わくわく動物ランド

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わくわく動物ランド
WAKUWAKU ANIMAL LAND
ジャンル クイズ番組
構成 市之瀬仁
司透、村上典子
恒川省三、松谷光絵
演出 平田修、宇都宮壮太郎
大下広、保田正明
上川伸廣、斉藤純
出演者 関口宏
小林亜星
榊原郁恵
島田紳助 ほか
音楽 平尾昌晃
小林亜星(テーマ音楽)
エンディング 参照
製作
プロデューサー 平山賢一、長崎幸雄、
森政康、角井英之
製作 TBSイースト
放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1983年4月13日 - 1992年3月25日
放送時間水曜 20:00 - 20:54
放送分54分
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わくわく動物ランド』(わくわくどうぶつらんど)は、1983年4月13日から1992年3月25日までTBS系列局で毎週水曜 20:00 - 20:54 (JST) に放送していたクイズ番組である。司会は関口宏

概要[編集]

世界各国の動物に関する話題をクイズ形式で紹介していた番組[1]。放送当時は「子どもに見せたいテレビ番組」調査上位の常連であった。番組冒頭では、解答者を「(今週の)霊長目ヒト科ホモサピエンスの皆さん」と紹介していた。

司会兼VTR生ナレーションの関口は、当時『クイズ100人に聞きました』の司会も務めており、同局で2本のクイズ番組の司会を掛け持ちしている司会者は、関口以外では『クイズダービー』と『世界まるごとHOWマッチ』(毎日放送発。番組制作会社は当番組と同じイースト→現:E&W)を担当していた大橋巨泉のみであった。また、『クイズまるごと大集合』では、この番組パートの司会を関口が務めていたほか、回によっては巨泉(本放送時にはゲスト解答者として1度登場している)とビートたけしが司会を務めていたこともある。

解答者は、通常はタレントなど有名人(レギュラーとして作曲家小林亜星※1枠、タレントの榊原郁恵松本典子※2枠、島田紳助田中義剛※3枠など。4枠は女性ゲスト、5枠は男性ゲスト)だが、夏休みなどには「親子大会」のような形で視聴者が出演することもあった。また、番組終了直前には当日の番組内容から、視聴者向けのクイズが出題され、はがきでの応募を受け付けていた。


1988年1月27日に放送200回を達成。 視聴率は、エリマキトカゲやウーパールーパーといった人気者を生み出した番組開始当初こそ20%を越えることもあった(最高視聴率は、1985年1月30日放送分が記録した25.8%)が、ブームが終息すると10%前後で推移し、当番組が放送される水曜日のプロ野球シーズン中はプロ野球中継を組み込まれることが多かったため、これに伴う休止が多発した。また、中部日本放送(現:CBCテレビ)や中国放送では、地元球団のローカル中継による休止も加わり[注 1]、特に中国放送では第1回が広島東洋カープ阪神タイガース戦に差し替えられる事態となった[2]。 1992年1月3日にはお年玉動物スペシャルと称して関口宏のクイズ・わくわく大集合が朝の8時から2時間半放送された。

1990年代以降、日本テレビの『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』の視聴率がたちまち上昇すると、本番組の視聴率と逆転するようになった。その対抗策として、1991年4月放送分以降、個人戦から男女対抗戦へ衣替えしたが、結局1992年3月に終了[注 2]

放送年数9年弱はTBS系水曜20時台において最長記録である。

放送開始当初はモノラル放送だったが、1989年2月22日放送分より当時最新鋭の高感度ステレオマイクを取材VTRに導入すると同時にステレオ放送に移行した。ただし北海道は、道央圏石狩全域、空知後志の大半、及び苫小牧市など胆振の一部)を除き、最終回まで一貫してモノラル放送だった。

当番組終了後のTBS動物バラエティ枠は1993年10月から2009年3月まで放送された『どうぶつ奇想天外!』である。

クイズのルール[編集]

解答はフリップに書いて提示する方式(合間に、テーマ動物に関する一問一答式クイズも挿入。口頭で答える)。一回の放送で6問出題され、正解すると前の机にぬいぐるみが並べられていた(1問につき1点。解答者席にランプが点灯する)。また、その問題で唯一の正解者の場合には、冠を被った象のぬいぐるみが置かれた。

最多正解者にはトップ賞として賞品が与えられた。同点だった場合は唯一の正解を多く出した方に与えられた。また「ゲスト優先」「レディーファースト」で決める事もあった。中でも特徴的なものは、毎週週替わりで与えられるオリジナルのぬいぐるみである。その回の放送で紹介された動物から選んで作成されたものであり、その中には実物大の大蛇というものまであった。さらに全問正解した場合には、象の金バッジアフリカ旅行獲得となる(一時期、全問正解者がいた場合は2位の回答者にトップ賞が与えられた時もあった)。なお、アフリカ旅行第1号は小林だった。小林は通算3回獲得している。また、ゲスト出演の中では黒柳徹子赤塚不二夫が全問正解しアフリカ旅行を獲得した。

末期では男女チーム対抗戦となり(解答者に関根勤相原勇大島渚中尾ミエほか)、オープニングは「動物早押しクイズ」で、その他はフリップに書いて解答する。勝利チームの賞品はわくわくボックスから選び、海外旅行など週替わりだった。

音楽[編集]

エンディングテーマ[編集]

BGM[編集]

  • 全員不正解の時のBGM(初期はかなり雑なものだったが、1991年の対抗戦形式へのリニューアル時に後期のものに変更)はあったものの、正解の時のBGMは無かった。後期の全員不正解のBGMは、同じTBSで放送されていた『吉村明宏のクイズランチ』でも視聴者プレゼント当選の際に5回電話のコールが鳴っても当選者が電話に出なかった場合に流れていた。
  • 解答者が答えをフリップに書き終えた後に一斉にフリップ掲出の際、後期だとオルゴールのような音楽が3秒間程度流れていた。

番組フォーマット販売[編集]

本番組のフォーマット韓国KBSを始めとする世界8か国(1989年12月時点)のテレビ局に販売された[注 3]。本番組放送当時、既に日本国外の番組フォーマット権利を購入した上で日本版を制作し、放送した事例は多数あったが、逆に日本制作の番組フォーマットを日本国外に輸出した事例は本番組が最初とされている[3]

最初にフォーマット販売した前述のKBSの事例では当初TBSに対して本番組で使用されたVTR映像[注 4]の提供を申し入れていたが、当時の韓国テレビ界では日本を含む韓国国外で制作された番組を剽窃・盗作するケースが相次ぎ、問題視されていたことから、TBS側の担当者が盗作への抑止力になると考え、VTR映像に加えて、番組のコンセプトも一緒に取引する形で成立したとしている[3]

ネット局[編集]

※系列は放送当時のもの。

放送対象地域 放送局 系列 備考
関東広域圏 東京放送 TBS系列 制作局
現:TBSテレビ
北海道 北海道放送
青森県 青森テレビ
岩手県 岩手放送 現:IBC岩手放送
宮城県 東北放送
山形県 テレビユー山形 1989年10月開局から
福島県 テレビユー福島 1983年12月開局から[注 5]
山梨県 テレビ山梨
長野県 信越放送
新潟県 新潟放送
静岡県 静岡放送
中京広域圏 中部日本放送 現:CBCテレビ
富山県 テレビユー富山 現:チューリップテレビ
1990年10月開局から
石川県 北陸放送 1984年4月18日から
近畿広域圏 毎日放送
岡山県
香川県
山陽放送 現:RSK山陽放送
鳥取県
島根県
山陰放送
広島県 中国放送
山口県 テレビ山口 1987年9月まではフジテレビ系列クロスネット局
高知県 テレビ高知
福岡県 RKB毎日放送
長崎県 長崎放送
熊本県 熊本放送
大分県 大分放送
宮崎県 宮崎放送
鹿児島県 南日本放送
沖縄県 琉球放送

北陸放送では他の系列局から1年遅れの1984年4月18日からスタートした[4]。この番組の開始当初は日本テレビ系列の『歌のワイド90分!』を放送していたが、『JNNナイター中継』の最大30分延長に対応した番組編成に伴う、日本テレビ系列の番組の同時ネット取り止めで放送が実現した(金曜19時30分 - 20時54分も同じ)。当初は4月11日放送のプロ野球中継(中日巨人戦)にも雨傘番組として組まれていたが[5]、当日は予定通り試合が開催されたため、翌週からの開始となった[6]

スタッフ[編集]

  • 構成:市之瀬仁/司透、村上典子、恒川省三、松谷光絵
  • 音楽:平尾昌晃
  • テーマ音楽:小林亜星
  • 技術:中村孝雄
  • カラー調整:河野志朗
  • 映像:佐藤茂夫
  • 照明:大野治利
  • 音声:河野志朗
  • 音響効果:大鐘信慶
  • 美術:和田一郎
  • デザイン:高橋秀夫
  • メイク:中田マリ子
  • 協力:関口宏事務所(現在の三桂
  • TK:小宮高子
  • ディレクター:平田修/宇都宮壮太郎/大下広、保田正明、上川伸廣、斉藤純(イースト)
  • プロデューサー:平山賢一(TBS)/長崎幸雄/森政康、角井英之(イースト)
  • 製作:TBSイースト

番組アシスタント[編集]

  • 森あづみ
  • 伊藤弥佳

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 当時TBS系列では、連続ドラマ、アニメや皇室関連番組などの一部例外を除き、後日の振り替え放送が行われていなかった。
  2. ^ それに加えて、当時のTBSはファミリー向けの番組を数多く打ち切っており、当番組もその対象となったため。
  3. ^ なお、番組フォーマット販売を行ったことを伝える当時の朝日新聞の記事(1989年12月2日付)では、まだ「番組フォーマット権」の用語が浸透していなかったこともあり、「番組企画権」という用語が用いられていた。
  4. ^ 動物の生態を撮影したものなど。
  5. ^ 以前のTBS系列局だった福島テレビは、この番組の放送開始以前(1983年3月31日)にJNNを脱退し、1983年4月1日にFNNに加盟したため、フジテレビ系列局フルネット化に向けた編成上の都合(TBS系列番組の放送を縮小していた)により、福島テレビでは放送されなかった。

出典[編集]

  1. ^ 「〈折り込み〉週間番組表と番組ガイド」『財界ふくしま』第12巻第11号、行政問題研究所、1983年11月10日、90頁、NDLJP:2832618/48 
  2. ^ 産経新聞・岡山版、1983年4月13日、テレビ・ラジオ欄。
  3. ^ a b 大場吾郎 (2019年10月10日). “日本のテレビ番組「海外輸出」30年の歴史と展望”. 東洋経済新報. 2022年9月17日閲覧。
  4. ^ 『北日本新聞』1984年4月18日付朝刊、テレビ欄。
  5. ^ 『北日本新聞』1984年4月11日付朝刊、テレビ欄。
  6. ^ 『北日本新聞』1984年4月12日付朝刊13面『田尾、均衡破る一発 巨人 術中にはまり3併殺』より。

関連項目[編集]

TBS系 水曜20時台(1983年4月 - 1992年3月)
前番組 番組名 次番組
わくわく動物ランド