イブラヒム・ババンギダ

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イブラヒム・バダマシ・ババンギダ
Ibrahim Badamasi Babangida

任期 1985年8月27日1993年8月27日

任期 1991年6月3日1992年6月29日

任期 1985年8月27日1989年

出生 1941年8月17日(73歳)
ミンナ

イブラヒム・バダマシ・ババンギダ将軍 (Ibrahim Badamasi Babangida, IBBと呼ばれる場合も多い、1941年8月17日 - ) はナイジェリア軍人、クーデターにより第8代大統領 (1985年8月27日 - 1993年8月27日) に就任し、ナイジェリア独立後最も自由で公正な選挙を実施したが、それらを無効にし政権にしがみついたため、民政移行の遅延に対する暴動から辞任した。

生い立ち[編集]

イブラヒムはグワリ族出身でナイジャ州のミンナで生まれた。1962年12月10日ナイジェリア陸軍に仕官し、オルシェグン・オバサンジョ軍政下で行政手腕を発揮した。1976年のクーデタにも関与し、電波で宣伝を行っていた首謀者の1人で彼の友人でもあるB・S・ディムカ中佐からあるラジオ局を「解放」した。放送は中断されたが、ディムカ中佐は逃亡した(後に処刑される)。ババンギダはムハンマド・ブハリ軍政下でも政治的な地位を占め、1985年の中級将校によるクーデタにより権力を奪った。彼はブハリ政権による人権侵害を終わらせ1990年までに民政移管すると宣言し権力の座に就いた。

学歴[編集]

  • 1962年 ナイジェリア軍事訓練学校
  • 1964年 インド士官学校
  • 1966年1月 - 4月 英国王立機甲軍団センター
  • 1972年8月 - 1973年6月 機甲学校の上級機甲将校課程
  • 1977年1月 - 7月 ジャジの指揮幕僚学校の上級士官課程
  • 1980年 クルの国立政策戦略研究所で政策戦略研究課程、米国海軍大学院で上級国際防衛管理課程

軍歴[編集]

経済政策と議論[編集]

ババンギダは IMF世界銀行により提案された構造調整 (SAP) に対する支持を問う住民投票を行い否決されると、1986年に「自らの提案」として IMF の融資を受け構造調整を開始した。SAP の下で実施されたのは、卸売市場の廃止と価格統制の除去とによる農業分野の規制緩和、公企業の民営化、輸出部門の競争力強化を図ったナイラの切り下げと1970年代にゴウォン及びオバサンジョ政権時に導入されていた外資規制の緩和だった。1986年 - 1988年に IMF による政策が実施された結果、輸出部門では期待通りの成長がみられたが、公共部門や都市住民の実質賃金は下落し、公共サービスに対する支出の急激な引き下げなどにより、暴動を呼び起こす波を立たせ、不満の噴出により SAP の継続が困難になった。ババンギダはその後インフレ経済政策に戻り、部分的に「規制緩和」も取り止めた。そして、資本逃避実質金利の低下を受けて再開したので、経済成長も失速した。IBB はナイジェリアの中産階級をなくした。おそらく、オルセグン・オバサンジョの大統領立候補の助けになったとの認識のため、後のオバサンジョ政権は、ババンギダの腐敗と弾圧的な政策の追及に及び腰であった。

独裁者として[編集]

政治的な面でババンギダは以前のブハリや以降のどの軍事支配者より世論に対応し、操作することに長けていた。また可能な限り反対派を金で片付けることをこのんだ。そのため「マラドーナ」と渾名された。国家元首の事務所から送られた小包爆弾によって死んだとされるジャーナリストのデレ・ギワの殺害など、反対派が買収を拒んだり無視した場合ババンギダは稀に武力に訴えた。

IBB は政権初期にはブハリ政権の下で拘留された多くの政治家を解放し、自らを人権の恢復者として振舞おうとした。しかし、時間が経つにつれこの風格は損なわれていった。

当初の約束に拘らず、ババンギダは悪名高い個人の拘留に関する「国家治安法2条」を決して廃止しようとしなかった。それは単に危険であると思われれば何人であっても彼の許可のみで人身保護や裁判を受ける権利もなく6ヵ月間拘留する権限を政府に認めていた。逆に時間が経つにつれ、政権を刺激すると判った労働組合、学生グループ、ジャーナリストや他の個人の口を封じるために IBB が自ら命令を下す事例が増えていった。

ババンギダが普通より器用であると分かる前の政権初期に行った、今日まで影響する処置の1つは、ナイジェリア人の半分だけがムスリムであるにも関わらず、イスラム諸国会議機構 (OIC) でのナイジェリアの地位を単なるオブザーバーから成熟した加盟国へ昇格させるという彼の一方的な決定である。世論の抗議とババンギダの否認の後、これを審議するジョン・シャガヤ委員会が設置され、OIC 加盟を認め、否認の撤回を推奨した。

ババンギダの政策は、少なくとも名目上は、筋が通りよく考えられていた。彼は民営化規制緩和に向け軍と民間から最も功績のある人物を集めた。銀行業務自由化と後のオバサンジョ政権時の電話業務の自由化の基礎となった協定策定は注目されるものであった。

外部リンク[編集]

外交職
先代:
ヨウェリ・ムセベニ
アフリカ統一機構議長
第29代:1991 - 1992
次代:
アブドゥ・ディウフ
先代:
ムハンマド・ブハリ (en
西アフリカ諸国経済共同体議長
第10代:1985 - 1989
次代:
ダウダ・ジャワラ
公職
先代:
ムハンマド・ブハリ
ナイジェリアの旗 ナイジェリア連邦共和国大統領
第8代:1985 - 1993
次代:
アーネスト・ショネカン