月まで)。 |
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* [[1976年]]7月 - モントリオールで開かれた第21回オリンピック競技大会に日本代表として出場(射撃:クレー・スキート)。 |
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* [[1978年]]1月 - [[社団法人]][[青年会議所|日本青年会議所]]の会頭に就任(1978年12月まで)。 |
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* [[1979年]]10月 - [[第35回衆議院議員総選挙]]に(旧福岡2区、現福岡8区)から出馬し初当選。 |
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* [[1983年]]11月 - [[鈴木善幸]]元首相の三女千賀子と[[結婚]]、後に一男一女をもうける。 |
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* [[1983年]]12月 - [[第37回衆議院議員総選挙]]で3期目の当選を目指したが落選。 |
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* [[1986年]]7月 - [[第38回衆議院議員総選挙]]で返り咲き当選(3期目)。以降[[第44回衆議院議員総選挙|第44回]]まで6回連続当選。 |
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* [[1988年]]12月 - 文部[[政務次官]]に就任([[1989年]]6月まで)。 |
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* [[1990年]]3月 - 自民党の文教部会長に就任(1990年12月まで)。 |
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* [[1991年]]1月 - 衆議院石炭対策特別委員長に就任(1991年11月まで)。 |
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* 1991年11月 - 衆議院外務委員長に就任(1993年5月まで)。 |
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* [[1992年]]12月 - 党外交部会長(1993年8月まで)。 |
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* [[1996年]]11月 - 国務大臣[[経済企画庁]][[長官]]に就任(1997年9月まで)。 |
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* [[1999年]]1月 - 党内で長年所属した[[宏池会]]離脱~元総裁[[河野洋平]]を会長に[[大勇会]]旗揚げ。 |
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* 1999年3月 - 党副幹事長に就任(1999年11月まで)。 |
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* [[2001年]]1月 - 国務大臣経済財政政策担当大臣に就任(2001年4月まで)。 |
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* 2001年4月 - [[自民党総裁選]]に出馬し[[小泉純一郎]]元郵政相、[[橋本龍太郎]]元首相と戦い31票で3位。 |
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* 2001年4月 - 党[[政務調査会長]](2003年9月まで)。 |
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* [[2003年]]9月 - [[総務大臣]]に就任。 |
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* 2003年11月 - 総務大臣に再任。 |
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* [[2004年]]9月 - 国民スポーツ担当が追加。 |
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* [[2005年]]10月 - [[外務大臣 (日本)|外務大臣]]に就任。 |
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* [[2006年]]9月 - [[2006年自由民主党総裁選挙|06年自民党総裁選]]に出馬し[[安倍晋三|安倍]][[官房長官]]、[[谷垣禎一|谷垣]][[財務大臣]]と戦い136票で次点となり、落選。 |
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* 2006年9月 - 外務大臣に再任。 |
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* 2006年12月 - [[為公会]](麻生派)を設立し、会長に就任。 |
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* [[2007年]][[3月20日]] - 在職25年となり永年在職議員表彰を受ける。 |
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* 2007年8月27日 - [[安倍改造内閣]]において[[自民党幹事長]]に就任。 |
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* 2007年9月 - [[2007年自由民主党総裁選挙|07年自民党総裁選]]に立候補するも133票差で敗れた(福田:330票 麻生:197票)。選挙後、幹事長を辞任。 |
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* 2008年8月1日 - [[福田改造内閣]]において再び[[自民党幹事長]]に就任。 |
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* 2008年8月10日 - [[日本バスケットボール協会]][[会長]]に就任 |
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* 2008年9月22日 - [[2008年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]に当選。第23代[[自民党総裁]]に就任。 |
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* 2008年9月24日 - [[衆議院]]で首班指名を受け[[衆議院の優越]]に伴い第92代[[内閣総理大臣]]に就任。[[麻生内閣]]組閣。 |
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== 経歴 == |
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[[1940年]]、[[福岡県]][[飯塚市]]に[[麻生太賀吉]]と和子の長男として生まれる<ref>父方の祖父の名前もまた、“麻生太郎”である</ref>。麻生塾小学校(現在は閉校)を経て、小学3年生の頃、上京し[[学習院初等科]]に編入する<ref>『麻生太郎の原点 祖父・吉田茂の流儀』 79-80頁</ref>。 |
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* [[日本クレー射撃協会|社団法人日本クレー射撃協会]][[会長]] |
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* [[日韓議員連盟]]副会長 |
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* [[日韓トンネル研究会]]九州支部顧問<!--重複--> |
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* [[北京オリンピックを支援する議員の会]] |
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* [[日本オリンピアンズ協会]]顧問 |
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[[1963年]]に[[学習院大学]]政治経済学部を卒業。その後、[[スタンフォード大学]]大学院、[[ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス]](LSE)に[[留学]]する。帰国後の[[1966年]]に家業の麻生産業(現:麻生セメント)に入社し、[[1973年]]に同社[[代表取締役]]社長に就任。[[炭鉱]]業から[[セメント]]業への転換を成功させた。なお、麻生産業時代に[[ブラジル]]の[[サンパウロ市]]に1年近く駐在していた事もある<ref>[http://www.nikkeyshimbun.com.br/070817-72colonia.html 麻生太郎外務大臣に聞く=日伯関係、百周年、デカセギ=本紙が単独インタビュー]([http://www.nikkeyshimbun.com.br/index.html ニッケイ新聞] 2007年8月17日付け )</ref>。また、社長業の傍らで[[1976年]]のモントリオールオリンピックにクレー射撃の日本代表選手として出場(結果は41位)している。 |
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== 人物像 == |
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[[Image:TaroAso.jpg|thumb|200px|記者会見に臨む麻生]] |
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自民党[[夢実現21世紀会議]]の議長を務め、「国づくりの夢実現検討委員会」を通じて[[日韓トンネル]]の実現に向けた政策提言を発表している。 |
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[[1979年]]10月、[[第35回衆議院議員総選挙]]に(旧福岡2区、現:[[福岡県第8区]])から出馬。初当選を果たし政界入りする。[[第36回衆議院議員総選挙]]でも当選するが、続く[[第37回衆議院議員総選挙]]では落選。しかし[[第38回衆議院議員総選挙]]で当選し返り咲きを果たす。その後現在まで連続当選を果たしている。 |
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[[谷垣禎一]]前財務相との「[[安倍晋三]][[内閣総理大臣|首相]]に歯向かっても何もできない。だからオレと組め。その代わり、オレに総理を先にやらせろ」という会話があったと谷垣が述べたが、麻生はこれに対し、「こっちはまだ回答をもらっておらず、そういうこと(会話内容)を全然関係ないところでしゃべって、マナーとしていかがなもんか」と述べた<ref>{{cite web|url=http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/gaisho/g_0701.html#2-E|title=外務大臣会見記録(平成19年1月)|author=外務省|date=2007-01-16|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}</ref>。 |
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[[1996年]]に[[第2次橋本内閣]]の[[経済企画庁]][[長官]]に就任し、初入閣。 |
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3年10か月の[[国民年金]]保険料未払い期間があったことが、[[2004年]]9月に判明した。当時の[[民主党代表]][[菅直人]]が「未納三兄弟」と呼称したうちの1人である。詳細は[[政治家の年金未納問題]]を参照のこと。ちなみに、後に菅自身も未納が発覚、代表を辞任し、四国巡礼の旅に出た。 |
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[[1999年]]1月、党内で長年所属した[[宏池会]]を離脱し、元総裁[[河野洋平]]を会長に大勇会(現在の[[為公会]]、通称”麻生派”)旗揚げ。 |
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[[道路特定財源]]を資金源とする[[道路運送経営研究会]](道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けていた。 |
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[[2001年]]4月、[[2001年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]に出馬し[[小泉純一郎]]元郵政相、[[橋本龍太郎]]元首相と戦い31票で3位。その後発足した[[小泉政権]]では党[[自由民主党政務調査会#政務調査会長|政務調査会長]]を務め、2003年9月からは[[総務大臣]]として入閣した。 |
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=== 人物 === |
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身長174cm、血液型A型。名門一家に育ち、麻生財閥の元社長であるが「首相の家庭なんて幸せなもんじゃねえ」「両親にほったらかしにされて育った」「生まれはいいが、育ちは悪い」と本人は語っている。べらんめえ口調の軽妙な語り口と毒舌も織り交ぜた発言が、[[街頭演説]]などで聴衆から人気を博した。自民党内からも「[[演説]]上手」といわれているが、発言がしばしば問題視されることがある。 |
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[[2006年]]9月、「ポスト小泉」を決める[[2006年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]に立候補するも[[安倍晋三]][[内閣官房長官]]に破れ次点で落選(安倍:464票 麻生:136票 [[谷垣禎一]]:102票)。 |
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[[学習院大学]]卒業後、[[スタンフォード大学]]大学院、[[ロンドン大学]]政治経済学院に留学する。帰国後に家業の麻生産業(現麻生セメント)に入社、炭鉱業からセメント業への転換を成功させた。なお、麻生産業時代に[[ブラジル]]の[[サンパウロ]]に駐在していたこともある。 |
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[[2007年]][[3月20日]]、衆議院議員在職25年を迎え衆議院より院議をもって表彰された。 |
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=== 社会的な影響力 === |
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[[日本バスケットボール協会]][[会長]]及び[[バスケットボール女子日本リーグ機構]]総裁や[[日本トップリーグ連携機構]]副会長といった各種スポーツ団体の役員も兼務している。 |
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2007年9月、[[2007年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]に立候補する。党員票では[[福田康夫]]元官房長官を僅差で上回るも133票差で敗れる(福田:330票 麻生:197票)。この総裁選で麻生は出馬した3度の総裁選全てで清和会([[清和政策研究会]])の候補に敗れたことになる。 |
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=== 顕彰 === |
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2007年3月20日、衆議院議員在職25年を迎え衆議院より院議をもって表彰された。 |
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[[2008年]]9月、[[2008年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]に4度目の立候補をし351票を獲得。[[自由民主党総裁]]に就任する。 |
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=== 信仰 === |
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[[キリスト教徒]]([[カトリック教会|カトリック]])であるが、[[靖国神社]]に参拝することもある(入閣している時は参拝しない)[[終戦記念日|終戦の日]]の[[8月15日]]ではなく、[[例祭|例大祭]]に合わせて参拝することが多い(カトリックでは8月15日は[[聖母の被昇天]]という祭日であり、この日に祝いの[[ミサ]]があるという事情もある)。[[クールビズ]]スタイルになってからノーネクタイのシャツの襟の下に見える金色の鎖は、10代から50年以上首にかけているカトリック信徒としての[[ロザリオ]]([[十字架]])の鎖部分である(側近の[[松本純]]議員がウェブサイトで説明している)。 |
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2008年[[9月24日]]、第92代[[内閣総理大臣]]に就任。 |
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=== 経歴 === |
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[[射撃]]選手としての経歴を持ち、[[モントリオールオリンピック]]に日本代表選手として出場(結果は41位)、第2回メキシコ国際射撃大会(クレー・スキート(個人・団体))では優勝。現在日本クレー射撃協会会長を務めている。 |
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== 政治的主張 == |
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[[読書]]が趣味。特に[[漫画]]好きであり、一部からは漫画文化のよき理解者として非常に人気が高い。自身の[[ウェブサイト]]に『[[ビッグコミックオリジナル増刊]]』2003年7月2日号のインタビュー<ref>{{cite web|url=http://www.chikuhou.or.jp/aso-taro/newspaper/030702-1.html|title=麻生太郎 コミックを語る|work=ビッグコミックオリジナル 増刊号|date=2003-07-02|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}</ref>が収録されているが、必ず自分の車内には最新の週刊コミック誌を置いているほどであるという。 |
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=== 経済 === |
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[[2006年]]及び[[2007年]]の[[自民党総裁選]]とも[[秋葉原]]で街頭演説し、漫画を始めとした日本のソフトコンテンツ産業の対外競争力・影響力を評価し、日本人であることに自信を持とうという趣旨の発言を行った。 |
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道路整備などを主に主張する[http://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-douro-keikaku/iken/yushikisya/ri/7_80_727001.html]エコノミストの[[リチャード・クー]]が「経済政策の理論的支柱」として麻生の[[財政出動]]を中心とする政策作りに協力している<ref>『[[朝日新聞]]』 2008年8月23日</ref>。 |
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[[定額減税]]や[[公共事業]]を中心とする[[財政出動]]に積極的な意向を示しており、財政健全化よりも[[景気]]対策の優先を提唱している<ref>2008/09/10 共同通信</ref>。2008年になっては、財政健全化を目指した[[小泉政権]]の[[構造改革]]路線の推進を否定し、「[[基礎的財政収支]](プライマリーバランス)の11年度黒字化目標」の延期に言及している<ref>『毎日新聞』 2008年9月11日</ref>。 |
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[[羽田空港]]で『[[ローゼンメイデン]]』を読んでいたところを見たという[[2ちゃんねる]]の書き込みが[[インターネット]]上で話題となり、一部の[[オタク]]から『ローゼン麻生』『ローゼン閣下』と呼ばれるようになった。2006年5月に行われた雑誌『メカビMOOK』のインタビューの際に『ローゼンメイデン』について、「女の子っぽい絵柄だけど、話が重厚にできている」と感心したことを述べているが、「羽田空港で読んでいたかどうかは覚えていない」としている<ref>麻生太郎著 『自由と繁栄の弧』 P.296~P.305 「やっぱり読んでいたんですね 直撃! ローゼンメイデン疑惑?」 (取材・構成 石塚良太) ISBN 9784344013339<!-- 初出は雑誌メカビ Vol.01 だが、入手しやすさを考慮してこっちに --></ref>。だが、2008年2月18日の[[SMAP×SMAP]]にゲスト出演した際に質問され「空港で噂の[[ローゼンメイデン]]が置いてあったので読んだ」と語り、さらに『[[英語でしゃべらナイト]]』では、「ああ、これが最近噂の…」と思ってパラパラとめくっていたところを週刊誌に激写されたと語った。なお、2008年度版の『[[現代用語の基礎知識]]』には「ローゼン麻生」という項目が収録されている。 |
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[[消費税]]の増税に関しては、「もはや、広く薄い負担を税制に追加していくとしたら消費税しかない」<ref>[http://www.aso-taro.jp/lecture/talk/071026.html 消費税論議、経済成長が前提](『[[夕刊フジ]]』連載 「日本の底力」 2007年10月26日)</ref>として消費税増税を示唆しつつも、2008年9月には「消費税増税を早期に行えば、著しく景気を冷やす」として増税には消極的な態度に変わっている。しかしながら、[[2011年]]以降に10%の消費税を導入する意向を示している<ref>『[[日本経済新聞]]』 2008年9月14日</ref>。 |
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2007年5月22日、海外の漫画家を対象とした「[[国際漫画賞]]」を創立することを発表。「漫画の[[ノーベル賞]]のようなものを作りたい」と述べている。第一回は同年6月に発表され、[[李志清]](中国籍)の「[[孫武|孫子]]兵法」が受賞。 |
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首都圏と地方の間の格差問題については、「地方の自立には、きちんと財政出動をやって、[[道路]]、交通網を整備しないといけない」として地方経済振興の為に[[公共事業]]が必要との考えを示している<ref>『[[読売新聞]]』 2008年9月13日</ref>。また、「(地方の)[[医療]]、[[介護]]が一番しんどいのではないか。病院をつくるより病院と結ぶ道路を造った方が安い」と述べ、道路を建設することにより地方の医療が向上するとの考えを示している<ref>[[共同通信]] 2008年9月13日</ref>。 |
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2007年5月30日から[[ウィーン]]で開催される[[核拡散防止条約]] (NPT) 運用検討会議の第1回準備委員会では、日本政府代表団が[[広島]]の[[被爆]]体験を描いた漫画『[[はだしのゲン]]』の英訳版を加盟国に配布することになった。これは麻生の肝いりで実現したものである。外務省が[[英語]]版30冊を出版社から譲り受け、今後も「漫画外交」を活発に展開させることを予定している<ref>[[時事通信]]、2007年4月29日</ref>。[[ポーランド]]外相からは、現地(ポーランド語)版の『[[犬夜叉]]』を寄贈されている<ref>自著『とてつもない日本』p.168(新潮新書、2007)</ref> |
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=== 外交・安全保障 === |
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ただし、全ての漫画に理解があるという訳ではない。[[1989年]]~[[1991年]]に掛けての[[有害コミック騒動|「有害コミック」騒動]]では、[[成人向け漫画]]を主とした「有害コミック」を規制する立場から1991年「子供向け[[ポルノグラフィ|ポルノコミック]]等対策議員懇話会」を結成し、会長となった。 |
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外務大臣時代に、当時の[[ブッシュ政権]]の中心にいた旧[[左翼]]からの転向派である[[ネオコン]](新保守主義者)の考え方と非常に近い、自由と民主主義、法の支配、市場経済を重視する「価値の外交」([[価値観外交]])と、同じ価値観を持った国家と連帯する「自由と繁栄の弧」を唱えた。 |
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[[2007年]][[1月26日]]、[[第166回国会|第166回通常国会]]衆議院[[本会議]]の外交に関する演説において「近隣諸国に目を転じますと、まず[[中華人民共和国|中国]]との間には、1日1万人以上、年間400万人を超す相互の往来があり、経済関係がとみに緊密な現状を物語っています。本年も政治と経済の両輪を力強く回します。 共通の戦略的利益に立脚した、互恵関係を築いてまいります」「日本と[[大韓民国|韓国]]は、互いにとって最も近く、基本的価値を共にする大切な[[民主主義]]国同士であります。そのような間柄にふさわしい、未来志向の関係を打ち立てます」「[[政府開発援助|ODA]]は、我が国[[外交]]の重要な手段であります。国際社会の一員としての責務を果たし、かつ、自らの繁栄を確保していくために、ODAを一層戦略的に実施します。「[[自由と繁栄の弧]]」形成のためにも、ODAを活用していきます。そのうえで、ODA事業量の100億[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]の積み増し、また対アフリカODAの倍増など、対外公約を達成すべく努めてまいります」と述べた<ref>{{citeweb|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000116620070126002.htm|title=第166回国会 本会議 第2号|date=2007-01-26|author=衆議院|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}</ref>。 |
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一方、『[[名探偵コナン]]』を使った外務省の[[パブリック・リレーションズ|PR]]冊子作成発表時に、『名探偵コネン』と読み間違えたり、その作者[[青山剛昌]]の名前を読めなかった。また、外相時に[[メキシコ]]の[[日墨学院]]を訪問した際、在校生からメキシコで人気が高い漫画「[[るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-|るろうに剣心]]」について質問され、答えられない場面もあった。 |
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; [[アメリカ合衆国]] |
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[[2008年]][[8月2日]]に死去した漫画家の[[赤塚不二夫]]について、「あの種のギャグ漫画の草分け的存在で『シェー』をはじめ、よく笑った」とコメントした<ref>{{cite news| url =http://www.jiji.com/jc/zc?k=200808/2008080200396&rel=y&g=soc | title =「よく笑った。残念」=赤塚不二夫さん死去で-自民・麻生幹事長 | publisher = [[時事通信]]| date = 2008-08-02}}</ref>。 |
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2007年[[2月3日]]、[[京都市]]内の講演で「ドンパチが終わった後が大変だというのが[[イラク]]で分かった。([[イラク戦争]]においてアメリカがイラクを)占領した後のオペレーションは非常に幼稚」とアメリカのイラク政策を批判した。 |
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; [[東アジア]] |
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[[2008年]][[9月25日]]の英有力紙[[フィナンシャル・タイムズ]]では「貴族的家柄で失言と偏愛的な青年向け漫画愛好家である麻生太郎」と表され、国外でも漫画好きの政治家と認知されている。<ref>[[FT.com]][http://www.ft.com/cms/s/0/e2ea1c54-8b2a-11dd-b634-0000779fd18c.html?nclick_check=1 A temp in Tokyo]</ref> |
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韓国に対しては、2005年12月25日の韓国の大手[[マスメディア|メディア]]である[[中央日報]]のインタビューで、「[[韓国]]に一年に2度ずつ計40-50回ほど行っているが、私が知っているかぎり今の両国関係が最も良いのではないかと思う。それは韓国の生活水準が良くなり、自信をつけているためと思われる。[[サムスン]]だけでなく、韓国製品が非常に良くなった」と発言している。また、韓国人徴用者を強制労働させていた[[麻生炭鉱]]の調査については、「戦争前の話はよく知らないが、そういう資料が残っていれば提供する」と話した[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=71021&servcode=200§code=200]。 |
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[[中華民国|台湾]]に対しては、2006年3月9日、参院[[予算委員会]]で、「民主主義が成熟し、経済面でも自由主義を信奉する法治国家であり、日本と価値観を共有する国」と発言。台湾のメディアでは「日本の外相が『台湾は国家』と発言」と報道された。 |
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=== 統一教会との関係 === |
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[[勝共推進議員]]の一人であり、[[国際勝共連合]]から送り込まれた一人の統一教会([[世界基督教統一神霊協会]])信者を秘書として受け入れ、1988年の勝共推進議員教育報告書や1988年の統一教会総支部活動報告書にも名前を連ね、統一教会支部結成貢献ランクは「B」と評価されていた、などと一部メディアにおいて報道されたが<ref>『[[週刊現代]]』1999年2月27日号</ref>、本人は週刊誌の取材に対し、統一教会との関係を全面否定している。 |
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; 北方領土 |
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== 総裁選への挑戦 == |
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2006年12月13日の衆院[[外務委員会]]において、[[北方領土問題]]を解決するために北方4島([[択捉]]、[[国後]]、[[色丹]]、[[歯舞]])全体の面積を2等分して、半分をロシアに譲ることにより解決を目指す考えを示した<ref>『読売新聞』2006年12月14日</ref>。これは[[海部俊樹]]元首相から「北方領土の返還は党是だ。党の基本問題として守るべきものは守ってきちっとやってほしい」と批判された。 |
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麻生はこれまでに3度の総裁選に出馬している。1度目は[[2001年]]で[[小泉純一郎]]元郵政相、2度目は[[2005年]][[安倍晋三]]元幹事長、3度目は[[2007年]]で[[福田康夫]]元官房長官と全て[[清和会]]に敗れている。4度目となる2008年の総裁選では、他の4人の候補に大きく差を付けて自民党総裁となった。総理大臣就任の際、麻生は「日本を明るく強い国にする」と述べた。 |
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; 核武装 |
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== 発言 == |
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2006年10月、[[中川昭一]]自民党政調会会長が[[核武装論|核武装]]も選択肢として考えておくべきだと発言したのに対し、「隣の国が持つとなった時に、一つの考え方としていろいろな議論をしておくことは大事だ」「日本は言論統制された国ではない。言論の自由を封殺するということに与しないという以上に明確な答えはない」と発言した(本人は[[非核三原則]]を堅持すると明言はしている)。この発言が原因で12月に[[民主党 (日本 1998-)|民主党]] 、[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]] 、[[日本共産党|共産党]]など[[野党]]4党から外相としての不信任決議案を提出された。 |
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{{独自研究}} |
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; 憲法改正 |
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=== 経済政策 === |
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2008年9月の国連総会での演説後。自衛隊の[[集団的自衛権]]の行使について「できるようにすべき」と憲法改正もある程度は必要との認識を持っている。 |
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自称「経済通」。2006年の自民党総裁選の頃、「安倍君なんかからは、経済の話を(一度も)聞いたことない」と発言。これに対し[[安倍晋三]]は「私はこれまで機会ある時には、発言してまいりましたが、麻生さんが何をどのように考え発言しているのか・・・」と述べた。 |
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=== 歴史認識 === |
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[[消費税]]の増税に関しては、[http://www.aso-taro.jp/lecture/talk/071026.html 夕刊フジの連載]に「もはや、広く薄い負担を税制に追加していくとしたら消費税しかないということは、国民の皆さんもうすうす納得し、覚悟されている方も多いんじゃないかと思います」「官によるムダ遣いをなくすということ。社会保険庁のあきれた実態はもとより、いまだに官が無駄を温存し、太鼓を鳴らそうが税金を効率よく使おうとしない事例はたくさんあります。こんなことがまかり通っているままでは、増税の話は持ち出せません」などと書いた論文を発表している。 |
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[[日本統治時代の朝鮮]]・[[日本統治時代 (台湾)|台湾]]に対しては肯定的側面もあったとする発言をしている。[[2003年]][[5月31日]]、[[東京大学]]学園祭において「[[創氏改名]]は[[朝鮮民族|朝鮮人]]が望んだ」([[満州]]や日本国内で経済活動をする上で朝鮮名が不利な場合があったという文脈での発言)、「日本は[[ハングル]]普及に貢献した」と述べた(当該項目も参照)。また、2006年[[2月4日]]の[[福岡市]]での講演において、日本が[[植民地]][[台湾]]の[[義務教育]]に力を入れたと指摘した上で「台湾はものすごく教育水準が上がって[[識字率]]などが向上したおかげで今極めて教育水準が高い国であるが故に、今の時代に追いつけている」「我々の先輩はやっぱりちゃんとしたことをやっとるなと正直そのとき思った」と述べた。 |
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2007年[[2月19日]]、衆議院予算委員会において[[アメリカ合衆国下院|米下院]]に提出された[[慰安婦]]問題をめぐる[[アメリカ合衆国下院121号決議|対日非難決議案]]にある「日本軍による強制的な性奴隷化」といった記述について、「客観的な事実にまったく基づいていない。はなはだ遺憾だ」と述べた<ref>{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816620070219011.htm|title=第166回国会 予算委員会 第11号|author=[[衆議院]]|date=2007-02-19|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}</ref>。 |
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=== 外交 === |
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[[Image:Aso and Rice in APEC.jpg|thumb|200px|[[2005年]]、[[釜山広域市]]で開かれた[[アジア太平洋経済協力]]閣僚会議に[[外務大臣 (日本)|外務大臣]]として参加、[[アメリカ合衆国国務長官]][[コンドリーザ・ライス]]と握手する麻生([[右]])]] |
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2005年12月25日の韓国の大手メディアである[[中央日報]]のインタビューに対して、「[[韓国]]に一年に2度ずつ計40-50回ほど行っているが、私が知っているかぎり今の両国関係が最も良いのではないかと思う。 それは韓国の生活水準が良くなり、自信をつけているためと思われる。[[サムスン]]だけでなく、韓国製品が非常に良くなった」 と発言している。また、韓国人徴用者を強制労働させていた[[麻生炭鉱]]の調査については、「戦争前の話はよく知らないが、そういう資料が残っていれば提供する」と話した。[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=71021&servcode=200§code=200] |
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2007年[[3月21日]]、[[長崎県]][[時津町]]で講演。日本独自の[[中東]]和平[[外交]]として、[[ヨルダン#ヨルダン渓谷|ヨルダン渓谷]]の開発を進める「平和と繁栄の回廊」構想に触れ、「米国人にできないことを日本がやっている。日本人というのは信用がある。青い目で[[金髪]]だったら多分駄目よ」と述べた。「われわれは幸いにして黄色い顔をしている。そこ(中東)で搾取をしてきたとか、ドンパチ、[[機関銃]]撃ったとか一回もない」と語った。 |
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2006年12月13日の衆院外務委員会において、[[北方領土問題]]を解決するために北方4島([[択捉]]、[[国後]]、[[色丹]]、[[歯舞]])全体の面積を2等分して、半分をロシアに譲ることにより解決を目指す考えを示した。<ref>2006年12月14日読売新聞</ref>これは[[海部俊樹]]元首相から「北方領土の返還は党是だ。党の基本問題として守るべきものは守ってきちっとやってほしい」と批判された。 |
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2006年[[5月26日]]、アジア各国の政府首脳や経済界リーダーを招いた国際交流会議「アジアの未来」において「近代の生んだ毒......。それはすなわち『国民国家』であり、『自民族中心主義』という意味に規定される『[[ナショナリズム]]』でした。この2つは、地図に黒々と、太い[[国境]]を引く思想でした。また時として、その国境を外へ外へ、無理やりにでも広げていくのをよしとする考えでした。(中略) 他人(ひと)のことは言いますまい。日本人は一度、国民国家とナショナリズムという、強い酒をしたたかにあおった経験があります。皆さんこれからのアジアは、国民国家の枠、ナショナリズムの罠に絡め取られるようではいけません」と述べた<ref> {{cite web|url=http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/18/easo_0526.html|title=国際交流会議「アジアの未来」2006 麻生太郎外相スピーチ「ネットワーク型アジア」の未来を構想する(外務大臣演説)|author=[[外務省]] |date=2006-09-18|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}</ref>。 |
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[[2006年]][[1月9日]]、福岡県飯塚市で開いた集会で、[[シドニー]]で予定されていた日米豪閣僚級安全保障対話が延期されたことに関連し「[[アリエル・シャロン|シャロン]]首相の容態が極めて悪く、会議途中でそのままお[[葬式]]になると意味がないので延期ということになった」と述べ、配慮を欠くとの批判を浴びた。 |
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2008年10月2日には日本の過去のアジア支配に対する反省と謝罪を明確にした「[[村山談話]]」について、「いわゆる村山談話と17年8月15日の小泉純一郎首相の談話は、先の大戦をめぐる政府としての認識を示すものであり、私の内閣においても引き継いでいく」として麻生内閣でも、明確に堅持する方針を示した。<ref>2008年10月2日毎日新聞</ref> |
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2006年3月9日、参院予算委員会で、[[台湾]]について「民主主義が成熟し、経済面でも自由主義を信奉する法治国家であり、日本と価値観を共有する国」と発言。台湾のメディアでは「日本の外相が『台湾は国家』と発言。」と報道された。 |
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=== 靖国神社問題 === |
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2006年[[7月8日]]に[[広島市|広島市内]]で行なった講演で、[[北朝鮮によるミサイル発射実験 (2006年)|北朝鮮がミサイルを撃ち]]、主要国が重大な関心を持ったことについて、「[[金正日]]に感謝しないといけないな」と発言した。 |
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政治家の[[靖国神社問題|靖国神社参拝問題]]については、[[政教分離原則|政教分離]]が問われるなど一番の問題は[[靖国神社]]が[[宗教法人]]であることだとしており、2006年の総裁選では総理になった場合に靖国神社を非宗教法人化、すなわち国が関与できる[[特殊法人]]へ移行し、国立追悼施にすることを公約に掲げた。2008年10月にも「神社という名前が問題なら、[[靖国廟]]でも[[招魂社]]でもいろんな形がある。」として、非宗教法人化を支持する姿勢を示している。<ref>2008/10/07時事通信</ref> |
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2006年には、「首相になった際には靖国参拝を自粛する」という考えを示していた<ref>『読売新聞』 2006年8月4日</ref>。2008年に首相に就任した直後には「行くとも行かないとも答えることはない」として曖昧な姿勢を見せている。<ref>日本経済新聞 - 2008年10月7日</ref>外交問題に飛び火した小泉首相の参拝について「[[中華人民共和国|中国]]が(参拝を中断しろと)言えば言うほど行かざるを得ない」とし、「これは[[タバコ]]を吸うなと言うと吸いたくなるのと同じだ」と述べた。麻生本人は外相在任当時、外務大臣は個人ではないという理由で靖国神社には参拝しなかった。 |
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2006年10月、当時の自民党政調会会長[[中川昭一]]が、「[[核武装論|核武装]]も選択肢として考えておくべき」と発言したことに対して、「隣の国が持つとなった時に、一つの考え方としていろいろな議論をしておくことは大事だ」「日本は言論統制された国ではない。言論の自由を封殺するということに与しないという以上に明確な答えはない」と発言した(本人は[[非核三原則]]を堅持すると明言はしている)。この発言が原因で12月に民主、社民、共産など野党4党から外相としての不信任決議案を提出された。 |
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[[A級戦犯]]の[[分祀]]については、「靖国神社に戦死者でない人が祭られていることが非常に大きな問題点だ」「(首相の参拝について)他の国々、国内からいろいろ言われないよう、英霊から感謝されるような形で参拝できる制度を考えるべきだ」との見解を示している<ref>時事通信2006年3月8日</ref>が、靖国神社が宗教法人である限り政治の介入による分祀は厳に慎むべきであるとしている<ref>[http://www.aso-taro.jp/lecture/talk/060808.html 麻生太郎オフィシャルサイト] 靖国に弥栄(いやさか)あれ</ref>。そのため、靖国問題の解決策に関しては、靖国神社の非宗教法人化を行い、国が関与できるようにして[[A級戦犯]]を[[分祀]]することを「1つの方法」と発言し、「望ましい」として賛成している<ref>『日本経済新聞』2008年9月15日</ref>。 |
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[[2007年]][[1月26日]]、第166回通常国会衆議院本会議の外交に関する演説において「近隣諸国に目を転じますと、まず中国との間には、1日1万人以上、年間400万人を超す相互の往来があり、経済関係がとみに緊密な現状を物語っています。本年も政治と経済の両輪を力強く回します。 共通の戦略的利益に立脚した、互恵関係を築いてまいります」「日本と韓国は、互いにとって最も近く、基本的価値を共にする大切な[[民主主義]]国同士であります。そのような間柄にふさわしい、未来志向の関係を打ち立てます」「[[政府開発援助|ODA]]は、我が国外交の重要な手段であります。国際社会の一員としての責務を果たし、かつ、自らの繁栄を確保していくために、ODAを一層戦略的に実施します。「[[自由と繁栄の弧]]」形成のためにも、ODAを活用していきます。そのうえで、ODA事業量の100億ドルの積み増し、また対アフリカODAの倍増など、対外公約を達成すべく努めてまいります。」と述べた<ref>{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000116620070126002.htm|title=第166回国会 本会議 第2号|date=2007-01-26|author=衆議院|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}</ref>。 |
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2006年[[1月28日]]、[[名古屋]]で行われた[[公明党]]議員の会合で、「[[英霊]]は[[天皇]][[陛下]]のために[[万歳]]と言ったのであり、首相万歳と言ったのはゼロだ。天皇陛下が[[参拝]]なさるのが一番だ」と述べた。「(天皇が)[[公人]]か[[私人]]かという論議のため参拝できなくなったが、解決の答えはいくつかあるはず」と付け加えた。しかしながら、批判を浴びると「今の状況で天皇陛下に参拝していただきたいとは一切言ってない」と発言を修正し、釈明した<ref>共同通信 2006年1月31日</ref>。 |
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2007年[[2月3日]]、[[京都市]]内の講演で「ドンパチが終わった後が大変だというのがイラクで分かった。([[イラク戦争]]においてアメリカがイラクを)占領した後のオペレーションは非常に幼稚」とアメリカのイラク政策を批判した。 |
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日本と韓国の緊張関係について、「両国が靖国問題にあまりにも執着しているのが最も大きな問題だ。 当分はマスコミが靖国問題を書かないのが一番よさそうだ。 問題をあおって増幅させた」との考えを表明している[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=71021&servcode=200§code=200]。 |
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=== 歴史認識 === |
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[[2003年]][[5月31日]]、[[東京大学]]学園祭において「[[創氏改名]]は[[朝鮮人]]が望んだ」(満州や日本国内で経済活動をする上で朝鮮名が不利な場合があったという文脈での発言)、「日本は[[ハングル]]普及に貢献した」と述べた。当該項目も参照。 |
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2006年[[5月26日]]に都内の[[ホテル]]で開かれた国際交流会議「アジアの未来」で講演し、「23日に自分が[[カタール]]で中韓の外相と会談したので関係改善の流れが出て来た」と発言。これに対して韓国産業資源部長官は、「アジア共同体形成に関して各国間合意は出来たが、韓中日の共同体構築努力が他地域に比べ足りない、原因は一部政治家の靖国参拝や歴史問題だ、ヨーロッパがいかにしてこれを克服したか考えて欲しい」と講演した<ref>『日本経済新聞』2006年5月26日夕刊</ref>。 |
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2006年[[2月4日]]の[[福岡市]]での講演において、日本が[[植民地]][[台湾]]の[[義務教育]]に力を入れたと指摘した上で「台湾はものすごく教育水準が上がって[[識字率]]などが向上したおかげで今極めて教育水準が高い国であるが故に、今の時代に追いつけている」「我々の先輩はやっぱりちゃんとしたことをやっとるなと正直そのとき思った」と述べた。 |
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== 人物 == |
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2006年[[5月26日]]、アジア各国の政府首脳や経済界リーダーを招いた国際交流会議「アジアの未来」において「近代の生んだ毒......。それはすなわち『国民国家』であり、『自民族中心主義』という意味に規定される『ナショナリズム』でした。この2つは、地図に黒々と、太い国境を引く思想でした。また時として、その国境を外へ外へ、無理やりにでも広げていくのをよしとする考えでした。(中略) 他人(ひと)のことは言いますまい。日本人は一度、国民国家とナショナリズムという、強い酒をしたたかにあおった経験があります。皆さんこれからのアジアは、国民国家の枠、ナショナリズムの罠に絡め取られるようではいけません」と述べた。<ref> {{cite web|url=http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/18/easo_0526.html|title=国際交流会議「アジアの未来」2006 麻生太郎外相スピーチ「ネットワーク型アジア」の未来を構想する(外務大臣演説)|author=[[外務省]] |date=2006-09-18|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}</ref> |
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[[Image:TaroAso.jpg|thumb|200px|記者会見に臨む麻生]] |
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=== 人物像 === |
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2007年[[2月19日]]、衆議院[[予算委員会]]において[[アメリカ合衆国下院|米下院]]に提出された[[慰安婦]]問題をめぐる[[アメリカ合衆国下院121号決議|対日非難決議案]]にある「日本軍による強制的な性奴隷化」といった記述について、「客観的な事実にまったく基づいていない。はなはだ遺憾だ」と述べた<ref>{{cite web|url=http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001816620070219011.htm|title=第166回国会 予算委員会 第11号|author=[[衆議院]]|date=2007-02-19|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}</ref>。 |
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*名門一家に育ち、麻生財閥の元社長であるが、「首相の家庭なんて幸せなもんじゃねえ」「両親にほったらかしにされて育った」「生まれはいいが、育ちは悪い」と本人は語っている。 |
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*特徴は[[江戸言葉|べらんめえ調]]の軽妙な語り口と[[毒舌]]も織り交ぜた発言で、[[街頭演説]]などで聴衆から人気を博した。しかし、過去には度重なる失言が指摘されたり、問題視されることがしばしばある。 |
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*[[自民党夢実現21世紀会議]]の議長を務め、「国づくりの夢実現検討委員会」を通じて[[日韓トンネル]]の実現に向けた政策提言を発表している。 |
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*[[2004年]]9月に、3年10か月の[[国民年金]]保険料未払い期間があったことが判明している。当時の[[民主党代表]][[菅直人]]が「未納三兄弟」と呼称したうちの1人である(''詳細は[[政治家の年金未納問題]]を参照のこと'')。 |
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=== 信仰 === |
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2007年[[3月21日]]、[[長崎県]][[時津町]]で講演した際、日本独自の[[中東]]和平[[外交]]として、[[ヨルダン#ヨルダン渓谷|ヨルダン渓谷]]の開発を進める「平和と繁栄の回廊」構想に触れ、「米国人にできないことを日本がやっている。日本人というのは信用がある。青い目で[[金髪]]だったら多分駄目よ」と述べた。「われわれは幸いにして黄色い顔をしている。そこ(中東)で搾取をしてきたとか、ドンパチ、[[機関銃]]撃ったとか一回もない」と語った。 |
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[[キリスト教徒|クリスチャン]]([[カトリック教会|カトリック]])である。靖国神社に参拝することもある(入閣している時はこれまで参拝してない)が、自身が[[神道]]ではなくクリスチャンということもあり、靖国神社の非宗教法人化を提唱している。[[終戦の日|終戦記念日]]の[[8月15日]]ではなく、[[例祭|例大祭]]に合わせて参拝することが多い(カトリックでは8月15日は[[聖母の被昇天]]という祭日であり、この日に祝いの[[ミサ]]があるという事情もある)。 |
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[[クールビズ]]スタイルになってからノーネクタイのシャツの襟の下に見える金色の鎖は、10代から50年以上首にかけている[[カトリック]]信徒としての十字架の鎖部分である<ref>(側近の[[松本純]]議員がウェブサイトで説明している)</ref>。 |
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=== 靖国神社問題 === |
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2006年[[1月28日]]、[[名古屋]]で行われた[[公明党]]議員の会合で、「[[英霊]]は[[天皇]][[陛下]]のために[[万歳]]と言ったのであり、首相万歳と言ったのはゼロだ。天皇陛下が[[参拝]]なさるのが一番だ」と述べた。「(天皇が)[[公人]]か[[私人]]かという論議のため参拝できなくなったが、解決の答えはいくつかあるはず」と付け加えた。しかしながら、批判を浴びると「今の状況で天皇陛下に参拝していただきたいとは一切言ってない」と発言を翻し、釈明した。<ref>共同通信 2006年1月31日</ref> |
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=== 漫画 === |
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外交問題に飛び火した小泉首相の参拝について「[[中華人民共和国|中国]]が(参拝を中断しろと)言えば言うほど行かざるを得ない」とし、「これはたばこを吸うなと言うと吸いたくなるのと同じだ」と述べた。 |
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[[読書]]が趣味。特に[[漫画]]好きであり、一部からは漫画文化のよき理解者として非常に人気が高い。自身の[[ウェブサイト]]に掲載している『[[ビッグコミックオリジナル増刊]]』2003年7月2日号のインタビュー<ref>{{cite web|url=http://www.chikuhou.or.jp/aso-taro/newspaper/030702-1.html|title=麻生太郎 コミックを語る|work=ビッグコミックオリジナル 増刊号|date=2003-07-02|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}</ref>によれば、自分の車内には常に最新の週刊コミック誌を置いているという。漫画好きであることは外国の首脳にも知られており、[[ポーランド]]外相からは、現地(ポーランド語)版の『[[犬夜叉]]』を寄贈されている<ref>自著『とてつもない日本』p.168(新潮新書、2007)</ref>。 |
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漫画好きであることを自身の政策や政治的主張に利用することも多く、[[2006年]]及び[[2007年]]の[[自民党総裁選]]とも[[秋葉原]]で街頭演説し、漫画を始めとした日本の[[ソフトウェア|ソフト]][[コンテンツ]]産業の対外競争力・影響力を評価し、日本人であることに自信を持つべきという趣旨の発言を行った。2007年[[5月22日]]には海外の漫画家を対象とした「[[国際漫画賞]]」を創立することを発表。「漫画の[[ノーベル賞]]のようなものを作りたい」と述べている。同年[[5月30日]]から[[ウィーン]]で開催された[[核拡散防止条約]] (NPT) 運用検討会議の第1回準備委員会では、日本政府代表団が[[広島]]の[[被爆]]体験を描いた漫画『[[はだしのゲン]]』の英訳版を加盟国に配布することになったが、これは麻生の肝入りで実現したものである。[[外務省]]が[[英語]]版30冊を出版社から譲り受け、今後も「漫画外交」を活発に展開させることを予定している<ref>[[時事通信]]、2007年4月29日</ref>。 |
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日本と[[韓国]]の緊張関係については、「両国が靖国問題にあまりにも執着しているのが最も大きな問題だ。 当分はマスコミが靖国問題を書かないのが一番よさそうだ。 問題をあおって増幅させた」との考えを表明している。[http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=71021&servcode=200§code=200] |
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[[羽田空港]]で『[[ローゼンメイデン]]』を読んでいたところを見たという[[2ちゃんねる]]の書き込みが[[インターネット]]上で話題となり、一部の[[オタク]]層から『ローゼン麻生』『ローゼン閣下』と呼ばれるようになった。2006年5月に行われた[[サブカルチャー]]雑誌『[[メカビ]]』Vol.1のインタビューにおいて『ローゼンメイデン』について、「少女コミックの割には、話が重厚にできている」と感心したことを述べているが、「羽田空港で読んでいたかどうかは覚えていない」としている<ref>麻生太郎著 『自由と繁栄の弧』 P.296~P.305 「やっぱり読んでいたんですね 直撃! ローゼンメイデン疑惑?」 (取材・構成 石塚良太) ISBN 9784344013339<!-- 初出は雑誌メカビ Vol.01 だが、入手しやすさを考慮してこっちに --></ref>。だが、2008年2月18日の[[SMAP×SMAP]]にゲスト出演した際に質問され「空港で噂の[[ローゼンメイデン]]が置いてあったので読んだ」と語り、さらに『[[英語でしゃべらナイト]]』では、「ああ、これが最近噂の…」と思ってパラパラとめくっていたところを週刊誌に激写されたと語った。なお、2008年度版の『[[現代用語の基礎知識]]』には「ローゼン麻生」という項目が収録されている。こうしたことから、秋葉原を中心にオタク層からの支持が高い。 |
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2006年[[5月26日]]に都内の[[ホテル]]で開かれた国際交流会議「アジアの未来」で講演し、「23日に自分が[[カタール]]で中韓の外相と会談したので関係改善の流れが出て来た」と発言。これに対して韓国産業資源部長官は、「アジア共同体形成に関して各国間合意は出来たが、韓中日の共同体構築努力が他地域に比べ足りない、原因は一部政治家の靖国参拝や歴史問題だ、ヨーロッパがいかにしてこれを克服したか考えて欲しい」と講演した<ref>『[[日本経済新聞]]』 2006年5月26日夕刊</ref>。 |
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ただし、全ての漫画に理解があるという訳ではなく、[[1989年]] - [[1991年]]に掛けての[[有害コミック騒動|「有害コミック」騒動]]では、[[成人向け漫画]]を主とした「有害コミック」を規制する立場から1991年「子供向け[[ポルノ]]コミック等対策議員懇話会」を結成し、会長となり表現規制の旗振り役となった。 |
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2006年[[8月8日]]に靖国神社を非[[宗教法人]]化する私案を発表した<ref>「私見 靖国に弥栄あれ」『麻生太郎の原点 祖父吉田茂の流儀』235頁―247頁、「靖国に弥栄あれ」『自由と繁栄の弧』370頁―382頁、初出 麻生太郎公式ウェブサイト</ref><ref>「晴れて靖国に陛下をお迎えする」『自由と繁栄の弧』383頁―385頁、初出「靖国にいやさかあれ」朝日新聞 2006年8月8日付け</ref>。 |
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一方、『[[名探偵コナン]]』を使った外務省の[[パブリック・リレーションズ|PR]]冊子作成発表時に、『名探偵コネン』と読み間違えたり、その作者[[青山剛昌]]の名前を読めなかった。また、外相時に[[メキシコ]]の[[日墨学院]]を訪問した際、在校生からメキシコで人気が高い漫画「[[るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-|るろうに剣心]]」について質問され、答えられない場面もあった。 |
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2006年[[8月21日]]、[[自由民主党総裁選|自民党総裁選]]に立候補することを正式に表明する。総理総裁になったときには、靖国神社を上で述べられているように非宗教法人化、最終的には「[[特殊法人]]国立追悼施設靖国社」にすることを公約に掲げた。 |
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[[2008年]][[8月2日]]に死去した漫画家の[[赤塚不二夫]]について、「あの種の[[ギャグ漫画]]の草分け的存在で『[[シェー]]』をはじめ、よく笑った」とコメントした<ref>{{cite news| url =http://www.jiji.com/jc/zc?k=200808/2008080200396&rel=y&g=soc | title =「よく笑った。残念」=赤塚不二夫さん死去で-自民・麻生幹事長 | publisher = [[時事通信]]| date = 2008-08-02}}</ref>。 |
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[[A級戦犯]]の[[分祀]]については、「靖国神社に戦死者でない人が祭られていることが非常に大きな問題点だ」「(首相の参拝について)他の国々、国内からいろいろ言われないよう、英霊から感謝されるような形で参拝できる制度を考えるべきだ」との見解を示している。<ref>時事通信2006年3月8日</ref>靖国問題の解決策に関しては、[[A級戦犯分祀]]も「1つの方法」と発言している。<ref> |
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時事通信 2006年1月31日</ref> |
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=== クレー射撃 === |
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政治家が靖国神社に分祀を求めることについては、宗教法人に対する介入であることから、慎むべきだとしている<ref name="yasukuni_1">『とてつもない日本』「第六章 外交の見取り図」145頁</ref>。 |
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大学時代から[[クレー射撃]]を始め、22歳の時全日本選手権を当時の日本新記録で優勝。[[1974年]]に行われた第2回メキシコ国際射撃大会に優勝。1976年の[[モントリオールオリンピック]]代表に選出される。 |
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その後[[2000年]]5月に[[日本クレー射撃協会]]会長に就任。 |
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政治家の参拝に対して[[政教分離原則|政教分離]]が問われるなど、問題の過半は靖国神社が宗教法人であることだとしている<ref name="yasukuni_1"/>。 |
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== 他党、支持団体との関係 == |
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=== 公明党との関係 === |
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[[公明党]]と太いパイプを持つ蜜月関係で知られる<ref>http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0808/web-news0801-1.html</ref>。麻生の2008年総裁選出馬表明直後には、[[公明党]]支持母体の[[創価学会]]婦人部を代表する[[浜四津敏子]]公明代表代行が異例のスピードで支持表明をし、麻生が総裁選で優位となる流れを作り話題となった<ref>http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080903k0000m010069000c.html</ref>。その後、2008年8月11日にまだ自民党総裁が決まってない段階で、公明党の[[北側一雄]]幹事長も「日本の未来を考えたときにリーダーは明るさが必要だ」として他党の総裁選にも係わらず、明確な支持を表明している[http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20080911AT3S1101R11092008.html]。 |
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=== 統一教会との関係 === |
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外相在任当時、外務大臣は個人ではないという理由で靖国神社には参拝しなかった。 |
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[[勝共推進議員]]の一人であり、[[国際勝共連合]]から送り込まれた一人の統一教会([[世界基督教統一神霊協会]])信者を[[秘書]]として受け入れ、1988年の勝共推進議員教育報告書や1988年の統一教会総支部活動報告書にも名前を連ね、統一教会支部結成貢献ランクは「B」と評価されていた、などと一部メディアにおいて報道されたが<ref>『[[週刊現代]]』1999年2月27日号</ref>、本人は週刊誌の取材に対し、統一教会との関係を全面否定している。 |
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=== 献金 === |
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=== 差別的と指摘を受けた発言 === |
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麻生グループ関連会社「麻生」(福岡県飯塚市)から、2002年4月30日付で麻生が支部長を務める自民党支部が総額650万円の[[政治献金]]を受けていた。前年度中に「麻生」は国から補助金1458万円を交付されており[[政治資金規正法]]違反の疑いを指摘された。同社は県から間接的に受給していたので問題ないとの認識であった。報道後に同社は返金を求めることを表明した<ref>{{Cite web | date=2004-08-06 | url=http://www.47news.jp/CN/200408/CN2004080601001272.html | title=補助金受け650万献金 麻生総務相関連会社 | publisher=共同通信 | accessdate=2008-09-14 }}</ref><ref>{{Cite web | date=2004-08-06 | url=http://www.47news.jp/CN/200408/CN2004080601005853.html | title=違法ではないが返金受ける 麻生総務相関連会社 | publisher=共同通信 | accessdate=2008-09-14 }}</ref>。 |
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==== 野中広務に対する「部落差別発言」 ==== |
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麻生が大勇会の会合において[[被差別部落]]出身の[[野中広務]]に対する差別発言を行ったことを会合の出席者から聞いたとして、野中が[[自民党総務会]]等でこの発言を強く批判した<ref>[[魚住昭]]『[[野中広務]] 差別と権力』</ref><ref>[[角岡伸彦]]『はじめての[[部落問題]]』</ref>。麻生は発言を否定している。 |
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[[道路特定財源]]を資金源とする[[道路運送経営研究会]](道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けていた。 |
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{{See|野中広務#麻生太郎による「部落差別発言」}} |
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[[山田洋行]]から献金を受けていた政治家の実名リストに名前が載っていたと報道されている。これに対して麻生の事務所側は「現在、調査中」とコメントしている<ref>夕刊フジ2007年11月22日</ref>。 |
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* [[2003年]][[10月20日]]に[[ホームレス]]に対しての発言が差別的であるとして各地の[[日雇い]][[労働者]]および野宿者支援組織などから抗議を受けたが<ref>{{cite web|url=http://www.tokyohomeless.com/body2-75.html|title=麻生発言 新宿連絡会|author=新宿野宿労働者の生活・就労保障を求める連絡会議|date=2003-10-29|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}</ref>、翌日の会見<ref>{{cite web|url=http://www.soumu.go.jp/d-news/2003/1021.html|title=麻生総務大臣閣議後記者会見の概要|author=総務省|date=2003-10-21|accessdate=9月24日|accessyear=2007年}}</ref>で改めて趣旨を説明し、撤回等はしていない。 |
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== 発言 == |
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* 総務大臣在任中の[[2005年]][[10月15日]]、この日に開館した[[九州国立博物館]]の開館記念式典での来賓祝辞の中で「一[[文化]]、一[[文明]]、一[[民族]]、一[[言語]]の国は日本のほかにはない」と発言。同博物館は選挙区は異なるものの麻生の地元である[[福岡県]]内にあり、しかもその展示内容は日本とアジアの交流の歴史から、文化の多様性を示すものである。 |
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=== 問題となった発言 === |
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* 衆議院選挙に初出馬した[[1979年]]の演説で登壇して開口一番、支援者に対して「下々の皆さん」と発言した。また、当選後に「将来の総理大臣」というマスコミに対して「年寄り代議士が何人か死ねばね」と応えている<ref>週刊現代第50巻第23号、[[2008年]][[6月21日]]</ref>。 |
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* [[1983年]][[2月9日]]、高知県議選の応援演説にて「東京で[[美濃部亮吉|美濃部]][[革新]]都政が誕生したのは婦人が美濃部スマイルに投票したのであって、婦人に[[参政権]]を与えたのが最大の失敗だった」と、国が女性に参政権を与えている事を批判した<ref>[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-09-23/2008092302_03_0.html 新総裁 麻生氏 発言録] しんぶん赤旗</ref>。 |
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* [[2003年]][[10月20日]]に[[ホームレス]]について、「新宿のホームレスも警察が補導して新宿区役所が経営している収容所に入れたら、『ここは飯がまずい』と言って出て行く。豊かな時代なんだって。ホームレスも[[糖尿病]]という時代ですから」と発言し、事実に反する上に差別的であるとして各地の[[日雇い]][[労働者]]および野宿者支援組織などから抗議を受けたが<ref>{{cite web|url=http://www.tokyohomeless.com/body2-75.html|title=麻生発言 新宿連絡会|author=新宿野宿労働者の生活・就労保障を求める連絡会議|date=2003-10-29|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}</ref>、翌日の会見で改めて趣旨を説明し<ref>{{cite web|url=http://www.soumu.go.jp/d-news/2003/1021.html|title=麻生総務大臣閣議後記者会見の概要|author=総務省|date=2003-10-21|accessdate=9月24日|accessyear=2007年}}</ref>、撤回等はしていない。 |
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* 総務大臣在任中の[[2005年]][[10月15日]]、この日に開館した[[九州国立博物館]]の開館記念式典での来賓祝辞の中で「一[[文化]]、一[[文明]]、一[[民族]]、一[[言語]]の国は日本のほかにはない」と発言。同博物館は[[選挙区]]は異なるものの麻生の地元である[[福岡県]]内にあり、しかもその展示内容は日本とアジアの交流の歴史から、文化の多様性を示すものである。 |
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* [[2006年]][[1月9日]]、福岡県飯塚市で開いた集会で、[[シドニー]]で予定されていた日米豪閣僚級安全保障対話が延期されたことに関連し「[[アリエル・シャロン|シャロン]]首相の容態が極めて悪く、会議途中でそのままお[[葬式]]になると意味がないので延期ということになった」と述べ、配慮を欠くとの批判を浴びた。 |
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* 2006年[[7月8日]]に[[広島市|広島市内]]で行なった講演で、[[北朝鮮によるミサイル発射実験 (2006年)|北朝鮮がミサイルを撃ち]]、主要国が重大な関心を持ったことについて、「[[金正日]]に感謝しないといけないな」と発言した。 |
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* [[2007年]][[7月19日]]、[[富山県]][[高岡市]]内で講演会において、国内外の米価を比較する例えとして「7万8000円と1万6000円はどちらが高いか。[[アルツハイマー型痴呆|アルツハイマー]]の人でもわかる」と発言。これについては野党からの反発はもちろん、与党からも[[第21回参議院議員通常選挙|参院選]]に悪影響だと懸念され、[[塩崎恭久]][[内閣官房長官]]からも「適格性を欠く」と批判された。翌[[7月20日]]に謝罪した上、撤回した<ref>「麻生外相が陳謝――アルツハイマー発言」『朝日新聞』[[2007年]][[7月21日]]、34面。</ref>。 |
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* [[2007年]][[7月20日]]、アルツハイマー発言の翌日に[[鳥取県]][[倉吉市]]での[[演説]]で「[[酒]]は『[[きちがい]]水』だとか何とか皆言うもんだから、勢いとかいろんなことありますよ」と発言した<ref>『毎日新聞』2007年7月20日</ref>。 |
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* 2008年2月、[[中国産食品の安全性#中国製冷凍餃子中毒事件|中国製冷凍餃子中毒事件]]に関連し熊本市での講演で、「日本の農産物に付加価値がついた」「(日本の)農産物、高いけど、うまい、きれい、加えて安全、3つきたんじゃないの? [[農業協同組合|農協]]は中国に感謝しないといけない。ものすごく付加価値がついた」と発言した。 |
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* 2008年8月4日、[[福田改造内閣]]組閣後に[[江田五月]]参議院議長と会談した際、[[民主党]]を批判した上で「1930年代、ドイツでは[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]党がやたら出てきて、当時のワイマール共和国に対し、度々審議拒否。しょうがない、この際ナチス党にやらしたらどうだといって、ああいうことになった」と発言した。民主党の鳩山幹事長は、「民主党が政権をとったらナチスのような政治を行うかのような印象を与えかねない発言だ」などと強く反発し、抗議した。後に麻生は「民主党をナチスに例えたわけではない」と釈明した。 |
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* [[2008年]]9月、『(認証式のために)陛下の日程をあけておけ』と首相でない麻生が宮内庁に指示を出した<ref>週刊現代第50巻第35号、[[2008年]][[9月20日]]</ref>。 |
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* 2008年[[9月14日]]、JR[[名古屋駅]]前での[[2008年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]候補としての街頭演説の中で、前月に[[岡崎市]]など[[愛知県]]内で3人の死者を出した[[平成20年8月末豪雨]]に関して、「岡崎の豪雨は1時間に140ミリだった。[[安城市|安城]]や岡崎だったからいいけど、名古屋で同じことが起きたら、この辺全部洪水よ」と対策の不十分さに言及したが、これに対し被災地域を軽視しているとして岡崎・安城の両市と岡崎市議会は麻生側に抗議文を郵送<ref>[http://www.chunichi.co.jp/article/politics/news/CK2008091602000068.html 「豪雨、岡崎だったからいいけど」麻生氏、名古屋駅前の演説で発言]『[[中日新聞]]』2008年9月16日</ref><ref>[http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20080917/CK2008091702000040.html 「豪雨が安城や岡崎だったからいいけど」 麻生氏失言 怒り渦巻く]『中日新聞』2008年9月17日閲覧</ref>。同17日、麻生側は「不用意な発言で不快な思いをさせたことをお詫びし、復旧についてできる限りのことをする」との趣旨の謝罪文を、岡崎・安城の両市に送付した<ref>[http://www.asahi.com/politics/update/0917/NGY200809170001.html 麻生氏から岡崎市に謝罪文 豪雨めぐる発言で]『朝日新聞』2008年9月17日閲覧</ref>。 |
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==== 野中広務に対する「部落差別発言」 ==== |
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* [[2007年]][[7月19日]]、[[富山県]][[高岡市]]内で講演会において、国内外の米価を比較する例えとして「7万8000円と1万6000円はどちらが高いか。[[アルツハイマー型痴呆|アルツハイマー]]の人でもわかる」と発言。これについては野党からの反発はもちろん、与党からも[[第21回参議院議員通常選挙|参院選]]に悪影響だと懸念され、[[塩崎恭久]][[内閣官房長官]]からも「適格性を欠く」と批判された。翌[[7月20日]]に謝罪したうえで撤回した<ref>「麻生外相が陳謝――アルツハイマー発言」『[[朝日新聞社]]』[[朝日新聞社|朝日新聞]]東京本社、[[2007年]][[7月21日]]、34面。</ref>。 |
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麻生が大勇会の会合において[[被差別部落]]出身の[[野中広務]]に対する差別発言を行ったことを会合の出席者から聞いたとして、野中が[[自民党総務会]]等でこの発言を強く批判した<ref>[[魚住昭]]『[[野中広務]] 差別と権力』</ref><ref>[[角岡伸彦]]『はじめての[[部落問題]]』</ref>。麻生は発言を否定している。 |
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{{See|野中広務#麻生太郎への批判}} |
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* [[2007年]][[7月20日]]、アルツハイマー発言の翌日に[[鳥取県]][[倉吉市]]での[[演説]]で「[[酒]]は『[[きちがい]]水』だとか何とか皆言うもんだから、勢いとかいろんなことありますよ」と発言した。<ref>『[[毎日新聞]]』 2007年7月20日</ref>。 |
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=== その他の発言 === |
=== その他の発言 === |
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* 2007年[[10月6日]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列の情報番組である[[ハッケン!!]]でのインタビューで「[[2ちゃんねる]]に時々書き込みをしている。新聞より核心を突いてくる」と公言。これ |
* 2007年[[10月6日]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列の情報番組である[[ハッケン!!]]でのインタビューで「[[2ちゃんねる]]に時々書き込みをしている。新聞より核心を突いてくる」と公言。これは2ちゃんねるユーザーの間でも話題になった<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/071006/stt0710062210004-n1.htm 麻生太郎氏「2ちゃん、時々書き込む」]『 [[産経新聞]]』</ref>。 |
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* [[谷垣禎一]]前財務相との「[[安倍晋三]][[内閣総理大臣|首相]]に歯向かっても何もできない。だからオレと組め。その代わり、オレに総理を先にやらせろ」という会話があったと谷垣が述べたが、麻生はこれに対し、「こっちはまだ回答をもらっておらず、そういうこと(会話内容)を全然関係ないところでしゃべって、マナーとしていかがなもんか」と述べた<ref>{{cite web|url=http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/gaisho/g_0701.html#2-E|title=外務大臣会見記録(平成19年1月)|author=外務省|date=2007-01-16|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}</ref>。 |
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* 2008年2月、中国製ギョーザによる中毒問題に関連し熊本市での講演で、「日本の農産物に付加価値がついた」「(日本の)農産物、高いけど、うまい、きれい、加えて安全、3つきたんじゃないの? 農協は中国に感謝しないといけない。ものすごく付加価値がついた」と発言した。 |
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* 「治安の良さは日本のブランド」としており、日本は世界的に治安が良い国という認識を持っている。街頭演説でも同様の主張を行った。 |
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* 2008年8月、国会審議で民主党の協力が得られず、支持率も低迷し行き詰っていた福田康夫首相は内閣改造を行い、福田政権発足時には入閣・党役員就任を固辞していた麻生も、党の危機であることから幹事長に就任した([[福田康夫内閣改造内閣]])。4日、[[江田五月]]参議院議長を表敬訪問し、ドイツで[[ヴァイマル共和政#世界恐慌と共和政の崩壊|ヴァイマル共和政]]末期に政治不信がつのり[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]が台頭した経緯に触れ危機感を示すことで、国会審議に復帰するよう民主党を牽制した。議長は麻生の悲観的な見通しを否定し、互いにそうならないようにしなければならないと返した<ref>{{Cite web | date=2008-08-04 | url=http://www.jiji.com/jc/zc?k=200808/2008080400890&rel=y&g=pol | title=「自民・麻生氏、ナチス引用し審議促す=「民主を冒涜」鳩山氏反発」 | work=[http://www.jiji.com/ 時事ドットコム] | publisher=時事通信 | accessdate=2008-10-13 }}</ref><ref>{{Cite web | date=2008-08-04 | url=http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20080804-391810.html | title=「麻生幹事長が民主をナチスに例えた?」 | work=[http://www.nikkansports.com/ nikkansports.com] | publisher=日刊スポーツ | accessdate=2008-10-13 }} この会談において「かつてドイツはナチスに1回(政権を)やらせようとなって、ああいうことになった」と述べたことについて、民主党政権がナチス・ドイツのように横暴極まりないという印象を与えかねないとして、民主党幹事長の鳩山由紀夫が撤回を求めた。</ref>。 |
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* 2008年[[9月16日]]、自民党総裁選で麻生以下5人の候補は、公開討論会でそれぞれ自己分析を披露した。その際に麻生は「ひと言多いこと」と発言した。 |
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* 「治安の良さは日本のブランド」としており、日本は世界的に治安が良い国であるという認識を持っている。街頭演説でも同様の主張を行った。 |
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* 「総理公邸に入るのは |
* 2008年9月、「[[総理大臣公邸]]に入居するのは[[解散総選挙]]を行った後」とし、現在も自宅から通勤を行なっている。総理が自宅から官邸へ通勤するのは、[[宮沢喜一]]元首相依頼、15年ぶりのことである。 |
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* 2008年の[[国連総会]]での演説後、記者団に対して、[[集団的自衛権]]を「行使できるようにすべき」とし、[[憲法改正]]も必要との認識を主張した。 |
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== 略歴 == |
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* [[1940年]]9月 - [[福岡県]][[飯塚市]]に生まれる。麻生塾小学校(現在は閉校)を経て、小学3年生の頃に上京し、学習院初等科に編入する。 |
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* [[1959年]]3月 - [[学習院高等科]]卒業。 |
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* [[1963年]]3月 - [[学習院大学]][[政治経済学部|政経学部]]政治学科[[卒業]]。 |
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* 1963年4月 - [[スタンフォード大学]]に[[留学]]。 |
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* [[1965年]] - [[ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス]]に留学。 |
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* [[1966年]]8月 - 麻生産業株式会社に入社。 |
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* 1966年11月 - 麻生産業株式会社の[[取締役]]に就任。 |
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* [[1973年]]5月 - 麻生セメント株式会社の[[代表取締役]]社長(1979年12月まで)。 |
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* [[1976年]]7月 - [[モントリオールオリンピック]]に日本代表として出場。 |
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* [[1978年]]1月 - [[社団法人]][[青年会議所|日本青年会議所]]の会頭に就任(1978年12月まで)。 |
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* [[1979年]]10月 - [[第35回衆議院議員総選挙]]に(旧福岡2区、現福岡8区)から出馬し初当選。 |
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* [[1983年]]11月 - [[鈴木善幸]]元首相の三女千賀子と[[結婚]]、後に一男一女をもうける。 |
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* [[1983年]]12月 - [[第37回衆議院議員総選挙]]で3期目の当選を目指したが落選。 |
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* [[1986年]]7月 - [[第38回衆議院議員総選挙]]で返り咲き当選(3期目)。以降[[第44回衆議院議員総選挙|第44回]]まで6回連続当選。 |
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* [[1988年]]12月 - 文部[[政務次官]]に就任([[1989年]]6月まで)。 |
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* [[1990年]]3月 - 自民党の文教部会長に就任(1990年12月まで)。 |
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* [[1991年]]1月 - 衆議院石炭対策特別委員長に就任(1991年11月まで)。 |
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* 1991年11月 - 衆議院外務委員長に就任(1993年5月まで)。 |
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* [[1992年]]12月 - 党外交部会長(1993年8月まで)。 |
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* [[1996年]]11月 - [[経済企画庁]][[長官]]に就任(1997年9月まで)。 |
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* 1999年3月 - 党副幹事長に就任(1999年11月まで)。 |
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* [[2001年]]1月 - [[経済財政政策担当大臣]]に就任(2001年4月まで)。 |
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* 2001年4月 - 党[[自由民主党政務調査会#政務調査会長|政務調査会長]](2003年9月まで)。 |
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* [[2003年]]9月 - [[総務大臣]]に就任。 |
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* 2003年11月 - 総務大臣に再任。 |
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* [[2004年]]9月 - 国民スポーツ担当を併任。 |
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* [[2005年]]10月 - [[外務大臣 (日本)|外務大臣]]に就任。 |
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* 2006年9月 - 外務大臣に再任。 |
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* 2006年12月 - [[為公会]](麻生派)を設立し、会長に就任。 |
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* [[2007年]]3月20日 - 在職25年となり永年在職議員表彰を受ける。 |
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* 2007年8月27日 - [[安倍改造内閣]]において[[自由民主党幹事長|自民党幹事長]]に就任。 |
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* [[2008年]][[8月1日]] - [[福田改造内閣]]において再び自民党幹事長に就任。 |
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* 2008年[[8月10日]] - [[日本バスケットボール協会]][[会長]]に就任。 |
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* 2008年[[9月2日]] - [[福田康夫]]首相の辞任表明に基づく[[自民党総裁選]]に立候補。 |
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* 2008年[[9月22日]] - 第23代自民党総裁に就任。 |
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* 2008年[[9月24日]] - 第92代内閣総理大臣に就任。[[麻生内閣]]組閣。 |
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== 主な役職等 == |
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* [[日本クレー射撃協会|社団法人日本クレー射撃協会]][[会長]] |
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* [[日韓議員連盟]]副会長 |
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* [[日韓トンネル研究会]]九州支部顧問 |
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* [[北京オリンピックを支援する議員の会]] |
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* [[日本オリンピアンズ協会]]顧問 |
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* [[日本バスケットボール協会]]会長 |
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== 家系 == |
== 家系 == |
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* 麻生家は、[[宇都宮氏]]の流れを汲む[[麻生氏]]の一族とされている。麻生家の名前の由来をたどると、先祖が遠賀郡麻生郷に花の屋敷を築いた縁からその地名をとり麻生姓を名乗ったという<ref>{{cite web|url=http://www.aso-group.jp/history/100years_03.html|title=麻生百年史(麻生グループ)|author=麻生グループ|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}</ref>。[[江戸時代]]には[[村]]の[[庄屋]]を務め、[[1868年]]大[[庄屋]]となった。[[明治]]の始め曾祖父・[[麻生太吉]]が目尾御用炭山を採掘し[[石炭]]産業に着手、九州三大石炭[[財閥]]の一つに伸し上がり[[鉄道]]、電力、[[金融]]等幅広く事業を展開して大富豪となった。戦後麻生炭鉱は[[吉田茂]]の資金源となった。 |
* 麻生家は、[[宇都宮氏]]の流れを汲む[[麻生氏]]の一族とされている。麻生家の名前の由来をたどると、先祖が[[遠賀郡]]麻生郷に花の屋敷を築いた縁からその地名をとり麻生姓を名乗ったという<ref>{{cite web|url=http://www.aso-group.jp/history/100years_03.html|title=麻生百年史(麻生グループ)|author=麻生グループ|accessdate=10月6日|accessyear=2007年}}</ref>。[[江戸時代]]には[[村]]の[[庄屋]]を務め、[[1868年]]大[[庄屋]]となった。[[明治]]の始め曾祖父・[[麻生太吉]]が目尾御用炭山を採掘し[[石炭]]産業に着手、九州三大石炭[[財閥]]の一つに伸し上がり[[鉄道]]、電力、[[金融]]等幅広く事業を展開して大富豪となった。戦後麻生炭鉱は[[吉田茂]]の資金源となった。 |
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* [[吉田茂]]元[[首相]]は祖父、[[加納久朗]]子爵は祖母・夏子の兄。[[牧野伸顕]]伯爵、自由民権運動の闘士[[竹内綱]]は曽祖父、[[明治]]の元勲[[大久保利通]]、[[三島通庸]]子爵は高祖父にあたる。妻は[[鈴木善幸]]元首相の三女。夫人との間に1男1女あり。弟・泰の妻は元・[[日本医師会]]会長[[武見太郎]]の娘。妹・[[寛仁親王妃信子|信子]]は[[寛仁親王|寬仁親王]]妃。従兄弟に[[キャプテン・フューチャー]]の翻訳者として知られるSF作家の[[野田昌宏]]がいる。 |
* [[吉田茂]]元[[首相]]は祖父、[[加納久朗]][[子爵]]は祖母・夏子の兄で[[立花宗茂]]の弟・[[立花直次]]の子孫に当たる。[[牧野伸顕]][[伯爵]]、[[自由民権運動]]の闘士[[竹内綱]]は曽祖父、[[明治]]の元勲[[大久保利通]]、自由民権運動の弾圧で知られる[[三島通庸]]子爵は高祖父にあたる。妻は[[鈴木善幸]]元首相の三女。夫人との間に1男1女あり、いずれも2007年3月の段階で大学生。弟・泰の妻は元・[[日本医師会]]会長[[武見太郎]]の娘。妹・[[寛仁親王妃信子|信子]]は[[寛仁親王|寬仁親王]]妃。従兄弟に[[キャプテン・フューチャー]]の翻訳者として知られるSF作家の[[野田昌宏]]がいる。 |
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* [[文芸]]・[[野球]][[評論家]]の[[大井廣介]]は本名を麻生賀一郎といい、麻生太賀吉に対しては[[いとこ|従兄弟]]にあたる。 |
* [[文芸]]・[[野球]][[評論家]]の[[大井廣介]]は本名を麻生賀一郎といい、麻生太賀吉に対しては[[いとこ|従兄弟]]にあたる。また[[明治天皇]]の落胤を名乗った日本画家[[橘天敬]]は太賀吉のいとこの夫である。 |
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* [[橋本龍太郎]]元首相は遠縁の親戚(麻生の祖母夏子の兄[[加納久朗]]の孫久美子が龍太郎の妻)。 |
* [[橋本龍太郎]]元首相は遠縁の親戚(麻生の祖母夏子の兄[[加納久朗]]の孫久美子が龍太郎の妻)。 |
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* [[安倍晋三]]元首相は遠縁の親戚(麻生の祖父[[吉田茂]]の長女桜子の夫・吉田寛が[[岸信介]]元首相の[[いとこ]]となるため)。 |
* [[安倍晋三]]元首相は遠縁の親戚(麻生の祖父[[吉田茂]]の長女桜子の夫・吉田寛が[[岸信介]]元首相の[[いとこ]]となるため)。 |
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宮澤喜一元首相は遠縁の親戚(妻の兄弟の鈴木俊一の妻が宮澤喜一のいとことなるため)この宮澤家は[[ブリヂストン]]の石橋家と親戚でこの石橋家を通して鳩山家ともつながる。 |
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* なお、外務大臣に関して述べるならば、牧野・吉田はいずれも外務大臣経験者であり、[[世襲]]が多い日本の政界でも極めてまれなケースである。 |
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* なお、外務大臣に関して述べるならば、牧野・吉田はいずれも外務大臣経験者であり、[[世襲政治家]]が多い日本の政界でも極めてまれなケースである。 |
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== 関連項目 == |
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* [[麻生包囲網]] |
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* [[日本国政府専用機]] |
* [[日本国政府専用機]](小型の政府専用機導入を提案) |
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* [[福岡県出身の人物一覧]] |
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* [[射撃選手一覧]] |
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* [[保守]] |
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* [[伝統と創造の会]] |
* [[伝統と創造の会]](会長[[稲田朋美]]、幹事長[[薗浦健太郎]]) |
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== 参考文献 == |
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* 麻生太郎 『自民党の智恵』麻生太郎・[[伊吹文明]][他]共著、[[シンクタンク2005・日本]]編集、[[成甲書房]]、[[2008年]]1月 ISBN 978-4880862279 |
* 麻生太郎 『自民党の智恵』麻生太郎・[[伊吹文明]][他]共著、[[シンクタンク2005・日本]]編集、[[成甲書房]]、[[2008年]]1月 ISBN 978-4880862279 |
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* 麻生太郎 『「国力」会議』麻生太郎・[[石破茂]]・[[平沼赳夫]]・[[与謝野馨]]・[[浜田和幸]]共著、[[祥伝社]]、2008年4月 ISBN 978-4396613075 |
* 麻生太郎 『「国力」会議』麻生太郎・[[石破茂]]・[[平沼赳夫]]・[[与謝野馨]]・[[浜田和幸]]共著、[[祥伝社]]、2008年4月 ISBN 978-4396613075 |
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* [[新川典弘]] 『太郎さんの秘密 明解「麻生太郎」の基礎知識』 [[集英社]] 2008年10月10日 ISBN 978-4-420-31026-0 |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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{{Commonscat|Taro Aso}} |
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* [http://www.aso-taro.jp/ 麻生太郎公式ウェブサイト] |
* [http://www.aso-taro.jp/ 麻生太郎公式ウェブサイト] |
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* [http://www.aso-group.jp/index.php 「麻生グループ」公式ウェブサイト]) |
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* [http://jp.youtube.com/junmatsumoto031109 松本純Channel](Youtube) |
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* [http://www.aso-group.jp/index.php 「麻生グループ」公式ウェブサイト]) |
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* [http://hasiru.net/~maekawa/mine/aso/kotori.html 麻生鉱業の小鳥塚]([http://hasiru.net/~maekawa/mine/index.html 日本の鉱山]) |
* [http://hasiru.net/~maekawa/mine/aso/kotori.html 麻生鉱業の小鳥塚]([http://hasiru.net/~maekawa/mine/index.html 日本の鉱山]) |
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* [http://www.soumu.go.jp/daijin/aso.html 麻生太郎 略歴] |
* [http://www.soumu.go.jp/daijin/aso.html 麻生太郎 略歴] |
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* [http://naigai.cside6.com/kiji/tokyokouen/asou.t2.htm 講演] |
* [http://naigai.cside6.com/kiji/tokyokouen/asou.t2.htm 講演] |
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* [http://www.tv.janjan.jp/movie/election/fussa_shichosen_gaito/elaso_v_01_2.php 『ザ・選挙』応援演説の映像(2008年5月福生市長選)] |
* [http://www.tv.janjan.jp/movie/election/fussa_shichosen_gaito/elaso_v_01_2.php 『ザ・選挙』応援演説の映像(2008年5月福生市長選)] |
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* [http://asianbeat.com/ja/selection/selection_20080909_172751.html 『MANGA』を語る] |
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* [[BBCニュース|BBC News]] : [http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/6992661.stm Profile: Taro Aso] (06:52 GMT, Monday, 22 September 2008 07:52) |
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{{日本国歴代内閣総理大臣 |
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|当代=[[麻生内閣|92]] |
|当代=[[麻生内閣|92]] |
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|在任期間=2008年 - |
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2008年10月14日 (火) 06:55時点における版
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生年月日 |
麻生 太郎(あそう たろう、1940年(昭和15年)9月20日 - )は、日本の政治家、実業家。自由民主党総裁(第23代)。内閣総理大臣(第92代)。衆議院議員(9期)。為公会(麻生派)会長。身長175cm、血液型A型。
経済企画庁長官(第53代)、内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)(第2代)、総務大臣(第3・4・5代)、外務大臣(第137・138代)や、自由民主党政務調査会長、自由民主党幹事長を歴任。
モントリオールオリンピッククレー射撃(クレー・スキート競技)日本代表[1](41位)。元麻生セメント代表取締役社長。
経歴
1940年、福岡県飯塚市に麻生太賀吉と和子の長男として生まれる[2]。麻生塾小学校(現在は閉校)を経て、小学3年生の頃、上京し学習院初等科に編入する[3]。
1963年に学習院大学政治経済学部を卒業。その後、スタンフォード大学大学院、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)に留学する。帰国後の1966年に家業の麻生産業(現:麻生セメント)に入社し、1973年に同社代表取締役社長に就任。炭鉱業からセメント業への転換を成功させた。なお、麻生産業時代にブラジルのサンパウロ市に1年近く駐在していた事もある[4]。また、社長業の傍らで1976年のモントリオールオリンピックにクレー射撃の日本代表選手として出場(結果は41位)している。
1979年10月、第35回衆議院議員総選挙に(旧福岡2区、現:福岡県第8区)から出馬。初当選を果たし政界入りする。第36回衆議院議員総選挙でも当選するが、続く第37回衆議院議員総選挙では落選。しかし第38回衆議院議員総選挙で当選し返り咲きを果たす。その後現在まで連続当選を果たしている。
1996年に第2次橋本内閣の経済企画庁長官に就任し、初入閣。
1999年1月、党内で長年所属した宏池会を離脱し、元総裁河野洋平を会長に大勇会(現在の為公会、通称”麻生派”)旗揚げ。
2001年4月、自民党総裁選に出馬し小泉純一郎元郵政相、橋本龍太郎元首相と戦い31票で3位。その後発足した小泉政権では党政務調査会長を務め、2003年9月からは総務大臣として入閣した。
2006年9月、「ポスト小泉」を決める自民党総裁選に立候補するも安倍晋三内閣官房長官に破れ次点で落選(安倍:464票 麻生:136票 谷垣禎一:102票)。
2007年3月20日、衆議院議員在職25年を迎え衆議院より院議をもって表彰された。
2007年9月、自民党総裁選に立候補する。党員票では福田康夫元官房長官を僅差で上回るも133票差で敗れる(福田:330票 麻生:197票)。この総裁選で麻生は出馬した3度の総裁選全てで清和会(清和政策研究会)の候補に敗れたことになる。
2008年9月、自民党総裁選に4度目の立候補をし351票を獲得。自由民主党総裁に就任する。
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政治的主張
経済
道路整備などを主に主張する[1]エコノミストのリチャード・クーが「経済政策の理論的支柱」として麻生の財政出動を中心とする政策作りに協力している[5]。
定額減税や公共事業を中心とする財政出動に積極的な意向を示しており、財政健全化よりも景気対策の優先を提唱している[6]。2008年になっては、財政健全化を目指した小泉政権の構造改革路線の推進を否定し、「基礎的財政収支(プライマリーバランス)の11年度黒字化目標」の延期に言及している[7]。
消費税の増税に関しては、「もはや、広く薄い負担を税制に追加していくとしたら消費税しかない」[8]として消費税増税を示唆しつつも、2008年9月には「消費税増税を早期に行えば、著しく景気を冷やす」として増税には消極的な態度に変わっている。しかしながら、2011年以降に10%の消費税を導入する意向を示している[9]。
首都圏と地方の間の格差問題については、「地方の自立には、きちんと財政出動をやって、道路、交通網を整備しないといけない」として地方経済振興の為に公共事業が必要との考えを示している[10]。また、「(地方の)医療、介護が一番しんどいのではないか。病院をつくるより病院と結ぶ道路を造った方が安い」と述べ、道路を建設することにより地方の医療が向上するとの考えを示している[11]。
外交・安全保障
外務大臣時代に、当時のブッシュ政権の中心にいた旧左翼からの転向派であるネオコン(新保守主義者)の考え方と非常に近い、自由と民主主義、法の支配、市場経済を重視する「価値の外交」(価値観外交)と、同じ価値観を持った国家と連帯する「自由と繁栄の弧」を唱えた。
2007年1月26日、第166回通常国会衆議院本会議の外交に関する演説において「近隣諸国に目を転じますと、まず中国との間には、1日1万人以上、年間400万人を超す相互の往来があり、経済関係がとみに緊密な現状を物語っています。本年も政治と経済の両輪を力強く回します。 共通の戦略的利益に立脚した、互恵関係を築いてまいります」「日本と韓国は、互いにとって最も近く、基本的価値を共にする大切な民主主義国同士であります。そのような間柄にふさわしい、未来志向の関係を打ち立てます」「ODAは、我が国外交の重要な手段であります。国際社会の一員としての責務を果たし、かつ、自らの繁栄を確保していくために、ODAを一層戦略的に実施します。「自由と繁栄の弧」形成のためにも、ODAを活用していきます。そのうえで、ODA事業量の100億ドルの積み増し、また対アフリカODAの倍増など、対外公約を達成すべく努めてまいります」と述べた[12]。
2007年2月3日、京都市内の講演で「ドンパチが終わった後が大変だというのがイラクで分かった。(イラク戦争においてアメリカがイラクを)占領した後のオペレーションは非常に幼稚」とアメリカのイラク政策を批判した。
韓国に対しては、2005年12月25日の韓国の大手メディアである中央日報のインタビューで、「韓国に一年に2度ずつ計40-50回ほど行っているが、私が知っているかぎり今の両国関係が最も良いのではないかと思う。それは韓国の生活水準が良くなり、自信をつけているためと思われる。サムスンだけでなく、韓国製品が非常に良くなった」と発言している。また、韓国人徴用者を強制労働させていた麻生炭鉱の調査については、「戦争前の話はよく知らないが、そういう資料が残っていれば提供する」と話した[2]。
台湾に対しては、2006年3月9日、参院予算委員会で、「民主主義が成熟し、経済面でも自由主義を信奉する法治国家であり、日本と価値観を共有する国」と発言。台湾のメディアでは「日本の外相が『台湾は国家』と発言」と報道された。
- 北方領土
2006年12月13日の衆院外務委員会において、北方領土問題を解決するために北方4島(択捉、国後、色丹、歯舞)全体の面積を2等分して、半分をロシアに譲ることにより解決を目指す考えを示した[13]。これは海部俊樹元首相から「北方領土の返還は党是だ。党の基本問題として守るべきものは守ってきちっとやってほしい」と批判された。
- 核武装
2006年10月、中川昭一自民党政調会会長が核武装も選択肢として考えておくべきだと発言したのに対し、「隣の国が持つとなった時に、一つの考え方としていろいろな議論をしておくことは大事だ」「日本は言論統制された国ではない。言論の自由を封殺するということに与しないという以上に明確な答えはない」と発言した(本人は非核三原則を堅持すると明言はしている)。この発言が原因で12月に民主党 、社民党 、共産党など野党4党から外相としての不信任決議案を提出された。
- 憲法改正
2008年9月の国連総会での演説後。自衛隊の集団的自衛権の行使について「できるようにすべき」と憲法改正もある程度は必要との認識を持っている。
歴史認識
日本統治時代の朝鮮・台湾に対しては肯定的側面もあったとする発言をしている。2003年5月31日、東京大学学園祭において「創氏改名は朝鮮人が望んだ」(満州や日本国内で経済活動をする上で朝鮮名が不利な場合があったという文脈での発言)、「日本はハングル普及に貢献した」と述べた(当該項目も参照)。また、2006年2月4日の福岡市での講演において、日本が植民地台湾の義務教育に力を入れたと指摘した上で「台湾はものすごく教育水準が上がって識字率などが向上したおかげで今極めて教育水準が高い国であるが故に、今の時代に追いつけている」「我々の先輩はやっぱりちゃんとしたことをやっとるなと正直そのとき思った」と述べた。
2007年2月19日、衆議院予算委員会において米下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難決議案にある「日本軍による強制的な性奴隷化」といった記述について、「客観的な事実にまったく基づいていない。はなはだ遺憾だ」と述べた[14]。
2007年3月21日、長崎県時津町で講演。日本独自の中東和平外交として、ヨルダン渓谷の開発を進める「平和と繁栄の回廊」構想に触れ、「米国人にできないことを日本がやっている。日本人というのは信用がある。青い目で金髪だったら多分駄目よ」と述べた。「われわれは幸いにして黄色い顔をしている。そこ(中東)で搾取をしてきたとか、ドンパチ、機関銃撃ったとか一回もない」と語った。
2006年5月26日、アジア各国の政府首脳や経済界リーダーを招いた国際交流会議「アジアの未来」において「近代の生んだ毒......。それはすなわち『国民国家』であり、『自民族中心主義』という意味に規定される『ナショナリズム』でした。この2つは、地図に黒々と、太い国境を引く思想でした。また時として、その国境を外へ外へ、無理やりにでも広げていくのをよしとする考えでした。(中略) 他人(ひと)のことは言いますまい。日本人は一度、国民国家とナショナリズムという、強い酒をしたたかにあおった経験があります。皆さんこれからのアジアは、国民国家の枠、ナショナリズムの罠に絡め取られるようではいけません」と述べた[15]。
2008年10月2日には日本の過去のアジア支配に対する反省と謝罪を明確にした「村山談話」について、「いわゆる村山談話と17年8月15日の小泉純一郎首相の談話は、先の大戦をめぐる政府としての認識を示すものであり、私の内閣においても引き継いでいく」として麻生内閣でも、明確に堅持する方針を示した。[16]
靖国神社問題
政治家の靖国神社参拝問題については、政教分離が問われるなど一番の問題は靖国神社が宗教法人であることだとしており、2006年の総裁選では総理になった場合に靖国神社を非宗教法人化、すなわち国が関与できる特殊法人へ移行し、国立追悼施にすることを公約に掲げた。2008年10月にも「神社という名前が問題なら、靖国廟でも招魂社でもいろんな形がある。」として、非宗教法人化を支持する姿勢を示している。[17]
2006年には、「首相になった際には靖国参拝を自粛する」という考えを示していた[18]。2008年に首相に就任した直後には「行くとも行かないとも答えることはない」として曖昧な姿勢を見せている。[19]外交問題に飛び火した小泉首相の参拝について「中国が(参拝を中断しろと)言えば言うほど行かざるを得ない」とし、「これはタバコを吸うなと言うと吸いたくなるのと同じだ」と述べた。麻生本人は外相在任当時、外務大臣は個人ではないという理由で靖国神社には参拝しなかった。
A級戦犯の分祀については、「靖国神社に戦死者でない人が祭られていることが非常に大きな問題点だ」「(首相の参拝について)他の国々、国内からいろいろ言われないよう、英霊から感謝されるような形で参拝できる制度を考えるべきだ」との見解を示している[20]が、靖国神社が宗教法人である限り政治の介入による分祀は厳に慎むべきであるとしている[21]。そのため、靖国問題の解決策に関しては、靖国神社の非宗教法人化を行い、国が関与できるようにしてA級戦犯を分祀することを「1つの方法」と発言し、「望ましい」として賛成している[22]。
2006年1月28日、名古屋で行われた公明党議員の会合で、「英霊は天皇陛下のために万歳と言ったのであり、首相万歳と言ったのはゼロだ。天皇陛下が参拝なさるのが一番だ」と述べた。「(天皇が)公人か私人かという論議のため参拝できなくなったが、解決の答えはいくつかあるはず」と付け加えた。しかしながら、批判を浴びると「今の状況で天皇陛下に参拝していただきたいとは一切言ってない」と発言を修正し、釈明した[23]。
日本と韓国の緊張関係について、「両国が靖国問題にあまりにも執着しているのが最も大きな問題だ。 当分はマスコミが靖国問題を書かないのが一番よさそうだ。 問題をあおって増幅させた」との考えを表明している[3]。
2006年5月26日に都内のホテルで開かれた国際交流会議「アジアの未来」で講演し、「23日に自分がカタールで中韓の外相と会談したので関係改善の流れが出て来た」と発言。これに対して韓国産業資源部長官は、「アジア共同体形成に関して各国間合意は出来たが、韓中日の共同体構築努力が他地域に比べ足りない、原因は一部政治家の靖国参拝や歴史問題だ、ヨーロッパがいかにしてこれを克服したか考えて欲しい」と講演した[24]。
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人物
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cc/TaroAso.jpg)
人物像
- 名門一家に育ち、麻生財閥の元社長であるが、「首相の家庭なんて幸せなもんじゃねえ」「両親にほったらかしにされて育った」「生まれはいいが、育ちは悪い」と本人は語っている。
- 特徴はべらんめえ調の軽妙な語り口と毒舌も織り交ぜた発言で、街頭演説などで聴衆から人気を博した。しかし、過去には度重なる失言が指摘されたり、問題視されることがしばしばある。
- 自民党夢実現21世紀会議の議長を務め、「国づくりの夢実現検討委員会」を通じて日韓トンネルの実現に向けた政策提言を発表している。
- 2004年9月に、3年10か月の国民年金保険料未払い期間があったことが判明している。当時の民主党代表菅直人が「未納三兄弟」と呼称したうちの1人である(詳細は政治家の年金未納問題を参照のこと)。
信仰
クリスチャン(カトリック)である。靖国神社に参拝することもある(入閣している時はこれまで参拝してない)が、自身が神道ではなくクリスチャンということもあり、靖国神社の非宗教法人化を提唱している。終戦記念日の8月15日ではなく、例大祭に合わせて参拝することが多い(カトリックでは8月15日は聖母の被昇天という祭日であり、この日に祝いのミサがあるという事情もある)。
クールビズスタイルになってからノーネクタイのシャツの襟の下に見える金色の鎖は、10代から50年以上首にかけているカトリック信徒としての十字架の鎖部分である[25]。
漫画
読書が趣味。特に漫画好きであり、一部からは漫画文化のよき理解者として非常に人気が高い。自身のウェブサイトに掲載している『ビッグコミックオリジナル増刊』2003年7月2日号のインタビュー[26]によれば、自分の車内には常に最新の週刊コミック誌を置いているという。漫画好きであることは外国の首脳にも知られており、ポーランド外相からは、現地(ポーランド語)版の『犬夜叉』を寄贈されている[27]。
漫画好きであることを自身の政策や政治的主張に利用することも多く、2006年及び2007年の自民党総裁選とも秋葉原で街頭演説し、漫画を始めとした日本のソフトコンテンツ産業の対外競争力・影響力を評価し、日本人であることに自信を持つべきという趣旨の発言を行った。2007年5月22日には海外の漫画家を対象とした「国際漫画賞」を創立することを発表。「漫画のノーベル賞のようなものを作りたい」と述べている。同年5月30日からウィーンで開催された核拡散防止条約 (NPT) 運用検討会議の第1回準備委員会では、日本政府代表団が広島の被爆体験を描いた漫画『はだしのゲン』の英訳版を加盟国に配布することになったが、これは麻生の肝入りで実現したものである。外務省が英語版30冊を出版社から譲り受け、今後も「漫画外交」を活発に展開させることを予定している[28]。
羽田空港で『ローゼンメイデン』を読んでいたところを見たという2ちゃんねるの書き込みがインターネット上で話題となり、一部のオタク層から『ローゼン麻生』『ローゼン閣下』と呼ばれるようになった。2006年5月に行われたサブカルチャー雑誌『メカビ』Vol.1のインタビューにおいて『ローゼンメイデン』について、「少女コミックの割には、話が重厚にできている」と感心したことを述べているが、「羽田空港で読んでいたかどうかは覚えていない」としている[29]。だが、2008年2月18日のSMAP×SMAPにゲスト出演した際に質問され「空港で噂のローゼンメイデンが置いてあったので読んだ」と語り、さらに『英語でしゃべらナイト』では、「ああ、これが最近噂の…」と思ってパラパラとめくっていたところを週刊誌に激写されたと語った。なお、2008年度版の『現代用語の基礎知識』には「ローゼン麻生」という項目が収録されている。こうしたことから、秋葉原を中心にオタク層からの支持が高い。
ただし、全ての漫画に理解があるという訳ではなく、1989年 - 1991年に掛けての「有害コミック」騒動では、成人向け漫画を主とした「有害コミック」を規制する立場から1991年「子供向けポルノコミック等対策議員懇話会」を結成し、会長となり表現規制の旗振り役となった。
一方、『名探偵コナン』を使った外務省のPR冊子作成発表時に、『名探偵コネン』と読み間違えたり、その作者青山剛昌の名前を読めなかった。また、外相時にメキシコの日墨学院を訪問した際、在校生からメキシコで人気が高い漫画「るろうに剣心」について質問され、答えられない場面もあった。
2008年8月2日に死去した漫画家の赤塚不二夫について、「あの種のギャグ漫画の草分け的存在で『シェー』をはじめ、よく笑った」とコメントした[30]。
クレー射撃
大学時代からクレー射撃を始め、22歳の時全日本選手権を当時の日本新記録で優勝。1974年に行われた第2回メキシコ国際射撃大会に優勝。1976年のモントリオールオリンピック代表に選出される。
他党、支持団体との関係
公明党との関係
公明党と太いパイプを持つ蜜月関係で知られる[31]。麻生の2008年総裁選出馬表明直後には、公明党支持母体の創価学会婦人部を代表する浜四津敏子公明代表代行が異例のスピードで支持表明をし、麻生が総裁選で優位となる流れを作り話題となった[32]。その後、2008年8月11日にまだ自民党総裁が決まってない段階で、公明党の北側一雄幹事長も「日本の未来を考えたときにリーダーは明るさが必要だ」として他党の総裁選にも係わらず、明確な支持を表明している[4]。
統一教会との関係
勝共推進議員の一人であり、国際勝共連合から送り込まれた一人の統一教会(世界基督教統一神霊協会)信者を秘書として受け入れ、1988年の勝共推進議員教育報告書や1988年の統一教会総支部活動報告書にも名前を連ね、統一教会支部結成貢献ランクは「B」と評価されていた、などと一部メディアにおいて報道されたが[33]、本人は週刊誌の取材に対し、統一教会との関係を全面否定している。
献金
麻生グループ関連会社「麻生」(福岡県飯塚市)から、2002年4月30日付で麻生が支部長を務める自民党支部が総額650万円の政治献金を受けていた。前年度中に「麻生」は国から補助金1458万円を交付されており政治資金規正法違反の疑いを指摘された。同社は県から間接的に受給していたので問題ないとの認識であった。報道後に同社は返金を求めることを表明した[34][35]。
道路特定財源を資金源とする道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けていた。
山田洋行から献金を受けていた政治家の実名リストに名前が載っていたと報道されている。これに対して麻生の事務所側は「現在、調査中」とコメントしている[36]。
発言
問題となった発言
- 衆議院選挙に初出馬した1979年の演説で登壇して開口一番、支援者に対して「下々の皆さん」と発言した。また、当選後に「将来の総理大臣」というマスコミに対して「年寄り代議士が何人か死ねばね」と応えている[37]。
- 1983年2月9日、高知県議選の応援演説にて「東京で美濃部革新都政が誕生したのは婦人が美濃部スマイルに投票したのであって、婦人に参政権を与えたのが最大の失敗だった」と、国が女性に参政権を与えている事を批判した[38]。
- 2003年10月20日にホームレスについて、「新宿のホームレスも警察が補導して新宿区役所が経営している収容所に入れたら、『ここは飯がまずい』と言って出て行く。豊かな時代なんだって。ホームレスも糖尿病という時代ですから」と発言し、事実に反する上に差別的であるとして各地の日雇い労働者および野宿者支援組織などから抗議を受けたが[39]、翌日の会見で改めて趣旨を説明し[40]、撤回等はしていない。
- 総務大臣在任中の2005年10月15日、この日に開館した九州国立博物館の開館記念式典での来賓祝辞の中で「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」と発言。同博物館は選挙区は異なるものの麻生の地元である福岡県内にあり、しかもその展示内容は日本とアジアの交流の歴史から、文化の多様性を示すものである。
- 2006年1月9日、福岡県飯塚市で開いた集会で、シドニーで予定されていた日米豪閣僚級安全保障対話が延期されたことに関連し「シャロン首相の容態が極めて悪く、会議途中でそのままお葬式になると意味がないので延期ということになった」と述べ、配慮を欠くとの批判を浴びた。
- 2006年7月8日に広島市内で行なった講演で、北朝鮮がミサイルを撃ち、主要国が重大な関心を持ったことについて、「金正日に感謝しないといけないな」と発言した。
- 2007年7月19日、富山県高岡市内で講演会において、国内外の米価を比較する例えとして「7万8000円と1万6000円はどちらが高いか。アルツハイマーの人でもわかる」と発言。これについては野党からの反発はもちろん、与党からも参院選に悪影響だと懸念され、塩崎恭久内閣官房長官からも「適格性を欠く」と批判された。翌7月20日に謝罪した上、撤回した[41]。
- 2007年7月20日、アルツハイマー発言の翌日に鳥取県倉吉市での演説で「酒は『きちがい水』だとか何とか皆言うもんだから、勢いとかいろんなことありますよ」と発言した[42]。
- 2008年2月、中国製冷凍餃子中毒事件に関連し熊本市での講演で、「日本の農産物に付加価値がついた」「(日本の)農産物、高いけど、うまい、きれい、加えて安全、3つきたんじゃないの? 農協は中国に感謝しないといけない。ものすごく付加価値がついた」と発言した。
- 2008年8月4日、福田改造内閣組閣後に江田五月参議院議長と会談した際、民主党を批判した上で「1930年代、ドイツではナチス党がやたら出てきて、当時のワイマール共和国に対し、度々審議拒否。しょうがない、この際ナチス党にやらしたらどうだといって、ああいうことになった」と発言した。民主党の鳩山幹事長は、「民主党が政権をとったらナチスのような政治を行うかのような印象を与えかねない発言だ」などと強く反発し、抗議した。後に麻生は「民主党をナチスに例えたわけではない」と釈明した。
- 2008年9月、『(認証式のために)陛下の日程をあけておけ』と首相でない麻生が宮内庁に指示を出した[43]。
- 2008年9月14日、JR名古屋駅前での自民党総裁選候補としての街頭演説の中で、前月に岡崎市など愛知県内で3人の死者を出した平成20年8月末豪雨に関して、「岡崎の豪雨は1時間に140ミリだった。安城や岡崎だったからいいけど、名古屋で同じことが起きたら、この辺全部洪水よ」と対策の不十分さに言及したが、これに対し被災地域を軽視しているとして岡崎・安城の両市と岡崎市議会は麻生側に抗議文を郵送[44][45]。同17日、麻生側は「不用意な発言で不快な思いをさせたことをお詫びし、復旧についてできる限りのことをする」との趣旨の謝罪文を、岡崎・安城の両市に送付した[46]。
野中広務に対する「部落差別発言」
麻生が大勇会の会合において被差別部落出身の野中広務に対する差別発言を行ったことを会合の出席者から聞いたとして、野中が自民党総務会等でこの発言を強く批判した[47][48]。麻生は発言を否定している。
その他の発言
- 2007年10月6日、フジテレビ系列の情報番組であるハッケン!!でのインタビューで「2ちゃんねるに時々書き込みをしている。新聞より核心を突いてくる」と公言。これは2ちゃんねるユーザーの間でも話題になった[49]。
- 谷垣禎一前財務相との「安倍晋三首相に歯向かっても何もできない。だからオレと組め。その代わり、オレに総理を先にやらせろ」という会話があったと谷垣が述べたが、麻生はこれに対し、「こっちはまだ回答をもらっておらず、そういうこと(会話内容)を全然関係ないところでしゃべって、マナーとしていかがなもんか」と述べた[50]。
- 「治安の良さは日本のブランド」としており、日本は世界的に治安が良い国という認識を持っている。街頭演説でも同様の主張を行った。
- 2008年9月16日、自民党総裁選で麻生以下5人の候補は、公開討論会でそれぞれ自己分析を披露した。その際に麻生は「ひと言多いこと」と発言した。
- 2008年9月、「総理大臣公邸に入居するのは解散総選挙を行った後」とし、現在も自宅から通勤を行なっている。総理が自宅から官邸へ通勤するのは、宮沢喜一元首相依頼、15年ぶりのことである。
略歴
- 1940年9月 - 福岡県飯塚市に生まれる。麻生塾小学校(現在は閉校)を経て、小学3年生の頃に上京し、学習院初等科に編入する。
- 1959年3月 - 学習院高等科卒業。
- 1963年3月 - 学習院大学政経学部政治学科卒業。
- 1963年4月 - スタンフォード大学に留学。
- 1965年 - ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに留学。
- 1966年8月 - 麻生産業株式会社に入社。
- 1966年11月 - 麻生産業株式会社の取締役に就任。
- 1973年5月 - 麻生セメント株式会社の代表取締役社長(1979年12月まで)。
- 1976年7月 - モントリオールオリンピックに日本代表として出場。
- 1978年1月 - 社団法人日本青年会議所の会頭に就任(1978年12月まで)。
- 1979年10月 - 第35回衆議院議員総選挙に(旧福岡2区、現福岡8区)から出馬し初当選。
- 1983年11月 - 鈴木善幸元首相の三女千賀子と結婚、後に一男一女をもうける。
- 1983年12月 - 第37回衆議院議員総選挙で3期目の当選を目指したが落選。
- 1986年7月 - 第38回衆議院議員総選挙で返り咲き当選(3期目)。以降第44回まで6回連続当選。
- 1988年12月 - 文部政務次官に就任(1989年6月まで)。
- 1990年3月 - 自民党の文教部会長に就任(1990年12月まで)。
- 1991年1月 - 衆議院石炭対策特別委員長に就任(1991年11月まで)。
- 1991年11月 - 衆議院外務委員長に就任(1993年5月まで)。
- 1992年12月 - 党外交部会長(1993年8月まで)。
- 1996年11月 - 経済企画庁長官に就任(1997年9月まで)。
- 1999年3月 - 党副幹事長に就任(1999年11月まで)。
- 2001年1月 - 経済財政政策担当大臣に就任(2001年4月まで)。
- 2001年4月 - 党政務調査会長(2003年9月まで)。
- 2003年9月 - 総務大臣に就任。
- 2003年11月 - 総務大臣に再任。
- 2004年9月 - 国民スポーツ担当を併任。
- 2005年10月 - 外務大臣に就任。
- 2006年9月 - 外務大臣に再任。
- 2006年12月 - 為公会(麻生派)を設立し、会長に就任。
- 2007年3月20日 - 在職25年となり永年在職議員表彰を受ける。
- 2007年8月27日 - 安倍改造内閣において自民党幹事長に就任。
- 2008年8月1日 - 福田改造内閣において再び自民党幹事長に就任。
- 2008年8月10日 - 日本バスケットボール協会会長に就任。
- 2008年9月2日 - 福田康夫首相の辞任表明に基づく自民党総裁選に立候補。
- 2008年9月22日 - 第23代自民党総裁に就任。
- 2008年9月24日 - 第92代内閣総理大臣に就任。麻生内閣組閣。
主な役職等
- 社団法人日本クレー射撃協会会長
- 日韓議員連盟副会長
- 日韓トンネル研究会九州支部顧問
- 北京オリンピックを支援する議員の会
- 日本オリンピアンズ協会顧問
- 日本バスケットボール協会会長
家系
- 麻生家は、宇都宮氏の流れを汲む麻生氏の一族とされている。麻生家の名前の由来をたどると、先祖が遠賀郡麻生郷に花の屋敷を築いた縁からその地名をとり麻生姓を名乗ったという[51]。江戸時代には村の庄屋を務め、1868年大庄屋となった。明治の始め曾祖父・麻生太吉が目尾御用炭山を採掘し石炭産業に着手、九州三大石炭財閥の一つに伸し上がり鉄道、電力、金融等幅広く事業を展開して大富豪となった。戦後麻生炭鉱は吉田茂の資金源となった。
- 吉田茂元首相は祖父、加納久朗子爵は祖母・夏子の兄で立花宗茂の弟・立花直次の子孫に当たる。牧野伸顕伯爵、自由民権運動の闘士竹内綱は曽祖父、明治の元勲大久保利通、自由民権運動の弾圧で知られる三島通庸子爵は高祖父にあたる。妻は鈴木善幸元首相の三女。夫人との間に1男1女あり、いずれも2007年3月の段階で大学生。弟・泰の妻は元・日本医師会会長武見太郎の娘。妹・信子は寬仁親王妃。従兄弟にキャプテン・フューチャーの翻訳者として知られるSF作家の野田昌宏がいる。
- 文芸・野球評論家の大井廣介は本名を麻生賀一郎といい、麻生太賀吉に対しては従兄弟にあたる。また明治天皇の落胤を名乗った日本画家橘天敬は太賀吉のいとこの夫である。
- 橋本龍太郎元首相は遠縁の親戚(麻生の祖母夏子の兄加納久朗の孫久美子が龍太郎の妻)。
- 安倍晋三元首相は遠縁の親戚(麻生の祖父吉田茂の長女桜子の夫・吉田寛が岸信介元首相のいとことなるため)。
宮澤喜一元首相は遠縁の親戚(妻の兄弟の鈴木俊一の妻が宮澤喜一のいとことなるため)この宮澤家はブリヂストンの石橋家と親戚でこの石橋家を通して鳩山家ともつながる。
- なお、外務大臣に関して述べるならば、牧野・吉田はいずれも外務大臣経験者であり、世襲政治家が多い日本の政界でも極めてまれなケースである。
野田健三郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
野田宏一郎 (野田昌宏)ひらけ!ポンキッキの生みの親 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ツヤ子 | 鈴木俊一 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
鈴木善幸 (首相) | 千賀子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
加納久宜 | 加納久朗 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
夏子 | 麻生太郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
麻生太賀吉 | 麻生次郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
麻生賀郎 | 麻生太吉 | 麻生太郎 | 雪子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
和子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
竹内綱 | 吉田茂 (首相) | 吉田健一 | 相馬和胤 | (相馬家第33代当主 ミングオブジャパン社長) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
吉田正男 | 旦子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
雪子 | 江子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大久保利通 | 牧野伸顕 | 桜子 | 荒船清彦 | (駐スペイン大使) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
信子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三島通庸 | 峰子 | 彬子女王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
利武子 | 寬仁親王 | 瑶子女王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
麻生泰 (麻生社長) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
英子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
和子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
秋月種英 | 武見太郎 (日医会長) | 武見敬三 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
- ^ 麻生太郎オフィシャルサイト
- ^ 父方の祖父の名前もまた、“麻生太郎”である
- ^ 『麻生太郎の原点 祖父・吉田茂の流儀』 79-80頁
- ^ 麻生太郎外務大臣に聞く=日伯関係、百周年、デカセギ=本紙が単独インタビュー(ニッケイ新聞 2007年8月17日付け )
- ^ 『朝日新聞』 2008年8月23日
- ^ 2008/09/10 共同通信
- ^ 『毎日新聞』 2008年9月11日
- ^ 消費税論議、経済成長が前提(『夕刊フジ』連載 「日本の底力」 2007年10月26日)
- ^ 『日本経済新聞』 2008年9月14日
- ^ 『読売新聞』 2008年9月13日
- ^ 共同通信 2008年9月13日
- ^ 衆議院 (2007年1月26日). “第166回国会 本会議 第2号”. 10月6日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
- ^ 『読売新聞』2006年12月14日
- ^ 衆議院 (2007年2月19日). “第166回国会 予算委員会 第11号”. 10月6日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
- ^ 外務省 (2006年9月18日). “国際交流会議「アジアの未来」2006 麻生太郎外相スピーチ「ネットワーク型アジア」の未来を構想する(外務大臣演説)”. 10月6日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
- ^ 2008年10月2日毎日新聞
- ^ 2008/10/07時事通信
- ^ 『読売新聞』 2006年8月4日
- ^ 日本経済新聞 - 2008年10月7日
- ^ 時事通信2006年3月8日
- ^ 麻生太郎オフィシャルサイト 靖国に弥栄(いやさか)あれ
- ^ 『日本経済新聞』2008年9月15日
- ^ 共同通信 2006年1月31日
- ^ 『日本経済新聞』2006年5月26日夕刊
- ^ (側近の松本純議員がウェブサイトで説明している)
- ^ “麻生太郎 コミックを語る”. ビッグコミックオリジナル 増刊号 (2003年7月2日). 10月6日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
- ^ 自著『とてつもない日本』p.168(新潮新書、2007)
- ^ 時事通信、2007年4月29日
- ^ 麻生太郎著 『自由と繁栄の弧』 P.296~P.305 「やっぱり読んでいたんですね 直撃! ローゼンメイデン疑惑?」 (取材・構成 石塚良太) ISBN 9784344013339
- ^ “「よく笑った。残念」=赤塚不二夫さん死去で-自民・麻生幹事長”. 時事通信. (2008年8月2日)
- ^ http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0808/web-news0801-1.html
- ^ http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080903k0000m010069000c.html
- ^ 『週刊現代』1999年2月27日号
- ^ “補助金受け650万献金 麻生総務相関連会社”. 共同通信 (2004年8月6日). 2008年9月14日閲覧。
- ^ “違法ではないが返金受ける 麻生総務相関連会社”. 共同通信 (2004年8月6日). 2008年9月14日閲覧。
- ^ 夕刊フジ2007年11月22日
- ^ 週刊現代第50巻第23号、2008年6月21日
- ^ 新総裁 麻生氏 発言録 しんぶん赤旗
- ^ 新宿野宿労働者の生活・就労保障を求める連絡会議 (2003年10月29日). “麻生発言 新宿連絡会”. 10月6日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
- ^ 総務省 (2003年10月21日). “麻生総務大臣閣議後記者会見の概要”. 9月24日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
- ^ 「麻生外相が陳謝――アルツハイマー発言」『朝日新聞』2007年7月21日、34面。
- ^ 『毎日新聞』2007年7月20日
- ^ 週刊現代第50巻第35号、2008年9月20日
- ^ 「豪雨、岡崎だったからいいけど」麻生氏、名古屋駅前の演説で発言『中日新聞』2008年9月16日
- ^ 「豪雨が安城や岡崎だったからいいけど」 麻生氏失言 怒り渦巻く『中日新聞』2008年9月17日閲覧
- ^ 麻生氏から岡崎市に謝罪文 豪雨めぐる発言で『朝日新聞』2008年9月17日閲覧
- ^ 魚住昭『野中広務 差別と権力』
- ^ 角岡伸彦『はじめての部落問題』
- ^ 麻生太郎氏「2ちゃん、時々書き込む」『 産経新聞』
- ^ 外務省 (2007年1月16日). “外務大臣会見記録(平成19年1月)”. 10月6日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
- ^ 麻生グループ. “麻生百年史(麻生グループ)”. 10月6日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
関連項目
- 麻生内閣
- 麻生氏 - 宇都宮氏 - 筑豊御三家 * 宇都宮氏
- 麻垣康三
- 士志の会(古賀誠、平沼赳夫、高村正彦)
- 為公会
- 麻生包囲網
- 日本国政府専用機(小型の政府専用機導入を提案)
- 福岡県出身の人物一覧
- 射撃選手一覧
- 保守
- 伝統と創造の会(会長稲田朋美、幹事長薗浦健太郎)
参考文献
- 早川隆 『日本の上流社会と閨閥』 角川書店 1983年 224-227頁
- 広瀬隆 『私物国家 日本の黒幕の系図』 光文社 2000年 191、333頁
- 佐藤朝泰 『豪閥 地方豪族のネットワーク』 立風書房 2001年 451、500頁
- 神一行 『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』 角川書店2002年 31、42-44頁
- 魚住昭 『野中広務 差別と権力』 講談社 2004年06月29日 ISBN 4062123444
- 角岡伸彦 『はじめての部落問題』 文藝春秋 2005年11月20日 ISBN 4166604783
- 『メカビ Vol.01』講談社 2006年06月02日 ISBN 4061795910
- 「野中広務元官房長官『山崎拓衆院議員は『週刊文春』を部落問題で恫喝した』」『週刊現代』49巻1号、講談社、2007年1月13日、46-47頁。
- 麻生太郎 『祖父・吉田茂の流儀』 PHP研究所, 2000年 ISBN 4569611117
- 麻生太郎 『麻生太郎の原点 祖父・吉田茂の流儀』 徳間書店 2007年 ISBN 978-4198925819
- 麻生太郎 『自由と繁栄の弧』 幻冬舎 2007年 ISBN 978-4344013339
- 麻生太郎 『とてつもない日本』新潮社〈新潮新書〉 2007年 ISBN 978-4106102172
- 麻生太郎 『自民党の智恵』麻生太郎・伊吹文明[他]共著、シンクタンク2005・日本編集、成甲書房、2008年1月 ISBN 978-4880862279
- 麻生太郎 『「国力」会議』麻生太郎・石破茂・平沼赳夫・与謝野馨・浜田和幸共著、祥伝社、2008年4月 ISBN 978-4396613075
外部リンク
- 麻生太郎公式ウェブサイト
- 松本純Channel(Youtube)
- 「麻生グループ」公式ウェブサイト)
- 麻生鉱業の小鳥塚(日本の鉱山)
- 麻生太郎 略歴
- 麻生氏系譜(地方別武将家一覧)
- 近現代・系図ワールド
- 系図でみる近現代 第6回 高円宮 近衛忠大 三笠宮 麻生太郎
- 関連記事
- 対談
- 講演
- 『ザ・選挙』応援演説の映像(2008年5月福生市長選)
- 『MANGA』を語る
- BBC News : Profile: Taro Aso (06:52 GMT, Monday, 22 September 2008 07:52)
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