「町村信孝」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Intrepid (会話 | 投稿記録)
ブサヨ (会話) による ID:24452728 の版を取り消し
とりあえず告知
1行目: 1行目:
{{告知|議論|否定的・批判的な記述を記載するすることの是非について}}
{{記事名の制約|title=町村[[Image:信_異体字01.png|20px]]孝|disablerealtitle=眞}}
{{記事名の制約|title=町村[[Image:信_異体字01.png|20px]]孝|disablerealtitle=眞}}
{{日本の国会議員
{{日本の国会議員

2009年2月22日 (日) 16:15時点における版

日本の旗衆議院議員 町村
生年月日 (1944-10-17) 1944年10月17日(79歳)
出身地 静岡県沼津市
出身校 東京大学経済学部
学位・資格 経済学士
前職 国家公務員(通商産業省)
世襲 2世
父・町村金五(衆議院議員)
選出選挙区 北海道第5区
当選回数 8回
所属党派 自由民主党町村派
党役職 税制調査小委員会長
会館部屋番号 衆・第一議員会館417号室
ウェブサイト 町村信孝ウェブサイト
テンプレートを表示

町村 信孝(まちむら のぶたか、1944年10月17日 - )は、日本政治家。元官僚(通商産業省出身)。衆議院議員(8期)。 前内閣官房長官(第75代)、拉致問題担当大臣、清和政策研究会会長。 農林水産大臣臨時代理 外務大臣第135代136代)、文部科学大臣初代)を歴任。

概要

生い立ち

静岡県沼津市に内務官僚町村金五の次男として生まれる。北海道江別市出身。東京学芸大学附属世田谷小学校東京学芸大学附属世田谷中学校東京都立日比谷高等学校を経て東京大学経済学部卒業。中学時代は野球部、高校時代はラグビー部に籍を置き、キャプテンだった。高校時代のラグビーの戦績としては、全国大会の花園(当時は西宮球技場)でベスト8まで勝ち進んだ。

東京大学在学中は東大紛争の真っ只中で、民主青年同盟系の東大民主化行動委員会で活動。大学自治の議定書である「東大確認書」には経済学部代表として署名している。在学中に米国ウェスリアン大学に公費留学サンケイスカラシップ=産経新聞社奨学金)。その後、通商産業省に入省。米国ジェトロに出向するなど海外経験も豊富。

政治家に転身

2005年7月12日外務省にてアメリカ合衆国国務長官コンドリーザ・ライスと記者会見に臨む町村信孝
2007年9月22日外務省にてアメリカ合衆国国務長官コンドリーザ・ライスと会談する町村信孝
2007年9月7日アジア太平洋経済協力外相会議にてアメリカ合衆国国務長官コンドリーザ・ライスと会談する町村信孝

13年間勤めた通商産業省を辞め、政界入りをめざす。父・金五には大反対され、夫人には3回落選するまで付き合ってほしいと懇願する中で1983年第37回衆議院議員総選挙に立候補、初当選を果たす。

第2次橋本改造内閣で文部大臣として初入閣。その後、小渕内閣では大臣経験者ながら高村正彦外相の下で外務政務次官となる。

続く森内閣では文部大臣科学技術庁長官を兼任、中央省庁再編により初代文部科学大臣。小泉政権では自民党総務局長、幹事長代理、外務大臣を務めた。外相時代は対中ODA廃止や尖閣諸島の灯台管理などを行う。

第44回衆議院議員総選挙後は再任されることはなかった。町村の外相起用を強く働きかけたのは、安倍晋三だとされ、2004年9月22日に安倍が小泉と会談した際に起用が決まったとされる。また、同選挙では再選が厳しいとの見方があったが、最終的に町村は全国4位の17万票を獲得し圧勝している。

2003年北海道知事選挙では通産省の後輩高橋はるみを擁立し、北海道史上初の女性道知事誕生を実現(95年同選挙では自由民主党推薦候補伊東秀子を支援したが新進党推薦候補堀達也に敗北し次点、道知事選では史上初の女性次点候補)。政治家の年金未納問題が注目された際に年金の未納が発覚している。

2006年自民党総裁選では安倍晋三候補の選対本部長代理として、安倍総裁の実現に奔走し、発足した政権では要職への就任が有力視されたが実現しなかった。その後、森喜朗元首相から派閥を譲り受け、町村派会長に就任。2007年8月27日安倍改造内閣で外務大臣に再登板。当初は、官房長官への就任が確実視されていたが、安倍首相と麻生太郎の最終的な話し合いで、土壇場になり与謝野馨の名が浮上・再び外相の地位につくこととなった。外相再登板後は、麻生前外相が提起した、「北方領土面積二等分論」を論外だと批判。従来の方針通り、「4島一括返還論」に戻した。

安倍首相の退陣表明を受けて行われた自民党総裁選への立候補の意欲を示したが、同派閥の福田康夫の立候補表明を受け福田を支持、自身の立候補は見送った。2007年9月25日福田康夫内閣の発足に伴い内閣官房長官に就任した。自民党の派閥領袖が官房長官を務めるのは初めてのことである。ただ、福田康夫改造内閣でも内閣官房長官に留任した。

町村が官房長官という要職で閥務に比重が置けないため、町村派は会長職を廃止して代表世話人に町村、中川秀直、谷川秀善の3人による集団指導体制となった。2009年2月5日、麻生首相に批判的言動を行った中川の派閥内での影響力を削ぐために、町村は会長に復帰した。

年譜

外務大臣在任時の町村信孝

主な所属議員連盟

人物

趣味はスポーツ、音楽、バレエ、演劇鑑賞など。座右の銘は「ベストを尽くす」、「誠実」。

自民党寄りの保守派メディアから「筋金入りの政局音痴」と呼ばれているなど、良いポストに就くものの政局の際の立場は弱い[1]

なお、町村信孝の「信」の字には第3画目が縦棒で、第4画目に接触する字体を用いている()。

献金

  • 札幌市からの出資を受けている地方都市ガス大手の北海道ガスから献金を受けていた。地方公共団体から補助金を受けている企業から政治家への献金は、「税金の環流」になりかねないため、政治資金規正法で禁止されていた。
  • 鋼鉄製橋梁工事をめぐる談合事件に関与した談合組織に所属する企業から献金を受けていた。[2]
  • 日本歯科医師連盟から多額の献金を受け取っていた。[3]

宗教

発言・活動

道路特定財源問題

  • 道路特定財源を一般財源化した場合の税率について「その場合は、別の理屈を立ててガソリンから税金をいただく。税率をそのままいただくのは、税の理屈から言って無理かもしれない。温暖化対策上、今の税金より高くいただくかもしれない」として増税すべきとの見解をしめした。
  • 「もし道路予算を一般財源化するなら、その一部を(整備新幹線に)つぎ込めないか。いろんな可能性を模索している。財務省などと真剣な話し合いをしている」と述べ、道路特定財源北海道新幹線を建設すべきとの見解を示した[5]。この発言は河野太郎から、「内閣の閣僚の中から馬鹿な発言が出てくる。本当にやる気があるのか」として厳しく批判された[6]
  • 「エネルギー価格(暫定税率を含む)は地球温暖化対策としての環境税でもある」と述べ、批判を受けた。

公務員制度改革

渡辺喜美行政改革相(当時)が進めていた公務員制度改革について、国家公務員制度改革基本法案の内容にある「内閣人事庁」の創設に「閣僚の人事権が弱まるのではないか」として反対し、国会議員と公務員の接触を制限する「政官接触制限」についても反対するなど守旧的な姿勢を貫いて渡辺喜美行政改革相(当時)と対立した。

北方領土問題

外相の職にあった2004年ロシアとのパイプが太い鈴木宗男と水面下で接触、北方領土問題の交渉進展のため、協力を求めたことがある。

2005年の中国における反日活動

2005年の反日デモの際は、4月に訪中した際、中国側の対応を激しく批判すると共に、中国側に迎合するかのような言動を繰り広げた加藤紘一野田毅らに対し、「中国にゴマをする人間がいるから真の意味での日中関係がおかしくなる」と痛烈に批判している。

竹島問題

米国政府機関が竹島の帰属先を再度「韓国」に戻したことについて、「米政府の1機関がやることに、あまり過度に反応することはない」との見解を示した。福田首相が抗議を行う可能性については「ない。なぜ必要なのか」と述べた。

学校制度

「十歳の大学生がいてもいいし、二十歳の中学生がいてもいい。年齢で学年が変わることは行き過ぎた平等だ」と、年齢主義を批判した。[7]

司法制度改革

2008年7月18日、政府が掲げる司法制度改革の法曹人口3000人の実現に異議を唱えた、日弁連の法曹増加の見直しを求める提言に対し、身内である弁護士の報酬の低下という業界の利益を優先させていると指摘、「日弁連の見識を疑うものであります」とを強く批判した。[8]

たばこ増税

たばこ1箱を1000円にするたばこ増税について、「私個人は大変面白い提案だと思っている」と述べている。[9]

大学入学予定者の自衛隊入隊を提案

大学への九月入学を一般化すべきだとしており、高校卒業後の半年は自衛隊へ入隊させて奉仕活動するのもいい、と述べている。[10]

物議を醸した発言

墜落ヘリは操縦上手だった

米軍ヘリ墜落が墜落した沖縄県宜野湾市の沖縄国際大学を視察中に「操縦技術が上手だったため、最小限の被害でとどまったのかもしれない」と発言し、批判を浴びた。[11]

オバマは黒人だから勝てない

アメリカ大統領選の民主党指名候補争いについて、「バラク・オバマ上院議員は黒人だから(大統領選に)勝利できない」、ヒラリー・クリントンは女性なので大統領選で勝利することは「厳しいんじゃないか」と発言したと報道された。[12]これに対して側近は「事実無根」と否定している。[13]

コメ減反見直し発言

米の減反政策の見直しを「食糧不足や価格高騰が起きている。日本だけの問題ではなく、世界の食糧不足という文脈で考えなければならない」として突然表明し、自民党内から「何の根回しもない」と強く批判された。谷津義男元農相は「減反をやめれば農家が大赤字になる。差額補償など約8000億円の補助金が必要だが、できるわけがない」と反論した。[14]

その他

UFOは絶対いると思っている

2007年12月18日に「地球外から飛来してきたと思われる未確認飛行物体(UFO)の存在を確認していない」とする答弁書が閣議決定された[15]。官房長官記者会見でこのことについて質問され、公式答弁は紋切り型にしかできないとしつつも、「私は個人的にはこういうものは絶対いると思っている」「そうじゃないと、ナスカのああいうの(ナスカの地上絵)、説明できないでしょ」と半ば冗談で答えた[16][17]

家族

  • 父 - 町村金五(官僚、政治家・元北海道知事
  • 母 - 二葉(鳥取県、学者・法学博士桑田熊蔵娘)
  • 姉 - 富士江(遠山景敏に嫁す)、ひろ子(秋山進に嫁す)、君代(山本悟に嫁す)、康子(亀山孝夫に嫁す)
  • 妻 - 淳子(東京府 - 現・東京都、冨中三郎長女)
  • 2女あり

系譜

町村氏 町村家は江戸時代、代々越前藩の支藩・府中領主本多家に仕えた武士家系だった[18]。祖父町村金弥奉行職町村家9代目当主・町村織之丞の長男として生まれた。金弥は札幌農学校に学び、北海道開拓事業にその生涯を捧げ、「北海道酪農の父」といわれた人物。父親は町村金五(元衆議院議員北海道知事参議院議員自治大臣)、従姉の夫に原文兵衛(元参議院議長警視総監)がいる。

                       ┏━町村善啓
                       ┣━町村泰男━━━町村 泰貴
                       ┣━町村鉄男
                       ┣━町村俊郎━┳━町村 貴郎
                       ┣━━婦美子 ┗━町村 英郎
                       ┃   ┃
                       ┃ 岩倉規夫
             ┏━町村 敬貴   ┣━━━光子
             ┃    ┣━━━━┫   ┣━━━━━━━美穂
             ┃    志津   ┃ 原文兵衛      ┃
             ┃         ┃        中川 雅治
町村織之丞━━━町村金弥━┫         ┗━━寿美子
             ┃             ┣━━┳━町村 敬志
             ┃           町村末吉 ┣━町村  謙
             ┃                ┗━町村  均
             ┗━町村 金五     亀山孝夫
                  ┃        ┃
                  ┃    ┏━━━康子
                  ┃    ┣━町村忠良
                  ┃    ┣━町村信孝
                  ┃    ┣━━━君代
                  ┣━━━━┫   ┃
                  ┃    ┃ 山本 悟   小早川光郎
                  ┃    ┣━━ひろ子      ┃
                  ┃    ┃   ┣━━━━━━まり子
                  ┃    ┃ 秋山 進
                  ┃    ┗━━富士江
             ┏━━━━二葉       ┃
        桑田熊蔵━┫           遠山景敏
             ┗━━━千枝子
                  ┣━━━━━━河合良一
             ┏━河合 良成
        河合藤吉━┫
             ┗━河合 鉄二
                  ┃           ┏━山下眞一郎
                  ┣━━━━━━━━茂子 ┣━山下洋二郎
        川崎八右衛門    ┃        ┃  ┣━━━━道子
          ┣━━━━━━千代子       ┣━━╋━━━━節子
      ┏━━━幸子               ┃  ┣━━━━恒子
      ┃        山下亀三郎━━━━━山下太郎 ┗━━━━和子
郷  純造━╋━郷誠之助           ┏━━━伎予
      ┃                ┣━吉田兼承
      ┗━岩崎豊弥(岩崎弥太郎の養子) ┃ 岡本修造
          ┃            ┃   ┃
          ┣━━┳━━━満喜子   ┣━━━直子
          ┃  ┃    ┣━━━━╋━━━紀子
柳沢 保申━━━━━武子 ┃ 吉田 良兼   ┣━吉田兼明
             ┣━岩崎勝太郎   ┗━岩崎兼幸(岩崎勝太郎の養嗣子)
        入江為守 ┗━━━━君子
          ┃       ┣━━━━┳━入江為年   近衞 忠煇
          ┣━━┳━入江 相政   ┗━━━令子      ┣━━━━近衞忠大
          ┃  ┃             ┃  ┏━━━━甯子
柳原 前光━━━━━信子 ┗━━━━邦子     原 昌三 ┣━寬仁親王
                  ┃           ┣━桂宮宜仁親王
                  ┣━━━━━━━百合子 ┃ 16代千宗室
                  ┃        ┃  ┃    ┣━━━━千 明史 (chori)
高木 守庸━━━高木正善━━━高木 正得       ┣━━╋━━━━容子
                           ┃  ┗━高円宮憲仁親王
                         三笠宮崇仁親王

著書

  • 町村信孝 『保守の論理 「凛として美しい日本」をつくる』 PHP研究所 2005年

参考文献

  • 『町村金五伝』 北海タイムス社 1982年 410-412、477頁
  • 佐藤朝泰 『豪閥 地方豪族のネットワーク』 2001年 10-21頁

関連項目

脚注

  1. ^ 2007年11月15日 週刊文春
  2. ^ http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-07-23/2005072301_01_2.html
  3. ^ http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-09-28/15_01.html
  4. ^ 『真光』誌平成5年12月号 P37
  5. ^ 2008年5月11日23時04分 読売新聞
  6. ^ 2008.05.12
  7. ^ 全私学新聞 2001年02月13日
  8. ^ (http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080718-00000964-san-pol)
  9. ^ http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080602/plc0806021724008-n1.htm
  10. ^ 2001 年 2 月 05 日朝日新聞
  11. ^ 2004年10月16日 毎日新聞
  12. ^ 週刊文春2008年6月12日
  13. ^ AFP 2008年06月13日
  14. ^ http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/150126/
  15. ^ 「『UFOの存在、確認していない』――閣議で答弁書を決定」『asahi.com:「UFOの存在、確認していない」 閣議で答弁書を決定 - 政治朝日新聞社2007年12月18日
  16. ^ 「町村長官『UFO絶対いる』――政府公式見解に『異議』」『asahi.com:町村長官「UFO絶対いる」 政府公式見解に「異議」 - 政治朝日新聞社2007年12月18日
  17. ^ 町村官房長官、「UFOの存在信じる」ロイター2007年12月18日
  18. ^ 『町村金五伝』 424-438頁 - 町村家の過去帳にある最古の戒名は「無門院大道善翁居士」で没年は元和6年(1620年)「町村家の先祖」と記されている。天保7年(1836年)の本多家の給帳によると、180人の内、席次27番目に町村次郎兵衛の名があり、10人扶持の禄を受けていた。その嫡男惣助(後の織之丞)は、席次69番目、10俵で御近習をつとめていた。また、天保年間(1830年代)や安政年間(1850年代)の史料によると、もっぱら御目付をつとめていたとされ、本多家においては、中級の武士として遇されていた

外部リンク

先代
与謝野馨
内閣官房長官
第75代: 2007年 ‐2008年
次代
河村建夫
先代
川口順子
麻生太郎
外務大臣
第135・136代: 2004年 ‐ 2005年
第139代: 2007年
次代
麻生太郎
高村正彦
先代
森喜朗
清和政策研究会会長
2006年 ‐
(2007年-2009年は
中川秀直谷川秀善
ともに代表世話人)
次代
-
先代
初代
文部科学大臣
初代: 2001年
次代
遠山敦子
先代
小杉隆
大島理森
文部大臣
第121代:1997年 - 1998年
第125代:2000年 - 2001年
次代
有馬朗人
省庁再編により廃止
先代
大島理森
科学技術庁長官
第64代:2000 - 2001
次代
省庁再編により廃止