山口蛍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山口螢から転送)
移動: 案内検索
山口 螢 Football pictogram.svg
名前
愛称 ホタル
カタカナ ヤマグチ ホタル
ラテン文字 YAMAGUCHI Hotaru
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1990年10月6日(24歳)
出身地 三重県名張市
身長 173cm
体重 72kg
選手情報
在籍チーム セレッソ大阪
ポジション MF (OH, CH)
背番号 6
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2009- セレッソ大阪 105 (10)
代表歴2
2013-[1] 日本の旗 日本 20 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年12月6日現在。
2. 2015年8月9日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

山口 螢(やまぐち ほたる、1990年10月6日 - )は、三重県名張市出身のプロサッカー選手Jリーグセレッソ大阪所属。ポジションはミッドフィールダー。日本代表。

来歴[編集]

プロ入り前[編集]

1990年三重県名張市矢川の実家で次男として誕生[2][3]。「どんな暗闇でも明るい光を放ち続けられますように」という願いを込めて『蛍』と名付けられた[4]

小学校3年生の時に父の影響でサッカーを始め、主にトップ下を担当[5]。中学校進学に際しセレッソ大阪ガンバ大阪京都パープルサンガの3クラブの入団テストを受けたが、テスト当日に合格の通知をくれたセレッソ大阪U-15へ入団した[5]

中学時代は電車で片道2時間かけて練習場まで通う日々を送り[3]、1年生の終わりにはJFAエリートプログラムの1期生に選出された[5][6]

2006年セレッソ大阪U-18へ昇格。

2008年、チームの主将に就任[7]JFAプリンスリーグU-18関西で優勝を飾り、自身もリーグMVPに選出された[8]

セレッソ大阪[編集]

2009年丸橋祐介と共にトップチームへ昇格。同年5月13日より3ヶ月間、ブラジル全国選手権セリエAパルメイラスに留学した[9]

2011年、前年は出場機会に恵まれなかったものの、この年はボランチのポジションで徐々に出場機会を増やし、J1第24節浦和レッズ戦で公式戦初得点を記録。

2012年、開幕からレギュラーを掴む。同年、キム・ボギョン清武弘嗣といった主力の相次ぐ移籍もあってクラブは下位に低迷したが、ファビオ・シンプリシオの加入後は攻撃的ミッドフィールダーとしても起用されるなどユーティリティな活躍を見せ、リーグ戦30試合に出場した。

2014年、2014シーズンより名前の登録漢字表記を、山口から山口に変更。契約更改時に志願し、セレッソ大阪のキャプテンに就任した[10]

2014年8月9日、第19節FC東京戦で負傷退場。右膝外側半月板損傷と診断され、戦列を離れる事となった。結局、山口は最終節まで復帰する事ができず、セレッソは17位でリーグを終え、J2降格となった[11]。シーズンオフには海外クラブへの移籍も視野に動いたが上手くいかず、国内他クラブからの誘いがある中でセレッソ残留を決めた[12]

日本代表[編集]

2010年、クラブでは出場機会に恵まれなかったが、各クラブの控えメンバーを中心としたU-21日本代表に選出され、広州アジア競技大会に出場[13]山村和也とダブルボランチを形成し、全試合に出場する活躍で、史上初の金メダル獲得に貢献した[13]

その後も関塚隆監督の寵愛を受け、レギュラーとしてロンドン五輪アジア予選を戦った。

ロンドン五輪アジア予選後、ロンドン五輪U-23サッカー日本代表に選出された。本大会では、主にチームメイトの扇原貴宏とダブルボランチを形成。過密日程の中、全試合フル出場を果たし、メキシコ五輪以来44年ぶりのベスト4進出に貢献した。

2013年7月、東アジアカップ2013に出場する日本代表に招集され、第1戦中国戦で国際Aマッチ初出場を果たした[1]。同大会では全3試合に出場し、日本代表の大会初優勝に貢献し、自身も大会MVPに選出された[14]

2014年6月に開催された2014 FIFAワールドカップでは、初戦のコートジボワール戦、第二戦のギリシャ戦でスタメンで起用されたが、チームはグループリーグ敗退となった。

2015年1月に開催されるAFCアジアカップ2015へ臨む日本代表の予備登録メンバーに選出されたが、本登録は叶わなかった[15]。しかし、同年3月27日に行われたキリンチャレンジカップチュニジア代表戦で代表復帰を果たした。

2015年8月5日、東アジアカップ2015第2戦韓国戦で代表初得点を決めた。

プレースタイル[編集]

豊富な運動量と抜群のボール奪取能力を持つ中盤のダイナモ[5]

フィジカルの強さを生かした対人守備を得意とし、タイトなマークと鋭い危険察知能力で相手のチャンスの芽を摘む守備職人であるが[7][16]、ユース時代は背番号「10」を着けて攻撃的なポジションでプレーしており、パスの精度が高く、攻撃センスにも長けている[7]

所属クラブ[編集]

ユース経歴
  • 2000年 - 2002年 箕曲ウエストサッカークラブ(名張市立錦生小学校)
  • 2003年 - 2005年 セレッソ大阪U-15(名張市立赤目中学校)
  • 2006年 - 2008年 セレッソ大阪U-18(清明学院高等学校
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2009 C大阪 26 J2 3 0 - 0 0 3 0
2010 J1 2 0 2 0 0 0 4 0
2011 6 17 1 0 0 4 0 21 1
2012 30 2 6 0 4 2 40 4
2013 34 6 8 1 0 0 42 7
2014 19 1 0 0 1 0 20 1
2015 J2 -
通算 日本 J1 102 10 16 1 9 2 127 13
日本 J2 3 0 - 0 0 3 0
総通算 105 10 16 1 9 2 130 13
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2011 C大阪 6 2 0
2014 8 0
通算 AFC 10 0

タイトル[編集]

代表[編集]

U-21日本代表
日本代表

クラブ[編集]

セレッソ大阪U-18

個人[編集]

経歴[編集]

代表歴[編集]

出場大会[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 20試合 1得点 (2013年 - )[1]


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2013 8 0
2014 7 0
2015 5 1
通算 20 1

ゴール[編集]

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2015年8月5日 中国武漢 韓国の旗 韓国 △1-1 東アジアカップ2015

脚注[編集]

  1. ^ a b c d “山口 蛍”. サッカー日本代表データベース. http://www.japannationalfootballteam.com/players_ya/hotaru_yamaguchi.html 
  2. ^ ロンドン五輪 : 「地元の期待、息子に」 サッカー代表・山口蛍選手の父、名張市長に出場報告 / 三重 - 毎日jp (毎日新聞伊賀版) 2012年7月12日
  3. ^ a b サッカー五輪代表 名張出身山口選手が選出 - 伊賀タウン情報 YOU 2012年7月13日
  4. ^ U22山口蛍が五輪への道に光を放つ - nikkansports.com 2011年6月16日
  5. ^ a b c d U-23日本代表の“ダイナモ”山口蛍「ロンドン五輪は自分をアピールするチャンス」 - SOCCER KING 2012年6月14日
  6. ^ 3大会ぶり8強の日本、支えるJFAの取り組み - MSN産経ニュース 2012年7月31日
  7. ^ a b c 山口螢と扇原貴宏、快進撃を支えるボランチコンビ - スポーツナビ 2012年7月31日
  8. ^ プリンスリーグU-18 関西2008 表彰式が行われました! - セレッソ大阪公式サイト 2008年7月20日
  9. ^ 山口螢、丸橋祐介選手 ブラジル留学のお知らせ - セレッソ大阪公式サイト 2009年5月12日
  10. ^ Jリーグマッチデーハイライト~アディショナルタイム~ #10(スカパー!、2014年2月15日)
  11. ^ 山口蛍、全治6週間の重傷だった…アギーレJ初戦出場絶望的 - スポニチ Sponichi Annex
  12. ^ 山口蛍&扇原がC大阪残留へ - nikkansports.com
  13. ^ a b “雑草”たちがアジア1に!! - ゲキサカ 2010年11月26日
  14. ^ 東アジア杯MVPはなぜ山口螢だったのか? ザックジャパンにもたらした計り知れない貢献度を検証する - Football Channel 2013年7月30日
  15. ^ AFC アジアカップ オーストラリア 2015 SAMURAI BLUE(日本代表)予備登録メンバー - JFA
  16. ^ 五輪の悔しさと手応えで飛躍へ C大阪・山口蛍 (上) - 日本経済新聞 2012年12月1日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]