ダニエル・アラップ・モイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ダニエル・アラップ・モイ
Daniel Toroitich Arap Moi
Kenya-moi.jpg

任期 1978年8月22日2002年12月30日
副大統領 ムワイ・キバキ
Josephat Karanja
George Saitoti
Musalia Mudavadi

出生 1924年9月2日(89歳)
Flag of British East Africa.svg 英領ケニア、
サッチョ
政党 ケニア・アフリカ民族同盟
配偶者 レナ・モイ(2004年死別)
署名 Arap moi Signature.svg

ダニエル・トロイティッチ・アラップ・モイDaniel Toroitich Arap Moi, 1924年9月2日 - )は、ケニア第2代大統領

1978年10月から2002年12月まで在職。ケニア・アフリカ民族同盟 (KANU) 所属の政治家であったが、2002年12月に政界引退。 1978年、初代大統領ジョモ・ケニヤッタの死亡に伴い、副大統領から昇格。KANU一党独裁体制のもと、5選・24年間の長期政権を維持する。その統治は強権的なものであり、独裁批判の絶えることは無かった。少数民族カレンジン族の出身であり、自民族を優遇しキクユ族等多数派を冷遇。また反体制派を多数弾圧投獄した。 長期にわたる独裁体制及び政情不安のため、経済が停滞。そのため不満の声が高まり、1992年に複数政党制を認めざるを得なくなる。しかし、野党勢力は有力な人物を欠き、統一することができなかったため、民主化後も当選を重ねる。 2002年、高齢のため引退を表明。後継の大統領候補にウフル・ケニヤッタ(ケニヤッタ初代大統領の息子)を指名するも、与党内からも反発が大きく、選挙ではムワイ・キバキに敗れた。

違法取引の象牙の山に、大統領自らが火を点けて燃やしたパフォーマンスは世界的に有名になった。1987年より複数額面のケニア・シリング紙幣に肖像が使用されている。

外部リンク[編集]


外交職
先代:
シアカ・スティーブンス
アフリカ統一機構議長
第20代:1981 - 1983
次代:
メンギスツ・ハイレ・マリアム