ジョージ秋山

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ジョージ 秋山(ジョージ あきやま、1943年4月27日 - )は、日本漫画家栃木県足利市出身。本名は「秋山 勇二(あきやま ゆうじ)」。男性

目次

[編集] 経歴

漫画家を目指して上京し、森田拳次に師事。アシスタントをしつつ貸本などに作品を発表し、1966年に『別冊少年マガジン』に掲載された『ガイコツくん』でメジャーデビュー。ペーソスあふれるギャグを得意とした。1970年に『アシュラ』『銭ゲバ』を発表し、露悪的ともいえる描写で人間の善悪やモラルを問い、読者に衝撃を与えた。

アシュラ』第1話には飢餓から人肉を食べ、我が子までをも食べようとする女の描写がある。これを掲載した1970年8月2日号の『週刊少年マガジン』は一部地域で有害図書指定され、作者秋山にも取材が殺到し、一躍時の人になる。その絶頂期、1971年11号の『週刊少年サンデー』にて『告白』を連載開始した。人を殺した過去があるという告白を掲載した翌週には先週の告白は嘘であると書くという行為を繰り返して虚実ない交ぜの過去をつづった後に、数多く持っていた連載を全て終了させ、6月より日本一周の放浪の旅に出る。

3ヶ月後、1971年34号の『週刊少年ジャンプ』にて『ばらの坂道』で復帰。以後は青年誌にも活動の場を広げ、1973年からは『ビッグコミックオリジナル』に現在まで続く『浮浪雲』の連載を開始。同作品は幅広い支持を得る大ヒット作となり、1977年度の花園大学の入試問題にも使われた。

壮年に入ってからは作品内でより哲学的な内容を問いかけ、『ビッグゴールド』に連載された『博愛の人』『捨てがたき人々』は同誌の白眉として支持する人も多い。特に近年では、本名の秋山勇二で作品を執筆した。さらに、『マンガ中国入門 やっかいな隣人の研究』(飛鳥新社より刊行)を皮切りに国際問題や社会問題を作品のモチーフにするようになっている。ギャグの大半を封印したにもかかわらず、深層心理に問いかける作品が多く、「人間の善悪やモラルを問い正す」というデビュー当時からの方向性は漫画家活動40周年を迎えても尚、変わっていない。

聖書の漫画化を手がけたことで、その存在をさらに印象付けた。この漫画版『聖書』幻冬舎より発行されている。

[編集] 受賞

  • 第24回(昭和53年度)小学館漫画賞青年一般部門受賞(『浮浪雲』)。

[編集] 人物

  • ペンネームの由来は「自分の名前をロックンローラー風にしたかった」とのこと。
  • 漫画は嫌い」「漫画を読むと馬鹿になる」と述べたことがある。
  • 『銭ゲバ』がドラマ化された際、劇中で使用されるへのへのもへじの絵を描いた。

[編集] 代表作

[編集] 師匠

[編集] アシスタント

  • てらお太平葉 - 1970年から2003年にかけてアシスタントを務める。現在、イラスト、挿絵、児童画などを制作。東京練馬区で活動、2年に一度個展を開く。
  • イエス小池 - 1978年から30年にわたってアシスタントを務める。その人生をつづったブログが評判になり、2008年にブログの単行本化、『漫画家アシスタント物語』を刊行。 同年、1991年に発表した『覇王の船』を加筆訂正し、『劇画 蟹工船 覇王の船』(宝島社)として文庫化。
  • ツカサ久賀 - 1978年までアシスタントを務めた。辞めた後1978年に「ブルーなあいつ」、1979年に続編の「マイラブサニー」を『週刊少年キング』で連載した。いずれも1クールの短期連載に終わった。『漫画家アシスタント物語』によるとその後一時漫画家をやめたものの再開し1984~1986年に『別冊漫画ゴラク』で「親不孝通り」を連載した。その後漫画家をやめたようである。単行本は「親不孝通り」の単行本が日本文芸社より2巻分出ている。

[編集] 外部リンク

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