YOH (プロレスラー)

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YOH
YOHnjpw.jpg
2018年7月21日後楽園ホール
プロフィール
リングネーム YOH
風神
小松 洋平
本名 小松 洋平
ニックネーム DIRECT DRIVE
HIGH and MIGHTY
鋼の若獅子
身長 171.5cm
体重 85kg
誕生日 (1988-06-25) 1988年6月25日(33歳)
出身地 宮城県栗原市
所属 新日本プロレス
スポーツ歴 レスリング
トレーナー 平田淳嗣
永田裕志
内藤哲也
デビュー 2012年11月19日
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YOH(ヨウ、1988年6月25日 - )は、日本男性プロレスラー

本名、小松 洋平(こまつ ようへい)。新日本プロレス所属。宮城県栗原市出身。血液型O型。

経歴[編集]

少年・大学生時代[編集]

プロレスが好きな父親の影響で3歳の頃からテレビで観戦するようになり、父親が勤務する役場の体育館にみちのくプロレスが巡業に来た際には観戦に行くなど、小松にとってプロレスは幼少の頃から身近な存在だった[1]。幼稚園の頃は、武藤敬司のカッコよさと、ザ・グレート・サスケの空中殺法に凄さを感じていたと述懐している[1]

中学1年生の時、いつものようにテレビでプロレス中継を見ていた小松に「このリングに上がったらどんな気持ちになるのだろう」という感情が芽生え始め、そこから一気に「やりたい」という気持ちに変わり、プロレスラーを志すようになる[1]。それまで活動していた野球部を退部すると、「レスラーになるには格闘技経験があった方が良い」と考え、中学1年の冬から柔道を始める[1][2][† 1]。高校はレスリング部のある学校を自ら探し出し、東北工業大学高等学校 (現:仙台城南高等学校)に目星を付けると、中学時代から同校の練習に参加したり、試合を見学するようになる。その結果、スポーツ推薦で同校に進学。実家から遠い場所に学校があったため、親元を離れて下宿生活を開始した[1]。3年間まじめにレスリングに打ち込んだ小松は「(アマチュアレスリングはプロレスと比べて)地味」と発言する一方で、「入門してからレスリング技術が必要な場面があるので、下地として経験して間違いない」と振り返っている[1]。高校卒業後、「もう少し体を作りたい」という不安があった小松は、東洋大学白山キャンパスの法学部に入学、上京して寮に入る[1]

なお、大学3年生の時に新日本プロレス入門テストを受けて合格を果たすものの、学業を優先し辞退した。大学を卒業した2011年に再度テストを受けるが、その年は身長が足りないことを理由に書類選考を通過することなく、不合格に終わった[1]。暗礁に乗り上げた小松だったが、自身のもとに届いた不合格通知の封筒の中に、三澤威が立ち上げたプロレス学校の案内書を発見する。父親から入学資金の援助という後押しを受けて、プロレス道場・ヤングライオンクラスに入学し、同校でコーチを務めたヒロ斉藤からロープワークや受け身といったプロレスの基礎を学びながら1年間通う[1][2]

新日本プロレス[編集]

ヤングライオン時代[編集]

2012年2月、新日本の入門テストに合格。同年11月19日のSHIBUYA-AXで行われた若手主体の興行NEVERにて、渡辺高章を相手にデビュー戦を飾った[3]

2013年10月25日、KUSHIDAのパートナーとしてSUPER Jr. TAG TOURNAMENTにエントリーしたが、BUSHI & バリエンテ組に敗れ、一回戦敗退となった。12月23日、年内最終興行における試合で田中翔と対戦。逆片エビ固めでギブアップを奪い、初勝利を収めた。

2014年1月3日、ディファ有明で開催された「大プロレス祭り 2014」で、翌4日のダーク・マッチに出場予定とされていたタイガーマスクが盲腸のため欠場。これを受けて急遽、東京ドーム出場権を賭けて田中と対戦。この試合に勝利を収め、デビュー1年3ヶ月でレッスルキングダム8に初出場を果たした。

2015年1月4日、東京ドーム大会における第0試合「ニュージャパンランボー」で、バトルロイヤル形式ながらプロレス学校時代のコーチでもあるヒロ斎藤と初対戦した[4]

5月、BEST OF THE SUPER Jr.に初出場。大会前には優勝を宣言するもリーグ戦全敗で予選敗退。

11月17日、DDTの後楽園大会に参戦。棚橋弘至とのタッグでHARASHIMA大家健と対決。HARASHIMAの蒼魔刀(ダブルニーアタック)を受け止め逆エビ固めに切り返すなど善戦したが、最後はHARASHIMAの蒼魔刀に沈んだ。

無期限海外遠征へ[編集]

2016年1月、「CMLL FANTASTICA MANIA 2016」での試合を最後に、同期の田中と共にCMLLへの無期限海外遠征が決定した。リングネームは風神(Fujin)。

2016年2月2日、アレナコリセオにてOKUMURA雷神とのタッグで、CMLLデビュー。対戦相手はストゥーカエスフェンヘレイ・コメタ

2016年4月、「CMLL Torneo Gran Alternativa 2016」のタッグトーナメントにレイ・エスコルピオンと出場。Aブロック一位通過。決勝で初のアレナ・メヒコメイン出場を果たす。結果はボラドール・ジュニアとスフィンクスに敗れ、準優勝。

2016年9月、田中翔とTHE TEMPURA BOYZとして、拠点をアメリカに移す。リングネームは、YOHEY

2016年9月30日、THE TEMPURA BOYZとしてSHOと組み、vsコルト・カバナダルトン・キャッスルで、ROHデビュー。

2017年7月1日、アメリカにて第5試合でヨシ・タツビリー・ガン、田中翔と組んでフィンレー、棚橋、ホワイト、KUSHIDA組と戦った。

2017年7月3日、同にて第1試合にてヨシ・タツ&田中翔と組んでフィンレー、KUSHIDA、ライガー組と対戦。

新日本プロレス復帰[編集]

2017年[編集]

2017年10月9日、両国にて第3試合にSHOと組み、ロッポンギ3Kとして凱旋帰国。リコシェ田口組が持つIWGPジュニアタッグ王座に挑戦し、合体技3Kでリコシェから勝利を収め、初戴冠となった。

2019年[編集]

2019年7月、AB tokyoにて「小松洋平の題名のない作品展」を開催。

10月16日から開催されたSUPER Jr. TAG LEAGUE 2019に参戦(RPG 3K)。RPG 3K、石森太二&エル・ファンタズモ組、エル・デスペラード金丸義信組の3チームが5勝2敗で公式戦を終了したが、直接対決の勝利により1位は鈴木軍タッグ、2位はRPG 3Kと決定した為、優勝決定戦に進出[5]。11月3日(日)、大阪・大阪府立体育会館の第6試合で行われた優勝決定戦でリーグ1位の金丸義信&エル・デスペラードを3Kで破り、前人未到の三連覇を果たした。この試合終了後、エル・ファンタズモ・石森太二に襲撃され優勝トロフィーを強奪されこの遺恨がドームでのジュニアタッグタイトル戦に繋がる[6]

2020年[編集]

2020年1月5日、第二試合で第60代王者組の石森&ファンタズモとIWGPジュニアタッグ王座戦を行う。試合はジュニアタッグならではのスピーディー&スリリングな攻防を展開。終盤、ファンタズモがベルト攻撃を狙うが、ロッキー・ロメロに阻止され、最後はファンタズモをRPG 3Kの新合体技STRONG X(SHOのショックアロー&YOHのダイビングフットスタンプ)で沈め、IWGP Jr.タッグ王座奪還に成功[7]。2020年6月16日から開催された「NEW JAPAN CUP 2020」に出場。6月23日の第1試合でBUSHIと1回戦を戦うが、BUSHIにエムエックスを決められ敗退。YOHは同試合で前十字靭帯を断裂し、手術を受けた[8]

2021年[編集]

3月21日、YOHは仙台で開催された「NEW JAPAN CUP 2021」のオープニングでリング上で4月4日に復帰をファンに復帰を宣言し、同時にSHOとのタッグでデスペラード&金丸の持つIWGPジュニアタッグ王座への挑戦表明を果たす[9]

4月4日、YOHの復帰一発目の試合となるIWGPジュニアタッグ選手権試合にて、新技DIRECT DRIVE(旋回式ダブルアームDDT)を初披露。YOHはこの技で金丸から勝利を収め、ジュニアタッグ王座5度目の戴冠を果たす。試合後、デスペラードの持つIWGPジュニアヘビー級王座への挑戦表明を果たした。6月7日、デスペラードの持つIWGPジュニアヘビー級王座に初挑戦するも敗れた。その直後、YOHのタッグパートナーでもあるSHOと共に持つIWGPジュニアタッグ王座にBULLET CLUBの石森、ファンタズモから挑戦表明を受けることになる。

8月16日、『SUPER Jr. TAG LEAGUE 2021』公式戦後、YOHはパートナーのSHOから裏切りのショックアローを食らった。SHOはマイクで、「オメー、もう終わりだろ?引退しろや!」と告げ、リングを後にした。これにより、ROPPONGI 3Kは完全解体状態となった。

9月4日、メットライフドームでの試合でYOHは再度、SHOとシングルマッチを行うが敗戦した。SHOは再びYOHに引退勧告し、ヒールユニット「BULLET CLUB」に加入した[10]

11月13日、後楽園ホールから始まったBEST OF THE SUPER Jr.28の出場選手としてシリーズ参戦。7勝4敗で優勝決定戦に進出した。12月15日、両国国技館で行われた優勝決定戦で高橋ヒロムに敗れはしたものの、準優勝となった。

2022年[編集]

1月4日、東京ドームでのSHOとのシングルマッチはファイブスタークラッチで勝利する。

1月5日、東京ドームでのNEVER無差別6人タッグ王座防衛戦でEVILのYOHへの金的→ トーチャーツールでの攻撃→ショックアローで敗北。

エピソード[編集]

  • 少年時代のYOHはワンパクな性格で、プロレスごっこの相手が欲しかったことからプロレスに無関心だった友達に対して、積極的にプロレスの宣伝活動を行っていた[1]
  • プロレスを知り、ファンになったキッカケは父親であると公言しており、もしもYOHの父親がプロレスファンでなければプロレスラーになることはなかったと言い切るほど。プロレスラーになることを志した中学時代、当時入部していた柔道部引退の送別会に参加していた全員の前で、「レスラーになる気があるのか? オマエじゃムリだろう。なれるもんならなってみろ」と発破を掛けられたことがあり、そのお陰で自身のプロレスラーになるという気持ちをさらに強くさせたという[1][2]。2011年にプロレス学校に入学するべきかどうか相談した時は、「金は出してやる」「そこで決めてこい」と言葉を掛けられ、泣きじゃくりながらこの父親の子で良かったと、当時の心境を振り返っている[1]
  • マスクマン志望で、遠征に行って帰ってくるとしたらマスクマンになってると言っている。
  • YOHと同じ東北出身者でもある元プロ野球選手・監督の中畑清(福島県出身)を恩師としている。YOHが中学時代、中畑の野球教室に参加したことがあるため。2014年には11年ぶりに再会した[11]

タイトル歴[編集]

新日本プロレス

得意技[編集]

元タッグパートナーのSHOとは比べ、YOHの場合は比較的従来のジュニアヘビー級に則ったファイトスタイルが特徴である。かつての藤波辰爾の技を源流としたクラシカルなスタイル(ドラゴン殺法)も取り入れている。

DIRECT DRIVE (ダイレクト・ドライブ)
前屈みとなった相手の両腕をリバース・フルネルソンの体勢で捕らえ、持ち上げると同時に捻りを加えながら倒れこみ、相手を頭頂部からマットに突き刺す旋回式ダブルアームDDT。現在のYOHのフィニッシャーであり、初披露は2021年4月4日の復帰戦。なお、YOHはこの技で鈴木軍金丸義信からピンフォール勝ちを収め、IWGPジュニアタッグ王座返り咲きに成功している。
スターゲイザー
AJスタイルズのカーフキラーと同じ技。
真正面から相手の内股に自身の左足を差し込み、相手の左足に絡め前転をして相手を後方に倒し、そこから更に回転をさせて相手をうつ伏せにしてしまい自身の左足を巻き込む形で、相手の左足からつま先を自身の両手で掴み、後方に体重をかけて絞り上げる技。
ドラゴン・スープレックス・ホールド
2019年4月26日、広島でのIWGPジュニアタッグ防衛戦(相手はBUSHI鷹木信悟組)でBUSHIを相手にフィニッシャーとして使用された。YOHいわく、今後はドラゴン殺法で行くとのことである。
ジャーマン・スープレックス・ホールド
ドラゴンスクリュー
ファイナル・カット
ファイブスタークラッチ
ジャパニーズ・レッグロールクラッチの体勢で相手を押さえ込む技。通常と違うのは、自身の手で相手の手首を握り、返されにくくしている所である。2018年のBOSJで多く使われた。
飛び付き式コンプリート・ショット
相手に飛びついて大きく下半身を振りかぶって勢いをつけながら落とす変型のフラット・ライナー。
スーパーキック
ランニングダブルニーアタック
風神としてCMLL参戦して以降使用しているフィニッシュ・ホールド
ランニング・カッター
自身が助走し、相手に向いランニング・カッターを決める技。
ROLL of K
YOHのヤングライオン時代のフィニッシュ・ホールド。相手が走ってきたところにスライディングしながら片足をとり、つかんだまま自らは後転しそのまま逆片エビ固めを決める。2013年の初勝利時から使用しているが、当初は単に「逆片エビ固め」との表記であった。技名は2016年に週刊プロレス誌上で命名。
ウルトラタイガードロップ
2015年のBEST OF THE SUPER Jr.から使用している。
ファルコン・アロー
凱旋後は主に繋ぎ技として使用。
初出場となったNEW JAPAN CUP2020では、相手の足を4の字に交差させた状態でブレーンバスターで相手を持ち上げでファルコン・アローの体勢で相手の脳天をマットに叩きつける技を公開した。

合体技[編集]

3K
3K
SHOがフラップジャックで相手を上げたところにYOHがコンプリートショットを決める合体のフェイスバスター。この技でIWGPJrタッグ王座初戴冠となった。
ダブル・ジャンピング ニーアタック
カナディアンバックブリーカ式フェイスバスター+カッター
SHOがカナディアン・バックブリーカーの体勢から、相手を前方に反転させフェイスバスターで相手を投げてYOHがランニングカッターで決める技。
STRONG X
SHOのショックアローとYOHのコーナーからのダイビングフットスタンプの合体技。ROPPONGI 3Kにおける現在のフィニッシャー。2020年1月5日東京ドーム2連戦2日目に初披露。コンセプトは監督ロッキー・ロメロがかつてバレッタと共に使用していた合体技「ストロング・ゼロ」(バレッタのデュードバスターとロッキーのコーナーミサイルキックの合体技)。

入場曲[編集]

Resolution
ヤングライオン時代に使用していた入場曲。
Transient Happiness(DOPING PANDA
CMLLで使用していた入場曲。
ROPPONGI 3K Theme
SHO、ロッキー・ロメロとのタッグ戦で使用していた入場曲。
explosion (jizue
2021年4月4日からSHOとのタッグ戦で使用していた入場曲。
Going Down Fighting(磯部正文
2020年6月23日より使用している入場曲。

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 当時野球部に嫌いな先輩がいたことから、「辞める口実に丁度いい」という気持ちもあったと吐露している[1]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 参考文献『週刊プロレス』2015年9月2日号、頁71 - 74掲載 「レスラーヒューマンストーリー<268>~小松洋平編」より。
  2. ^ a b c プロレス学校出身! 両親の影響で3歳からプロレス好き! 11・19『NEVER』でデビューする新人・小松洋平に直前インタビュー!”. 新日本プロレス公式ウェブサイト. 2012年11月18日閲覧。
  3. ^ NEVER 第1試合 新日本プロレス公式ウェブサイト
  4. ^ 新日本1.4東京ドーム大会 棚橋vs.オカダのIWGP戦、中邑vs.飯伏のIC戦、鈴木vs.桜庭”. バトルニュース (2014年1月5日). 2015年10月26日閲覧。
  5. ^ 保険見直し本舗 Presents POWER STRUGGLE ~SUPER Jr. TAG LEAGUE 2019~ 特設サイト 2019/10/16-2019/11/03” (日本語). www.njpw.co.jp. 2020年7月17日閲覧。
  6. ^ POWER STRUGGLE – 大阪・大阪府立体育会館(エディオンアリーナ大阪) 2019/11/3 – 第6試合” (日本語). www.njpw.co.jp. 2020年7月17日閲覧。
  7. ^ WRESTLE KINGDOM 14 in 東京ドーム – 東京・東京ドーム 2020/1/5 – 第2試合 60分1本勝負 – IWGPジュニアタッグ選手権試合” (日本語). www.njpw.co.jp. 2020年7月17日閲覧。
  8. ^ YOH『膝について』” (日本語). Roppongi3k YOHオフィシャルブログ「立ち話もなんですから」Powered by Ameba. 2020年7月17日閲覧。
  9. ^ YOHが4.4両国での復帰を表明! IWGP Jr.タッグ王座挑戦を要望!【オープニング】” (日本語). www.njpw.co.jp. 2021年3月25日閲覧。
  10. ^ "【新日本】SHOがYOHとの因縁対決制す…衝撃バレットクラブ加入で「マーダー・マシン」に". 東スポWeb. 東京スポーツ新聞社. 4 September 2021. 2021年9月13日閲覧
  11. ^ 新日・小松洋平、“恩師”キヨシ監督激励に「これでバッチリです」(1/2ページ)”. SANSPO.COM(サンスポ) (2014年10月28日). 2015年10月26日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]