ぼりばあ丸

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ぼりばあ丸
基本情報
経歴
起工 1964年12月24日
進水 1965年5月12日
竣工 1965年9月13日
その後 1969年1月5日沈没
要目
総トン数 33,814 トン
(33,768 トンの資料あり)
載貨重量 54,342 トン
(54,271 トンの資料あり)
全長 223.0 m
垂線間長 213.0 m
型幅 31.7 m
型深さ 17.3 m
喫水 11.5 m
主機関 ディーゼル 1基
出力 15,000馬力(最大)
12,700馬力(常用)
最大速力 15.85ノット
航海速力 14.8ノット
乗組員 42名
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ぼりばあ丸 (ぼりばあまる)は、かつてジャパンラインが所有していた撒積貨物船で、石川島播磨重工(現:ジャパン マリンユナイテッド)東京第二工場で建造された。

沈没事故[編集]

1968年12月10日、ぼりばあ丸はペルーサンニコラスで1、3、5番船倉に鉄鉱石計53,746トンを積んで川崎港に向け出港。

1969年1月4日、風力階級8の強風を左舷船首から受けながら、8.7ノットの平均速力で航行していた。1月5日午前10時30分頃、千葉県野島崎南東沖合、北緯33度0分東経144度36分付近にて突然2番船倉付近から船首船体が折損。船首部が脱落して航行不能となり、機関を停止して遭難信号を発し、非常退船準備に入ったが、救命ボート降下の準備中だった午前11時27分、船倉内への大量浸水のため突如船首方向を下にし、垂直状態になってぼりばあ丸は沈没した。付近を航行中の貨物船健島丸が、遭難信号を受信して現場に急行し、漂流していた2名を救助したが、船長を含む乗組員31名が行方不明となった。当時船体強度の不足と応力の集中が原因かもしれないとされたが(コンピューターによる構造シミュレーションは当時まだできなかった)、原因の解明は本船のみの沈没では行えず、この後に続いた5年未満の新造バルクキャリア船型、鉱石運搬船の連続沈没によりようやく全体像があきらかになった。

就役からわずか3年3ヶ月でのぼりばあ丸の沈没は、社会に大きな衝撃を与え、造船技術審議会は鉱石運搬船特別部会を設置し、当時の運輸大臣に対策を答申した。

参考文献[編集]

  • 実海域での耐航性能 (特集 実海域での船の性能4.1) 谷澤 克治 日本造船学会(現 日本船舶海洋工学会) TECHNOMARINE第884号 2005年3月号 2005年3月
  • 国立科学博物館技術の系統科学調査報告 Vol.5 2005 March p.244
  • 船舶技術協会『船の科学』1965年10月号 第18巻第10号
  • 海人社『世界の艦船』1977年6月号 No.241

関連項目[編集]

外部リンク[編集]