ベンガジ
| ベンガジ بنغازي Benghazi |
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|---|---|
ベンガジ海岸 |
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| 位置 | |
リビア北東部のベンガジ県の位置 |
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| 座標 : 北緯32度7分 東経20度4分 / 北緯32.117度 東経20.067度 | |
| 行政 | |
| 国 | |
| 県 | ベンガジ県 |
| 市 | ベンガジ |
| 地理 | |
| 面積 | |
| 市域 | ?km2 |
| 標高 | 132m |
| 人口 | |
| 人口 | (2004年現在) |
| 市域 | 660,147人 |
| その他 | |
| 等時帯 | 東ヨーロッパ時間 (UTC+2) |
| 夏時間 | なし |
| 市外局番 | 061 |
ベンガジ(Benghazi)は、リビア北東部に位置する主要な港湾都市である。人口は446,250人。地元言語ではバンガーズィ([bənˈʁɑːzi])と呼ばれる。
目次 |
歴史 [編集]
古代ギリシア時代には植民地キレナイカの中心都市であり、ヘスペリデス(後に近隣の4都市と統合してペンタポリス)と呼ばれ、サハラ砂漠を縦断するアラブ隊商の拠点となるとともに隊商路の起点として繁栄。それを象徴するように、ベレニケ跡地にプトレマイオス朝、ローマ属州期の石墓が多数残っている。しかしその後は隊商路の起点が西方のトリポリに移ってしまい、長い間キレナイカ地方の小都市にとどまった。
だが20世紀初頭にイタリアに占領され、港湾が整備されたことから、1930年代には商業上、軍事上の要地として重要な位置を占めるようになった。またこの時期に多数のイタリア人が移住した。第二次世界大戦が勃発すると1940年12月にイギリス軍に占領されたが、ロンメル以下ドイツアフリカ軍団により1941年1月、再び枢軸国側に落ちた。この後も再三支配者が入れ替わり「振り子戦争」と呼ばれることになるが、最終的にイギリス軍により占領されることになった。戦後はキレナイカ王国の首都となり、リビア連合王国が成立した後は、トリポリとともに首都となった(複都制。国王と政府機関は季節によって両首都を使い分けていた)。
1969年のムアンマル・アル=カッザーフィー(カダフィ大佐)による革命による王制廃止にともない、首都としての地位を失った。ベンガジはカッザーフィーへの支持が低く[1]、2011年の内戦の際には、この地が反カッザーフィー体制打倒の拠点になり、後に反体制派組織「リビア国民評議会」の本部が置かれた。しかし翌2012年3月6日にはベンガジでリビア東部の有力部族や民兵組織の指導者らが会議を行い、自治を行うことを決定。「キレナイカ暫定評議会」の発足を宣言し、これに対し国民評議会が国家を分断する行為として非難するなど東西間の対立激化が懸念されている[2][3]。
近現代 [編集]
1955年リビア大学が創設され近代的なビル街も整備されたがイスラム色が色濃く残っている地域でもある。60年代からの内陸での油田の開発によりオイルマネーが流入、急速に発展した。それとともに製塩、食品加工、セメント、なめし皮、水産業、観光など諸工業が勃興した。現在では長年の水不足を解消するべく世界最大級の海水淡水化プラントが稼動している。
地理 [編集]
地中海に臨みギリシャからは400kmしか離れていない。三方を山と砂漠に囲まれる。山地には森林があり、麓には肥沃な農耕地もある。オリーブ、果物、野菜が採れる。 半乾燥気候で、南部は砂漠気候である。最高気温は6月から10月が27度Cから29度C,12月・1月は19度Cを下回る。降水量は4月から9月はほぼゼロ、12月・1月が60mmを超える。年間合計で300mmを下回る。
出典 [編集]
- ^ “リビアのデモ死者約200人か、宗教指導者ら「同胞殺すな」”. ロイター (ロイター). (2011年2月20日) 2011年2月22日閲覧。
- ^ “リビア東部・ベンガジが「自治宣言」 暫定政府は猛反発”. 朝日新聞. (2012年3月7日) 2012年5月27日閲覧。
- ^ “リビア東部が「自治宣言」 東西間の対立激化の恐れ”. 産経新聞. (2012年3月7日) 2012年5月27日閲覧。
外部リンク [編集]
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