イディ・アミン

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イディ・アミン
Idi Amin Dada

任期: 1971年 – 1979年
副大統領: ムスタファ・アドリシ

出生: 1920年代
コボコ 或は カンパラ[1]
死去: 2003年8月16日
サウジアラビア ジッダ
配偶: マルヤム・アミン (離婚)
ケイ・アミン (離婚)
ノラ・アミン (離婚)
メディナ・アミン
サラ・アミン

イディ・アミン・ダダ・オウメ終身大統領・元帥法学博士[2] (Idi Amin Dada Oumee, 1923年?[1] - 2003年8月16日)はウガンダ独裁者で元大統領軍人出身のムスリム。身長193cmの巨漢で、東アフリカのボクシングヘビー級チャンピオンや1975年にはアフリカ統一機構 (OAU) 議長になったこともある。

目次

[編集] 経歴

軍歴
 
イギリス植民地軍 王立アフリカ小銃隊
1946年 王立アフリカ小銃隊入隊
1947年 二等兵 (Private)
1952年 伍長 (Corporal)
1954年 エフェンディ(下士官
1961年 最初のウガンダ人国王任命士官, 中尉
 
ウガンダ軍
1962年 大尉
1963年 少佐
1964年 国軍副司令官
1965年 大佐, 国軍司令官
1968年 少将
1971年 国家元首
国防評議会議長
国軍総司令官
陸軍参謀長, 空軍参謀長
1975年 元帥

アミンは自伝や公式の経歴を残さず、出生地や出生日は不詳である。イギリス植民地時代のウガンダで1925年頃にコボコかカンパラ生まれとする説が多数である。マケレレ大学のフレッド・グウェデコによれば、アンドレアス・ニャビレ (1889年 – 1976年) の子で、ニャビレは1910年にカトリックからイスラム教へ改宗し、アミン・ダダに改姓した。ウガンダ北西部の西ナイル地方に住むカクワ族出身。イディは父に捨てられ、イディ・アウォ=オンゴ・アンゴ (Idi Awo-Ongo Angoo) の名で母方の家庭で育てられた。グウェデコによれば母はルグバラ族の伝統的なハーブ療法家のアッサ・アアテ (1904年 – 1970年) でブガンダ王室にも患者がいた。イディはボンボのイスラーム学校でクルアーンを暗唱、雑務をへて、1946年イギリス植民地軍の王立アフリカ小銃隊に炊事係として雇われた[3]。その体格を生かし部隊内の体育大会で活躍、衆目を浴びる。ボクシングではヘビー級チャンピオンになったほか、白人ばかりのウガンダラグビーチーム唯一の黒人選手として活躍し、植民地軍中尉にまで昇進する。

ウガンダ独立後はミルトン・オボテに協力しムテサ2世を排除、軍参謀総長となり、イギリス連邦首脳会議でオボテが外遊中の1971年1月クーデターで権力を掌握。アドルフ・ヒトラーを崇拝したと言われ[要出典]1970年代のウガンダに独裁政治を敷いた。

オボテが左派的政策を採ったためアミンは西側から期待されてクーデターを実行したが、やがてオボテ支持派を弾圧し、アジア人(ほとんどは植民地時代に入植したグジャラート州などの出身のインド系移民)を追放、国民約30万人(40万人説もあり)を虐殺したとして「黒いヒトラー」「アフリカで最も血にまみれた独裁者」と称された。「人食い大統領」というニックネームもつけられたが、実際のアミンは菜食主義者で、鶏肉しか口にしたことがなかったといわれている。[4]

1978年、自国の軍隊を軍事訓練を行うふりをして隣国タンザニアに侵攻させるが失敗し、逆にタンザニアのジュリウス・ニエレレに敗北し首都のカンパラまで攻め込まれた。1979年、反体制派のウガンダ民族解放戦線に攻撃されて失脚。

リビア経由でサウジアラビア亡命した。2003年8月16日、亡命先のサウジアラビアジッダの病院で、多臓器不全による合併症で死去。

[編集] 余談

  • ボクシングのヘビー級チャンピオンになった経歴から、日本プロレスラーアントニオ猪木との異種格闘技戦の計画が浮上したことがある。仕掛け人は康芳夫。アミンは1979年1月にこの猪木戦を承諾したが、結局は、反体制派クーデターの影響でお流れになった。
  • ユーモア精神の持ち主で、1974年に開かれたアフリカ統一機構の首脳会議での演説でも大いにジョークを連発、会場を沸かせた。その際、アミンとは激しく対立関係にあったタンザニアジュリウス・ニエレレ大統領(当時)も、握手を求めにきたアミンの手を思わず握り返してしまったという。
  • さだまさしは彼の名前の響きが面白いと思い『パンプキン・パイとシナモン・ティー』(1979年 アルバム『夢供養』収録)に出てくる喫茶店の名前を「安眠(あみん)」と名づけた。さらに、さだまさしファンだった岡村孝子は、この名前を取って自らのユニット名にした、それが「あみん」である。
  • ウガンダ・トラ - 容姿が似ていた事からこの芸名がつけられた。

[編集] 関連作品

[編集] 小説

アミン政権下のウガンダを題材にしたジャイルズ・フォーデンの小説。アミンに仕えたスコットランド人の白人青年医師の視点から描かれている。

[編集] 映画

  • "Général Idi Amin Dada: Autoportrait"
1974年 フランス バーベット・シュローダーの監督によるドキュメンタリー。本人が出演。
1981年製作のケニアイギリス合作作品。日本では80年代の『食人族』映画ブームに乗って話題となった。内容は残虐性が多少誇張されているものの決して「残酷映画」の類いではなく、むしろ伝記的に彼の波乱に満ちた半生が史実に基づいて描かれている。
上記小説を元にケヴィン・マクドナルド監督が2006年に映画化。アミンを演じたフォレスト・ウィテカーゴールデン・グローブ賞アカデミー賞それぞれの主演男優賞に輝いた。日本では2007年3月10日公開。

[編集] 脚註

  1. ^ a b ブリタニカ、エンカルタ、コロンビア等の百科事典は出生日不詳で1925年頃にコボコかカンパラで生まれたとしている。マケレレ大学のフレッド・グウェデコは1928年5月17日であると主張している[1]。これには議論があり、[2]死後の混同も含まれる。医師がアミンが80歳で死亡したと語ったため1923年生まれとする例もある。1920年代生まれであることは確実である。
  2. ^ "Idi Amin: a byword for brutality", News24, July 21, 2003.
  3. ^ "Amin, Idi", Encyclopædia Britannica Online, Retrieved April 16, 2008.
  4. ^ 歴史群像 2004年12月号 185頁

[編集] 参考文献