江ノ島電鉄
本社 | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
略称 | 江ノ電 |
本社所在地 |
日本 〒251-0035 神奈川県藤沢市片瀬海岸一丁目8番16号 |
本店所在地 |
〒251-0035 神奈川県藤沢市片瀬海岸一丁目4番7号(江ノ島駅) |
設立 |
1926年(大正15年)7月10日 (江ノ島電気鉄道株式会社) |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 7021001000294 |
事業内容 | 鉄道運輸事業、運行管理受託事業、観光事業、不動産事業など |
代表者 | 深谷研二(代表取締役社長) |
資本金 | 3億円(2010年3月31日時点) |
発行済株式総数 | 600万株(2011年3月31日時点) |
売上高 |
連結: 119億2690万4000円 単独: 60億4941万円 (2011年3月期) |
営業利益 |
連結: 5億3393万9000円 単独: 4億4037万9000円 (2011年3月期) |
純利益 |
連結: 2億7390万円 単独: 2億1191万2000円 (2011年3月期) |
純資産 |
連結: 48億8593万9000円 単独: 43億5506万円 (2011年3月31日時点) |
総資産 |
連結: 192億398万5000円 単独: 184億3690万5000円 (2011年3月31日時点) |
従業員数 |
連結: 701人、単独: 216人 (2011年3月31日時点) |
決算期 | 3月末日 |
主要株主 |
小田急電鉄 55.83% 神奈川中央交通 8.50% 中央三井信託銀行 2.08% 横浜銀行 1.14% (2011年3月31日時点) |
主要子会社 |
江ノ電設備管理株式会社 100% 江ノ電商事株式会社 100% 江ノ電バス藤沢 100% 江ノ電バス横浜 100% |
関係する人物 | 雨宮敬次郎(第五代目社長) |
外部リンク | http://www.enoden.co.jp/ |
特記事項:1949年8月1日に江ノ島鎌倉観光株式会社へ、1981年9月1日に現商号へ商号変更。路線開業は1902年9月1日。 |
江ノ島電鉄株式会社(えのしまでんてつ)は、神奈川県藤沢市に本社を置く、民間の鉄道事業者である。一般に江ノ電(えのでん)と略称される。神奈川県内に1つの鉄道路線(江ノ島電鉄線)を有する小田急電鉄系の鉄道会社である。
鉄道事業のほか、関係会社の株式会社江ノ電バス藤沢および株式会社江ノ電バス横浜からの路線バス・貸切バス・特定バス運行管理受託事業、不動産業、観光業も行う。かつては子会社によって百貨店業も営み、藤沢駅に「江ノ電百貨店」もあったが、1985年からは小田急百貨店藤沢店になっている。
歴史
- 1900年(明治33年)11月25日 江之島電氣鐵道株式会社設立総会[1]。
- 1900年(明治33年)12月 高座郡藤沢大坂町で、江之島電氣鐵道株式会社設立(現在とは別法人)[1]。
- 1902年(明治35年)9月1日 藤沢 - 片瀬(現・江ノ島)間を開業[1]。以後順次延伸され、1910年(明治43年)11月4日に小町(後の鎌倉、現在廃止)まで開業[1]。
- 1911年(明治44年)10月3日 横浜電気株式会社という電力会社に買収され、「横浜電気株式会社江之島電気鉄道部」の運営となる[1]。
- 1921年(大正10年)5月1日 横浜電気が東京電燈株式会社に買収され、同線の運営も引き継ぐ[1]。
- 1926年(大正15年)7月10日 江ノ島電気鉄道株式会社(現・法人)設立[1][2]。
- 1927年(昭和2年)7月 江ノ島電気鉄道が路線バス事業を開始[1](1929年(昭和4年)に撤退)[3]。
- 1928年(昭和3年)7月1日 江ノ島電気鉄道が東京電燈江之島線を買収[1]。
- 1931年(昭和6年)10月10日 路線バス事業に再参入。
- 1938年(昭和13年)10月20日 東京横浜電鉄(現在の東京急行電鉄)の傘下に入る。
- 1944年(昭和19年)11月 軌道業を地方鉄道業に変更[1]。
- 1944年(昭和19年)11月28日 神奈川中央乗合自動車(現・神奈川中央交通)にすべての路線を譲渡し、路線バス事業から撤退。
- 1947年(昭和22年)3月15日 東急持ち株の大部分が放出され、東急グループを離脱。
- 1949年(昭和24年)3月1日 鎌倉(旧・小町)駅を国鉄(当時)鎌倉駅構内に移転し、鎌倉駅への乗り入れを開始。
- 1949年(昭和24年)5月12日 東京証券取引所に上場[1]。
- 1949年(昭和24年)6月20日 神奈川中央乗合自動車から路線を譲受し、路線バス事業を再開。
- 1949年(昭和24年)8月1日 江ノ島鎌倉観光株式会社に商号(社名)を変更[1]。
- 1951年(昭和26年)3月25日 江ノ島熱帯植物園開園[1]。江の島展望灯台(初代平和塔、東横電鉄(現:東京急行電鉄)多摩川園のパラシュート塔を移設改修)竣工。
- 1951年(昭和26年)5月 江ノ島自動車駐車場営業開始[1]。
- 1952年(昭和27年)8月 不動産業営業開始[1]。
- 1953年(昭和28年)6月 貸切自動車業開業[1]。
- 1953年(昭和28年)8月1日 小田急電鉄の関連会社となる。
- 1959年(昭和34年)7月23日 江ノ島エスカー営業開始[1]。
- 1963年(昭和38年)10月 上場基準変更により東証第2部へ指定替え[1]。
- 昭和40年代前半頃、モータリゼーションの影響で利用者が低迷し、江ノ島電鉄線の廃線が検討の俎上に。
- 1967年(昭和42年)10月 株式会社江ノ電ツーリスト(後の江ノ電商事株式会社)設立[1]。
- 1972年(昭和47年)1月 東海建工株式会社(後の江ノ電設備管理株式会社)設立[1]。
- 1974年(昭和49年)5月 江ノ電ビル(賃貸業施設)営業開始[1]。
- 1976年(昭和51年)10月17日 江ノ電が注目されるきっかけになったテレビドラマ「俺たちの朝」が日本テレビ系にて放映開始。また、翌1977年(昭和52年)10月24日に放映されたNHK「新日本紀行」で江ノ電を扱った「湘南・電車通り」は2回再放送される程の大反響を呼ぶ。
- 1979年(昭和54年)6月30日 東京証券取引所上場廃止[1]。
- 1979年(昭和54年)7月 日本証券業協会店頭取扱銘柄となる[1]。
- 1980年(昭和55年)7月13日 1000形電車が鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞。
- 1981年(昭和56年)9月1日 江ノ島電鉄株式会社に商号(社名)を変更[1]。
- 1985年(昭和60年)8月 本社屋を現在地に竣工[1]。
- 1990年(平成2年) 1989年度の決算報告において、1975年以来の累積赤字が解消されたと発表。
- 1998年(平成10年)8月12日 江ノ電バス株式会社(後の株式会社江ノ電バス藤沢)設立[1]。以降、バス事業を順次分社。
- 1998年(平成10年)11月11日 拡張型心筋症を患っていた当時16歳の少年が極楽寺駅近くの極楽寺検車区内で106形108号電車を運転。これはボランティア団体「メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパン」を通じて実現したが、少年は3日後の14日に死去。
- 2002年(平成14年)10月15日 創業100周年を記念して、サザンオールスターズの『鎌倉物語』と原由子の『あじさいのうた』の歌碑が江ノ島や長谷など6駅で12月29日まで展示。また同時期に藤沢駅と鎌倉駅の発車メロディが『鎌倉物語』になる。→これに関する詳細
- 2003年(平成15年)4月28日 江の島展望灯台(のちに「江の島シーキャンドル」と改称)竣工[1](旧展望灯台は解体撤去)。
- 2005年(平成17年)8月27日 1998年11月11日の実話(上記参照)をドラマ化した『小さな運転士 最後の夢』が日本テレビ系24時間テレビ「愛は地球を救う28」の中で放送され、放送後短期間に江ノ電利用者が増加するまでに反響を呼ぶ。それ以外でも何度かメディアで取り上げられている(映画や『奇跡体験!アンビリバボー』(フジテレビ系)など)。
- 2007年(平成19年)3月18日 鉄道全線と路線バスの一部でPASMO導入。同時にSuicaも利用可能に。
- 2007年(平成19年)6月 株式会社江ノ電バス横浜設立[1]。
- 2008年(平成20年)12月22日 1998年11月11日に電車を運転した少年(上記参照)の遺族宛に少年を電車の運転士[4]に命ずる辞令書を手渡して「夢の続きとして扱ってください」と江ノ電が表明し話題となる。
- 2009年(平成21年)10月14日 京福電気鉄道と姉妹提携締結。
- 2010年(平成22年)11月4日 全線開通記念日を祝し、鎌倉駅で開通当時の車両をイメージした車両(21F)の運転を開始。外観はラッピング処理だが、木目のわかる木造車両をイメージしたものである。
鉄道事業
東京から一時間弱という距離ながら、単線でローカル線の雰囲気を満喫でき(日中12分間隔運転なので不便ではない)、なおかつ、沿線が若々しく明るいイメージの湘南と、かつて幕府があった古都鎌倉であり、著名な観光名所や名勝が多数存在し、さらに車両と路線が特徴的で被写体になりやすいところから、テレビドラマやグラビア写真の撮影に利用されることが非常に多い(一部著作への出演については後述)。
社名の「江ノ島電鉄」で呼ばれることは、小田急江ノ島線・JR東海道線・JR横須賀線の乗り換え放送で「江ノ島電鉄線」と案内される以外にはほとんどなく、一般人や会社自身も専ら「江ノ電」と呼んでいる。
地下鉄・モノレール・新交通システムを除き、通常の乗降スペースすべてに上屋(屋根)が掛かっているのは、日本で唯一、江ノ島電鉄だけである。
2009年10月14日より京福電気鉄道(嵐電)と営業面での提携をすることになった。これは、京福が開業100年、江ノ電が全通100年になるのを記念し、同じ古都を走る路面区間を持つ鉄道会社同志ということで始まったもので、国内の鉄道会社同士がこの様な姉妹関係を締結するのは初めてのことである。両社は1980年代より広告宣伝では既にバーター契約を結んではいたが、今回はもっと踏み込んだ関係となり、両社ともそれぞれ相手側の車両色に塗装した記念の企画車両(江ノ電側は「嵐電号」を、嵐電側は「江ノ電号」)を当分の間運行する。なお、あくまでも営業的な提携に過ぎず、資金面や業務的な提携ではなく、姉妹提携という形をとっている。
2010年3月31日初電より鉄道係員の制服を一新した。黒に近い濃紺の上下に、上衣袖部に江ノ電カラー(緑と黄色)のラインが入り、襟部にも同様のラインが入る、最近の他社局の鉄道係員の制服に共通するスタイル。これにより、同社の鉄道係員とバス会社係員の制服が完全に分かれた。因みに、一般職はシングル、助役以上はダブルで、さらに管理職には袖部に金色線条2本が入る。女性用もほぼ同じスタイルだが、ベストが付く。
路線
鉄道路線についての詳細は以下の項目を参照のこと。
- 江ノ島電鉄線:鎌倉駅 - 藤沢駅 営業距離10.0km 駅数15 信号所1
江ノ島電鉄線は、後述の併用軌道区間だけでなく、駅ビルにある高架駅(藤沢駅)、高架(藤沢駅 - 石上駅間)、近代的な鉄橋(鵠沼駅-湘南海岸公園駅間等)半径28mの急カーブ(竜口寺前・1067mm以上の軌間としては日本最急)、建築限界ギリギリに迫る人家(腰越附近)、湘南海岸沿いの走行(腰越駅 - 稲村ヶ崎駅間)、開通以来一世紀が経つレンガ積みのトンネル(極楽寺駅 - 長谷駅間)、手動による転てつ機の転換、保安要員としての車掌の乗務、本線上での増解結作業、改札窓口における改札鋏の使用、硬券(入場券)の取り扱い、ホーム長不足によるドアカット扱い(腰越駅)、首都圏では希少な構内踏切(渡線路)・単線ならではの行き違いのための信号所とわずか10kmほどの営業距離でありながら、鉄道システムや地理的要素の多くの要素が平然と頻繁に出現する。
路面電車か鉄道かについての議論
開業時、江ノ電の路線は軌道条例(後に軌道法)に基づく路線(路面電車)であった。その後、軍部による政策[5]において1944年11月に地方鉄道法(鉄道事業法の前身法)による普通鉄道に変更された[1]。そのため、道路上を走る列車の長さが50mを超えるが、軌道運転規則による規制(30m以下)とは無関係である。
きわめて小さい車両限界や江ノ島 - 腰越間などに道路上を走る区間があることにより、現在でも路面電車の一種として江ノ電が取り上げられることが多い。この区間について一般向けのテレビ番組や情報誌などではもちろん、鉄道ファン向けの専門誌でもしばしば「併用軌道」と書かれている。鉄道線における併用軌道は鉄道事業法第61条(前身法の地方鉄道法では第4条)で原則禁止されているが、法律施行前の既存の敷設線路のため、あくまでも「特例区間」である。この区間はあくまで「長大踏切」である、と語られることがあるが、踏切であれば名称があるはずで、資料を捜しても名称すらなく、江ノ電自身が資料や書籍などにも併用軌道と記している。なお、舗装された一般道路の中央を堂々と走る普通鉄道としては、日本で唯一の路線である(京阪電鉄京津線は軌道であり、前述の軌道運転規則の特例なので除く。また、江ノ電と同じように普通鉄道ながら道路の隅を併用軌道の形態で通るのは熊本電気鉄道藤崎線がある)。また七里ヶ浜付近や稲村ヶ崎付近に見られる、道路片側に専用のバラスト軌道を敷設した区間も実は併用軌道であり、その特徴として道路と軌道の間はフェンスなどで仕切られていない。江ノ電の公式資料でも、併用軌道部分が、980mと書かれている。
東北地方太平洋沖地震の影響による計画停電
この節は大言壮語的な記述になっています。 |
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の影響で東京電力が実施した計画停電により、連日一時運休や終日運休が発生し、鉄道会社としては唯一、振替輸送と代行バスを出した(通常、この手の大規模な天災の場合、各鉄道会社は旅客集中を恐れ、影響が長期に渡らない限り振替輸送などを実施しない)。また、この計画停電での地方ローカル鉄道の運休等の窮地を訴えるべく、同年3月23日、第177回通常国会の国土交通委員会において、社会民主党の中島隆利議員が国土交通省に対しての質疑として「一例として江ノ島電鉄を…」と江ノ電の例を出し、中小私鉄への積極的な給電を訴えかけた。国土交通省の答弁は「東京電力と調整し対策する」という内容のもので、その3日後に江ノ電は計画停電の対象外となり給電を得た(質疑答弁については、衆議院TVで視聴可能である)。
車両
現存する車両の特色としては、すべての編成において2両1組の連接車であり、これを単編成もしくは2編成をつなげた4両編成(社内呼称では『重連』と呼ばれる)で運行されている。その特殊性から現有車はすべてオリジナル車両であり、東横車輛工業(現・東急テクノシステム)で製造された300形305編成を除き、すべてが東急車輛製造(現・総合車両製作所)製である。
軌道時代の名残りからか、最新車両でも中央運転台方式を選択しており、近年では東急玉川線からの転入車(旧東急デハ80形を改番した600形)が左運転台であったが、それ以外は譲受車を含め新旧問わず中央運転台方式を踏襲している。
形式間の列車組成に差別は無いが、最古参の305編成は車長が短いため繁忙期には車庫で休む傾向が多い。同編成は平行カルダン駆動に改造済で冷房も搭載しているが、板張りの床・バス窓・ツーハンドル制御であり、そのレトロ感から江ノ電のイメージリーダー的車両である。
1000形1001, 1002, 1101, 1201各編成(1979年 - 1983年製)は吊り掛け式であり、特に1201編成は日本国内向けに製造された1067mmゲージの普通鉄道用の電車では最後の新造吊り掛け式車両である(東急車輛製造製)。1960年製の305編成がカルダン方式に更新されているため、年代の逆転が起きているのも興味深い。
1000形電車のうち、1001Fと1002Fは1980年度ブルーリボン賞を受賞している。同賞の中小鉄道受賞は初めてであり、その翌年81年に小田急7000形、82年に箱根登山鉄道1000形が同賞を受賞しており、小田急グループ3連覇の呼び水となった車両である。
1000形系列と305編成の室内冷気排出口に設置してある、ステンレス製の冷気調整蓋は、国鉄113系の発生品を譲り受け装備したものである。
500形はVVVFインバータ車であり、車内各ドア上部にツインモニターを備え、右側には停車駅案内、左側にはDVDによる沿線の観光ガイドを放映している。
305編成は、左力行・右制動のツーハンドル、その他の車両は右手操作のワンハンドル式であり、いずれも電気指令式制動で形式間の差別無く連結でき、総括制御が可能。そのため組成の制約が無く、運用にもよるが、最新のVVVFカルダン車と抵抗制御吊り掛け車が編成を組む日本国内唯一の路線である。ただし、4両編成を組成する場合、吊り掛け車は空制のみになるため、吊り掛け車同士の連結はフェイルセーフのため、あまり行われない。
車両の新旧に関わらず、現在ではすべての編成に自動放送装置が設置されている。
付番法則としては、3ケタ以上の系列の場合は鎌倉方が系列+50(1000形の場合は1050形)となるが、2ケタ形式(10・20形など)は鎌倉方が系列+40となる。
過去の車両
バス事業
江の島シーキャンドル(展望灯台)・江の島エスカー
江の島シーキャンドルおよび江の島エスカーは、江ノ島電鉄が所有・経営する、江の島の島内にある展望灯台および上りのみの屋外エスカレータである。
江の島シーキャンドルは高さ59.8 m(海抜119.6 m)で、2003年に旧灯台を建て替えたものである。光到達距離は23.0海里(約46 km)で民間灯台としては日本国内最大級である。第48回神奈川建築コンクールにおいて一般建築部門奨励賞受賞を受賞した。中にはカフェショップ、グッズショップ、藤沢市郷土資料館がある。毎日、日没後にライトアップが行われており、これはアジア初の省エネ高照度LEDによるものである。周辺は江の島サムエル・コッキング苑となっている。休日などは音楽ライブなどのイベントもよく行われている。以前の展望灯台は、東京急行電鉄がかつて運営していた東急多摩川園にあった戦時中のパラシュート練習塔を移設改修したものであった。
江の島エスカーは、1959年に開業した日本国内初のもので、高低差46mを4連で結ぶ。全長は106m。1連目と2連目が「1区」、3連目が「2区」、4連目が「3区」と呼ばれ、2区もしくは3区からの利用も可能である。また、1区出口と2区入口は少し離れており、辺津宮に立ち寄ることも可能である。所要時間は4分(看板には5分とある)。有料。知らない人にはロープウェイか何かのように誤解されることも多く、エスカーを乗り場へのエスカレータだと思い込んでしまう者も多く、また有料だということを不思議がる者もいる[6]。なお、エスカーを利用せず参道を登ることも可能である。
オリジナルグッズ販売
オリジナルグッズの製作販売にも、鉄道会社としては異例なほど熱意があり、模型や文具はもちろん、ミネラルウォーターや衣料品、クッキー・パンなどの食料品にも至る品揃えがあり、さらに社外においても『江ノ電』ブランドにこだわった衣料・食品・玩具・文具など多数の品物が存在し、鎌倉宮など鎌倉市内の社寺では『江ノ電お守り』まで販売しているほどである。また、2008年7月から9月までの期間限定で江ノ電史上初となる駅弁も販売された[7]。
オリジナルグッズの専門店「江ノ電グッズショップ」が鎌倉駅・江ノ島駅にあり、藤沢駅の売店でも相当数扱っているほか、ネットショップも立ち上げている。また、各地の鉄道展などで客寄せの一番候補としてグッズショップを展開することもあり、関西方面でも実績がある。
江ノ電が登場する作品
親しみの持てる鉄道として有名なのと、沿線に江の島や鎌倉の大仏などの著名な観光地が多いためか、メディアへの露出が多い。なお映画とドラマ、漫画とアニメなど、複数の類似メディアに登場した場合、現版では公開時期が早いメディアのみに振り分けている。なお、これらは一部に過ぎず、実際に被写体として登場している作品等は数えきれない。
映画
- ツィゴイネルワイゼン
- タイヨウのうた(テレビドラマでも登場した)
- キャッチ ア ウェーブ
- 天国と地獄
- 虹の中のレモン
- ピンポン
- 青の炎
- 未完の対局(映画撮影用に車両の塗色変更を行なった)
- 僕の初恋をキミに捧ぐ
テレビドラマ
- 松本清張の断線(江ノ島駅・駅前と、500形電車・車中が映る)
- 青い瞳の聖ライフ(オープニング映像など)
- ウルトラマンティガ(46話が江ノ電メインの話)
- 俺たちの朝
- 海岸物語 昔みたいに…
- 人にやさしく
- 季節はずれの海岸物語
- 大好き!五つ子GoGo!!(オープニング映像)
- 小さな運転士 最後の夢(前述の拡張型心筋症の少年を巡る江ノ電の話)
- 特急田中3号(第8話)
- おいしいごはん 鎌倉・春日井米店
- 貫太ですッ!
- 太陽と海の教室
- 最後から二番目の恋
漫画
- 青い花
- おじいちゃんは少年探偵
- 各駅停車
- 鎌倉ものがたり
- 湘南純愛組
- SLAM DUNK
- 聖・ドラゴンガールみらくる
- 鉄子の旅
- とめはねっ! 鈴里高校書道部
- ぷりぞな6(江の島をイメージした島が舞台で、1000形をモデルとした車両が登場)
- まなびや
- マリンブルーの風に抱かれて
- ラブひな
- ラヴァーズ・キス・海街diary
- ふたつのスピカ
- かもめ☆チャンス
アニメ
- あずきちゃん
- うた∽かた(第1話ほかに305編成、鎌倉駅、鎌倉高校前駅、腰越駅、併用区間を経て江ノ島駅が登場)
- エルフェンリート
- コメットさん☆
- ケンコー全裸系水泳部 ウミショー(7話に江ノ電らしき電車が登場する)
- ジュエルペット(第47話に江ノ島電鉄の電車と駅らしき場所が登場)
- 侵略!イカ娘(オープニングの1カット目に由比ヶ浜駅が登場。駅名標は「侵○略」に書き換えられている。本編内でも500形他が登場)
- スクールランブル(最終回のエンディングムービーで江ノ電を模した車両が登場した)
- セイクリッドセブン(第8話、主人公のアルマがトンネルを抜けてきた車両と走り比べをする)
- 千年女優(オープニングに旧500形が映る)
- 探偵オペラ ミルキィホームズ 第2幕(第6話、「エノ電急行」として、藤沢から終点の鎌倉までの電車内をメインに物語が進行する)
- 出ましたっ!パワパフガールズZ(3代目のエンディングで江ノ電を模した車両、風景が登場する)
- テレパシー少女蘭(1話に江ノ電らしき電車が登場する)
- 天空のエスカフローネ(本編内に車内ほか、鎌倉高校前駅を模した駅が登場)
- 桃華月憚(1話に江ノ電に似た路面電車が出てきて、鎌倉高校前と稲村ヶ崎両駅を足したような駅があわせて出てくる)
- ネットゴーストPIPOPA
- ハートキャッチプリキュア!(第27話で登場)
- ふたつのスピカ
- ふたりはプリキュア Splash Star(オープニングや本編で江ノ電を模した車両、鎌倉高校前付近を模した風景が登場する)
- 炎の闘球児 ドッジ弾平(エンディングで江ノ電1000形・1500形と併走するシーンがある)
- まかせてイルか!
- 満月をさがして(アニメ版は舞台が鎌倉周辺である)
- 夢喰いメリー
ゲーム
- Memories Offシリーズ(一部の作品に江ノ電を模した車両が登場する)
- BLUE
- ホワイトブレス
- あるぺじお 〜きみいろのメロディ〜
- 電車でGO! 旅情編
- シルバーレイン(入学・転入生専用車両を私立学校が所有という設定で登場している)
- 超時空爆恋物語〜door☆pi☆chu〜
- 遙かなる時空の中で3 運命の迷宮(極楽寺駅・鎌倉高校前駅(推定)・1000形の車内が登場する)
- 初音ミク -Project DIVA- extend
書籍
- 絵本「うみのでんしゃ ぼくらの江ノ電」(小峰書店)ISBN 4338006129
- 絵本「はしれ江ノ電 ひかりのなかへ」(PHP研究所)ISBN 4569681980(前述の拡張型心筋症の少年を巡る江ノ電の話)
- 児童書「でんしゃにのったかみひこうき」(長崎源之助、あかね書房)(絶版)
- 小説「鎌倉江ノ電殺人事件」(西村京太郎、徳間書店)
音楽
- シングルレコード「Diamonds」(プリンセス・プリンセス、1989年版のPV内一部シーンが鎌倉高校前駅で撮影されている)
- 田村隆一:詩/平田陽子:曲『夜の江ノ電』
- CDシングル「ステーション」(鳥羽一郎、パッケージが鎌倉高校前駅をロケーションとしている)
- CDシングル「素敵なバーディー (NO NO BIRDY)」(サザンオールスターズ、江ノ電の車両を借り切ってPVを撮影)
- CDシングル「転がる岩、君に朝が降る」(ASIAN KUNG-FU GENERATION、c/wのタイトルが江ノ島エスカー)
- CDアルバム「サーフ ブンガク カマクラ」(ASIAN KUNG-FU GENERATION、全ての収録楽曲名が江ノ電の駅名を冠している)
- CDシングル「僕の背中」(AKB48・アンダーガールズ、「風は吹いている」のc/w、江ノ電沿線や車両を貸し切ってPVを撮影)
- 楽曲「鎌倉物語」(サザンオールスターズ)
- 楽曲「MOTOR MAN 江ノ電」(SUPER BELL''Z、2003年発売のアルバム「MOTO(e)R MAN 江ノ電&陸羽東線」に収録)
- 楽曲「はよつけ鎌倉」(TUBE、1991年発売のアルバム「湘南」に収録)
- 楽曲 作詞作曲YUI 「es.car」YUI5thアルバム「HOLIDAYS IN THE SUN」に収録。
その他
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- 横浜市出身のフォークデュオ・ゆずが1999年にリリースしたシングル『サヨナラバス』のジャケットには、江ノ電のバスが用いられた。同時に、江ノ電の路線バスの一部車両に、同シングルの広告(車体広告ではない)が掲げられた。
- 藤沢市の三共自動車学校は、元は江ノ電が設置した江ノ電自動車学校である。
- Bトレインショーティーやトレインカードなどで最初に発売されたのは江ノ電のものである。
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac 「第112期有価証券報告書」江ノ島電鉄株式会社
- ^ 江ノ島電鉄ウェブサイト『会社案内』より
- ^ 江ノ島電鉄ウェブサイト『当方見聞録』第一章第一回による。
- ^ 『毎日新聞』2008年12月20日 東京夕刊[リンク切れ]、『共同通信』2008年12月22日では単に「運転士」、『東京新聞』2008年12月23日[リンク切れ]、『読売新聞』2008年12月23日[リンク切れ]によれば、少年の父親の知人が寄贈し、この日江ノ島駅で発車式が行われた「模型電車の運転士」。
- ^ 空襲により横須賀線または東海道線に支障をきたした際に迂回路として考えていた。
- ^ 世界にひとつだけの乗り物、江ノ島エスカーに初めて出会った日。(Excite Bit コネタ) - エキサイトニュース
- ^ http://www.ofunaken.co.jp/page053.html
外部リンク
- 江ノ島電鉄(公式ページ)