「ハイジャック」の版間の差分
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{{要出典|範囲=英語圏では、[[ジャック]] という名前が男性の一般的な略称であるため、[[ロサンゼルス国際空港]]のように、「Hi, Jack」(ハイ、ジャック)あるいは「Hey, Jack」(ヘイ、ジャック)と挨拶することは避け、不意の混乱を起こさないように呼びかけている場所もある。|date=2016年9月}} |
{{要出典|範囲=英語圏では、[[ジャック]] という名前が男性の一般的な略称であるため、[[ロサンゼルス国際空港]]のように、「Hi, Jack」(ハイ、ジャック)あるいは「Hey, Jack」(ヘイ、ジャック)と挨拶することは避け、不意の混乱を起こさないように呼びかけている場所もある。|date=2016年9月}} |
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== 航空機ハイジャックの歴史 == |
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記録に残る史上初の航空機ハイジャックは、1931年2月21日に[[ペルー]]の[[アレキパ]]で発生した<ref name=guiness/>。空港への着陸直後に航空機が革命軍により包囲され、別の目的地へ飛行するよう要求された<ref name=asn-19310221-0>{{ASN accident|id=19310221-0 |title=ASN Aircraft accident Ford Tri-Motor registration unknown Arequipa Airport (AQP) |accessdate=2017-12-12}}</ref>。これを拒否したパイロットは革命軍に拘束されたが、3月2日に解放された<ref name=asn-19310221-0/>。 |
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1948年7月17日、アジアで最初の航空機ハイジャックとなる「[[キャセイ・パシフィック航空機ハイジャック事件]]」が発生した{{sfn|Thomas|2008|p=143}}。 |
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[[マカオ]]から[[香港]]へ向かっていた旅客機が乗っ取られ、その後墜落したため乗客3人と乗員22人が死亡した<ref name=asn-19480717-0>{{ASN accident|id=19480717-0 |title=ASN Aircraft accident Consolidated PBY-5A Catalina VR-HDT Pearl River|accessdate=2017-12-11}}</ref>。 |
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1961年5月1日には、アメリカ合衆国で最初の航空機ハイジャックが発生した<ref name=britanica/>。{{仮リンク|フロリダ・キーズ・マラソン空港|en|Florida Keys Marathon Airport}}から[[キーウェスト国際空港]]へ向かっていた旅客機が乗っ取られ、[[キューバ]]へ向かうよう要求された<ref name=britanica/><ref name=asn-19610501-0>{{ASN accident|id=19610501-1 |title=ASN Aircraft accident Convair CV-440 registration unknown |accessdate=2017-12-12}}</ref>。 |
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航空機ハイジャックの発生件数は1968年から急増し、1972年には108件と年間100件を超える年もあった<ref name=hijacking-jk/>。ハイジャックは航空会社にとって大きな脅威となり、世界各国で防止対策がとられた<ref name=hijacking-jk/>。 |
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1960年代から1970年代にかけ、国際民間航空機関 (International Civil Aviation Organization; ICAO) において航空機にまつわる犯罪を防止するための3つの国際条約が作られ、国際協力体制の法的枠組みの構築が図られた{{sfn|浅野|1989|p=35}}<ref name=mofa/>。この3条約とは、1963年の「[[航空機内で行われた犯罪その他ある種の行為に関する条約]]」(東京条約)、1970年の「[[航空機の不法な奪取の防止に関する条約]]」(ヘーグ条約)、1971年の「民間航空の安全に対する不法な行為の防止に関する条約」(モントリオール条約)である{{sfn|浅野|1989|p=35}}。 |
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東京条約では、主に飛行中の航空機内で行われた犯罪や航空機の安全を害する行為に対する裁判管轄権や、これら犯罪等を取り締まるための機長の権限を定められた |
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{{sfn|浅野|1989|p=41}}。東京条約の制定当時はハイジャック発生件数はそれほど多くなく、同条約ではハイジャックは主たる規制対象とは捉えられていなかった{{sfn|浅野|1989|p=41}}。 |
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しかし、同条約が発効した1969年にはハイジャックの発生件数が急増しており、同条約では対処しきれなくなっていた{{sfn|浅野|1989|p=41}}。そこで、1970年に作成されたヘーグ条約では、ハイジャックの防止を主たる目的とし、東京条約では不十分だった点が強化された{{sfn|浅野|1989|p=47}}。同条約では航空機の不法奪取等を犯罪と認め、ハイジャック犯に重い刑罰を科すことを締約国に義務付けたほか、犯人引き渡しに関する規定が定められた{{sfn|浅野|1989|p=41}}。 |
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さらに、1971年に作成されたモントリオール条約では、ハイジャック以外の民間航空の安全に対する一定の不法な行為を犯罪とし、その犯人の処罰及び引き渡し等について規定された{{sfn|浅野|1989|p=41}}<ref name=mofa/>。同条約では、飛行中だけでなく、業務中の航空機や航空施設に対する破壊や安全を損なう行為についても重い刑罰を科すよう締約国に義務付けた{{sfn|浅野|1989|p=41}}。さらに、裁判権の広範囲な設定や犯人の引き渡しについても規定されている{{sfn|浅野|1989|p=41}}。ヘーグ条約やモントリオール条約では、締約国の何れかにおいて犯人を処罰する体制を確立し、犯入に逃げ込み場を作らないという一種の世界主義的な考え方が導入されている{{sfn|浅野|1989|pp=35, 41}}。 |
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これらの国際条約以外に、2国間で犯人引き渡し等を定めた協定が結ぶ例もあった{{sfn|浅野|1989|p=41}}。1973年に、国交を断絶中のアメリカとキューバは航空機や船舶の不法奪取及びその他の犯罪に関する協定を結んだ{{sfn|浅野|1989|p=41}}。この協定は、犯人の引き渡しや処罰について規定しており、不法奪取行為を防止する実効性を発揮したと評価されている{{sfn|浅野|1989|p=41}}。 |
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1988年には、モントリオール条約を補足する議定書として「千九百七十一年九月二十三日にモントリオールで作成された民間航空の安全に対する不法な行為の防止に関する条約を補足する国際民間航空に使用される空港における不法な暴力行為の防止に関する議定書」(空港不法暴力行為防止議定書)が採択された{{sfn|安藤|2014|p=38}}。1980年代に空港におけるテロ事件が増加したことを受けて、国際空港の安全を損なう一定の暴力行為を犯罪と定め、犯人の処罰のための措置が規定された{{sfn|安藤|2014|p=38}}。 |
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この頃、[[プラスチック爆弾]]を用いた航空機爆破事件が相次いだ{{sfn|安藤|2014|pp=41–42}}。1987年には、[[大韓航空機爆破事件]]が発生し、[[ボーイング707]]が爆破され搭乗者全員の115人が死亡した<ref name=asn-19871129-0>{{ASN accident |id=19871129-0 |title=ASN Aircraft accident Boeing 707-3B5C HL7406 Tavoy, Myanmar (Andaman Sea) |accessdate=2017-12-15}}</ref>。1988年には、[[パンアメリカン航空103便爆破事件]]が発生し、[[パンアメリカン航空]]の[[ボーイング747]]が爆破され、搭乗者259人全員と地上で巻き込まれた11人が死亡した<ref name=asn-19881221-0>{{ASN accident |id=19881221-0 |title=ASN Aircraft accident Boeing 747-121A N739PA Lockerbie |accessdate=2017-12-15}}</ref>。1989年には[[UTA航空772便爆破事件]]が発生し、フランスの[[UTA]]の[[マクドネル・ダグラス DC-10|マクドネル・ダグラスDC-10]]が爆破され、搭乗者全員の170人が死亡した<ref name=asn-19890919-1>{{ASN accident |id=19890919-1 |title=ASN Aircraft accident McDonnell Douglas DC-10-30 N54629 Ténéré desert}}</ref>。 |
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これらの事件、特にパンアメリカン航空103便爆破事件を直接的な契機として、ICAOにより「[[可塑性爆薬の探知のための識別措置に関する条約]]」(可塑性爆薬探知条約)が作成された{{sfn|安藤|2014|pp=41–42}}。この条約では、可塑性爆薬への探知剤の添加等の措置を締約国に義務づけている<ref name=mofa/>。 |
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1990年代になると、組織的で大規模なテロ活動の背後にある資金源を断つ必要性が認識されるようになった{{sfn|安藤|2014|p=44}}。既存の条約では資金供与について明示的に扱われていないことを踏まえ、1999年、国連において[[テロリズムに対する資金供与の防止に関する国際条約]]が採択された{{sfn|安藤|2014|p=44}}。この条約では、テロ行為の準備行為となる資金提供や収集自体を犯罪と定め、そうした行為を行った者の訴追や処罰することでテロ行為を防止することが図られた{{sfn|安藤|2014|p=45}}。当初、この条約に対して署名や批准を行うことに消極的な国が少なくなかった{{sfn|安藤|2014|pp=44–45}}。しかし、2001年に[[アメリカ同時多発テロ事件]]が発生し、その実行犯へ[[ウサーマ・ビン・ラーディン]]が資金提供を行なっていた疑いが強まり、テロ活動の資金への関心が高まった{{sfn|安藤|2014|pp=44–45}}。 |
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[[File:UA Flight 175 hits WTC south tower 9-11 edit.jpeg|thumb|ユナイテッド航空175便が世界貿易センタービル南棟に突入した瞬間]] |
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2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件は、史上最大の犠牲者を出したハイジャック事件となった<ref name=britanica/>。テロリストがアメリカで4機の旅客機を乗っ取り自爆攻撃を行なった事件である<ref name=britanica/>。 |
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[[アメリカン航空11便テロ事件|アメリカン航空11便]]と[[ユナイテッド航空175便テロ事件|ユナイテッド航空175便]]は、ハイジャックされて[[ワールドトレードセンター (ニューヨーク)|ワールドトレードセンター]]のノースタワーとサウスタワーにそれぞれ突入した<ref name=asn-20010911-0>{{ASN accident |id=20010911-0 |title=ASN Aircraft accident Boeing 767-223ER N334AA New York, NY |accessdate=2017-12-15}}</ref><ref name=asn-20010911-1>{{ASN accident |id=20010911-1 |title=ASN Aircraft accident Boeing 767-222 N612UA New York, NY |accessdate=2017-12-15}}</ref>。航空機の衝突後にタワーは相次いで崩壊し、両機の搭乗者全員と地上で巻き込まれた犠牲者を合わせて約3,000人が死亡した<ref name=asn-20010911-0/><ref name=asn-20010911-1/>。なお、衝突と倒壊は短時間で発生しており、2機それぞれの犠牲者数を特定することは困難である<ref name=asn-20010911-0/><ref name=asn-20010911-1/>。 |
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同じくハイジャックされた[[アメリカン航空77便テロ事件|アメリカン航空77便]]は、[[アメリカ国防総省]]の[[ペンタゴン]]に突入した<ref name=asn-20010911-3>{{ASN accident |id=20010911-3 |title=ASN Aircraft accident Boeing 757-223 N644AA Washington, DC |accessdate=2017-12-15}}</ref>。衝突により爆発炎上し、搭乗者64人全員と地上の125人が死亡した<ref name=asn-20010911-3/>。[[ユナイテッド航空93便テロ事件|ユナイテッド航空93便]]も同様にハイジャックされ、機体の操縦を奪われたが、乗客たちの抵抗により犯人の意図した目標へ到達する前に墜落した<ref name=20010911-2>{{ASN accident |id=20010911-2 |title=ASN Aircraft accident Boeing 757-222 N591UA Shanksville, PA |accessdate=2017-12-15}}</ref>。同便では、搭乗者44人全員が死亡した<ref name=20010911-2/>。 |
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2010年には、最近のテロ防止関連条約に共通に取り入れられている規定をモントリオール条約やヘーグ条約に導入するため、「[[国際民間航空についての不法な行為の防止に関する条約]]」(北京条約)および「航空機の不法な奪取の防止に関する条約の追加議定書」(北京議定書)が作成された<ref name=mofa/>。 |
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== 主なハイジャック事件の一覧 == |
== 主なハイジャック事件の一覧 == |
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[[1970年代]]初頭に過激派などによるハイジャックが頻繁に起きるようになり、各国はその対応に追われ、空港での[[セキュリティチェック]]の強化やハイジャックに対応した[[特殊部隊]]の創設などを行った。また、1978年、[[西ドイツ]]の[[ボン]]で開催された[[第4回先進国首脳会議]]では、「航空機ハイジャックに関する声明(ボン声明)」が採択された。 |
[[1970年代]]初頭に過激派などによるハイジャックが頻繁に起きるようになり、各国はその対応に追われ、空港での[[セキュリティチェック]]の強化やハイジャックに対応した[[特殊部隊]]の創設などを行った。また、1978年、[[西ドイツ]]の[[ボン]]で開催された[[第4回先進国首脳会議]]では、「航空機ハイジャックに関する声明(ボン声明)」が採択された。 |
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日本においては、国内初のハイジャック事件である「[[よど号ハイジャック事件]]」が発生した時点では、ハイジャック自体を処罰する法律は存在していなかった。このため、この事件を受けて[[航空機の強取等の処罰に関する法律]]、いわゆる「ハイジャック防止法」が成立し施行された。また、1978年3月に新東京国際空港は日本発のハイジャック防止組織として[[成田国際空港]]に財団法人[[空港保安事業センター]]を開設した(なお、センターの本部は[[東京国際空港]]にある)。 |
日本においては、国内初のハイジャック事件である「[[よど号ハイジャック事件]]」が発生した時点では、ハイジャック自体を処罰する法律は存在していなかった。このため、この事件を受けて東京条約を批准した後、[[航空機の強取等の処罰に関する法律]]、いわゆる「ハイジャック防止法」が成立し施行された{{sfn|浅野|1989|p=42}}。1977年に[[日本赤軍]]による[[ダッカ日航機ハイジャック事件]]が発生した後には、防止対策が強化されて持ち込み手荷物の制限が行われるようになった<ref name=hijacking-jk/>。また、1978年3月に新東京国際空港は日本発のハイジャック防止組織として[[成田国際空港]]に財団法人[[空港保安事業センター]]を開設した(なお、センターの本部は[[東京国際空港]]にある)。 |
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[[1980年代]] - [[1990年代]]にはその勢いは一時的に収まったものの、[[アメリカ合衆国]]で2001年9月11日、ハイジャックされた航空機による[[アメリカ同時多発テロ事件]]が発生したことから、ハイジャックの防止は再び世界的課題となった。各国の空港で手荷物・身体検査・[[本人確認]]の徹底や乗客名簿の公安当局への提出、鋏付き[[ソーイングキット]]やミニ[[爪切り]]などあらゆる“刃が付いた・棒状鋼”の機内持ち込み禁止、果ては[[機内食]]の[[カトラリー]](スプーン・フォーク・ナイフ)がスチール製から樹脂製へ変更される<ref>[[エコノミークラス]]のみ。[[ビジネスクラス]]や[[ファーストクラス]]では現在もステンレスを採用している航空会社もある。</ref>など、警備が大幅に強化されるようになった。 |
[[1980年代]] - [[1990年代]]にはその勢いは一時的に収まったものの、[[アメリカ合衆国]]で2001年9月11日、ハイジャックされた航空機による[[アメリカ同時多発テロ事件]]が発生したことから、ハイジャックの防止は再び世界的課題となった。各国の空港で手荷物・身体検査・[[本人確認]]の徹底や乗客名簿の公安当局への提出、鋏付き[[ソーイングキット]]やミニ[[爪切り]]などあらゆる“刃が付いた・棒状鋼”の機内持ち込み禁止、果ては[[機内食]]の[[カトラリー]](スプーン・フォーク・ナイフ)がスチール製から樹脂製へ変更される<ref>[[エコノミークラス]]のみ。[[ビジネスクラス]]や[[ファーストクラス]]では現在もステンレスを採用している航空会社もある。</ref>など、警備が大幅に強化されるようになった。 |
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== 脚注・出典 == |
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|title=日本大百科全書(ニッポニカ) / JapanKnowledge Lib |
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== 参考文献 == |
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|title=航空テロリズム規制の諸条約と航空会社の賠償責任について |
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|title=国際テロリズムに対する法的規制の構造-テロリズム防止関連諸条約における裁判管轄権の検討- |
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|title=Aviation Security Management [3 volumes] |
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==外部リンク== |
==外部リンク== |
2017年12月16日 (土) 09:28時点における版
テロリズム |
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ポータル・ カテゴリ |
ハイジャック(英語: hijack、hijacking)とは、武器による脅迫などの暴力的手段によって交通機関(航空機、鉄道、船舶、バスなど)を乗っ取り、占拠する行為。特に、航空機への行為に用いられることが多い。
セッションハイジャックなど交通手段以外でも不正に何かを乗っ取ることも慣用句的にハイジャックと呼ばれる。また、「メディアジャック」など非暴力・合法的な手段で対象を占拠した場合も比喩的に呼ばれる。
目的
ハイジャックの目的は様々で、亡命、刑務所で服役している仲間(政治犯やテロリストなど)の釈放、テロリズム、身代金(人質行為)など意図が明確なものから、乗り物自体に対する異常な興味や精神的錯乱、テロに便乗した模倣犯といったものにまで及ぶ。
1931年に初の航空機ハイジャックが起きて以降、1940年代後半から1950年代後半はいわゆる東側諸国において西側諸国への亡命を目的としたハイジャックが多発した。1960年代後半から1980年代前半にかけてはPFLPや日本赤軍、バーダー・マインホフ・グループなどの極左過激派によるハイジャックが頻繁に起きるようになった。また、アメリカ合衆国では犯罪者などがキューバ行きを要求する通称「キューバ急行」が多発していた。2000年代以降ではイスラム過激派によるアメリカ同時多発テロ事件のハイジャックのように、政治的要求をするのではなく、テロ実行の手段としたハイジャックも行われている。
語源
1920年代のアメリカで、駅馬車や自動車、列車等を乗っ取り、その貨物を強奪する行為として用いられるようになったのが起源とされる。語源については諸説あるが、有名なものは以下のとおり。
- 強盗が駅馬車の御者を呼び止める際に「Hi, Jack!(やあ、あんた)」と声をかけた事から成立したとする説。
- 「(公道に騎馬で現れた)追いはぎ、辻強盗」を意味する「highwayman」と、強盗犯を意味する「jacker」を組み合わせた「hijacker」の逆成とする説。
- 強盗の「Stick'em up high, Jack(手を高く上げろ)」という文句から成立したとする説。
したがって、原語においては種類に関わらず乗り物を乗っ取る行為は基本的に「ハイジャック」と表現する。航空機乗っ取りに関しては「aircraft hijacking」、「air(craft) piracy」などと表現することが多く、小説『スカイジャック』が発表されて以降は「スカイジャック (skyjack)」という用法も生まれている。日本においては「Hi」を「高い」、「jack」を「乗っ取り」の意味と勘違いして、「バスジャック」「電波ジャック」「番組ジャック」など多数の「○○ジャック」という和製英語が生まれることになった。ただし、英語圏においても若者の間で自動車乗っ取りを「カージャック (carjacking)」、海上での乗っ取り行為 (Maritime hijacking) を稀に「シージャック (seajacking)」と短縮表記する例も見られはじめてる[1]。
英語圏では、ジャック という名前が男性の一般的な略称であるため、ロサンゼルス国際空港のように、「Hi, Jack」(ハイ、ジャック)あるいは「Hey, Jack」(ヘイ、ジャック)と挨拶することは避け、不意の混乱を起こさないように呼びかけている場所もある。[要出典]
航空機ハイジャックの歴史
記録に残る史上初の航空機ハイジャックは、1931年2月21日にペルーのアレキパで発生した[2]。空港への着陸直後に航空機が革命軍により包囲され、別の目的地へ飛行するよう要求された[3]。これを拒否したパイロットは革命軍に拘束されたが、3月2日に解放された[3]。
1948年7月17日、アジアで最初の航空機ハイジャックとなる「キャセイ・パシフィック航空機ハイジャック事件」が発生した[4]。 マカオから香港へ向かっていた旅客機が乗っ取られ、その後墜落したため乗客3人と乗員22人が死亡した[5]。
1961年5月1日には、アメリカ合衆国で最初の航空機ハイジャックが発生した[6]。フロリダ・キーズ・マラソン空港からキーウェスト国際空港へ向かっていた旅客機が乗っ取られ、キューバへ向かうよう要求された[6][7]。
航空機ハイジャックの発生件数は1968年から急増し、1972年には108件と年間100件を超える年もあった[8]。ハイジャックは航空会社にとって大きな脅威となり、世界各国で防止対策がとられた[8]。
1960年代から1970年代にかけ、国際民間航空機関 (International Civil Aviation Organization; ICAO) において航空機にまつわる犯罪を防止するための3つの国際条約が作られ、国際協力体制の法的枠組みの構築が図られた[9][10]。この3条約とは、1963年の「航空機内で行われた犯罪その他ある種の行為に関する条約」(東京条約)、1970年の「航空機の不法な奪取の防止に関する条約」(ヘーグ条約)、1971年の「民間航空の安全に対する不法な行為の防止に関する条約」(モントリオール条約)である[9]。
東京条約では、主に飛行中の航空機内で行われた犯罪や航空機の安全を害する行為に対する裁判管轄権や、これら犯罪等を取り締まるための機長の権限を定められた [11]。東京条約の制定当時はハイジャック発生件数はそれほど多くなく、同条約ではハイジャックは主たる規制対象とは捉えられていなかった[11]。
しかし、同条約が発効した1969年にはハイジャックの発生件数が急増しており、同条約では対処しきれなくなっていた[11]。そこで、1970年に作成されたヘーグ条約では、ハイジャックの防止を主たる目的とし、東京条約では不十分だった点が強化された[12]。同条約では航空機の不法奪取等を犯罪と認め、ハイジャック犯に重い刑罰を科すことを締約国に義務付けたほか、犯人引き渡しに関する規定が定められた[11]。
さらに、1971年に作成されたモントリオール条約では、ハイジャック以外の民間航空の安全に対する一定の不法な行為を犯罪とし、その犯人の処罰及び引き渡し等について規定された[11][10]。同条約では、飛行中だけでなく、業務中の航空機や航空施設に対する破壊や安全を損なう行為についても重い刑罰を科すよう締約国に義務付けた[11]。さらに、裁判権の広範囲な設定や犯人の引き渡しについても規定されている[11]。ヘーグ条約やモントリオール条約では、締約国の何れかにおいて犯人を処罰する体制を確立し、犯入に逃げ込み場を作らないという一種の世界主義的な考え方が導入されている[13]。
これらの国際条約以外に、2国間で犯人引き渡し等を定めた協定が結ぶ例もあった[11]。1973年に、国交を断絶中のアメリカとキューバは航空機や船舶の不法奪取及びその他の犯罪に関する協定を結んだ[11]。この協定は、犯人の引き渡しや処罰について規定しており、不法奪取行為を防止する実効性を発揮したと評価されている[11]。
1988年には、モントリオール条約を補足する議定書として「千九百七十一年九月二十三日にモントリオールで作成された民間航空の安全に対する不法な行為の防止に関する条約を補足する国際民間航空に使用される空港における不法な暴力行為の防止に関する議定書」(空港不法暴力行為防止議定書)が採択された[14]。1980年代に空港におけるテロ事件が増加したことを受けて、国際空港の安全を損なう一定の暴力行為を犯罪と定め、犯人の処罰のための措置が規定された[14]。
この頃、プラスチック爆弾を用いた航空機爆破事件が相次いだ[15]。1987年には、大韓航空機爆破事件が発生し、ボーイング707が爆破され搭乗者全員の115人が死亡した[16]。1988年には、パンアメリカン航空103便爆破事件が発生し、パンアメリカン航空のボーイング747が爆破され、搭乗者259人全員と地上で巻き込まれた11人が死亡した[17]。1989年にはUTA航空772便爆破事件が発生し、フランスのUTAのマクドネル・ダグラスDC-10が爆破され、搭乗者全員の170人が死亡した[18]。 これらの事件、特にパンアメリカン航空103便爆破事件を直接的な契機として、ICAOにより「可塑性爆薬の探知のための識別措置に関する条約」(可塑性爆薬探知条約)が作成された[15]。この条約では、可塑性爆薬への探知剤の添加等の措置を締約国に義務づけている[10]。
1990年代になると、組織的で大規模なテロ活動の背後にある資金源を断つ必要性が認識されるようになった[19]。既存の条約では資金供与について明示的に扱われていないことを踏まえ、1999年、国連においてテロリズムに対する資金供与の防止に関する国際条約が採択された[19]。この条約では、テロ行為の準備行為となる資金提供や収集自体を犯罪と定め、そうした行為を行った者の訴追や処罰することでテロ行為を防止することが図られた[20]。当初、この条約に対して署名や批准を行うことに消極的な国が少なくなかった[21]。しかし、2001年にアメリカ同時多発テロ事件が発生し、その実行犯へウサーマ・ビン・ラーディンが資金提供を行なっていた疑いが強まり、テロ活動の資金への関心が高まった[21]。
2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件は、史上最大の犠牲者を出したハイジャック事件となった[6]。テロリストがアメリカで4機の旅客機を乗っ取り自爆攻撃を行なった事件である[6]。
アメリカン航空11便とユナイテッド航空175便は、ハイジャックされてワールドトレードセンターのノースタワーとサウスタワーにそれぞれ突入した[22][23]。航空機の衝突後にタワーは相次いで崩壊し、両機の搭乗者全員と地上で巻き込まれた犠牲者を合わせて約3,000人が死亡した[22][23]。なお、衝突と倒壊は短時間で発生しており、2機それぞれの犠牲者数を特定することは困難である[22][23]。
同じくハイジャックされたアメリカン航空77便は、アメリカ国防総省のペンタゴンに突入した[24]。衝突により爆発炎上し、搭乗者64人全員と地上の125人が死亡した[24]。ユナイテッド航空93便も同様にハイジャックされ、機体の操縦を奪われたが、乗客たちの抵抗により犯人の意図した目標へ到達する前に墜落した[25]。同便では、搭乗者44人全員が死亡した[25]。
2010年には、最近のテロ防止関連条約に共通に取り入れられている規定をモントリオール条約やヘーグ条約に導入するため、「国際民間航空についての不法な行為の防止に関する条約」(北京条約)および「航空機の不法な奪取の防止に関する条約の追加議定書」(北京議定書)が作成された[10]。
主なハイジャック事件の一覧
ハイジャックを除く民間航空機に対して行われたテロ行為や破壊行為については、「航空機テロ・破壊行為の一覧」を参照のこと。
1959年以前
- 1948年7月17日[27]
- 便名: キャセイパシフィック航空 ミス・マカオ号(機体記号:VR-HDT)[27]
- 機種: コンソリデーテッド PBY-5A カタリナ[27]
- 死者: 乗員乗客26人中25人が死亡[27]。
- 状況: マカオから香港に向かう航空機がハイジャックされたが、犯行グループが誤って操縦士を射殺したため墜落し、犯人以外の全員が死亡した。
- 詳細: 「キャセイ・パシフィック航空機ハイジャック事件」を参照。
- 1950年3月23日
- 便名: チェコスロバキア国営航空
- 機種: ダグラス DC-3
- 死者: なし。
- 状況: ハイジャックされ西ドイツに着陸。犯行グループ4人による亡命であったが、乗客2人も便乗して亡命した。同年には同じ航空会社の他の2機も亡命目的でハイジャックされている。
1960年代
- 1968年7月23日
- 1969年8月29日
- 便名: トランス・ワールド航空 840便
- 機種: ボーイング 707-331B[32]
- 死者: なし。
- 状況: ローマからアテネに向かっていたテルアビブ行きの国際線が、PFLPのテロリストにハイジャックされた。ハイジャック実行犯のライラ・カリドは、1970年にもハイジャックを起こしている。
- 詳細: 「トランス・ワールド航空840便ハイジャック事件」を参照。
- 1969年10月31日
- 1969年12月11日
1970年代
- 1970年9月6日 - 9月12日
- 便名: 1) エル・アル航空 219便[35]、2) トランス・ワールド航空 741便[36]、3) スイス航空 100便[37]、4) パンアメリカン航空 93便[38]、5) 英国海外航空 (BOAC) 775便[39]
- 機種: 1) ボーイング 707-458[35]、2) ボーイング 707-331B[36]、3) ダグラス DC-8-53[37]、4) ボーイング 747-121[38]、5) ヴィッカース VC10-1151[39]
- 死者: 1)の犯人1人が死亡。
- 状況: 計4機の旅客機がPFLPのテロリストによって同時にハイジャックされ、収監されている同志の釈放を要求した。同乗していた私服警備員が銃撃戦の末犯人を射殺・拘束したエル・アル機と、機体の問題で着陸できなかったパンナム機以外の2機が、ヨルダンの砂漠にある空軍基地跡に強制着陸させられ、その後BOAC機もハイジャックされ、同地に着陸させられた。交渉の末全ての乗客が解放された後、示威行為のため3機の旅客機は爆破された。エル・アル機で拘束されたライラ・カリドは、1969年に発生したトランス・ワールド航空840便ハイジャック事件の実行犯でもあった。
- 詳細: 「PFLP旅客機同時ハイジャック事件」を参照。
- 1971年11月24日
- 便名: ノースウエスト・オリエント航空 305便[41]
- 機種: ボーイング 727-51[41]
- 死者: なし。
- 状況: ハイジャックでは珍しい身代金を要求。犯人は飛行中の旅客機の後部階段からパラシュートで脱出し以後消息不明、未解決事件となった。
- 詳細: 「D.B.クーパー事件」を参照。
- 1971年4月7日
- 便名: ユナイテッド航空 855便
- 機種: ボーイング ボーイング727
- 死者: なし。
- 状況: 4か月前のD.B.クーパー事件と同様の手口で身代金を略取し、飛行中の旅客機からパラシュートで脱出したが、2日後に逮捕された。
- 詳細: 「リチャード・マッコイ」を参照。
- 1973年7月20日
- 1976年6月27日
- 便名: エールフランス 139便[47]
- 機種: エアバス A300B4-203[47]
- 死者: 乗客3人と犯人6人が死亡。
- 状況: テルアビブからパリに向かったエールフランス機がPFLPと革命細胞の混成グループにハイジャックされ、リビアのベンガジを経由してウガンダのエンテベ国際空港に着陸。ここでユダヤ人以外の人質が釈放された。同国の独裁者であるイディ・アミン大統領はPFLPを支持し、人質103名を空港の旧ターミナル内に押し込めた。7月3日深夜、イスラエルの特殊部隊は人質を救出すべく救出作戦を決行。人質3名と強襲部隊指揮官のネタニヤフ中佐(後のイスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフの兄)が死亡したものの、そのほとんどを助け出した。この電撃作戦は3社で映画化され[48]世界中で物議を醸した。
- 詳細: 「エンテベ空港奇襲作戦」を参照。
- 1976年8月23日
- 1977年9月28日
- 便名: 日本航空 472便[50]
- 機種: マクドネル・ダグラス DC-8-62[50]
- 死者: なし。
- 状況: 南回り欧州航路として運航されていたパリ発羽田行きの便が、経由地サンタクルズ国際空港を離陸直後に武装した日本赤軍のメンバー5人にハイジャックされた。当該機はバングラデシュのダッカ国際空港に強行着陸し、ハイジャック犯は身代金と拘留・服役中の9人の釈放を求め、日本政府は超法規的措置として6人を釈放した。最終的にアルジェリアのダル・エル・ペイダ空港で残った人質と乗員が解放された。
- 詳細: 「ダッカ日航機ハイジャック事件」を参照。
- 1977年10月13日
- 便名: ルフトハンザドイツ航空 181便[51]
- 機種: ボーイング 737-230C[51]
- 死者: 乗員1人と犯人3人が死亡。
- 状況: スペイン領マリョルカ島パルマ・デ・マリョルカ発フランクフルト・アム・マイン行きのルフトハンザ航空機が、ドイツ赤軍 (RAF) とパレスチナ解放人民戦線 (PFLP) の混成グループにハイジャックされ、中東の空港を転々とした後、ソマリアのモガディシオに着陸させられた。10月17日、ミュンヘンオリンピック事件をきっかけに設立された西ドイツの対テロ特殊部隊である第9国境警備群が急襲し人質全員を解放した。
- 詳細: 「ルフトハンザ航空181便ハイジャック事件」を参照。
- 1977年12月4日
1980年代
- 1981年3月28日
- 便名: ガルーダ・インドネシア航空 206便
- 機種: マクドネル・ダグラス DC-9-32[52]
- 死者: 犯人4人が死亡[52]。
- 状況: パレンバンからメダンに向かっていたガルーダ・インドネシア航空の国内線が、イスラム過激派5人組にハイジャックされ、タイのバンコクで膠着状態となった。事件発生から約65時間後の3月31日未明、インドネシア軍の特殊部隊が突入し解決した。
- 詳細: 「ガルーダ航空206便ハイジャック事件」を参照。
- 1983年5月5日
- 便名: 中国民航(機体記号:B-296)[54]
- 機種: ホーカー・シドレー HS-121 トライデント 2E[54]
- 死者: なし。
- 状況: 瀋陽発上海行きの中国民航の国内線が6名の武装グループにハイジャックされ、領空侵犯した韓国で在韓米軍機の誘導により春川の在韓米軍基地に緊急着陸した。その後犯人はアメリカへの亡命を求め投降、逮捕された。当時外交関係がなかった中韓両国が事後処理で朝鮮戦争後初の直接交渉を行い、最終的にソウル地方裁判所で懲役2年から6年の実刑判決となったが、犯人らは当時国交のあった台湾へ亡命した。なお犯行グループは台湾で「反共義士」として報奨金を受け取ったが、首謀者は後に誘拐殺人事件を引き起こし、2001年に死刑になった。
- 詳細: 「中国民航機韓国着陸事件」を参照。
- 1984年12月4日
- 便名: クウェート航空 221便
- 機種: エアバス A300C4-620[55]
- 死者: 乗客2人が死亡。
- 状況: パキスタンのカラチに向かっていたクウェート航空機が4人組に乗っ取られ、イランの首都テヘランにあるメヘラーバード国際空港に緊急着陸した。事態はそのまま膠着し、発生から5日後の12月9日深夜、イランの革命防衛隊の突入により事件は解決した。
- 詳細: 「クウェート航空221便ハイジャック事件」を参照。
- 1985年6月14日
- 便名: トランス・ワールド航空 (TWA) 847便[56]
- 機種: ボーイング 727-231[56]
- 死者: 乗客1人が死亡。
- 状況: アテネからローマへ向かったTWA機が、地中海上空を飛行中にイスラム過激派を名乗る2人組にハイジャックされた。事件は17日間に及び、TWA機はレバノンとアルジェリアの間を数度往復した。事件でアメリカ人乗客1名が射殺されたため、アメリカ政府はこの事件の報復として、リビアの指導者であるムアンマル・アル=カッザーフィーの自宅を爆撃、娘を含む親類や側近数名を殺害した。
- 詳細: 「トランスワールド航空847便テロ事件」を参照。
- 1985年11月23日
- 便名: エジプト航空 648便[57]
- 機種: ボーイング 737-266[57]
- 死者: 乗員乗客58人と犯人2人が死亡。
- 状況: アテネ発カイロ行きのエジプト航空機の国際線が国際テロ組織「アブ・ニダル」にハイジャックされ、リビアに向かうよう要求された。事件発生当初、同乗していたスカイマーシャルが応戦したものの、射殺された。ハイジャックの目的は、中東問題に対するエジプト政府の姿勢に抗議するためであったが、燃料が不足していたためハイジャック機はマルタに緊急着陸した。着陸後主犯格のオマル・レザックは乗客3人を射殺した。事件発生から25時間後にエジプトの特殊部隊が強行突入し、犯人との銃撃戦の末機体を奪還したが、その際乗客に多数の死亡者が発生した。犯人3人のうち2人は死亡、主犯格のレザックは重傷で発見された。彼はマルタでの裁判で懲役25年の判決を言い渡されたが、服役7年後に恩赦が行われ釈放された。しかしFBIはICPOの協力を得、レザックをナイジェリアで拘束した。現在、彼はアメリカ国内で終身刑に服している。
- 詳細: 「エジプト航空648便ハイジャック事件」を参照。
- 1986年9月5日
- 便名: パンアメリカン航空 73便[58]
- 機種: ボーイング 747-121[58]
- 死者: 少なくとも乗員乗客21人が死亡[59]。
- 状況: パキスタンのカラチにあるジンナー国際空港に駐機中だったパンアメリカン航空73便が、国際テロ組織「アブ・ニダル」にハイジャックされた。操縦室にいた乗務員は脱出に成功したため、客室乗務員と乗客を乗せたまま同国政府と犯人との交渉が行われた。代わりの乗務員の到着を待っていた22時ごろ、補助電源装置が停止して機内が真っ暗になったのを突入の合図と誤認したハイジャック犯が、人質に手榴弾を投げつけ、無差別銃撃を行い、結果として21人以上の乗員乗客が死亡した[59]。
- 詳細: 「パンアメリカン航空73便ハイジャック事件」を参照。
- 1987年12月7日
- 便名: パシフィック・サウスウエスト航空 (PSA) 1771便[60]
- 機種: BAe 146-200[60]
- 死者: 乗員乗客43人全員が死亡[60]。
- 状況: PSAの親会社であるUSエアウェイズに不満を持つ元従業員が、乗員などに発砲の上、機体を急降下させたため墜落した。音速を超える速度で地面に激突したため、機体や遺体は破片となって四散した。
- 詳細: 「パシフィック・サウスウエスト航空1771便墜落事故」を参照。
1990年代
- 1990年10月2日
- 便名: 1) 厦門航空 8301便[63]、2) 中国南方航空(機体記号:B-2812)[64]、3) 中国西南航空 2402便(機体記号:B-2402)[65]
- 機種: 1) ボーイング 737-247[63]、2) ボーイング 757-21B[64]、3) ボーイング 707-3J6B[65]
- 死者: 3機の乗員乗客225人中128人が死亡[63][64][65]。
- 状況: ハイジャックされた廈門航空の旅客機が燃料不足のため広州白雲国際空港(旧空港)に緊急着陸しようとしたが、その際犯人ともみ合いになったため着陸に失敗。離陸待ちだった中国南方航空機と駐機中の中国西南航空機に相次いで衝突した後、横転して炎上した。廈門航空機で82人(犯人含む)、中国南方航空機で46人が死亡した。
- 詳細: 「1990年広州白雲空港衝突事故」を参照。
- 1994年4月7日
- 便名: フェデックス・エクスプレス 705便
- 機種: マクドネル・ダグラス DC-10-30F[66]
- 死者: なし。
- 状況: フェデックス・エクスプレスの航空機関士であった犯人は、便乗した貨物機をハイジャックしようとしたが、反撃され未遂に終わった。
- 詳細: 「フェデックス705便ハイジャック未遂事件」を参照。
- 1994年12月24日
- 便名: エールフランス 8969便[68]
- 機種: エアバス A300B2-1C[68]
- 死者: 乗客3人と犯人4人が死亡[68]。
- 状況: アルジェリアのアルジェにあるウアリ・ブーメディアン空港で、フランスのパリ=オルリー空港行きのエールフランス機が、離陸準備中に4人組の武装イスラム集団にハイジャックされた。アルジェの空港で膠着状態が続き、26日未明にマルセイユ・プロヴァンス空港へ移動した後、GIGNが人質を救出した。
- 詳細: 「エールフランス8969便ハイジャック事件」を参照。
2000年代
- 2001年9月11日
- 便名: 1) アメリカン航空 11便、2) ユナイテッド航空 175便、3) アメリカン航空 77便、4) ユナイテッド航空 93便
- 機種: 1) ボーイング 767-223ER[72]、2) ボーイング 767-222[73]、3) ボーイング 757-223[74]、4) ボーイング 757-222[75]
- 死者: 4機の乗員乗客265人全員と地上の約2700人が死亡[72][73][74][75][76]。
- 状況: アルカーイダに所属する複数のテロリストによってハイジャックされた航空機4機がニューヨークのワールドトレードセンター、ワシントンの国防総省(ペンタゴン)、ペンシルベニア州シャンクスヴィル近郊に次々と激突、墜落した。ビルの火災や崩壊などにより死者・行方不明者が約3000人となる、航空機に関連した惨事としては史上最悪のものとなった。
- 詳細: 「アメリカ同時多発テロ事件」、および「アメリカン航空11便テロ事件」、「ユナイテッド航空175便テロ事件」、「アメリカン航空77便テロ事件」、「ユナイテッド航空93便テロ事件」を参照。
- 2005年9月12日
- 便名: AIRESコロンビア航空 (機体記号:HK-4030X)[77]
- 機種: デ・ハビランド・カナダ DHC-8-301[77]
- 死者: なし。
- 状況: コロンビアのフロレンシア発ボゴタ行きのAIRESコロンビア機が親子にハイジャックされ、空軍基地に緊急着陸した。乗客と乗員は全員解放された。
- 2009年9月9日
- 便名: アエロメヒコ航空 576便[79]
- 機種: ボーイング 737-852[79]
- 死者: なし。
- 状況: メキシコの国内線でボリビア人によるハイジャックが発生した。メキシコ・シティ国際空港着陸後、犯人はフェリペ・カルデロンメキシコ大統領との対話を要求したが、メキシコ連邦警察の突入により身柄を拘束された。
- 詳細: 「アエロメヒコ航空576便ハイジャック事件」を参照。
2010年代
日本における主なハイジャック事件
日本航空のハイジャック事件は「日本航空ハイジャック事件」、全日空のハイジャック事件は「全日本空輸ハイジャック事件」もそれぞれ参照。
- 1970年8月19日
- 1977年3月17日
ハイジャック防止のための取り組み
1970年代初頭に過激派などによるハイジャックが頻繁に起きるようになり、各国はその対応に追われ、空港でのセキュリティチェックの強化やハイジャックに対応した特殊部隊の創設などを行った。また、1978年、西ドイツのボンで開催された第4回先進国首脳会議では、「航空機ハイジャックに関する声明(ボン声明)」が採択された。
日本においては、国内初のハイジャック事件である「よど号ハイジャック事件」が発生した時点では、ハイジャック自体を処罰する法律は存在していなかった。このため、この事件を受けて東京条約を批准した後、航空機の強取等の処罰に関する法律、いわゆる「ハイジャック防止法」が成立し施行された[87]。1977年に日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件が発生した後には、防止対策が強化されて持ち込み手荷物の制限が行われるようになった[8]。また、1978年3月に新東京国際空港は日本発のハイジャック防止組織として成田国際空港に財団法人空港保安事業センターを開設した(なお、センターの本部は東京国際空港にある)。
1980年代 - 1990年代にはその勢いは一時的に収まったものの、アメリカ合衆国で2001年9月11日、ハイジャックされた航空機によるアメリカ同時多発テロ事件が発生したことから、ハイジャックの防止は再び世界的課題となった。各国の空港で手荷物・身体検査・本人確認の徹底や乗客名簿の公安当局への提出、鋏付きソーイングキットやミニ爪切りなどあらゆる“刃が付いた・棒状鋼”の機内持ち込み禁止、果ては機内食のカトラリー(スプーン・フォーク・ナイフ)がスチール製から樹脂製へ変更される[88]など、警備が大幅に強化されるようになった。
2007年2月23日、アメリカ合衆国国土安全保障省は、人間1人の全身を透視出来る、大型全身X線スキャナを空港に試験導入(被検者は金属探知で異状ありとされた人物に限るという)。これにより危険物持込や薬物密輸阻止に資するとしているが、アメリカ自由人権協会は「搭乗予定者を裸に剥くも同然であり人権侵害」として、議会に完全実施の禁止措置を要請している。一方イギリスでは、2010年1月以降、ロンドン・ヒースロー空港を始めとする全ての空港に全身スキャナーを導入、搭乗者に搭乗前通過を義務付けている。
ハイジャックに対応する保安要員として、スカイマーシャルが搭乗する国もある。アメリカ(連邦航空保安局)やイスラエルにおいては、ハイジャックに際してはスカイマーシャルに犯人への対処を任せつつ、パイロットは強化ドアに護られたコックピットに篭って、一刻も早く機体を緊急着陸させることとなっている。
航空機の奪取や航空機内での犯罪に関しては、各国とも重大な事案と認識されており、その対応に関して以下で掲げた複数の国際条約が制定されている。なお、冒頭の西暦年は作成もしくは採択された年を示す。
- 1963年: 航空機内で行われた犯罪その他ある種の行為に関する条約(航空機内の犯罪防止条約、東京条約)
- 1970年: 航空機の不法な奪取の防止に関する条約(航空機不法奪取防止条約、ハーグ条約)
- 1971年: 民間航空の安全に対する不法な行為の防止に関する条約(民間航空不法行為防止条約、モントリオール条約)
- 1979年: 人質をとる行為に関する国際条約(人質行為防止条約)
- 1988年: 1971年9月23日にモントリオールで作成された民間航空の安全に対する不法な行為の防止に関する条約を補足する国際民間航空に使用される空港における不法な暴力行為の防止に関する議定書(空港不法暴力行為防止議定書、モントリオール議定書)
- 2010年: 国際民間航空についての不法な行為の防止に関する条約(北京条約)
ハイジャックを扱った作品
映画
- ハイジャック(原題:Skyjacked、1972年)
- ジョン・ギラーミン監督、出演はチャールトン・ヘストン、ジェームズ・ブローリン、イヴェット・ミミュー、音楽ペリー・ボトキン・ジュニア。妄想に駆られた者がアメリカ合衆国の国内線旅客機を乗っ取りモスクワに行けと要求するが、ソビエト連邦はその受け入れを拒否する。
- パッセンジャー57(1992年)
- ケビン・フックス監督。
- エグゼクティブ・デシジョン(1996年)
- スチュアート・ベアード監督。
- エアフォース・ワン(1997年)
- ウォルフガング・ペーターゼン監督。VC-25「エアフォースワン」をハイジャックしたテロリストとの闘いを描く。
- コン・エアー(1997年)
- サイモン・ウェスト監督。輸送機をハイジャックした凶悪犯と元陸軍突撃隊員との闘いを描く。
- エア・レイジ(2000年)
- エド・レイモンド(フレッド・オーレン・レイ)監督。ボーイング747をハイジャックしたテロリストと特殊部隊の闘いを描く。劇中では何故か747の初号機のデモカラーが用いられていた。
- ユナイテッド93(2006年)
- ポール・グリーングラス監督。ユナイテッド航空93便テロ事件を扱ったノンフィクションの映画。
- フライト・ゲーム(2014年)
- ジャウム・コレット=セラ監督。 航空保安官のビル・マークスと姿の見えないハイジャック犯との戦いを描く。
漫画・アニメ
- ゴルゴ13(1968年 - )
- エロイカより愛をこめて(1976年 - )
小説
- シャドー81(1975年)
ハイジャック派生の言葉一覧
犯罪・不正行為
- シージャック - 運航中の船舶を奪取する行為。
- バスジャック - 運行中のバスを奪取する行為。
- カージャック - 運行中の自動車を奪取する行為。
- トレインジャック - 運行中の鉄道を奪取する行為。
- 核ジャック - 核兵器やその原料となるウランやプルトニウムといった核物質(放射性物質)を奪取する行為。
- 電波ジャック - 電気通信における正規の伝送路を乗っ取り、正規の受信者に向けて独自の内容を送信すること。
- セッションハイジャック - コンピュータネットワーク通信におけるセッションを、通信当事者以外が乗っ取る攻撃手法。
正規の方法で行われるもの
脚注・出典
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- ^ エコノミークラスのみ。ビジネスクラスやファーストクラスでは現在もステンレスを採用している航空会社もある。
参考文献
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外部リンク
- 青森空港HP 我が国航空機に係るハイジャック等一覧表[リンク切れ]
- Aviation Safety Database 世界各地で発生した民間航空機による事故の便覧(英語)