酒井忠正

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酒井忠正

酒井 忠正(さかい ただまさ、1893年(明治26年)6月10日 - 1971年(昭和46年)2月16日)は、貴族院議員、貴族院副議長農林大臣勲一等瑞宝章伯爵中央農業会長、日本中央競馬会理事長、横綱審議委員会初代委員長、相撲博物館初代館長、雅楽頭系酒井家26代当主、大東文化学院総長・大東文化学院専門学校校長(第11代)などを歴任した。

人物[編集]

備後福山藩の最後の藩主だった阿部正桓の次男として生まれ、旧姫路藩酒井家酒井忠興の娘・秋子を娶り婿養子となる。1918年(大正7年)に京都帝国大学法学部を卒業する。

1923年(大正12年)9月に貴族院議員となり、1945年(昭和20年)12月まで務める。阿部内閣にて農林大臣を務める。

第二次世界大戦後は日本中央競馬会第3代理事長として、アジア競馬会議の開催を提唱し、1960年(昭和35年)に実際に開催するなど、日本競馬の国際的な地位向上に努めた。

また大相撲横綱審議委員会初代委員長、日本プロレス協会初代会長を務めるなど日本のスポーツ界にも足跡を残した。

特に角界では当時を代表する好角家とされ、「相撲の殿様」と呼ばれていた。1954年に彼の膨大なコレクションを基礎として相撲博物館が開館し、初代館長となった。膨大な資料を駆使して著された『日本相撲史』(上・中巻、ベースボールマガジン社)は下巻が未完に終わったが、相撲史研究のバイブルとされている。双葉山定次とも深い親交があり、双葉山が谷風梶之助 (2代)の連勝記録を更新したことを最初に知らせている(それまでの最多連勝記録が谷風の63連勝であることを認定したのも彼である[1])。

略歴[編集]

栄典[編集]

外国勲章佩用允許

親族[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 酒井忠正 相撲随筆 1995年5月 ベースボール・マガジン社
  2. ^ 『朝日新聞』1946年10月6日一面。
  3. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  4. ^ 『官報』第93号「叙任及辞令」1927年4月23日。

関連項目[編集]


日本の爵位
先代:
酒井忠興
伯爵
姫路酒井家第2代
1919年 - 1947年
次代:
(華族制度廃止)
その他の役職
先代:
創設
相撲博物館館長
初代 : 1954年 - 1968年
次代:
石井鶴三
先代:
有馬頼寧
日本中央競馬会理事長
1957年 - 1962年
次代:
石坂弘