キャセイ・パシフィック航空機ハイジャック事件

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コンソリデーテッド・エアクラフト・PBYカタリナ(同型機)

キャセイ・パシフィック航空機ハイジャック事件(キャセイ・パシフィックこうくうきはいじゃっくじけん、Cathay Pacific Airways Aircraft of hijacking)とは、1948年7月16日ポルトガル領マカオからイギリス香港に向かったキャセイパシフィック航空機で発生した民間航空機乗っ取り(ハイジャック)事件である。

アジア地域で最初に発生したハイジャック事件である。また結果的にハイジャック機が犯人の過失により墜落する最悪の結末を迎えた。

事件の概要[編集]

キャセイ・パシフィック航空はイギリス領香港で創業した航空会社であるが、その当時運航していた路線のひとつにイギリス領香港とポルトガル領マカオ(いずれも当時)という短距離であったがコンソリデーテッド・エアクラフトカタリナ型双発水陸両用旅客機を使用した国際線があった。1948年7月16日にマカオを出発した当該機、「ミス・マカオ号」は10分後の現地時間6時過ぎに中華民国広東省珠江河口付近に墜落した。

この墜落により黄裕という男が奇跡的に救助されたが、そのほかの乗員乗客25名は犠牲になった。当初は飛行機の不具合による墜落と考えられていたが機体を調べると機内で発砲したと判断される多数の弾痕が発見された。この事件について捜査当局は黄の入院している病院に患者に見せかけた囮捜査官を送り込み黄の身辺を捜査した。その結果この墜落事故が4人のハイジャック犯の過失によるものであるばかりか、ただ1人の生存者である黄もハイジャック犯の1人であったことを囮捜査官は聞き出すことに成功した。

犯人の黄は匪賊の首領であり、当初は乗客を人質に身代金を奪う目的でハイジャックしようとした。しかし飛行機を奪取しようとコックピットに押し入り機長と副操縦士を相手に揉み合っている内に誤って機長と副操縦士を射殺してしまい、何とかしようとして操縦桿を慌てて引いてしまい墜落させてしまったというものであった。なお、黄はその後に国籍を有していた中華民国当局に身柄を引き渡された。

関連項目[編集]