楢山節考 (1983年の映画)

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楢山節考
The Ballad of Narayama
監督 今村昌平
脚本 今村昌平
原作 深沢七郎
製作 友田二郎
出演者 緒形拳
坂本スミ子
音楽 池辺晋一郎
撮影 栃沢正夫
編集 岡安肇
製作会社 今村プロダクション
配給 東映
公開 日本の旗 1983年4月29日
フランスの旗 1983年5月CIFF
上映時間 131分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
興行収入 10.5億円(配給収入[1]
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楢山節考』(ならやまぶしこう)は、1983年製作の日本映画深沢七郎同名小説(厳密には『楢山節考』と『東北の神武たち』の2つを原作とする)の2度目の映画化作品。1983年のカンヌ国際映画祭にてパルム・ドールを受賞した。

概要[編集]

映画製作にあたり、日本山中に村のセットを作り、3年がかりで製作された。

当初、おりん役は別の女優がキャスティングされて撮影が進められていたが、撮影中にその女優が入院することになり、代わりに坂本スミ子がキャステングされた。坂本は当時40代で実年齢を30歳近くも上回る老女を演じるにあたり、前歯を4本削り、歯のない役作りをした。その後、インプラント処理をしている。

キャッチ・コピーは「親を捨てるか、子を捨てられるか。

ストーリー[編集]

山中の寒村が舞台である。耕地にも気候にも恵まれないその村には、厳然たる3つの掟があった。

「結婚し、子孫を残せるのは長男だけである」
「他家から食料を盗むのは重罪である」
「齢70を迎えた老人は『楢山参り』に出なければならない」。

来年に楢山参りに出る定めの老女・おりんの家では、家族がそれぞれ問題を抱えていた。長男の辰平は去年妻を事故で失い、侘しく鰥夫暮らしをしていた。そんな辰平は母親思いゆえ、とてもおりんを「楢山参り」に出すことはできない。次男の利助は頭が弱くて口臭がひどく、村人から「くされ」と呼ばれ蔑まれている。村の掟で結婚が許されず、家の奴(ヤッコ・下人)として飼い殺しにされる運命の利助は女を知る機会もなく、近所の雌犬を獣姦しては欲求を満たしていた。辰平の息子・けさ吉はおりんの歯が33本あることをからかいながら、村のふしだらな女・松やんと遊びほうけていた。

そんな折、向こう村の若後家・玉やんが、辰平の後妻として家に入る。一方でけさ吉も松やんを妻として家に迎え入れるが、利助は辰平と玉やんの性行為を覗き見てはあらぬ妄想を深めていく。松やんは手癖が悪く、貴重な食料を好きなだけ食い散らかし、挙句は盗み出した馬鈴薯玉蜀黍を実家へ持ち出していく。松やんはほどなく妊娠し、食糧事情は一層の逼迫が予感された。

家の中には波風が立ち始める中、せめて家族の悩みを解決してから楢山に旅立ちたいと願うおりんだった。

エピソード[編集]

  • 本作はプロデューサーの日下部五朗が、岡田茂東映社長(当時)に、何度も「映画化したい」としつこく通ううち、以下の理由で岡田が製作OKを出したたもの[2]。岡田が製作を認めなかった1979年の『復讐するは我にあり』が、今村監督で松竹で映画化され高い評価を得たため、今村監督で製作を予定した『楢山節考』に岡田はいい顔をせず、「前に木下恵介さんが撮ってるやろ。エエ加減なもん持ってくるな。」とボロクソ。ところが日下部が「社長、題は同じでも中身が違う。実はにっかつロマンポルノ10本分くらい、ドバーッと濡れ場があるんです。」とハッタリをかましたところ、岡田は「うわあ、そら、ええなあ!」とOKとなった[2]。しかしこれは完全なハッタリで『楢山節考』には男女の絡みのシーンが数カ所あるものの、そのようなシーンはトータルでも数分しかない。岡田は『映画ジャーナル』1982年2月号のインタビューで『楢山節考』を"異色の芸術ポルノ"と表現し、日下部の話を真に受けていた[3]
  • 第36回カンヌ国際映画祭では、大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』がグランプリ最有力と言われ下馬評が高く、製作の松竹は大島、奥山融副社長ら総勢20人以上がファーストクラス飛行機カンヌ入りした[4]。『楢山節考』も『戦場のメリークリスマス』とともにカンヌ国際映画祭に出品されたが、こちらはまったく期待されてなく、誰もカンヌへ行こうとしない。プロデューサーの日下部は、「どうしてもカンヌに行きたい」と主張すると岡田社長から「恥をかくのは日下部一人で充分」と言われた。今村も「後輩の大島監督が受賞するのに何でわざわざ行かなきゃならんの」と言う。宣伝も営業の誰も付いて行くと言わず。結局、主演女優の坂本スミ子と2人で、エコノミークラスでカンヌ入りした。現地での宣伝合戦も『戦場のメリークリスマス』は、国際的にも知名度が高い大島やデヴィッド・ボウイを擁して注目度が極めて高かったが『楢山節考』が逆転、グランプリ・パルム・ドールを受賞した[4]。岡田社長も今村監督もカンヌに来なかったため、世界中の映画人とプレスが日下部の元へ殺到。「あなたの映画が受賞したんですね、おめでとう」「そう、あれ、おれの映画なんです」と日下部はプロデューサーにとっての最高に一夜を満喫した[4]

キャスト[編集]

スタッフ[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 1983年配給収入10億円以上番組 - 日本映画製作者連盟
  2. ^ a b 日下部五朗『シネマの極道 映画プロデューサー一代』新潮社、2012年、pp.130-134
  3. ^ 『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』文化通信社、2012年、pp.160-171
  4. ^ a b c 『シネマの極道 映画プロデューサー一代』、pp.11-20、華やかな舞台の裏側『シネマの極道 映画プロデューサー一代』日下部五朗さん(2/3ページ)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]