イアン・ポコック

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イアン・ポコック

Ian Pocock
生誕 (1958-08-16) 1958年8月16日(65歳)
イングランドの旗 ウェスト・サセックス ワージング
国籍 イギリスの旗 イギリス
教育 1983-1986 ウェールズ大学カーディフ
(工学修士, 機械工学)
1987-1990 クランフィールド大学 博士
ジャガー乗用車用 多変数制御アクティブサス
業績
勤務先 1987-1990 ベネトン
1990-1991 レイナード
1991         リジェ
1992-1996 FDD (サリー)
1994-1997 フェラーリ (マラネッロ)
1998-1999 ハーベイと仲間達
1999.10-2006.11 Ford PPD
1999.10-2003.03 Pi Research Ltd
PI Research logo ico
2003.03-2004.11 Jaguar Racing[1]
PI Research logo icoCosworth Ford Racing logo ico
2004.11-2005.09 Red Bull Racing
Cosworth Racing MiltonKeynes logo ico
2005.09-2006.11 Cosworth Ltd
Cosworth octagon logo ico
Cosworth octagon logo ico
1998.07-2004.11 Cosworth Racing Ltd[2]
Cosworth Ford Racing logo ico
[3][4]Octagon, Northampton
2004.11-Current Cosworth Ltd[5]
Cosworth octagon logo ico
[3][4]Octagon, Northampton
2004.11-2006.12 Red Bull Racing Holdings Ltd
MiltonKeynes
2006.12-Current Red Bull Technology Ltd
MiltonKeynes

イアン・ポコック (Ian Pocock、1958年8月16日 - ) [6][7]は英国のエンジニア

履歴

1983年から1986年、ウェールズ大学で工学を学び修士号[8]

1987年から1990年、クランフィールド工科大学で機械工学を学び博士号を取得。

1987年、29歳のポコックは、クランフィールドの学生の時から、ベネトンロリー・バーンの率いる設計チームへのコンサルタントエンジニアでした。

1990年、32歳で博士号を取得し、レイナードに入社。ロリー・バーンを雇用してスタートしたフォーミュラ1プロジェクトで開発エンジニアとして働く。

1991年、リジェフランク・ダーニー設計のJS35の開発エンジニア。

1992年から1996年、フェラーリが英国サリー, シャルフォード[9][10]に設けたフェラーリ・デザイン・アンド・デベロップメント(FDD)のジョン・バーナードの設計チームで4シーズンにわたるフェラーリF1マシンのデザインを支援。(412T1, 412T2, F310, F310B)

1994年から1997年、412T1の納車に合わせて英国からマラネッロのチームのレースに帯同してシャーシ研究開発(R&D)の責任者。

1998年、イタリアに拠点を定めて活動していたジャン=クロード・ミジョー, ハーベイ・ポスルスウェイトが親交のあるジャンパオロ・ダラーラを巻き込んで進行させていたティレルの設計製造部門の生き残りプロジェクトに関係し、1999年春のHRDのテスト走行では、(ティレル・027と成り損ねた車両=)ホンダ・RA099のビークル サイエンスの責任者を務める。

ポコックは、イタリア語に堪能で、フォードに7年間(1998-2004)携わり、Pi リサーチでエンジニアリングディレクターを務めたというが[11]、同社は1986年のトニー・パーネルによる設立で、1999年のフォードによる買収を受けた、後のコスワースのエレクトロニクス部門で、データロガー、エンジンコントロールユニットのトップメーカー。

1999年10月から2001年7月、Pi リサーチのプログラムマネージャーとして、Ford World Rally Car エレクトロニクス プログラムを管理。

2001年7月から2003年3月、Pi リサーチのエンジニアリング ディレクター。

2003年3月、ジャガーF1のエンジニアリング ディレクター[12]HRDのテストで一緒だったベン・アガザンジェロウも合流している。アクティブサスペンションシステムの可能性をも考えたという。

チームがレッドブルに買収された後、レッドブル戦隊のエンジニアリング部門(当時はRBT(Red Bull Technology Ltd.)の設立前でRBRH(Red Bull Racing Holdings Ltd., 2004.11.09-2006.12.20))にとどまり、2005年9月まで、譲渡後の引継ぎを担当する。

レッドブルを離れた後、ポコックは、2004年11月7日に設立された米国系資本のCosworth Ltd.で、2005年9月から2006年11月までエンジニアリングディレクターを努める。

その後は、2007年2月から2009年8月、英国政府ビジネスユニットに関連して、オーガスタウェストランドヘリコプター(Augusta-Westland Helicopters [en], Yeovil/Cascina Costa (Italy)[13])(現Leonardo Helicopters)のプログラム管理に携わり、

2009年8月から2010年10月、ポーツマスにある Selex Communications でプログラム マネージャー。

2010年10月から2020年12月、ポーツマスのボーイング エアロスペースでプログラム マネージャーとして 10 年以上勤務。

ジャガーF1以降、RBRHオーガスタウェストランドヘリコプターボーイング エアロスペースでの職歴は、デビッド・ピッチフォースとその時期で重複している。


脚注

  1. ^ Jaguar Racing Ltd”. f1technical.net. 2022年10月1日閲覧。
  2. ^ FKAC (NORTHAMPTON) LTD.”. find-and-update.company-information.service.gov.uk. 2022年8月31日閲覧。
  3. ^ a b 地図 The Octagon, St James' Mill Rd, Northampton”. google maps. 2022年8月30日閲覧。
  4. ^ a b 外観 The Octagon”. google maps. 2022年8月30日閲覧。
  5. ^ COSWORTH LIMITED”. find-and-update.company-information.service.gov.uk. 2022年8月31日閲覧。
  6. ^ Ian Pocock”. OldRacingCars.com. 2022年1月1日閲覧。
  7. ^ RB1 launch (Engineering director) Ian Pocock 写真”. motorsport.com. 2022年10月29日閲覧。
  8. ^ Ian Pocock”. linkedin.com. 2022年9月15日閲覧。
  9. ^ 地図 Shalford (FDD)”. google maps. 2022年9月4日閲覧。
  10. ^ 地図 Guildford (GTO)”. google maps. 2022年9月4日閲覧。
  11. ^ Who is Ian Pocock?”. Grandprix.com. 2022年1月1日閲覧。
  12. ^ Q&A: Dr Ian Pocock (Jaguar Racing).”. Crash (2004年1月19日). 2022年11月4日閲覧。
  13. ^ Leonardo Helicopters · Via Giovanni Agusta, 520, 21017 Samarate VA, イタリア”. google maps. 2022年9月16日閲覧。

関連項目

外部リンク