山野一
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山野 一(やまの はじめ、1961年 - )は、の日本の漫画家である。本名は橋口保夫(はしぐちやすお)。現在はねこぢるyの名義で活動をしている。死去した漫画家ねこぢるの夫であった。
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[編集] 経歴
1961年、福岡県生まれ。幼少期は三重県四日市市で過ごす。中学時代に千葉県へ引越し、ここで青年期を過ごす。高校時代は天文学部に所属。大学は立教大学文学部に入学。大学3年から4年の時期にかけて、入部していた美術クラブで漫画を描き始める。 1983年、山野一名義の「ハピネス・イン・ビニール」を「月刊ガロ」12月号に発表し、デビュー。[1]
人間関係がプレッシャーとなる山野は、元々会社員になるつもりが無く、他人との接触が少ない漫画家を職業として選んだ。以上のことを吉永嘉明とのインタビューで語っている。[2]
初期は雑誌「ガロ」を主な活躍の場として、精神や知覚をテーマにした作品を多く扱う。また1980年代後半からは主に廃頽した生活環境にある人々を主人公とした作品が増える。1990年代前半は、雑誌「リイドコミック」を主な活躍の場とし、色気の多い作品を主に描く。 中でも時代がバブルに差し掛かろうとする1985年に弱冠22歳で「月刊ガロ」に連載を始めた「四丁目の夕日」は下町の懐かしい風景の中に潜む格差、貧困、家族の絆や友情の崩壊といった悲劇をマンガ史上に残る過激な表現を織り交ぜて描き、現在に至るまで読み継がれるロングセラーとなっている。 そんな山野一名義での創作活動とシンクロするようにして、1990年頃からは妻であったねこぢるの創作上の共作者兼プロデューサー的な役割を務め、1998年のねこぢるの逝去後はねこぢるy名義で「ねこぢるyうどん」などの作品を発表。この頃から制作手法がCG中心となる。
2010年からはねこぢるy名義で画家としての活動も開始。 2011年2月現在、発表または発表予定の絵画作品には、全てねこぢる作品及びねこぢるy作品に登場する“にゃーこ”と“にゃっ太”が登場している。
[編集] ねこぢるとの相互影響
妻であるねこぢるの作品との影響や相互関係が非常に強い。1990年代前半の山野一作品の中に、ねこぢる作品に登場する「にゃーこ」や「にゃっ太」がデザインとして登場する。ねこぢる作品中に、初期の山野一作品から着想された物も登場する。ねこぢるのルポルタージュ漫画作品『ぢるぢる旅行記』においては、ねこぢると山野一の二人旅が描かれ、ねこぢる作品『ぢるぢる日記』にも山野一は登場する。ねこぢるの初期作品においては、山野一が原作として明記されている作品が幾つかある。また、山野自身がねこぢるのアシスタントをしていたと言及している。
ねこぢるの死後、山野は主な名義をねこぢるyとして執筆活動を始める。山野はねこぢるの作風やキャラクター、画風などを模倣し、コンピュータを使った作画で作品を発表し始めた。
[編集] 作品リスト
以下は刊行された書籍のリストである。一部の作品は成年コミックに指定されている。
[編集] 山野一名義
- 夢の島で会いましょう
- 四丁目の夕日
- 貧困魔境伝ヒヤパカ
- 混沌大陸パンゲア
- どぶさらい劇場
- ウオの目君
わんこ
[編集] ねこぢるy名義
- ねこぢるyうどん
- インドぢる
[編集] 参考資料
- ^ 「月刊漫画ガロ作品リスト」、長井勝一漫画美術館公式HP。
- ^ 吉永嘉明 「ロングインタビュー 山野一」『危ない1号』第2巻 データハウス、1996年、182、189頁。
