テオドロ・オビアン・ンゲマ

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テオドロ・オビアン・ンゲマ・ンバソゴ
Teodoro Obiang Nguema Mbasogo

2019年撮影

任期 1979年8月3日

アフリカ連合
第9代 総会議長
任期 2011年1月31日2012年1月29日

出生 (1942-06-05) 1942年6月5日(81歳)
スペインの旗 スペイン領ギニア、アコアカン
政党 赤道ギニア民主党
配偶者 コンスタンシア・マンゲ・デ・オビアン

テオドロ・オビアン・ンゲマ・ムバソゴTeodoro Obiang Nguema Mbasogo, 1942年6月5日 - )は、赤道ギニア政治家。現在、同国大統領(第2代)。赤道ギニア民主党の指導者。名前のカタカナ表記は、ンゲマヌゲマ[1]ムバソゴンバソゴとも表記する。アフリカ連合総会議長(第9代)などを歴任した。

経歴[編集]

1982年のンゲマ

スペインの士官学校で学び、母国で大佐になった。1979年8月、叔父であるフランシスコ・マシアス・ンゲマの独裁政権をクーデターで倒し、軍事政権を打ち立て、自らその議長として国家元首(革命軍事評議会議長、のちに最高軍事評議会議長)に就任した(1982年10月には大統領就任)。政権奪取後は事実上の独裁体制をしき、1982年に民政移管などを定めた新憲法を採択させたが、クーデター未遂がたびたび発生した。

1987年に自らの一党独裁の政権党として赤道ギニア民主党(以下PDGE)結成。民主化を要求するスペインフランスアメリカ合衆国の圧力を受け1991年11月、複数政党制を認めた新憲法が国民投票で承認されたが、大統領の免責規定などに野党勢力は反発して1993年の総選挙は野党の大半がボイコットする中、PDGEが大勝。1996年2月の大統領選も野党はボイコットし、ンゲマが得票率99%で4選、2002年12月で5選、2009年11月は得票率95.37%で6選した[2]。2011年1月にはアフリカ連合総会議長に就任、1年間の任期を務めた。

2016年の大統領選挙は11月に行われる予定であったが、何の説明もないまま4月24日に投票が繰り上げられた。暫定結果では得票率93.7%で、事前の予測どおりの圧勝であった[2][3]。2016年時点でアフリカ最長の政権となっており[2]、君主を除けば世界最長の政権を率いる人物である。

2021年2月15日、中国シノファームCOVID-19ワクチン(BBIBP-CorV)を接種し、「中国は赤道ギニアにとって最高の友人であるだけでなく、アフリカにとって最高の友人だ」と述べた[4]

2022年9月19日、赤道ギニアの国営テレビは、ンゲマ大統領が死刑制度を「完全に廃止する」法案に署名したと報じた。国際人権団体アムネスティ・インターナショナルによると、赤道ギニアで最後に死刑が執行されたのは2014年。国際連合非政府組織(NGO)などはンゲマ政権下で強制失踪、恣意的な拘束、拷問が行われていると批判している[5]。同年11月20日の大統領選挙で得票率95%で8選し[6][1]、世界最長の現役首脳となった[1]

人物と家族[編集]

ンゲマは、しばしば人食い麻薬中毒者として批判されてきた。また、石油生産から巨額の賄賂を受け取っているとされると同時に、国内でも汚職が深刻である。

息子であり、現副大統領英語版テオドロ・ンゲマ・オビアン・マンゲ英語版(マングエ、マング、マヌゲとも)は、その贅沢なライフスタイルで非難されており、米国資産7000万ドルを所有し、2019年にはスイスの検察からの公金横領・汚職事件の捜査打ち切りと引き換えに所持するスーパーカー25台が差し押さえられ競売にかけられて大きな話題となった。

出典[編集]

外部リンク[編集]


公職
先代
フランシスコ・マシアス・ンゲマ
赤道ギニアの旗 赤道ギニア共和国大統領
第2代:1979 -
次代
(現職)
外交職
先代
ビング・ワ・ムタリカ
アフリカ連合総会議長
第9代:2011 - 2012
次代
ヤイ・ボニ