遠藤ミチロウ
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| 遠藤ミチロウ | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生名 | 遠藤道郎 |
| 別名 | ミチロウ |
| 出生 | 1950年11月15日(58歳) |
| 血液型 | O型 |
| 学歴 | 山形大学卒業 |
| 出身地 | |
| ジャンル | パンク・ロック |
| 職業 | シンガーソングライター |
| 担当楽器 | ボーカル、ギター |
| 活動期間 | 1980年 - 1985年 (ザ・スターリン) 1985年 - 1987年 (ソロ) 1987年 - 1988年 (ビデオスターリン) 1989年 - 1993年 (スターリン) 1993年 - (ソロ他) |
| レーベル | 北極バクテリア |
| 影響 | イギー・ポップ セックス・ピストルズ ジャックス 早川義夫 ドアーズ |
| 公式サイト | 遠藤ミチロウ公式ホームページ |
遠藤ミチロウ(えんどう みちろう、1950年11月15日 - )は日本のロックミュージシャン。本名は、遠藤道郎。
福島県二本松市出身。1980年代に活動していたパンク・ロックバンド、ザ・スターリンの結成者でありヴォーカリスト。現在はソロ、アコースティックバンドで精力的にライブ活動を行っている。
目次 |
[編集] 略歴
1950年、福島県二本松市に生まれる。少年時代を福島県で過ごした後、山形大学人文学部へ進学。「東北地方のさらに奥である『北』へ行ってみたかった」というのが山形県へと向かった理由の1つであるらしい。大学時代はイベンターとしてフォークシンガーのライブを企画したり、山形市の花小路という飲食店街でロック喫茶『ジェスロタル』を経営したりしていた。また旅行も好きだったらしく、ヒッチハイクで山形から九州まで行ったという逸話もある。
大学卒業後、ベトナム等東南アジアを放浪。後東京へ上京し、友部正人のバックでベースを務めたり、一人弾き語りをするうちに当時住んでいたアパートの前の喫茶店で流れていたセックス・ピストルズ、パティ・スミスなどに感化され、そのアパートに住んでいた住人で【コケシドール】というバンドを結成する。
1980年6月6日、ドラムの乾純を固定メンバーとしてその後、【バラシ】、【自閉体】を経てザ・スターリンを結成。演劇的とも呼べる派手なライブ活動で社会的なムーブメントを起こす。映像作家である石井聰亙とも交流があり、映画『爆裂都市 BURST CITY』にも【マッドスターリン】という役名で バンドとして出演している。映画の中で遠藤は臓物・豚の頭を客席に投げ込むなどのパフォーマンスを行い、当時のザ・スターリンの過激なステージングが疑似体験できる。また石井聰亙はザ・スターリンのPV、ラストライブビデオの監督も務めた。
1982年7月1日、徳間音工(現在の徳間ジャパン)からシングル『ロマンチスト』、アルバム『STOP JAP』でメジャーデビュー。オリコン50位内に食い込み、バンドのスキャンダラス性と共に話題になる。
1983年4月25日、メジャーセカンドアルバム『虫』を発表。その直後の5月2日に後楽園ホールにて超満員のライブを成功させる(その時のオーディエンス録音のテープを元に、2005年ライブアルバム『絶望大快楽』が発表されている)。
1984年、自身初のソロアルバムである『ベトナム伝説』をカセットブック形式で発表。
1985年2月、ザ・スターリン解散。その後、ソロプロジェクトを始動。【Michiro,Get the Help!】というユニット名でG.N.P(グロテスク・ニュー・ポップ)をテーマに三部作を発表。後にTHE ROOSTERZのギタリスト下山淳と共に【ゲイノーブラザーズ】を結成し、アルバム『破産』を発表する。
1987年、【パラノイア・スター】や【ビデオ・スターリン】を結成し、並行して活動を行う。
1989年、新生【スターリン】を結成し、アルファレコードとメジャー契約を果たす。
1990年、西ベルリンのライブハウス、ポーランドのロック・フェスティバルにも出演。
1993年、【スターリン】解散。以後アコースティック・ソロの形態でソロ活動に入る。『お百度参りツアー』など、全国のライブハウスを転転とギター1本で廻るツアー活動も開始。バンドとはまた違った、自由でユニークなソロ活動を展開。ここで演奏を行った全国のライブハウスやバーを、書籍として「音泉Map 150」で紹介している。
1994年、元スターリンの安達親生(Ba)、元ファントムギフトのナポレオン山岸(Gt)、元マリア観音の平野勇(Dr)とグランジサイケバンド【COMMENT ALLEZ-VOUS?】を結成、その後2年程活動する。
1995年、戦後五十周年のこの年には今井寿らをゲストにザ・スターリンを復活させ(名義は【THE STALIN15】)、一夜限りのライブを行う。ザ・スターリンはその後、1996年元スターリンのベーシストである杉山晋太郎追悼ライブにて、2001年スターリンのトリビュートアルバム発売記念ライブにて復活している。
2001年、正月に奄美大島へ向かう飛行機内で当時BLANKEY JET CITYのドラマーであり、元ザ・スターリンのドラマーでもあった中村達也と邂逅し、奄美大島のライブでアンコールにてセッションを行う。これを機にそれまでソロとして活動を続けていた遠藤であったが、中村達也とのユニット【TOUCH-ME】を結成し、以降の複数のアコースティックバンド結成へとつながっていく。
2002年、石塚俊明とのユニット【NOTALIN'S】の活動がスタート。
2003年、上記のユニットにチェロの坂本弘道を迎えて、トリオバンドとして活動。
2004年、遠藤を信奉するthee michelle gun elephantのドラマーであったクハラカズユキとのバンド【M.J.Q】が始動。
2005年、東口トルエンズ、MOSTの山本久土が参加し、より音に厚みを持った<アコースティックスターリン>とも呼ばれる新たなサウンドを提示した。宮藤官九郎主催のイベント『グループ魂』への出演や、フジ・ロック・フェスティバルでの演奏も行う。映画『アイデン&ティティ』にも冒頭のインタビューシーンで登場。
2005年、自身の55歳になる11月15日の誕生日を最終日とした五日間連続ライブを敢行。その模様はDVD『Just Like a Boy』に収められている。
2008年、ハードコアバンド「GAUZE」のドラム・HIKOとのユニット【道HIKO】結成、【COMMENT ALLEZ-VOUS?】一夜限りの復活ライブを行う
[編集] エピソード
- ザ・スターリン時代、ライブなどで過激で暴力的、破滅的なパフォーマンスを繰り返していた為、過激な性格だと思われているが、実際の彼は知的で普段は朴訥とした東北訛りの喋り口調の気さくで温厚な人物である。
- 役者として、映画「爆裂都市」に陣内孝則率いる「バトルロッカーズ」のライバルバンド「マッドスターリン」のボーカルとして出演。普段の彼らのライブの同様に、客に拡声器を使ってアジテーション、放尿、豚の生首を投げつける等の過激なパフォーマンスを繰り広げた。しかし、本人はこの時の自分の演技力の無さに愕然として、役者は二度とやらないようにしようと決めた。
- ザ・スターリン時代、同時期に活動していた忌野清志郎とメイクが似ていると言う事でよく間違われ、嫌がっていた。
- 明石家さんまに似ていると評判になり、本人と対談したり、ライブに花を贈ったりという事もあった。
- 坂本龍一とは犬猿の仲で、お互い名指しで批判し合っている。
- 大槻ケンヂの著作の中で、二人で遠藤賢司のライブにゲスト出演した際に舞台裏で「大槻君、舞台に出たら俺遠藤、俺ケンヂって言おうよ」と嬉しそうに言われたという、駄洒落好きな面もある。
- 自身の公式HPの日記やブログでは、絵文字等を多用している。
- グループ魂の宮藤官九郎、コピーライターの糸井重里、思想家の吉本隆明、元パンクロッカーで現在は小説家の町田康らと交流がある。
- 吉本隆明には強い影響を受けており、彼を非常に尊敬している。アコースティック・ギターを抱えて吉本宅を訪れ、対談はおろか、生演奏を行ったこともある(吉本は目を細めて聞き入った)。
- グループ魂のメンバー港カヲルの母に、打ち上げで名曲「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」を生演奏してあげたら、カヲルの母がうつ病になってしまったという事があった。
- タレントの千秋もスターリンのファンで、雑誌で遠藤の特集が組まれた際に、「結婚して私も遠藤になりました」というメッセージを送っていた(千秋はお笑いコンビ「ココリコ」の遠藤と結婚していたが、現在は離婚している)。
- 近年においても、戸川純や町田康などの人物と共演したりと、年間ライブ100本以上の精力的な活動を続けている。
- ラーメンが大好物で、(インスタントは含まない)1日には必ず1杯ラーメンを食べることを心がけている。ツアーなどで各地を回る時は、必ず現地で有名なラーメンを食べてからライブに行く。ブログには必ずと言ってもいいほどラーメンの事が書かれる事が多い。
[編集] 作品
[編集] シングル
- 仰げば尊し(1984年、B.Q.RECORDS)
- 仰げば尊し(1985年、東芝EMI)
- オデッセイ・1985・SEX(1985年)
- LUCKY BOY(1987年)
[編集] アルバム
- ベトナム伝説(1984年)
- THE END(1985年)
- オデッセイ・1985・SEX3連作 ※Michiro,Get the Help!名義
- オデッセイ・1985・SEX(1985年)
- アメユジュトテチテケンジャ(1985年)
- GET THE HELP!(1985年)
- 破産(1986年)
- TERMINAL(1987年)
- 死目祟目(1993年)
- 空は銀鼠(1994年)
- 50 (HALF)(1995年)
- 愛するためにはウソがいる(1995年)※コマンタレブ名義
- 愛と死をみつめて(1996年)※コマンタレブ名義
- 道郎(1997年)
- OFF(2000年)
- AIPA(2000年)
- I,My,Me/AMAMI(2005年)
- NOTALIN'S(2004年)※NOTALIN'S名義
- unplugged punk(2006年)※M.J.Q名義
- 飢餓々々帰郷(2007年)
[編集] ビデオ
- Hysteric To Eden(1986年)
- GREENED(1997年)
- Just Like a Boy(2006年)
[編集] 出演
[編集] 映画
- 闇のカーニバル(1981年、山本政志監督作品)
- アイデン&ティティ(2003年、田口トモロヲ監督作品)
- BAMBI♥BONE(2004年、渋谷のり子監督作品)
- attitude(2008年、DYNAMITE TOMMY監督作品)
- 少年メリケンサック(2009年、宮藤官九郎監督作品)
[編集] 書籍
- 嫌ダッと言っても愛してやるさ!(1982年、KKダイナミックセラーズ)
- バターになりたい(1984年、ロッキングオン)
- 真っ赤な死臭(1994年、思潮社)ISBN 4783705127
- お母さんいい加減あなたの顔は忘れてしまいました(2001年、ソフトマジック)ISBN 4921181217
- 嫌ダッと言っても愛してやるさ! 2003リミックス版(2003年、マガジン・ファイヴ)ISBN 4434030418
- お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました。 2007年完全版(2007年、マガジン・ファイヴ)ISBN 4921181217
- 嫌ダッと言っても愛してやるさ!リミックス新装版(2007年、マガジン・ファイヴ)
[編集] 写真集
- 吐き気がするほどロマンチックだぜ(2003年、マガジン・ファイヴ)ISBN 4434033964
- 我自由丸(2003年、マガジン・ファイヴ)ISBN 4434035096

