円谷プロダクション

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株式会社円谷プロダクション
Tsuburaya Productions Co., Ltd.
八幡山の旧本社社屋
種類 株式会社
略称 円谷プロ
本社所在地 日本の旗 日本
150-0044
東京都渋谷区円山町3-6
E・スペースタワー12階
設立 1963年4月12日(株式会社円谷特技プロダクションとして発足)
業種 情報・通信業
法人番号 8011001070222 ウィキデータを編集
事業内容 映画事業
テレビ事業
コマーシャル事業
ブルーレイ、DVD事業
音楽、映像事業
キャラクター事業
イベント事業
テーマパーク事業
レジャー施設事業
コンピューターのソフトウェア及びハードウェア事業
コンピューターグラフィックス事業
インターネット事業
特殊美術設計施工
代表者 代表取締役社長 大岡新一
資本金 3億1,000万円(2008年1月21日時点)
売上高 55億8,884万円(2007年2月期実績)
総資産 52億896万円(2007年2月期実績)
従業員数 71人
決算期 毎年2月末日
主要株主 フィールズ 51.0%(連結子会社
バンダイ 49.0%
主要子会社 上海圓谷企画有限公司
関係する人物 円谷英二(創業者)
外部リンク 円谷プロダクション
特記事項:1968年12月6日に株式会社円谷プロダクションへ商号変更。
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円谷プロダクション(つぶらやプロダクション)は、円谷英二が設立した日本の独立映像製作会社。

概要

高度な特殊撮影技術を用いた作品を作ることで知られ、ウルトラシリーズを始めとする数多くのテレビ番組劇場映画を製作し続けている。

経営母体の変遷

円谷プロの作品は、ウルトラシリーズに代表されるように、クオリティの高い作品が多いが、それゆえに1本当たりの制作費が高くなり、作れば作るほど制作費の赤字がかさむという負の連鎖に長年悩まされていた。やがてこの問題は、同社の経営にたびたび大きく影響を及ぼしはじめた。

東宝傘下の時代

設立当初は設立者の円谷英二の出身映画会社である東宝との結びつきが強く、円谷プロの筆頭株主にもなっており、東宝役員が非常勤役員を兼ねたり、支配人など事務系スタッフを出向させていた。また同社砧撮影所や傍系スタジオである東宝ビルト東京美術センター)の施設を円谷プロに提供したり、東宝受注のテレビ映画を孫受け発注するなどしていた。

怪奇大作戦』が終了する頃になってもテレビ局からの新番組の発注はなく仕事が途絶える。経営に行き詰まった円谷プロは資金調達のために1968年に増資。筆頭株主の東宝はこれを引き受け、円谷プロの60%の株を取得して子会社化。社長は円谷英二だが、東宝からは7人の役員が派遣され、東宝の藤本真澄も代表権を持った。専務は円谷皐、取締役は円谷一有川貞昌などが就任。東宝はリストラによる経営再建策で、金城哲夫らの所属する企画文芸部を廃止して、約150人いた社員を40人にまで圧縮した[1][2]。滞っていた業者への支払いや借金返済についても、親会社となった東宝の力によって5年間の猶予期間が設けられ、そのおかげで円谷プロは制作を継続することができた[3]

1979年劇場用に再編集された『ウルトラマン』が松竹富士系で大ヒットした際、キネマ旬報に、ライバルの松竹陣営に塩を送った格好の東宝は渋い顔という記述がある(東宝での配給は断ったという)。

経理は東宝の出向重役が管理しており、代表印も東宝側が保有していた。これにより東宝のメインバンクであった三和銀行(現:三菱東京UFJ銀行)からの融資も容易になっており、経営難を乗り越えることができていた[4]

しかし3代目社長の円谷皐はこの状況を快く思っておらず、1992年TBSへ期限付きで譲渡していたウルトラシリーズの販売権や窓口権が戻ってくると、これらの権利を担保に得た資金で円谷の事実上の個人会社であった円谷エンタープライズが東宝の保有する円谷プロ株を買い取り、東宝との資本関係を解消した[4]

円谷家経営の時代

円谷プロ株は、円谷皐が過半数の株を取得する円谷エンタープライズが45.5%を保有し、円谷皐も個人として円谷プロ株の15%を所有しており、円谷皐が株の過半数を握るオーナー社長として経営にあたった[5]

1995年に円谷皐が死去すると、息子の円谷一夫がオーナー社長の地位を引き継いだ。21世紀初頭からは、テレビシリーズの本格的再開に伴う制作費の増加の一方で大ヒットに恵まれなかったこと、東宝から離反による後ろ盾の三和銀行をなくしたことによる経営基盤の弱体化[6]、さらにかねてからのTBSとの関係悪化[7]などで経営が悪化し、2007年2月の期決算では、売上高約56億円に対して、当期純利益は約4,400万円にとどまった。累積赤字が重なり倒産への危機感から、円谷一夫への不満を募らせた役員の間から円谷昌弘への社長交代の要望が出され、2003年に経営体制を一新。円谷一夫が代表権を持つ会長に、制作部プロデューサーだった円谷昌弘が社長に就任し、円谷プロを退社していた円谷粲円谷英明が復帰して一族で経営にあたることになった[8]。一方、専務取締役の高野宏一ら古くからの役員は、この過程でバンダイの乗っ取りに加担するクーデターを計画したとして、辞表を出すように要求され、円谷プロを去ることになった[9]

しかし2004年になって円谷昌弘は女性社員へのセクハラ問題により、社長を弟の円谷英明と交代[10]。経理の正常化を目指した円谷英明もまた1年後に役員会で解任動議が出され、過半数の株を持つ会長の円谷一夫の同意により、社長職を解任された[11]。そして、東宝不動産の取締役だった大山茂樹を社長に招聘したものの、2007年6月の取締役会で、大幅なリストラを主張した大山を円谷一夫が解任し、円谷一夫が再び社長を兼任するなど、短期間で社長が交代する混乱を見せた[12]

TYOの連結子会社化

銀行からの融資がストップし、30億円の累積赤字を抱えて、2007年に円谷プロは倒産の危機に直面した。そこで円谷プロの非常勤役員だった森島恒行の紹介により、CM映像コンテンツ製作などを手がける映像会社のTYOから当面の資金繰りのために数千万円の融資を受ける。しかし返済できずに担保となっていた円谷プロ株の45.5%を所有する円谷エンタープライズの過半数の株をTYOが取得。さらにTYOが第三者割当増資で取得した株式と合わせて、円谷エンタープライズの筆頭株主(80%保有)となった。また円谷一夫が当時保有していた円谷プロ株式の大半(22.5%)を円谷エンタープライズに譲渡することにより、円谷エンタープライズにおける円谷プロ株式の保有比率を45.5%から68.0%に引き上げた。これらのプロセスを経て、円谷プロの経営権はTYOが取得して、TYOグループ入りした[13]

TYOの経営参画後は、円谷一夫が円谷プロと円谷エンタープライズの両社の取締役会長として残ったものの、円谷プロ設立以来続いてきた設立者一族の円谷家による同族経営に、終止符がうたれることとなった。

バンダイナムコグループの資本参加

その後TYOによる内部的な組織改革などが進み、これらと平行して、円谷プロとはウルトラシリーズで強い縁を持つバンダイナムコグループ(以下「BNG」)が資本参加。2008年1月、TYOは、持ち株のうち33.4%を、BNGの子会社であるバンダイに譲渡売却。2009年7月には更なる株式譲渡が行われており(現在のバンダイ持ち株比率は49%)、BNGの円谷プロにおける経営発言力は増加している。

そしてこの間に、円谷一夫は取締役会長から名誉会長へ退き、その名誉職も2009年に退任となり、これで円谷家は円谷プロの経営から一切排除されることとなった。

フィールズの連結子会社化

2010年4月2日TYOは保有する51%の株式すべてを、パチンコ開発販売会社のフィールズに売却、円谷プロはフィールズの子会社となった[14][15]

歴代社長

歴代 氏名 在職期間 備考
初代 円谷英二 1963年 - 1970年 円谷プロダクションの設立者
2代目 円谷一 1970年 - 1973年 円谷英二の長男
3代目 円谷皐 1973年 - 1995年 円谷英二の次男
4代目 円谷一夫 1995年 - 2003年 円谷皐の長男
5代目 円谷昌弘 2003年 - 2004年 円谷一の長男、女性社員へのセクハラ問題で退任
6代目 円谷英明 2004年 - 2005年 円谷一の次男
7代目 大山茂樹 2005年 - 2007年 東宝不動産の取締役から招致、円谷家以外から初の社長就任
8代目 円谷一夫 2007年 大山茂樹を解任して復職
9代目 森島恒行 2007年 - 2008年 円谷エンタープライズの設立に参加
10代目 大岡新一 2008年 - 円谷プロダクションの生え抜きカメラマン

歴史

作品

テレビ

映画

オリジナルビデオ

CM

舞台

制作協力

ヒーロー一覧

エピソード

エイプリルフール

2000年代後半から、エイプリルフールになると、インターネットで手の込んだネタを発表することでも知られる[27][28]。これらのネタは円谷プロ公式サイト「円谷ステーション」を運営するサイバーエデン円谷英二のひ孫にあたる円谷洋平が社員として所属するWEB制作会社)が企画して最後に円谷プロが監修するという形をとっている[28]。これまで発表された主なネタは下記の通り。

  • 2005年 - バルタン星人が円谷プロ公式サイト「円谷ステーション」を乗っ取る。円谷プロ公式サイトでのエイプリルフールネタの第1号[28]
  • 2006年 - SNSサイト「エムナナハチ(m-78)」(mixiのパロディ[28])。
  • 2007年 - 前回と同じく「エムナナハチ」。前回、アクセスが集中してしまったためにサーバダウンを起こして観覧できなかったファンから苦情が寄せられたこともあり、ウルトラの父による謝罪文を掲載。実際にサーバー環境の増強も行われた[28]。前日がウルトラマンメビウスの最終回であったこともあり、メビウスのアカウントでログインする形になっていた。
  • 2008年 - カネゴンによるアフィリエイトブログ「カネゴンの78ちゃんねるまとめサイト」(2ちゃんねる系まとめサイトのパロディ[28])。ウルトラ兄弟ウルトラ怪獣2ちゃんねる用語VIP語で会話を繰り広げるという珍妙な光景が繰り広げられた。また一部には特撮!板のウルトラネタも含まれていた。
  • 2009年 - 前回に引き続きカネゴンのブログに加え、ゾフィーゴモラダークザギなどのブログも閲覧できるようになっていた。ゴモラのブログ(しょこたん☆ぶろぐのパロディ)に書かれたメールアドレスに応援メールを送信すると個別に本獣からの返信があったが、メールが殺到したためか返信が翌日に持ち越されたりした人もいた。また、ニコニコ動画のパロディ「シュワシュワ動画」も開設。公式配信されている動画のほかに、当時のニコニコ動画で人気だった動画のパロディも表示された。
  • 2010年 - Twitterのパロディ[28]「円谷ッター(ツブッター)」を開設。主要ウルトラマンと怪獣たちが24時間ほぼリアルタイムで“つぶやき”続けた[注 1]。この他、シュワシュワ動画では生放送も実施。放送中に発表された「ウルトラマン80放送30周年記念 DVD-BOX」は実際に発売されることになった。なお、「Twitterのパロディ」というアイディアは以前からあり、当初は名称も「デュワッター」だったが、わかりにくいという理由で「円谷ッター」に変更された[28]
  • 2011年 - 東北地方太平洋沖地震への配慮から、この年の企画は行われなかったが、代わりに「ウルトラ5つの誓い2011」がYouTubeで配信された[29]
  • 2012年 - イベントに携わっていた円谷洋平が転職したことを機に行われないことを、Twitterで経緯とともに告知。

人気投票

2010年2013年の2度に渡り、インターネットで歴代キャラクターの人気投票を実施している。

所属スタッフ

過去の所属スタッフ

過去の関連スタッフ

円谷プロダクション芸能部

円谷浩をマネジメントする目的で設置され、円谷浩が他社へ移籍した後も所属タレント俳優のマネジメントを行っていたが、慢性的な赤字体質を脱却できず、経営改革に伴い2007年10月31日をもってセクションを閉鎖。閉鎖後、所属タレントの一部とスタッフの大半は、円谷ミュージックの新会社「T.M.Lab」に移籍していたが、2013年11月末をもって「T.M.Lab」がプロダクション、マネジメント業務を終了したため、所属していた大半の俳優は新設の芸能事務所Vif」に移籍。

過去の所属タレント

男性

女性

グループ

円谷プロダクションから独立した会社

関連施設

砧社屋

かつての砧社屋(旧本社)

円谷プロの初代社屋。元々は東宝砧撮影所京都衣装(現:東宝コスチューム)の衣装倉庫として使用されていた施設であり、1964年東宝が資本参加した際に円谷プロへ提供された[34]。京都衣装以前は医療関係の建物であったとされる[34]

2005年の本社移転に伴い名称をKinuta Digital SymphonyとしてCG部門の編集スタジオとして使用されていたが、2008年に解体された。

快獣ブースカ』の大作研究所や『ウルトラセブン』第8話の警察署などは砧社屋の建物を使用して撮影されている[34]

円谷プロ製作以外の作品では、『有言実行三姉妹シュシュトリアン』第40話「ウルトラマンに逢いたい」のロケ地の1つとして使用されている。

怪獣倉庫

砧社屋2階に存在したヒーロー怪獣着ぐるみの保管倉庫。当初は着ぐるみに特化していたわけではなく、ミニチュアなども保管されていた[34]

2005年の本社移転に伴い収蔵物の多くも新社屋に移され[35]、その後は着ぐるみや小道具などの一部を陳列した展示スペースとして不定期に一般公開していた[36]2008年の砧社屋の閉鎖により倉庫も解体されたが、京都衣装時代から存在した衣装整理用の札が貼られた柱の一部は円谷プロで保管されている[37]

ウルトラファイト』第196話や『ウルトラマンマックス』第24話などの撮影に使用されている[34]

東宝ビルト

東宝ビルトは、2009年まで存在した東宝撮影所の1つ。円谷プロの所有施設ではないが『ウルトラQ』以来多くの作品が撮影され、円谷プロの出資により改築も行われるなど関係性は深かった[34]

書籍

  • 円谷英明『ウルトラマンが泣いている 円谷プロの失敗』講談社講談社現代新書〉、2013年。ISBN 978-4-06-288215-6 

注釈

  1. ^ なお、つぶやき自体はTwitterの公認アカウントを取得して行われたので各ウルトラマンと怪獣の個別つぶやきはTwitter上で閲覧できたが、「ブースカ」と「ウルトラマンフェスティバル2010」のアカウント以外は「翻訳者の体力的限界」を理由に1日のみで更新を停止し、それまでのつぶやきも全面的に削除された。その後、一部のアカウントは不定期に更新されている。外部リンクの「円谷ッター(ツブッター)跡地」にTwitterの円谷プロ公認アカウントリンク集あり。

出典

  1. ^ 円谷英明 2013, pp. 49–50.
  2. ^ 白石雅彦『円谷一 ウルトラQとテレビ映画の時代』双葉社、2006年、p.239
  3. ^ 伊藤孝一、公野勉、小林義寛『映画はこうしてつくられる』風塵社、2008年、p.225。円谷粲インタビューより
  4. ^ a b 円谷英明 2013, pp. 87–92.
  5. ^ 円谷英明 2013, pp. 129.
  6. ^ 円谷英明 2013, pp. 89.
  7. ^ 円谷英明 2013, pp. 64–65.
  8. ^ 円谷英明 2013, pp. 140–142.
  9. ^ a b c 大揺れ円谷プロ、セクハラ後はリストラ騒動 前専務のカリスマ特技監督が怒りの提訴ZAKZAK 2003年9月2日
  10. ^ 円谷英明 2013, pp. 170.
  11. ^ 円谷英明 2013, pp. 182.
  12. ^ 円谷英明 2013, pp. 183.
  13. ^ 円谷英明 2013, pp. 163、186.
  14. ^ 子会社化(株式会社円谷プロダクションの株式取得)に係る株式会社ティー・ワイ・オーとの譲渡契約締結に関するお知らせ (PDF)
  15. ^ 円谷プロ、パチンコ機器関連会社の傘下に YOMIURI ONLINE(読売新聞)2010年3月17日
  16. ^ a b c 「円谷特技プロの創立」『不滅のヒーローウルトラマン白書』(初版)朝日ソノラマ〈ファンタスティック・コレクション・スペシャル〉、1982年12月31日、11頁。雑誌コード:67897-80。 
  17. ^ 白石雅彦『円谷一 ウルトラQとテレビ映画の時代』双葉社、2006年、p.177
  18. ^ 白石雅彦『円谷一 ウルトラQとテレビ映画の時代』双葉社、2006年、pp.179-180
  19. ^ 円谷英明 2013, pp. 73、77.
  20. ^ 円谷英明 2013, pp. 74–75.
  21. ^ a b c プロフィール 円谷夢工房公式サイト内
  22. ^ 津田浩司「国境を越える日本映像ビジネスの現状」『』1996年2月号、pp.56-57
  23. ^ 円谷英明 2013, pp. 90.
  24. ^ 円谷英明 2013, pp. 126、129.
  25. ^ 平成13年(ワ)第12140号 著作権確認等請求事件 裁判例 裁判所公式サイト
  26. ^ 円谷プロの“聖地”にお別れMSN産経ニュース 2008年2月6日報道 :※現在は公開終了。Internet Archive Wayback Machine内に納められた当時のコンテンツはこのリンク先から閲覧可能。
  27. ^ 2010年4月1日、今年もすごいぞ! エイプリルフールネタ合戦、円谷プロから2ちゃんまで
  28. ^ a b c d e f g h 毎年話題のエイプリルフール企画を生み出す「円谷プロ」インタビュー、INTERNET watch(インプレス)、2010年4月23日 6:00。
  29. ^ 【ウルトラマン基金】ウルトラ5つの誓い2011 ウルトラチャンネル
  30. ^ 「ニュース 「円谷ヒーロー&怪獣・星人ランキング」実施中!壁紙プレゼント!」、円谷プロダクション公式サイト、2010年8月17日
  31. ^ 円谷ヒーロー・怪獣&宇宙人ランキング!結果」、ウルトラマンシリーズ45周年記念サイト(円谷プロダクション公式サイト)、2011年1月
  32. ^ 円谷プロダクション創立50周年記念 ウルトラ怪獣総選挙」、円谷プロダクション公式サイト、2013年9月
  33. ^ ウルトラヒーロー総選挙2013」、円谷プロダクション公式サイト、2013年9月
  34. ^ a b c d e f ウルトラマン全史 2013, pp. 4–5.
  35. ^ 宇宙船編集部 編 編「マックス怪獣造型の秘密 開米プロダクション」『ウルトラマンマックス マックス!マックス!マックス!怪獣大画報』円谷プロダクション 監修、朝日ソノラマファンタスティックコレクション〉、2006年10月30日、72頁。ISBN 4257037350 
  36. ^ 「さらば、空想特撮の夢工場」『宇宙船』Vol.120(2008年春号)、ホビージャパン、2008年4月1日、pp.84-87、ISBN 978-4-89425-693-4 
  37. ^ 『円谷プロ図録』ネコ・パブリッシング〈NEKO MOOK〉、2013年、160頁。ISBN 978-4-7770-1440-8 

関連項目

外部リンク