宇宙開発における事故

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チャレンジャー号爆発事故(1986年)
発射から73秒後に、固体ロケットブースタから漏れた高温の気体が外部燃料タンクに穴を開け、漏れた燃料に引火し爆発した。この事故により7人の乗組員全員の命が奪われた。

宇宙開発における事故(うちゅうかいはつにおけるじこ)では、20世紀以降に行われるようになった、世界各国の宇宙開発で発生した事故に関して記述する。

本記事では、有人宇宙飛行計画の惨事・危機的事故、宇宙飛行士訓練中の事故、宇宙船の試験・建造・準備中の事故について概説する。ICBMに関する事故や、第二次世界大戦中のソビエトドイツロケット兵器に関する事故は含まない。また、ソビエト連邦時代の事故をロシア連邦政府が今なお隠蔽しているという説もあるが、それは含まれていない。主流の説ではそういう事故は存在しないと考えられている。

宇宙飛行における惨事[編集]

宇宙探査の歴史の中には、飛行士や地上整備員の死亡という悲劇が数多く起こっている。2007年現在、飛行中の事故により19名の宇宙飛行士が死亡、訓練中の事故により11名の宇宙飛行士が死亡、また発射台での事故により少なくとも71名の地上整備員が死亡している。

宇宙船の打ち上げ/再突入の事例のおよそ2%で、乗務員が死亡している。これはソユーズスペースシャトルでほぼ同じ割合である。ほかの発射方法については、X-15(弾道飛行を行うロケットプレーン)を除くと、妥当な安全率が算出できるほど打ち上げ回数は多くない。

また、打ち上げ経験者のおよそ5%が死亡している(上記の2%との違いの理由は、宇宙飛行士は多くの場合複数回の打ち上げを経験するからである)。2004年11月現在、439名(ロシア/ソビエト連邦:96名、アメリカ:277名、その他:66名)が宇宙飛行を経験しているなかで、22名が宇宙船の中で死亡している。内訳は、アポロ1号で3名、ソユーズ1号で1名、X-15-3で1名、ソユーズ11号で3名、スペースシャトルチャレンジャーで7名、スペースシャトルコロンビアで7名である。また、宇宙計画によって、18名のNASAの宇宙飛行士(4.1%)と、4名のロシアの宇宙飛行士(打ち上げ経験者の0.9%)が宇宙船搭乗中に死亡している。

アポロ1号(発射前の火災)とX-15-3が宇宙飛行に含められるのであれば、全体の5%(22/439)が、宇宙飛行中に死亡している。これにはロジャー・ チャフィー(アポロ1号乗組員中の1名であるが宇宙に行った経験はない)と、マイケル・J・アダムス(宇宙の範囲についての国際的な定義であるカーマン・ラインには到達していないが、アメリカの定義によれば到達した。下記を参照)を宇宙飛行経験者に含めており、アポロ1号乗組員の3名とアダムスを死亡者に含めている。この事例を除外するならば、全体の4%(18/437)が宇宙飛行中に死亡したといえる。

ソユーズの事故により4名が死亡しており、シャトルの事故により14名が死亡している(シャトルの方がソユーズに比べて最大搭乗人数が多いため、事故毎の死亡者が多い)。1971年以来、ソユーズの飛行では死亡事故は起こっておらず、ソユーズに乗る乗組員の死亡確率は現在2%より低くなっている。しかしながら、重傷事故や、死亡の危険があった事故がいくつか起きている。

職務中に死亡したNASAの宇宙飛行士は、ケネディ宇宙センター見学施設(Visitor Complex)にあるSpace Mirror Memorialに名が刻まれる。職務中に死んだソビエト連邦の宇宙飛行士は通常、モスクワクレムリン壁の墓地に埋葬される名誉を与えられる。この慣習がロシアでも続くかどうかは不明である。クレムリン壁の墓地への埋葬は主としてソビエト共産党の名誉であり、ソビエト連邦崩壊後は宇宙飛行士の死亡事故は起きていない。

飛行中の事故[編集]

飛行中の死亡事故は5回ある。死亡事故が起きたどのケースでも、遭遇した全乗組員が死亡しており生存者はいない。今までに、複数の乗組員のうち特定のメンバーだけがミッション中に死亡したという事故は起きていない。

1967年4月24日[編集]

ソビエトの宇宙飛行士ウラジミール・コマロフは、ソユーズ1号に搭乗中に死亡した。

この機は新型の宇宙船ということもあり重大なトラブルが連続して発生していた。最終的には大気圏再突入時、再突入用カプセルのパラシュートが適切に開かなかったために、カプセルは地面にたたきつけられ、コマロフは死亡した。

1967年11月15日[編集]

マイケル・J・アダムスが、ロケットプレーン弾道飛行の試験運転中に死亡した。

アダムスはアメリカ空軍のパイロットで、NASA/USAFのX-15プログラムに従事していた。その7回目の飛行であるX-15 Flight 191の飛行中、最初に電気系統に問題が起きた。それが、機体が最高点に達したときに、制御の問題を引き起こした。そのときパイロットも混乱したかもしれない。最高高度266,000フィート(81.1km)からの再突入時に、X-15はコントロールを失って横方向に進路をそれ、マッハ5のスピードでスピンを始め、回復できなくなった。およそ65,000フィート(19.8km)の高度で、過度の加速度によってX-15は分解した[1]

アダムスは死後、宇宙飛行士バッジ(Astronaut Badge)を授与された。これは彼が、(アメリカの宇宙空間の定義である)高度50マイル(80.5km)を突破したことによるものである。ただし、この飛行は、国際的な宇宙空間の定義である高度100km(62.1マイル)に達していないため、専門的にはこの事故が「宇宙飛行事故」として数えられるかどうかについて異論がある。

1971年6月30日[編集]

ソユーズ11号の乗組員ゲオルギー・ドブロボルスキービクトル・パツァーエフウラディスラフ・ボルコフが死亡した。

宇宙ステーションサリュート1号に3週間滞在して、分離した後、逆噴射を行って再突入に備えてモジュールを分離した時に、彼らの乗った宇宙船の換気用の弁が開くという不慮の事態が発生し、空気が宇宙空間に漏れた。カプセル自体は通常通り再突入し、着地したが、回収チームがカプセルを開いたときには彼らは窒息死していた。これは専門的な意味で「宇宙空間」(高度100km以上)で起こった唯一の事故である。

1986年1月28日[編集]

アメリカにおける最初の飛行中の死亡事故である。ミッションSTS-51-Lに従事するスペースシャトル・チャレンジャーは発射から73秒後に空中分解し、乗員7名が死亡した。固体燃料補助ロケットから高温のガスが漏出したことが事故原因だと判明している。

2003年2月1日[編集]

スペースシャトル・コロンビアは、2週間のミッションSTS-107を終え、大気圏に再突入した際に空中分解を起こした。この事故により7名の宇宙飛行士が死亡した。打ち上げ時に外部燃料タンクから断熱フォームが落下して翼前縁の耐熱材を損傷させたことが事故の原因であった。

主な事故の一覧[編集]

ソユーズ[編集]

  • 1967年 - ソユーズ1号の帰還失敗
    大気圏再突入時にパラシュートが正常に開かず地上に激突。宇宙飛行士1人が死亡。
  • 1971年 - ソユーズ11号の帰還失敗
    大気圏再突入の準備中に宇宙船内の空気が失われた。宇宙飛行士3人が死亡。
  • 1975年 - ソユーズ18a号の打ち上げ失敗
    打ち上げ中にロケットが異常を起こした。高度145kmでカプセルが緊急分離され宇宙飛行士2人は生還。
  • 1983年 - ソユーズT-10-1の爆発
    打ち上げ直前にロケットで火災が発生。打ち上げ脱出システムが作動し宇宙飛行士2人は生還。

アポロ計画[編集]

  • 1967年 - アポロ1号の火災事故
    訓練中の事故で司令船が炎上。船内にいた宇宙飛行士3人が死亡。
  • 1970年 - アポロ13号の酸素タンク爆発
    月に向かう途中で液化酸素タンクが爆発。月面着陸を中止し、月の周回軌道を利用して宇宙飛行士3人全員が地球に生還。

スペースシャトル[編集]

その他、ロケット爆発[編集]

  • 1960年10月24日 - ニェジェーリンの大惨事
    ICBM R-16の試験用ミサイルが射点で爆発し、約120人が死亡。
  • 1964年4月14日 - ケープカナベラル射点のスピン試験棟で、デルタロケット3段の固体モータをOSO衛星に設置していた時に突然点火し、作業員3人がひどいやけどを負って死亡、8人が負傷した。静電気でスパークが起きたのが原因。
  • 1973年6月26日 - コスモス3Mロケットの打上げ時に爆発が起き、9人が死亡。
  • 1980年3月18日 - ヴォストークロケットの射点での爆発事故
    ソ連のプレセツク宇宙基地で、推進剤を充填中のボストーク2Mロケットが爆発事故を起こし、48人が死亡。
  • 1996年2月15日 - 長征3Bロケットの爆発
    中国四川省リャンシャン・イ族自治州で打ち上げられた長征3Bロケット1号機が西昌市に墜落・爆発した。強い腐食性を持つ非対称ジメチルヒドラジンが一帯に飛散し、村は壊滅。中国政府の公式確認では死者は56人。米国の軍事情報筋によれば、200人以上が死亡したとみられている。500人が死亡したという情報もある[2]
    現地にいた米国人技術者の目撃談などを基にまとめた記事[3]によれば、打上げ9秒後に機体が水平方向に傾き、打上げ22秒後にロケットは山腹に激突した。衛星を搭載した部分はその少し前に荷重に耐えられなくなってちぎれ落下した。衛星組み立て棟から見学していたアメリカ人技術者たちの所にも爆発の衝撃波がおよび、ガラスの破片が飛び散った。幸い、有毒ガスは検知されず、風で流された。ロケットが落下した場所は宇宙センターのゲートの隣で、その場所には打ち上げ前に数百人の村人たちが集まって見学していた所だった。中国当局者は打ち上げ前には、彼らを全員退避させたと語ったが、それは疑わしい。ホテルなどがある居住地域に戻ると、損傷を受けていない建物はなかった。ホテルに入るとすべての部屋の窓やドアは吹き飛ばされており、壁にも穴が開いていた。数百人の軍隊が集まっている様子は、死体回収のためではないかと疑った。多数の救急車以外にも、多数の軍用トラックの荷台に散乱した遺体を積んでいるのを目撃したとの話しもある。このアメリカ人技術者たちは、米国製の衛星の破片が中国側に渡らないよう、数週間かけて残骸の回収を行った。2週間後、中国の新聞は、この事故の死亡者は6人、負傷者は57人であったと発表した。この数は、技術者たちの被害としては現実的だと思われるが、集まっていた村人たちのうち、どのくらいが死んだのかはわからない。だが数百人が死んだのは間違いないだろう。
  • 2002年10月15日 - ソユーズ-Uロケットの打ち上げ失敗
    プレセツク宇宙基地から打ち上げられたソユーズロケット(フォトンM1を搭載)が打ち上げから29秒後に墜落して爆発。衝撃で落ちてきた窓枠の破片で兵士1人が死亡、8人が負傷した。
  • 2003年8月22日 - ブラジルロケット爆発事故
    打ち上げ準備中のVLS-1ロケットがブラジルマラニョン州にある射場で爆発。21人が死亡。

出典[編集]

参考[編集]

外部リンク[編集]