ドニャ・パス号
ドニャ・パス号(MV Doña Paz)は、フィリピンの国内航路に就航していた貨客船で船籍については不詳である。1987年12月20日にフィリピンのミンドロ島・パナイ島間のタブラス海峡にて小型タンカービクトル(Vector)号と接触し大火災を起こし沈没した。死者は公称で1,575名、海運会社(スルピシオ・ラインズ社、Sulpicio Lines)の発表で4,375名の死者を出したことで名を留める。フィリピン国内の航路については、乗船名簿の記述が徹底されていないなどの事情により事故時の正確な乗客数は把握しきれない。仮に後者の死者数が正確であれば、平時における史上最悪の海難事故となる。生存者はドニャ・パス号の乗客24人とビクトル号の乗組員2人のみだった。
船歴[編集]
もともとの船体は、1963年4月25日に尾道造船で建造され日本の琉球海運で鹿児島港~那覇港、東京~那覇航路で活躍していたひめゆり丸(定員608人)であった。これが1975年にフィリピンの船会社に転売された後、火災に遭い廃棄処分の憂き目に遭った。しかしフィリピン国内の船不足から改造を施す会社が現れ、1980年代にドニャ・パス号として再起したものと推測されている。再起に当たっては、船体上部に大幅に客室が加わるなど、元の面影が全くなくなるほどの重改造(定員増は3倍以上)が加えられていたという。公称では2,640tとされているが、疑問を挟む余地はある。
事故[編集]
悪天候の中、定員を遙かに上回る乗客と貨物を搭載していたドニャ・パス号はレイテ島のタクロバンからマニラへ向かう途中、午後10時にビクトル号と衝突して爆発を起こし火災となった。ビクトル号から漏れ出したガソリンによって周囲の海上が一気に炎上し、海に飛び込んだ人々を炎が呑み込んでいく地獄のような惨状だったと言われている。またこの船には故郷に帰省するフィリピン軍の兵士が1000人あまり乗っていたが、助かったのはわずか1名であった。衝突の原因は主要な乗組員が全員死亡しているため不明であるが、状況証拠から改造(重心が高くなっていたものと考えられる)や過積載により機動性に欠けるドニャ・パス号側の操船ミスではないかと考えられている。また、船長を含む乗組員がブリッジでパーティーを行っていたという生存者の証言もある。ただし、ビクトル号も船長は二等航海士で機関長は無資格というように適切なライセンスを持った人物がおらず、フィリピン国内を航行する際に必要な許可をとっていないなどの問題もあった。事故後、スルピシオ社は乗客一人当たり400米ドルの賠償金を支払ったが、乗客名簿に載っていない被害者については補償の対象外とされた。
テレビ[編集]
- ナショナルジオグラフィックチャンネル「Asia's Titanic(日本語タイトル:豪華客船ドニャ・パス号の悲劇)」
外部リンク[編集]
- DNV Annex 1 Passenger vessel Evacuation descriptions P36
- Mimar Ship Index - Specifications of the Himeyuri Maru
- Mimar Ship Index - Ship ownership history
- Newsflash - EXPERTS CITE PERILS OF ROLL-OFF, ROLL-ON (RO-RO) FERRIES