海難事故の一覧

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海難事故の一覧(かいなんじこのいちらん)

ここでは特に社会的影響の大きかった海難事故に限り、便宜的に記載する。

1900年代以前[編集]

遣唐使船の遭難が記録に残されている。
海難事故によりイングランド、ノルマンディーの王族、貴族多数が水死した。
の艦隊が日本の近海で夜半、嵐に遭い多大な損害を被った。
スウェーデン海軍の戦列艦「ヴァーサ(1,210トン)」が処女航海の直後に横転し沈没した。
イギリスシリー諸島沖で21隻からなる英国海軍艦隊が嵐に遭い、岩礁に追い込まれた。うち4隻が喪失、1,400人を超える犠牲者を出した。
イギリスポーツマスで一等戦列艦ロイヤルジョージ(HMS RoyalGeorge)が船体を傾けて艦底整備を行っていたところ、傾けた部分から慰問に訪れた乗員の家族や補給物資搬入のための業者が入り込んだため、バランスを崩して転覆、800名以上の死者を出した。
バウンティ号の反乱の起きた「バウンティ」の乗組員を逮捕したイギリス海軍のフリゲート「パンドラ」がトレス海峡付近のグレート・バリア・リーフの外縁に座礁し、翌日沈没。乗組員31人と「バウンティ」の囚人4人が死亡。
ブリッグ(帆船)「モーニングスター(140トン)」がトレス海峡で難破。22人が死亡。
ナポレオン失脚後の植民地の返還を受け、セネガルに官僚を輸送するフランス海軍のフリゲート「メデューズ」が、艦長の不適切な指揮によって座礁した。乗員乗客はボート2艘と筏で脱出したが、まもなくボートは筏を見捨て切り離した。ボートに乗った者の大半と、筏で漂流した約150人のうち10人、船に残った17人のうち3人が生還した。
唐船(17人乗組)が紀伊熊野に漂着。
インドネシア・バンカ・ブリトゥン州の Gaspar 海峡でからの移民を載せたジャンク船的星中国語版」が座礁し沈没。
アメリカ合衆国のロングアイランド海峡において外輪船「レキシントン(Lexington)が火災により沈没。乗員・乗客143人中139人が死亡。
イギリスのバーク(帆船)「カタラク(802トン)」が嵐に遭い、オーストラリア・バス海峡のキング島南西で岩に乗り上げて沈没。400人が死亡。
オーストラリアクラレンス捕鯨船イーモント号北海道厚岸末広海岸において遭難し、地元民が乗組員32人を救助した[1]
イギリス軍の兵員とその家族を載せた軍隊輸送船(蒸気船)「バーケンヘッド(Birkenhead)」が南アフリカ西ケープ州の港からの出港直後、岩に衝突し沈没した。約450人が死亡。
  • 1852年(咸豊2年)2月19日に
アメリカの奴隷貿易船、ロバート・バウン号が、中国アモイからカリフォルニア州へ航行中に、沖縄県石垣島の崎枝村沖合で座礁し380人の中国人苦力が上陸した[2]
大西洋定期航路に就航していた側輪蒸気船「アークティック」が、ニューファンドランド島のケープレース沖で、フランスの鋼製蒸気船「ベスタ」と衝突後に沈没。乗員乗客合わせて534人のうち、女性と子供109人を含め約350人が死亡。
アメリカ合衆国ミシシッピ川で就航していた貨客船「サルタナ(定員376人)」が過積載のためボイラーが爆発、火災を起こし沈没。多数乗船していた南北戦争帰還将兵など少なくとも1450人が死亡。
イギリス奴隷貿易船が、広東省からカリフォルニアに行く途中に、中国人苦力340人を乗せ、沖縄県竹富島蔵元前の浜で台風に遭って座礁し溺死者114人、行方不明者62人の犠牲者を出した[3]
海援隊が伊予大洲藩から借り受けていた「いろは丸」と紀州藩船「明光丸」が瀬戸内海で衝突。「いろは丸」が自力航行不能となり、曳航中に沈没した。
ブリガンティン(帆船)「メアリー・セレスト号(小説では「マリー・セレスト」と表記)」が、ポルトガル沖で無人のまま漂流しているのを発見された。
客船「ドイッチュラント」(蒸気船、2,800トン)がテムズ川河口でブリザードに遭遇し、砂州座礁。翌日に救助が来たが、乗客・乗務員100名以上が死亡する惨事となった。この事故は社会に大きな衝撃を与え「ドイッチュラントの遭難」という詩が作られた。
北海道瀬棚海岸沖にてロシア軍艦「アレウト」がおりからの暴風に煽られ座礁。乗組員60人全員が地元住民により救助されるも、翌1878年(明治11年)4月20日迎えに来た軍艦「エルマック」へ「アレウト」乗組員がボートで向かう途中高波により転覆、12人が犠牲になった。
和歌山県太地村。太地鯨方は、子連れのセミクジラ(背美鯨)を捕獲するため19隻・総勢184名で出漁。荒天を突いて出漁したことから集団遭難事故を引き起こし、100余名が死亡した[4]
アメリカ合衆国ペンシルバニア州フィラデルフィアから石油を積み,兵庫県神戸市に向かっていた米国の三本マストの帆船(バーク船)カジミア号は種子島の東南海上で猛烈な暴風雨に遭遇し,転覆し、乗組員十五名のうち,船長以下三名の上級船員は大波にさらわれて死亡した。
イギリス商船「ノルマントン号」が、和歌山県潮岬沖で沈没、日本人乗客25人ほか、中国人、インド人乗組員12人が死亡。イギリス人船員は全員生存し、当時の日本で社会問題になった。
  • 1886年(明治19年)12月
日本海軍巡洋艦畝傍」がフランスから日本への回航中、シンガポールを発ったのを最後に消息を絶つ。荒天により沈没と思われるが原因や状況などは現在に至るまで不明。フランス人乗組員や日本海軍の将兵など計90人が行方不明となった。
客船「ブリタニック」が霧のため「セルティック」と衝突。激しく損傷したが沈没の恐れがなかったため援助にきた船と共にニューヨーク港に移動した。
和歌山県樫野埼灯台付近で荒天下、トルコ海軍艦「エルトゥールル号」が座礁沈没。乗員約600人中、地元の漁民らによって69人が救出されたが、587名が死亡または行方不明となった。
白神岬沖2.8kmの津軽海峡で「瓊江丸」(たまえまる、77トン、北海汽船)と「三吉丸」(97トン)が衝突し「瓊江丸」が沈没。261人が死亡[5]
出雲丸(446トン)が、 朝鮮半島南岸所安群島付近で暴風のため座礁沈没, 乗客28人、乗組員26人が行方不明となった[6]
日本海軍の水雷砲艦「千島」にイギリス商船「Ravenna」(1,916トン)が衝突、「千島」が沈没した。74名が死亡[6]
イギリスの家畜運搬船ナローニックが大西洋上で失踪。74人全員行方不明。
セーブル島沖で濃霧の中フランスの客船「ラ・ブルゴーニュ」とイギリスの帆船「クロマーティシャイア」が衝突し「ラ・ブルゴーニュ」が沈没。549人が死亡。生存者の半数以上が乗員であった。

1900年代[編集]

ニューヨーク・イースト川で遊覧船「ジェネラル・スローカム」が火災。犠牲者1031人。
瀬戸内海姫島灯台付近でイギリス船「バラロング」と軍用船「金城丸」が衝突し「金城丸」が沈没。165人が死亡・行方不明[5]
北海道恵山岬灯台北東沖で客船「陸奥丸」と「秀吉丸」が衝突し「陸奥丸」が沈没。212人が死亡・行方不明[5]
アメリカ東海岸で濃霧の中、客船「リパブリック」が客船「フロリダ」と衝突し、翌24日に「リパブリック」が沈没した。死者6名。
イギリス船籍貨客船「ワラタ号」が南アフリカ・ダーバンから出航後、消息を絶つ。サイクロンに遭遇、転覆・沈没したと推定される。乗員乗客211名全員が行方不明。

1910年代[編集]

日本海軍の「第六潜水艇」が、広島湾でガソリン潜航実験の訓練中に沈没。艇長佐久間勉大尉以下乗員14名全員殉職。後日引き上げられ、最後まで規律を保って配置を守っていた乗組員の遺体と、佐久間が絶命の瞬間まで書き綴った遺書が発見された。その様子は国内では教科書や軍歌に取り上げられるほどの社会現象となり、アメリカ・イギリスなどにおいても大きな話題となった。
タイタニック号
イギリス船籍客船「タイタニック」が処女航海中、氷山に衝突して沈没。1517人が死亡。
伊豆の神子元島新島の間で石炭運搬船「幸運丸(2,878トン)」が沈没。乗員42名中40名死亡。
青森県の尻屋崎の沖合いで石炭運搬船「相川丸(1,536トン)」が台風による暴風雨で沈没。乗員33名全員死亡。
カナダ船籍客船「エンプレス・オブ・アイルランド(14,191トン)」が濃霧のセントローレンス川でノルウェー船籍貨物船「ストールスタッド(6,028トン)」と衝突して沈没。1024人が死亡・行方不明。

第一次世界大戦時[編集]

英国船籍客船「ルシタニア」がUボートU-20英語版)の雷撃で沈没。米国人を含む1198人が死亡。
イギリス軍に病院船として徴用された客船ブリタニック」がドイツ軍の機雷に触れて沈没。死者30名。
カナダハリファックス港で軍用火薬を積んだ船と貨物船が衝突して大爆発を起こした。両船だけでなく、付近にいた船を巻き込み、ハリファックス市街に重大な被害をもたらす大災害となった。
イギリス海軍による夜間演習で、濃霧の中8隻の艦艇が関与して5件の衝突事故が発生した。潜水艦2隻が沈没、潜水艦4隻と巡洋艦1隻が損傷。死者270名。
  • 1918年(大正7年)3月
アメリカの給炭艦「USS Cyclops(乗艦者305名)」がブラジルからボルチモアへ向かう途中、消息を絶ち二度と発見されなかった。
イギリス軍に輸送船として徴用された客船「オリンピック」がUボート「U-103」の雷撃を受けたものの、「オリンピック」は発射された魚雷を回避して体当たりによる逆襲を敢行し「U-103」が沈没した。

1920年代[編集]

商業スクーナー(帆船)「キャロル・ディアリング号」が、アメリカ合衆国ノースカロライナ州のハッテラス岬(Cape Hatteras)沖において座礁。2月4日に救助が到着した時には、誰も乗っていなかった。
カムチャツカ半島で漁業保護任務中の巡洋艦「新高」がオジョールナヤ基地沖で停泊中に暴風に遭遇し走。海岸に座礁、転覆した。15人は救助されたが、残りの327人は死亡した。
カリフォルニア州沖で訓練航行中の14隻の駆逐艦のうち9隻が次々に座礁し、7隻が喪失。2隻で計23名が死亡。
京都府舞鶴港に向かっていた海軍の工作艦「関東」が、吹雪の気象条件のなか位置を誤認もしくは確認できないまま航路を逸脱。福井県下糠浦海岸の二ッ栗岩に座礁して沈没、乗組員と便乗者の合わせて99名が死亡。
幌筵島沖を航行中の蟹工船「秩父丸」が座礁沈没し、182人死亡。
漁船「良栄丸」(42トン)が本州東方海上で機関を破損して航行不能となって漂流。乗組員全滅後、翌年の10月末に北アメリカ西岸に漂着した。
島根県美保関沖で夜間演習中の軽巡洋艦「神通」と駆逐艦「」が衝突して「蕨」が沈没、軽巡洋艦「那珂」と駆逐艦「」も衝突し、将兵119名が殉職した。「神通」艦長水城圭次大佐は軍法会議にかけられ、判決の前日に自決した。

1930年代[編集]

アラスカ沿岸で貨物船「ベイチモ号(1,322トン)」が叢氷に閉じ込められ放棄された。
愛媛県南宇和郡内海村(現: 愛南町)の沖にて南宇和郡深浦港行の連絡船「第3大和丸(45トン、乗員乗客24名)」が沈没。生存は乗組員1名のみで残りの23人は死亡した。
日本海軍の水雷艇友鶴」が長崎県佐世保港外で演習中に転覆。乗員100名が死亡。
広島県の帝釈峡にある神竜湖の遊覧船が沈没。比婆郡田森村(現: 庄原市東城町)の庄原市立粟田小学校粟田尋常高等小学校児童の卒業遠足一行(計42名)が乗船しており、児童12名と引率教諭2名、合計14名が死亡した。
大西洋でアメリカのクルーズ客船「モロ・キャッスル」が火災を起こし全損。死者135人。公式には事故とされるが、「放火した」と発言している乗組員がいる。
  • 1934年(昭和9年)
済州島沖で演習中だった暁型駆逐艦四番艦「電」と吹雪型駆逐艦四番艦「深雪」が濃霧の中衝突し「深雪」が船体断裂により沈没「電」も約三ヶ月の復旧工事が必要になった。
広島県の尾道市を出航して豊島へ向かう汽船「大崎丸(33トン)」が生野島沖で暴風雨によって沈没。乗っていた30名以上のうち11名が死亡。
大分県の別府港を出航して兵庫県神戸市へ向う途中の大阪商船の客船「船緑丸(1,724トン)」が小豆島の近くで大連汽船の「千山丸(2,775トン)」と衝突。この事故で「船緑丸」が沈没。乗員乗客107名が死亡。
日本海軍第四艦隊が岩手県沖の太平洋で演習中、台風に遭遇。54名が死亡。
長崎県から大阪府に石炭を運ぶ途中の福岡県の貨物船「彦山丸(929トン)」が博多湾の沖で遭難。22名が死亡。
貨物船「雲南丸」(2,200トン)が中国の大連港から横浜港へ向かう途中に和歌山県の樫野埼沖で遭難。乗員40名が死亡。
埼玉県の川柳村から彦成村へと通う中川の彦成の渡し船が定員20名のところ、無理に36名を乗せて出航したところ川を半分ほど渡ったところで浸水して沈没、10名が死亡。
愛知県八開村(現:愛西市)の木曽川渡船場で渡し船が定員を超えた状態で出航したところ沈没して8名が死亡。
樺太・栄浜村沖で「相州丸(1,219トン)」が浅瀬に座礁する事故が起きた。「相州丸」は救助船「大浦丸」に曳航されて函館港に向かっていたが、「大浦丸」は天売島沖で舵を損傷。「相州丸」は23日に増毛町の南に漂着した。また「大浦丸」の救難ボートに乗り移った者もいたが、この救難ボートは23日に留萌市付近に着岸する前に転覆した。これらの事故により19名が行方不明になった。
北海道から静岡県へ向けて航行中の石炭運搬船「愛国丸(3,212トン)」が積丹岬の沖合いにて座礁、船体が二つに折れて沈没、33名が死亡。
横浜から函館へ向っていた貨物定期船「小樽丸(1,464トン)」が吹雪で荒れる太平洋を北上中に行方不明となり後日沈没しているのが発見された。乗組員36名全員死亡。
北海道猿払村沖のオホーツク海にてソ連貨客船「インディギルカ号」が座礁沈没、700人以上が死亡。ソ連崩壊後に「『インディギルカ』は政治犯および家族の護送船であった」との説が発表された。

1940年代[編集]

東京湾にて季節風に伴う突風が吹き荒れ数多くの小型漁船が次々と遭難する事態となった。その被害は翌21日までの間に死者20名、行方不明7名にも及んだ。
琵琶湖に面する滋賀県大津市に合宿していた第四高等学校(現:金沢大学)の漕艇部員8名と他の3名(合計11名)が強風の中を同県今津町(現:高島市)から琵琶湖へボートを出艇させて遭難し、全員が死亡した。遭難の原因は強風で転覆したものと推測されるが全員が死亡したため詳細は不明。なお、この事故は後日、その悲劇を悼む歌として「琵琶湖哀歌(歌は東海林太郎小笠原美都子)」としてレコード発売された事により全国的に有名な事件となった。
茨城県にある香取神宮鹿島神宮への参拝客77名を乗せた水郷汽船「水郷丸30号」(4トン)が鹿島郡豊津村(現:鹿嶋市)から潮来町(現:潮来市)へ向かう途中の利根川で転覆・沈没し49名が死亡。定員30人のところを77名も乗せて運航したのが原因とされた。
ニューヨーク港で軍の徴用に向けて改装中だった「ノルマンディー」が火災を起こし、消火時の放水で浸水したことにより転覆。船体が巨大であったこと、狭い埠頭で転覆したことから上部構造物を全て撤去して引き上げたが、結局第二次世界大戦後に解体された。
関西汽船の貨客船「浦戸丸」(1,326トン)が愛媛県難波村(現:松山市)波妻ノ鼻沖合で、宮地汽船の貨物船「聖山丸(4,232トン)」と衝突して沈没。死者・行方不明323名[7]
垂水港を出港した垂水汽船「第六垂水丸」が転覆沈没し、死者・行方不明466名[5]。原因は定員の2倍の人員を乗せたことによる復元力低下。
伊予灘で試験潜行中の潜水艦「伊号第三十三潜水艦」が浸水し沈没、死者102名。8年後に引き上げられた。
アメリカ海軍第38任務部隊がフィリピン沖で台風に遭遇し、駆逐艦3隻沈没など大きな損害を出した。
青森港内にて青函連絡船の「第五青函丸」が折からの暴風に煽られ防波堤に接触し浸水、沈没した。死者・行方不明者82名。戦時設計のため二重船底が廃止された上に外板が薄く設計されていたこと、重心が高かったことなどが沈没の要因としてあげられる。
朝鮮人労働者とその家族を乗せた「浮島丸」が舞鶴湾内で機雷に触れて沈没。乗員と便乗者549名が死亡。
神戸魚崎沖で客船「室戸丸」が機雷に触れて沈没し、死者・行方不明475人。
神戸沖で客船「華城丸」が機雷に触れて沈没し、死者・行方不明175人。
壱岐島沖で客船「珠丸」が機雷に触れて沈没し、死者・行方不明545人。
台湾からの引き揚げ船「栄丸」が座礁沈没し、死者約100人。
尾道港今治港行き瀬戸内海汽船の今尾連絡船「第十東予丸(162トン)」が、荒天の中、定員210人の3倍を超える乗客を乗せた為、復元力を失って伯方島木浦港沖で転覆・沈没し、死者・行方不明397名を出す惨事になった。地元で架橋運動が始まるきっかけとなり、1957年第五北川丸沈没事故もあり、しまなみ海道の建設につながった。
荒天の明石海峡で「せきれい丸(定員100人)」が転覆し沈没。304名が死亡または行方不明。
阪神港 - 多度津港航路の関西汽船「女王丸」が瀬戸内海牛窓沖で機雷に触れて沈没。死者行方不明183名。
上海の北約80kmの黄浦江河口付近で客船「江亜」が機雷に接触し沈没。2,750人~3,920人が死亡。
国共内戦期に上海から台湾に向かう客船「太平輪」が貨物船「建元輪」と、舟山群島付近で過積載と無灯火により衝突し両船とも沈没した。約1,000人が死亡。
千葉県香取郡高岡村(現:成田市)の利根川にある「高岡の渡し」で、渡し船が対岸の茨城県側にある大島渡船場へと向かう途中で転覆して沈没、乗っていた31名のうち19名が死亡。

第二次世界大戦時[編集]

イギリスの兵員輸送船(クルーズ客船を徴用)「ランカストリア」が、エアリアル作戦(フランスからの撤退作戦)の際に爆撃機による攻撃で撃沈された。軍民あわせて1,500〜6,500人が死亡。
機雷敷設に向かったイギリス海軍第20駆逐群が、敷設途中で無標識の機雷原に入り込んだ。駆逐艦2隻が沈没し、軽巡洋艦1隻と駆逐艦1隻が損傷。死者約300名。
客船「長崎丸」(5,268トン、東亜海運)が上海から長崎港外に到着し、附近の哨戒艦と連絡のため指定航路を僅かに外れた時、日本海軍の機雷に触れて沈没。死者13名、行方不明者26名。生き延びてしまった菅源三郎船長の切腹と言う壮絶な結末で有名な海難事故。
大阪商船貨客船「高千穂丸」、米潜水艦「キングフィッシュ」の雷撃により沈没。乗客844名が死亡。
輸送船「丹後丸」と「隆西丸」が米潜水艦「ラッシャー」により連続撃沈。後者だけで4968-4999人が死亡。
軍隊輸送船「富山丸」が徳之島沖で米潜水艦「スタージョン」の雷撃により沈没、3680-3874人が死亡。
沖縄からの児童疎開船「対馬丸」が米潜水艦「ボーフィン」の雷撃により沈没。疎開児童708名を含む1484名が死亡。3隻の疎開船団(「対馬丸」「暁空丸」「和浦丸」)の唯一の犠牲。また、沖縄本島からの疎開船(延べ187隻)の中で唯一、撃沈された船でもある。
輸送船「順陽丸」が英潜水艦「Tradewind」の雷撃により沈没。連合国軍の捕虜など約5620名が死亡。
バルト海にてドイツ客船「ヴィルヘルム・グストロフ」がソ連潜水艦「S-13英語版」の雷撃により沈没。乗船していた難民など9331名が死亡。
ドイツ客船「シュトイベン」がソ連潜水艦「S-13」の雷撃により沈没。難民など4500人が死亡。
安全航行を保障されていた緑十字船「阿波丸」が台湾海峡にて米潜水艦「クイーンフィッシュ」により撃沈される。乗客2000人以上が死亡。「阿波丸」は協定に違反して戦略物資を積み込んでいたことが明らかになっている。
ドイツの貨物船「ゴヤ」がソ連潜水艦「L-3英語版」の雷撃により沈没。難民など6666名が死亡。
ドイツ客船「カップ・アルコナ」が英空軍の空襲により沈没。5594名が死亡。強制収容所の収容者が多く犠牲となった。
米重巡洋艦「インディアナポリス」が日本潜水艦「伊号第五八潜水艦」の雷撃により沈没。米海軍は同艦沈没の事実を人為的ミスによって丸四日間気付かず、乗員1196名中、880名が死亡した。同艦は広島へ投下された原子爆弾「リトルボーイ」の輸送任務を終えた直後だった。生き残ったチャールズ・B・マクベイ3世艦長は軍法会議にかけられ有罪となり、1968年に自殺している。この事件は海軍の真相隠蔽疑惑と、マクベイ艦長の名誉回復を巡って今も論争が続いている。
樺太からの引き揚げ船「小笠原丸」・「第二号新興丸」・「泰東丸」が、ソ連潜水艦(L-12ロシア語版L-19)の雷撃・砲撃を受け「小笠原丸」と「泰東丸」が沈没、「第二号新興丸」が大破した。1700人以上が死亡。犠牲者の大半は民間人。なお、特設艦船砲艦兼敷設艦だった「第二号新興丸」の反撃により、ソ連潜水艦も1隻(L-19)が沈没している可能性が高い。

1950年代[編集]

1950年(昭和25年)[編集]

静岡県伊東市の「盛徳丸(30トン)」が伊豆大島の沖合いで沈没。乗組員32名が死亡。
広島県佐伯郡にある長島の近くで漁船が操業していたところ、付近に浮遊していた大型機雷が爆発。これにより漁船4隻が大破し2隻が損壊した。犠牲者46名。
北海道厚岸郡の霧多布沖で捕鯨船が救難信号を出した後に行方不明となった。21名が乗り組んでいたが生存者は発見されなかった。
三重県南牟婁郡北輪内村(現:尾鷲市)の漁船が岩手県三陸海岸の魹ヶ崎(とどがさき)付近で行方不明。48名死亡。
愛媛県の今治市から大阪へ向かう定期旅客船「第2高島丸(161トン)」が沈没。16名が死亡。
長崎から名古屋へ向かっていた「豊丸(725トン)」がSOSを発信した後に消息不明となった。その後救命ボートに乗っていた5名が助かったが26名が犠牲となった。
青森県の深浦町沖にて東邦海運の貨物船(1,684トン)が座礁の後に沈没。乗組員40名が死亡。

1951年(昭和26年)[編集]

横浜市の大岡川に浮かぶ日雇い労務者用の水上ホテルが転覆。7名が犠牲となった。定員250人のところに432名が乗り込みバランスが崩れたのが原因と思われた。
佐賀県東松浦郡名護屋村(現: 唐津市)の波戸岬の沖で貨物船(880トン)が座礁した後に沈没。33名死亡。
東京湾および関東付近の太平洋で吹雪まじりの嵐となり漁船などの連続遭難事件が発生した。14日と15日の両日だけで小型漁船を中心に沈没43隻、流失46隻、損壊15隻、行方不明9隻、座礁6隻を出す事態となった。
福島県にある桧原湖にて遊覧船(定員60名)が定員をオーバーする乗客を乗せて沈没。女子中学生1名死亡。

1952年(昭和27年)[編集]

当時活発な活動を繰り返していた海底火山明神礁の調査に向かった海上保安庁の測量船「第五海洋丸」が、明神礁付近で調査を行っている際に突如発生した海底火山噴火に巻き込まれて沈没。船長以下乗組員22名、学術調査員9名、計31名全員が死亡。
静岡県の漁船「福徳丸(64トン)」が宮城県塩釜沖の太平洋で沈没。21名が犠牲。
北海道の稚内沖で「日進丸」が定置網の引き上げに出航したまま行方不明になった。31名が乗り組んでいたが強風により沈没したものと思われる。
千葉県天津町(現:鴨川市)の漁船が岩手県の釜石沖で沈没。1名が救助されたが18名が行方不明。

1953年(昭和28年)[編集]

韓国釜山港沖で「창경호」が、強風により転覆し沈没。229名が死亡。
沖永良部島から与論島へ向っていた機帆客船「新生丸(25トン)」が沈没。乗客82名のうち80名が死亡。
米国の貨物船と日本の水産指導船が静岡県白浜沖の太平洋で衝突。これにより水産指導船が沈没して11名が死亡した。
福島県のカオマグロ漁船「みどり丸(98トン)」が宮城県の金華山沖で消息を絶った。海上保安庁だけでなく在日米軍の協力も得て海難地点付近を捜索したが「みどり丸」のものと思われる釣竿や魚を入れる道具しか発見できないまま8月8日に捜索を打ち切った。乗員51名全員が行方不明。

1954年(昭和29年)[編集]

北海道で荒天のため小型漁船などの連続遭難事件が発生。3日間に沈没17隻、大破11隻、中破29隻、小破21隻、座礁39隻を出し、死者・行方不明者の合計は37名にも及ぶ事態となった。
マグロ漁船「第五福竜丸」がビキニ環礁にて行われた核実験「キャッスル作戦」で被曝。乗員が「死の灰」と呼ばれる放射性降下物を浴び、1名が死亡。
翌10日にかけて急速に発達する低気圧(メイストーム)が北日本を通過し、北海道根室市近海で操業中のサケ・マス漁船など409隻が遭難。うち56隻が沈没・47隻が行方不明となり、確認されただけで361人が死亡または行方不明となった。
貨物船「辰和丸」がフィリピン近海で台風3号に遭遇し消息不明となり、沈没と認定[8]
青函連絡船「洞爺丸」が函館市沖で台風15号(洞爺丸台風)の暴風により転覆・沈没。乗員乗客1155名が死亡。
  • 洞爺丸台風では、同様に函館沖で停泊していた「北見丸(乗員70名死亡)」・「十勝丸(乗員59名死亡)」が転覆、「日高丸(乗員56名死亡)」が浸水、「第十一青函丸(乗員90名死亡)」が船体破断で沈没。あわせて1430名が犠牲となっている。
神奈川県与瀬町(現:相模原市)にある相模湖遊覧船「内郷丸」が定員を大幅に超過した状態で運航して沈没、死者22名。

1955年(昭和30年)[編集]

北海道根室市の納沙布岬沖で漁船「第八東丸(57トン)」が転覆。乗組員14名全員が死亡・行方不明となった。
  • 1月7日
大阪港第3埠頭に停泊中だった関西汽船の「にしき丸(1,850トン)」から出火。その後、消火活動が始まったが消防の放水を浴びてバランスを崩して転覆・沈没した。出火の原因は船員の寝室にあった石油ストーブの火の不始末と考えられた。死者や怪我人はなかった。
青森県の尻屋崎の沖合いで大阪府大阪市の五大光商船所属の貨物船「大玄丸」(918トン)が浸水し、SOS信号を発信しながら沈没。乗組員29名が行方不明となった。
北海道の小樽港の沖合いで小樽石油海運のタンカー「第五葵丸」が時化で沈没。
いずれも宇高連絡船である「紫雲丸(貨客船)」と「第3宇高丸(貨物船)」が濃霧の中で衝突し、「紫雲丸」が沈没。死者166名、負傷者122名。国鉄戦後五大事故の一つに数えられる。

1956年(昭和31年)[編集]

北海道岩内町沿岸で、悪天候が原因の漁船の大量海難事故が発生。38名死亡[9]
イタリア客船「アンドレア・ドーリア(29,083トン)」と、スウェーデン客船「ストックホルム(12,165トン)」が濃霧の中で双方ともレーダーを過信し、20ノットの高速で航行中にアメリカ・マサチューセッツ州ナンタケット島沖で衝突。「アンドレア・ドーリア」は沈没し、双方で55名死亡。

1957年(昭和32年)[編集]

瀬戸内海の定期客船であった「第5北川丸」が、定員の3倍超の乗客を乗せて生口島瀬戸田港から尾道港に向け出航したところ、途中の暗礁に座礁・転覆し、死者・行方不明113名を出す惨事になった。海難審判では船長の職務上の過失に加え、運航会社による管理が不適当であったとされた。

1958年(昭和33年)[編集]

紀阿連絡航路の旅客船「南海丸」が和歌山市に向け徳島県小松島市から出航したところ、悪天候に遭遇したため紀伊水道沼島沖で沈没。乗員乗客167名全員が死亡・行方不明になった。生存者がいないため沈没までの詳細な過程は不明である。

1959年(昭和34年)[編集]

福岡県にある米軍芦屋基地の沖で八幡製鉄所構内の小型貨物船「松栄丸(422トン)」が沈没、10名死亡。
千葉県銚子の一ノ島灯台付近で茨城県の漁船「第5幸辰丸(32トン)」が高波を受けて転覆・沈没。乗組員35名のうち28名が死亡。

1960年代[編集]

1960年(昭和35年)[編集]

津軽海峡東方で対潜訓練中の海上自衛隊の護衛艦2隻、「あけぼの」と「いなづま」が、操船ミスで衝突し2人が死亡、2人が負傷した。なお翌日には修理中の「いなづま」で室内での清掃作業に用いたガソリンへの引火による爆発事故が発生し、3人が死亡した。
岩手県釜石市漁船「第6神明丸(36トン)」が北海道の釧路沖500キロで消息不明となった。17名の乗組員は全員死亡したものとされる。

1961年(昭和36年)[編集]

宮城県の金華山沖で東京の太洋海運所属の貨物船「第五太平丸(900トン)」が積荷の荷崩れが原因で沈没。乗組員25名は沈没直前に救命ボートに乗り移って脱出、全員生還した。
岩手県の三陸沖でギリシャ船籍の貨物船「アトランチック・サンライズ(14,408トン)」と大洋漁業の捕鯨船「第7文丸(391トン)」が衝突。「第7文丸」はたちどころに沈没して死者不明16名となった。
北海道の広尾港を出港した刺し網漁船「第18雲浦丸(53トン)」が襟裳岬東南35キロでバラバラとなった船体の破片が発見された。状況から他の船と衝突して沈没したものと思われたがぶつけた相手の船は判らなかった。この事故により乗組員14名全員が行方不明となり全員が死亡したものとされる。
千葉県の銚子沖30キロの太平洋で茨城県の漁船「第6政豊丸(30トン)」が貨物船「玉川丸(6,844トン)」と衝突し、「第6政豊丸」は転覆・沈没。乗組員12名のうち9名が死亡した。
東京湾の各所にて強風のため遊漁船や小型の釣り船が沈没して3隻の合計11名が死亡した。
石川県七塚町(現: かほく市)の漁船「第1梅丸(21トン)」が遭難、乗組員6名全員が行方不明。
新潟県新潟市沖の日本海で長谷部海運のタンカー「第18八幡丸(452トン)」が転覆。乗組員のうち2名が死亡、9名が行方不明。
韓国の済州島の北西約370キロの海上で漁船「第8山田丸(92トン)」が突然の横風を受けて沈没。乗組員13名のうち3名は救助されたものの10名が行方不明。
福島県北塩原村にある桧原湖にてモーターボートが沈没。乗っていた6名全員が死亡。

1962年(昭和37年)[編集]

神奈川県川崎市の京浜運河を航行中の出光興産所有の小型石油タンカー「第一宗像丸(1,972トン)」が、ノルウェー船籍の大型タンカー「タラルド・ブロビーグ(21,634トン)」に衝突。「第一宗像丸」の積荷のガソリンが炎上し、付近を航行していた「太平丸(89トン)」と「宝栄丸(62トン)」も巻き込まれて炎上、4隻で41人が死亡。海難審判では「第一宗像丸」の船長と「タラルド・ブロビーグ」の水先人が見張りを疎かにしていたためとされたが、狭い運河に揮発性の高い積荷を満載した船舶が過密航行していることも原因のひとつであった[10]

1963年(昭和38年)[編集]

韓国の済州島の近くで日本の漁船「第十二泰安丸」が沈没。乗組員12名のうち1名は韓国側に救助され、2名の遺体を収容、9名が行方不明となった[11]
韓国・木浦市港の近くでフェリー「연호」が沈没[12]。140人が死亡。
北海道枝幸郡枝幸町のはえなわ漁船「第二瑞宝丸(74トン)」が千島列島沖で操業中に火災発生。夜間で乗組員全員が就寝中だったため火災の発生に気付くのが遅れて乗組員14名のうち6名死亡、3名が重軽傷。
兵庫県神戸市和田岬沖で貨物船「りっちもんど丸(9,547トン)」と鳴門・阪神間の定期旅客船「ときわ丸(238トン)」が衝突。「ときわ丸」は衝撃で沈没し乗員7人と乗客40人が死亡し3人が負傷した。海難審判では「りっちもんど丸」船長の職務上の過失が主とされたが「ときわ丸」側にも過失があったと認定された。
東京湾内で海上自衛隊護衛艦「てるづき」の右舷に貨物船「賀茂春丸」の船首が衝突し、自衛官5人が死亡。
岩手県陸前高田市の沖で福島県のサケマス流し網漁船「第三福寿丸(61トン)」が沈没。乗組員11名死亡、8名不明[13]
フィリピンからラワン材を運搬していた「洞南丸(4,815トン)」が和歌山県潮岬沖で遭難。乗員33人が死亡・行方不明。荷崩れにより転覆の危険があるため総員退避すると通信があったことから、荷崩れで横倒しになり沈没したとみられている。また、6月12日の衆議院運輸委員会で「『洞南丸』が戦時標準型貨物船1945年(昭和20年)5月29日三菱造船長崎造船所で進水)であったことも事故原因の一因である」との指摘がなされた。
岩手県宮古市のサケマスはえなわ漁船「第3宝運丸(39トン)」から火災発生。乗員16名のうち4名焼死。6名火傷。
広島県福山市で製鉄所建設現場に通勤する作業員57人が乗船したタグボート「第13湊川丸(6.15トン)」が転覆沈没して10名が死亡。原因は定員の5倍が乗っていたことによる重量超過であった。
沖縄本島久米島を結ぶ「みどり丸」が横波を受けて転覆・沈没。死者・行方不明112人[14]
北海道の松前町沖にて兵庫県神戸市の正向海運所属の貨物船「加明丸(998トン)」が積荷の硫化鉱の荷崩れが原因で沈没。死者20名。

1964年(昭和39年)[編集]

青森県の下北半島沖にて広島県豊田郡安芸津町(現:東広島市)の進徳海運所属の貨物船「第二進徳丸(757トン)」が積載量を超えた荷物を積んで出航し、また時化にあったことにより沈没。乗組員11名のうち一等航海士1名は救命ボートにより脱出に成功して生還したが両手足に凍傷を負った。残り10名は死亡行方不明となった。
午後9時頃(日本時間: 午後8時頃)オーストラリア・ニューサウスウェールズ州のジャービス湾特別地域にてオーストラリア海軍所属の空母メルボルン」(19,000トン)と駆逐艦「ヴォイジャー」(2,800トン)が衝突して約3時間後に「ヴォイジャー」が沈没。死者82名。
北海道小樽市の沖合いで底引漁船「第三豊善丸(82トン)」が消息を絶ち、乗組員17名が行方不明となった。
ギリシャ船籍の貨物船「マリア・G・L(7,238トン)」がアメリカのロングビーチから横浜港へ肥料を運んでいたところ、千葉県勝浦市布良鼻の沖で座礁して動けなくなった。またこのあと「マリア・G・L」を救助するため現場へ向かったアメリカ船籍の貨物船「ダディビレジ(8,245トン)」も座礁してしまった。そして2日後の17日になって「マリア・G・L」は船体が真っ二つに割れて沈没。乗組員は沈没前に全員救助されて無事だった。「ダディビレジ」も船体が危なくなったので全員が退船するなどした。
アメリカバージニア州沖の大西洋でタンカー「サンジャシント(11,257トン)」が突然爆発。船体が真っ二つに分かれて沈没[15]
オーストラリア西岸のインド洋で操業していた三重県志摩郡浜島町(現:志摩市)のマグロはえ縄漁船「第三幸喜丸(179トン)」が行方不明となった。僚船やオーストラリア空軍などにより捜索が行われたが手かがりが得られず全員遭難したものと判断され、4月3日に捜索は打ち切られた。乗組員24名全員行方不明[16]
伊豆半島南の静岡県南伊豆町波勝崎の沖合いで東京都中央区の渡辺海運所属の砂利運搬船「光進丸」が積荷の砂利が傾いて横転沈没。乗組員8名のうち5名が死亡[17]
静岡県賀茂郡松崎町沖の駿河湾で漁船「第一鉱造丸」及び「第二鉱造丸」の2隻が相次いで転覆沈没、合計32名が海へ投げ出された。近くにいた仲間の船が27名を救助したが、2名死亡。3名行方不明となった。
鹿児島県薩摩半島の西で台湾船籍の貨物船「チュンカイ(1,873トン)」の積荷の火薬が爆発してSOSを出す間もなく沈没。翌12日の午前0時30分頃に同海域を通りかかったギリシャ船籍の貨物船「バアン(6,729トン)」が漂流する「チュンカイ」の救命ボートを発見して佐世保海上保安本部へ連絡したため、事故が発覚した。このあと現場海域で大がかりな捜索が行われ、救命イカダで漂流する乗組員などを救助したが、全乗組員45名中24名については行方不明のまま5月13日の日没をもって捜索は打ち切られた[18]
北海道亀田郡椴法華村(現:函館市)沖の噴火湾日魯漁業の鮭鱒工船「協宝丸(7,158トン)」と、北海道漁業公社の「第三海鳳丸」(84トン)が衝突し「第三海鳳丸」は転覆・沈没した。「第三海鳳丸」は衝突と同時に転覆してしまい、また夜間で海が暗かった事もあり「協宝丸」はすぐに救助作業を始めたものの1名も救助する事はできなかった。また朝になり海上保安庁の船も付近を捜索したが生存者の発見は出来ず、「第三海鳳丸」の乗組員21名の命は絶望とされた[19]
北海道襟裳岬東南東約240kmで、岩手県大船渡市のサケマス流網漁船「第八成徳丸(39トン)」が沈没。釧路海上保安部の巡視船「宗谷」が救助に向かったところ6月5日に乗組員17名中13名を乗せた救命ボートを発見。しかし、13名全員が死亡していた[20]
東京湾を航行していた館山市竹芝桟橋行の水中翼船「バカンス号(39トン)」が浮遊していた障害物と接触して急停船。この事故で乗客51名のうち23名が座席から放り出されるなどして負傷した。負傷した乗客は竹芝桟橋に入港後、すぐさま病院へ搬送されるなどした。東京水上署が調べたところ船体両側にある水中翼が二つとも損傷していたことから障害物は水面すれすれに浮かんでいた巨大な丸太などではないかと推察されたが、結局のところ何がぶつかったのかは判らなかった[21]
愛知県常滑市沖の伊勢湾でイギリス船籍の貨物船「イースタンテイク(11,222トン)」と、大阪市の日化汽船所属のケミカルタンカー「日化丸(339トン)」が衝突し、「日化丸」はまもなく沈没し乗員9名全員が死亡した。
東京都羽田沖の東京湾大阪商船三井船舶所属の貨物船「はわい丸(9,332トン)」と、静岡県清水市の砂利運搬船「第一大伸丸(733トン)」が衝突。この事故で「第一大伸丸」はまもなく沈没し乗組員12名中8名は「はわい丸」などに救助されたが、4名が行方不明となった。
北海道茅部郡南茅部町(現:函館市)のイカ釣り漁船「美保丸(1.54トン)」が漁に出たまま行方不明となった。海上保安庁の巡視船が捜索したところ椴法華村の沖合いで転覆して船底を上にして漂流している「美保丸」を発見。しかし乗組員4名は発見されなかった。
千葉県富津岬の沖合いで個人所有のヨットが荒天のため転覆し乗っていた会社員2名が死亡。
兵庫県高砂市の沖合いで砂利運搬船「第二天祐丸(198トン)」が強風に煽られて横転し沈没。乗組員5名中1名が死亡。
アメリカニュージャージー州沖の大西洋でイスラエル船籍の客船「シャローム(24,500トン)」と、ノルウェー船籍のタンカー「ストルトダガリ(12,723トン)」が衝突。この事故で「ストルトダガリ」は船体が2つに裂けて沈没、乗組員43名のうち16名が死亡した。また「シャローム」は船首部分を大破したものの自力航行が可能な状態で怪我人を多数乗せたままニューヨーク港まで自力で戻った。
北海道稚内市にある結城水産所属のタラ漁船「第11幸福丸(105トン)」が千島列島・阿頼度島の北方約26kmのオホーツク海で火災発生。乗組員17名のうち8名は逃げ遅れて焼死。9名は付近で操業していた宮城県石巻市の漁船に救助されたがうち2名は大火傷の重傷を負った。
アフリカのアンゴラ沖の大西洋で福岡県北九州市日本水産戸畑支社所属のトロール漁船「宇治丸(535トン)」が行方不明となった。その後、同水産会社所属の漁船が「宇治丸」のものと思われる浮きや木箱、海面に浮く重油などを発見した。乗組員33名は1名の遺体が発見されたが残りの者は全員が行方不明となった。その後、船体は陸地からすぐ近くの深さ85mの海底に沈んでいるのが魚群探知機により発見された。
千葉県の銚子港沖の太平洋で青森県八戸市のカツオマグロ漁船「第三十五正進丸」が行方不明となった。後日「第三十五正進丸」の遭難ブイからと思われる電波をキャッチしたが船は見つからなかった。
伊豆の御蔵島で高知県安芸郡安田町のマグロはえなわ漁船「起久丸(39トン)」が座礁。乗組員14名は自力で御蔵島へ渡ったが、うち1名が怪我した。

1965年(昭和40年)[編集]

北海道の日本石油精製室蘭製油所にてノルウェー船籍の油槽船「ヘイムバード(ハイムバルト、35,355トン)」が桟橋に衝突し漏れた原油に引火して爆発、乗組員10名が死亡した。
大阪港内周遊船「やそしま丸」が暴走したタグボートに衝突されて転覆・沈没、乗員・乗客59名中20名が死亡。
日本のタンカー「海蔵丸」がサウジアラビアカフジ原油の積み込み作業中に爆発炎上、乗組員や陸上作業員など14名が死亡。
マリアナ諸島アグリハン島の島陰で昭和40年台風第29号を避けていた日本のかつお・まぐろ漁船群が、台風の予想外の針路変更と急発達のため暴風圏内に巻き込まれた結果、6隻沈没、1隻が陸に打ち上げられて大破沈没し、死亡及び行方不明者209名の大量遭難となった。
バハマ諸島沖でクルーズ客船ヤーマス・キャッスル(乗客376名、乗員176名、計552名が乗船)」が火災を起こして沈没。乗客88名、乗員2名が死亡。

1966年(昭和41年)[編集]

愛知県名古屋市港区にある石川島播磨重工の造船所の岸壁でLPG船「ブリヂストン丸(33,800トン)」の船倉から出火。船内で作業中だった作業員15名が窒息死した。
神奈川県の三浦半島東側の東京湾でタンカー「第七大手丸(365トン)」と台湾の貨物船「チャンキンビクトリア(7,305トン)」が衝突。「第七大手丸」が沈没して7名が死亡。

1967年(昭和42年)[編集]

兵庫県の神戸港沖で午後11時30頃に兵庫県飾磨郡家島町の個人が所有する小型砂利運搬船「住徳丸(158トン)」とリベリア船籍の貨物船「オリエンタル・バンカー号(7,993トン)」が衝突。「住徳丸」は衝突直後に沈没し乗組員4名全員が行方不明となった[22]
新潟県両津市の両津漁港所属のエビ漁船「利勝丸(11トン)」が佐渡島の東方沖で消息を絶ち船長以下全5名行方不明[23]
午後10時頃、韓国・釜山の西方30kmの洋上で乗員乗客87名を乗せたフェリーボート「韓1号(140トン)」が韓国海軍の軍艦「忠武」と衝突し「韓1号」はまもなく沈没した。すぐに「忠武」が救助に当たったが乗員乗客15名が死亡し60名が行方不明となった[24]
長崎県の対馬沖で島根県浜田市の浜田漁業生産組合所属の底引網漁船「第十五長栄丸(49トン)」が行方不明となった。海上保安庁の巡視艇「なつづき」「たつぐも」及び、巡視船「くろかみ」「へくら」や、第十五長栄丸の僚船3隻が捜索に当たったが、同日夜になり対馬の神埼の東南東20kmの場所で第十五長栄丸のものと思われる魚箱や木片か多数浮遊しているのを地元の漁船が発見し、遭難は確実視された。船長以下全12名が行方不明となった[25]
千葉県千葉市の千葉港の沖に停泊していた浚渫船「第三墨田丸(70トン)」から午後9時30分頃に火災発生。乗組員8名のうち3名が焼死し、5名が火傷を負った。出火原因は暖房用ストーブのガスが船内に充満して引火したものと推定された[26]
午後4時頃、神奈川県川崎市の川崎港で、東京都千代田区のジャパンライン所属のタンカー「瑞栄丸(31,288トン)」と、愛媛県松山市の興栄海運所属のタンカー「第十五永進丸(993トン)」が衝突。この事故で「第十五永進丸」は左舷に直径2mあまりの裂け目が出来てそこから灯油200キロリットルが海面に溢れた。幸いに火災事故などはおきなかった[27]
イギリス沖で、リベリア船籍の大型タンカーである「トリー・キャニオン(en:SS Torrey Canyon、61,263トン、載貨重量トン数(最大)118,285トン)」が座礁。同船はクウェート産の原油を満載しており、船体破損で船外に流出した。船体は3月26日に二つに破断。英国政府は船内に残った原油の流出を避けて燃焼させるために船体を爆破、3月30日に沈没した。流出した原油は8万トン以上に及び、タンカー事故で広範囲に原油が流出して海洋を汚染した最初の事故となった。これをきっかけに国際海事機関(IMO)は1969年に「油による海水の汚濁の防止に関する国際条約」を改正、さらに1973年にこれを発展的に強化した海洋汚染防止条約(マルポール条約)が採択されるに至った。
  • このころから世界中で大型タンカーが建造され始めたが、当初知りえなかった現象(静電気の発生、それが残油に引火)により、多くの船が爆発炎上している。日本のタンカー及び日本に寄港したタンカーにおいても、1965年・サウジアラビアにおける海藏丸火災事故(同国ラス・アル・カフジに入港中のタンカー「海藏丸(20,949トン)」が、船内に侵入・滞留した石油気化ガスに引火して爆発炎上し14名が死亡)や、室蘭港におけるヘイムバード火災事故(ノルウェー船籍のタンカー「ヘイムバード(35,355トン)」が室蘭港への接岸に失敗し、原油を大量に流出させた所へ曳船のエンジンの火の粉もしくは火花から石油気化ガスに引火。同船は大爆発を起こして27日間にわたって燃え続け、10名が死亡すると共に一時は周辺住民に避難命令が出された)など、大規模な炎上事故が起こっている。

1968年(昭和43年)[編集]

北海道静内郡静内町(現:新ひだか町)の沖合いで操業中の同町漁協所属の漁船「高徳丸(9トン)」が漁のため投網したところ魚が網に入り過ぎて船体のバランスを崩し横転沈没。5名が死亡した。

1969年(昭和44年)[編集]

野島崎南東沖合を航行中の撒積貨物船「ぼりばあ丸(33,768トン)」の船首部分が突然折損脱落して航行不能となり、約1時間後に沈没。長沢吉三郎船長ほか乗組員30人が行方不明となった。
東シナ海にてオーストラリア海軍所属の空母「メルボルン(19,000トン)」とアメリカ海軍の駆逐艦「フランク・E・エヴァンズ」が衝突、エヴァンズは艦首部分が切断されて沈没。死者74名。

1970年代[編集]

1970年(昭和45年)[編集]

静岡県の田子ノ浦港を出航した合洋海運の砂利運搬船「第一合洋丸(349トン、乗員5名)」が行方不明となったと船主より海上保安庁に届出があった。1月31日以降同船と連絡が取れておらず太平洋上で沈没したものと推察された。
千葉県犬吠埼の沖合い約300kmの太平洋上で第一中央汽船の鉱石運搬船「かりふぉるにあ丸(61,000トン、乗員29名)」が、船首部分を破損して浸水をおこして沈没。乗組員のうち24名は無事に救助されたが、住村博船長(当時45歳)は船長としての責任を取るべく「船と運命を共にする」と言い残し、救助される事を拒否。ブリッジより乗組員へ別れを告げ、そのまま沈没した船と運命を共にした。この事故では船長の他に合計5名が死亡した。
  • この半月ほど前の1月17日にも北海道奥尻島沖を航行中の石炭運搬船「波島丸(3,913トン)」が時化のために転覆、18人が死亡したが、この時も「波島丸」の上床力船長(当時60歳)が船と運命を共にしている。当時の船員法第12条に「船長の最後去船義務」という項目があり「旅客・海員その他船内にある者を去らせた後でなければ、自己の指揮する船舶を去ってはならない」との条文があったが、これが「船長に殉職精神を植え付けているのではないか」との批判が巻き起こり、国会でも大きな論争となった。同年5月15日に船員法が一部改正され、第12条が削除されるきっかけとなった。
クルーズ客船「アローザ・スター(7,114トン、事故時の船名は「ラ・ジェニーレ」)」が荒天でカリフォルニア州の海岸に座礁。この事故での死者はなかったが、後に侵入者が死亡。船は防波堤の一部となった。この船は「バハマ・スター」という船名であった1965年に「ヤーマス・キャッスル」の事故で救助を行っている。
旅客船「南営号(ナミョン号)」が、朝鮮海峡の対馬海峡西水道付近で過積載により転覆し沈没。326名が死亡。

1971年(昭和46年)[編集]

新潟西港沖でリベリア船籍のタンカー「ジュリアナ」が荒天の為、船体が分裂。周囲に油が流出する。

1972年(昭和47年)[編集]

香港のビクトリア・ハーバーで洋上大学に改装中だった旧イギリス客船クイーン・エリザベス(当時世界最大)が火災により沈没。残骸は映画『007 黄金銃を持つ男』のロケにも使用された後に解体された。
茨城県の日立港から神奈川県の久里浜港へ向かう途中の材木運搬船「武光丸(2,298トン)」が千葉県の太東埼灯台沖で座礁して沈没。乗員22名死亡。

1974年(昭和49年)[編集]

和歌山県南端の潮岬沖でリベリア船籍の貨物船「オーシャン・ソリバーン」が高知県のマグロ漁船「第十一昌栄丸」に衝突、「第十一昌栄丸」は転覆・沈没。死者行方不明14名。
LPG・石油タンカー「第十雄洋丸」とリベリア船籍の貨物船「パシフィック・アレス」が東京湾木更津港沖で衝突して炎上した。死者33名。

1975年(昭和50年)[編集]

スペリオル湖五大湖、アメリカ合衆国とカナダの国境)を強風・雪の中航行中に貨物船「エドモンド・フィッツジェラルド(8,713トン)」が行方不明となり、その後沈んでいるのを発見された。

1976年(昭和51年)[編集]

  • 7月2日 - ふたば・グレート・ビクトリー衝突事件
宮崎県の細島港から広島県の広島港に向かっていた日本カー・フェリー(現: マリンエキスプレス)所属のフェリー「ふたば」(1,933トン)が山口県のミルガ瀬戸(諸島(もろしま)- 情島間)で、パナマ船籍の貨物船「グレート・ビクトリー(7,519トン)」と衝突し「ふたば」が沈没。「ふたば」の乗員28人と乗客58人のうち5人が死亡・行方不明となり車両24台も水没した。日本国内でカーフェリーで発生した初の人身死亡事故となった。
深刻な海洋汚染を引き起こしたアルゴ・マーチャント号
リベリア船籍のタンカー「アルゴ・マーチャント(en:MV Argo Merchant)」がアメリカ・マサチューセッツ州ナンタケット島沖で座礁。数日後に船体は破断し、積荷の燃料油29000キロリットル全量を流失、極めて深刻な海洋汚染を引き起こした。

1978年(昭和53年)[編集]

今治市東門町一、寿汽船所属の「第8福徳丸(342トン、野崎幸夫船長ら4人乗り組み)」は午後2時半過ぎ、セメント原料約600tを積んで香川県・直島町港を出港、福岡県・苅田町三菱セメント苅田工場に向かったが、同4時頃、坂出港沖付近を航行中、船舶電話で「17日午前7時ごろ到着する」と苅田工場に連絡したのを最後に消息を絶った。寿汽船からの連絡で、第六管区海上保安本部は18日朝から巡視船20隻、飛行機3機動員して捜索を開始。23日朝からも捜索船を10隻に減らしたものの、飛行機3機を引き続き飛ばして捜したが手がかりは全くなかった。同本部では「遭難したとすれば海面に油が浮いたり漂流物が見つかる。全く謎の蒸発」と言った。予定を変更して上陸した形跡はなく、船内で何かが起きて外洋に出たという情報もない。
フランスのブルターニュ半島沖でタンカー「アモコ・カディス」が座礁・沈没し、大量の原油が流出する。
兵庫県の神戸港から宮崎県の細島港に向かっていた日本カー・フェリー(現: マリンエキスプレス)所属のフェリー「さいとばる(6,574トン)」が、愛媛県の来島海峡で韓国のタンカー「チャン・ウォン(3,409トン)」と衝突して転覆沈没した。乗用車69台とトラック69台とコンテナ4個と多数の積荷が水没する甚大な被害が生じたが、幸い深夜かつ強潮流の悪条件の中から乗員・乗客245人全員無事に救出された。

1979年(昭和54年)[編集]

カリブ海トバゴ島沖でタンカー「アトランティック・エンプレス」と「エーゲアン・キャプテン」が衝突・炎上し、大量の原油が流出。「アトランティック・エンプレス」は8月2日に沈没。

1980年代[編集]

1980年(昭和55年)[編集]

野島崎東南東沖合約800海里(約1,500km)を航行中のばら積み貨物船「尾道丸(全長226.4m、33,833トン)」が、船首方向からの強いうねりの中、波高20mほどの大波に突っ込んだ際に船首部分が上方に折損(スラミング現象による)、その後脱落して航行不能となった。「尾道丸」の前方を航行していた鉱石運搬船「だんぴあ丸」が引き返し、翌1981年(昭和56年)1月1日に「尾道丸」乗組員29名全員を無事救助する。この事故が乗組員全員を無事救助した初のケースとなった[28]

1981年(昭和56年)[編集]

下甑島付近を航行中の貨物船「日昇丸(2,350トン)」にアメリカ海軍のジョージ・ワシントン級原子力潜水艦「ジョージ・ワシントン」が海中から急浮上したため衝突、「日昇丸」は船底を破壊されて沈没した。乗員2名が死亡。なお「ジョージ・ワシントン」が救助せずに現場海域から離れたことに対し、非難された。
ソビエト社会主義共和国連邦のウィスキー級潜水艦「U-137」が、航法の誤りからスウェーデンの領海を侵犯して座礁。死傷者はなかったが、事故発生場所がスウェーデンの軍港付近であったこともあり国際問題に発展した。

1982年(昭和57年)[編集]

ベーリング海で遠洋底引網漁業に従事中、原料置場の設備が破損して置いてあった大量の魚が流動化、船体動揺と魚などの流動化とが相まって激しく横揺れしたときに海水が船内に進入、沈没。乗組員33人中、24人が行方不明、8人が死亡した。

1983年(昭和58年)[編集]

旧ソ連のウリヤノフスク近郊でヴォルガ川に架かる橋(ru:Императорский мост)の橋脚に客船「アレクサンドル・スヴォーロフАлександр Суворов、定員400人)」が衝突。橋脚が移動して貨物列車脱線し、この船の上に転落して貨車の積荷が船内に流れ込んだ。少なくとも176人が死亡。

1984年(昭和59年)[編集]

  • 2月15日
ベーリング海で操業中、猛吹雪となったために支えの態勢をとっていた「第十一協和丸(24人乗)」と、他の船に引き渡すオブザーバー4名を乗せた「第十五安洋丸(25人乗)」が100m程度の視界の中で衝突、死者14名、行方不明者2名、負傷者5名を出す事故となった。

1985年(昭和60年)[編集]

カムチャツカ沖で操業中の「第五十二惣寶丸」が漁獲物を整理していたところ、船尾方向へ著しく沈み込み、大きなうねりで左舷側へ大きく傾斜した同船へ海水が流入して沈没。乗組員22名中、死者行方不明者20名。
鹿児島県串木野市(現:いちき串木野市)の瀬渡船「開洋丸」が沖へ出たところ、大波を受けて転覆、乗員乗客26名全員死亡または行方不明。定員オーバーが原因とみられる。
漁船「第七十一日東丸」が樺太南部の漁場で強風のため沈没。8人死亡。

1986年(昭和61年)[編集]

福島県相馬市鵜ノ尾岬沖付近を航行していた海洋調査船「へりおす」が悪天候下で沈没し、乗っていた9人が死亡。
撒積貨物船「ピョートル・ワセフ(18,604トン、南日本造船建造)」が客船「アドミラル・ナヒモフ号(17,053トン、旧「ベルリン」)」に衝突し「アドミラル・ナヒモフ」が沈没。死者423人。

1987年(昭和62年)[編集]

銚子港より約十数km沖で乗員22名の青森県八戸市の福島漁業所属のイワシ漁船「第65惣宝丸」(80トン)が強い横風と波高5mもの高波により沈没。船体は2月27日に引き上げられたが、この沈没で死亡8名、不明7名となった。
フェリー「en:MS Herald of Free Enterprise」がベルギー北西部ブルッヘの Zeebrugge 港を出港直後に、閉じ忘れた車両甲板扉からの浸水により転覆。193名が死亡。
フィリピン客船「ドニャ・パス号(2,640トン、旧「ひめゆり丸」)」とガソリンを積載した小型タンカー「ヴェクター(640トン)」が、フィリピン・タブラス海峡で衝突し炎上、双方が沈没。正確な乗船数は不明だが、少なくとも1576人以上死亡、行方不明。平時における最大の海難事故といわれている。

1988年(昭和63年)[編集]

アイルランド向けに輸出される日本製自動車5458台を積載した自動車運搬船麗神(58,000トン)」がポルトガル沖で座礁。後日、この船の撤去には時間がかかり、また積荷の自動車が錆びて商品価値を失ってしまった事などにより積荷の新車ごと船ごと深度2000mの地点まで曳航した後に海に沈める事を提案、ポルトガル政府もこの案に合意した事により実行された。しかし、後日これは重大な環境破壊であると日本国内はもとより外国でも批判が高まった。
大阪港中央突堤北岸壁に停泊していたソ連船籍の貨物船「プリアムリーエ(4,870トン)」が左舷中央客室付近から出火しロシア人旅行客の11名が死亡。船自体は消火活動により17時間後に鎮火、沈没は免れた。
海上自衛隊の潜水艦「なだしお」と遊漁船「第一富士丸」が横須賀港北防波堤灯台東約3キロ沖で衝突。「第一富士丸」は衝突から2分後に沈没し、乗客39名、乗員9名のうち30名が死亡、17名が重軽傷を負った。
ペルーカヤオ港外でペルー海軍所属の潜水艦「アトゥル(事故時の艦名は「パコーチャ」)」に、日本の遠洋マグロ漁船「第8共和丸」が衝突して潜水艦が沈没。艦長ら8名が死亡。なお「アトゥル」は元は米海軍バラオ級潜水艦で、1944年に「浅間丸」を撃沈した潜水艦であった。

1989年(平成元年)[編集]

原油タンカー「エクソン・ヴァルディーズ」がアラスカ州プリンスウィリアム湾で座礁、原油が流出した。流出量は推定で1080万ガロンとされ、周辺環境に重大な被害を与えた。
ロンドンテムズ川にかかるキャノン・ストリート鉄道橋の付近で、浚渫船「ボウベル」とクルーズ船「マーショネス」が衝突。「マーショネス」の乗客132名中51名が死亡した。

1990年代[編集]

フェリー「en:MS Scandinavian Star」で火災。158名が死亡。
ギリシャ船籍のクルーズ客船「オシアノス(14,000トン)」が防水設備の修理を終えないまま出航、南アフリカ東海岸沖で沈没した。この事故では乗客を残して先に逃げた乗員の対応が非難を浴びるが、全員無事。
  • 1991年(平成3年)12月
日本からグアムを目指すヨットレース『トーヨコカップ・ジャパングアムヨットレース'92』に参加していた「たか」が29日に悪天候の為に沈没した。乗員7名のうち6名がゴムボートで脱出したが、わずかな食料しかなかったため、漂流から27日目の1992年(平成4年)1月25日に発見されたときには生存者は1名だけであった。生存していた彼は後に『たった一人の生還』[29]の題名で手記を出版している。また同レースに参加していた「マリンマリン」も同様に沈没して8名が死亡しており、参加9隻のうち2隻が沈没し14名が死亡する日本のヨットレース史上最悪の惨事になった。
タンカー「ブレア(en:MV Braer、リベリア船籍、ブレア社所有)」、英国シェットランド諸島沿岸にて暴風雨の直撃を受け転覆。乗員全員無事だったものの、船体ほぼ全部を損壊、沈没、重油流出。
韓国扶安郡沖の黄海で、フェリーが転覆し沈没。乗客乗員362人中、292人が死亡または行方不明。
フェリー「エストニア(スウェーデン船籍、21,794トン)」がバルト海の荒天下で転覆沈没。852名死亡[30]
客船「アキレ・ラウロ」が火災を起こし、3日後に沈没。「アキレ・ラウロ」は1985年10月にハイジャック(アキレ・ラウロ号事件)された船である。
ロシア船籍のタンカー「ナホトカ」が波浪により船体を破断し、6240キロリットルのC重油が海上に流出、日本海沿岸各地の広い範囲に深刻な汚染。船長が死亡、乗組員は脱出。除去作業にあたったボランティアに5名の死者を出す二次被害が発生した。
マニラ-セブ島の定期航路「en:MV Princess of the Orient(13,599トン、Sulpicio Lines(フィリピン)所有、旧「さんふらわあ11」ブルーハイウェイライン)」が平成10年台風第7号の嵐の中を航行中に沈没し、死者51名、行方不明者216名を出した。直接の沈没原因は荷崩れであったが、フィリピンでの大幅なデッキ増設工事により船体が不安定になっていたとも云われる。
クルーズ客船「サン・ビスタ(en:SS Galileo Galilei、旧「Galileo Galilei」)」がマラッカ海峡で機関室からの失火が原因で沈没。速やかな避難誘導が行われたため犠牲者は無し。このことが原因で運航していたクルーズ会社は倒産した。

2000年代[編集]

ロシア海軍オスカー型原子力潜水艦「クルスク」がバレンツ海において演習中、魚雷発射管室の爆発により沈没。乗員118名全員が死亡。
フェリー「エクスプレス・サミナ」(Εξπρές Σαμίνα)(英語)がエーゲ海のパロス島沖で小島に衝突し沈没。乗員・乗客81名が死亡。1名が同年11月に自殺。
貨物船「アマルガス(35,000トン)」がエンジントラブルにより航行不能となり、漂流。その後台湾墾丁国家公園の海域で座礁し重油が流出した。
ハワイ州オアフ島沖で愛媛県立宇和島水産高等学校の練習船「えひめ丸」とアメリカ海軍の原子力潜水艦「グリーンヴィル」が衝突し、「えひめ丸」が沈没。「えひめ丸」の乗員35名中9名が死亡。
セネガル政府所有のフェリー「ジョラ号」が、ガンビア沖で沈没。この事故で少なくとも1863人が死亡。
自動車運搬船「HUAL・ヨーロッパ(バハマ船籍、ノルウェー HUAL (en:Leif Höegh & Co) 社所有)」が、伊豆大島沿岸にて暴風雨の直撃を受け座礁。乗員24名は全員無事だったものの、船体ほぼ全部を損壊し火災が発生。航行不能および重油流出。
日立港で北朝鮮船籍の「チルソン号」が座礁して重油が流出、のちに船体は放棄された。船舶所有者側による保障措置が何らなされなかったことから、無保険船の日本寄港を制限する油濁損害賠償保障法(改正後の名称は船舶油濁損害賠償保障法)改正のきっかけとなった。
  • 2003年(平成14年)4月(中国における最初の報道が5月2日頃であり実際の事故発生日時は4月とされる)
中国人民解放軍海軍北海艦隊所属の035型潜水艦(明級)通常動力型潜水艦の361号が「機械的故障」による原因により全乗員70名が死亡。遼東半島と山東半島の間に位置する内長山列島付近にて事故が発生したとされる。後に艦自体は回収され現役に復帰している。
福岡県沖の玄界灘にて操業中の日本漁船団に韓国船が漁船団からの再三の警告を無視して漁船団に突入して衝突。日本側の1名が死亡、6名が行方不明。
  • 2003年(平成15年)7月6日 - 玄界灘海難事故
上記海難事故の4日後、貨物船「コレックス・クンサン(韓国船籍)」が玄界灘にて、夜間の警戒不備により漁業取締船「からしま」(水産庁所属)に衝突。「からしま」は乗員全員無事だったものの、船体ほぼ全部を損壊して沈没。「コレックス・クンサン」は乗員全員無事であったほか損壊もなかった。
コンテナ船「ZIM・アジア」(イスラエル船籍、ZIM社(イスラエル)所有)が北海道の根室市沖合いにて、夜間の警戒不備によりサンマ漁船「第三新生丸(日本船籍)」に衝突。「第三新生丸」は乗員7名死亡し、船体はほぼ全部を損壊し沈没した。「ZIM・アジア」は乗員全員無事で船体の損壊もほとんどなかったが、救助活動をおこなわず逃走した。
サウジアラビアからエジプトに向かって紅海を航行していた1400人乗りのフェリー「アル・サラム・ボッカチオ98(عبارة السلام 98(英語)」が、フェリーデッキに積載していた車両からの火災が原因で沈没し、1000名以上の死者・行方不明者を出した。多くの犠牲者を出した原因としては、悪天候のほか、老朽船であったことや建造後の改造により重心が極めて高くなっていたことが要因となり、消火活動中にバランスを崩して転覆したことが指摘されている。なお、生存者の証言によれば船長が真っ先に逃亡したとされる。
横倒しになったRO-RO船 クーガー・エース
自動車運搬船クーガー・エース」(シンガポール船籍、55,000トン、商船三井)が、アメリカ・アラスカ州のアリューシャン列島沖合いにて、暴風雨の直撃を受け転覆。乗員23名は全員無事だったが、船体はほぼ損壊ないものの80度に傾き横転し航行不能となる(重油流出なし)。積荷の乗用車4,703台(全てマツダ製)および小型トラック110台(全ていすゞ自動車製)が全損扱いとなり廃棄される。
三国屋建設所有のクレーン船が、禁止行為であるクレーンのブームを上げたままの航行を冒し、東京都江戸川区の江戸川河口付近に掛かる275kV送電線に接触。2系統の送電系統を両方とも切断したため首都圏の広範囲において長時間にわたり大規模な停電が発生した。事故による直接の死傷者は無し。停電により各種インフラなどが被害を受けた。
スカンジナビア』として2005年3月まで静岡県沼津市西浦村木負で使用され、現存していたクルーズ客船では最古の「ステラ・ポラリス」が、伊豆箱根鉄道より建造国であるスウェーデンの企業に買収された後、中国・上海での改修工事の行うため8月31日に出航し航行中、和歌山県潮岬沖3km(水深72m)の海上で沈没。乗船者はおらず死傷者はなかった。
茨城県鹿島港外にてパナマ船籍の貨物船「ジャイアント ステップ」が急速に発達した低気圧による暴風のため走錨して座礁し船体を切断。10名死亡または行方不明。ほぼ同時・同位置にて「オーシャンビクトリー」「エリダエース」も座礁し、連続事故となった。同日には、女川港沖でサンマ漁船「第七千代丸」が高波をかぶって機関停止し座礁・横転。16名死亡または行方不明となる事故も発生している。
海上自衛隊の練習潜水艦「あさしお」が宮崎県沖で訓練航行中、パナマ船籍の貨物船「スプリング オースター」と接触。「スプリング・オースター」は船底部にわずかな亀裂と少量の浸水を起こし「あさしお」は縦舵を損傷するも、双方とも負傷者はなかった。なお「スプリング・オースター」側は当初、潜水艦と接触したことに気付かなかったという。また、一部の専門家によれば「あさしお」の損傷は『沈没してもおかしくない』ほどであったともされる[31]
アメリカ海軍の原子力潜水艦「ニューポート・ニューズ」がホルムズ海峡にて、警戒不備によりタンカー「最上川(日本船籍、160,000トン、川崎汽船所有)」に衝突。「最上川」は乗員全員無事だったものの船底部を損壊し航行不能となった(重油流出なし)。「ニューポート・ニューズ」は乗員全員無事で損壊および放射能漏れもなかった。
コンテナ船「MSC・ナポリ(en:MSC Napoli、イギリス船籍、MSC社スイス)所有)」がイギリス・デヴォン州沖合いにて、暴風雨の直撃を受け座礁。乗員26名は全員無事だったものの、船体ほぼ全部を損壊し航行不能となる。さらに重油の流出および、約50個のコンテナが沿岸に漂着した。
サントリーニ島沖で客船「シーダイヤモンド」が座礁して沈没。
撒積貨物船「アルファ・アクション(ギリシャ船籍、77,211トン、IMO 9074494)」が伊豆諸島の利島沖合いにて、夜間の警戒不備により、コンテナ船「ワンハイ307(シンガポール船籍、25,836トン、ワンハイ海運中国語版(台湾)所有、IMO 9237096)」に衝突。「ワンハイ307」は乗員全員無事だったものの、船尾を損壊し航行不能となり、重油が流出した。「アルファ・アクション」は乗員全員無事だったものの、船首を損壊し航行不能となった(重油流出なし)。
海上自衛隊のイージス艦あたご」がハワイでのミサイル発射実験から帰投途中、千葉県野島崎沖の太平洋上で三宅島北方に向け移動中のマグロ延縄漁船団と交錯したさいに船団の一隻「清徳丸」と衝突。「あたご」の舳先で「清徳丸」は両断し沈没。乗員の父子2人が行方不明となった。
神戸市垂水区沖の明石海峡付近で、「第五栄政丸(MMSI 8801577)」が「オーシャンフェニックス(IMO 9020704)」に衝突。その後「オーシャンフェニックス」が「ゴールドリーダー(ベリーズ船籍、MMSI 8014497)」に衝突し、「ゴールドリーダー」が沈没。乗組員9人のうち3人が行方不明となった。
フィリピンシブヤン海で、台風6号の影響によりフェリー「プリンセス・オブ・ザ・スターズ」が沈没。乗客700人以上が死亡または行方不明となった[32][33][34]
韓国・泰安郡近海に停泊していたタンカー「ヘーベイ・スピリット」にサムスン重工業所属のクレーン船が衝突。12,547キロリットルの重油が流失し、韓国史上最大規模の海洋汚染となった。原因は、航行中であるクレーン船を曳航中のタグボートが、停泊中の船舶「ヘーベイスピリット」を迂回する義務があるにもかかわらずそれを無視し、近道をしようと「ヘーベイスピリット」に接近。その後、波浪と曳航ワイヤの破断等によってコントロールを失ったことである。しかし、韓国では「(停泊していた)タンカーに責任がある」とし、インド人の船長と一等航海士に有罪判決を下した。このことから、インドではサムスン製品の不買運動が発生したほか、各国の船員組合が韓国行きをボイコットしようとするなど波紋が広がった。
海上自衛隊の護衛艦「くらま」が観艦式から帰投途中の関門海峡において、他船を追い越そうとした韓国籍のコンテナ船「カリナ・スター」に衝突されて炎上し、乗組員6人が軽傷。この事故に関して、関門海峡事務所が事故直前に「カリナ・スター」に出した指示(前方を航行中の船を追い越すことを示唆)と「カリナ・スター」の操船(海峡通過中にもかかわらず、前方を航行中の船を追い越そうとした)に疑問の声が上がった。
横倒しになったフェリー「ありあけ」
東京発志布志経由那覇行のフェリー「ありあけ(マルエーフェリー、乗員21名乗客7名)」が三重県熊野市の沖合を航行中、大波により積荷が片寄ったことにより船体が傾斜し、救難信号を発したのち熊野港に避難を試みるも座礁した。乗員乗客は全員救助されるが船体は横倒しになったほか、重油が流出した[35]

2010年代[編集]

  • 2012年(平成24年)
  • 2013年(平成25年)
    • 5月7日 - イタリア・ジェノヴァ港、海上交通管制センターの管制塔にコンテナ船「it:Jolly Nero(40,594トン、載貨(最大)30,866トン)」が衝突し建物が倒壊した。死者9名、負傷者4名。
    • 6月17日 - コンテナ船「MOL COMFORT(86,692トン、バハマ船籍、商船三井)」の船体中央部に亀裂が発生し自力航行不能となり漂流、前後2つに破断して6月27日と7月10日にそれぞれ沈没した。
    • 8月16日 - フィリピン中部セブ島のタリサイ沖のマクタン海峡で、フェリー「en:MV St. Thomas Aquinas(11,405トン、2GO社、旧「フェリーすみよし」(7,270トン、名門カーフェリー))」とコンテナ船「Sulpicio Express Siete(9,754トン、載貨(最大)11,464トン)」が衝突し「St.Thomas Aquinas」が沈没した。120人が死亡または行方不明、750人が救助。
    • 9月27日 - 伊豆大島の西11km の海上で、貨物船「JIA HUI(嘉惠、ジィアフイ、2,962トン、載貨(最大)5,195トン、シエラレオネ船籍、駿豪海運(香港)、IMO 8660911)」が海事法海上衝突予防法14条)とは逆に舵を転じ貨物船「第18栄福丸(498トン、丸仲海運(名古屋)、信号符字 JD3173)」に衝突した。「第18栄福丸」が転覆、乗組員6名が全員死亡。「嘉惠」の当直責任者(寧海中和海運(浙江省寧波市))が逮捕・起訴[37]
    • 9月27日 - インドネシアの西ジャワ南部海岸沖で難民船が転覆。約50人が死亡または行方不明[38]
    • 9月29日 - 西沙諸島付近で台風21号(Wutip / 颱風蝴蝶)により中国漁船3隻が沈没。74人が行方不明。
    • 10月3日 - 2013年ランペドゥーザ島難民船沈没事故
      • 地中海ランペドゥーザ島沖でリビアからの難民船が火災を起こして沈没。エリトリア、ソマリア、ガーナ出身者など360人以上が死亡。
    • 10月13日 - 元山市沖で朝鮮人民軍海軍037駆潜艇「233」が沈没。少なくとも19名が死亡。
    • 12月10日 - 和歌山県串本町動鳴気漁港沖で、荒天により台船とタグボート(両船とも韓国船籍)が座礁。重油が流出した。
    • 12月29日 - 対馬海峡西水道で、パラキシレン(p-Xylene)、アクリロニトリルスチレンモノマーを積んで蔚山港から出港したケミカルタンカー「Maritime Maisie(29,211トン、載貨(最大)44,404トン、香港船籍、Aurora Tankers(シンガポール)、IMO 9251535)」が左舷中央付近に、試運転中の自動車運搬船「HYUNDAI MIPO 8091(Gravity Highway(予定)、55,700トン、載貨(最大)19,974トン、バハマ船籍、現代尾浦造船(蔚山)、IMO 9672404)」が衝突しMaritime Maisieが炎上、漂流し日本の領海に侵入した。
  • 2014年(平成26年)
    • 1月11日 - 韓国・麗水市沖でタンカー「DL Sunflower(28,519トン、載貨(最大)47,204トン、DL Shipping(釜山)、IMO 9168740)」が撒積貨物船「Ligari(38,851トン、載貨(最大)75,583トン、マルタ船籍、IMO 9279513)」と衝突。石油が流出した。
    • 1月15日 - おおすみ衝突事故 - 釣り船「とびうお」と海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」が衝突。釣り船が転覆し2名が死亡した。
    • 1月31日 - 韓国・麗水港でタンカー「Wu Yi San(ウイサン、164,169トン、載貨(最大)318,445トン、シンガポール船籍、江南造船(上海)建造、Nova Tankers(デンマーク)、IMO 9629366)」が桟橋に衝突。GSカルテックス所有の送油管3本を破損し、石油が流出した。
    • 2月15日 - 撒積貨物船「Captain Vangelis L(88,420トン、載貨(最大)169,044トン、リベリア船籍、Kyla Shipping(ギリシャ)、IMO 9450868)」が釜山沖約6kmで給油中に石油供給船と衝突し、燃料タンクを破損。石油が流出した。
    • 3月18日 - 剱崎沖の浦賀水道で、多目的貨物船「Beagle III(12,630トン、載貨(最大)17,220トン、IMO 9478353)」とコンテナ船「ペガサスプライム(Pegasus Prime、7,406トン、載貨(最大)9,618トン、韓国船籍、IMO 9283162)」が衝突し「Beagle III」が沈没した。9名が死亡・行方不明。重油が流出[39]
    • 4月16日 - セウォル号沈没事故
      • 韓国・珍島沖で旅客船「セウォル号」(6,825トン、乗客乗員数476人)が沈没。6月9日の時点で292人の死亡が確認されている。
    • 9月24日 - ブラジル・マットグロッソ・ド・スル州パラグアイ川で水上ホテル「パンタナールの夢」(Sueño Del Pantanal、パラグアイ籍船、乗員乗客27名)が暴風雨の影響により沈没。死者1名、行方不明者13名[40]
    • 9月30日 - 島根県の隠岐諸島沖約390キロ地点で遠洋漁業船「魯栄漁2859号」(Lurongyu 2859、238トン、乗員14名、中国船籍)が強風に煽られ沈没。付近にいた漁船30隻と第八管区海上保安本部の巡視船1隻が捜索にあたったが9名が行方不明になった[41]
    • 10月10日 - 澎湖諸島南東沖、海洋調査船「海研5号」(2,700トン、乗員乗客45名、台湾船籍)が悪天候により暗礁に乗り上げ沈没。当時船に常備していた救命胴衣にはLEDが付いており、これにより夜の海面に浮かぶ要救助者の位置を示し迅速な救助活動に繋がった[42]。死者2名、負傷者18名。
    • 12月1日 - ロシア・ベーリング海でスケトウダラ用トロール漁船の「第501オリョン号」(501오룡호、1,753トン、(国際)2,151トン、思潮産業所有、韓国船籍)が沈没。韓国人11名、インドネシア人35名、フィリピン人13名、ロシア人1名の乗員60名が乗船、死者27名、行方不明者26名。
    • 12月24日 - 島根県の島根県沖で巻き網漁船「第一源福丸」(135トン、インドネシア人3名含む乗員20名、東洋漁業所有)が網を引き揚げた際、引き揚げた魚の量が想定より多く船が傾いてしまい転覆、沈没。死者3名、行方不明者2名。
    • 12月26日 - 青森県の青森県沖で貨物船「ミンクワン」(Ming Guang、1,915トン、カンボジア船籍、乗員10名)が沈没。死者3名。
  • 2015年(平成27年)
    • 1月15日 - 中国江蘇省泰州市・長江で試験航行をしていたタグボート「皖神舟67」(368トン、乗員25名、中国・安徽省籍)が沈没。日本人1名を含む22名が死亡。

脚注[編集]

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  1. ^ 姉妹都市オーストラリア連邦タスマニア州クラレンス市遠藤雅子氏『謎の異国船』
  2. ^ 「八重山ジャンルごと小事典」p107 崎原 恒新 ボーダーインク、1999年8月1日
  3. ^ 竹富島町史第二巻、バウン号の苦力反乱と琉球王国―揺らぐ東アジアの国際秩序 (沖縄学術研究双書 )
  4. ^ 大背美流れ(おおせみながれ)”. 太地町. 2013年2月2日閲覧。
  5. ^ a b c d 海難ものしり帖
  6. ^ a b 海難ものしり帖 - 形船船長運転手機関手免状規則時代
  7. ^ 火災と海難”. 「えひめの記憶」- 愛媛県史 社会経済6 社会 二. 愛媛県生涯学習センター. 2014年3月20日閲覧。
  8. ^ 「辰和丸の遭遇した台風第三号について」、『海洋時報』第5巻第4号、神戸海洋気象台、1954年6月、 11-17頁、 NAID 40017538565
  9. ^ 歴史詳細 > 昭和31年(1956)”. 岩内町教育委員会. 2016年7月15日閲覧。
  10. ^ 機船第一宗像丸機船タラルド・ブロビーグ衝突事件”. 海難審判所. 2014年3月20日閲覧。
  11. ^ 朝日新聞・昭和38年1月18日朝刊記事
  12. ^ 朝日新聞・昭和38年1月19日朝刊記事
  13. ^ 朝日新聞・昭和38年4月25日朝刊記事
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外部リンク[編集]

関連項目[編集]

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