蛭子能収
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蛭子 能収 | |
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本名 | 蛭子 能収 |
生誕 |
1947年10月21日(76歳)[1] 熊本県牛深市(現天草市) |
国籍 | 日本 |
職業 |
漫画家 イラストレーター タレント 俳優 映画監督 |
活動期間 | 1973年 - |
ジャンル |
ガロ系 ヘタウマ 不条理漫画 |
代表作 |
『地獄に堕ちた教師ども』 『私はバカになりたい』 |
公式サイト | 蛭子能収 OFFICIAL WEB SITE |
蛭子能収 | |
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ニックネーム | えびすさん |
生年月日 | 1947年10月21日(76歳) |
出身地 | 熊本県牛深市(現天草市) |
血液型 | O型 |
身長 | 170cm |
言語 | 日本語 |
方言 | 長崎弁 |
最終学歴 | 長崎市立長崎商業高等学校 |
出身 | 劇団東京乾電池 |
相方 | 太川陽介 |
事務所 |
劇団東京乾電池 ↓ プロダクション人力舎 ↓ ファザーズコーポレーション |
活動時期 | 1987年 - |
現在の代表番組 | ローカル路線バス乗り継ぎの旅 |
過去の代表番組 |
笑っていいとも! スーパーJOCKEY クイズ世界はSHOW by ショーバイ!! |
作品 |
『正直エビス』 『ヘタウマな愛』 『こんなオレでも働けた』 『ひとりぼっちを笑うな』 |
他の活動 | 漫画家 |
配偶者 | 既婚 |
親族 | 蛭子一郎(息子) |
公式サイト | 蛭子能収オフィシャルブログ「エビスのシネマミシュラン」 |
蛭子 能収(えびす よしかず、1947年10月21日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター、タレント、エッセイスト、ギャンブラー、俳優、映画監督。ファザーズコーポレーション所属。長崎市立長崎商業高等学校卒業[2]。
看板屋・ちり紙交換・ダスキンのセールスマンなどの職を経て『月刊漫画ガロ』(青林堂)1973年8月号に掲載された「パチンコ」で漫画家デビュー。以後、自販機本や官能劇画誌などアンダーグラウンドを中心に数多くの不条理漫画を執筆し、特異な作風で注目を集め、ヘタウマ漫画家としての地位を確立すると同時にサブカルチャーの分野においても重要な役割を果たした。
1980年代以降はタレントとしての活動に比重を移し、数多くのテレビ番組に出演している。主な著書に『地獄に堕ちた教師ども』『私はバカになりたい』『私の彼は意味がない』『家族天国』『正直エビス』『ヘタウマな愛』『こんなオレでも働けた』『ひとりぼっちを笑うな』など多数。
青林工藝舎から刊行されている特殊漫画雑誌『アックス』にて隔月連載中。
経歴
1947年(昭和22年)熊本県牛深市(現天草市)生まれ[3]、長崎県長崎市戸町育ち[4]。
少年時代は貸本劇画誌『影』や『街』を愛読しており、山森ススムや辰巳ヨシヒロの劇画を好んで読んでいた。映画にも関心を持ち、勅使河原宏監督の『砂の女』など前衛映画も勧んで鑑賞した[5]。
中学2年生の時に、不良グループに強制的に入らされ、いじめを受けていた。使い走りや持参した弁当をご飯と梅干しだけの日の丸弁当に無理矢理交換させられたり、学校で事件が起こると濡れ衣を着せられていた。家に帰るとノートに嫌な相手を殺す漫画を描いて学校の不満などを発散させていたという。この頃の将来の夢は「どこかの会社の事務員になること」であったという[6]。
商業高校時代は兄の勧めで美術クラブに所属する。そこで初めてグラフィックデザインに出会い、横尾忠則、宇野亜喜良、粟津潔、亀倉雄策に大きな影響を受ける。グラフィックデザイナー志望であったが、高校卒業後に地元の看板店に就職。当初からいずれは会社を辞めたいと思っていたと言い、看板店の同僚が主宰する漫画サークルに参加する。看板店には1965年から4年半勤務し、看板設置などをしていたが[7]、漫画サークルで『月刊漫画ガロ』増刊号「つげ義春特集」を読み「ねじ式」に感銘を受け「大阪万博を見に行く」と嘘をつき1970年に無断で上京する。
上京後は出版社や映画会社に勤めようとするが高卒のため断られ、再び看板屋の職に就く[8]。看板屋では事ある毎に自分を執拗に怒鳴りつける先輩のしごきに耐える寮生活を送り、憤慨した蛭子は「先輩の同僚」を残酷に殺す漫画を描くなど、創作活動に当時の不満をぶつけていた[注釈 1]。また、この頃からATG関連の前衛映画を数多く鑑賞し、映画監督に憧れてシナリオ学校に1年程度通っていた時期もある[8]が、「誰とも喋った記憶が無い」ほど孤独な日々を過ごしていたという。
ほどなく映画監督への道を諦めて青林堂に漫画の持ち込みを始める。投稿1作目の「狂気が彷徨う」は落選した[注釈 2]が、2作目で青林堂社長であり名物編集長として知られる長井勝一に才能を見出される。その後『ガロ』1973年8月号掲載の入選作「パチンコ」でプロの漫画家としてデビューする[3]。この漫画家デビューを「ガロに入選するのは夢だったから今までの人生で一番嬉しかった」と述懐する反面、青林堂の経営難により原稿料が支払われる事は一度も無かった。このデビュー作はタイトルが「パチンコ」であるがパチンコは一切出てこず、「パチンコに行こうとしても行けずに百貨店を彷徨う男」を描いた奇妙なストーリーに仕上がっており、実際に見た夢に創作を交えて漫画にしている。
私生活では、長女が生まれた1972年に結婚した[1]。しかし、金銭的には困窮しており、ちり紙交換の職に就くが、1974年に長男が生まれたのを機に有限会社ダスキン練馬のセールスマンになる。サラリーマン時代の自身については、「どんな時でも目立たずに、自己主張なんてことは一切せず、何もかも上司の言いなりに動く会社員でしたね。まぁオレの性格が意見とかそういうのが言えないから、めんどくさい業務とか残業なんかも頼まれると断りたいけど断れないんですよ。心の貧しい生活を強いられている、それがサラリーマンだと思っていたんですよね。」と回想している[9]。
漫画では収入を一銭も得る事が出来ず、デビューから2年程で寡作になり音信も途絶えていたが、1970年代末に名物編集者の高杉弾(自販機雑誌『JAM』『HEAVEN』初代編集長)と山崎春美(バンド「ガセネタ」「TACO」のボーカリスト)の依頼により、自動販売機用成年雑誌『JAM』にて再デビューを果たす。また、この時に漫画家としての収入を初めて得る[10]。
ニューウェーブ漫画家の一人として『ガロ』以外に官能劇画誌などの媒体へも進出。つげ義春や前衛映画に影響されたシュールで不条理なギャグ漫画や暴力的なモチーフを多用するダークな漫画を描くようになる。絵は決して上手とは言えないながらも「ヘタウマ」という作風で注目される。
1981年、初単行本である『地獄に堕ちた教師ども』が青林堂から刊行されるのを機にダスキンを退社して漫画家として独立する。その一方で、劇団東京乾電池の柄本明から劇団のポスターを依頼され、劇団に出入りするようになる。その後、柄本からの依頼で劇団東京乾電池の公演「台所の灯」(1987年5月15日・こまばアゴラ劇場上演)に出演する[11]。これがフジテレビの横澤彪プロデューサーの目に留まり、1987年に『笑っていいとも!』に文化人枠でレギュラー出演する。俳優として舞台活動もこなし、テレビドラマ「教師びんびん物語II」への出演を皮切りにテレビ番組に本格的に進出し、特異なキャラクターを活かした芸能活動に比重を移して数多くのバラエティ番組に出演している。特にタレントとしての代表作であるテレビ東京系のバラエティ番組『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』シリーズでは、リーダー役の太川陽介やゲストの女性タレントと共に日本各地の路線バスを乗り継いでいき、行き当たりばったりの珍道中を展開している[12]。数多くのテレビ番組に出演する一方で、タレントの仕事はあくまでアルバイトとしている。
2003年に短編映画「諫山節考」で映画監督としてデビュー[11]。この作品は元々シンガーソングライター・諫山実生のプロモーションビデオとして作られたものである。監督第2作目は2007年の『歌謡曲だよ、人生は』の「いとしのマックス/マックス・ア・ゴーゴー」(脚本も兼任)。
2008年には『ガロ』の後輩漫画家で蛭子ウォッチャーでもある特殊漫画家の根本敬からの依頼で、漫画共作ユニット「蛭子劇画プロダクション」を結成。メンバーは、蛭子能収(社長)、根本敬(チーフアシスタント)、安部慎一、マスク・ベビー。
2011年には、故郷・長崎の長崎歴史文化博物館において初の個展「えびすリアリズム -蛭子さんの展覧会-」が開催された。
2014年には、エッセイ『ひとりぼっちを笑うな』を上梓。本書では「小さな頃から“分相応”的なものに自分らしさを感じ“他人に害を与えない”ことを一番大事に考えてきた」と述べ、つながりや絆を必要以上に大事にする現代社会の風潮に懐疑的な立場で独自の持論を述べた。この「内向的な人間のための幸福論」として刊行された著書は10万部を売り上げるヒットとなり、活字本ながら蛭子最大のベストセラーとなった[注釈 3]。
2016年には、長編映画初主演となる任侠映画『任侠野郎』が公開予定である。
漫画家として
読む人を選ぶ非常にシュールな作風であり、「ガロ系」と呼ばれる日本のオルタナティブ・コミック作家のなかでも、特殊漫画家の根本敬や鬼畜系漫画家の山野一と並び、極北に位置する最も過激な作風の不条理漫画家であった。漫画家としての蛭子能収を後輩漫画家の山田花子は「感じたまま、ありのままの自分をさらけ出して描いている本物の作家」と評価している。
根本敬[13]・山田花子[14]・大槻ケンヂ[15]・山野一[16]・花くまゆうさく[17]・福満しげゆき[18]・巻上公一[19]・水野しず[20]・武内享[21]・遠藤ミチロウ[22]・柄本明[23]など数多くのアーティストに多大な影響を与え、1980年代のサブカルチャー界を席巻した事でも知られている。
独特の絵柄と他の追随を許さないエキセントリックな世界感を持っており、漫画の特徴を一言でいうと「暴力と狂気にまみれたシュールでグロテスクなナンセンス不条理ギャグ漫画」というようなものになる。作品は狂気と妄想に満ちており、日常の不満や歪んだ欲望に不気味な絵柄が相まって謎の緊張感が常に漂っている。登場人物は平凡なサラリーマンである事が多い[24]が、いずれも尋常でなく汗をかいており、悪夢にも似た不条理な世界に抗う事も出来ず、ひたすら彷徨い抑圧される事になる。背景の舞台装置には何故かストーリーに関係なくUFOやドクロが置かれ、ストーリーの内容も「大量に人が死ぬ」「女の裸やセックスが作中やたらと挿入される」「起承転結の概念がなく意味のない掛け合いが続く」「救い様のないオチを迎える」など狂気に満ちており、もはや言語解説不可能な域に達している。後輩漫画家の根本敬は漫画家としての蛭子能収を「狂気を内側から描いている人」と評している。
この様な作風のためメジャー誌での連載経験は皆無に等しく、主な執筆活動の場は、青林堂の『月刊漫画ガロ』や青林工藝舎の『アックス』など、極めて自由な創作が行えるマイナー志向の超カルト的サブカルチャー雑誌を中心に活動しており、アウトサイダー・アートに対応した“特殊漫画家”と呼ぶべき存在でもある。単行本は絶版や品切のため入手困難な状態が長年続いていたが、2016年4月に青林工藝舎から『地獄に堕ちた教師ども』(1981年・青林堂刊)が23年ぶりに復刊され、現在も入手可能な唯一の単行本となっている。
自由な創作が行えるアンダーグラウンドには思い入れがあり、「暗いジメジメしたところのほうがやはりおもしろいですよ。そんなジメジメしたところでしか出ない美しさというものがアンダーグラウンドにはあるんです。それは本音の美しさですね。日の当たるあっちのほうは飾られた美しさです。オレはやっぱり地下活動、アンダーグラウンドが好きですね。」といった発言[25]があることから大衆・万人に受け入れられる作品づくりにはあまり興味がない模様である[注釈 4]。美術評論家の野々村文宏も、「この人の漫画に一般受けもへったくれもないと言うべきだろうか」と評しており、それゆえ漫画のファン層は非常に限られているが、その強烈な個性を露出した表現は他の追随を決して許さないものである。
漫画を描く際は、自分が見た夢をもとに漫画にするという特殊な手法で描いている(同じガロ系作家の逆柱いみり、つげ義春、とま雅和、ねこぢる、山野一も同様に「夢の世界」を再現したシュールな漫画を描いていた)。しかし、後に夢をあまり見なくなってからは、何となくネタを絞り出すようになったという[26]。
「夢をもとに漫画を描く」という創作方法は、20歳のときに読んだつげ義春の漫画作品「ねじ式」に大きな影響を受けている。自著でも「とってもシュールな漫画なんですよ。この世の中にこんな漫画があるのかって驚きましたね。不思議でヘンテコな世界だけど、芸術作品のような漫画にとにかく衝撃を受けてオレも漫画を描き始めました。それまではピストル殺人事件など素直な漫画を描いてたけど、この漫画を見てからはわけのわからない漫画を描くようになりました。それでようやく漫画で食えるようになったのは30歳半ばの頃。ずっと漫画家になりたいとコツコツやってきたから“生きがい”は見つかったと思いますよ。テレビの仕事は儲かるけど“やりがい”はありません。“ねじ式”のような作品を描いてみたいから今でも原稿料が出ない雑誌でも連載を持っているんです。」と、漫画家人生を左右する程の衝撃を「ねじ式」から受けた事を幾度となく述べている[27]。
また、漫画では本心を描くので怒りを感じる相手には同様のシチュエーションで「漫画の中で徹底的に殺す」[注釈 5]と話しており、実際の人物に配慮して特定できないように描いている[28]。漫画『家族天国』では、息子の我儘な友達が冷蔵庫のプリンを勝手に食べた上に息子の顕微鏡を無理矢理持って帰った事に憤慨した蛭子は同様のシチュエーションを描き、最後にバットで殴り殺すオチを描いている[29]。
漫画家活動初期は、そのキャラクターが知られていないこともあり、「難解な前衛漫画を描く得体の知れない謎の天才漫画家」と理解されており、同業者である根本敬やマニアックな読者に、「この人は天才なのかキチガイなのか、あるいはその両方か、もしかしたら美大くずれの物凄いインテリなのかもしれない」と恐れられていた逸話がある[30]。根本敬は『ガロ』のパーティー会場で蛭子と初めて会った際の印象について、「もうひと目見て凄いショックを受けましたね。描いてる漫画と実際のギャップが本当に凄かった。俺も凄く蛭子さんの漫画が好きでね。もう憧れてましたよ。まあ、我々の中ではすでにスターでしたね。当時はまだ蛭子さん本人が露出することなんて無かった時代ですからね。本人が現れる以前に漫画的に見て、どういう人なんだろうなあ、こんな漫画を描く人はって。神経質そうなさ、おっかない人を想像してたわけですよね。それで蛭子さんと実際に会った時は、えーっ、これが!嘘だろって。やたら腰の低いペコペコばかりしている人畜無害そうなおっさんが実は蛭子さんだったというね。」と、自著『因果鉄道の旅』で回想している。
官能劇画誌『漫画大快楽』元編集長の菅野邦明も、常識や倫理性を無視した過激極まりない漫画の内容から「蛭子能収という人はキチガイなのだろうか?」と怖がっていたという。インタビューの中で菅野は「蛭子さんに仕事を依頼したい一方で、最初は本人に会いたくなかったですね。やっぱりこの人キチガイじゃないかと思ってて。ちょうどその頃、あるパーティーに蛭子さんが渡辺和博さんと一緒に来てたんです。そこで紹介された蛭子さんは、作品からは想像もつかない、礼儀正しく大人しい人でびっくりしました。」と、その落差に衝撃を受けたことを述べている。
しかし、蛭子の言う「素人の時代」の波に乗り、気付いたらテレビに出始め「正体不明の不条理漫画家」から「さえない面白おじさん」として世間一般にキャラクターが知れ渡ると、描いている漫画と本人とのギャップのせいか、本業であるはずの漫画が売れなくなってしまったという[31]。後に、そのキャラクターのおかげで「漫画家としての知的な印象がテレビ出演後は消えた」と、インタビューで自虐したことがある。根本敬も、「もっぱらアーティストとしての評価はおざなりで、特異なテレビタレントとして名高いが、それを惜しむ声も高い。しかし、肝心のアーティストとしての高い評価には本人はあまりにも無自覚であり無防備である。」と述べている。
蛭子本人も「本当は自分の顔とか姿を人前に晒したくなかった」と述べており、「最初に舞台に出たのは柄本明さんから出てくれって頼まれたから。オレはホントは出たくなかったんですよ。それでテレビの依頼も来るようになって…。だけど、人から頼まれたことを断るのもイヤなんですよ。仕事にしたって、せっかく頼まれたら普通は断らないでしょ。ホントは一般の人に埋もれて普通に過ごしたかったんですよ。正直なところ、どうしてオレがテレビに出ているのか未だに不思議で仕方ありません。」とテレビに出て顔が売れてしまった事には否定的なコメントを寄せている[32]。
また、テレビに出て顔が広まると、見ず知らずの他人から日常的にいたずら電話されたり、不良に絡まれたり、競艇場で頭を叩かれたり、家の玄関にうんこを投げ入れられるなど嫌がらせを受けるようになったという。これに関して、「オレは芸能人の中でも特に絡まれやすいみたいで…だから本当はテレビに出たくないんですよ。それでもテレビに出るのはお金がいっぱい貰えるからです。オレは漫画家だし、社交的なのが本当に苦手なんで、テンションが高い芸能界の人との付き合いも苦痛で…ホントは変装なんかせず堂々と顔を晒して歩きたいんですよ。」と複雑な感情を打ち明けている[33]。
その一方で、「テレビ出演のギャラと比べても漫画の原稿料は格段に安い。『スーパーJOCKEY』での熱湯風呂のギャラは20万円だった。1日2本撮りなので2回熱湯に入るだけで40万円になる。こんな労働があるのかってすごくびっくりしましたよ。ある時、同級生に『お前あんな情けない仕事するなよ』と言われたが、僕は彼らの月給分をたった1日で稼いでいるのだからやめられるわけがない。」とテレビの仕事に対する独自の持論を語っている。
1973年のデビューからアバンギャルドな不条理漫画を一貫して描いてきたが、インタビューで「オレの描く漫画は不条理漫画って呼ばれてますけど、きっと宝島で『不条理でポン』っていう4コマ漫画を描いてたからでしょうね。でも、オレの中ではまったく不条理ではなかったんですよ、ただやみくもにわけのわかんない漫画を描いていただけで、不条理っていう言葉にはまた別の意味があると思ってましたから。周りもオレの漫画を勝手に深読みしてくれたけど、ほとんど何の考えもなしにあっけらかんと漫画を描いているんです。私の漫画は意味がない。」と述べている[34][35]。
人物・エピソード
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- 『ガロ』の後輩漫画家で蛭子ウォッチャー[36]の特殊漫画家・根本敬は、蛭子の本質を無意識過剰と自著『因果鉄道の旅』で述べており、「蛭子さんに意見をするのは愚かなことである。何故なら蛭子能収は蛭子能収という宇宙に住む蛭子能収という宇宙人だからだ。たかが漫画如きが、つまる、つまらないといった次元の話は蛭子宇宙の内部では全く問題にならない。」とも語っている[37]。自販機雑誌『HEAVEN』元編集長の野々村文宏も、「すべての自称芸術家は社会的にもうひとつの顔としての“世間体”を演出している。ところが一介のダスキンのセールスマンとしての蛭子能収には、まったくといって良いほどこの“世間体”が欠落していたし、もともと蛭子能収という人格のなかには“世間体”を作り出すこころのメカニズムが欠如していたかもしれないのだ。市民生活のなかに芸術家の顔を持ち込めなかったのはこのためである。」と解説している[38]。
- 他人や建前を意識しない自由奔放な発言で物事の本質や核心をストレートに突くことが多く、自分の考えを包み隠さずに本音で話すので毒舌にも聞こえる。これに関して、蛭子ウォッチャーの伊集院光は「人間は全員、素っ裸になれば蛭子さんとそれほど大差がない。社会通念に沿って何かそれを言わないようにしようとか、オブラートに包むとかあると思うけど、蛭子さんはそれを包み隠すことがなくむき出しなんですよ。真剣勝負の戦いに武器を持たずに素っ裸で来て、斬った者が負けるような感じが蛭子さんにはある。」と解説している。
- 蛭子は「知的装飾の欠如した言動」をすると特殊漫画家の根本敬は評している[39]。実際に大林素子に褒め言葉で「セックスしたことあるの?」と尋ねた際は、「何故かすごく困った顔をされた」と述べている[40]。自著『正直エビス』でも「公明党は宗教政党」「いじめで自殺に追い込んだ子供たちは死刑にすべき」など歯に布着せぬ過激な持論を展開している[41]が、これに関して蛭子自身は「オレが常日頃から思ってることですから全然過激だとは思ってないんですけど」と述べており、逆にインタビュアーに対して「どのへんが過激に見えましたか?」と聞き返している[42]。
- 一般的な価値意識に左右されない言動や振る舞いが目立つためエキセントリックなテレビタレントとして広く認知されているが、本人としては「自分が特別な存在であるなんて思ったことがない。子どものころから“目立ちたい”という発想もほぼ皆無でした。クラスにも目立ちたがり屋の子がいましたが、そういった“目立ちたい”という振る舞い自体がよくわからなかった。オレね本当に普通なんです。“オンリーワン”じゃなくて“ワンオブゼム”でいい、みんなの中の一人でいい。」と述べている。
- 酒、タバコは全くやらないが、自他共に認める無類のギャンブル好き(後述)。特に競艇にハマッている。
- フジテレビで放送されていたドラマ『いつも誰かに恋してるッ』では、宮沢りえの演じる桜井理子の父親役に抜擢され、雑誌アンケートの「父親にしたい芸能人」のNo.1にランクインしたこともある[43]。その翌年に日本テレビの『スーパーJOCKEY』にて、熱湯風呂にパンツ一丁で出演させられる様になると「父親にしたくない芸能人」のNo.1にランクインするようになった。
- 笑いのツボが多少ズレており、シリアスなシーンで笑ってしまう癖がある(後述)。
- 好きな食べ物はカレーライス、ラーメン、オムライス、カツ丼、うな重など。漁師の息子であるが魚類は大の苦手で、全く食べないという[44]。
- 1973年のデビューから「自由な創作」が行える漫画雑誌『ガロ』に投稿を続けていたが、青林堂の経営難により原稿料が支払われる事は無かった。『ガロ』の後継にあたる『アックス』でも青林工藝舎の経済的な事情から「原稿料ゼロ」の状態が現在も続いている。
- サラリーマンを辞めて漫画家になろうとした1981年頃、『ガロ』の名物編集長で知られる長井勝一と水道橋の路上を歩いていると、長井は「青林堂はなかなか経営が良くならないけど、僕は蛭子さんで儲けさせてもらおうと思ってるんだよ。」と真剣な顔で蛭子に述べたことがある。その時、蛭子は「果たして冗談で言ってるのだろうか、そもそも私の漫画ってそんなに売れるのだろうか?」と思い「社長、それは無理ですよ」と照れながら真剣に言葉を返してしまったという。それから15年後、「私は漫画では売れなかったけどテレビに出て自分のキャラクターで十分すぎる程食えるようになってしまった。実は長井さんは私に言ったのは別に漫画に限って言ってるわけではなかったのではないかと思っているのですよ。」と長井が亡くなった際に回想している[45]。
- 「基本的に自分から他人に話しかけるのは大の苦手」と公言しており、自ら積極的に発言する事は少ない。
- 漫画での収入はタレント業に比べ非常に少なく、倉田真由美は「蛭子さんなんて漫画は全収入の1割以下じゃないだろうか」と述べている[46]。
- テレビ番組の「ぶらり旅」が実は苦手で、細かく計画を立て時間通りに旅行するタイプである。
- キノコ雲観賞用の無公害原爆というものを考えて漫画にしたことがある。
- 少年時代から映画鑑賞が趣味であり、好きな映画に『遊星からの物体X』『砂の女』『ゴジラ』『日本春歌考』『幸福の黄色いハンカチ』『ウイークエンド』を挙げている。また、昔から涙腺が緩く、幸せに終わるラストシーンでは確実に泣いてしまう程である。
- 小学4年生になっても母親のおっぱいを飲み続けていたので、「今で言うマザコンだったのかもしれない」と述べている。また、漁師の父親は家を不在にすることが多く、兄姉もすでに独立していたので、「ほとんど母子家庭の様だった」と述べている。
- 12歳の時に修学旅行で彼の寝小便を心配して姉がついて来たことがある[4]。
- クイズ番組ではフリップでの回答提出の際に文章ではなくイラストを用いて回答していた。
- パリ人肉事件の佐川一政と対談した際に「好きな人を食べてはいけない」と佐川に諭したことがある[47]。
- 映画監督の山崎貴に「泣ける映画が面白い映画という訳じゃないですからね。」と面と向かって発言したことがある[注釈 6]。
- 息子の結婚式でスピーチに立った際に、「中の下くらいの結婚式ですみません」と述べてしまい顰蹙を買った事がある[48]。
- 3子の父親であるが子供に余り興味がなく「子供は好きではない」「子供と二人きりになると気まずい」「子供の成長に興味がない」と公言しており、4人の孫を持つ祖父でもあるが「孫の名前が難しくて覚えられない」など、孫にもあまり興味がなかった[49]が、近所に住んでいる義娘の子供とよく会うようになると、「血のつながっていない孫なのに可愛くて仕方がない」と思える様になったと述べている[50]。今は競艇、麻雀、パチンコ、映画の次くらいに孫といるのは好きになったという。
- 月に何日か妻から「よっちゃんデー」をもらい、その日は自由に好きなことができる。平和島競艇場にもよく行く。いい子でない時は「こよっちゃんデー」になり、半日ほどになる[51]。
- 笑福亭鶴瓶いわく「蛭子さんをどういじるかで芸人の腕が試される」と述べている。
- 2014年11月10日放送『私の何がイケないの?』(TBSテレビ)の脳検査で、軽度認知障害があることが発覚した。その直後に「俺は絶対にボケないぞ!」と題した漫画を『アックス』に発表している。
- 漫画連載を8本近く抱えているが漫画の締め切りを破った事はなく、テレビの収録に遅刻した事も殆どない。
- 2016年2月13日放送の「ジョブチューン アノ職業のヒミツぶっちゃけます!」でスタジオの出演者はおろか出演した赤城乳業の社員ですら不味いと述べ、売れ行きが芳しくなく、会社が3億円もの赤字を出す結果になったガリガリ君「リッチナポリタン味」を「美味い」と言って食べていたエピソードを出演した赤城乳業の社員が証言している。
- イベントなどで歌うように要請されると、いつも「ヨイトマケの歌」を歌う(蛭子曰く「これを聴くと働く気力が湧いて来る」とのこと)。高田渡のドキュメンタリー映画『タカダワタル的』の中にも、「ヨイトマケの歌」を熱唱する蛭子の姿が収録されている。
- 平田オリザから「どの役を務めても絶対に蛭子さんにしか見えない、不思議なコンテキストを持つ俳優」と評されている。
- 初期の頃は、名前を「ひるこのうしゅう」と誤読されていたこともあった。
- 人間関係の軋轢に苦しみ、24歳の若さで自殺した後輩漫画家の山田花子について、雑誌に寄稿した「追悼文」の中で、「芸術を志している人が死を選ぶ時、それは命を賭けた最大の芸術を慣行したということになるのではないかと思うのです。彼女は最大の芸術を完成させ、死霊になって私達が驚く様子を見て笑っているのではないでしょうか。」と評価した[52]。
発言・思想
- 「人生の目標は死なないこと、そして自由に生きること」を信条にしており、きっかけは小学生の時、父親の建てたやぐらから流れ星を眺めていた時に、「死んだらあの星みたいに消え去ってしまうのか」と急に“死”が頭をよぎり恐怖を覚えたためという。それ以来、誰かに殺されないために「出来るだけ人と群れないようにし、人から恨まれないように生きてきた」と述べている。また、「自由」に関しては、「あの流れ星のような一瞬の人生なんだから、他人の顔色を窺うこと無く死ぬまで楽しく自由に生きればいい。答えはそれだけ。もちろん自身が自由であるためには、他人の自由も尊重しないといけないという信念であり、それが鉄則なんです。自由気ままで自分勝手に生きていると思われているオレですが“自由に生きること”は絶対に守りたかったから、それでもいいんです。」と述べている[53]。また、息子や娘にも「人はそれぞれ自由に生きればいい」として放任主義を取っていた。
- 「人から嫌われていると思ったことがない」とエッセイで述べており、「みんな嫌われるんじゃないかとか友達だから嫌われたくないとか考えすぎです。他人にどう思われたっていいじゃないですか。僕は人から嫌われていると思ったことがない。だって人に迷惑をかけることをしていないもの。そう胸を張っていればいい。」と持論を述べている。
- ブラックで過激な漫画の内容とは対照的に「殺戮なんて結局は虚しいだけ」として平和主義者である事を公言している。戦争に関しても「戦争ほど個人の自由を奪うものなんて他にない。誰かの自由を強制的に奪うようなものは、いかなる理由があっても断固として反対です。」と強く否定的な意見を持っている。
- 偉そうにしたり恰好をつけたりするのが大の苦手と公言しており、「恰好をつけるとお金がかかって貧乏になり、最終的に恰好悪くなる。」と述べている。
- 友達観に対して、「自由であることを第一に考えていると、友だちはいい存在である一方で、時には自由を妨げる存在にもなる。だから“誘われても断れる友達”以外は必要ない。友達の誘いだから断れないのはおかしい。誘いを断れないような間柄を友達というのなら、僕は友達なんていりません。実際に友達になると大体は私のほうが立場は弱く、相手の言いなりになってパシリになる役回りなので、積極的に友達をつくろうと思ったことは昔からほとんどありません。確かに友達は少ないですが、ぜんぜん寂しくなんかありませんよ。あんまり自分が孤独だと思い続けていると、いつしか得体の知れない狂気に変わってしまうこともあります。オレは女房さえいれば友達なんかいてもいなくてもいいかな。」と独自の持論を述べている[54]。
- 集団行動などの“群れ”にも懐疑的な立場を取っており、「昔の学生運動にしろ オウム真理教にしろ、最初は友達から始まったものが、行き着いた先は犯罪であり、殺し合いですよ。何人かが集まると、だいたいリーダーというか親分が出てきます。そういう人についていけば、考えなくていいから楽かもしれませんが、その先には死が待ち構えているかもしれない。これは恐ろしいことですよ。集団では個人の自由がなくなり、リーダーの命令を聞かないと叩かれる。自分で正しい判断ができなくなるんです。最近SNSなどでさまざまな人につながることが流行っていますが、一方で色々な事件も起こっていますよね。LINEのグループチャットで悪口を言われたひとりが、悪口を言っていた友達を殺してしまった事件とかね。最初は友達だったのに仲間割れしていく。だって人の考えなんてそれぞれだからね。それを無理やりまとめていこうとすると、最悪の場合殺人に行き着くことさえある。あんまり友達とべったり仲良くし過ぎると、将来敵同士になる可能性があるんです。」と独自の持論を述べ、現代の「人付き合い」や「つながり礼賛」の風潮に疑問を投げかけている[55]。その一方で、趣味を共有するグループなど、限られた目的を持ったグループには肯定的な立場を取っている[56][57]。
- 裁判員制度について「行くのがめんどくさいから反対」という本音を語っている[58]。
- 女遊びや浮気をする男性に対し「家に帰れば嫁さんとタダでヤレるのに(浮気する)理由がわからない」と批判的な意見を持っている[59]。
- 「幸せな家庭は他人に見せつけないほうがいい。誰に見られてるか分からないし、もしかしたら不幸そうな人が傍からジーっと見ているかもしれない。」と独自の持論を述べており、幸福そうな人達が通り魔に惨殺されるだけの漫画を描いたこともある[60]。
- 不特定多数の人が見るブログやSNSで“幸せアピール”をする事に疑問を抱いており、「他人の幸せそうな姿なんて見て誰が喜ぶの?みんな不幸になるように呪いをかけてるかもよ。とにかく人にやっかまれることはしないほうがいい。絶対にしっぺ返しが来る。そもそも他人に好かれよう嫌われまいという気持ちが強すぎ。大体今日これ食べたとかどこに行ったとか、うちのネコちゃんが可愛いとか、要するに“私楽しい人生を送ってます”というアピールでしょ?。そんなもん誰も知りたくないし、どうでもいい。人間が知りたいのは他人の不幸。だから楽しいことは一切投稿するなと言いたい。」と批判的な意見を述べている[61]。
- 日本尊厳死協会に入っており、「寝たきりになって意識もないのに、人の世話になってまで生き続けたいと思わない。介護や看病されて過ごすのもまっぴらです。だって、自分が何より大切にしてきたのは自由だし、その自由を他人から奪ってまで長生きしたいと思わない。だから今の医学でも回復の見込みがない状態になったら延命措置をせず、その時を迎えます。」と述べている[62]。
- かつてテレビ番組で「エレベーターの底が抜ける気がして怖い」と発言し、周りから「そんな事ありえない」と笑われた事があるが、直後にエレベーターでの死傷事故が多発しており、社会問題に発展している。
- アンガールズの田中卓志が「スベっているのに仕事が急激に増えた」と悩んでいた頃に雑誌の対談で蛭子に相談したところ、蛭子は、漫画の原稿を間違えて他誌の編集部へ送った経験を述べた。蛭子によると、「数日が過ぎてから、“競艇雑誌にエッチな漫画を”、“エッチな雑誌に競艇の漫画を”あべこべに送ってしまったことに気づいたけど、結局どちらの編集部からも『漫画の原稿、うちのじゃないですよ。』と言われず、そのまま雑誌に掲載されて、その後もこの件について、どこからも何も言ってこなかった。誰も俺の漫画なんか見ていない。」と田中に述べ、「だからさ(田中君が悩むほど)世の中の人は田中君のことは見てないから気にせずやったら良いよ。」と励ました[注釈 7][63][64]。
- 「自己主張しない」という持論を持っており、「自己主張は自分の心のなかにこそ持っているべきで、それを口に出して言わない方がいいと思うんですよ。自分にただ言い聞かせるだけで。そうしたら人と喧嘩しなくて済む。自己主張を口に出して言うと他の人の自己主張と対立してしまうかもしれないし、言い合ったところでたいした問題でもないかもしれない。そういう場合は、意見があったとしても向こうがそう言っているならその場は降りる。相手を立たせてあげるということも大事ですよ。」と述べている。その一方で、「自分のやりたいことができるかできないかは、そのやりたいことに他人が関わる程度によると思います。自分がどうしてもやりたいことで他人が関わってくる話ならば、やっぱり相手をしっかり説得する必要があります。ただ、説得は自己主張とは違います。」とも述べている[65]。
- 「お金は貸したら返ってこない、だから絶対に貸さない」という持論を持っており、「テレビに出るようになってから、昔の友達じゃないかという人からわんさか電話がかかってきましたが、結局みんなの目的は『金を貸してくれ』でした。人に金を借りにくる人はだいたい無計画で無責任。もちろん貸した金が返ってくるはずもなく踏み倒されて大損しました。でも、しつこく返してくれとも言えないし、言えない自分がまた嫌で、そんな気持ちになるくらいなら友達なんていらないですよ。」と自身の経験を語っている。息子にも「とにかくお金を借りず貸さず盗まずに生きなさい」とだけ教育していた。
- 職業差別問題について「この世にはありとあらゆる職業があって、誰かしらがそれをこなしているわけだから、仕事に上下の差をつけるという考えが間違っているのだ。人に必要とされるものに差別があってはならないとオレは思う。」と自論を述べ、批判的な意見を持っている[66]。
- 児童虐待問題について「子供を虐待する親は人として発達していない、人間になる途中の人。抵抗できない子供を虐待する親は“病気”として捉えるべき。」と述べている。
- 温厚でのんびりしたような性格に見えるがとてもせっかちである。本人曰く、「ちょっとでも暇な時間があったら好きなことをぱっとやる。無駄には使わない。せっかくの日曜日だというのに家で朝まで寝ていたり、CD聴いてたり、パソコンいじってたり、テレビ見てたり、休日を家でボンヤリ過ごす、これはもうギャンブラー失格です。ギャンブラー失格というよりも人間失格ですね。自分で何がしたいか解らないと、ただボーッとしているだけになっちゃう。だから自分のしたいことを考えないと。それを持っていない人はやはりちょっとおかしいですよね。一人でいられないから人に流されて人に使われるようになっちゃう。群れることに一生懸命になる人って本当にしたい事なんて無いんじゃないですか。一生、他人に使われて終わるんじゃないかと思いますよ。」とコメントしている[67]。
- 芸能人ではビートたけしを最も尊敬しており、「いつも自分の思った事を説得力を持った上で自由にコメントしている。芸にしても時に滅茶苦茶なことをわざとやったりして、とっても自由。さらに、自分の好きな映画も撮って、国際映画祭で賞もたくさんもらっている。類い稀な才能に溢れた凄い人だと思います。でもなにより尊敬するのは、芸能界の大御所であるにも関わらず、いつだって謙虚なところかもしれない。憧れの存在です。」と述べている[68]。
- 死生観について「オレが死んだ時は誰も葬式に来てくれないていいからね」と述べており、「オレは死んでしまったら魂も意識もなくなってしまうと思っているんです。あの世にいったら亡くなった家族の元に帰れるんだ、という考えもありません。そんなオレのために生きている人がわざわざ墓参りに来て欲しくないですね。人の自由な時間を奪いたくありませんからね。オレが死んだら食べても良いですし、葬式で笑われても構わないですね。遺灰なんてそのあたりの土手でもいいし、道路でも川でも適当にまいてくれればいいですよ。死んだらもう自分としては意識がないんだから何もしてくれんでもいいですよ。親族も悲しがってくれなくていいです。悲しんでもらってもオレにはわからないんだから全然必要ないですね」と独自の持論を語っている[69]。また、「過去に死んだ人より今を生きる人と過ごす時間を大事にしたい、冷たいって思われるかもしれないけど」とも述べている。
- 生きていく上で一番幸せなことは「自分の考えている事を行動に移して実現する事」と述べている。
仕事に対する姿勢
- 仕事観について「サラリーマンの仕事なんてみっともないことばかり、心の貧しい生活を強いられているのがサラリーマン」「仕事はつらいことをする代わりにお金をもらうもの、お金を貰えるなら何でも我慢できる、どんな悩みも困ったこともすべてお金が解決してくれる」「仕事をしている間は雇い主に自分の考えも時間も拘束されていると割り切っているので嫌なことがあっても我慢できる。プライドはあんまり持たない事」「夢を追いかけ続けるのはいいけど、生活するためのお金はどこか別で稼がなくちゃダメ、衣食足りてこその夢の追求なのだから漫画だけで食えない作家は趣味に徹するべき」「上に立つ立場になっても実力がないのなら立派なことをしようと力まない方がいい」「仕事でやりがいや生きがいを見つけようとするのが間違い。仕事で輝くという人生は変、人は競艇場で輝くために働くんです」という持論を持っており、テレビの仕事でも心がけていることについて、「ディレクターの指示どおり動き、自分の意見は余り主張しないこと。仕事はお金をもらっている以上、諦めて何でもハイハイ言ってたらいいんです。」と述べている[70]。
- テレビ出演当初から「温厚そうで気が弱く人畜無害なおじさん」として、出演者や司会者になじられても常にニコニコ笑っている印象で知られる。そのため、いじられキャラやヨゴレキャラとしてバラエティ番組に出演させられることが多くなり、番組内でギョウ虫検査を受けさせられた事もある。なかでも日本テレビの大晦日特番『絶対に笑ってはいけない地球防衛軍24時』内で「蛭子能収の汗を基に作られた塩大福を出演者が知らずに食べる」という過激なネタが放映され、全国の視聴者に強烈なトラウマを植え付けた。しかし、本人は依頼された仕事は生命に関わる仕事以外は絶対に断らない主義である。これはサラリーマン時代から仕事でつらい事があっても金を貰う対価として割り切れる姿勢から来ているという[12][71][72]。また、いつも笑っているのは「子供の頃から自然に身についたもの」としており「理由もなくニコニコ笑っていれば、相手が正直な気持ちを言いやすいようになるじゃないですか。言うまでもなく、ムッとしているよりは言いやすいですよね。」と理由を述べている[73]。
- 漫画家仲間の根本敬は蛭子のキャラクターを「知的装飾の欠如した言動に特徴があり、物事の本質しか突かぬ蛭子の言葉と特徴的な振る舞いは、その"くまのプーさん"の着ぐるみがずぶ濡れになった様な風体と独特のキャラクターがコメディー番組などで大いに受けるところとなった。」と分析しており、その世間一般の常識にとらわれない、モラルに頓着しない振る舞いゆえ、共演者や視聴者の顰蹙を買うことが多いが、本人は「“視聴者受けするようなことを言わなくては”とは絶対に思いませんでした。だって、それではウソになってしまうから。それで共演者や視聴者から顰蹙を買うようなことがあっても、自分自身でいるためには自分を偽らない事しか手段がなかったんです。」と述べている。
- 楽屋挨拶はしない立場を取っており、楽屋では漫画を描いたり競艇の予想をするなど気ままに過ごしていた。そのため“礼儀知らず”と他人から責められ、「自分よりランクが下の人間には挨拶しない」という事実無根の噂を流された経験があるというが、本人曰く「あいさつという行為そのものが、逆に相手の迷惑になってしまうんじゃないかって考えてしまうんです。別に礼を欠こうと思ってそうしているわけじゃないし、むしろ相手の貴重な時間を奪ってしまうことが怖い。」と独自の自論を述べている[74]。
- 「お金にきゅうきゅうとすることは人としても大切」という持論を持っており、「お金にあくせくして、何がいけないんですかね。オレはずっと貧乏暮らしで漫画だけでは食っていけないから、ちり紙交換などいろんなバイトもしました。その頃は家族が一ヶ月暮らしていける生活費を計算して、その分を稼ぐため、とにかく必死に仕事をしていました。」と述べている。
- 今までにタレント業だけで億単位の収入を稼いでおり、ピーク時には1億円もの年収があった。漫画でも月50万円もの収入があるが「あくまで貧乏人の振りをしている」と述べていおり、ラジオパーソナリティの伊集院光にも「貧乏人を装って必要以上にヘコヘコして笑われるように持っていってるところがありますね。そうすれば視聴者は自分より下の奴がテレビに出てるって安心するんですよ。金持ちだと思われると妬まれたり、恨まれたりするでしょ。だからオレは貧乏人をずっと装い続けているの。」と話したことがある。女性誌のインタビューでも「自分が一番情けないことをどんどん見せて、他人が自分をバカにする態度を見て楽しんでいればいい。向こうはバカにしたつもりでいても、こっちはわざとバカにされるように仕向けているんだから、『あいつは自分をこういう風に見ているんだな』って逆に楽しめばいいし、バカにされることを受け入れた方がいいと思うよ。その方が、気がラクになると思うんだけどなぁ。そんで、自分は誰もバカにしないように気をつけてたらいいじゃん。それにバカにする人がいたとしても、そいつが自分をどう思ってるかなんてそんなに重要かなぁ。」と独自の持論を述べている。
- 女性自身の連載コラム『蛭子能収のゆるゆる人生相談』でも「そうは見えないだろうけど、オレは意外と計算高い」と述べており、「オレはこう見えて世の中の動きを見ているんです。マンガも“ヘタウマ”の時代に、期を逃したらダメだと思って、描きまくりました。テレビも“素人の時代”と言われた時期があって、その波にうまく乗ったんです。時代の波に乗るコツは、競艇場で人の観察をすることですね。レースに熱中しているふりをしながら、そこに集まる人を見ているんです。オレは意外と計算高いんですよ。」と述べている[75][注釈 8]。
恐怖伝説
事実無根の“恐怖伝説”がインターネット上を中心に数多く流布されており、
* 死産した最初の子供が奇形児でホルマリン漬けの標本になっている。
- 賭博行為で捕まった際に反省したのか警察官に 「二度とギャンブルはしません 賭けてもいいです」と言った。
- 父親は漁師で、縄に絡まった仲間の手を鉈で切り落としたエピソードに蛭子は(父を)尊敬したと語っている[注釈 9][76]。
- かつて朝鮮半島の軍事境界線を訪ねるツアーに参加し、絶対不謹慎な笑いをしない事と、まっすぐ歩きなさいという指示があったにもかかわらず、わざとジグザグに歩き、いつものクセでシリアスな場面で笑ってしまったため、警備の米兵にぶん殴られた事がある。
- 交通事故を起こした大竹まことから激しくいじられた際に「人殺しのくせに…」とつぶやいた。
- みうらじゅんが蛭子と対談する時に楽屋で蛭子の手帳を勝手に読んだ際、当日のスケジュールに「つまらない人と対談」と書いてあった。
- 避妊せずセックスして中絶する[注釈 10]。
- 蛭子さんを悪く言うと呪われる[注釈 11]。
- 実の息子を漫画で丸焼き[注釈 12]。
- テレビで臆することなくバカチョンカメラと発言したことがある。
- 手塚治虫に「あんなのを野放しにしたら、僕の築き上げた日本マンガ全体が駄目になる」と恐れられる。
など枚挙にいとまがない。
これら噂の大部分は蛭子の知人らが面白半分で流したものであった事が判明している。事実無根の“恐怖伝説”に関して蛭子本人は、「オレの噂話のなかには、かなり誇張されたり間違ったりして伝わってるものがありますが、まったく気にしませんね。だってオレの事をタダで宣伝してくれるんですから。それをテレビ局の人が見て次の仕事やお金につながるかもしれない。伊集院光さんや水道橋博士さんも、オレのことを『芸能界一のクズ』とか『芸能界一恐ろしい男』として、ラジオやテレビで宣伝してくれるんですよ。」と述べ、「噂はどう転ぶかわかりません。逆に楽しんでいればいいんです。」と一蹴した[77]。実際に蛭子の噂を聞きつけた勝俣州和がTBSテレビのバラエティ番組『水曜日のダウンタウン』に「蛭子能収を超えるクズそうそういない説」として検証企画を持ち込みオンエアされるなどしている。
ギャンブル
- 無類のギャンブル好きで競艇から麻雀、パチンコ、カジノまでオールラウンドにこなす。妻とラスベガス旅行中もカジノにはまった。丁半、チンチロリンなど大衆博戯も得意領域である。競馬は得意領域ではないためスポーツ新聞の予想を頼りにしている。競馬にのめり込まない理由として「動物に興味がない」「動物に癒されたことはない」「人と動物は気持ちが通じ合わない」「気持ちが通じ合うとすれば、それは人間の思い込み」と独自の倫理観を展開している[78]。
- 高校在学中「高校生はパチンコ禁止」という学校のルールを守り続け、高校の卒業式終了と同時にパチンコ屋に直行した。全国民の中で、高校卒業後に最速でパチンコ屋へ行ったのは自分ではないかと回想している[79]。
- これまでにギャンブルで1億円以上負けている[80]。ただし、借金は一銭も無く「“借金してギャンブル”は確実に地獄行き」「ギャンブルで失敗しても自業自得なんだし身から出た錆」「そんな人間なんて救う必要はない どんどん堕ちて行けばいい」と持論を述べている。
- 2006年8月には大村競艇場で「蛭子能収杯」という一般戦の冠レースが開催され、初日の10 - 12レースは蛭子自らが番組編成に当たった。競艇選手以外の個人名の冠レースは、この蛭子能収杯が競艇史上初。また、2008年からは、大村競艇場で開催されたオール女子戦(2008年と2009年は女子リーグ)のサブタイトルとして「真夏の女王蛭子能収杯」が付けられ、「蛭子ドリーム」と名づけられた初日の12Rのドリーム戦は、蛭子自らメンバー選定、番組編成に当たっている。
- また、2008年から、多摩川競艇場にて「多摩川蛭子カップ」という一般戦の冠レースが開催されている。ここでも初日の後半2レースで蛭子自ら番組編成に当たっている。
- 競艇以外の公営競技では1996年にばんえい競馬のイメージキャラクターを務めていた。
- 1998年11月に、東京都新宿区歌舞伎町の麻雀店で麻雀賭博の現行犯で逮捕、約4か月の間タレントとしての活動を自粛した。その際に、「自分があんな(あの程度の安い)レートで警察の御用になるんだったら、東尾さんなんか懲役ものじゃないのか」と語っていたという[81]。後に「図に乗っていたので、ここで一度落とされて良かった」と回想している[82]。
- 本人をモチーフとしたパチンコ台「CR蛭子能収」「CR蛭人」(高尾より発売)も登場した。
家族
兄と姉の三人兄弟の末っ子。最初の妻との間に儲けた1男1女と、現在の妻の連れ子である義娘の計3人の父[83]。
愛妻家として広く知られており、「人間って誰かを幸せにしたり喜ばせるために生まれてくると思ってるんですよ。で、一番身近な誰かって、結局は家族でしょう。女房は俺を幸せにするために生まれてきた。そして俺は女房を喜ばせるのが運命だった。そういうことではないですかね。」と前妻と死別した際に述べたことがある[84]。
奥さんと仲の良い秘訣については「一緒の布団で寝ること」とのことで「激しい夫婦ゲンカをしても、同じ布団で寝れば肌も触れ合う。そうすると自然と仲直りしているんですよ。」と語っていた[85]。そんな不遇の時代を支えてくれた最初の妻は2001年に肺高血圧症で逝去。前妻の死によって「寄り添う相手の居ない本当の孤独」に襲われたことを述べている。
寂しさのあまりマネージャーや周囲の女性に必死でアプローチをかけたが、すべて失敗したという。その2年後の2003年4月に雑誌・女性自身の企画のお見合いパーティーで19歳年下の女性と知り合い、3年半に及ぶ交際の末、2007年1月に再婚。再婚を機に、それまで住んでいた埼玉県所沢市を離れ新居を構えた。この再婚相手の女性の娘は「蛭子さんの娘」としてテレビに出演している。また、杉作J太郎率いる男の墓場プロダクション製作の映画にて、「希和」の芸名で女優デビューを果たしている。
両親は徳島県海部郡日和佐町(現・美波町) 出身[86]。父親の鹿之助は漁師[87]。
長男の蛭子一郎(1974年 - )はKID所属の元ゲームプログラマーで、現在はノイジークローク所属のサウンドデザイナー[88]。かつて『スーパーJOCKEY』の熱湯風呂に親子で入らされたこともある[89]。
故郷に対する想い
海と山と島の自然が見える故郷・長崎には思い入れがあり、実家があった場所に女神大橋の橋脚が完成したことについて、「自然の中に鉄骨がある風景はあんまり好きじゃない。島がいっぱいあって、夕日がきれいな景色とかは、ずっと大切にしてほしい。」とコメントしている[90]。
笑い上戸
子供の頃から笑ってはいけない場面で笑ってしまう失笑恐怖症を患っており、国語の時間で教科書を朗読する際にも必ず笑ってしまい、ほかの生徒達が面白がって笑ってくれても、段々と白けていき、静かな教室で自分の苦しい笑い声と先生の怖そうな顔が目立って冷や汗をかいたという。歯科医院でも笑ってしまい、顔を真っ赤にして涙を流しながら金具を口に入れて治療を受けた際に、看護婦に「痛かったですか?」と勘違いされた。眼科でも「笑ってはいけない」と治療に望むも、目医者が目薬を注す時に「おっとっと」と口にして頬に一滴落としてしまい、思わず二、三分間、笑い続けてしまったという。親戚が亡くなった際も同じ親戚の女の子と爆笑しながら、葬式の一番後ろに着いて回ったこともある。この時から「親の葬式の時は果たして笑わないでいられるだろうか。どれ程、深刻ぶる事が出来るのだろうか」と常に悩んでいたという[91]。
出演するテレビ番組でも、悲しい場面で笑ってしまい、生放送だったため、CMに切り替えられたことがある[85]。きたろうは以前に蛭子と共演した際、蛭子が「きたろうさんが刑事役をやるのがおかしい」と笑ってばかりでNGを連発してしまい、ひどい目に遭っている[92]。競走馬のテンポイントの感動シーンでも、ひとり爆笑して雰囲気を壊したことがある[93]。また、雑誌の企画で杉作J太郎の包茎手術の様子を漫画に描くため手術現場に同行した際にも「あそこがキノコ雲になってる」と終始爆笑していた事が明かされている。
蛭子自身「結婚式も葬式もパーティも“式”そのものがすごく苦手」「特に葬式は極力行かないようにしている」と述べており[94]、知人の葬式でも「参列者全員が神妙な顔をしている」「笑ってはいけないシリアスなシーンにいる自分が滑稽」ということがおかしくて笑ってしまい、そのため「笑う悪魔」というニックネームを付けられた事もある。自身のファンクラブ会長の葬儀に参列した際には、棺の中に自著『なんとなくピンピン』が収められているのを見て笑いが止まらなくなり、会葬者をあ然とさせ、連れだされた逸話がある[94]。この悪い癖のため、逸見政孝の追悼番組で出演を拒否されたこともあった(出演拒否の英断を下したディレクターは何の因果か交通事故で翌年死亡)[95]。また、ビートたけしの母が1999年に亡くなった際に葬儀に参列した際も、笑顔で葬式を過ごし、北野家の遺族達を激怒させたと言う[94]。また、自身の母親の葬式でも終始笑顔で、親類にたしなめられたという。26年ぶりに再会した実兄も葬式を笑顔で過ごし、葬儀終了後に2人でパチンコに出掛けようとしたという[96]。
ただし、最愛の元妻が死去した時は唯一涙を流して悲しんだ[94]。その後、「オレは両親が死んだときでさえ泣かなかった。人でなしと思われるかもしれないが、人前で変に感情をあらわにするなんて、恥ずかしいことだと思っていた。でもこの時は生まれて初めて本当の孤独というものを知ったのかもしれない。」と述べている[97]。
作品
漫画単行本
※現在多くの作品が紙媒体で入手困難
- 地獄に堕ちた教師ども (1981年 青林堂※絶版)
- 私はバカになりたい(1982年 青林堂※絶版)
- 私の彼は意味がない (1982年 青林堂※絶版)
- 私は何も考えない (1983年 青林堂※絶版)
- なんとなくピンピン (1983年 青林堂※絶版)
- ゲイジュツ魂 (1984年 青林堂※絶版)
- お隣さん (1985年 青林堂※絶版)
- サラリーマン危機一発 (1985年 河出書房新社※絶版)
- 狂ったバナナ-シュール・ド・エロ (1985年 辰巳出版※絶版)
- 実験電車-シュール・ド・エロ (1985年 辰巳出版※絶版)
- 超短編傑作漫画集 (1985年 宝島社※絶版)
- 馬鹿バンザイ (1986年 青林堂※絶版)
- 家族天国 (1986年 双葉社※絶版)
- 死んでも笑へ!! (1987年 青林堂※絶版)
- 明るい映画館 (1987年 白泉社※絶版)
- 日本の友人 (1988年 青林堂※絶版)
- 蛭子能収の人生日記 (1989年 青林堂※絶版)
- イカすバカウマ天国 (1990年 白泉社※絶版)
- 笑う悪魔の黙示録 (1990年 マガジンハウス※絶版)
- ISBN 978-4838701568 ※絶版)
- 蛭子ファンクラブ (1992年 宝島社※絶版)
- 蛭子漫画 (1993年 辰巳出版※絶版)
- これは何だ!えびすよしかず作品集 (1996年 日本文芸社※絶版)
- 黒いギャンブラー (1996年 竹書房※絶版)
- 私立探偵エビスヨシカズ (1997年 ブルースインターアクションズ※絶版)
- 俺は大丈夫 (2001年 青林堂※絶版)
- 蛭子能収コレクション (2004年 マガジンファイブ※絶版)
- 地獄編「地獄を見た男」(解説 根本敬 ISBN 978-4-4340-3887-7)
- ギャンブル編「パチンコ屋はインテリを嫌う」(解説 井崎脩五郎 ISBN 978-4-4340-3888-4)
- グルメ編「雪と女とラーメンと」(解説 杉作J太郎 ISBN 978-4-4340-3889-1)
- 動物編「豚男ジャパニーズ」(解説 タナダユキ ISBN 978-4-4340-4507-3)
- 病気編「鼻は詰まった」(解説 しまおまほ ISBN 978-4-4340-4109-9)
- 映画編「ダウンバイローでこんにちは」(解説 ダンカン ISBN 978-4-4340-4110-5)
- SF&ミステリー編「美しき死体」(解説 掟ポルシェ ISBN 978-4-4340-4506-6)
- 蛭子能収コレクションは7冊刊行。本来は全21冊の出版予定だったが、いまだ刊行していない。
- 青林工藝舎改訂版 地獄に堕ちた教師ども (2016年 青林工藝舎)
作品リスト
作品名 | 形態 | 作品を収録している単行本 | 初出 |
---|---|---|---|
地獄に堕ちた教師ども | 短編 | マン (1970年)[98] | マン 1970年 |
帰り道はきつかった | 短編 | マン (1970年) | マン 1970年 |
恐るべき美声年 | 短編 | マン (1970年) | マン 1970年 |
狂気が彷徨う | 短編 | ||
パチンコ | 短編 | なんとなくピンピン (1983年) | ガロ 1973年8月号 |
競艇時代 | 短編 | 私はバカになりたい (1982年) | ガロ 1974年1月号 |
仕事風景 | 短編 | 地獄に堕ちた教師ども (1981年) | ガロ 1974年3月号 |
仁義なき戦い | 短編 | 地獄に堕ちた教師ども (1981年) | ガロ 1974年5月号 |
超能力 | 短編 | 地獄に堕ちた教師ども (1981年) | ガロ 1974年8月号 |
勝手にしやがれ | 短編 | 地獄に堕ちた教師ども (1981年) | ガロ 1975年4月号 |
疲れる社員たち | 短編 | 地獄に堕ちた教師ども (1981年) | ガロ 1975年12月号 |
愛の嵐 | 短編 | 地獄に堕ちた教師ども (1981年) | ガロ 1976年7月号 |
地獄に堕ちた教師ども | 短編 | 地獄に堕ちた教師ども (1981年) | JAM 特別ゲリラ号 1980年 |
真夜中のパーティー | 短編 | 地獄に堕ちた教師ども (1981年) | 漫画ピラニア 1981年 |
地獄のサラリーマン | 短編 | 地獄に堕ちた教師ども (1981年) | ガロ 1981年6月号 |
知識人のレポート | 短編 | 私はバカになりたい (1982年) | JAM vol.7 1981年 |
僕の村は平和だった | 短編 | 私はバカになりたい (1982年) | |
勉強する乙女たち | 短編 | 私はバカになりたい (1982年) | |
ペニスに死す | 短編 | 私はバカになりたい (1982年) | 漫画ピラニア 1981年8月号 |
不確実性の家族 | 短編 | 私はバカになりたい (1982年) | JAM |
私はバカになりたい | 短編 | 私はバカになりたい (1982年) | |
食生活と人間 | 短編 | 私はバカになりたい (1982年) | |
普通の人々 | 短編 | 私はバカになりたい (1982年) | |
マッチ売りの主婦 | 短編 | 私はバカになりたい (1982年) | |
芸術家は怒った | 短編 | 私はバカになりたい (1982年) | ガロ 1981年8月号 |
なんとなく左翼 | 短編 | ガロ 1981年9月号 | |
自立する女 | 短編 | ガロ 1981年12月号 | |
鼻は詰まった | 短編 | 蛭子能収コレクション (病気編) | ガロ 1982年1月号 |
美しき死体 | オムニバス (全3話) |
蛭子能収コレクション (SF&ミステリー編) | ガロ 1982年7月号 ガロ 1982年11月号 ガロ 1982年12月号 |
ハエと人間 | 短編 | ガロ 1982年10月号 | |
少女の秘密 | 短編 | 私はバカになりたい (1982年) | |
サラリーマンは2度イライラする | 短編 | 私はバカになりたい (1982年) | JAM vol.9 1981年 |
私の彼は意味が無い | 短編 | 私の彼は意味が無い (1982年) | 漫画ピラニア 1982年6月号 |
旅芸人の記録 | 短編 | 私の彼は意味が無い (1982年) | |
ピラニアボーイ | 短編 | 私の彼は意味が無い (1982年) | |
恐るべき関係 | 短編 | 私の彼は意味が無い (1982年) | |
そして誰も考えなくなった | 短編 | 私の彼は意味が無い (1982年) | |
少女地獄 | 短編 | 私の彼は意味が無い (1982年) | |
豚男ジャパニーズ | 短編 | 私の彼は意味が無い (1982年) | |
地下鉄のサンバ | 短編 | 私の彼は意味が無い (1982年) | |
私は少女に軽蔑されたのだった | 短編 | 私の彼は意味が無い (1982年) | |
安定と人間 | 短編 | 私の彼は意味が無い (1982年) | |
少女死すべし | 短編 | 私の彼は意味が無い (1982年) | |
日本春歌考 | 短編 | 私の彼は意味が無い (1982年) | |
警察官の仕事 | 短編 | 私の彼は意味が無い (1982年) | |
狂気こうもり人間 | 短編 | 私の彼は意味が無い (1982年) | |
密室殺人事件 | 短編 | 私は何も考えない (1983年) | |
私は昔痴漢だった | 短編 | 私は何も考えない (1983年) | ガロ 1983年2・3月号 |
悪徳の栄え | 短編 | 私は何も考えない (1983年) | ガロ 1983年4月号 |
私は何も考えない | 短編 | 私は何も考えない (1983年) | ガロ 1983年5月号 |
明るい町 | 短編 | 私は何も考えない (1983年) | ガロ 1983年8月号 |
私は真剣な話が嫌いだ!! | 短編 | 私は何も考えない (1983年) | ガロ 1983年10月号 |
わからなくっても大丈夫 | 短編 | 私は何も考えない (1983年) | |
サラリーマン教室 | 短編 | 私は何も考えない (1983年) | |
腐れる主婦 | 短編 | 私は何も考えない (1983年) | |
チンポ屋ケンちゃん | 短編 | 私は何も考えない (1983年) | |
最後の異常者 | 短編 | 私は何も考えない (1983年) | |
去年マリエンバードで | 短編 | 私は何も考えない (1983年) | |
続去年マリエンバードで | 短編 | 私は何も考えない (1983年) | |
沈黙 | 短編 | 私は何も考えない (1983年) | |
謙虚に行こうぜ!! | 短編 | なんとなくピンピン (1983年) | |
犯され上手 | 短編 | なんとなくピンピン (1983年) | |
史上最低のセックス | 短編 | なんとなくピンピン (1983年) | |
なんとなくピンピン | 短編 | なんとなくピンピン (1983年) | |
地獄のサラリーマンPart2 | 短編 | なんとなくピンピン (1983年) | ガロ 1981年11月号 |
スチャラカ社員 | 短編 | なんとなくピンピン (1983年) | |
禁じられた遊び | 短編 | なんとなくピンピン (1983年) | ガロ 1982年5月号 |
怪しい女 | 短編 | なんとなくピンピン (1983年) | ガロ 1982年8月号 |
太陽は傷だらけ | 短編 | なんとなくピンピン (1983年) | |
女のいない街 | 短編 | なんとなくピンピン (1983年) | |
忘れられた人々 | 短編 | なんとなくピンピン (1983年) | |
骨正月 | 短編 | なんとなくピンピン (1983年) | |
怪奇正常学園 | 短編 | なんとなくピンピン (1983年) | |
ベトナム伝説 | 短編 | ベトナム伝説 (1984年) | ベトナム伝説 (1984年) |
村田の首 | 短編 | ガロ 1984年2・3月号 | |
ポルノだけは描きたくなかった | 短編 | ガロ 1984年4月号 | |
人生の分かれ道 | 短編 | 馬鹿バンザイ (1986年) | ガロ 1984年7月号 |
孤独の地下 | 短編 | ガロ 1984年8月号 | |
地獄を見た男 | 短編 | 馬鹿バンザイ (1986年) | ガロ 1984年9月号 |
時には子供を教育する親 | 短編 | 馬鹿バンザイ (1986年) | ガロ 1984年10月号 |
失われた世界 | 長編 | ガロ 1984年11月号 - 1985年2・3月号 ガロ 1985年5月号 ガロ 1985年7月号 | |
血の河 | 短編 | 馬鹿バンザイ (1986年) | |
神経科のコピーライター | 短編 | 馬鹿バンザイ (1986年) | ガロ 1985年4月号 |
芸術と革命 | 短編 | サラリーマン危機一発 (1985年) | ガロ 1985年6月号 |
汝よインテリに泣け!! | 短編 | 馬鹿バンザイ (1986年) | ガロ 1985年11月号 |
出世払い | 短編 | 馬鹿バンザイ (1986年) | ガロ 1985年12月号 |
のぞいていいとも | 短編 | 馬鹿バンザイ (1986年) | |
計られたポルノ | 短編 | 馬鹿バンザイ (1986年) | |
エロの実践 | 短編 | 馬鹿バンザイ (1986年) | |
バカ者たち | 短編 | 馬鹿バンザイ (1986年) | |
日本変態大図鑑 | 短編 | 馬鹿バンザイ (1986年) | |
パチンコ屋はインテリを嫌う | 短編 | 馬鹿バンザイ (1986年) | |
犯される主婦達 | 短編 | 馬鹿バンザイ (1986年) | |
金持ちのタンゴ | 短編 | 馬鹿バンザイ (1986年) | |
悲しみのラーメン | 短編 | 馬鹿バンザイ (1986年) | |
怪奇あまのじゃく | 短編 | 馬鹿バンザイ (1986年) | ガロ 1986年4月号 |
やくざ魂 | オムニバス (全3話) |
馬鹿バンザイ (1986年) | ガロ 1983年9月号 ガロ 1983年11月号 ガロ 1983年12月号 |
兄弟仁義 | 短編 | 馬鹿バンザイ (1986年) | ガロ 1986年2・3月号 |
貧乏家族に幸せはやってこない!! | 短編 | 家族天国 (1986年) | 月刊スーパーアクション 1985年3月号 |
家族開放への道 | 短編 | 家族天国 (1986年) | 月刊スーパーアクション 1985年5月号 |
路地の散歩者 | 短編 | 家族天国 (1986年) | 月刊スーパーアクション 1985年6月号 |
俺の息子に手を出すな | 短編 | 家族天国 (1986年) | 月刊スーパーアクション 1985年7月号 |
無意味な心中 | 短編 | 家族天国 (1986年) | 月刊スーパーアクション 1985年8月号 |
道徳という名の暴力 | 短編 | 家族天国 (1986年) | 月刊スーパーアクション 1985年9月号 |
最後の宿題 | 短編 | 家族天国 (1986年) | 月刊スーパーアクション 1985年10月号 |
家族の清算 | 短編 | 家族天国 (1986年) | 月刊スーパーアクション 1985年11月号 |
マイホーム自然流 | 短編 | 家族天国 (1986年) | 月刊スーパーアクション 1985年12月号 |
大人の遊び | 短編 | 家族天国 (1986年) | 月刊スーパーアクション 1986年1月号 |
岩場のスキャット | 短編 | 家族天国 (1986年) | 月刊スーパーアクション 1986年2月号 |
裏切り夫婦 | 短編 | 家族天国 (1986年) | 月刊スーパーアクション 1986年3月号 |
やくざと子供 | 短編 | 家族天国 (1986年) | 月刊スーパーアクション 1986年4月号 |
第3の親 | 短編 | 家族天国 (1986年) | 月刊スーパーアクション 1986年5月号 |
恋の権利 | 短編 | 家族天国 (1986年) | 月刊スーパーアクション 1986年6月号 |
感性のミステリー | 短編 | 家族天国 (1986年) | 月刊スーパーアクション 1986年7月号 |
エンゲルとグレーテル | 短編 | 家族天国 (1986年) | 月刊スーパーアクション 1986年8月号 |
サラリーマン征服 | 短編 | 家族天国 (1986年) | 増刊漫画アクション 1984年5月8日号 |
狂ったセールスマン | 短編 | 家族天国 (1986年) | 増刊漫画アクション 1984年7月27日号 |
僕たちの失敗 | 短編 | 家族天国 (1986年) | 増刊漫画アクション 1984年1月25日号 |
職員室は狂った | 短編 | 家族天国 (1986年) | 漫金超 1983年 第5号 |
さん式 | 短編 | 蛭子能収コレクション (ギャンブル編) | 平凡パンチ 掲載年月不明 |
夜汽車 | 短編 | 明るい映画館 (1987年) | 明るい映画館 (1987年) |
炎のランナー | 短編 | 明るい映画館 (1987年) | 漫画ピラニア 1985年4月号 |
魚影の群れ | 短編 | 明るい映画館 (1987年) | 漫画ピラニア 1985年5月号 |
伊豆の踊り子 | 短編 | 明るい映画館 (1987年) | 漫画ピラニア 1985年7月号 |
コミック雑誌なんかいらない | 短編 | 明るい映画館 (1987年) | 漫画ピラニア 1985年8月号 |
映画女優 | 短編 | 明るい映画館 (1987年) | 漫画ピラニア 1986年2月号 |
それから | 短編 | 明るい映画館 (1987年) | 漫画ピラニア 1986年3月号 |
コマンドー | 短編 | 明るい映画館 (1987年) | 漫画ピラニア 1986年4月号 |
ホテル・ニューハンプシャー | 短編 | 明るい映画館 (1987年) | 漫画ピラニア 1986年5月号 |
戦争のはらわた | 短編 | 明るい映画館 (1987年) | 漫画ピラニア 1986年6月号 |
異邦人 | 短編 | 明るい映画館 (1987年) | 漫画ピラニア 1986年8月号 |
ストレンジャー・ザン・パラダイス | 短編 | 明るい映画館 (1987年) | 漫画ピラニア 1986年10月号 |
ヒッピーの王者 | 短編 | ガロ 1986年10月号 | |
犯罪天国 | 短編 | ガロ 1986年11月号 | |
そろばんずく | 短編 | 明るい映画館 (1987年) | 漫画ピラニア 1986年12月号 |
ハスラー2 | 短編 | 明るい映画館 (1987年) | 漫画ピラニア 1987年1月号 |
イレイザーヘッド | 短編 | 明るい映画館 (1987年) | どすこいイラスト (1983年) |
いなごの大群VS仮装行列の群衆・アメ横の闘い | 短編 | ガロ 1987年1月号 | |
好青年の異常な行動 | 短編 | ガロ 1987年6月号 ガロ 1987年8月号 | |
長崎物語 | 中編 | ガロ 1986年6月号 - 1986年8月号 | |
私立探偵松尾 | 長編 | 私立探偵エビスヨシカズ (1997年) | ガロ 1988年10月号 - 1989年10月号 |
不条理でポン | 4コマ | 宝島 VOW | |
あんたは太ってる | 短編 | 青林工藝舎 アックス Vol.48 | |
枯木 | 短編 | 青林工藝舎 アックス Vol.65 | |
嫉妬で濡れた美女 | 短編 | 青林工藝舎 アックス Vol.66 | |
隔月蛭子劇画プロダクション社内報 | 短編 | 青林工藝舎 アックス Vol.68 - | |
なんて日だ!! | 短編 | 実話ナックルズ 2015年3月10日号 | |
夜の女 | 短編 | 小説新潮 2015年11月号 |
著書
- エビスヨシカズの秘かな愉しみ(1985年 晶文社※絶版) ISBN 978-4-7949-5718-4
- 文庫版(1998年 講談社※絶版) ISBN 978-4-0625-6269-0
- 気弱なギャンブラー(1990年 太田出版※絶版) ISBN 978-4-9004-1692-5
- くにとのつきあいかた(1991年 思想の科学社※絶版)
- 競艇入門(1992年 ポケットブック社※絶版) ISBN 978-4-3411-4038-0
- なんとかなるかも(1993年 太田出版※絶版) ISBN 978-4-8723-3129-5
- 蛭子能収のコワイもの見たさ(1995年 世界文化社※絶版) ISBN 978-4-4189-4514-6
- エビスさんのパチンコ日記(1996年 双葉社※絶版) ISBN 978-4-5752-8555-0
- 笑う蛭子の副作用 - 人生やっぱり計算ずくが上々です。(1996年 コスモの本※絶版) ISBN 978-4-9063-8068-8
- 正直エビス(1996年 新宿書房※絶版) ISBN 978-4-8800-8229-5
- ヘタウマな愛(2002年 ベストセラーズ※絶版) ISBN 978-4-5841-8692-3
- こんなオレでも働けた(2007年 講談社※絶版) ISBN 978-4-0628-2054-7
- ひとりぼっちを笑うな(2014年 KADOKAWA) ISBN 978-4-0410-1811-8)
- 芸能界 蛭子目線(2015年 竹書房) ISBN 978-4-8019-0232-9)
- 蛭子能収のゆるゆる人生相談(2015年 光文社) ISBN 978-4-3349-7828-0)
- 僕はこうして生きてきた ―NO GAMBLE,NO LIFE.(2016年 コスモの本) ISBN 978-4-8648-5026-1
この他、1994年8月に出版された朝伊達宙也の『マンガ麻雀入門』(永岡書店:刊 ISBN 978-4-5222-1235-6)の監修及び本文解説文章執筆や本書内の写真出演もしている。
作詞
- ムーンライダーズ「だるい人」(アルバム「Don't trust over thirty」収録)
- 鈴木慶一「人間の条件(ちょうけん)」(アルバム「THE LOST SUZUKI TAPES」収録)
- 蛭子能収「切り裂きジャップ」(アルバム「HAVE A NICE DIE!」収録)
ジャケットイラスト
- ヒカシュー「私はバカになりたい」(1983年/自主制作レーベル「スピノザ」)
- 楽しい音楽「やっぱり楽しい音楽」(1983年/自主制作レーベル「クリちゃんレコード」)
- ばちかぶり「ばちかぶり」(1985年/ナゴムレコード)
- 恐悪狂人団「カタストロフ」(1989年/殺害塩化ビニール)
- 東京ギョギョーム(オレンジチューブ)「エレキのテロリスト」(1988年/パフェレコード)
- 河内家菊水丸「エイズ音頭」(1993年/NTT出版・アメリカーナレコード)
- ザ・ゲロゲリゲゲゲ「パンクの鬼(TOKYO ANAL DYNAMITE)」(1990年/自主制作レーベル「Vis a Vis record」)
- ザ・フォーク・クルセダーズ「シングル・コレクション」(1991年/東芝EMI)
- 嘉門達夫「スモーキン・ブギ レディース」(1994年/ビクターエンタテインメント)
- ハイテクノロジー・スーサイド「HAVE A NICE DIE!」(2007年/Pヴァイン・レコード)[注釈 13]
- V.A.「ストレスバスターズ」(2008年/エイベックス・エンタテインメント)
- ダースレイダー 「WHY WE BURN!?? EP」(2008年/Da.Me.Records)
- なつの組(ミッキー吉野&竹越かずゆき)「YES I WILL/笑顔取り戻すまで」(2010年/ディウレコード)
- テレピン油「テレピン油」(年度及び詳細不明)
個展
- えびすリアリズム -蛭子さんの展覧会- (2011年長崎歴史文化博物館)初の個展であり、故郷長崎で開催された。旧作・新作と共に彼のアート作品も展示された。
- 新春えびすリアリズム -蛭子さんの展覧会- (2016年渋谷パルコ)
出演作品
テレビドラマ
- 天津甘栗
- 金曜エンタテイメント「おばさんデカ 桜乙女の事件帖シリーズ」 - 桜雅樹 役
- 教師びんびん物語・教師びんびん物語II
- いつも誰かに恋してるッ
- 妻をめとらば
- 芸能社会
- 世にも奇妙な物語「なんなのォ!?」(1992年) ‐ 西村政夫
- ボクたちのドラマシリーズ「放課後」 - 電気工事作業員 役
- じゃじゃ馬ならし - 渡部利夫 役
- 打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?
- オトコの居場所
- ナースのお仕事スペシャル - 佐伯(患者)役
- 月曜ドラマスペシャル「キツイ奴らスペシャル ―栄冠は君に輝く―」(1990年7月16日、TBS)
- 暴れん坊将軍IX 第30話「旗本屋敷の秘密! 罠に落ちた子連れ医者」(1999年、テレビ朝日) - 与一呂役
- 少年たち3(第1話 2001年8月16日、NHK総合) - オヤジ狩りに遭う男性 役
- 大河ドラマ(NHK)
- 佐藤四姉妹
- 花嫁は厄年ッ!
- 東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜(2006年11月18日) - 多田羅正行 役
- 火曜サスペンス劇場 - 波佐見焼の窯元 役
- 土曜ワイド劇場
- 「法医学教室の事件ファイル24」(2007年) - 大泉正雄
- 「100の資格を持つ女〜ふたりのバツイチ殺人捜査〜1」(2008年) ‐ 松田所長
- 帰ってきた時効警察(第1話 2007年4月13日、テレビ朝日) - 作業員 役
- ガリレオ(第2話 2007年10月22日、フジテレビ) - 工場長 役
- モップガール(第8話 2007年11月30日、テレビ朝日) - 官能小説家・縄縛鬼介 役
- 土曜ドラマ・刑事の現場(第1話 2008年3月1日、NHK総合)
- 猟奇的な彼女(2008年4月、TBS)(第1話 2008年4月20日、TBS
- 月曜ゴールデン「女教師探偵・西園寺リカの殺人ノート」(2008年5月19日、TBS) - 藤原 役
- 福家警部補の挨拶〜オッカムの剃刀〜(2009年1月2日、NHK総合)
- 交渉人〜THE NEGOTIATOR〜 (2009年2月28日、テレビ朝日) - 坂崎達郎 役
- 超人ウタダ(2009年、WOWOW) - 柳苗彦 役
- 坂の上の雲(2009年11月29日、NHK総合 他)- 骨董屋 役
- ハンチョウ〜神南署安積班〜シリーズ2 第6話(2010年2月17日、TBS)
- 逃亡者PLAN.B(原題:도망자PLAN.B)第3話(2010年10月6日、韓国KBS2)- レストランの店員 役
- ドラマW「ビート」(2011年2月13日、WOWOW)
- 下流の宴 第2話(2011年6月7日、NHK総合)
- 水戸黄門 第43部 第1話「家族おもいの武士魂 -江戸-」(2011年7月4日、TBS) - 惣兵衛 役
- サスペンスドラマSP「ボクら星屑のダンス」(2011年10月6日、テレビ東京) - 検問の警官 役
- ドラゴン青年団 第3話(2012年8月14日、毎日放送) - 用務員 役
- 孤独のグルメ Season3 第4話(2013年7月31日、テレビ東京) - 碁盤店主人 役
- サザエさん アニメ&ドラマで2時間半SP(2013年12月1日、フジテレビ)- 画家 役
- 三匹のおっさん〜正義の味方、見参!!〜 第4話(2014年2月7日、テレビ東京]]) - 野島真一 役
- 水曜ミステリー9「鑑識特捜班・九条礼子〜骨を知る女〜3」(2014年4月16日、テレビ東京) - 和泉義仁 役
- プレミアムドラマ「ひとつ星の恋〜天才漫才師 横山やすしと妻〜」後編(2014年11月30日、NHK BSプレミアム)
- 保育探偵25時〜花咲慎一郎は眠れない!!〜 最終話(2015年3月13日、テレビ東京) - 医師 役
- 水曜ミステリー9「事故調」(2015年4月1日、テレビ東京) - 島崎勝吉 役
- 美女と男子 第3話(2015年4月28日、NHK総合) - 吉田努 役
- NHKスペシャル「私が愛する日本人へ〜ドナルド・キーン 文豪との70年〜」(2015年10月10日、NHK総合)ドラマ部分 - 古書店の主人 役
- 新春時代劇「信長燃ゆ」(2016年1月2日、テレビ東京) - 闘鶏場の見物客 役
映画
- 自主制作映画(1984年)[注釈 14]
- ファンシイダンス(1989年) - 社員 役
- ツルモク独身寮(1991年) - 三反田春彦 役
- バカヤロー!4 YOU! お前のことだよ第二話「カラダだけの男」(1991年)
- 無能の人(1991年)
- 未来の想い出 Last Christmas(1992年)
- 夜逃げ屋本舗(1992年)
- すももももも(1995年)
- 打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?(1995年) - おでん屋の客 役
- ご存知!ふんどし頭巾(1997年) - 榎田一平太 役
- 十五才 学校IV(2000年) - 大角 役
- 折り梅(2001年)
- ウォーターボーイズ(2001年) - 和菓子屋主人 役
- 劇場版 仮面ライダー龍騎 EPISODE FINAL (2002年) - 豪邸の主 役
- 地獄甲子園(2002年) - 十兵衛の親父 役
- ヘヴンズ・ドア 殺人症候群(2003年)
- ドラッグストア・ガール(2003年)
- ぷりてぃ・ウーマン(2003年) - 畑中康雄 役
- 月とチェリー(2004年) - 書店の店長 役
- 蝉しぐれ(2005年) - 小助 役
- 寝ずの番(2006年) - 田所 役
- 自虐の詩(2007年) - 新聞販売店主 役
- エクステ(2007年)
- マリと子犬の物語(2007年)
- 次郎長三国志(2008年) - 保下田の久六 役
- 僕の彼女はサイボーグ(2008年) - 駄菓子屋のオヤジ 役
- GOEMON(2009年)
- はやぶさ/HAYABUSA(2011年)
- ALWAYS 三丁目の夕日'64(2012年)
- テルマエ・ロマエ(2012年) - 部長 役
- 俺はまだ本気出してないだけ(2013年) - クニさん 役
- オシャレ番外地(2014年)
- 日々ロック(2014年) - 象徴さん 役
- ハッピーウエディング(2015年)
- 任侠野郎(2016年春公開予定) - 主演・柴田源治 役
- ローカル路線バス乗り継ぎの旅 THE MOVIE(2016年春公開予定) - 主演[99]
オリジナルビデオ
アダルトビデオ
- えびすさんが見てる
ゲーム
CD
- 飯島真理の非売品CD Present(ALFA MOON INC)(1989年)
- いとしのマックス〜ロカビリー・ジャングル・ミックス 「デジタルグルーブ歌謡曲」に収録(1995年)(荒木一郎のいとしのマックスのカバー)
PV
- AKB48『桜の花びらたち2008』 - 教師 役
バラエティ
- 笑ってる場合ですよ!(フジテレビ)
- 笑っていいとも!(1987年 フジテレビ) - レギュラー・それ以外でも多数出演
- 11PM(NTV ゲスト出演)
- クイズダービー(1989年11月25日 TBS) - ゲスト回答者
- クイズ世界はSHOW by ショーバイ!! - ジャイアント馬場と交互で準レギュラー
- 新装開店!SHOW by ショーバイ!!
- スーパージョッキー(NTV レギュラー出演)
- たいむかぷせる(TBS レギュラー出演)
- EXテレビ(NTV YTV) - 番組コーナーの「お暗いマンガ劇場」にレギュラー出演
- さんまのナンでもダービー
- ニョキニョキ植物王国
- 超次元タイムボンバー
- がっちりアカデミー!!
- 世界まる見えテレビ特捜部
- 極楽とんぼのこちらササキ研究所
- ゴールデンタイム
- 目撃!ドキュン
- 24時間テレビ(1993年 - )
- 新橋ミュージックホール - 毎回いろんなキャラクターで登場
- 土曜スペシャル - これまで数回出演しているが、親子で出演したこともある
- ローカル路線バス乗り継ぎの旅シリーズ(レギュラー)
- 大阪ほんわかテレビ(一時期レギュラー)
- 平成教育委員会(一時期準レギュラー)
- アリケン(準レギュラー)
- 王様のブランチ(1997年5月 - 1998年11月)
- アリケン(準レギュラー)
- さんま&くりぃむの芸能界(秘)個人情報グランプリ(2008年 - フジテレビ) - 第一回目から出演
- わたしが子どもだったころ(NHK 2008年9月8日)
- うわっ!ダマされた大賞(日本テレビ)
- 本番前@控室(2011年4月5日 - BS11) - レギュラー出演
- 女傑の導き(2011年4月 - 6月 BS11) - レギュラー出演
- きらきらアフロ(2012年8月15日)
- 美の壺 正月特番「新春“邸宅スペシャル”」(2013年1月1日 NHK)
- ガキの使い 笑ってはいけない熱血教師・完全版(2013年1月8日 NTV)
- ひまの湯(2013年9月8日 STV)
- 腹ペコ!なでしこグルメ旅(2013年10月18日 テレビ東京)
- みんなの疑問 ニュースなぜ太郎(2013年10月 - テレビ朝日)
- バイキング (2014年11月21日 - 2015年3月6日・2015年4月2日 - フジテレビ) - 金曜日コーナーレギュラー、コーナー開始以降は具志堅用高と交互に出演。2015年4月2日から木曜日準レギュラー
- 優しい人なら解ける クイズやさしいね(フジテレビ) - レギュラー出演
- でんぱジャック -World Wide Akihabara-(2015年3月1日・8日・15日 フジテレビ) - ゲスト出演
- 孫まご旅(メ〜テレ 2015年3月8日)
- ヒルナンデス!(2015年4月1日 NTV) - ゲスト出演
- アメトーーク!(2015年6月25日・7月9日 テレビ朝日) - ゲスト出演
- はに丸ジャーナル(2015年8月21日 NHK)
- ビートたけしのTVタックル(2015年11月9日 テレビ朝日) - ゲスト出演
- 蛭子の図解の教典(2016年1月5日 テレビ東京) - MC[100]
- 遠くへ行きたい 第2300回「蛭子流 桃太郎の国をゆく-岡山県 岡山・高梁・湯原温泉-」(2016年3月27日 読売テレビ) - ゲスト出演
CM
- 徳山ボート(1990年代)
- びわこボート(1993年頃、CMの最後に「だからやめられない!びわこボート」と言う台詞を発していた)
- 福岡ボート
- 学生援護会
- 公共広告機構(現:ACジャパン)(ナレーション)
- カルビー「とうもろこしスナック」
- オートバックス(1992年)
- メルシャン(以前)
- グンゼ(1995年)
- トヨタ自動車(1996年)(加藤紀子と共演、ABSとエビスの語呂合わせ)
- 中部電力「電気温水器」(1998年、久本雅美と共演)
- 東洋水産「ホットヌードル」(鈴木蘭々と共演)
- 長崎歴史文化博物館(2011年)(自身の個展『えびすリアリズム -蛭子さんの展覧会-』)
- WILLCOM(2011年10月 - 11月・2012年3月 - )
- フラワーギャラリー オランダヤ(地元長崎の花屋)
- 城南建設「住宅情報館」(2013年12月 - くりぃむしちゅー、Rev. from DVLと共演)
- マニュライフ生命(2014年12月 - )(太川陽介と共演)
- Fuji & gumi Games「ファントム・オブ・キル」(2015年3月、テレビCMの出演権を掛けでんぱ組.incと人気投票で対決し敗北。しかし、予想を超える投票数が集まったため1度のみ放映された。現在はYouTube公式チャンネルにて配信している)
ネット配信
解説・インタビュー
- 蛭子能収作品レビュー『地獄に堕ちた教師ども』(青林堂・1981年)
- 漫画家・蛭子能収を再評価せよ!
- 地上にはない美しさを求めて…黒いエビちゃん!笑う悪魔、地下住人の星・蛭子能収がOG降臨! (1/6) - OCN TODAY(2009年11月25日)
- 驚愕の趣味嗜好が明らかに…黒いエビちゃんの興奮ポイントに一同唖然! (2/6) - OCN TODAY(2009年11月25日)
- 不条理旋風、始動!プロ漫画家・蛭子能収、堂々のデビュー!! (3/6) - OCN TODAY(2009年11月25日)
- 悪魔の癖にメス!蛭子能収が“笑う悪魔”と呼ばれる所以、真実はこれだ! (4/6) - OCN TODAY(2009年11月25日)
- 暴言爆弾の絨毯爆撃!人の悲しみをあざ笑う蛭子能収の真意とは何か!? (5/6) - OCN TODAY(2009年11月25日)
- できれば日の当たる場所へ…華やかな世界に背を向けているわけじゃない (6/6) - OCN TODAY(2009年11月25日)
- 蛭子能収氏インタビュー「世界にはばたけ!蛭子さん~そもそも、なぜ漫画家に?~」 (1/5) 2010年
- 「いつも上司を殺していた」蛭子能収流・今を生き抜く処世術(日刊サイゾー)2009年
- 「奥さんさえいれば、友達はいらない」テレビでは見られない蛭子能収の人づきあい感(日刊サイゾー)2014年
- 「人はそれぞれ自由に生きればいい」蛭子能収の最強の生き方を学ぶ(日刊サイゾー)2015年
- Vol.164 蛭子能収「自由でいたいから自分で食う分は自分で稼ぐ」(就職ジャーナル)2015年
- 蛭子能収 - スターアルバイト烈伝(バイト情報のバイトル)2007年
- 蛭子能収が選ぶ「取り残された映画」10枚
- 蛭子能収「おひとりさまを笑うな」インタビューその1「自分の好きなことをしっかり持て!」2015年
- 蛭子能収「おひとりさまを笑うな」インタビューその2「自己主張は自分にすればいい」2015年
参考文献
- 青林堂『月刊漫画ガロ』1993年4月号「蛭子能収特集」
- 青林堂『月刊漫画ガロ』1995年4月号「蛭子能収+長井勝一インタビュー」
- 根本敬『因果鉄道の旅』幻冬舎・2010年刊
- 根本敬『人生解毒波止場』幻冬舎・2010年刊
- 蛭子能収『私はバカになりたい』青林堂・1982年刊
- 蛭子能収『家族天国』双葉社・1986年刊
- 蛭子能収『正直エビス』新宿書房・1996年刊
- 蛭子能収『ひとりぼっちを笑うな』KADOKAWA・2014年刊
- 蛭子能収『蛭子能収のゆるゆる人生相談』光文社・2015年刊
- 蛭子能収『地獄に堕ちた教師ども』青林工藝舎・2016年刊
脚注
- ^ a b 蛭子能収さんテキトー過ぎムチャクチャ著書イベント 2015年6月24日7時54分 日刊スポーツ
- ^ まんがseek, 日外アソシエーツ編集部 編『漫画家 人名事典』(第1刷)日外アソシエーツ、2003年2月25日、69頁。ISBN 978-4-8169-1760-8。
- ^ a b 『くらたまのえびす顔』(ゴマブックス)著者紹介より。
- ^ a b “TVでた蔵「2011年2月13日放送 わたしが子どもだったころ」”. ワイヤーアクション (2011年2月13日). 2015年3月28日閲覧。
- ^ 『蛭子能収コレクション (映画編)』(マガジン・ファイブ、2004年)-「砂の女」の章より。
- ^ 地上にはない美しさを求めて…黒いエビちゃん!笑う悪魔、地下住人の星・蛭子能収がOG降臨! (OCN TODAY)
- ^ “蛭子能収さん - インタビュー ? ひと ?”. どらく DORAKU (2007年9月25日). 2010年5月7日閲覧。
- ^ a b “蛭子能収 インタビュー”. バイトル. 2015年3月28日閲覧。
- ^ 驚愕の趣味嗜好が明らかに…黒いエビちゃんの興奮ポイントに一同唖然! (OCN TODAY)
- ^ 蛭子能収 - スターアルバイト烈伝(バイト情報のバイトル)
- ^ a b DISCAS INTERVIEW 蛭子能収さん(漫画家) 2008
- ^ a b “【第1回】僕が最近感じることと本を書いた理由”. CAKES (2014年8月26日). 2015年3月28日閲覧。
- ^ 根本は蛭子が世間一般に認知される以前から、蛭子の動向を観察しており、エビス・ウォッチャーの第一人者としても知られ、蛭子の本質(無意識過剰と評したこともある)をつかんでおり、「テレビで見た世間の人は、表面だけ見てだまされている」と語っている。また、2008年には、蛭子劇画プロダクションという蛭子との漫画共作ユニットを結成。雑誌の企画でそれぞれの画風・作風を真似て競作するなど、関係は深い(根本いわく蛭子は根本の漫画を「読んでくれてない」そうだが)。
- ^ 『自殺直前日記』(太田出版)157頁より「蛭子さんや根本さんは天才。自分が描けないことを描いてくれる作家は勇気がある。真にカッコいい(尊敬&崇拝)。私もこーゆー風になりたいと思っているので、無意識に真似して世に出てきた。根本先生、ジョージ秋山先生、蛭子先生、丸尾先生は他人(読者)を全然気にしていない。生身の自分をさらけ出している。勇気がある。私もそうなりたい。でも自分の恥ずかしい部分を認めたくないので描けない。偽物の作家は自分の願望を描いているだけ。こうでありたい自分の姿を描いている。ヒーローを求めている。情けない。私もこれからは、もっと勇気を出して描いていこう。」と日記に書き遺してあり、彼女が崇拝していた根本敬や蛭子能収の作品のように、「非情に徹して我が道を行く」に徹しきれなかった事を生前述べている。
- ^ かつて「俺が音楽でやりたいと思ってたこと全部やられてた」と大きな衝撃を受けた事を述べている。
- ^ 山野は「高校2年か3年の時」に自販機本の『JAM』に掲載されていた「不確実性の家族」(青林堂刊『私はバカになりたい』収録)で初めて蛭子の漫画を読み、大きなショックを受けた事を述べている。また、山野は著作『貧困魔境伝ヒヤパカ』収録の「パチンコのある部屋」にて、蛭子の作風を模倣し、作中にも『私はバカになりたい』の単行本を客演させている。
- ^ 遠藤ミチロウのカセットブック『ベトナム伝説』に掲載されていた蛭子の漫画を読み、大きなショックを受けて漫画家を志した事を述べている。
- ^ 青林工藝舎刊『僕の小規模な失敗』第2話「まんが道失敗!!の巻」より「あんなスゴイマンガを連載する雑誌ってあるのだろうか…?」と大きな衝撃を受けた事を述べている。
- ^ 蛭子の単行本『私はバカになりたい』と同名のシングルを1983年に発表した際に、蛭子にジャケットのイラストを依頼した。その蛭子によるジャケットとヒカシューによる独特な曲調が相まって強烈な印象を植え付けた。
- ^ 影響を受けたアーティストのひとりに蛭子の名前を挙げている。
- ^ 漫画のファンである事を公言しており、武内は蛭子の漫画を「アブノーマルマンガ」と表現している。
- ^ 蛭子にイラストや漫画の仕事を依頼していた。
- ^ かつて劇団東京乾電池のポスター仕事を依頼していた。また、蛭子が芸能界デビューする直接的なきっかけを作った事でも知られる。蛭子の原作を周防正行がドラマ化した「サラリーマン教室」(1986年7月27日放送)にも主役として出演したことがある。これは蛭子が芸能界デビューする以前のドラマ作品であり、原作者である蛭子本人はこの作品には出演していない。
- ^ 推理作家・吉村達也の初期のサラリーマン小説にも挿絵4コマを書いている。
- ^ できれば日の当たる場所へ…華やかな世界に背を向けているわけじゃない(OCN TODAY)
- ^ “「もう漫画家はやめてもいいかな」――蛭子能収“ひとりぼっち”哲学に迫る(2)”. 新刊JP (2015年1月19日). 2015年3月28日閲覧。
- ^ “蛭子能収(漫画家)さんと読む『ねじ式』”. ブック・アサヒ・コム (2014年9月21日). 2015年3月28日閲覧。
- ^ 日刊サイゾー、2009年4月26日『えびすビンゴ』出版記念インタビュー、蛭子能収流・今を生き抜く処世術
- ^ 双葉社刊『家族天国』の中「俺の息子に手を出すな」より。
- ^ 浅草キッド著『みんな悩んで大きくなった』より。
- ^ 『ひとりぼっちを笑うな』より「笑い話じゃなく、それはもう死活問題です。一時期よりもファンはすっかり減ってしまって、あの時は本当に困りましたよ。」と述べている。
- ^ 『ひとりぼっちを笑うな』発売記念 蛭子能収インタビュー
- ^ 蛭子能収、ボートレース場で頭を叩かれるなど危険な目に|女性自身 2015年5月17日
- ^ 2015年3月10日発行『実話ナックルズ 漫画BAD2 ミリオンムック』(ミリオン出版)「不道徳漫画列伝 第2回 社会の異常性を描く天才 蛭子能収」183頁より。
- ^ 不条理旋風、始動!プロ漫画家・蛭子能収、堂々のデビュー!! (OCN TODAY)
- ^ 他にも、みうらじゅん、水道橋博士、伊集院光、吉田豪が蛭子ウォッチャーであることを公言している。
- ^ 根本敬『人生解毒波止場』(洋泉社 2001年)あとがき
- ^ 蛭子能収『サラリーマン危機一髪』(河出書房新社 1985年)巻末の解説より
- ^ 根本敬 MAISON D'ART "EBISU" 蛭子 能収/Yoshikazu EBISU 1997-2014 MAISON D'ART
- ^ 蛭子能収のゆるゆる人生相談「結婚しないの?と言われ…」WEB女性自身 2015年3月9日
- ^ 蛭子能収『正直エビス』(新宿書房 1996年)より [要ページ番号]
- ^ 暴言爆弾の絨毯爆撃!人の悲しみをあざ笑う蛭子能収の真意とは何か!? (OCN TODAY)
- ^ 『ひとりぼっちを笑うな』(角川oneテーマ21)-「第一章 『群れず』に生きる」の中「いじられキャラになる」より。
- ^ 蛭子能収『ひとりぼっちを笑うな』5頁
- ^ 青林堂『月刊漫画ガロ』1996年4月長井勝一追悼号「追悼・長井勝一」の中「長井プロダクションで大儲け?」より。
- ^ 倉田真由美との共著『くらたまのえびす顔』(2008年・ゴマブックス)より。
- ^ 加藤梅造 漫画家・蛭子能収を再評価せよ! 2004年
- ^ 蛭子能収というリアルドキュメンタリー フジ『ウチくる!?』(8月3日放送)を徹底検証! 2014年8月8日 20時30分日刊サイゾー
- ^ “【エンタがビタミン♪】「実は子供嫌い」「孫の名前を覚えてない」。おじいちゃん失格? の蛭子能収。”. Techinsight (2011年9月4日). 2015年3月28日閲覧。
- ^ 『ひとりぼっちを笑うな』(角川oneテーマ21)-「第四章 『孤独』と『死』について」の中「血のつながりは信じない」より
- ^ “TVでた蔵「2013年6月3日放送 徹子の部屋」”. ワイヤーアクション (2013年6月3日). 2015年3月28日閲覧。
- ^ 青林堂『月刊漫画ガロ』1992年8月号「山田花子に捧ぐ」の中「それでは山田花子さんさようなら。」より
- ^ 光文社『蛭子能収のゆるゆる人生相談』あとがきより
- ^ 蛭子能収のゆるゆる人生相談「友達はそんなに大切?」 女性自身 2014年7月23日
- ^ 朝日新聞デジタル 2014年6月26日
- ^ 『ひとりぼっちを笑うな』(角川oneテーマ21)-「第一章 群れずに生きる」の中「趣味のグループは楽しい」より
- ^ 蛭子能収「おひとりさまを笑うな」インタビューその1「自分の好きなことをしっかり持て!」
- ^ 『週刊SPA!』2009年4月7日号「今さらながら裁判員制度に大反対!!」
- ^ “男がみんな浮気するわけではない!絶対浮気をしない男の特徴”. ぐるなびWEDDING (2014年1月22日). 2015年3月28日閲覧。
- ^ 漫画にも「幸福そうに見える家族や恋人同士を次々と襲っては自分の不幸を他人にも押し付ける意地汚い連中がウヨウヨしている。一寸でも幸福そうなところを見られたら全員惨殺と言うことになる。」という台詞が登場している。(青林堂刊『私はバカになりたい』の中「普通の人々」より)
- ^ Facebook依存症? 毎日投稿、「いいね!」の数も気になる。どうしたらいいのか「PRESIDENT Online」2015年8月3日号所収
- ^ 光文社『蛭子能収のゆるゆる人生相談』あとがきより
- ^ 「世の中の人は田中君のこと、そんなに見てないよ。」悩みを打ち明けたアンガ・田中に、蛭子能収が出した驚きの答え
- ^ 「オレでいいのかな…」蛭子能収の人生相談がスタート【蛭子能収】 女性自身 2637号ニュース 2014年6月12日
- ^ 蛭子能収「おひとりさまを笑うな」インタビューその2「自己主張は自分にすればいい」
- ^ 蛭子能収『こんなオレでも働けた』より
- ^ 2015年1月24日 読売新聞
- ^ 『ひとりぼっちを笑うな』(角川oneテーマ21)-「第三章 すべては自由であるために」の中「芸能界で好きな人」より
- ^ OGな人びと|暴言爆弾の絨毯爆撃!
- ^ 蛭子能収「芸能界メッタ斬り」毒舌バクロ|日刊大衆 2015年4月28日
- ^ “世間が思ってるほど「クズ」じゃない!?蛭子流「幸福追求のための哲学」とは?”. LOFT (2015年2月2日). 2015年3月28日閲覧。
- ^ “バックナンバー 2014年10月11日”. ブラマヨとゆかいな仲間たち アツアツっ! 番組公式サイト (2014年10月11日). 2015年3月28日閲覧。
- ^ 『ひとりぼっちを笑うな』(角川oneテーマ21)-「第二章 『自己主張』はしない」の中「わざと隙を見せる術」より。
- ^ 蛭子能収『ひとりぼっちを笑うな』85頁〜89頁より
- ^ 蛭子能収のゆるゆる人生相談「40歳を過ぎて仕事がなくなり…」 女性自身 2015年7月30日
- ^ 「ビートたけし&浅草キッド ビートニクラジオ」(1998年7月19日、みうらじゅん談)
- ^ 光文社『蛭子能収のゆるゆる人生相談』158頁〜159頁
- ^ 女性自身2638号「蛭子能収のゆるゆる人生相談」より
- ^ 蛭子能収のうきうきギャンブラー人生 初めてのパチンコ ガイドワークス
- ^ 蛭子能収のうきうきギャンブラー人生 一億円も負けてる私… ガイドワークス
- ^ やくみつるの著書『やくみつるの故意死球』(ドリームクエスト 1999年)より [要ページ番号]
- ^ NHK『立川志らくの演芸図鑑』(2012年10月21日放送)ゲスト出演時 [出典無効]
- ^ “蛭子能収のゆるゆる人生相談「結婚相手に子どもが…」”. 女性自身 (2015年1月2日). 2015年3月28日閲覧。
- ^ 『ヘタウマな愛』ベストセラーズ発行 (2002年7月)
- ^ a b 週刊文春 2002年9月12日号 144〜148ページ『阿川佐和子のこの人に会いたい(452)』
- ^ “TVでた蔵「2012年1月21日放送 土曜イベントアワー」”. ワイヤーアクション (2012年1月21日). 2015年3月28日閲覧。
- ^ “くじ引きたさで駄菓子屋へ 蛭子能収“ギャンブル熱”の原点”. 日刊ゲンダイ (2014年9月15日). 2015年3月28日閲覧。
- ^ “スタッフ紹介”. ノイジークローク. 2015年3月28日閲覧。
- ^ 週刊読売 1999年12月19日号 78〜80ページ『家族の風景(46)蛭子能収(前)』
- ^ 『長崎新聞』2010年2月9日「故郷への提言 本県出身著名人に聞く」より
- ^ 蛭子能収『私はバカになりたい』(青林堂/昭和57年3月20日初版発行)174〜175頁 あとがき「私のイヤーな性格について暴露する二、三の事柄」より。
- ^ “過去のラインアップ(「第39回」参照)”. 本番前@控室(BS11)番組公式サイト. 2015年3月28日閲覧。
- ^ “TVでた蔵「2014年7月20日放送 さんまのスーパーからくりTV」”. ワイヤーアクション (2014年7月20日). 2015年3月28日閲覧。
- ^ a b c d 『ひとりぼっちを笑うな』(角川oneテーマ21)-「第一章 群れずに生きる」の中「葬式が〝喜劇〟に見えてしまう」より。
- ^ “2014年10月19日(日)「お笑いワイドショー マルコポロリ」)”. gooテレビ (2014年10月19日). 2015年3月28日閲覧。
- ^ 根本敬『人生解毒波止場』(幻冬舎文庫)256頁〜257頁。
- ^ 『ひとりぼっちを笑うな』(角川oneテーマ21)-「第四章 『孤独』と『死』について」の中「本当の『孤独』を知った前妻の死」より。
- ^ 1970年に発表された同人誌。『地獄に堕ちた教師ども』オリジナル版のほか、商業誌未発表作品『帰り道はきつかった』『恐るべき美声年』掲載。その他に冨永佳宏、勇村良興が寄稿。数冊だけ現存が確認されている。
- ^ “太川陽介&蛭子能収「バス旅」、映画化決定! 三船美佳をヒロインに台湾へ”. シネマカフェ (2015年11月10日). 2015年11月10日閲覧。
- ^ “蛭子能収、バラエティー番組でMC初挑戦 自己評価は「80点」”. ORICON STYLE (2016年1月4日). 2016年1月5日閲覧。
- ^ “ウーマン村本、ケンコバ、小籔がテレ朝新設オープンスタジオからニュース届ける”. お笑いナタリー. (2016年3月24日) 2016年3月24日閲覧。
注釈
- ^ この「先輩の同僚」を残酷に殺す漫画は『月刊漫画ガロ』1974年3月号掲載の「仕事風景」(青林工藝舎刊 『地獄に堕ちた教師ども』収録)にて確認できる。
- ^ この落選した漫画について、蛭子はインタビューの中で以下の様に答えている。
──どんな漫画を投稿されたか覚えてらっしゃいます?
蛭子 「狂気が彷徨う」というタイトルなんですけど、内容はなんだったけなぁ、男と女が同棲していて、男が相手の女を殺すっていう(笑)
──ストーリーはまったく伝わってきませんけど、ヤバさだけはビンビンに感じますね(苦笑)
蛭子 たしか理由もなく何か相手がうっとおしくなっちゃって「目の前のこの人がいなければ自由だ」と思い始めて殺してしまうという、そんな漫画でした。
──たったそれだけですか?
蛭子 それだけです(笑)ただ、どこに力を入れたかというと、ストーリーよりも描写を堪能するというか、要は惨殺シーンを総ページ数からあり得ないページ数を割いて描いたんですよ。
──そこに力を入れましたか(苦笑)ちなみにどんな惨殺シーンを描いたんですか?
蛭子 電気コタツのコードで首を絞めて、絞めてるコードの布がビリビリに破れて、だんだんと中の銅線だけになっていって、その銅線がグーッと首に食い込んでいくんです。快感ですねぇ(笑)
──うわぁ……ちなみに総ページ数とその惨殺シーンに割いたページ数は?
蛭子 総ページ数は18ページで、惨殺シーンが10ページだったかな…。—OCNジャーナル「蛭子能収インタビュー」2009年
また、惨殺シーンを総ページ数から「あり得ないページ数」を割いているのは、ジョン・ウェインの西部劇『アラモ』の後半1時間が殆ど殺戮シーンであったことに衝撃を受け、惨殺シーンを1ページで済ませるのでなく迫力を出すため10ページぐらい割いてじっくり殺すようにした為という。しかし、その一方で「そういうシーンって描くと途中でメゲるんですよ。自分でもイヤになるんです。殺しのシーンを長々書くの、精神的に耐えられなくなる(笑)」という感想も述べている。
- ^ 漫画単行本の最高売上が8千部であったと述べている(2015年11月9日放送「ビートたけしのTVタックル」より本人談)
- ^ その一方で、「オレもアンダーグラウンドから脱出して、あっちのほうへ行きたいという気持ちもありますからね。あっちは華やかなですからね、誰でもそこへ行ってみたいと思う願望を捨てきることはできないですよ。ただ、そういうのが描けないし、正直に言うと日の当たる場所は飽きますね。」と述べている。
- ^ 暴力的な描写が多い自身の作風について蛭子は次のように答えている。お金がなくて貧しいってこともあったと思う。そういうのって怒りやすい、何かに対して怒ってる。だから大抵俺の漫画は最後に怒って誰かを殺すというのがすごく多かったんですよ。この人を殺すために5ページは使ってやると、そのぐらい怒りを込めて描いてましたね。(現実社会では)「こいつはダメだ!」と思っても、全然我慢してるんですよ。だけど漫画の中ではバーン!と爆発するんです。 — 『ニッポン戦後サブカルチャー史II』第5回「ヘタウマって何だ?」2015年10月30日放送
- ^ ラジオ番組『伊集院光 深夜の馬鹿力』(TBSラジオ・2014年12月22日放送)より。伊集院光は番組内で「蛭子さんと意見は一緒なんだけど、本人の前だとその意味と似てることを言ったり言葉とか探すじゃん、絶対。なのに蛭子さんはダイレクトに言って…思いっきり言って、とんでもない空気になったみたいです。」と述べている。
- ^ 田中は蛭子の回答を受けて、憤慨しつつも救われた気持ちになったという。その後、田中は蛭子を“心の師匠”として尊敬する様になり、田中は蛭子と共演した際に番組内で再三感謝の弁を述べた。しかし、蛭子は田中に相談された事を憶えていなかった。この模様はBS朝日のトーク番組「極上空間」(2015年3月14日放送)にて伝えられた。
- ^ 1982年の単行本『私はバカになりたい』のあとがきでも「頭が悪いくせに計算高い」と述べている。
- ^ これは蛭子が父と延縄釣りをしていた時にケガをした話が基になっている。
- ^ 正確には、妻が妊娠した際に「子供はいらないから中絶しよう」と提案したが断られたので「仕方なく産んだ」という話が基になっている(根本敬談)
- ^ バラエティ番組『水曜日のダウンタウン』では「蛭子能収を超えるクズそうそういない説」として、これらの伝説を基に蛭子の人格を全否定する特集を行ったが、その直後に同番組は不祥事を起こしている。
- ^ 漫画「知識人のレポート」(青林堂刊 『私はバカになりたい』収録)の「売れ残った子供を丸焼きにする」というラストシーンから広まった事実無根の噂と見られる。
- ^ 個性派アーティストによるトリビュートアルバム。参加アーティストは蛭子能収、大槻ケンヂ、ビル+戸川純、ATTACK HAUS、犬神サーカス団、みうらじゅん、THE DIGITAL CITY JUNKIES、スハラケイゾウ+ノイズわかめ、大正九年、スラングブギー、山本精一、毒医患、コバルト、四日市ぜんそく、nhhmbase、ED WOODS、GREEN MILK FROM THE PLANET ORANGE、ロリータ18号、ブラジルUFO、オナニーマシーン。
- ^ 漫画家仲間による自主制作映画。物語らしい物語はほとんどなく、蛭子がバケツに入った豚の臓物を団地の砂場に出して汚しては水で洗う、という繰り返しの映像が1時間も続くアバンギャルドな内容となっている。監督兼撮影は同じく『ガロ』出身の漫画家でAV監督でもある平口広美。ラストは蛭子と根本と平口の食事風景が映し出されて映画は終わる。この自主制作映画のテープは根本敬が個人的に所有しており、アンダーグラウンドで上映された事もある。
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- 蛭子能収オフィシャルブログ「エビスのシネマミシュラン」
- 蛭子能収 (@ebisu_jp) - X(旧Twitter)
- 蛭子能収 - allcinema
- 蛭子能収 - IMDb(英語)