樫野埼灯台
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^ “アタチュルク像、串本に到着 安住の地、6月3日に除幕式”. 日本財団ブログ・マガジン. 2019年8月27日閲覧。
| 樫野埼灯台 | |
|---|---|
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| 航路標識番号 [国際標識番号] | 2889 [F5998] |
| 位置 | 北緯33度28分17秒 東経135度51分43秒 / 北緯33.47139度 東経135.86194度座標: 北緯33度28分17秒 東経135度51分43秒 / 北緯33.47139度 東経135.86194度 |
| 所在地 | 和歌山県東牟婁郡串本町樫野 |
| 塗色・構造 | 白色・塔形石造 |
| レンズ | 第2等フレネル式 |
| 灯質 | 群閃白光 毎20秒に2閃光 |
| 実効光度 | 530,000 cd |
| 光達距離 | 18.5海里(約34km) |
| 明弧 | 109度から33度まで |
| 塔高 | 14.6 m (地上 - 塔頂) |
| 灯火標高 | 47 m (平均海面 - 灯火) |
| 初点灯 |
1870年7月8日 (明治3年6月10日) |
| 管轄 |
海上保安庁 第五管区海上保安本部 |
樫野埼灯台(かしのざきとうだい)は、和歌山県東牟婁郡串本町沖の紀伊大島の東端断崖の樫野埼に建つ灯台である。
概要[編集]
樫野埼灯台は「日本の灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンが日本で最初に設計し、1870年7月8日(明治3年6月10日)に初点灯した日本最初の石造灯台である。樫野埼灯台は日本最初の回転式閃光灯台でもあり、その初期の建物が現存している。
樫野埼灯台は、エルトゥールル号遭難(1890年9月16日)の場所としても知られる樫野埼に建つ白亜の無人灯台で、灯台内部へは入れないが外部階段から灯台に登ることができる。樫野埼灯台は吉野熊野国立公園エリアにあり、南紀の素晴らしい景観を一望できる。樫野埼灯台の周囲には、明治初期に灯台技師のイギリス人が植えた水仙が群れ、また「エルトゥールル号遭難慰霊碑」が徒歩圏内にある。
歴史[編集]
- 1866年6月25日(慶応2年5月13日) - アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国と「改税条約」(別名:江戸条約)を締結。この条約によって建設することを約束した8ヶ所の灯台(観音埼、野島埼、樫野埼、神子元島、剱埼、伊王島、佐多岬、潮岬)の一つ。これらを条約灯台とも呼ぶ。
- 1869年(明治2年)4月 - 着工。
- 1870年7月8日(明治3年6月10日) - 初点灯。日本最初の石造灯台。「日本の灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンが設計した。
- 1890年(明治23年)9月16日夜 - オスマン帝国海軍のエルトゥールル号が台風により、樫野埼東方海上で座礁沈没、生存者のうち約10名が崖を登り灯台に避難する。詳細は「エルトゥールル号遭難事件」を参照
- 1933年(昭和8年)3月2日 - 2,000 Wの白熱電灯が使用される。
- 1954年(昭和29年) - 改築。灯塔が中継ぎされる。
- 2002年(平成14年)4月12日 - 展望台が完成し、灯台の下から6.5mの高さまで螺旋階段で結び、眺望を楽しむことができるようになった。
- 2016年 (平成28年)7月 - 樫野埼灯台の光学系機械装置が機械遺産No.83と認定。
交通[編集]
周辺情報[編集]
脚注[編集]
関連項目[編集]
- エルトゥールル号遭難事件
- ノルマントン号事件
- リチャード・ヘンリー・ブラントン
- フレネルレンズ
- 吉野熊野国立公園
- 柏崎トルコ文化村 - かつて新潟県柏崎市に存在したテーマパーク。経営破綻による閉園後、開園時にトルコ本国より贈られたケマル・アタテュルクの銅像の行き場がなくなり問題となっていたところ、在日トルコ大使館の申し入れにより、友好関係への悪影響を懸念した日本財団の協力を得て、樫野埼灯台近くの広場へ移設された[1]。
外部リンク[編集]
- 本州最南端の町串本町(串本町公式サイト) - 「観光スポット」を参照。
- 樫野埼灯台(南紀串本観光協会)
- 樫野埼灯台|自然・景観|和歌山県フォト博物館(2015年8月22日閲覧)
- 樫野埼灯台|文化遺産データベース(2015年8月22日閲覧)