ジョージ秋山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ジョージ 秋山
本名 秋山 勇二
生誕 1943年4月27日(70歳)
東京都日暮里
職業 漫画家
活動期間 1965年 -
ジャンル ギャグ漫画少年漫画青年漫画
成人向け漫画
代表作 『パットマンX』
銭ゲバ
アシュラ
浮浪雲
受賞 第24回小学館漫画賞青年一般部門(1978年
テンプレートを表示

ジョージ 秋山(ジョージ あきやま、1943年4月27日 - )は、日本漫画家。本名は「秋山 勇二(あきやま ゆうじ)」。男性

経歴[編集]

1943年、東京都日暮里で出生。姉、兄、弟、妹それぞれ1人ずつの5人きょうだいの次男。父は在日朝鮮人の造花職人。第二次世界大戦中は栃木県田沼町疎開した。10歳のときに栃木県足利市へ転居。子供の頃から漫画を描き出し、中学2年生で漫画本を自作した[1]

高校進学を勧められたが、親兄弟のことを考えて中学卒業後に上京して、神田貸本漫画の取次店、芳明堂に就職。芳明堂に勤務しながら、取次として担当した若木書房に原稿を持ち込んだり、漫画家の前谷惟光邸へ日参して、漫画家を目指した。前谷惟光の名義で出版されたのが初単行本となる[1]

芳明堂を退職後はアルバイトを転々としながら、講談社へ持ち込みを続け、やがて編集者からの紹介で1年半ほど森田拳次に師事した[1][2]アシスタントをしつつ貸本などに作品を発表し、1966年に『別冊少年マガジン』(講談社)に掲載された『ガイコツくん』でメジャーデビュー。これが成功して翌年にも連載を依頼された『パットマンX』がヒットして、1968年の講談社児童まんが賞を受賞した[1]ギャグ漫画で成功したことから、『ざんこくベビー』『コンピューたん』『ほらふきドンドン』などペーソスあふれるギャグを得意としたギャグ漫画家であった[1][3]

1970年になって、3月から週刊少年サンデー小学館)に『銭ゲバ』を、8月から週刊少年マガジン(講談社)に『アシュラ』をそれぞれ発表し、露悪的ともいえる描写で人間の善悪やモラルを問い、世間の注目を浴びた。『アシュラ』第1話には飢餓から人肉を食べ、我が子までをも食べようとする女の描写がある。これを掲載した1970年8月2日号の『週刊少年マガジン』は一部地域で有害図書指定され、作者秋山にも取材が殺到し、一躍時の人になる[3][4]

騒動の渦中の1971年11号の『週刊少年サンデー』にて『告白』を連載開始した。人を殺した過去があるという告白を掲載した翌週には先週の告白は嘘であると書くという行為を繰り返して虚実ない交ぜの過去をつづった後に、数多く持っていた連載を全て終了させ、一時引退を宣言。6月より日本一周の放浪の旅に出る[1][5][6]

3ヶ月後、1971年34号の『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて『ばらの坂道』で復帰。以後は青年誌にも活動の場を広げ、1973年からは『ビッグコミックオリジナル』(小学館)に現在まで続く『浮浪雲』の連載を開始。同作品は幅広い支持を得る大ヒット作となり、1977年度の花園大学の入試問題にも使われた。

1980年から1984年まで『週刊漫画ゴラク』(日本文芸社)にて成人向け漫画ピンクのカーテン』を連載し、同作品は1982年から日活ロマンポルノ成人映画化された。映画版は好評により、1983年までに3本が製作される人気シリーズとなり、主演した美保純を日活ロマンポルノの看板スターに押し上げた[7][8]

壮年に入ってからは作品内でより哲学的な内容を問いかけ、『ビッグゴールド』に連載された『博愛の人』『捨てがたき人々』は同誌の白眉として支持する人も多い。特に近年では[いつ?]、本名の秋山勇二で作品を執筆した。さらに、『マンガ中国入門 やっかいな隣人の研究』(飛鳥新社より刊行)を皮切りに国際問題や社会問題を作品のモチーフにするようになっている。ギャグの大半を封印したにもかかわらず、深層心理に問いかける作品が多く、「人間の善悪やモラルを問い正す」というデビュー当時からの方向性は漫画家活動40周年を迎えても尚、変わっていない[独自研究?]

聖書の漫画化を手がけたことで、その存在をさらに印象付けた。この漫画版『聖書』幻冬舎より発行されている。

受賞[編集]

人物[編集]

中学時代の知能指数は120[1]。身長は170センチメートル[1]

ペンネームについては、ドラマージョージ川口のような感じでバンドマン風にしたかったとのこと[9]。若気の至りでつけたものだと語っている[10]

「漫画は嫌い」「漫画を読むと馬鹿になる」、手塚治虫については読んだことがないと述べているが[9]、テレビアニメ『戦え!オスパー』の仕事をともにした漫画家のとりいかずよしによると、実際には漫画を愛しており、手塚治虫についても大尊敬していて、手塚の写真を額に入れて飾っていたという。「ウソばっかりついてんだから」「独特の照れ隠し」と、秋山がなかなか本心を明かさないことをとりいは説明している[11]

『銭ゲバ』がドラマ化された際、劇中で使用されるへのへのもへじの絵を描いた。

主な作品リスト[編集]

連載中[編集]

連載終了[編集]

師匠[編集]

アシスタント[編集]

  • てらお太平葉 - 1970年から2003年にかけてアシスタントを務める。現在、イラスト、挿絵、児童画などを制作。東京練馬区で活動、2年に一度個展を開く。
  • イエス小池 - 1978年から30年にわたってアシスタントを務める。その人生をつづったブログが評判になり、2008年にブログの単行本化、『漫画家アシスタント物語』を刊行。 同年、1991年に発表した『覇王の船』を加筆訂正し、『劇画 蟹工船 覇王の船』(宝島社)として文庫化。
  • ツカサ久賀 - 1978年までアシスタントを務めた。辞めた後1978年に「ブルーなあいつ」、1979年に続編の「マイラブサニー」を『週刊少年キング』で連載した。いずれも1クールの短期連載に終わった。『漫画家アシスタント物語』によるとその後一時漫画家をやめたものの再開し1984~1987年に『別冊漫画ゴラク』で「親不孝通り」を連載した。その後漫画家をやめたようである。単行本は「親不孝通り」の単行本が日本文芸社より2巻分出ている。
  • すがやみつる - 秋山のアシスタントだった清つねおが知人だったことから、清が病気になったとき、外部アシスタントとして一時期仕事を手伝った。アシスタントとしては破格のギャラをはずんでくれたという[12]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 立花隆「漫画家・ジョージ秋山の失踪」『文藝春秋』1971年7月号。文藝春秋編『立花隆のすべて』文藝春秋、1998年、pp.436-447に再録
  2. ^ 名和広「森田拳次先生インタビュー」『赤塚不二夫大先生を読む 「本気ふざけ」的解釈』社会評論社、2011年、p.321
  3. ^ a b 竹内オサム『戦後マンガ50年史』筑摩書房、1995年、pp.129-134
  4. ^ 聞き手大泉実成「INTERVIEW 『アシュラ』とはいったい何だったのか ジョージ秋山」『昭和の漫画名作セレクション 少年マガジン クライマックスをもう一度』講談社、2002年、pp.124-133
  5. ^ 竹内オサム『戦後マンガ50年史』筑摩書房、1995年、pp.134-135
  6. ^ 新田五郎「作者が自作中では神! マンガ家自身が主人公のマンガ」『トンデモマンガの世界2』と学会、楽工社、2010年、pp.53-56
  7. ^ 寺脇研『ロマンポルノの時代』光文社新書、2012年、pp.183-184
  8. ^ 松島利行『日活ロマンポルノ全史 名作・名優・名監督たち』講談社、2000年、p.273
  9. ^ a b 「消えないマンガ家 魂の救世主 ジョージ秋山ロング・インタビュー」『QuickJapan』vol.12、1997年、pp.100、109-110
  10. ^ 「ジョージ秋山 人のために描く時代は、終わったんですよ。」『増刊週刊大衆12月27日号 VIVA COMIC 漫画家大集合』双葉社、1984年、p.37
  11. ^ 大泉実成『消えたマンガ家2』大田出版、1997年、pp.29-30。とりいかずよしインタビュー。
  12. ^ すがやみつる『仮面ライダー青春譜 もうひとつの昭和マンガ史』ポット出版、2011年、pp.232-238

外部リンク[編集]