スカンジナビア (客船)

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Skandinavia20060831.jpg
曳航され海上を進むスカンジナビア号(2006年8月31日、観覧船から)
基本情報
経歴
起工 1926年11月
進水 1927年2月23日
処女航海 1927年2月26日
その後 2006年9月2日に沈没
要目
総トン数 5,105 トン
全長 127.0 m
全幅 16.7 m
高さ 44.0 m(船底 - マストトップ)
ブリッジ高 17.0 m
喫水 5.5m(船底 - 吃水)
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スカンジナビアは、1927年建造のヨット型クルーズ客船

クルーズ客船「ステラ・ポラリス」として運用された後、コクド(現:西武ホールディングス)傘下の伊豆箱根鉄道が所有・管理し、係留地の静岡県沼津市西浦でホテルレストラン「フローティングホテル・スカンジナビア」として利用された。

船歴[編集]

進水・処女航海[編集]

1926年11月スウェーデン南西部のヨーテボリ造船所にて建造、翌1927年2月23日にステラ・ポラリス(M/S Stella Polaris北極星の意)として進水した(発注主:ベルゲンライン社(ノルウェー))。2月26日に出航した処女航海の目的地はロンドンであった。

優雅な姿から「七つの海の白い女王」と呼ばれ、富裕層を対象にしたクルーズ事業向け客船として世界中を航海した。

ドイツ軍による接収[編集]

1940年アドルフ・ヒトラー率いるナチス党政権下のドイツによるノルウェー侵略により、ドイツ軍に接収された。しかし戦時下でも戦災には巻き込まれず(Uボート乗組員の憂さ晴らしに荒らされた事はあった)戦後(1945年)、ノルウェーの元の所有者であるベルゲンライン社に返還される。

故郷に戻り修復[編集]

1946年、ドイツ軍による接収の間の船体の整備は必ずしも良好でなく、また調度品などにもダメージを受けていたので、故郷であるヨーテボリに回航され、大規模な修復が施された。この時、ブリッジの密閉化などの近代化改修もあわせて行われた。

クルーズ船として復帰[編集]

1947年、修復と改修を終えたステラ・ポラリスは、第二次世界大戦後の混乱が続く中ではあったが、いち早くクルーズ船としての営業を開始した。

故郷スウェーデンの船籍に[編集]

1959年、スウェーデンのクリッパーライン社に売却された。この時は近代化をあえて行わず、むしろベルゲンライン時代の良さを残す形で修復が行われた。

SOLAS条約[編集]

SOLAS条約とは「1914年の海上における人命の安全のための国際条約」の通称である。1912年の『タイタニック号』事故を機に1929年に締結され、数々の改定を経て今日でも国際的な海難防止の礎を築いている。

1974年の改正は、ステラ・ポラリスにとっては、大規模な改修か就航終了かを迫る厳しい宣告となった。施行までの猶予期間は設けられたものの、これを機にステラ・ポラリスの豪華客船としての歴史を終えることになる。

日本への売却[編集]

1969年、就航40年以上を経過したステラ・ポラリスの処置についてクリッパーライン社は、クルーズ客船としての維持修復に多額の投資を続けるより売却を選択した。当時の日本が高度経済成長を迎えるなか、積極的にリゾート開発を行っていたコクドに沿って、傘下企業の伊豆箱根鉄道が沿線リゾート開発目的での買収によるホテルシップ構想を表明、5億円で売却されることになった。なお、契約条項に「ステラ・ポラリスの継続使用は認めない」という内容が含まれていたため、名称を「フローティングホテル・スカンジナビア」に変更し、静岡県沼津市西浦木負767番地沖に投碇、1970年7月25日に営業を開始した。

コクドは当初、スカンジナビアを中心に水族館などを併設した総合レジャー施設(今日で言うテーマパーク)を建設する構想があったが頓挫した。既に長井崎を挟み2kmほど離れて存在する三津天然水族館(現在の伊豆・三津シーパラダイス)とは遊覧船で結ばれてはいたものの、観光地としての連続性に欠けるものとなり、その価値はやや低下することとなったが、グループ企業にプリンスホテルを持つ強みを生かしたホテルのサービスノウハウや、レストラン部門の充実により数多くの利用客に親しまれ、リゾート地としての人気を長年にわたり維持していた。

こうした評価と実績については、富士山を背景にしたスカンジナビア号の気品ある景観の美しさが評判を呼び、ホテルとしての付加価値・魅力にも繋がった事を挙げなければならない(ピークの1990年度には、船内のレストランだけで年間約6万人が利用し、約10億3000万円の売り上げを記録した)。

ホテルの営業終了[編集]

1999年バブル景気終了後の消費低迷やリゾート不況の影響で、人員削減をはじめとしたリストラなどの経費節減を実施していたが、客室稼働率が著しく低下していたホテル部門の営業終了を発表し、ホテル主体の事業からレストラン専業に業態を変更した。

レストランの営業終了[編集]

2005年、コクドをはじめとした西武鉄道グループの事業再編が始まり、スカンジナビアも事業見直しの対象となった。このさい、建造後70年以上経過し老朽化の激しい船体の維持管理に掛かる莫大なコストなどに伴う不採算事業として、レストラン部門の閉鎖および船体の売却方針がマスコミに発表された。地域住民の有志から「海洋文化財としてこのまま地元に残すべき」などといった声が多く集まり、シンポジウム開催や保存を要望する署名を所有者の伊豆箱根鉄道へ持参しての陳情など、保存運動が行われたが、2005年3月31日、レストラン営業を終了した。

転売に難航[編集]

2005年、海洋クルーズ運航事業を行うランティー社(BVIイギリス領ヴァージン諸島)との間に売買交渉が持たれ、同年7月中には修理のために日本を離れて上海に向かうとの報道があったが、翌2006年になっても曳航準備の動きなく、売買交渉が難航していると報道された。なお、最終的にこの売買交渉は成立しなかった。

曳航中の事故[編集]

ランティー社との売買交渉が不成立となったあと、ペトロ・ファースト社(スウェーデン)へ売却が決まった。2006年8月31日、伊豆箱根鉄道社長や沼津市長らが参加して出航式が行われ、曳航される形で沼津を出航した。この後、9月7日上海に寄港し改修ののち、スウェーデンで再びホテル兼レストランとして営業する予定だったが、曳航中の9月1日21時頃に船体が左傾しはじめ、同23時30分頃に状態確認のため串本町潮岬西側の入江に退避した。しかし傾斜はおさまらず徐々に浸水し、船体が沈み始めた。2日午前1時30分頃に再び沖合に向かったが、傾斜および浸水の状況が改善することなく同午前2時頃、和歌山県潮岬沖約3kmの海底72mに沈没した。船内には木製のレリーフや美しいガラス彫刻などの美術品も残っていたが、それらも船と運命を共にしてしまった。西武鉄道グループの事業再編に端を発したスカンジナビア売却は、第二の活躍の地であった日本に36年係留された後、再び建造国のスウェーデンへ戻ることなく太平洋の海底で79年の船史を終えることとなった。

2005年閉鎖前の営業内容[編集]

  • フローティングレストラン・スカンジナビア - 北欧料理のバイキング形式での提供。「グリル北欧」レストランの運営。
  • ドルフィンウエディング - 伊豆三津シーパラダイスでイルカ達と結婚式&スカンジナビアでウェディングパーティを企画運営。
  • 多目的ホール・北極星 - 広い船内スペースを活用したパーティ用などのイベントスペース。

位置情報[編集]

係留地[編集]

1969年から2006年まで。

沈没地点[編集]

田辺海上保安部発表による。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]