パシフィック・サウスウエスト航空1771便墜落事故

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パシフィック・サウスウエスト航空1771便墜落事故
PSA BAe 146-200; N356PS, July 1986 CBG (4848643600).jpg
PSAの所有する同型機
概要
日付 1987年12月7日
原因 乗務員の射殺(無理心中)
場所 カリフォルニア州郊外
死者 43(全員)
負傷者 0
航空機
機体 British Aerospace Bae 146-200A
運用者 アメリカ合衆国の旗パシフィック・サウスウエスト航空
機体記号 N350PS
乗客数 38
乗員数 5
生存者 0
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パシフィック・サウスウエスト航空1771便墜落事故(パシフィック・サウスウエストこうくう1771びんついらくじこ)とは、1987年12月7日パシフィック・サウスウエスト航空(PSA)の定期1771便が、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンルイスオビスポ郡カユコス付近で墜落した航空事故である。原因はパシフィック・サウスウエスト航空(PSA)の親会社であるUSエアウェイズ(USエア)に不満を持つ元従業員の男、デビット・バーク(1952年5月18日生)が、乗務員を射殺したためである。この事故で乗客乗員43名全員が死亡した[1][2]

事故の背景[編集]

当時USエアはPSAを傘下に収めていた。バークは飛行中に起こした飲酒代金からの69ドルの窃盗や余罪の疑いをかけられ、USエアを解雇された。彼の上司であるレイモンド・トムソンと復職を試みる話し合いをもったが不調に終わった後、バークはロサンゼルスからサンフランシスコへのPSA1771便の搭乗券を購入した。トムソンは毎日通勤しているロサンゼルスの職場からサンフランシスコの家まで通常通り、客として搭乗した[3]

バークは同僚から借りた44マグナム弾を装填したリボルバー銃を所持して、返却していなかったUSエアの身分証を使い、ロサンゼルス国際空港の通常の検問所を迂回できた[4] 。バークは搭乗後、嘔吐袋にメッセージを書いた。しかしトムソンが撃たれる前に渡されたかどうかは不明である。

やあ、レイ。俺たちがこんなふうに終わるなんて皮肉なもんだな。俺は家族のために慈悲を乞いたんだ。
覚えてるか。だけど、少しも手に入らなかった、きっとあんたもな。

4発エンジンのジェット機、BAe(ブリティッシュ・エアロスペース146-200が、中部カリフォルニアの海岸上空、高度6,700mを航行中、コックピットボイスレコーダー(CVR)は誰かが洗面所に出入りする音を記録していた。さらに客室で2発の銃声がしたのは、機長と副操縦士が航空交通管制乱気流について交信していた時だった。恐らくバークがトムソンを射殺したものとみられる。副操縦士は機内で銃が発砲されたことを直ちに航空交通管制に報告したが、それ以降乗員からの応答はなかった。操縦室のドアが開き、客室乗務員と思われる女性がクルーに「問題が起きた(We have a problem!)」と話す音声が記録されていた。クルーが「問題とは何だ(What kind of problem?)」と聞き返すと、この客室乗務員を射殺したと思われる銃声のあと、バークが「俺だよ(I'm the problem)」と答えて、さらに2発撃って操縦士たちを死傷させた。数秒後に機体は下降して加速し、風切音が大きくなっていくのをCVRが記録していた。フライトレコーダー(FDR)の記録は、(おそらくバークによって)操縦桿が前方に押されたままになり、機体が急降下する原因であったことを示している。

若干の間があって、最後の銃声がした。バークの最後の銃撃対象は、乗客として搭乗していた航空会社のチーフパイロットで、航空機を立て直そうと操縦室に入ろうとしたところを殺害したと思われる。ナショナルジオグラフィックチャンネルのテレビ番組「メーデー(原題:Mayday: Air Disaster)」によると、回収された銃に付着していた指先の破片により、バークが墜落まで生きていて銃を握りしめていたことが公表された。1771便は16:16にカユコスとパソロブレス近郊のサンタ・ルシア山脈にある牧場の中腹に墜落し、衝撃で爆発した。機体は音速を少し超えるおよそ時速1,240kmで墜落し、即座に破壊された。それは重力の5000倍の力で地面に衝突し、約70度の角度で南へ移動したと推測された[2]。地面にはランディング・ギア(脚)があたってできたと思われる深さ60cm、直径120cm程度の穴があき、岩肌の山腹に衝突した。高速で衝撃したことにより、土壌は圧迫された瞬間に跳ね返り、機体の破片や紙片(バークのメモを含む)は炎に焼き尽くされる前に空中に飛散した。その衝撃では誰も生き残ることはできなかった。強い衝撃によって遺体は小さく損壊され、最も大きいものでも靴の中の足首であった。乗員乗客43名のうち27名の遺体は確認することができなかった。

ボブ・ツールが操縦するCBS Newsのヘリコプターが事故現場の位置を確認したあと、国家運輸安全委員会(NTSB)の調査団に連邦捜査局(FBI)が加わった。2日間にわたる飛行機の残骸の発掘調査のあと、銃弾6発を使い切った弾倉がある拳銃の一部分とバークが事故に関与していることを示す、嘔吐袋に書いたメモが発見された。FBI捜査官は拳銃の引き金ガードに刺さっていた指の断片から指紋を採取することができ、それは機体が墜落した時には明らかにバークが拳銃を握っていたことを証明した。事故現場で発見される証拠に加えて、次の状況も明らかになった。バークの同僚は彼に銃を貸したことを認めた、そして、バークの女友達の留守電には別れの言葉が残されていた[5]

事故後[編集]

事故の後、航空会社の職員が離職した際は「即時に身分証を回収すること」を義務づける法案を含む、数本の連邦法が承認された.[6] 。またすべての航空会社職員は乗客と同等の保安基準に従う方針が約款に導入された。 この事故によりシェブロンUSAの会長(en:James R. Sylla)をはじめ4名の重役とパシフィック・ベル(現在のAT&T)の3人の役員が命を落とした[7]。これを受けて大企業では会社の幹部の集団での移動を禁止する方針に改正した。

出典[編集]

  1. ^ 世界の航空機事故総覧
  2. ^ a b aviation-safety.net
  3. ^ "Gun-toting fired employee linked to PSA plane crash; ex-boss was also on flight," ロサンゼルスタイムズ1987年12月8日
  4. ^ Security badges lost”. ヒューストン クロニクル (1987年12月17日). 2012年2月22日閲覧。
  5. ^ PSA Flight 1771”. Check-six.com. 2012年12月19日閲覧。
  6. ^ Katrina Pescador; Alan Renga; Pamela Gay (2012). San Diego International Airport, Lindbergh Field. Arcadia Publishing. pp. 110. ISBN 978-0-7385-8908-4. http://books.google.com/books?id=whp_Vj4vCkYC. 
  7. ^ ニューヨークタイムズ1987年12月9日

映像化[編集]

メーデー!:航空機事故の真実と真相シーズン9第11話「パシフィック・サウスウエスト航空1771便」

関連項目[編集]

外部リンク[編集]