アメリカン航空11便テロ事件

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アメリカン航空 11便
N334AA B767-223ER American MAN 08APR01 (6839074488).jpg
AA11便の事故機 N334AA(2001年4月8日 マンチェスター空港において撮影)
概要
日付 2001年9月11日
原因 ハイジャック
場所 アメリカニューヨーク
死者 92
負傷者 0
航空機
機体 ボーイング767-223ER
運用者 アメリカン航空
機体記号 N334AA
乗客数 81(ハイジャック犯5人を含む)
乗員数 11
生存者 0
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アメリカン航空11便テロ事件 (American Airlines Flight 11) とは、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件で、ハイジャックされたアメリカン航空11便がニューヨークワールドトレードセンター北棟に突入した事件である。被害に遭った旅客機は、アメリカン航空が所有するボーイング767-223ER機体記号N334AA,1987年製造)で、当日はAA11便として運用されていた。AA11便は離陸後、アルカーイダの5人のテロリストによってワールドトレードセンターの北棟(第1ビル)に突入、爆発炎上した。日本ではAA11便を指し、「衝突した1機目の飛行機」という表現が多用される。

テロリスト[編集]

11便の航路

事件の概要[編集]

(時刻は全て現地時間)

AA11便はマサチューセッツ州ボストンにあるローガン国際空港を出発し、カリフォルニア州ロサンゼルスにあるロサンゼルス国際空港に到着する予定であった。毎日運航される定期便で乗客は定員は158人であるが、この日は乗客は81人で乗員11人であった。 メイン州ポートランド国際ジェットポートから午前6時出発のコルガン・エアに乗り込んだモハメド・アタとアブドゥルアジズ・アル=オマリは6時45分にローガン空港に着陸した。アタは2つの荷物を持っていたがオマリは手ぶらだった。2人はローガン空港でロサンゼルス行きのAA11便にトランジットした。事前に航空券を所有しておらず空港で購入した。他の3人のテロリストも同時刻に車でローガン空港に到着、チケットを購入した。7時40分、5人の搭乗が完了した。アタとオマリはビジネスクラス、他の3人はファーストクラスであった。11便はボストンを予定時刻から14分遅れの7時59分に離陸した。

離陸から14分後にボストン航空交通管制センターの管制官が11便に対し「アメリカン航空11便、高度を35,000フィートまで上昇してください」という指示を送ったが応答がなかった。そのため、離陸後14分頃にハイジャックされたと考えられている。最初に行動を起こしたのはワリード・アル=シェフリで高度26,000フィート頃の時点であろうと推定されている。8時16分には高度は29,000フィートとなり規定の航路を逸脱しだした。操縦室へ侵入したハイジャック犯は機長と副操縦士を隠し持っていたカッターナイフで刺殺しコックピットを占拠排除、自ら操縦した。8時21分にはATCトランスポンダの電源が切られた。なお、凶器を持ち込んだ方法や操縦室へ侵入した方法については現在も不明である。

午前8時23分、客室乗務員の1人がアメリカン航空予約席係に「客室乗務員です。たったいま飛行機がハイジャックされました」と電話をしたが、予約席係担当人はいたずら電話と思った。そこで「あなたのID番号を教えてください」と尋ねたところ、返答されたID番号が一致したため信じてもらえた。もう1人の客室乗務員もフライトサービスマネージャーに電話をし、ハイジャックされたと伝えた。彼女らは、極限状態の中で犯人の座席番号などの貴重な情報を地上に伝えた。その頃ハイジャック犯のリーダー・アタが「我々は、ハイジャックした。静かにしていればお前たちは大丈夫だ。今から空港に引き返す。誰も動くな、何も問題ない。動けばお前たちの命も飛行機も危険にさらすことになる。大人しく座ってろ!」と乗客に機内放送でアナウンスを行った。しかし、これはスイッチを間違えており、機内ではなく、ボストンの航空管制官へ送られていた。このとき、管制官は初めてハイジャックに気付くこととなった。

同機には、アカマイ・テクノロジーズの共同経営者のひとりであったダニエル・ルウィンが搭乗していた。ルウィンはかつて、イスラエル軍の対テロ特殊部隊であるサイェレット・マトカルに将校として所属していた[1]。客室乗務員は、ルウィンが早い段階で喉を切られて殺害されたことを報告している。2人の客室乗務員がハイジャック犯に刺された直後、ハイジャック犯を取り押さえようとした際に、まだ正体を現していなかった別の犯人に殺されたものと見られている。ルウィンは、ハイジャック犯の1人サダム・アル=スカミの前の座席に座っていた[2]

8時26分、機体は大きく南に航路を転じた。バージニア州にある連邦航空局指令センターが本部に急を告知、ボストン航空交通管制センターは直接、北アメリカ航空宇宙防衛司令部ニューヨーク州にある北東航空局(NEADS)に通報しマサチューセッツ州にある空軍基地から2機のF-15の緊急発進を要請した(2機のF-15が発進したのは許可を得るのに手間取ったため8時53分であった)。 8時43分、マンハッタンへの最後の進路変更がなされた。ニューヨーク上空に来たところ、機体の飛び方が異常になり急降下した。フライトサービスマネージャーから「外に何が見える?」と言う質問に客室乗務員の1人が「タワーが見える、ビルが見えるわ」と答えた。

午前8時46分、アメリカン航空11便はワールドトレードセンター北棟(第1ビル、110階建て)の58~61階に北側から突入した。その瞬間まで客室乗務員たちは、地上と交信していた。およそ38,000リットルジェット燃料を積んだまま時速約750km/hという高速で突入し、機体の全てがビルに飲み込まれ、爆発炎上した。

午前10時28分、北棟は火災と構造物の損壊により崩壊、11便の乗員・乗客(テロリスト含む)の他に1,600人が死亡した。 衝突階である85-90階のフロアは全てアメリカの大手保険会社マーシュ・アンド・マクレナンのテナントであった。

Black and white photograph of aircraft landing gear found amid debris.
発見された11便のタイヤ[3]

11便の突入から17分後にユナイテッド航空175便が、ワールドトレードセンター南棟(第2ビル)に突入。34分後にはアメリカン航空77便バージニア州アーリントンにあるペンタゴンに突入。さらに77分後にはユナイテッド航空93便ペンシルベニア州ピッツバーグ郊外のシャンクスヴィルに墜落した。

突入の瞬間を捕らえた映像[編集]

このとき、現場近くに出動していた消防隊[4]に同行取材を行っていたフランスのテレビクルー、ノーデ兄弟が、11便突入の瞬間をカメラに収めていた(これは現在わかっている限りではこの事件唯一の映像である)。事件発生後、彼らは消防隊の救出活動を追い、その様子を収めたドキュメンタリー番組は、後日世界各国で放映された。

遠隔操作説[編集]

アメリカがアメリカ同時多発テロ事件を自作自演した、という主張をするもののなかには、アメリカン航空11便が遠隔操作により建物に突入したのではないかという憶測をするものもある。ハイジャックされた後11便に設置された機械で管制塔から遠隔操作しワールドトレードセンターに突入させたという内容である。1999年に発生したエジプト航空990便墜落事故がその実験であるとして関連づけるものもいる。

脚注[編集]

  1. ^ Sisk, Richard; El-Faizy, Monique (2004年7月24日). “First Victim Died A Hero On Flt. 11 Ex-Israeli commando tried to halt unfolding hijacking”. Daily News. http://www.nydailynews.com/archives/news/2004/07/24/2004-07-24_first_victim_died_a_hero_on_.html 2008年5月23日閲覧。 
  2. ^ Eggen, Dan (2002年3月2日). “Airports Screened Nine of Sept. 11 Hijackers, Officials Say; Kin of Victims Call for Inquiry into Revelation”. The Washington Post 
  3. ^ Hamburger, Ronald; Baker, William et al. (May 2002). “World Trade Center Building Performance Study” (PDF). FEMA (New York, New York: Federal Emergency Management Agency) 403: 19. http://www.fema.gov/pdf/library/fema403_ch2.pdf 2008年5月24日閲覧。. 
  4. ^ ガス漏れの通報があった。

関連項目[編集]