ジュリウス・ニエレレ

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ジュリウス・カンバラゲ・ニエレレ
Julius Kambarage Nyerere
Julius Nyerere 1977.jpg

任期: 1964年10月29日1985年11月5日

任期: 1962年12月9日1964年10月29日

任期: 1961年5月1日1962年1月22日

任期: 1960年9月2日1961年5月1日

出生: 1922年7月19日
タンザニアの旗 タンザニアブティアマ
死去: 1999年10月14日(77歳)
イギリスの旗 イギリスロンドン
政党: タンガニーカ・アフリカ民族同盟(TANU)
タンザニア革命党(CCM)

ジュリウス・カンバラゲ・ニエレレ(Julius Kambarage Nyerere, 1922年7月19日-1999年10月14日)は、タンガニーカ及びタンザニア政治家で初代大統領。タンガニーカの小部族、ザナキ族の部族長の家系に生まれる。現ウガンダマケレレ大学卒業。

目次

政治家へ [編集]

大学卒業後は教師として勤め、1949年-1952年イギリスエジンバラ大学に留学し、歴史学経済学を学ぶ。帰国後再び教職に戻ったが、同時に政治活動を開始。1954年にはタンガニーカ・アフリカ民族同盟(TANU)の創設者の1人となり党首に就任する。ニエレレは社会的平等、民族間の平和維持、タンガニーカの独立を掲げ政治活動を行い、その支持は全土へと急速に広まった。1960年の選挙でTANUが圧勝すると、ニエレレは植民地政府首相となり事実上政権を担う。1961年にタンガニーカの独立が承認されニエレレは初代首相となったが、翌1962年初めに辞任。独立により組織拡大などに追われていたTANUの建て直しなど、党務に専念した。ちなみにTANUは、後にザンジバルアフロ・シラジ党と合併しタンザニア革命党となり、現在に至っている。

初代大統領 [編集]

1962年、タンガニーカに大統領制が敷かれると、ニエレレは初代大統領に選出された。また1964年にタンガニーカとザンジバルが合併すると、連合国家の大統領となった。ニエレレは1967年アルーシャ宣言に基づき、タンザニアの社会主義化をすすめ、中華人民共和国との結びつきを強める一方、経済の自立化を図り農業の集団化を導入した。

しかしこの計画は農業生産高の激減、及び1970年代石油危機による原油価格高騰で挫折する。この失敗の責任を取り、ニエレレは1985年の大統領選出馬を辞退。アリ・ハッサン・ムウィニを後任とし大統領職を辞した。

その後 [編集]

大統領辞任後も、1990年まではタンザニア革命党党首の座にあり一定の政治力を保持した。またアフリカ統一機構(現、アフリカ連合)設立の立役者の1人として、アフリカ諸国の内戦・独裁政治の終結に重要な役割を果たした(ウガンダのイディ・アミン政権等)。1999年に死去。

ニエレレの評価 [編集]

彼の政策は一般にウジャマー村構想として知られる社会主義政策であり、アフリカ部族社会独自の社会主義的農業経営方法であるウジャマーを重視し、銀行企業の国営化などの統制経済により社会の平等化を図る彼の理想主義の現れであった。その政策は確かに失敗したが、その後の彼の、アフリカの平和・平等・安定をうったえる真剣な姿から、彼を「アフリカの父」の1人として尊敬する動きも少なくない。ニエレレにはムワリムという愛称があるが、これはスワヒリ語で「先生」を意味するものである。

ニエレレのウジャマー思想を紹介した論文に井上順孝「J.K.ニエレレ―ウジャマーの志向するもの」(柳川啓一編『講座宗教学5・聖と俗のかなた』、東京大学出版会、1978年)がある。

1000タンザニア・シリング紙幣に肖像が使用されている。

関連項目 [編集]


官職
先代:
ジュリウス・ニエレレ
(タンガニーカ大統領)
タンザニアの旗 タンザニア連合共和国大統領
初代:1964 - 1985
次代:
アリ・ハッサン・ムウィニ
先代:
(新設)
Flag of Tanganyika.svg タンガニーカ共和国大統領
初代:1962 - 1964
次代:
ジュリウス・ニエレレ
(タンザニア大統領)
先代:
ジュリウス・ニエレレ
(タンガニーカ首相)
タンザニアの旗 タンザニア連合共和国首相
初代:1961 - 1962
次代:
ラシディ・カワワ
先代:
(新設)
Flag of Tanganyika.svg タンガニーカ共和国首相
初代:1960 - 1961
次代:
ジュリウス・ニエレレ
(タンザニア首相)
外交職
先代:
メンギスツ・ハイレ・マリアム
アフリカ統一機構議長
第22代:1984 - 1985
次代:
アブドゥ・ディウフ