南営号沈没事故
ナビゲーションに移動
検索に移動
このページ名「南営号沈没事故」は暫定的なものです。 代案としてはナミョン号沈没事故、ナムヨン号沈没事故、ナミョン沈没事故、ナムヨン沈没事故、南栄号沈没事故があります。(2014年4月) |
| 日付 | 1970年12月15日 1時25分 |
|---|---|
| 座標 | 北緯34度5分 東経128度5分 / 北緯34.083度 東経128.083度座標: 北緯34度5分 東経128度5分 / 北緯34.083度 東経128.083度 |
| 関係者 | 338人 |
| 死者 | 326人 |
| 損害 | 1億700万ウォン |
| 南営号沈没事故 | |
|---|---|
| 各種表記 | |
| ハングル: | 남영호 침몰 사고 |
| 漢字: | 南營號沈沒事故 |
| 発音: | ナミョンホ チンモル サゴ |
南営号沈没事故(朝鮮語: 남영호 침몰 사고)は、1970年12月15日に大韓民国の近海で発生した海難事故である。
1967年に建造された定期旅客船南営(ナミョン、ナムヨン)号は14日午後4時頃済州島南岸の西帰浦港を出港し、同島東端の城山浦港に寄港して釜山市の釜山港に向かった。このとき、年末年始を控え定員302人を越える338人の乗客が乗船したうえ、収穫期を迎えたミカンなどの貨物を160トンを積載しており、最大積載量の約4倍を超える過積載状態となっていたという。
12月15日午前1時過ぎ、南営号は対馬の西100km付近の海上を航行中に転覆し沈没した。現場付近の海域で操業していた日本の漁船が乗客6人を救助したものの、死者326人を出す大惨事となった。損害額は船体・貨物あわせて1億700万ウォンに達した。
南営号は沈没直前に遭難信号(SOS)を発信していたが、海洋警察庁はこれを受信できなかった。
南営号の沈没事故は15日付「済州日報」1面トップで大きく報じられた。済州島をはじめ全国で犠牲者弔慰金募金と遺族支援が呼びかけられた。同年12月20日に合同慰霊祭が営まれ、翌1971年3月30日には西帰浦港に犠牲者慰霊塔が建立された。なお、当時の交通部長官であった白善燁が事故の責任を負って辞任している。
この沈没事故を契機として、1973年12月、同国に旅客船運航管理制度が導入された[1][2][3]。
脚注[編集]
- ^ “<韓国旅客船沈没>過去にも大きな海難事故…その主な原因は”. 中央日報. (2014年4月17日) 2014年4月19日閲覧。
- ^ “제주의 역사와 함께 한 65년”. 済州日報. (2010年9月30日) 2014年4月19日閲覧。
- ^ “남영호 침몰사고 사건·사고·재해(8)”. (2011年2月8日) 2014年4月19日閲覧。