上林忠次
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上林 忠次(かんばやし ちゅうじ、1906年(明治39年)2月11日[1] – 1968年(昭和43年)11月23日[2][3])は、昭和期の農業技術者、技官、政治家。参議院議員、日本専売公社理事。
経歴
[編集]京都府出身[2][3]。1930年(昭和5年)九州帝国大学農学部を卒業した[2][3]。
1930年、大蔵省に入省し、専売局たばこ技術課長、同生産課長、日本専売公社生産部長、同理事などを歴任した[2][3]。
1953年(昭和28年)4月の第3回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で出馬して当選し[2][3][4]、1959年(昭和34年)6月の第5回通常選挙に全国区から自由民主党公認で出馬して再選され[5]、参議院議員に連続2期在任した[2][3]。この間、緑風会政務調査会副会長、自民党政審副会長、参議院建設委員長、第2次池田内閣・通商産業政務次官、国会たばこの会副会長などを務めた[2][3]。
その他、たばこ耕作組合中央会顧問、葉たばこ輸出促進協議会理事などを務めた[2][3]。
1968年(昭和43年)11月23日死去、62歳。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈(勲六等からの昇叙)、従五位から正四位に叙される[6]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本人事録 第6版 全国篇』中央探偵社、1963年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
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