「日本の鉄道事故 (2000年以降)」の版間の差分

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==== 長崎線特急列車脱線転覆事故 ====
==== 長崎線特急列車脱線転覆事故 ====
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2014年10月11日 (土) 00:19時点における版

本項では、2000年以降に発生した日本の主な鉄道事故について記述する。

主な鉄道事故

2000年代

営団日比谷線中目黒駅構内列車脱線衝突事故

2000年(平成12年)3月8日 9時1分頃(列車脱線事故
帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄日比谷線東横線直通電車が、中目黒駅直前の急曲線で脱線、対向電車の側面をえぐる形で衝突し、死者5名、負傷者64名を出した。この事故で、日比谷線03系1両(03-802)が廃車になった。同駅付近では引上線で1992年と、ほぼ同位置で1965年にも事故が発生している。

京福電気鉄道越前本線列車衝突事故(松岡町)

2000年(平成12年)12月17日 13時頃(列車衝突事故
京福電気鉄道永平寺線の上り列車(1両編成)がブレーキ故障により分岐駅である東古市駅(現在の永平寺口駅)に停車せず、越前本線に進入し越前本線下り列車と正面衝突、上り列車の運転士1名が死亡、両列車の乗客ら24名が重軽傷を負った。
ブレーキ故障は、車体中央のブレーキシリンダから前後台車の基礎ブレーキ装置へブレーキ力を伝達する引ロッドの改造接続箇所の溶接に欠陥があり、溶接箇所が疲労破断したのが原因であり、同社の車両検査体制が問われた。

新大久保駅ホーム転落死亡事故

2001年(平成13年)1月26日 19時14分頃(鉄道人身障害事故
東日本旅客鉄道(JR東日本)山手線新大久保駅で線路に泥酔した男性が転落し、助けようとして2名がホームから線路に飛び降りたが、3名とも折から進入してきた電車と接触し、死亡した。

福島駅駅ビル衝突事故

2001年(平成13年)4月8日 21時35分頃(列車脱線事故
福島交通飯坂線福島駅で、飯坂温泉発福島行き上り列車(7000系東急7000系の譲渡車両)のブレーキが作用せずホームを通過、車止めを乗り越え12m先の駅ビル・イーストビルに突入し乗員乗客4名が負傷した。この影響で当該車両は廃車となった。
この列車は2駅手前の美術館図書館前駅を発車後、一時車内照明が消えるなど停電に見舞われた後にブレーキ装置が故障、非常用ブレーキ装置も扱ったがこれも作用せず曽根田駅を通過し事故に至った。この列車は始発前の点検では異常が見つからなかった。現代の車両では、通常は複数の独立したブレーキ装置を備えているが、これらすべてが作用しないという稀有な事例であり、原因は究明されていないが、電源装置の不良によるブレーキ装置の動作不良が疑われている。
この後、東北運輸局は福島交通に対し事故原因の早期究明と再発防止策を求める警告書を出し立ち入り検査を実施した。4月13日深夜に試験運転を行い、翌日の始発から運転を再開した。

東海道線富士駅冒進阻害事故

2001年(平成13年)4月18日
東海旅客鉄道(JR東海)東海道本線富士駅で下り貨物列車が出発信号機の停止現示を見落として進行し、東海型過走防止装置により停止したが、同駅始発電車列車に向けられた出発信号機の進行現示を自列車のものと勘違いし、ポイントの開通方向が違うのに気付かずATS停止を無断解除して出発した。駅側がそれに気づき始発電車の防護無線を発報したが間に合わず非開通のポイントを割り込んで破損した。
当日は貨物列車が約10分遅れだったことから富士駅始発列車を先行させることとし、貨物列車が到着する番線の出発信号機に「停止」を現示したがこの停止信号を見落として進行したため場内信号による注意現示速度以下の速度で出発信号80m外方の過走防止速度照査が動作して非常制動が働き、75m冒進して停止した。
運転士は4つのエラーを冒したが、特に指令の許可を得ずにATSを解除して出発したことで衝突が危惧される事態となり、JR東海は日本貨物鉄道(JR貨物)に再発防止を求めた。
背景として、ATS-Sxが冒進前提の防御で、停止後は運転士に停止理由が見えないことで遅れ回復の気持ちに押され見落とし思い違いのままの行動が続いてしまったことが挙げられる。運転士が場内信号も見落としていたら注意現示以下に対応する東海型過走防止装置の防御対象外で宿毛事故のような高速冒進となる危険があることを示した。

勝山市京福電気鉄道越前本線列車衝突事故

2001年(平成13年)6月24日 18時頃(列車衝突事故
京福電気鉄道越前本線保田 - 発坂(ほっさか)間で勝山福井行きの上り普通列車(1両編成)と福井発勝山行きの下り急行列車が正面衝突して乗員乗客24名が重軽傷を負った。
事故原因は、本来途中駅で対向する急行列車とすれ違う必要があったのを普通列車の運転士が信号を確認せず早発したという人為ミスだった。2件の連続事故に伴い、京福電気鉄道福井地区各線の運行が停止に追い込まれ、後にえちぜん鉄道に譲渡された。

名鉄新羽島駅電車衝突事故

2002年(平成14年)1月3日 10時頃(列車脱線事故
岐阜県羽島市名古屋鉄道羽島線新羽島駅構内で、羽島市役所前発新羽島行き普通電車(3100系、2両編成)が車止めに衝突、先頭車両の前部2.5mが高架橋終端から突き出て停止した。けが人はなかった。
原因は降雪時に耐雪ブレーキを使用せずに運転したため、氷塊詰まりにより制動力が極端に落ちたものと思われる。この事故を受けて名鉄では耐雪ブレーキの使用基準などを改めた。また、ホームの長さを2両に短縮し、ドアカットを行う措置を一時的に行った。

鹿児島線列車追突事故

2002年(平成14年)2月22日 21時30分頃(列車衝突事故
福岡県宗像市九州旅客鉄道(JR九州)鹿児島本線海老津 - 教育大前駅間で、門司港荒尾行き下り普通列車(811系+813系7両編成)がイノシシに衝突し車両点検のために停止中、無閉塞運転で進行してきた後続の門司港発荒木行き下り快速列車(813系5両編成)が追突し134名が重軽傷を負った。
後続列車が中継信号機の進行現示を自列車に対するものと勘違いし、無閉塞運転取扱規則に反して加速したのが原因。
結果として全車が廃車となった。なお先行列車の先頭車両の前頭部(811系)は九州鉄道記念館の運転シミュレーターとして活用されている。

真岡鐵道真岡線久下田駅構内列車脱線事故

2002年(平成14年)8月1日 12時18分頃(列車脱線事故
真岡鐵道真岡線特殊自動閉塞CTC付帯)久下田駅で、隣のひぐち駅で故障し走行不能となった営業列車(下館駅茂木駅行き第117列車、モオカ63形気動車1両)を連結して救援した列車(同じくモオカ63形気動車1両)が久下田駅構内のひぐち駅方にある11号転轍器へ進入したところ脱線した。
原因は運転指令員が信号および転轍器に対しマニュアルと異なる誤った取り扱いをしたためであった。運転指令員はひぐち駅の両隣である久下田駅と折本駅の間を伝令法による運転に切り替え、ひぐち駅の3駅先の真岡駅から救援列車と要員を派遣し、故障車をひぐち駅から真岡駅まで牽引しようとしたが、救援列車をひぐち駅へ向かわせる際に久下田駅の11号転轍器鎖錠を手動解錠しなかったため、救援列車が通過した時に転轍転換器を破損して半開きのまま固着した[注 1]。転轍器が破損して復位しないので久下田駅場内信号は停止現示のままになり、故障列車を牽引してひぐち駅から戻ってきた救援列車が再び久下田駅に進入できなくなった。運転指令員は久下田駅の場内信号が停止現示から切り替わらない理由が分からず、場内代用テコで強制的に場内信号を進行現示として救援列車を久下田駅に進入させた。救援列車は損傷した11号転轍機上を通過し、先頭車前方2軸が脱線するに至った。
負傷者はなく車両と線路の被害も大きくなかったが、信号機の停止現示固着の原因を理解できないまま独断で列車を進行させたのが事故原因であり、信楽高原鐵道列車衝突事故の人的原因と類似している点は鉄道信号システムの根幹を揺るがす行為で極めて危険である。 救援列車の運転士は運転歴29年のベテランで訓練・検査も行われており、異常も無く正常に運転していたが、当時の運転指令員が運転士と兼務の上に運転士の仕事ばかりで全く訓練や検査も行われていなかった。指令業務に不安を覚えた運転指令員は、茂木駅で別の作業をしていた信号関係ベテランの工務区副長の助言を受けながら[注 2]運転取扱をしていたが、工務区副長も助言を誤り、関係者が誰もその誤りに気づかなかったために誤った取扱が実施された。さらに人員不足で折本駅に臨時の駅長が派遣されなかったこと、久下田駅に派遣された派遣駅長も訓練を受けておらず代用手信号の現示や転轍機確認を怠ったこと、信号に関する知識の乏しい者を久下田駅派遣信号係としたことなど、複数の対応の誤りが招いた事故であった[1]

名鉄名古屋本線衝突脱線事故

2002年(平成14年)9月26日 8時32分頃(列車脱線事故
名古屋鉄道名古屋本線新岐阜(現:名鉄岐阜)発豊橋行きの特急86列車(8両編成。内訳は1030系6両+1800系2両。乗員3名、乗客約900人乗車)が、稲沢市奥田堀畑町地内(奥田駅 - 大里駅間)にある大里8号踏切付近(軌道内)で普通乗用車と衝突。うち前2両が軌道を外れ、軌道東側に設けられていたコンクリート製暗渠の用水路沿いに大きく脱線し特に先頭車両は用水路に乗り上げた状態で停止した。
普通乗用車のスリランカ人運転手1名が死亡、列車の乗客21名と運転士、車掌各1名の計23名が負傷した。通勤ラッシュ時間帯で脱線した特急列車には多くの乗客が乗っていたため負傷者が多数発生した。なお、事故当時対向列車が事故現場へ近づいていたが、脱線列車が架線をなぎ倒したことから停電となり、現場直前にて停止したため、さらなる大惨事は免れた。
事故の原因はスリランカ人の運転する普通乗用車(盗難車)が遮断桿が下がっていた踏切内に進入、踏切内で脱輪した上に線路上を新名古屋方面に走行し、これに追突した列車が乗用車を巻き込んで脱線したためである。
これ以前にも、JR成田線酒々井 - 成田間の県道を横切る踏切に差し掛かった酒酔い運転の乗用車の運転手が踏切を交差点と間違えて線路内に車を進入させた事件があったが、そちらの場合は踏切支障報知装置を使用して列車を止めたため、衝突は回避されている。
事故車両のうち後方に連結されていた1800系2両はそのまま修理された。残りの6両のうち大破した1030系前2両は事故廃車となったものの、1030系の後部4両に関しては豊橋寄りの車両に運転台を取り付ける工事を行い、新たな固定編成に改造された。詳しくは名鉄1380系の項目を参照。
外部リンク
「名鉄特急が車と衝突、脱線1人死亡、乗客ら23人負傷」47NEWS
「踏切で脱輪、線路を迷走 名鉄特急の脱線事故」(47NEWS)

東海道線救急隊員死傷事故

2002年(平成14年)11月6日 19時45分頃(鉄道人身障害事故
西日本旅客鉄道(JR西日本)の東海道本線JR神戸線塚本駅 - 尼崎駅間で、線路内で遊んでいて姫路行きの新快速にはねられた中学生を救助中の救急隊員2名が後続の特急「スーパーはくと11号」にはねられ1名が死亡、1名が重傷となった事故である。
この原因として当時JR西日本に人身事故発生時の明確なマニュアルがなく、現場を監視していた同社社員と同社運転指令所との連繋が上手くいかなかったため、運転指令所が現場の状況を正確に把握しないまま、運行再開を指示したことが原因の一つであるとされている。
後にJR福知山線脱線事故が発生した際、同社の運行管理体制の杜撰さを指摘する例としてこの事故が報道などで再び取り上げられることにもなった。
この事故においてはきっかけとなった中学生の線路侵入による人身事故で運転抑止が長引くことによって、JR西日本が乗客からの苦情が殺到することを恐れていたことが指摘されている。なお、この事故後JR線人身事故時の警察現場検証などによる運転抑止時間が安全確保を理由にそれまでの平均20 - 30分から平均1時間以上を要するようになり、乗客からの苦情がさらに増すことになった。
外部リンク:JR東海道線で救急隊員轢死 - 失敗知識データベース

長崎本線特急列車脱線転覆事故

事故に遭ったSM3編成。下画像が代替製造された400番台。
2003年(平成15年)7月18日 21時45分頃(列車脱線事故
長崎県諫早市のJR九州長崎本線肥前長田駅 - 小江駅間で、長崎発博多行きの上り特急「かもめ46号」(885系6両。乗員2名、乗客76名)が大雨により線路横ののり面から線路上に崩れた岩石に衝突し脱線、転覆した。
この事故で運転士と乗客36名が重軽傷(2両目に乗っていた2名が重傷、運転士と1両目に乗っていた34名が軽傷)。脱線車両の落下場所が梅雨期の水田で衝撃を和らげたこともあり、比較的負傷者が少なくて済んだと見られる。岩石は直径80cm・質量約130kgで、線路脇の斜面にあったものが降雨による地盤の緩みで落下したものと思われ、線路周囲の法面の点検の徹底が国土交通省から指示された。
事故で大破した3両は廃車となり、半年後に885系400番台が代替製造された。また、この事故の影響で長崎本線の湯江駅 - 諫早駅間が数日間運休になった。

名鉄新岐阜駅電車衝突事故

2003年(平成15年)10月18日 17時10分頃(列車脱線事故
岐阜県岐阜市の名古屋鉄道名古屋本線新岐阜駅構内で、豊川稲荷発新岐阜行き急行列車(3100系+3500系6両編成。乗員2名、乗客約60名)が所定位置で停車せずにホーム端の車止めに衝突、1両目と3両目が脱線し乗客4名が軽傷を負った。
原因は運転士の体調不良による運転操作ミスとされる。運転士が駅進入の際に気を失って運転レバー(主幹制御器)に倒れ込み、加速の向きに操作したため。運転士は事故後の精密検査で中程度の睡眠時無呼吸症候群 (SAS) の疑いがあると診断された。
この事故を受けて名鉄では運転台に主幹制御器の誤動作防止装置を取り付けた。また、事故現場となった新岐阜駅名古屋本線ホームには油圧式の車止めが設置された。

飯田線列車脱線転覆事故

2004年(平成16年)10月20日 22時50分頃(列車脱線事故
長野県上伊那郡辰野町のJR東海飯田線羽場駅 - 伊那新町駅間で天竜峡岡谷行き普通列車(119系2両編成)が脱線転覆し約3m下へ落下、乗客乗員4名が軽傷を負った。
事故当時は台風23号による大雨の影響で盛土が流出していた。事故車両は2006年3月28日付で廃車となった。

上越新幹線脱線事故

2004年(平成16年)10月23日 17時56分頃(列車脱線事故
17時56分頃に新潟県中越地震が発生。震源地に近い上越新幹線浦佐駅 - 長岡駅間を走行中だった東京新潟行き「とき325号」(200系10両編成)のうち7・6号車を除く計8両が脱線した。地震発生当時、同列車は長岡駅への停車のため約200km/hに減速して走行中だったが、早期地震検知警報システム「ユレダス」による非常ブレーキが作動し長岡駅の東京寄り約5kmの地点で停車した。
自然災害が直接の原因とはいえ、新幹線の営業列車が脱線した初の事例(回送列車では既に1973年東海道新幹線鳥飼基地における冒進脱線事故などがある)となったが、高架橋が頑強に造られており倒壊を免れたことと対向列車が無かったこと、脱線はしたものの転覆には至らなかったことなどが幸いし、死者・負傷者は発生しなかった。

土佐くろしお鉄道宿毛駅列車衝突事故

2005年(平成17年)3月2日 20時41分頃(列車脱線事故
高知県宿毛市土佐くろしお鉄道宿毛線宿毛駅構内で、岡山発宿毛行きの特急「南風17号」(3両編成・乗客11名)が116km/hで宿毛駅に進入し、頭端式(行き止まり式)ホームの車止めを突破して駅舎に激突した。
この事故で運転士が死亡し、車掌1名、乗客10名が負傷、特急車両(JR四国2000系気動車)は2両が廃車、宿毛駅の駅舎は大破。半年以上にわたって駅舎の使用停止・部分運休を余儀なくされた。

東武伊勢崎線竹ノ塚駅踏切死傷事故

2005年(平成17年)3月15日 16時50分頃(踏切障害事故
東京都足立区東武鉄道伊勢崎線[注 3]竹ノ塚駅南側の伊勢崎線第37号踏切で、女性4名が浅草駅行き上り準急列車(当時)にはねられ、2名が死亡し2名が負傷した。
当時、この踏切は手動式(第1種乙踏切)であり、東武鉄道の係員が操作していた。事故発生前の列車が通過後に列車の接近を知らせる警報ランプが点灯しているにも関わらず、次の準急列車通過までに余裕があると踏切警手が思い込み、遮断機のロックを解除して2 - 3m上げてしまうという操作が原因だった。
東武伊勢崎線は北千住駅 - 北越谷駅を複々線化する際、同時に西新井駅 - 竹ノ塚駅の一区間を除き高架・立体交差化を行っていた。この区間は竹ノ塚駅のすぐ南側に東京地下鉄(東京メトロ)の千住検車区竹ノ塚分室が立地しているなどの理由により高架化が困難なため、踏切をそのまま残して平面交差のままとしていた。その一方で同分室への入出庫列車や駅北側でも当駅始発・終着列車用留置線との出入りが頻繁にあったため、どちらもいわゆる「開かずの踏切」となっており、自動化すると遮断時間が長くなる恐れがあったため手動踏切として残していた。
しかしながら、輻輳するダイヤの影響で踏切の待ち時間は長ければ20分以上に至ることもあり、更には列車が通過して遮断機が開いたかと思いきやすぐさま警報機が作動して遮断機が再び降りるという現象も頻繁に発生しているため利用客からの苦情が絶えなかった。さらに、悪質な者は詰め所のドアを蹴ったり、警手に対して罵声を浴びせていた[2]。精神的圧迫を感じていた警手らは「一人でも多くの待ち時間を減らしたい」と考え、焦って踏切に駆け込んできた通行人に対して、違法であることを知りつつロックの解除を行っていた。
事故後東武線内に存在していた手動踏切はすべて自動化され、竹ノ塚駅の前後に存在する踏切では踏切道の拡幅や歩道橋の設置が行われた[3]。また、京成電鉄京成高砂駅にあった手動踏切についても自動化された[4]
さらに国土交通省もこの事故を踏まえて踏切対策のスピードアップを図る方針[5]としている。なお、この事故をきっかけに現場付近は立体化されることになった。もし、事故が発生した踏切を高架化工事をせずにそのまま廃止した場合は自動車が大きく迂回することを余儀なくされ、迂回路の渋滞を誘発することから行われなかった。
制度が改正されたことなどにより2011年3月31日には都市計画が決定し、12月20日には東京都から事業認可を取得した。そして、2012年3月30日に東武鉄道株式会社と費用負担や施工区分などを取り決める施行協定を締結。10月29日、10月30日に地元への工事説明会を開催し、11月4日、起工式を迎えた。事故発生から約7年7カ月で連続立体交差事業に工事着手できるのは異例の早さである。本事業は、2020年度末(平成32年度末)の完了を目指している[6][7][8]

福知山線列車脱線転覆事故(JR宝塚線脱線転覆事故)

2005年(平成17年)4月25日 9時18分頃(列車脱線事故
兵庫県尼崎市のJR西日本福知山線(JR宝塚線)・塚口駅 - 尼崎駅間の曲線で、列車の遅延回復のための速度超過運転などが原因となり、宝塚同志社前行きの上り5418M快速列車207系電車7両編成)が脱線・転覆。特に最前方の2両は脱線・転覆後、線路脇のマンションに激突し、これに巻きつく形で大破した。このとき、列車は制限速度60km/hのカーブに116km/hで進入していた。
この事故で運転士1名と乗客106名が死亡し、562名が負傷した。死者の数は鉄道事故としてはJR発足以降最悪で、鉄道事故全般では歴代7番目に多い。また国土交通省航空・鉄道事故調査委員会がまとめた事故報告の事実関係の記述だけで300ページ超と、1985年に発生した日本航空123便墜落事故報告書を上回り、日本の事故調査報告書としては過去最大の分量となる大事故となった。
事故車両のうち、損傷が激しかった進行方向前寄り4両は現地解体されたが、被害が少なかった後寄りの3両については、事故の風化防止に役立てるため、解体せず遺族の手記とともに鉄道施設に展示される予定となっている。

常磐線羽鳥駅列車衝突脱線事故

2005年(平成17年)4月26日 12時49分頃(列車脱線事故
茨城県東茨城郡美野里町(現在の小美玉市)のJR東日本常磐線羽鳥駅南側構内にある脇山踏切(警報機・遮断機付き)で、上野いわき行きの特急スーパーひたち23号(23M、651系、11両編成)が、踏切内で脱輪して立ち往生していた大型トレーラーと衝突、先頭車両が脱線した。乗客数人とトレーラーの運転手が怪我をした。脇山踏切は幅3.6mで大型車の通行は禁止されていた。トレーラーは右折で踏切に進入したところ運転台下の車輪が脱輪した。さらにトレーラーの運転手は運転前に缶ビールを数本飲んでいたことも分かり、警察はトレーラーの運転手を過失往来危険と道路交通法違反容疑で逮捕した。

新飯塚駅構内列車衝突事故

2005年(平成17年)8月6日 13時42分頃(列車衝突事故
福岡県飯塚市のJR九州後藤寺線新飯塚駅構内で、直方駅寄りにある引上線に留置されていた車両(キハ40形気動車1両編成)が下り勾配により逸走し、発車待ちをしていた田川後藤寺行き普通列車(キハ40形気動車1両編成)に低速(おおむね15km/h以下)で衝突した。
この事故で普通列車の運転士1名が負傷した。乗客には死傷者なし。逸走車両と普通列車双方の連結器が破損した。
留置車両に手歯止(車輪止ブロック)を使用せずに長時間留置されたため、自動ブレーキの定圧空気タンクの配管接続部分から圧縮空気が徐々に漏れ出し、ブレーキが自然緩解したのが原因とされた[9]

羽越線特急脱線転覆事故

2005年(平成17年)12月25日 19時14分頃(列車脱線事故
山形県東田川郡庄内町榎木のJR東日本羽越本線北余目駅 - 砂越駅間の第2最上川橋梁で、秋田新潟行きの上り特急「いなほ14号」(485系3000番台6両編成)が橋梁通過直後に全車両が脱線し、先頭車両は沿線にある家畜共同団地内の養豚場に隣接する堆肥小屋に激突した。
この事故により先頭車両に乗っていた5名が死亡、33名が重軽傷を負った。突風が原因とされている。
その後突風対策として余目駅ドップラーレーダーが設置され、線路沿いには防風フェンスが設置された。

伯備線保線作業員死傷事故

2006年(平成18年)1月24日 13時20分頃(鉄道人身障害事故
鳥取県日野郡江府町武庫のJR西日本伯備線単線区間で、線路内で保線作業中だった同社米子支社の作業員5人が岡山出雲市行きの特急スーパーやくも9号」にはねられ、3人が死亡、2人が負傷した。
事故当時、「スーパーやくも9号」は15分程度遅れていた。
この事故では、当時の米子支社の作業責任者が輸送指令から「スーパーやくも9号」の遅れを伝えられていたが、既に同列車が通過したと勘違いして当該列車とは逆方向に当たる上り列車を警戒するように見張員を誤って配置して作業を開始したことが一因とされる。
2008年3月に、鳥取地方裁判所米子支部は作業責任者に対し禁錮3年・執行猶予5年の判決を言い渡した。その上でJR西日本の安全対策の不十分さも指摘した。
なお、同線では1969年2月にも同様の接触事故が発生しており、この時には6人が死亡している(詳細は伯備線保線作業員死傷事故(1969年)を参照のこと)。

都電荒川線追突事故

2006年(平成18年)6月13日 9時35分頃(列車衝突事故
東京都北区東京都交通局都電荒川線梶原停留場 - 栄町停留場間にて、試験走行を行っていた試運転列車(7000形)が急制動の試験を行った際、後続列車(7500形)が運転手の速度超過および前方不注意が原因で追突、30人が負傷した。路面電車には自動列車停止装置が設置されていないために発生した事故である。
追突した側の7500形は修理されて復帰したが、追突された側の7000形は修理不能と判断され、廃車となった。
後続車から先行車の制動がわかりづらいことも原因のひとつと考えられたため、この事故を受けて荒川線に在籍する全車両にブレーキランプが取り付けられた。事故後に入線した9000形8800形についても新製当初から取り付けられている。

日豊本線脱線転覆事故

2006年(平成18年)9月17日 13時50分頃(列車脱線事故
宮崎県延岡市のJR九州日豊本線延岡駅 - 南延岡駅間(南延岡駅構内)で、別府宮崎空港行特急「にちりん9号」が、徐行にて南延岡駅に進入中に台風13号の接近によって発達した積乱雲に伴う竜巻にあおられて、先頭2両が脱線・横転し、乗客と運転士合わせて6人が負傷する事故となった。

津山線列車脱線事故

2006年(平成18年)11月19日 5時32分頃(列車脱線事故
岡山県岡山市のJR津山線玉柏駅 - 牧山駅間を走行中の津山発岡山行き普通列車(キハ120形気動車2両編成)が、運転士が前方の線路上にが倒れているのを視認したため非常制動を執ったが、その箇所で左側に傾き脱線・転覆した。乗客25名と運転士1名が乗車していたが、重傷2人、軽傷24人と全員が負傷した。
脱線の原因は線路から100m上の斜面の岩盤から風化作用によって落石(推定110t)が発生し、落下の途中でレールに当たって損傷させたため。なお同区間は落石防止工事が必要となり、2007年(平成19年)3月18日まで不通になった。

東武東上線ときわ台駅構内死傷事故

2007年(平成19年)2月6日 19時30分頃(鉄道人身障害事故
東京都板橋区東武鉄道東上本線ときわ台駅で、小川町行きの急行電車(10030系10両編成)が、60km/hでときわ台駅に進入する際に、警視庁板橋署常盤台交番の警視庁巡査部長(二階級特進で警視庁警部)の宮本邦彦(当時53歳)と、自殺を図った女性(当時39歳)に衝突、巡査部長は重体に陥り、その後2月12日に殉職。女性は腰を骨折する重傷を負ったものの、一命を取り留めた。
地域住民より交番に『線路内に人がいる』という通報があり、直ちに宮本巡査部長が駆けつけて、一度は交番に連れて行った。しかし、女性は隙を見て逃げ出し再び線路内に進入。女性を救助しようと追った宮本巡査部長は女性をホーム下のスペースに退避させるが、自身は退避が間に合わず、ときわ台駅を通過中の電車にはねられた。

石北線列車脱線事故

2007年(平成19年)3月1日 8時20分頃(踏切障害に伴う列車脱線事故
北海道網走郡美幌町のJR石北本線美幌駅 - 緋牛内駅間の踏切で、網走駅北見駅行きの普通列車(キハ54 520 1両編成)が木材を運搬中の大型トレーラーと衝突し、全ての車軸が脱線した。この事故で、列車は前面を中心に激しい損傷を受け、主幹制御器ブレーキ弁に両膝を挟まれて運転士が重傷を負うなど、列車側の乗客乗員合わせて51名が負傷した[10]。事故車両は現場検証後に廃車となり、現地で解体されている。
事故原因はトレーラー側の運転手の前方不注意によるもので、運転手は積荷の状態について考え事をしていたと認めている。これにより、トレーラー側の運転手は業務上過失傷害などの疑いで北海道警察に逮捕され、後に執行猶予付きの有罪判決が確定している。

近鉄鈴鹿線三日市駅構内列車火災事故

2008年(平成20年)8月12日 23時45分頃(列車火災事故
三重県鈴鹿市近鉄鈴鹿線鈴鹿市駅 - 三日市駅間を走行中の伊勢若松平田町行き最終普通電車(3両編成)の2両目の床下から発煙。三日市駅で停車中に発火して床下や座席が焼けたため運転が打ち切られた。死傷者はなし。
原因は、床下機器の断流器および断流器箱取付部の絶縁が低下し、異常電流が流れたことによるものとみられる。

青梅線踏切事故

2008年(平成20年)9月8日 18時25分頃(踏切障害に伴う列車脱線事故
東京都青梅市のJR東日本青梅線青梅駅 - 東青梅駅間を走行中の青梅立川行き各駅停車(E233系・10両編成)と踏切内で立ち往生していたトラックが激突。トラックは大破し、電車も車体が損傷し先頭車の前台車第1軸が左側に脱線した。
被災したE233系の前寄り6両(川崎重工業製)は損傷が著しく、編成最後尾の1両を除く5両が新津車両製作所にて車体を新製し、修復扱いで復旧した。
トラックの運転手が軽傷を負ったが、E233系特有の衝撃吸収構造や、クラッシャブルゾーンが備えられていたこともあり、電車の乗員乗客に死傷者は出なかった。
国土交通省航空・鉄道事故調査委員会は同日、調査官2人を現場に派遣した。

阪急甲陽線甲陽園駅脱線事故

脱線した列車
2008年(平成20年)9月20日列車脱線事故
阪急甲陽線の終点・甲陽園駅に列車が進入途中、レールの変形が基準値を超えたことにより、2両目と最後尾の車両が脱線し、20人が負傷した。
この事故を契機に甲陽園駅は大改良工事に着手し、棒線化された。

近鉄大阪線東青山駅構内列車脱線事故

2009年(平成21年)2月27日 5時30分過ぎ
三重県津市白山町の近鉄大阪線東青山駅付近を走行中の名張発伊勢中川行き始発普通電車1253系)が、東青山駅の西方約300mの下り線上で脱線し、架線を支える鉄塔に衝突した後大きく右に傾いて停止した。
事故は保線車両を留置する引き込み線が本線から進行方向向かって左へ分岐する部分で起きた。脱線の原因は前日深夜に架線の部品交換作業を行った後、保線車両を引き込み線に収容する際に使用した3個の移線横取装置のうち、進行方向向かって右側のレール上の横取装置の取り外しを忘れたため、左右とで異なる方向に列車の車輪が導かれたことにより車両全体がバランスを崩したためと見られる。
この事故により乗客9名のうちの1名が右足首ねんざなどの軽傷を負ったほか、近鉄大阪線は青山町駅 - 伊勢中川駅間が27日終日に渡って不通になった。
事故後近鉄は、線路の確認を怠ったなどとして作業責任者と東青山駅助役を懲戒解雇とするなど関係者11人を処分し、同時に移線横取装置の運用箇所の削減、横取装置使用時の停止信号の表示、横取装置使用時に作動するATSの設置、横取装置使用後に同箇所を最初に通過する列車を徐行運転とするなどの再発防止策を発表した。

名松線列車無人走行事故

2009年(平成21年)4月19日 22時13分頃
三重県津市白山町のJR東海名松線家城駅で、車両の入換準備作業中に運転士がおよそ5分間列車を離れたところ、列車(キハ11形気動車1両)が無人で下り坂を走り始め、およそ8.5km離れた井関駅 - 伊勢大井駅間の踏切付近で停止した。けが人はいなかった。
無人で走り出した原因は担当運転士が列車のエンジンを始動後、ブレーキの効きを確認しないまま列車を離れたことによるものと見られる。
同駅では2006年8月20日にも、手歯止めを忘れたことで今回とほぼ同地点まで列車が無人で走行するという事故が起きており、同事故を受けてJR東海では停泊車両へ手歯止めを装着した後の報告の義務化や、エンジンを停止すると同時にブレーキがかかるよう車両を改良するなど対策を講じていたが、今回は入換作業中のため機能しなかった。
事故を防げなかったことに対して当時のJR東海社長・松本正之は4月21日に実施された定例記者会見の場で謝罪し、「遺憾というか申し訳なく思っている。(社員全員に対し)事故防止の重要性を再認識させていきたい」「事故防止に力を入れてやってきたのに、何でなんだろうというのが率直な気持ちだ」とコメントを残した。

東京メトロ東西線衝突事故

2009年(平成21年)9月9日 4時10分頃
東京メトロ東西線東陽町駅に留置されていた始発の営業用電車(05系)に保線用機器が正面衝突し、走行不能になった(保線用機器にはATC車上装置は搭載されていない)。そのため東西線は始発から高田馬場駅 - 葛西駅間で運休となり、途中高田馬場 - 九段下駅間では部分的に運転を再開するものの、衝突された営業電車の先頭車両が連結器破損のため牽引できず、先頭車両を人力で撤去せざるをえなかったためもあり全線での運転を再開するのに5時間以上を要した。けが人はいなかったものの、通勤ラッシュの時間帯を直撃したため29万人に影響した。
この事故の影響を重く見た国土交通省関東運輸局は、東京メトロに対して早期の原因究明と再発防止を求める警告文書を発出した。

東武鉄道東上線踏切接触事故(2009年10月)

2009年(平成21年)10月8日 18時27分頃(踏切障害事故
東武東上本線みずほ台駅 - 鶴瀬駅間で渋谷発川越市行の普通電車(10両編成)とワゴン車が衝突。電車は床下機器の一部を破損し、ワゴン車も大破した。事故原因はワゴン車の運転手が踏切待ちの際誤ってアクセルを踏んでしまったことによる。この影響で同線は池袋 - 志木間・川越市 - 小川町間が約1時間半後の20時頃まで、志木 - 川越市間が約5時間半後の翌日0時過ぎまで運転を見合わせたため、仕事帰りなどの帰宅客らに多大な影響を及ぼした[注 4]。また、踏切待ちをしていた女性が負傷した。

富良野駅構内除雪車衝突事故

2009年(平成21年)12月28日 21時40分頃(鉄道人身障害事故
北海道富良野市北海道旅客鉄道(JR北海道)富良野駅構内で、滝川駅新得駅行きの快速列車除雪車が衝突した。この事故で、快速列車の乗客9人と、除雪車の乗務員3人がけがをした。
北海道警察は12月30日に、被疑者不詳の業務上過失傷害容疑で、JR北海道本社を家宅捜索した。民営化後のJR北海道本社に家宅捜索が入るのは初。2010年1月13日には、当時のJR北海道社長・中島尚俊が定例記者会見で「深くおわびする」と陳謝した。

2010年代

函館本線踏切事故

2010年(平成22年)1月29日 12時20分頃(踏切障害に伴う列車脱線事故
深川市深川町のJR北海道函館本線の踏切で、ダンプカーが雪道をスリップして踏切内に進入。踏切にある列車停止警報装置を作動させて発報したが間に合わず、そこに旭川札幌行き特急「スーパーカムイ」24号(789系5両 HL-1005編成)が衝突した。ダンプカーは運転台部分と荷台部分が引きちぎられ、荷台部分が20mほど飛ばされ、先頭車は脱線し前部は原型をとどめないほどに破損した。この事故で特急の運転士・車掌・乗客42人とダンプカーの運転手の計45人が重軽傷を負い病院に搬送された。残りの乗客はバスで代替輸送を行った。この事故により、18時までに54本の列車が運休し、約8200人の足に影響が及んだ[11][注 5]
原因はダンプカーがスリップしたことにより踏切内に侵入したためであるが、当日は風速4 - 5mの吹雪が吹いており、ダンプカーの運転手の証言によると、踏切の警報機の音が聞こえなかったという。
その後789系HL-1005編成は、2011年3月24日付で正式に全て廃車となった[12]
789系電車は、1991年の日高本線での踏切事故を教訓に、JR北海道が採用してきた高運転台仕様と衝撃吸収構造のため、運転台へのダメージや客室への衝撃が最小限に抑えられた。
この事故を受けて、JR北海道は安全対策として、キハ261系キハ281系キハ283系などにも存在する、同様の高運転台タイプ特急形車両にある貫通路や、「クリスタルエクスプレス」などの臨時列車運用編成にある先頭車両座席を全て立入禁止とし、座席も撤去された[13][注 6]

東海道新幹線架線切断停電事故

2010年(平成22年)1月29日 13時50分頃(電気火災事故、輸送障害)
神奈川県のJR東海東海道新幹線新横浜駅 - 小田原駅間で、「こだま」659号(300系)12号車のパンタグラフが走行中に破損、その破片が架線に接触してパンタグラフへ電気を供給するトロリー線を吊っている補助吊架線が切断され、その際発生した火花により線路横の法面の枯れ草が燃える火災が発生。火災はすぐに消し止められたが、品川駅 - 小田原駅間で停電した。「こだま」659号は三島駅まで走行したが、停電区間で立ち往生した上下5本に乗車していた乗客計約3,100人が缶詰め状態になった。16時30分には停電区間は新大阪駅まで拡大。17時13分に全線で運転を再開したが、この事故で東海道新幹線区間だけでも56本が運休し、直通運転する山陽新幹線にも余波が及んだことで14万9000人に影響した。
原因はパンタグラフの集電舟を交換した際、集電舟と上枠を留めるボルトを締め忘れたため、走行中に集電舟が落下し、上枠と補助吊架線が接触したため[14]
同線では翌々日の31日午前6時頃に、停電を起こした区間と同じ新横浜駅 - 小田原駅間でATCに異常があり、午前7時15分まで運転を見合わせた。上下線14本が最大で76分遅れ、約3,800人に影響が出た。JR東海によると、下り始発の「ひかり」493号(N700系)が新横浜駅を発車した直後、前方に列車がないのに走行しているよう誤認させる表示が出た。これは変電所内の電源装置に異常があったといわれているが、関連は不明である。

山陽新幹線事業用車両追突事故

2010年(平成22年)7月22日 4時20分頃(鉄道物損事故)
兵庫県のJR西日本山陽新幹線新神戸駅 - 西明石駅にある、須磨トンネル内において、前を走っていた8両編成の軌道工事用機械車両に、後ろから接近した2両編成のレール削正車が追突した。
この車両には、前方の工事用機械車両との距離が300m以下になると自動的にブレーキがかかる衝突防止装置が付いていたが、運転していた作業員は「砂ぼこりで前が見えにくく、ブレーキをかけたが間に合わなかった」、今回は136mに接近するまで作動しなかったので、間に合わず衝突した。
事故が発生したのは営業運転開始時間前で、事故による死傷者はなかったが、衝撃嵌合してしまった事故車両の切り離し撤去回送に手間取り、山陽新幹線は6時から14時30分まで8時間半にわたって新大阪駅 - 姫路駅間で上下97本の列車が運休し、約6万2500人に影響が及んだ。
事故を受け、国土交通省近畿運輸局はJR西日本に警告文書を発し、JR西日本はこの事故の原因を調査し、ウェブサイトで公開した[15]

岩泉線列車脱線事故

2010年(平成22年)7月31日 7時35分頃(列車脱線事故
岩手県のJR東日本岩泉線押角駅 - 岩手大川駅間を走行中の茂市駅岩泉駅行きの普通列車(キハ110形100番台1両編成)で、運転士が前方の落石シェルター付近で土砂崩れが発生しているのを視認したため非常制動を執ったが、間に合わず土砂へ突っ込み脱線した。乗員2名と乗客7名のうち、運転士と乗客3名が軽傷を負った。当該車両は、前面ガラス窓が破損し、11月18日に撤去されるまで4か月間にわたり現場に残された。
岩泉町内では、29日から30日午後6時にかけて、120ミリの雨量を観測していたが、事故当日は雨量が運行規制値に達していなかったため、通常の速度で運行していたという。
この土砂災害の影響で、8月2日よりバスによる振替輸送を行っていたが、翌年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の影響により、この振替輸送も運休した(3月20日にバス輸送を再開)。
2012年3月30日には、岩泉線を廃線とすることを明らかにした[16][17]2013年11月8日にはJR東日本から廃止届が提出され、2014年4月1日に廃止された。第三セクター鉄道転換を除けば、JR東日本発足以来初の全線廃線となった。

滑河駅列車脱線事故

2011年(平成23年)3月10日 12時35分頃(列車脱線事故
千葉県成田市のJR東日本成田線滑河駅を走行中の東京貨物ターミナル駅鹿島サッカースタジアム駅行き貨物列車(EF65形電気機関車+コキ200形10両編成)のうち、後方2両が脱線し、1両が転覆。乗務していた運転士1名にけがは無かった。
成田線は翌日午前11時頃に運転を再開したが、14時46分に発生した東日本大震災の影響により、再び運転見合わせとなった。

東日本大震災による事故

2011年(平成23年)3月11日 14時46分頃(東日本大震災
この日発生した東北地方太平洋沖地震およびこの地震によって引き起こされた津波により、太平洋沿岸部を中心に鉄道施設に甚大な被害が発生した。常磐線仙石線石巻線などでは、列車が津波に巻き込まれて脱線大破したが、乗務員の適切な避難誘導により、人的被害は最小限にとどめられた。

石勝線特急列車脱線火災事故

2011年(平成23年)5月27日 21時56分頃(列車脱線事故列車火災事故
JR北海道石勝線占冠駅 - 新夕張駅間を走行中の釧路駅札幌駅行きの特急スーパーおおぞら」14号(キハ283系、6両編成)が清風山信号場内で脱線、信号場構内の第1ニニウトンネル内に停止後に全車炎上した。
248名の乗客は車掌の指示で発煙があった車両から別の車両に避難したが、その後乗務員が状況確認や運輸指令との連絡に手間取り、車内にが充満した。乗客が自らの判断で非常ドアコックを使用して外へ避難。煙を吸い込むなどして39名が病院に搬送された[18]運輸安全委員会鉄道事故調査官並びに北海道旭川方面富良野警察署による事故原因調査も実施されている[19]
その後行われた、JR北海道による事故現場調査では、3号車(札幌方先頭から4両目)の列車車両下部の減速機を支える金属部品「吊りピン」(車でいえばプロペラシャフトにあたる)の脱落を確認し[20]、次位の2号車(先頭から5両目)についてはトンネルに入る以前から脱線していたことが判明している[21]。事故2日前に行われた目視検査では、異常が発見されていなかった。道警は事故後、釧路 − 札幌間を捜索したが、脱落した部品は事故から1年以上経過した2012年現在も見つかっていない[20]
なお、乗務員の指示を待たずに非常ドアコックを使用して外へ避難した乗客に対して職員が激怒したことが問題になったが、これは当時の異常時マニュアルで運輸指令の指示がないと乗客を外へ避難させることが出来なかったことが理由とされている。しかしながら、このマニュアルが皮肉にも避難誘導が遅れた原因になった。さらにこうした異常時マニュアルが部署別に多数作成されており、内容もそれぞれ異なっていることが発覚したため、国土交通大臣より事業改善命令を受けている。後にマニュアルは改訂・一本化され、現場の判断での避難も可能とされた。
事故車両は廃車となり、代替車両としてキハ261系気動車が新製された[22]。事故の4か月後の2011年9月には、JR北海道の中島尚俊社長が安全意識の向上を社員に促す遺書を残して自殺し、大きな犠牲を払う結果となった[23]
2013年5月31日、運輸安全委員会は、車輪の剥離やへこみにより生じた異常な振動により部品が脱落したことが、事故の原因になったとする調査報告書を発表した[24]。4両目の車輪の表面が長さ40センチメートルにわたって剥離し[25]、4.5ミリメートルのへこみが生じたことにより[24]、異常な振動が発生し、減速機を固定していた吊りピンが脱落[25]。減速機が垂れ下がって枕木に衝突したり、その衝撃で周辺の部品が脱落したことにより、脱線および火災を招いたと推定している[25]。JR北海道は、運輸安全委員会の求めに応じ、再発防止策をまとめ、7月31日に委員会に提出した[26]。また、車輪の異常摩耗が事故の原因となったことを受け、すり減った車輪を修正する在姿車輪旋盤の増設などの対策に取り組んでいる[27]

小竹向原駅信号ケーブル切断事故

2011年(平成23年) 10月4日 8時54分頃[28](輸送障害)
東京メトロ有楽町線副都心線小竹向原駅付近で、10月1日に隧道内で側壁の切断作業をした際に設置された防護板を、別の作業中に誤って重機で押し出したため仮置きされていた側壁が落下、敷設されていた信号ケーブルを切断した。これにより有楽町線および副都心線、小竹向原駅経由で相互直通運転を行っている西武有楽町線は一時全線で運転見合わせ、さらには直通運転先の東武東上線も直通運転を中止した。その後一部区間で運転を再開するも、全線復旧まで8時間18分を要し、約22万人に影響が出た。この事故を受け東京メトロには関東運輸局より警告文書が出された[29]

西武新宿線東村山駅列車脱線事故

2011年(平成23年)12月24日 16時39分頃[30]列車脱線事故
西武鉄道新宿線東村山駅構内において、ホームに入る直前の西武園駅西武新宿駅行き各駅停車20000系8両編成)のうちの7号車(西武新宿側から7両目)が脱線した。乗客450人を含めけが人はなかったが、同線が全線で運転を見合わせたほか、小平駅 - 所沢駅間は終日運休となりクリスマスの時期であったこともあり、約72,000人の足に影響が出た[31]
本事故では7両目のみが脱線しており、他の車両が無傷であったことが注目に値する。先頭車両に影響がないため、置き石などの障害物が脱線の原因ではなく、当初は原因が分からなかった[32]。事故から5か月後の2012年5月16日になってトングレールの磨耗が原因と推定されると発表した[33]。なお、翌日の始発列車から新宿線は運転を再開しているが、12月30日より平日の競輪開催時と土曜・休日に運転している西武園線から新宿線への直通運転を取りやめ、それぞれ東村山駅で乗り換える形となった。

岐阜貨物ターミナル駅列車脱線事故

2011年(平成23年)12月27日 21時55分頃(列車脱線事故
JR貨物岐阜貨物ターミナル駅にて、着発線から出発し本線へ進出していた、名古屋貨物ターミナル駅福岡貨物ターミナル駅行き1065列車が、機関車を含む27両編成のうち、12、13両目が本線合流部で脱線した。脱線した車両は傾斜したまま走行し、信号機に衝突して停止した。この事故で、後続の貨物列車や、東海道本線の列車に遅れや運休が生じた。本線上に進出していた10両を切り離し、28日1時50分頃運転を再開した。東海道本線で上下24本が運休、27本に最大4時間の遅れが発生した。原因は、岐阜貨物ターミナル駅でコンテナの荷扱いをしていた際、コンテナ緊締装置の開放を失念したまま荷役作業を行って、フォークリフトで12両目の貨車ごと持ち上げ脱線させたのに気付かず、発車させたため[34][35]

石勝線貨物列車脱線事故

2012年(平成24年)2月16日 20時50分頃(列車脱線事故
JR北海道石勝線東追分駅構内で、JR貨物の釧路貨物駅札幌貨物ターミナル駅行き貨物列車(DF200形ディーゼル機関車牽引、貨車15両の16両編成)が停車位置をオーバーランして安全側線に乗り上げ脱線・転覆した上、スノーシェルターの壁を突き破って停車した。死傷者はなかったが、雑誌の発売に大幅な遅れが出るなど、道央道東を運搬する物流に支障が出た。
当該貨物列車は通常東追分駅で停車しないが、バラストと呼ばれる線路に敷かれた石を跳ね上げるのを防止するための減速運転で遅延していた対向列車とのすれ違いによる運転停車を予定していた。このため赤信号でブレーキをかけたものの、ブレーキの効きが悪かった、と運転士はコメントしており、運輸安全委員会の調査の結果、事故原因は、貨車のブレーキ装置に雪が固着してブレーキ装置の作動を阻害し、列車を停車させるための十分なブレーキ力が得られなかったため、と最終的に推定された[36]
この事故により石勝線は追分駅 - 新夕張駅 - 夕張駅間が2月18日まで終日運休となっていた。当該区間を走行する特急は復旧までの間は札幌 - 新夕張間をバス代行[注 7]、普通列車においてもバス代行が行われた。

富山地方鉄道上滝線脱線事故

2012年(平成24年)7月28日 14時45分頃(列車脱線事故
富山地方鉄道上滝線上堀駅付近で、岩峅寺駅電鉄富山駅行き624列車(14760形電車2両編成)が上堀駅に進入する際に、車両の全車軸が脱線した。当該列車には乗客20人が乗車していたが、負傷者は発生しなかった。事故後、現地へ鉄道事故調査官が派遣され、調査の結果枕木の老朽化によってレール間隔(軌間)が過大となり脱線に至ったことが判明した。なお、一部報道では猛暑によるレールの歪みが原因である可能性が高いと報じられていた。
この事故により上滝線は南富山駅 - 月岡駅間が7月29日まで運休となりバス代行輸送が行われていたが、7月30日の始発列車から通常通り運転を再開した。また、事故の影響で車両運用の都合により、本線の一部列車にも運休が発生した。

秩父鉄道広瀬川原車両基地脱線事故

2012年(平成24年)8月6日 9時32分頃(列車脱線事故
秩父鉄道広瀬川原駅構内の広瀬川原車両基地内にて、「パレオエクスプレス」運転のために構内を入れ換え中だったC58形363号機転轍器通過時に進行方向右側へ脱線した。秩父鉄道の発表では係員の手違いが原因とされている。負傷者は発生しなかったが、脱線の影響でC58形363号機は車軸折れや車輪歪みなど損傷が大きく、修理に約半年を要することから「パレオエクスプレス」は2012年内は電気機関車での牽引となっていたが、2013年3月20日の運行よりC58形が復帰した[37]
日本国有鉄道(国鉄)における蒸気機関車全廃後、動態保存運転に使用されていた蒸気機関車が脱線事故を起こしたのは、JR・私鉄を通してこれが初めてである。

江差線貨物列車脱線事故

2012年(平成24年)9月11日 19時50分頃(列車脱線事故
JR北海道江差線釜谷駅 - 泉沢駅間で、JR貨物の函館貨物駅仙台貨物ターミナル駅行き高速貨物列車(機関車1両+コンテナ車20両)が脱線・転覆。死傷者は発生しなかった。本州と北海道を結ぶ唯一の鉄道路線である海峡線(津軽海峡線、江差線の木古内駅 - 五稜郭駅もその一部)を経路とする旅客列車・貨物列車が全列車通過不可能による運休となったことにより、本州と北海道の旅客輸送・物流に大きな影響が出た。

京急本線列車脱線事故

被害車両の1500形1701編成
2012年(平成24年)9月24日 23時58分頃[38]列車脱線事故
京浜急行電鉄本線追浜駅 - 京急田浦駅間で京成高砂三浦海岸行き特急第2268H列車[注 8]1500形電車1701編成・8両)が大雨により崩壊した落石防護柵のコンクリート製の土台と土砂に乗り上げた[39]。1 - 3号車の3両が脱線し、運転士1名と乗客10名が重軽傷を負った。トンネルの手前約20メートル地点で左斜面の土砂が幅11メートル高さ12メートルにわたって基礎もろとも崩壊し、土砂が上下線を支障した。当日横須賀市内では1時間に88ミリの雨が観測されており、この影響で地盤が緩んでいたために土砂崩壊が発生したとみられる。当該の列車は現場を時速75キロメートル(制限速度時速80キロメートル)で走行していた。京急本線では1997年4月にも土砂崩れによる脱線事故があり、その際に大雨による速度規制を5か所設けたが、現場付近は速度規制の対象外だった[40]
翌日9月25日は始発から金沢八景 - 堀ノ内間で運転を見合わせた。10時24分頃から堀ノ内 - 逸見間が運転を再開し、不通区間は金沢八景 - 逸見間となったが、トンネル内の脱線車両の撤去に時間がかかり、全線が復旧したのは3日後の27日朝7時25分頃のことであった。運転見合わせ中は直通運転先の都営地下鉄浅草線京成線北総鉄道北総線にも遅延や運休が発生した。
代行バスを金沢八景 - 汐入間で運行したが、事故現場付近の道路は大渋滞が発生した。Twitterやブログなどではテレビ局をはじめとする各報道機関の情報を書き込む者がいる一方で、現地で取材する車両が迷惑駐車だと問題視した。また、京急線の三崎口、浦賀、横須賀中央方面から横浜・都心方面への唯一の鉄道路線となったJR東日本横須賀線には利用者が集中したが、横須賀線の横須賀 - 久里浜間は単線で、15分間隔より運行本数を増発できなかったため、久里浜駅などでは入場制限を伴うなど、この地域の交通は大混乱に陥った。
なお、神奈川県警察は任意で当該列車の運転士に対し業務上過失傷害容疑で事情聴取し、事故当時の詳しい状況を聴いた[41]
国土交通省運輸安全委員会は調査を実施し、事故から約1年後の2013年9月27日に調査報告書を発表した[42]。この中で、土砂に流された防護柵のコンクリート製の土台を巻き込んだ影響で、列車は1メートルも跳ね上がっていたことが明らかになった[42]。報告書では、京急電鉄が災害を事前に予測することは困難であったとした一方、運転規制区間の見直しが必要と指摘した[42]。事故後、京急は、現場の斜面について、コンクリートで補強したり、落石検知装置を設置したりするなどの対策をとった[38][43]。約10億円をかけ、沿線で防護柵や落石検知装置などの再発防止対策をとったうえ、大雨の際の運転規制についても見直した[38]
事故の当該編成である1701編成は2013年10月に廃車となった。

鹿児島中央駅構内列車脱線事故

2012年(平成24年)10月14日 22時頃(列車脱線事故
JR九州鹿児島本線鹿児島中央駅構内で、同駅発川内行き普通列車(2両編成)が発車直後に脱線し、2両目が分岐器の両位に跨る形でしばらく進行したあと、異常に気づいた運転士が制動し停止した。乗員、乗客ともにけが人はいなかった。脱線した地点は発車地点から40メートルほどで、2両目の前方と後方台車が脱線し、前方台車は復線した。分岐器は左方に開通していたが、脱線した後方台車は開通していない右方に持っていかれたと見られる。運転士は乗客が騒いだので異常に気づき、後方を視認したところ車両が斜行していたという。本事故発生を受けて運輸安全委員会から鉄道事故調査官が現地に派遣された[44][45][46]

三里駅構内列車脱線事故

2012年(平成24年)11月8日 9時39分頃(列車脱線事故
三岐鉄道三岐線三里駅構内で、西藤原行き列車(3両編成)が安全側線に突っ込み、車止めを突破して脱線、先頭車の台車や中間車のパンタグラフなどが破損した。負傷者・死傷者は発生しなかった。原因は、出発信号機が停止現示でありながら運転士がそれに気がつかず発車させたためと見られている。これにより事故当日より保々 - 西藤原間にてバスによる代行運行が行われ、事故当日夕方より梅戸井 - 西藤原間が代行運行になった。現場はクレーンなどの機械の搬入が困難であったことから、被災編成の先頭車851系クハ1881は翌日午後より現地解体された。[要出典]

山陽電気鉄道荒井駅列車脱線事故

イベントラッピング時の被害車両
事故時に破壊されたベランダ
2013年(平成25年)2月12日 15時50分頃(列車脱線事故踏切障害事故
兵庫県高砂市荒井町南栄町の山陽電気鉄道本線荒井駅近くの踏切で、山陽姫路阪神梅田行き直通特急(6両編成)と自動車運搬用トラックの後部が接触して先頭の2両が脱線して、電車はそのまま沿線の住宅の外壁やベランダなどを破壊しながら進行し、先頭車両が荒井駅のホームに激突して停止した。
自動車運搬用トラックが踏切を横断した際に、約10メートル先の交差点で信号待ちをしていた車があったため渡り切れず、下りてきた遮断棹が、直立収納状態にあった後部スロープ板(自動車を積載乗降させる際に使用する道板)に挟まってしまい、気付いたトラック運転手がスロープを地面に下ろして遮断棹を外し、トラックを前に進めようとしていたところ、下ろしたスロープに直通特急の車輪が乗り上げて脱線した。これにより、トラック運転手が列車往来危険罪および過失傷害罪で逮捕された。

秋田新幹線脱線事故

2013年(平成25年)3月2日 16時過ぎ(列車脱線事故
秋田県大仙市奥羽本線秋田新幹線神宮寺駅 - 刈和野駅間にて、東京発秋田行き「こまち」25号(E3系6両編成)が吹雪の中を時速20kmで徐行走行中、吹き溜まりに乗り上げ先頭車両が脱線した。事故原因は三線軌条でありながら、在来線規格の除雪車で在来線車両限界範囲の除雪しか行わなかったため、外側の新幹線用レール上の積雪が厚く残ってしまい在来線車両では脱線しなかったのに対し、新幹線車両では25cmのズレが生じて乗り上げ脱線してしまったもの。乗客約130人にけがはなかったが、約6時間車内に閉じ込められた後、バスで救出された。この事故の影響で秋田新幹線は翌日まで盛岡駅 - 秋田駅間(後に大曲駅 - 秋田駅間に短縮)で運転を見合わせた。
営業運行中の新幹線車両の脱線事故は、新潟県中越地震による上越新幹線脱線事故以来2度目。

東海道本線列車脱線事故

2013年(平成25年)4月7日 20時40分頃(列車脱線事故踏切障害事故
神奈川県茅ヶ崎市のJR東日本東海道本線茅ヶ崎駅 - 平塚駅間の十間坂踏切にて、踏切内に立ち往生した軽自動車と沼津発上り東京行き普通電車(E231系10両編成)が衝突、200mほど軽自動車を引きずった後停止、先頭車両が脱線した。軽自動車に乗っていた男女は衝突直前に脱出し怪我はなかったが、乗客300名のうち1名が軽傷を負った[47]。この事故の影響で東海道本線は藤沢 - 小田原駅間で終日運転を見合わせ、翌8日13時過ぎに事故編成を自走で茅ヶ崎駅構内の留置線に収容し、15時頃に完全に復旧した。
なお、事故現場は歩行者専用踏切で、車両進入を阻むポールが踏切の手前に立っていたが、この踏切には自動車通行止めを示す標識や看板は設置されていなかった[48](事故後、自動車通行止めを示す看板を設置[49])。軽自動車の運転者は道に迷ってしまい[50]ポールをすり抜け踏切に進入し、その後バックして踏切外へ出ようとして脱輪した。

神戸電鉄列車脱線事故

2013年(平成25年)5月28日 19時59分頃(列車脱線事故
神戸電鉄三田線有馬口駅を出発した新開地駅道場南口駅行き普通列車(4両編成)運転士が、分岐器部分で異常な振動を感じて停車したところ、前から2両目の前台車全2軸が進行方向右側に脱線していた。原因は分岐器の形状であった。 同駅では2006年にも別の分岐器で2回の脱線事故が発生している。
事故の影響で有馬線谷上駅 - 有馬温泉駅、三田線有馬口駅 - 岡場駅間が5月31日まで運転見合わせとなったが、6月1日の始発列車より運転を再開した。ただし、事故の影響で有馬口駅構内の分岐器を暫定的にダブルスリップスイッチから片開き分岐器に交換し、有馬線からの渡り線の撤去・有馬線側の片開き分岐器の鎖錠を行った。そのため、新開地方面から有馬温泉駅への配線が無くなったことから、同日にダイヤ修正を実施した。また、この配線は暫定措置であるため、最終的にはこの分岐器をダイヤモンドクロッシングへ交換する予定とされる。

函館本線特急列車出火事故

出火を引き起こしたエンジンと同形式のDML30系エンジン
2013年(平成25年)7月6日 15時45分頃[51]列車火災事故
JR北海道函館本線鷲ノ巣駅 - 山崎駅間を走行中の札幌駅函館駅行きの特急「北斗」14号(キハ183系[52]8両編成)のうち、キハ182-2557[53]の床下のエンジン付近から出火[51]、山崎駅構内で非常停止した[54]。火はすぐに消し止められ、車外に避難した乗客約200人にけがはなかったが[51]、出火元の4号車の側面は黒く焼け焦げた[55]。出火したディーゼルエンジンは、DML30系であった。同型のエンジンに関しては、2012年9月18日に千歳線新札幌駅で、同じく特急「北斗」のエンジンから冷却水と潤滑油が漏れるトラブルがあったほか[56]、2013年4月8日にも函館本線八雲駅に停車中の特急「北斗」のエンジンから出火するトラブルが発生したばかりであった[56]。これらのトラブルについては、スライジングブロックと呼ばれるエンジンの燃料噴射ポンプ内の部品が破損したことが原因とみられており[57]、JR北海道は同型エンジンのスライジングブロックを4月に全て交換したばかりであったが、約3か月という短期間で再び事故が発生した[57]
国土交通省運輸安全委員会は、事故につながるおそれがある重大インシデントに当たると判断[58]、車両の保全命令を出し[59]、8日に鉄道事故調査官2名をJR北海道苗穂運転所に派遣した[60]。また、同日に国土交通省北海道運輸局は、局長名での文書指導を行った[60]。JR北海道に対する局長名での文書指導は、2011年5月の石勝線特急列車脱線火災事故以来となる[60]。11日には、国土交通副大臣鶴保庸介がJR北海道社長の野島誠を国土交通省に呼んで注意喚起を行い[61]、翌12日には国土交通大臣太田昭宏が安全確保の徹底を求めたが[62]、直後の15日にもねじの緩みが原因で[63]千歳線を走行中の特急列車「スーパーおおぞら」3号の配電盤から出火するトラブルが発生[64]、22日にはナットの緩みが原因で[63]根室本線を走行中の「スーパーとかち」1号のディーゼルエンジンの内部が破損し、発煙や油漏れが起きた[65]。このため、国土交通省がJR北海道に対し、車両整備についてJR東日本に技術的協力を要請するよう指示をする異例の事態となり[66]、JR北海道はJR東日本に車両保守について協力を求めることとなった[67]。また、JR北海道は、車両のメンテナンスに時間的余裕を持たせるため、これまでの方針を転換し、特急の減速や減便を行うダイヤ変更を11月に行うこととなった[68]。鉄道事業者が、安全対策のために減速・減便のダイヤ変更を行うのは、極めて異例のことである[68]
運輸安全委員会の調査では、今回も4月のトラブルのときと同様、スライジングブロックとエンジン内のピストンの一部が破損していた[69]。また、今回の事故では、エンジンに直径約10センチメートルもの穴が開いており[56]、非常停止した地点の2キロメートル手前からエンジンの潤滑油が漏れた跡が残っていた[54]。JR北海道は、DML30系エンジンを搭載する車両36両について、事故原因が判明するまで運行を取り止めることとなり[70]、北海道運輸局も事故原因の究明と再発防止策の確立がなされるまで運行禁止する措置を執った[62]。なお、同型エンジンを搭載していたキハ66・67系は全車両がエンジンを換装したため運用の禁止措置が執られなかった。この結果、繁忙期にもかかわらず札幌・函館間の特急の本数は約3分の2となり、利用者に大きな影響が出た[71]

函館本線貨物列車脱線事故(2013年8月)

2013年(平成25年)8月17日 1時5分頃[72]列車脱線事故
JR北海道函館本線八雲駅 - 山越駅間を走行中の札幌貨物ターミナル駅福岡貨物ターミナル駅行き貨物列車(21両編成)が倒木と衝突し停車、機関車貨車3両が脱線した[73]。線路下を流れる熱田川の氾濫の影響で、土砂が流出して線路が宙に浮いた状態となっており、浮いた線路や倒木が脱線の原因となったとみられている[73]国土交通省運輸安全委員会は鉄道事故調査官2名を現地に派遣[73]、委員会の調査によれば、機関車の排障器に大きなへこみが見つかっており、たわんだ線路に衝突したか、倒木に乗り上げた可能性があるとみられている[74]。事故現場は、8日前の9日にも土砂が流出したばかりの場所であった[72]。同様の流出は2010年8月の台風による大雨でも発生しており、JR北海道、国土交通省北海道開発局函館開発建設部、八雲町の3者は、治水対策を進めていたが、9日に降った雨は、この治水対策の目安を大きく上回っていた可能性があるとみられている[75]。3者は、熱田川の氾濫を防止するため、計画していた治水対策に加え、新たに流水溝を設置する方針を固めている[76]
この事故の影響に加え、翌18日の午前10時すぎには、函館本線東山駅 - 姫川駅間で線路に土砂が流入し、臨時特急列車が緊急停車する事故も発生[77]、お盆の帰省客などに大きな影響が出た[78]函館本線特急列車出火事故に伴う運休も重なり、2013年のお盆のJR北海道の利用者は前年に比べ11パーセントも減少する事態となった[79]

函館本線貨物列車脱線事故(2013年9月)

2013年(平成25年)9月19日 18時5分頃[80]列車脱線事故
北海道亀田郡七飯町のJR北海道函館本線大沼駅構内にて、ジャガイモを輸送中の帯広貨物駅熊谷貨物ターミナル駅行き貨物列車(18両編成)の6両目から9両目が、分岐器(ポイント)付近を通過時に脱線した[80]。脱線した車両は大きく傾き、一部の台車には砂利がめり込んだ[80]国土交通省運輸安全委員会の鉄道事故調査官は翌20日午前から調査を実施[80]、委員会によれば、脱線現場付近のレールの幅が、分岐器の手前で規定より最大37ミリメートルも広がっていた[81]。また、JR北海道は巡回点検で現場のレール幅の異常を把握しながら、1年以上も放置していた[82]。また、その後の調査で、事故現場以外にも多数のレールの異常を補修せずに放置していたことが判明した[83]
国土交通省は21日から、鉄道事業法に基づき特別保安監査を実施した[84]。特別保安監査は緊急的に行われるもので、死傷者のいない事故で実施されるのは異例のことである[84]。当初は23日までの予定で、4人で保線部門を監査していたが、次々にJR北海道の不備が判明したため、監査員を9人に増員したうえ、27日まで監査を延長し、全部門を監査する事態となった[84]。またの菅義偉官房長官が、レールの異常を放置していたことは極めて悪質であると批判し、監査の徹底を国土交通省に指示[85]、これを受け、国土交通省は監査態勢を20人に増員し、対象も全支社に拡大したうえで監査を実施した[86]。また、特急列車の非常ブレーキが作動しない状態のまま運行していた問題が発覚したことなどを受け[87]、10月9日から12日にかけて[87]、16人態勢で追加の特別保安監査を行った[88]。また、過去に例のない大規模な監査となったため、国土交通省は特別保安監査の結果をまとめる前に、JR北海道に改善指示を出すという異例の対応をとった[89]
JR北海道では、レールの補修状況を本社に伝える体制となっていなかった[86]。この事故の直後には、次々に他のトラブルも露呈した。24日の会見中には、普通列車から発煙するトラブルがあったことが判明[86]。また、同日に特急「オホーツク」のブレーキ部品が脱落するトラブルも発生した[90]。1回目の特別保安監査直後の10月1日にも、特急「スーパー北斗」が工事のため徐行すべき区間で、制限速度を時速35キロメートル超過して運転する事案が発生[91]、また同日には、9月に自動列車停止装置 (ATS) を破壊する問題を起こした運転士が保守部門に異動していたことも判明した[92]。この他にも、特急「オホーツク」が、ATSなどの保安装置が作動しない状態のまま営業運行していたことも発覚した[93]。こうしたトラブルが続発する背景としては、不採算路線を抱え経営環境が厳しいことや[83]、ミスを責められ、意見を言いにくい雰囲気が情報共有を妨げているとの見方[94]、また、労働組合間の対立が情報の伝達を阻害しているという見方もある[95][96]

横浜線川和踏切死傷事故

2013年(平成25年)10月1日 11時30分頃(踏切障害事故鉄道人身障害事故
横浜市緑区中山町のJR横浜線・川和踏切で、遮断中の踏切内に倒れていた同区の高齢者男性を助けようと踏切内に入った女性が、男性とともに電車に触車し、女性は死亡、男性は重傷を負った。
神奈川県警察によると、現場は警報機と遮断機のある幅10.8mの踏切で、女性は、父親が運転する乗用車の助手席に乗り、踏切待ちをしていたが、踏切内に倒れていた男性に気付いて車を降り、踏切内に入ったという。
女性は、男性に気付くと「助けなきゃ」と叫び、父親が「間に合わないから駄目だ」と制止したのを振り切り、助手席から飛び出したものの、二人とも触車に遭ったという。女性の父親によれば、「娘は正義感や使命感の強い人間だった」と語っている。
なお、女性には、紅綬褒章(および女性の遺族に銀杯[97])、「勇気ある行為を称えるとともに弔意を表するため」また「他人にあまり関心を払わない風潮の中、自らの生命の危険を顧みず男性の救出に当たったことに対し、国民とともに胸に刻みたい、という思い」として[98][99]内閣総理大臣安倍晋三の書状、警察庁警察協力章神奈川県警察本部長緑警察署署長感謝状が贈られた[100]
ただし、救助者が死傷する二重事故を防ぐ観点からは非常停止ボタンを押すなど、接近する列車を急遽停止させる防護処置を行うのが先決であり、防護処置を行わずに遮断棹の下りた踏切に勝手に入ることには否定的意見もある[101]

東武鉄道東上線踏切接触事故

2014年(平成26年)1月29日 6時50分頃(踏切障害事故
東武東上本線新河岸駅 - 上福岡駅間の踏切で、新木場駅川越市駅行の下り普通D571S電車(10両編成)が踏切に進入した無人の軽自動車と衝突し、軽自動車が大破した。当該電車の乗客約300人に怪我はなく[102]、約1時間後700m先の新河岸駅まで徒歩で移動した。
軽自動車を運転していた女性が踏切待ちで停止中、近くにあったポストに郵便物を投函しようと車を離れた際、セレクトレバーをDレンジに入れたまま車を降りたため、無人となった車がクリープ現象により動き出して踏切内に進入したことが原因。
この影響で東武東上線は志木 - 小川町間で4時間に渡り運転を見合わせたため、直通運転を行っている東京メトロ有楽町線・副都心線・東急東横線・みなとみらい線・西武池袋線などにも影響を及ぼし、通勤・通学客を含む約9万5千人に影響が出た[103]

東急東横線元住吉駅追突事故

2014年(平成26年)2月15日 0時30分頃(列車衝突事故
川崎市中原区の東急東横線元住吉駅内において、渋谷駅元町・中華街駅行きの下り各駅停車(8両編成)が、駅に停車中だった先行列車の渋谷発元町・中華街行きの下り各駅停車(8両編成)に追突、後続列車の1 - 2両目が脱線した。当時は平成26年豪雪により運行ダイヤが大幅に乱れていた。
この影響で東急東横線は渋谷 - 菊名間で運転を中止し、乗り入れ先の東京メトロ副都心線・東武東上線・西武有楽町線・西武池袋線との直通運転中止および一部列車運休、および目黒線武蔵小杉 - 日吉間で運転を見合わせ、翌16日よりいずれも平常運転に復帰した[104]。負傷者は19名でいずれも軽傷(2014年2月16日現在)。

京浜東北線脱線転覆事故

2014年(平成26年)2月23日 1時11分頃(列車衝突事故列車脱線事故
川崎市川崎区のJR川崎駅構内で、京浜東北線蒲田駅行き北行[注 9]回送電車(E233系1000番台)が、軌道上の工事用車両を衝撃、先頭の1 - 2両目が脱線して1両目が脱線横転、運転室を大破、2両目も傾斜して停止した。この事故により、回送電車の運転士と車掌の2人が軽傷を負った[105][106]
この影響で京浜東北・根岸線は2月23日いっぱいまで蒲田 - 鶴見間で運転を見合わせた。24日未明に事故列車を側線に移動させたことで、24日の始発から運転を再開した。このため、運転見合わせ中は並行して走っている東海道本線との乗り換えが必要だった。また、復旧作業による送電停止の影響で、南武線の川崎 - 武蔵中原間で同日午前10時から11時頃まで運転を見合わせた[107]

小田急小田原線相模大野駅構内列車脱線事故

事故車両と同形式の車両
2014年(平成26年)6月19日 18時09分頃(列車脱線事故
小田急電鉄小田原線相模大野駅構内にて、隣接する大野総合車両所より出庫して駅ホームへ走行中であった回送電車(6両編成)のうち、3・4・6両目の計3両が出庫線と本線が合流する分岐器付近で脱線した[108]。乗客はおらず、乗務員を含め人的被害はなかったものの、パンタグラフが架線を切断し停電が発生、小田急線は一時全線で運転を見合わせた[109]。その後も事故被災車両の移動や破損した分岐器の復旧に時間を要したことから、小田原線新百合ヶ丘相武台前間および江ノ島線相模大野 − 大和間については終日運休となった[108]
この事故の影響により、19日終電までに上下列車計288本が運休し、事故発生時刻が夕刻ラッシュ時間帯と重なったこともあり約15万人の利用客が影響を受けた[108]。また、特急ロマンスカーおよび地下鉄千代田線への直通列車が翌20日にかけて全面運休となった[110]

指宿枕崎線特急「指宿のたまて箱」脱線事故

事故の被害車両である「指宿のたまて箱」
2014年(平成26年)6月21日 11時07分頃(列車脱線事故
JR九州指宿枕崎線指宿駅鹿児島中央駅行きの特急列車「指宿のたまて箱」2号(キハ40系・キハ47 8060+キハ47 9079)が生見駅 - 薩摩今和泉駅間を走行中、直前に発生した土砂崩れで線路に流入した土砂に乗り上げて脱線、同じく流入した倒木に衝突して車両の前面が破損。乗員・乗客計15人が重軽傷を負った[111]。事故当時は豪雨により、枕崎市では6月の降雨記録を更新していた。
この影響で、事故発生時から指宿枕崎線の喜入駅 - 指宿駅間は終日運休、事故から3日後の6月24日までに脱線車両を撤去、土砂崩れの起きた斜面の補修などの安全対策を終えて6月28日の始発列車から運転を再開した。
JR九州は、この影響で当該区間の特急・快速・普通列車計358本が運休、2万9600人に影響が出たと発表した。なお、事故の被害列車である「指宿のたまて箱」は当該区間の運転再開後も車両の修理のため引き続き運休となり、2014年7月12日に運転を再開した。なお、運休期間は同時刻、同停車駅で臨時快速列車を運行した[112]

流鉄流山線踏切事故

2014年7月11日午後2時5分頃(列車脱線事故踏切障害事故
千葉県松戸市大谷口流鉄流山線小金城趾駅 - 幸谷駅間の踏切で、流山発馬橋行き普通電車(5000系・2両編成)と乗用車が衝突し、電車の1両目前半分の車輪が脱線した。千葉県警の調べでは乗用車に乗っていた男性と女性は骨盤が折れるなどの重症だったが、搬送先の病院で死亡が確認された。電車の乗客約20人のうち男性1人が体の痛みを訴え、病院に運ばれた。現場の踏切は遮断機と警報機がなく、車1台が通行できる程度の幅しかなかった。運転士は「踏切内に車が見えたので警笛を鳴らしたが、ブレーキが間に合わなかった」と話している。当日は終日全線不通となった。

脚注

注釈

  1. ^ 発条転轍器の反位側からの通過だが、鎖錠装置付のため事前に手動解錠操作が必要であり、これを失念したものである。また運転士からは鎖錠の状態が確認出来ないことから、鎖錠解錠の確認は派遣駅長が行うべき業務である。
  2. ^ 工務区副長は直前の業務を中断し、携帯電話で助言をしつつ自動車で現場に向かったが、事故には間に合わなかった。
  3. ^ 2012年3月17日から伊勢崎線のうち、浅草駅 - 東武動物公園駅間は「東武スカイツリーライン」の愛称が与えられている。
  4. ^ 同日の10時35分には強風の影響で架線に飛来物が付着した影響で1 - 2時間程度運転を見合わせていた。
  5. ^ 復旧は翌日昼以降に滝川 - 旭川間がされており、それまでの同区間はバスによる代行運転となっていた
  6. ^ 789系1000番台は同系基本番台やキハ261系・キハ281系・キハ283系とは異なり、製造当初から貫通路部分が乗務員室内の領域で完全に仕切られているため一般客の立ち入りは元からできない構造となっている。
  7. ^ 新夕張駅に臨時停車し代行バスに乗り換える処置がなされた。なお、当該区間を走行する特急は指定席(グリーン席を除く)を全て自由席に振り替え、乗客を極力乗車させる兼ね合いから通常の6両編成を最大9両編成に連結し対応した
  8. ^ 京成高砂→押上間は普通、押上→三浦海岸間は特急。
  9. ^ 京浜東北線は東京駅を通過するため、下り・上りは使わない。大宮方面を北行、大船方面を南行としている。

出典

  1. ^ 運輸安全委員会による調査報告 (PDF)
  2. ^ 竹ノ塚事故、元保安員に実刑 ライブドアニュース 2006年2月3日より
  3. ^ 東武伊勢崎線竹ノ塚駅付近における緊急踏切対策について(平成17年4月22日・東京都)
  4. ^ 京成本線京成高砂駅付近における踏切対策について(平成18年7月3日・東京都)
  5. ^ 踏切交通実態総点検および踏切対策の推進について(平成18年10月・国土交通省)
  6. ^ 東武伊勢崎線(竹ノ塚駅付近) 連続立体交差事業の概要 - 足立区・東武鉄道株式会社 (PDF)
  7. ^ 足立区/竹ノ塚駅付近鉄道高架化工事の起工式を開催
  8. ^ 日本経済新聞2009年7月8日15面(首都圏経済面)
  9. ^ 鉄道事故調査報告書 RA2007-4 九州旅客鉄道株式会社後藤寺線新飯塚駅構内列車衝突事故
  10. ^ 国土交通省 鉄道事故調査報告書 RA2008-1
  11. ^ 列車事故:特急とトラック衝突 乗客ら25人軽傷 北海道 - 毎日新聞 2010年1月29日(2010年2月1日時点のアーカイブ
  12. ^ JR電車編成表2011夏
  13. ^ JR北海道、特急先頭座席を撤去 函館線の踏切衝突事故受け - 47NEWS 2010年5月25日
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  15. ^ 山陽新幹線新神戸から西明石駅間での保守用車の追突について - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2010年8月23日(2010年9月4日時点のアーカイブ
  16. ^ 岩泉線 復旧を断念、廃線へ 鉄道コム 2013年1月14日閲覧。
  17. ^ 岩泉線(茂市〜岩泉)について (PDF) - 東日本旅客鉄道株式会社 2012年3月30日
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  24. ^ a b 「車輪のへこみ原因 JR石勝線脱線 振動で部品脱落 安全委報告」『日本経済新聞』 2013年5月31日付け夕刊、14面。
  25. ^ a b c 「「車両検査の体制不十分」小池社長責任認める JR石勝線脱線炎上」『読売新聞』 2013年6月1日付け朝刊、北海道35面。
  26. ^ 「石勝線事故受け対策を国へ発送 JR北海道」『北海道新聞』 2013年8月1日付け朝刊、31面。
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  29. ^ 東京地下鉄株式会社に対する警告文書の発出について (PDF) - 関東運輸局 過去のプレス情報 2011年10月4日[リンク切れ]
  30. ^ 東村山駅構内における脱線事故について(お詫び) (PDF) - 西武鉄道からのお知らせ、2011年12月25日(2012年1月17日時点のアーカイブ
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関連項目