戦場のメリークリスマス

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戦場のメリークリスマス
Merry Christmas, Mr. Lawrence
監督 大島渚
脚本 大島渚
ポール・マイヤーズバーグ
原作 ローレンス・ヴァン・デル・ポスト
製作 ジェレミー・トーマス
出演者 デヴィッド・ボウイ
トム・コンティ
坂本龍一
ビートたけし
ジャック・トンプソン
ジョニー大倉
内田裕也
音楽 坂本龍一
撮影 杉村博章(撮影)
成島東一郎(撮影監督)
編集 大島ともよ
製作会社 レコーデッド・ピクチャー・カンパニー
大島渚プロダクション
配給
公開
上映時間 123分
製作国 日本の旗 日本
イギリスの旗 イギリス
オーストラリアの旗 オーストラリア
ニュージーランドの旗 ニュージーランド
言語 日本語
英語
興行収入 アメリカ合衆国の旗 $2,300,000
配給収入 日本の旗 9.9億円[12]
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戦場のメリークリスマス』(せんじょうのメリークリスマス、: Merry Christmas, Mr. Lawrence、欧州公開時の題: Furyo)は、大島渚監督した映画作品である。

日本英国オーストラリアニュージーランドの合作映画で、テレビ朝日製作の映画第1作でもある。1983年5月28日日本公開。

英国アカデミー賞作曲賞受賞。

概要

原作は南アフリカの作家、ローレンス・ヴァン・デル・ポストの短編集『影の獄にて』[13] 収録の「影さす牢格子」(1954年)と「種子と蒔く者」(1963年)に基づいている。 作者自身のインドネシアジャワ島での、日本軍俘虜収容所体験を描いたものである。

第36回カンヌ国際映画祭に出品され、グランプリ最有力と言われたが受賞は逃した[注 1]

、ならびに北欧では『Merry Christmas, Mr. Lawrence』、では『Furyoフリョ』(俘虜ふりょ)、西ドイツでは『Furyo - Merry Christmas, Mr. Lawrence』のタイトルで公開された[5]

2012年に英国でデジタル修復された後、翌2013年第70回ベネチア国際映画祭のクラシック部門で上映され[7][注 2]2015年3月にはフランスで2K版として劇場公開された[3]

2021年4月、新たな4K修復版として『愛のコリーダ』とともに国内でリバイバル上映された[10][4][注 3]

あらすじ

1942年日本統治下にあるジャワ島レバクセンバタの日本軍俘虜収容所で、朝鮮人軍属のカネモト(ジョニー大倉)がオランダ人捕虜のデ・ヨンを犯す事件を起こす。日本語を解する俘虜(捕虜)の英国陸軍中佐ジョン・ロレンス(トム・コンティ)は、ともに事件処理にあたった粗暴な軍曹ハラ(ビートたけし)と奇妙な友情で結ばれていく。

一方、ハラの上官で所長の陸軍大尉ヨノイ(坂本龍一)は、日本軍の背後に空挺降下し、輸送隊を襲撃した末に俘虜となった陸軍少佐ジャック・セリアズ(デヴィッド・ボウイ)を預かることになり、その反抗的な態度に悩まされながらも、彼に魅せられてゆく。

同時にカネモトとデ・ヨンの事件処理と俘虜たちの情報を巡り、プライドに拘る空軍大佐の俘虜長ヒックスリー(ジャック・トンプソン)と衝突する。

セリアズとロレンスは、無線機を無断で所持していた容疑で、ヨノイ大尉に独房入りを命じられる。セリアズもロレンスも北アフリカ戦線で一緒に戦ったことのある仲で顔は知っており、独房は隣り合っていた。ロレンスは自分の恋人のことを話し、セリアズは昔、弟に酷い扱いをしてしまったことを回想する。

その日はクリスマスで、セリアズとロレンスはハラに呼びだされた。ハラは酔っぱらっており、「ファーゼル・クリスマス」と叫び、セリアズとロレンスを釈放する。ハラは自分をサンタクロースだと言い、これはプレゼントだと言う。

要求に応じようとしないヒックスリーに対し業を煮やしたヨノイ大尉は、捕虜の全員集合を命じる。全員揃っていないと分かると病気の捕虜も並ばせるよう命じたが、これはジュネーヴ条約に違反していた。重症の捕虜が1人倒れて死亡する。それでもなお、日本軍への情報提供を拒み続けるヒックスリーを、ヨノイ大尉は刀で斬ろうとした。そこへ、セリアズが歩み寄り、ヨノイ大尉に抱擁しキスをした。予想外の展開にヨノイ大尉は驚き倒れこむ。

その後、ヨノイ大尉は更迭され、新しい大尉はセリアズを首だけ出しての生き埋めの刑に処した。セリアズは弟のことを思い出しながら衰弱死し、ヨノイ大尉は夜中に密かにセリアズの元に寄り、彼の髪を一束切って立ち去った。

大戦は終わり、時は1946年。日本軍は負け、ヨノイ大尉は既に処刑されていた。同年のクリスマス、死刑判決を受け、執行前日を迎えたハラの元へロレンスがやってくる。4年前のクリスマスのことを思い出し、2人は笑い話に花を咲かせる。ロレンスが立ち去ろうとしたとき、ハラは彼を呼び止め、別れの言葉を放つ。「メリークリスマス。メリークリスマス、ミスター・ロレンス」

東洋と西洋の宗教観、道徳観、組織論が違う中、各人に運命から届けられた「クリスマスの贈りもの」が待っていた。

キャスト

作品解説

第二次世界大戦をテーマにした戦争映画でありながら、戦闘シーンは一切登場しない。また、主要な出演者はすべて男性という異色の映画でもある。撮影はクック諸島ラロトンガ島で行われた。

ハラ軍曹らに見られる当時の日本軍による捕虜に対する扱いや、イギリスなどにおける障害者への蔑視行為やパブリックスクール寄宿制名門校)におけるしごきなど、歴史の闇の部分も容赦なく描いている。

配役

キャスティングにあたり、大島は「『連合艦隊』と『大日本帝国』に出た役者だけは使いたくなかった」と話したという[18]。当初、ハラ軍曹役には緒形拳[19]勝新太郎がキャスティングされていたが、緒形はスケジュールの都合、勝は脚本の変更を要求したため折り合いがつかず、ビートたけしに変更となった[20]。ヨノイ大尉役も三浦友和沖雅也滝田栄[19]沢田研二友川カズキらが予定されていたが、各々スケジュールなどが合わず、坂本がキャスティングされた[21]トム・コンティが演じていたロレンス中佐の役には、当初ジェレミー・アイアンズが候補に上っていたものの、アイアンズは「台本を読んだら、同性愛色が強すぎるような気がして」断っている。しかし後に「完成した映画を観て死ぬほど後悔した」と語っている[22]。また、セリアズ役にはロバート・レッドフォード[23]、映画監督フランシス・フォード・コッポラの甥で、当時高校生だったニコラス・ケイジ等にオファーをしていたが、両者とも断ったため、大島がブロードウェイの舞台「エレファント・マン」に出演中のデヴィッド・ボウイを見て起用を決めた[24][25][26]。ボウイはオファーを了承した後、2年間体を空けて待っていたという[18]

演技

台本をまったく覚えずに現場入りした坂本は、当然ながら上手くセリフが言えず、大島から怒られるようなシチュエーションを自ら作ってしまったが、彼はなぜか相手役に「お前がちゃんとしないから坂本君がセリフ話せないんだろう!」と怒ったという。この大島の一種の配慮により、たけしと坂本は無事クランクアップを迎えることができた。

演技についてたけしは、「NGは監督からほとんど出されなかったけど、代わりにアフレコはさんざんやらされた」と語っている。これは、監督からオファーを受けた際「自分は漫才師であり、俳優でありませんから、きちんとした演技はできません」と前もって伝えていたことから、監督なりの配慮がされた結果と言える。加えてたけしがNGを出すと、代わりに脇にいた助監督が叱られたというエピソードが残っている。

当時、たけしと坂本は、2人で試写のフィルムを見て、たけしが「オレの演技もひどいけど、坂本の演技もひどいよなぁ」と語りあい、ついには2人でこっそりフィルムを盗んで焼こうという冗談を言い合ったという。大島はできない俳優を厳しく叱責することで有名だったため、たけしと坂本は「もし怒られたら一緒にやめよう」と約束をしていた。

ヨノイが傷病兵に向かって「貴様らは病気じゃない!」と叫ぶシーンは坂本のアドリブであり、「彼は面白い」と気に入った大島は、その坂本のセリフを面白可笑しく口真似しながら編集作業が行われた[27]

演出

作品の終盤、反抗的な俘虜長を処刑しようと日本刀を抜いたヨノイ大尉にセリアズが近づき、頬にキスをするシーンで、画面が微妙に揺れ動いているが、これは意図して行った演出ではなく、撮影機材の故障により偶然生じたものであった。しかし、その後に撮り直したものと比較して、画面が微妙に動く前者の方が心理描写を的確に表現できているとして、これを採用した。後に大島は「奇跡だよ」と周囲に語ったという[28]

たけしが施設のドアを開けるシーンでは、散々リハーサルをするもタイミングが上手く行かず、ついに大島が怒り出し、「このタイミング!このタイミングがこの映画で一番大事なんだ!」と怒鳴るものの、本番直前にドアは壊れてしまった。仕方なくドアなしで撮ったが、直後にドアが壊れた件についてたけしが大島に聞くと「え?何?ドア?あんなのどうでもいいんだ!」と答えたため、呆然となったという。

製作費

約600万ドル(当時約15億円)とも[23]、650万ドルとも[18][26]、16億円ともいわれる[29]。企画を始めた1978年は、松竹が全額出資すると言っていたが[29]、資金集めは難航し[23]、日本国内だけでの資金調達は不可能で[25][30]、松竹は大島に「途中から外国で半分持ってくれる所を探して来い」と言った[29]。日本人でプロデューサーを買って出る人物がおらず[30]、製作に漕ぎ着けるまでに時間を要した。『戦場のメリークリスマス』の資金調達先とシネマスクエアとうきゅうのオープニング上映作品を探していたヘラルド・エース原正人が、ニコラス・ローグ監督の『ジェラシー』買い付けで知り合った同作の映画プロデューサージェレミー・トーマスにプロデュースを打診した結果、ジェレミー・トーマスが本作のプロデューサーになった[31][32]。ようやく資金の目途がついたら松竹は「もう製作には参加しない、配給だけやる」と言い出した[29]。大島がそこで諦めていたら全て終わりだったが、大島は全財産をはたき、個人的借金をして、日本側が大島渚プロとテレビ朝日住友銀行から、ジェレミー・トーマスが外国側の製作費を全額ニュージーランドの銀行から引き出した[18][31]。撮影地をニュージーランドの国内、またはニュージーランド領で行うということは、ニュージーランド側からの条件の一つだった[26][23]日本英国ニュージーランド三ヶ国の合作映画だが、ニュージーランドは金を出しただけで、基本的には日英合作である[29]。結果的に映画は大島作品で一番のヒット作となり、後に松竹は「製作もすればよかった」と言ったという[29]。 

反響・評価

試写会で自分の演技を見たたけしは、「自分の演技がひどすぎる」と滅入ってしまったが、共演の内田裕也やジョニー大倉は「たけしに全部持っていかれた」とたけしの存在感に悔しがったという。一方で、大島は周辺に「たけしがいいでしょう」と漏らし、同席した作家・小林信彦に、滅入っているたけしを褒めるよう要請している。後にたけしは「すぐれた映画監督というのは、その俳優が一番見せたくない顔を切り取って見せる人を言うんじゃないかな?」と、自分の演技を引き合いに大島の力量を絶賛した。

後日、たけしは「坂本もオイラもこの映画に客観的に参加していた、映画がこけちゃえばいいとさえ思っていた。ほかの役者のように大島監督からエネルギーを吸い取られるようなことはなかった」と語った。また、たけしは本作への出演を機に自身も映画監督を始めようと思ったとも語っている。

テレビ放送では1984年12月23日に23.6%[33]、1985年12月22日に15.1%[33]視聴率ビデオリサーチ調べ)を記録した。

2021年4月、4K修復版の公開に際し[4]マーティン・スコセッシベルナルド・ベルトルッチクリストファー・ノーランのコメントが予告編で紹介された[注 4]。またノーランは、世界の名作を高品質な映像ソフトで販売するアメリカのレーベル、クライテリオンのタイトル700本の中から、本作をベストテンの6位に選出。「デビッド・ボウイのカリスマ性を捉えることに成功した稀有な作品」と評し[35]、米インディ・ワイヤーでノーランが薦める35本の映画の一つにも挙げられた[36]。ノーランが監督する『プレステージ』にボウイが出演し、ロレンスを演じたトム・コンティも『ダークナイト ライジング』に出演した。

考察

日本人がメガホンを取った戦争映画ながら、表面的なメッセージ性は薄い。しかし、日本軍の捕虜への待遇[37]と、その根底にある日本独特の「武士道」、「神道仏教観」や「皇道派二・二六事件」、明治以降の日本人が抱いた強い欧米への劣等感と憧憬[37]、そして、欧米人・日本人にある「エリート意識・階級意識」、「信仰心」、「誇り」、「死と隣り合わせのノスタルジア」(弟の歌う 「Ride Ride Ride」の曲にのって描かれる、故国の田園居宅の「バラ」)などがより尊く描かれ、また、それを超えた友情の存在とそれへの相克がクライマックスにまで盛り上げられていく。

また、後期の大島作品に底流する「異常状況のなかで形作られる高雅な性愛」というテーマも、登場人物らの同性愛的な感情として(婉曲的ながら)描写されている。

特別番組

テレビ朝日では大島渚、ビートたけし、デヴィッド・ボウイなど勢揃いした特別番組が制作された。オープニングでは「レッツ・ダンス」に合わせて若い男女が踊る中デヴィッド・ボウイが登場し、笑顔でビートたけしに握手を求めた。

エピソード

  • ビートきよしも俳優として撮影に参加しているが、きよしが言う予定だった台詞を別の役者によって撮影してしまった為、出演シーンは全てカットされた。
  • 当時、坂本と同じ事務所に勤務し坂本の付き人をしていたピーター・バラカンが、捕虜役のエキストラとして出演している(「サウンドストリート」1982年放送から)。
  • 当時はまだ無名の俳優だった三上博史が日本兵役として出演している。
  • たけしは、スケジュールの関係でほかのスタッフらより早く撮影を終えて帰国したことから、映画の情報をネタとして「ビートたけしのオールナイトニッポン」などで流布した。一例を挙げると、大島が撮影に使ったトカゲが演出意図どおりに動かないことに腹を立て「お前はどこの事務所だ!」と怒鳴りつけたことや、差し入れのうな重をたけしらが食べてしまったことに坂本が腹を立て、かわりにたけしが手配したうな重を涙を浮かべながら食べていた、などである(後に坂本とたけしの対談で、「あの時俺は泣いていなかった」、「いや泣いていただろ」といったやりとりがあり、あのような状況は食事の話題が異様になると結論づけた)[注 5]
  • カンヌ映画祭受賞作の発表前日に、スポーツ新聞社の記者が「明日の朝刊に間に合わないから、今、受賞したという前提で喜びの写真を撮らせて欲しい」とたけしを訪れた。翌朝、そのスポーツ新聞には、たけしの写真の横に大きな文字で「たけし ぬか喜び」と書いてあった(実際に作品賞を受賞したのは『楢山節孝』(今村昌平監督作品)。たけしは、自身がパーソナリティーを務める深夜放送ビートたけしのオールナイトニッポン』で、このことをネタに自嘲気味にトークをした。
  • ラストでたけしがアップになり「メリークリスマス、ミスターロレンス」と言うシーンについて、後に『オレたちひょうきん族』でたけしは「オレのあの顔で世界が泣いたんだぜ」と自慢した。しかし、片岡鶴太郎にはそのシーンをちゃかされ、明石家さんまには「世界は泣いたか知らんがな、オレは笑ったわ!」と言われ、ネタにされた。たけしが出演していた『オレたちひょうきん族』のコーナー、「タケちゃんマン」でも、「戦場のメリーさんの羊」というパロディコントが放送され、カンヌ映画祭で受賞を逃したところまでネタにしていた。
  • 撮影中、坂本龍一がたけしの部屋を訪ねると、真っ暗な部屋の中のベッドで、天井までとどくかというほど本を積み上げて勉強するたけしの姿に出くわすという場面があった。
  • メイキング映像の製作も企画されたが、デヴィッド・ボウイが拒否したことから、大島も許可しなかった[23]
  • 登場人物のモデルの一人になった森勝衛[38][39]下重暁子の父の従兄にあたる。映画製作当時、大島と下重はテレビ番組で共演していたが、下重は映画の完成試写会が終わるまで大島にその事実を告げず、知らせたのちに大島に怒鳴られた[40]
  • トム・コンティは日本語を全く話せない。日本語の台詞を音として覚えてリピートしていた。

受賞

脚注

注釈

  1. ^ 今村昌平監督の『楢山節考』がパルム・ドールを受賞。
  2. ^ コンペティション部門で審査員を務めていた坂本龍一も上映に参加し、公開以来30年振りの鑑賞となった。[14]
  3. ^ 国立映画アーカイブに大島作品が収蔵される2023年を前に、配給会社アンプラグドの提案で「最後の大規模ロードショー」が大島渚プロダクション(大島新)と合意され、「4K修復版」を制作。2021年4月から全国で公開された[15][16]。上映期間中に坂本龍一や製作のジェレミー・トーマスからコメントも寄せられた[17]
  4. ^ (予告編コメント)スコセッシ「最高の映画監督が最高のシーンを撮るためにデヴィッド・ボウイが必要だった。」 ベルトルッチ「これは映画史上最高に美しいキスシーンだ。」 ノーラン「私のお気に入りの1本だ。」【予告編 映像】[34]
  5. ^ 当時のことは後年も、たけしがしばしば持ちネタのように語っている。例えば「トンガ諸島での撮影で、うな重で泣いたんだよ『世界の坂本』が」(『ビートたけしのTVタックル』2010年10月18日放送分)など。

出典

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  14. ^ 取材・文:中山治美 (2013年9月10日). “坂本龍一、30年ぶりに『戦メリ』を鑑賞!思い出を語る”. シネマトゥデイ. 株式会社シネマトゥデイ. 2021年6月9日閲覧。
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関連項目

外部リンク