世界ラリー選手権
カテゴリ | World Rally Car (英語版) |
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国・地域 | インターナショナル |
開始年 | 1973年 |
ドライバー | 9[注 1] |
チーム | 5[注 1] |
タイヤ サプライヤー |
ミシュラン DMACK ハンコック ピレリ |
ドライバーズ チャンピオン |
[注 2] セバスチャン・オジェ |
マニュファクチャラーズ チャンピオン |
[注 2] フォルクスワーゲン |
公式サイト | wrc.com/ |
現在のシーズン |
FIA 世界ラリー選手権 (FIA World Rally Championship、通称: WRC) は、FIAが主催する世界各国で行われるラリーの世界選手権である。
概要
1973年、それまで世界各地で単独に開催されていたラリーをイベントとして組織化し、世界選手権としてスタートした。
市販車をベースに改造した競技車両を使用し、一般道路の一定区間を一時的に閉鎖したり、競技場などの施設内に作られたコースのSS[注 3]と、一般車に混じり現地の交通法規に従って移動する区間のリエゾンを走行し、SSの合計タイムが最も少ない車両が優勝となる。他の自動車競技同様チームオーダー的行為は禁止されているが、半ば黙認されている[注 4]。
競技車両にはドライバーとドライバーをサポートするコ・ドライバーの2名が乗車し、ドライバーはコ・ドライバーが読み上げるコース上のコーナーや路面状況などを記載したペースノートに従い運転操作を行う[注 5]。競技時間は基本的に日中だが、イベントに因っては早朝や夜間に行われることもあるため、その場合はライトポッドと呼ばれる高輝度の4連補助灯などを装着する。
主な特徴
競技車両は市販車両をベースに製作することと規定されているため外観はベースモデルと大差無いが、特に最上位のWRCクラスが使用するWRカーは、エンジンや各パーツ、駆動方式の変更など、内部は別物となっている。ECUにはSS用の“ステージモード”[注 6]、リエゾン用で低燃費となる“リエゾンモード”の2種類が設定されており、走行状況に合わせて切り替える仕様となっている。
競技ライセンス“国際C級レース除外”を取得し、規定に合致した車両を用意して抽選に通れば、実際にプライベーターとして出場することも可能である[注 7]。ワークスの車両と同じコースを走りタイムを争い、時にはプライベーターがランキングの上位に食い込むということもある。尚、コ・ドライバーもドライバーと同等の競技ライセンスが必要である。
サーキットで行われる周回競技と異なり、一般道路や林道などを一時的に閉鎖して行われるため、設営された観客席は少ない。観客はコースを間近で見られることもあり、熱心なファンは足繁く観戦ポイントに出向く。しかし、車両がコースオフし客席に飛び込む恐れもあるために観戦には危険も伴い、過去には死亡・負傷事故も起こっている[2]。
観客達が大きくコースオフした車両をコースに戻したりすることも多々あるが、本来ドライバー、コ・ドライバー以外の人間が競技車両に触れることはルール違反なため、ドライバーはペナルティを受けてしまうことが多い[注 8]。逆に観客が競技の妨害を行うこともあり、開催中にコース上の冊が閉められたこともある[3]。運営側が観客をコントロール出来ないと判断された場合はSSそのものがキャンセルとなり、実際にラリー・ポルトガルがこの理由で一時WRCから外された。
広大なエリアでは、時に観客がプロに代わるカメラマンとして活躍することがある。2005年のキプロス・ラリーでは、フランソワ・デュバルがコースオフ・車両炎上のシーンにおいて、観客が撮影した映像が国際映像として放映された。
イベント
各々の国で開催される競技をイベントと呼ぶ。年間のイベント数は1990年代中頃まで8~10戦程度であったが、増加を望むFIAの意向により各ラリーの開催日数・走行距離の短縮やサービス (車両整備) 回数の制限等、イベントの簡素化が進められたことに対応するようにイベント数が徐々に増やされ、2007年には全16戦、2008年は全15戦となっていたが、2009年と2010年は2年間で24戦を隔年で開催するという年間12戦のローテーション制となり[注 9]、2011年からは全13戦となっている。
F1のオフシーズンであるストーブリーグが4ヶ月-5ヶ月近くであるのに対して[注 10]WRCは1ヶ月前後しかないが[注 11]、シーズンオフが短い分、6月上旬から7月終わり又は8月始めまで約2ヶ月間の休息期間となるインターバルを設けている。
これまでに開催されたWRCイベント
路面とタイヤ
イベントで使用されるコースの路面環境は様々だが、大きな分類では未舗装路のグラベルとアスファルト舗装路のターマックの2種類で、積雪路のスノーや凍結路のアイスは、土台となる基礎路面で分類される[注 13]。ターマックとグラベルが混在するミックスサーフェイスのイベントも有る[7]。
概ね、ターマックでは車高を下げて大径の18インチホイールを装着するのに対して、路面変化の大きいグラベルではサスペンションのストロークを確保するために車高を上げて小径の15インチホイールを装着する。全イベントの2/3を占めるグラベルも地質や砂利の割合などそれぞれ特性が異なり一括りに出来ない難しさがあるため、ターマック、グラベル共に路面状況や天候を読みながらのセッティング、タイヤ選択がタイムに大きな影響を与えることも少なくない[注 14]。
タイヤの制限
かつてはタイヤの種類や使用本数に制限は無かったが、コスト低減などを目的としたコントロールタイヤ制度 (ワンメイク) の導入[注 15]と同時に様々な制限を行った[9]。タイヤの種類は、トレッドパターンがブロック状のグラベル用[注 16]、ターマック用のグルーブ (溝) が少ないスリック[注 17]のほか、冬期イベント用にスノーとスタッド付きスノーがある[注 18]。レギュレーションにより、イベントで使用可能なトレッドはグラベル、ターマック共に1種類、コンパウンド[注 19]は2種類まで認められているが[10]、例外として、ターマックの冬期イベントで路面のコンディションが多種多様に変化するモンテカルロでは4種類まで認められている[11]。
車両へ搭載されるスペアタイヤの本数は2本まで、新品タイヤへの交換は“サービスパーク”への入庫時のみ、交換本数も4本までとなっている[注 20]。限られたタイヤ本数で如何に早いタイムを出すことが求められるため、特に近年はタイヤマネージメントの重要性が増した。前後左右のタイヤ選択、前後のローテーション、内圧設定のほか、勝負所となる重要なSSを見極めタイヤを温存するなど様々な戦略が取られている[13]。イベント毎に使用出来るタイヤの総本数は異なるが、2014年のラリー・イタリアではシェイクダウンに4本、競技では35本となっている[14]。
タイヤメーカー
2014年現在でFIAに認定されている公式サプライヤー (供給メーカー) は、ミシュラン[注 21]、DMACK、ハンコック、ピレリ[注 22]の4社である。2008年から2011年までは独占契約を結んだ1社が全てのマシンにタイヤを供給するワンメイクとなったが、2011年からはタイヤメーカーの選択が自由となり、各チームがそれぞれのタイヤメーカーと契約する形となっている[19]。
スケジュール
3日間又は4日間で行われる[注 23]。各日はDAY (デイ) で表し、1日目は「DAY1 (デイワン)」と呼称する[注 24]。DAYは、実質的な競技区間のSS (Special Stage: スペシャルステージ、通称: エスエス) と計測地点のTC (Time Control: タイムコントロール)、公道を走行する移動区間 (ロードセクション) のリエゾンに分けられ、SSの合計タイムが最も少ないドライバーが優勝となる。
競技はアイテナリーと呼ばれるタイムスケジュール表に沿って進められる。通常のスタート間隔は2分だが、グラベルで無風状態になると前車走行後の土煙が2分以内に収まらず、後にスタートしたマシンが視界を遮られて影響を受けるため、その場合は間隔を1分延長し、状況次第では更に1分延長される事も有る[注 25]。このためサーキットレースとは異なり、トラブルで減速・停車した場合を除きコース上での抜きつ抜かれつはほぼ生じない。
準備
イベントが開催される週の水曜日からレッキと呼ばれる、競技で使用されるコースの下見走行を行い、ドライバーとコ・ドライバーはコース状況を把握してペースノートの製作を行うが、使用車両は競技車両ではなく一般車両となる。水曜日の夕方から木曜日に掛けてはシェイクダウンと呼ばれる、実際に競技車両を使用して最終チェックを行った後[注 26]、車検を受けて規定外のパーツの装着が無いか確認が取れると、競技車両はパルクフェルメと呼ばれる車両保管所に置かれ、ドライバーを含め全ての関係者は競技開始まで触れることが出来ないようになっている。
リエゾン
一般道路を使用する移動区間。スタートした車両はリエゾンを通りTCへ向かう。SSと異なり閉鎖されていないため、現地の交通法規に従い一般車両に混じって走行する。リエゾンを走行することも競技の一部であり、主催者から示されるコマ図に従って走行するというラリー競技当初の姿が現在も残っている[注 27]。TCに入る時間は車両毎に指定され[注 28]、指定時刻に遅れた場合は1分につき10秒のペナルティが総合タイムに加算される[12]。スピード違反や一時停止義務違反で現地の警察に検挙されることもあり、ドライバーが免許停止などの処分を受けた場合は、代わりにコ・ドライバーがハンドルを握ることもある[24]。また、各国の法律[注 29]に定められた保安基準を満たしていない場合は走行を止められることがあり、特にSS区間でのトラブルで車が破損した場合などに問題となる。
SS
一般道路を一時的に閉鎖して作られた区間で、スタート地点はTC内に設置され、1台ずつ一定間隔でスタートしてタイムを競う。イベントによっては一般道路を閉鎖して使用するSSとは異なり、人工的に作られたサーキットコースのような特設会場で、2台の車両が仕切りのあるコースを同時にスタートするスーパースペシャルステージ (Super Special Stage: スーパーSS、SSS) も存在する[注 30]。
スピード感のある走行シーンが見所であるため、メディア中継が行われるのもSSであることが多い。SSの数はイベントにより異なるが概ね20前後で、各SSの距離は2km前後から50km以上まで存在し[注 31]、合計距離は300-400km程度となっている[注 32][注 33]。2011年からはパワーステージ[注 34]が導入された。タイトル争いでは僅かなポイントが結果を大きく左右する場合があるため、DAYリタイアやトラブルで上位進出の可能性が無くなった場合はパワーステージでのポイント獲得に切り替える事が多い。
タイムは速いほど良いためドライバーは全力で挑むが、時にはスピンやパンクによるタイムロスも発生する。また、事故や機器のトラブルなど、車両が深刻なダメージを受けて走行不能となった場合は、リタイアしたSSと、同日に行われる全てのSSがリタイア扱いとなるDAYリタイアとなる。全損で無い場合、指定の時刻までに車両を走行可能な状態にして認定を受けた場合は翌日の出走が可能となる救済措置のラリー2規定が適用され、ペナルティとしてリタイアしたSSと走行出来なかった残りのSSのトップタイムに5分加算されるが総合成績は有効となる。但し、最終日にリタイアした場合は同規定が適用されないため未完走扱いとなり総合成績は残らない[12]。
DAYリタイアの時点で、優勝やポディウム争いからは脱落してしまうが、以降のイベントに向けてのテストやセッティングと割り切って走行する事が多い。2014年からは、シードドライバーがDAYリタイアし翌日出走する場合、前年のドライバーズポイント順である、ゼッケンナンバーが15番までのシードドライバーの最下位に組み入れることと規定された。これは、余りにも下位の出走順にしてしまうと、技量の高いシードドライバーがタイムの遅い前走者に追い付き、危険と判断されたものである[20][12]。
スタート順は、グラベルのイベントに於いては重要なファクターとなる。最初にスタートするドライバーは堆積する土砂を掻き分ける掃除役となり不利を被ることが多いため、これまでも様々な対策が取られてきたが根本的な解決策は定まっていない。2013年までは事前に行われる予選でタイム順に上位のドライバーから自由に決めることが出来たが、2014年からは予選が廃止された。新方式は、初日のDAY1はドライバーズポイントが高い順、DAY2以降はスーパーSSを除く前日の最終ステージを終えた時点での総合成績順となっている。
各DAY最後のSS終了後はTCに移動してリエゾンを通り、サービスパークと呼ばれる各チームの本部に戻る。サービスパークでは競技中の整備や給油などの各種作業が許されるが制限時間があり[注 35]、制限時間をオーバーしたり、SSを欠場してマシンの修復を行う場合[注 36]はペナルティとしてタイムが加算される[注 37]。その後、車両は再びパルクフェルメに保管されて次のDAYの競技開始を待つ。サービスパーク以外で簡単な整備が出来る場所、リモートサービス[注 38]を設ける場合もある。
ポイントシステム
ドライバー選手権
最終日のSS終了後の表彰式で1位から10位までにポイントが与えられるほか[注 39]、イベントの最終SSをパワーステージと呼称し、総合成績に関係なく1〜3位までにそれぞれ3-2-1ポイントが与えられ[12]、年間で最も多くのポイントを獲得したドライバーがドライバーズチャンピオンとなる。JWRC、PWRCでは、クラス毎にポイントが設けられクラス毎の年間チャンピオンを決定するが、トップクラスのドライバーは全クラスの総合順位からポイントが決定する[注 40]。
マニュファクチャラー選手権
製造メーカー又はワークスが該当し、エントリー出来るのは自動車メーカー毎に1チームが基本で、対象として1チームから2台までのエントリーが認められている[注 41]。付与順位及びポイント数はドライバーと同様で、最も多くのポイントを獲得したメーカーがマニュファクチャラーズチャンピオンとなる。F1のコンストラクターズタイトルがシャシーの製造者に対して与えられるのに対し、WRCのマニュファクチャラーズタイトルはメーカーに対して与えられるため、タイトル獲得時の宣伝効果を期待して各メーカーとも力を入れている。
車両クラス
2014年、エンジン形式や排気量などにより6つのクラスに再編された[12]。グループAのR3D以外は全てガソリン車となる。
- RC1
- WRカー (1.6Lターボ+33mm径 エアリストリクター)
- RC2
- S2000 (1.6Lターボ+33mm径 エアリストリクター)、S2000 (2L NA)、グループR5、グループR4、グループN (2L以上)
- R-GT
- R-GT (34mm径 エアリストリクター)
- RC3
- グループA (1.6L - 2.0L未満)、スーパー1600 (1.6L NA)、グループR2 (1.6L - 2.0L未満)、グループR3 (1.6L - 2.0L未満)、グループR3T (1.6L - 2.0L未満 ターボ)、グループR3D (ディーゼル 2.0L未満 ターボ)
- RC4
- グループA (1.6L未満)、グループR2 (1.39L - 1.6L未満)、キットカー (1.6L未満)、グループN (1.6L - 2.0L未満)
- RC4
- グループN (1.6L未満)、グループR1 (1.6L未満)
競技クラス
換算排気量とグループによって4分類されている。最上位クラスのWRCのほかに下位のカテゴリーの車両を使用して行われる、3つのサポート選手権が存在する。2013年、各チームのコストダウンの一環としてサポートカテゴリーの再編と共にクラス毎の規定が適用された。2012年までのサポートカテゴリーと違い、WRC全13戦はWRC-2やWRC-3が併催され、JWRCを除き、サポートカテゴリーは全てイベントの参加が可能になっている[注 42]。
WRC
選手権の名称ともなっているWRCの最上位クラス。ワークスとして参戦するチームは全13戦で2台以上のエントリーが義務付けられている。ポイントは全戦有効。ワークス以外のチームは7戦以上 (内ヨーロッパ以外1戦以上) に2台までの体制で参戦が義務付けられている。ポイントは上位7戦分のポイントが有効となる。
使用車両のWRカーは4WDでベース車両から大幅な改造や変更が認められている。エンジンの最高出力は約320PS、最大トルクは約45kgf・mであるが、グループB時代のハイパワー競争を教訓とした、過度の競争を避けるためのエアリストリクター装着により、2013年現在では最大出力は300PSに制限されている。また、先にF1に採用されたパドルシフトもWRカーでは標準的な装備となっていた時期もあるが、2014年現在ではフロア式のシーケンシャルシフトとなっている。[29]2010年まではグループA・クラス8規定、2011年から新規定が適用された。これはS2000規定を基にエンジン排気量を1.6Lとし、ターボチャージャーを装着する。また、車幅も2009年規定の1,800mmから1,820mmに拡大されたが変更点はS2000にも適用されるため、差別化として改造範囲が拡大されている。外観ではフロントバンパー等のエアロパーツの変更が可能になっている。
2011年開幕戦時点で参戦を正式に表明していたメーカーはシトロエンとフォードの2社のみであったが、BMWとかつてスバルのWRカーを開発していたプロドライブが組み、ミニ・カントリーマンによる2011年のスポット参戦と2012年からのワークス参戦を発表[30]した。2013年はワークス活動からフォードとBMWが撤退する一方で、フォルクスワーゲンが参戦を開始した。
コスト低減のため、将来的にはR5規定マシンをメインとする構想がある。R5はS2000に代わる規定とされ、アップライト (車軸とハブ) は4輪全ての共用が義務付けられるほか、空力面やリストリクター径が異なり、トランスミッションも6速→5速となるが、最低重量はWRカーと同じ1,200kgでエンジン排気量も1.6Lで開発費を抑えられることから多くのマニファクチャラーから支持されており、既にフォードやシトロエン、シュコダなどがR5マシンの開発を行っている[注 43][32][33]。
1998 - 2010年の主な車種
- シトロエン・C4 WRC
- フォード・フォーカスWRC
- スバル・インプレッサWRX
- スズキ・SX4
- 三菱・ランサー
- トヨタ・カローラ WRC
- プジョー・307
- シュコダ・ファビア
- ヒュンダイ・アクセント
2011年以降の主な車種
WRC-2
2013年、それまでのSWRCとPWRCを統合した形で設定された。全13戦中、7戦がWRCと併催されている。7戦以上の参戦が義務付けられており、ポイントは最初に参加した7戦 (全13戦も選択可能) の内、上位6戦分のポイントが有効となり、欠場時のペナルティは無い。また、プロダクションカーカップは最も多くのポイントを獲得した、N4規定が適用される車両が参戦したチームに対して与えられる[注 44]。
使用車両は4WDで、2012年までの規定が適用されたスーパー2000、グループR規定のR4・R5、グループN規定のN4となる。また、N4規定車種のみ対象の「プロダクションカーカップ」が設定された[34]。
主な車種
- シュコダ・ファビア S2000
- スバル・インプレッサ グループN、R4
- プジョー・207 S2000
- 三菱・ランサーエボリューション グループN、R4
- フォード・フィエスタ S2000、RRC、R5
- シトロエン・DS3 RRC
WRC-3
2013年に設定された。全13戦中、6戦がWRCと併催されている。WRC6戦で併催6戦以上の参戦が義務づけられている。ポイントは最初に参加した6戦の内、上位5戦分のポイントが有効となる。使用車両は、2WDで、グループR規定のR1、R2、R3クラスとなる。
主な車種
シトロエン・DS3 R3
世界ジュニアラリー選手権 (JWRC)/WRC アカデミー
全6戦でポイントは全戦有効。グループA・クラス6、スーパー1600と呼ばれる1.6L NAエンジンのFF車をベースに車幅拡大などが施された「WRCの下位クラス」の位置付けである。出場年齢制限が26歳以下となるためドライバーの平均年齢は低く、WRCへの登竜門的な存在となっている。セバスチャン・ローブ、セバスチャン・オジェ、ダニエル・ソルド、フランソワ・デュバル、パー・ガンナー・アンダーソンなど、最上位クラスのWRCで活躍するドライバーも少なくないが、WRカーの出場台数が絶対的に少ないため非常に狭き門という事もあり、近年では他のクラスへ移行するドライバーもいる。タイヤはミシュランのワンメイクとなっている。
ゼッケンナンバーは31番-60番までで、うち59・60番は地元枠として、地元のASN[注 45]が選出したドライバーが走ることが出来る。2009年の第2戦-第5戦は、同じ番号で走るPWRCと併催のため、ゼッケン・ナンバーが+100になることがある。
2007年はヨーロッパ圏内のみでの開催となり“W”が取れて“JRC”となったが、2008年はメキシコでの開催が確定しており、1年ぶりに世界選手権に戻った。2011年より大幅なルール変更を行い、Mスポーツがプリペア (準備) するフォード・フィエスタ R2のワンメイクシリーズでの開催となった。なお、2011-2012年の名称は“WRC アカデミー”であったが、2013年はサポートカテゴリー再編と共に2年ぶりに“JWRC”に戻った。
2010年までの主な車種
スーパー2000世界ラリー選手権 (SWRC)
2010年より設定された。自然吸気2.0L NAエンジンを搭載したS2000がメインで、初年度は11名のドライバーが出場した[注 46]。2013年よりWRC-2へ移行した。
2012年までの主な車種
- フォード・フィエスタ S2000
- シュコダ・ファビア S2000
- アバルト・グランデ・プント S2000
- プジョー・207 S2000
- プロトン・サトリアネオ S2000 (2012年-)
- 三菱・ランサーエボリューション R4
2013年以降の主な車種
- シュコダ・ファビア S2000
- スバル・インプレッサ グループN、R4
- プジョー・207 S2000
- 三菱・ランサーエボリューション グループN
- フォード・フィエスタ S2000
プロダクションカー世界ラリー選手権 (PWRC)
市販車をベースとしている点では、WRC、SWRCクラスと同様だが、より改造範囲の狭いグループN規定の車両で戦う。ベースとなる市販車の高い基本性能が要求され、スバル・インプレッサと三菱・ランサーエボリューションが多くを占めている。2013年時点では日本人ドライバーが参戦する唯一のクラスである[注 47]。2005年頃までは「PCWRC」と表記されていたが、現在は「PWRC」と表記するのが通例である。2013年よりグループNクラス4車両はWRC-2へ、二輪駆動であるR3クラスの車両はWRC-3へと移行した。
主な車種
- 三菱・ランサーエボリューション
- スバル・インプレッサ
- プジョー・207 S2000 (2007年-)
- MG ZR S2000 (ラリーGBに出場)
- アバルト・グランデ・プント S2000 (2007年-)
- シュコダ・ファビア S2000 (2009年-)
- トヨタ・カローラ S2000 (ラリー・オーストラリアに出場)
- シトロエン・DS3 R3 (2011年-)
- フォード・フィエスタ
車両の変遷
WRC草創期からグループB時代 (1973年 - 1986年)
1973年のWRC創設から1980年代初頭までは、グループ2やグループ4といった規定で競技が行われ、各メーカーは市販車を強化した特別仕様車であるホモロゲーションモデルを販売し、その車両をベースに競技用車両を開発していた。グループ4の当時の生産義務が「連続する24ヶ月間に400台」と少ないことを利用し、ランチアがラリーのためだけに開発したスペシャルモデル、ランチア・ストラトスは例外的存在である。当時のラリーカーはほとんどが2WDであったが、1981年にフルタイム4WDとターボエンジンを採用したアウディ・クワトロが登場してラリーを席巻し、その後のラリーカーの方向性を決定づけた。その後、それまでのグループ1-8規定を廃止し、1983年から新規定に移行することが発表される。1982年は新旧両規定に基づいた車両が使える移行期間であった。
グループ1-8と複雑になっていた規定がグループN、A、B、C、D、E、F、Tに簡素化され、このうちラリーの世界選手権はグループBにかけられることとなった。グループBは、連続した12ヶ月間に20台の競技用車両を含む200台を生産すれば良いというもので、名目上はより幅広いメーカーの参戦を促すものだったが、実際はより高性能なラリー専用車両の製作が可能となった。グループB車両のほとんどは鋼管スペースフレームに市販車に似せたデザインのFRP若しくはCFRP・ケブラー製のカウルを被せ、400PS-600PSと言われた高出力の過給エンジンをミッドシップに搭載し、フルタイム4WDで駆動するといった物であり、メーカー各社は先鋭化した高性能車両を競って生み出していく。際限の無い競争の結果として開発コストが上昇したため、グループBよりも金銭的な負担が少なく、競争が激しくなるような新しいカテゴリーとしてグループS構想を発表する。
グループB規定により走行スピードは劇的に向上したが、安全面がその進化に追いつかず、多くの事故と犠牲者を生み出すこととなった。1985年ツール・ド・コルスでのランチアのアッティリオ・ベッテガの事故死、同年アルゼンチンラリーでのプジョーのアリ・バタネンの事故、1986年ポルトガルラリーでフォードからワークスエントリーしていたヨアキム・サントスが多数の観客を死傷させるなど、ワークスドライバーが絡む事故が多発。そして、1986年のツール・ド・コルスで発生したランチアのヘンリ・トイヴォネン / セルジオ・クレスト組の事故死を受けて、FIAは事故の翌日に以後のグループB車両のホモロゲーション申請を却下することを発表し、その後1986年を以てグループBの廃止を決定[注 48]、翌1987年からは世界選手権は下位クラスであったグループA規定で行われることを発表、同時にグループS構想も消滅した。
1973年 - 1986年の車種
- グループ4時代(1973年 - 1982年)
- アウディ・クワトロ (A1) (グループ4→グループB)
- アウトビアンキ・A112アバルト (グループ1、2)
- アルファ・ロメオ2000 (GTV) (グループ1)
- アルファロメオ・アルフェッタ (GT、GTV6) (グループ1、2→グループ4→グループA)
- アルファロメオ・アルファスッド (Ti、スプリント) (グループ2→N、A)
- アルピーヌ・A110
- アルピーヌ・A310
- ヴォクスホール・シェベット (HS/HSR/2300HSR) (グループ4→グループB)
- オペル・アスコナ400 (グループ4→グループB)
- オペル・カデットGT/E (グループ4→グループ1、2)
- オペル・コモドーレGS/E (グループ2)
- サーブ・96V4 (グループ1、2→グループ4)
- サーブ・99 (EMS/ターボ) (グループ4→グループ2)
- シュコダ・100 (110L/120S、LS/130S、LR、RS) (グループ1、2、4→グループA、B)
- ダッジ・ラムチャージャー (グループ2)
- DAF・66 (グループ2)
- タルボ・サンビーム・ロータス (グループ2)
- トヨタ・セリカ1600GT (TA22) (グループ2)
- トヨタ・カローラ (TE27)
- トヨタ・セリカ2000GT (RA20)
- トヨタ・セリカ (RA40)
- トヨタ・セリカ (RA63)
- トライアンフ・TR7-16V Rally
- トライアンフ・TR7 V8
- トライアンフ・TR8
- 日産・240Z
- 日産・バイオレット
- 日産・バイオレットGT (グループ2→グループ4)
- フィアット・124・アバルトスパイダー
- フィアット・131・アバルトラリー
- フィアット・アバルトX1/9プロトティーポ
- フィアット・リトモ・アバルト125TC (グループ2)
- フォード・エスコートRS
- プジョー・504 (グループ2、4)
- BMW・2002 (ti、tii) (グループ1、2)
- BMW・M1(グループ4)
- ポルシェ・911カレラRS (2.7/3.0) (グループ3、4)
- 三菱・ランサー1600GSR
- 三菱・ランサーEX2000ターボ
- メルセデス・ベンツ280E(グループ2)
- メルセデス・ベンツ450 SLC 5.0
- メルセデス・ベンツ500 SLC (グループ4→グループ2)
- ラーダ(VAZ) (2103、1200、1300ラリー、1500/S、1600、21011) (グループ1→グループ2)
- ランチア・フルヴィアHF
- ランチア・ベータクーペ (グループ3、4)
- ランチア・ストラトスHF
- ルノー・5ターボ (グループ4→グループB)
- ルノー・12ゴルディーニ (グループ1、2)
- ルノー17ゴルディーニ
- グループB時代 (1982年 - 1986年)
- アウディ・クワトロ (A2)
- アウディ・スポーツクワトロ (S1E1/S1E2)
- MG・メトロ6R4
- ヴォクスホール・シェベットHSR
- オペル・マンタ400
- シトロエン・ビザ・ミルピステ
- シトロエン・BX-4TC
- シュコダ・130LR
- ダイハツ・シャレード (1.0/926/926ターボ) (グループA→グループB (1985年のみ)→グループA)
- トヨタ・セリカ ツインカムターボ
- 日産・240RS
- フォード・RS200
- プジョー・205ターボ16 (EV.1/EV.2)
- ポルシェ・911SC-RS
- マツダ・サバンナRX-7 (SA22C)
- 三菱・スタリオン4WD[注 49]
- ラーダ2105VFTS
- ランチア・ラリー (Evo.Ⅰ/Evo.Ⅱ)
- ランチア・デルタS4
- ルノー・MAXI5ターボ
- グループB時代のグループAカー
- アルファロメオ・アルフェッタGTV6
- アルファロメオ・アルファスッド・スプリント
- オペル・カデットGSi
- トラバント・P800 RS
- スバル・レオーネRX
- フィアット・ウーノ (55S/ターボ) (グループN、A)
- フィアット・リトモ・アバルト130TC (グループA→N)
- VW・ゴルフGTI
- マツダ・323 4WD
- シュコダ・130L
-
ランチア
ストラトス HF -
プジョー
504 -
フォード
RS200 -
ポルシェ
911 SC-RS -
マツダ
RX-7 -
ランチア
デルタ S4 -
MG
メトロ 6R4 -
オペル
マンタ 400
- 開発中止になったグループSカー
-
ランチア
ECV -
トヨタ
222D -
アウディ
スポーツ・クワトロRS002 -
オペル
カデット GSi T16 ラリー4X4
グループA時代 (1987年 - 2001年)
1987年の世界ラリー選手権はグループA規定に移行し、ベース車両は継続した12ヶ月間に5,000台以上の生産が義務づけられたほか[注 50]、様々な改造規制が加えられて市販車に近いものとなった。しかしハンドリングの向上とタイヤの性能が進化したことにより車両性能は落ちるどころか年々向上し、3年後にはグループBのマシンを凌駕する速さを身に付けた。フルタイム4WDと2.0Lのターボエンジンは必須の装備となっていたが、その様な高性能なスポーツ車両を生産し販売出来るメーカーは少なく、参戦メーカー数は非常に減少した。
ランチアはデルタをベースとした車両を製作してグループA時代を牽引するが、日本のメーカーが勝負を挑む。日本の自動車市場は4WDスポーツ車が順調に売れる世界的に見て珍しい市場であり、日本車メーカーはこぞって高性能な4WDスポーツ車を販売し、1990年代中盤には、それまでWRCの中心を担ってきたヨーロッパの自動車メーカーに代わり、トヨタ、スバル、三菱、日産、マツダといった日本のメーカーがWRCを席巻した。
トヨタはセリカでランチアの厚い壁に挑み続け、1990年、1992年 - 1994年にドライバーズ・タイトルを獲得、1992年を以てランチアがワークス活動を休止し競争力が次第に低下したこともあり、1993年 - 1994年には日本の自動車メーカーとしては初めてマニュファクチャラーズ・タイトルを獲得した。また、スバルはインプレッサの投入とともに1994年からフル参戦を開始し、1995年 - 1997年の3年連続でマニュファクチャラーズ・タイトルを獲得、三菱自動車のランサーエボリューションが1996年 - 1999年まで4年連続ドライバーズ・タイトルを獲得した。
ところが、1995年にトヨタのレギュレーション違反が発覚。獲得ポイントの剥奪と1年間の出場停止処分を受け、1997年終盤にカローラWRCで復帰するまでほぼ2年間その活動を休止した。一方、グループAの2,500台という最低生産台数がネックとなり、参戦メーカー数は減少の一途を辿っていたため、より参戦の門戸を広げるため、新たにワールドラリーカー (WRカー) の規定が1997年より導入された。1997年は多くのメーカーがWRカーに移行する中、三菱のみグループAに留まり、1998年に初のマニュファクチュアラーズタイトルを獲得。1999年以降も引き続きグループA規定で参戦したものの、2001年、三菱チームも同年中のWRカー移行を発表。14年弱の長きに渡るグループA時代は終わりを迎えた。
1987年 - 2001年の車種
- アウディ・200クワトロ
- アウディ・90クワトロ
- オペル・カデット GSI
- オペル・カリブラ ターボ 4x4
- シトロエン・クサラ キットカー (F2キットカー
- シトロエン・サクソ キットカー (F2キットカー)
- スバル・レオーネ4WD RX
- スバル・レオーネ RXⅡ
- スバル・レガシィ RS (BC)
- スバル・インプレッサ WRX (GC)
- トヨタ・スープラ GT
- トヨタ・セリカ GT-FOUR (TURBO4WD) (ST165・ST185・ST205)
- トラバント・P800 RS
- 日産・200SX
- 日産・パルサーGTI-R
- 日産・パルサー GTI (F2及びF2キットカー)
- 日産・アルメーラ (パルサー) キットカー (F2キットカー)
- 日産・マイクラ (マーチ) キットカー (F2キットカー)
- BMW・M3
- フィアット・ウーノターボ
- フォード・シエラ XR6 4WD
- フォード・シエラ RSコスワース
- フォード・シエラ RSコスワース 4x4
- フォード・エスコート RSコスワース
- フォルクスワーゲン・ゴルフ GTI
- フォルクスワーゲン・ゴルフ G60ラリー
- プジョー・306 MAXI (F2キットカー)
- プジョー・106 MAXI (F2キットカー)
- マツダ・ファミリア (3234WD
- マツダ・ファミリア (323GT-X)
- 三菱・スタリオン ターボ
- 三菱・ギャラン VR-4
- 三菱・ランサーエボリューション (I・II・III・IV・V・VI)
- ランチア・デルタ HF4WD
- ランチア・デルタ HFインテグラーレ (8V)
- ランチア・デルタ HFインテグラーレ 16V
- ランチア・デルタ HFインテグラーレ エボルツィオーネ (スーパーデルタ)
- ルノー・11 ターボ
- ルノー・クリオ MAXI (F2キットカー)
- ルノー・MAXI メガーヌ (F2キットカー)
-
トヨタ セリカ
GT-FOUR -
日産 サニー (パルサー) GTI-R
-
スバル レガシィRS
-
スバル インプレッサWRX
WRカー時代 (1997年 - 2010年)
グループAの特例として1997年から導入されたWRカーは、継続した12ヶ月間に25,000台以上生産された車種の派生モデルに限り、直接的なペースモデルの生産台数を2,500台とするもので、ワイドボディ化、4WDへの改造、リアサスペンション形状の変更、同一メーカー車に搭載されているエンジンへの換装やターボの付加など、大幅な改造を認められたものである。この規定により、グループAの生産台数5,000台に参戦を妨げられていたヨーロッパの自動車メーカーが相次いでWRCに参戦し、メーカー数が増加して一時的に活況を呈するが、世界的不況の影響による自動車会社の経営不振、度重なる仕様変更、WRカーの開発費用および車両価格の高騰、イベント数の増加などにより徐々に撤退するメーカーが増え[注 51]、2009年時点で正式に参戦したのはシトロエン、フォードの2社のみとなった。
1999年、フォード・フォーカスWRC、プジョー・206 WRCが登場、プジョーは2000年 - 2002年までマニュファクチャラーズタイトルを3連覇した。2003年には本格参戦1年目にしてシトロエンがマニュファクチャラーズタイトルを奪取し、その後2005年まで3連覇するなど一大勢力と化したフランス勢の時代が続いたが、WRCの開催スケジュール等を巡りFIAと対立したプジョーが2005年で撤退した。シトロエンも2005年で一時撤退するが、2006年にプライベートチームのクロノス・レーシングを事実上のワークスチームとしてサポートする形で参戦、その間、従来のWRカーであったクサラ WRCの後継となるC4 WRCの開発を平行して行っており、2007年に再びワークスチームとしてWRCへ復帰した。
フォードはMスポーツにワークス活動を委託し着実に成績を残していたが、フォードグループ全体の経営不振などにより年を追うごとに資金が先細りしていく状況にあった。2002年頃から毎年撤退が噂され、2004年には撤退寸前まで追い込まれるが、Mスポーツ監督のマルコム・ウィルソンが絶望的な状況の中でも諦めることなくフォード首脳陣に対して参戦継続へ向けた粘り強い交渉を行っていた。そして交渉期間中に開催されたカタルニア・ラリーとツール・ド・コルスでフォーカスWRCを駆るマルコ・マルティンが連続優勝を成し遂げた。この結果により状況が好転し、フォード本社がラリー活動の継続を決断する。2005年に3年間の参戦と資金が確約されると攻勢に転じ、モデルチェンジしたフォーカス STをベースに新型車両を作り上げ、2006年に1979年以来となるマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。
日本メーカーでは、1年間の活動休止を余儀なくされていたトヨタがカローラ[注 52]をベースにしたWRカーを投入、1999年のマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。スバルはインプレッサ WRCを投入するが、頻発するトラブルや度重なるモデルチェンジによる仕様変更の影響もあって上位に絡めない展開が続く。2007年にようやくトップ争いが見える位置まで復活するが、上位のシトロエン、フォードとの差は開いており、2008年を以てマニュファクチャラーズ選手権から撤退した。
三菱はグループAに拘り続けたが、2001年にWRカーへと移行した。ベースモデルはランサーエボリューションからランサーへと変更されているが、WRカーへの移行時に多くのトラブルが発生、エースであったトミ・マキネンの離脱なども重なり成績は低迷した。体制変更、一時的な活動停止などの迷走期間を経て、2008年以降の本格的復帰を目標に限定的な参戦をしていたが、2007年末に英国の拠点を閉鎖、2010年にラリーアートが業務の一部停止を発表した[35]。スズキは、当初2007年が夏季開幕となるウインターシーズン案が検討されていたため2007年からの全戦参戦を計画していたが、ウインターシーズン案が撤回されたため、2007年は3戦にスズキ・SX4 WRCでテスト参戦し、2008年から全戦に参戦した。シーズン前半は初期トラブルが多発し完走も難しかったが、後半へ向けて改良が行われ、2台完走することが増えていった。最高位は日本とイギリスの5位。2008年12月15日、スズキは2009年以降のWRC参戦休止を表明した。
日本車以外のアジア勢としては、ヒュンダイがイギリスのMSD (モータースポーツ・デベロップメント) と協力しヒュンダイ・アクセント WRCで参戦していたが、慢性的な資金難から競技車両の開発が大幅に遅延した結果、競争力が向上せず、2003年、ワークス活動を委託していたMSDが活動資金の不足を理由に残り4戦を残して撤退、そのままWRCの活動を休止した。この「シーズン途中のワークス撤退」が当時のルールである「WRカーは全戦出場義務がある」に抵触したため、FIAはヒュンダイに対しWRC史上最高額となる100万USドルの罰金を課したが、支払いを巡り法廷闘争に発展した[36]。
1997年 - 2010年の車種
S2000 WRC時代 (2011年 - )
グループA車両をベースにしたWRカーは高コストで新規ワークスの参入はほぼ不可能であるため、コスト削減案としてWTCCで導入されているスーパー2000 (S2000) 規定を導入しようという案が浮上する。これは2.0LのNAエンジンを使用し、ボディ補強など最低限の改造のみで競技車両を製作するという規定でPWRC規定の車両と近い。実際にPWRCではS2000規定車両の出場も認められているほか、IRCでもS2000規定の車両が活躍している。
WRカーという名称を引き継ぎ、新規格のWRカーをから導入することが検討され、2008年12月、FIAはS2000をベースにボルトオンキットで簡単にWRカーに出来る様にする“S2000プラス”を提案した[注 53]。その後、FIAの中で意見が二転三転し、S2000プラスを撤回して2011年以降はS2000をメインカテゴリーにするという話が浮上する[注 54]。新規定が確定しなければ開発出来ない上に残りの期間も少ないことから、2009年もWRカーでワークス参戦するシトロエンとフォードからは、結論の出ないFIAに対して不満の声が上がっていた。
最終的には、WTCCなど他のカテゴリーと共通の規定の元に製作される1.6L直噴ターボエンジンをS2000車両に搭載したS2000 WRCに変更することを決定し、シトロエンとフォードは、それぞれシトロエン・DS3 WRCとフォード・フィエスタ RS WRCを制作し参戦[注 55]、また、2011年からは新たにBMWがプロドライブに製作を委託しミニ カントリーマンをベースにした、ミニ・ジョン クーパー ワークス WRCで参戦[注 56]した。同年5月、フォルクスワーゲンがポロ R WRCで参戦することを発表し[39]、初参戦の2013年からドライバーズ&マニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得した。2014年も好成績を継続していることを受けて、フォルクスワーゲンは当初の2013年-2015年までの3年計画を延長、2019年まで参戦することを決定した[40]。2014年からはヒュンダイがi20 WRCでフル参戦した[37]。
その他、トヨタが将来的にWRCへ参戦する可能性が浮上する[注 57]。トヨタのモータースポーツ部門であるTMGはWECに集中しているため、WRCへの参戦については2016年以降と言及[42]、既にヤリスWRCがテストを開始しているため、2017年からの新規定に合わせて参戦する可能性が高いとみられている[43]。2014年5月、FIAとWRCが2017年から導入が予定されている規定についての公式ミーティングで今後の進め方などが話し合われ、同年中には各チームに具体的な内容を説明するとしている[44]。
2011年以降の主な車種
- シトロエン・DS3 WRC
- フォード・フィエスタ RS WRC
- ミニ・ジョン クーパー ワークス WRC
- フォルクスワーゲン・ポロ R WRC
- ヒュンダイ・i20 WRC
メディア
海外での放送
開催国を中心として、特にヨーロッパで絶大な人気を誇るWRCはテレビ放送も盛んに行われている。FIAとしてもテレビ放送から得られる収入は無視出来ないものとなり、スーパーSSなどテレビ放送向けにイベントを組んでいるが、より多くの視聴者を獲得するためにはテレビ放送より規模の大きいインターネット配信が有効という意見も出ている[45]。ラジオ放送も行われており、日本でもインターネット経由で聴くことが出来る。
日本での放送
2013年現在では、唯一J SPORTSが各DAYの速報やイベントの総集編、ラリージャーナリストが取材したWRCの裏側リポート等を放送している。BS日テレでもダイジェストで放送していたが、スバルのWRC撤退によるスポンサー撤退で2008年12月25日で放送終了。地上波では近年テレビ東京系列でダイジェスト放送が行われており、2007年の第1回放送は7月16日に行われた[注 58]。2008年はテレビ東京系の番組『モヤモヤさまぁ〜ず2』とタイアップし、同年11月14日に21時から2時間特番を放送した[注 59]。その他の放送局はWRCの報道に消極的であり、日本で開催されるラリージャパンも例外でない。同ラリーの開催時期でも、地上波では過去にWRCの放送経験があるテレビ東京系列の他は日本テレビ系列やNHKで多少触れられる程度である。
1990年代、NHKでWRCの報道がされていた[注 60]ほか、2003年以前は日本テレビでダイジェスト番組が放送されていた[注 61]。2005年のラリージャパンでは報道ステーションの松岡修造が出演するコーナーにて特集され、2006年には前述の放送局に加えて、インターネット放送GyaO、CS放送AXN、地上波放送日本テレビ系列[注 62]及び福井放送[注 63]で行われたが、以降は地上波でWRCやラリージャパンに関する放送はされていない。
日本での雑誌報道
WRCの専門雑誌としては、1990年に創刊したWRC速報誌『RALLY・XPRESS』が草分け的な存在だが、2007年末の出版社の解散にともない休刊。現在は、同誌の元スタッフが運営を引き継いだ携帯サイトラリーXモバイルとしてラリー情報を配信している。2013年現在、WRC専門誌は『WRC PLUS』(三栄書房、編集: 株式会社イデア) のみとなっている。
漫画
新谷かおるの「ガッデム」が、ビッグコミックスペリオールで1988年-1990年まで連載され、OVAとしてアニメ化もされた。パリダカのようなモノだけをラリーと認識している人が多かった当時の日本に、WRCのルールを浸透させたエポックメイキングな作品。架空の日本車メーカー三沢自動車と日本人ドライバー轟源の活躍を描く。
なお新谷かおるは、同じくWRCを扱った作品として「NAVI」をヤングマガジンGTに2000年1号-2002年6号まで連載、単行本全1巻をヤングマガジンコミックスから発売している。こちらはドライバーではなくナビゲーターが主人公というのが珍しい。
しんむらけーいちろーの「FLAT OUT」が、別冊ヤングマガジンに2005年4月-2006年12月まで連載された。2004年のラリージャパンとラリー・オーストラリアを舞台に日本人ドライバー剣龍也の活躍を描いている。
年別総合優勝記録
年 | ドライバー部門(車) | マニファクチャラーズ部門 |
---|---|---|
2015年 | セバスチャン・オジェ(フォルクスワーゲン) | |
2014年 | セバスチャン・オジェ(フォルクスワーゲン) | フォルクスワーゲン |
2013年 | セバスチャン・オジェ(フォルクスワーゲン) | フォルクスワーゲン |
2012年 | セバスチャン・ローブ(シトロエン) | シトロエン |
2011年 | セバスチャン・ローブ(シトロエン) | シトロエン |
2010年 | セバスチャン・ローブ(シトロエン) | シトロエン |
2009年 | セバスチャン・ローブ(シトロエン) | シトロエン |
2008年 | セバスチャン・ローブ(シトロエン) | シトロエン |
2007年 | セバスチャン・ローブ(シトロエン) | フォード |
2006年 | セバスチャン・ローブ(シトロエン) | フォード |
2005年 | セバスチャン・ローブ(シトロエン) | シトロエン |
2004年 | セバスチャン・ローブ(シトロエン) | シトロエン |
2003年 | ペター・ソルベルグ(スバル) | シトロエン |
2002年 | マーカス・グロンホルム(プジョー) | プジョー |
2001年 | リチャード・バーンズ(スバル) | プジョー |
2000年 | マーカス・グロンホルム(プジョー) | プジョー |
1999年 | トミ・マキネン(三菱) | トヨタ |
1998年 | トミ・マキネン(三菱) | 三菱 |
1997年 | トミ・マキネン(三菱) | スバル |
1996年 | トミ・マキネン(三菱) | スバル |
1995年 | コリン・マクレー(スバル) | スバル |
1994年 | ディディエ・オリオール(トヨタ) | トヨタ |
1993年 | ユハ・カンクネン(トヨタ) | トヨタ |
1992年 | カルロス・サインツ(トヨタ) | ランチア |
1991年 | ユハ・カンクネン(ランチア) | ランチア |
1990年 | カルロス・サインツ(トヨタ) | ランチア |
1989年 | ミキ・ビアシオン(ランチア) | ランチア |
1988年 | ミキ・ビアシオン(ランチア) | ランチア |
1987年 | ユハ・カンクネン(ランチア) | ランチア |
1986年 | ユハ・カンクネン(プジョー) | プジョー |
1985年 | ティモ・サロネン(プジョー) | プジョー |
1984年 | スティグ・ブロンクビスト(アウディ) | アウディ |
1983年 | ハンヌ・ミッコラ(アウディ) | ランチア |
1982年 | ヴァルター・ロール(オペル) | アウディ |
1981年 | アリ・バタネン(フォード) | タルボ |
1980年 | ヴァルター・ロール(フィアット) | フィアット |
1979年 | ビヨン・ワルデガルド(フォード/メルセデス・ベンツ) | フォード |
1978年 | マルク・アレン[注 64](フィアット/ランチア) | フィアット |
1977年 | サンドロ・ムナーリ[注 64](ランチア) | フィアット |
1976年 | ランチア | |
1975年 | ランチア | |
1974年 | ランチア | |
1973年 | アルピーヌ |
通算優勝記録
ドライバー / コ・ドライバー
ドライバー | 総計 | コ・ドライバー | 総計 | |
---|---|---|---|---|
1 | セバスチャン・ローブ | 78回 | ダニエル・エレナ | 78回 |
2 | セバスチャン・オジェ | 31回 | ジュリアン・イングラシア | 31回 |
3 | マーカス・グロンホルム | 30回 | ティモ・ラウティアイネン | 30回 |
4 | カルロス・サインツ | 26回 | ルイス・モヤ | 24回 |
5 | コリン・マクレー | 25回 | ニッキー・グリスト | 21回 |
6 | トミ・マキネン | 24回 | イルッカ・キビマキ/ セッポ・ハルヤンネ | 20回 |
7 | ユハ・カンクネン | 23回 | アーネ・ハーツ | 18回 |
8 | ディディエ・オリオール | 20回 | ティジアーノ・シビエロ | 17回 |
9 | マルク・アレン | 19回 | ベルナール・オチェッリ | 16回 |
10 | ハンヌ・ミッコラ | 18回 | ヤルモ・レーティネン | 15回 |
マニュファクチャラー
マニュファクチャラー | 総計 | |
---|---|---|
1 | シトロエン[注 65] | 93回 |
2 | フォード[注 65] | 82回 |
3 | ランチア | 74回 |
4 | プジョー | 48回 |
5 | スバル | 47回 |
6 | トヨタ | 43回 |
7 | 三菱 | 34回 |
8 | フォルクスワーゲン | 28回 |
9 | アウディ | 24回 |
10 | フィアット | 21回 |
脚注
注釈
- ^ a b マニファクチャーチーム
- ^ a b 2013年
- ^ Special Stage: スペシャルステージ
- ^ 近年では2008年シーズンのグラベルラリーにおけるフォードとシトロエンのスタート順を巡る駆け引きが物議を醸すこととなった。
- ^ コ・ドライバーがペースノートの内容を誤って読み上げたり、ドライバーの聞き違いなどで走行ミスが生じることもある。その他、レッキを行いペースノート通りに走行しても路面上の石や異物でマシンを破損し、最悪の場合はリタイヤする事もある。
- ^ リエゾン走行時とは異なるSS用のセッティングモード。パワーの増大と共にアンチラグシステムの効きを強くすることでスロットルレスポンスは向上するが、燃料を濃くするため、より多くの燃料を消費する。仮に、負荷の低いリエゾンでステージモードを使用してしまうと不燃焼ガスが多く発生する[1]。
- ^ 2004年に日本で初めて行われたラリージャパンには、全国から多数のプライベーターが参戦した。
- ^ 2004年のメキシコ・ラリーにおいて第一レグの最終SS終了後、ロードセクションのゴール間際でスバルのペター・ソルベルグのインプレッサがエンストした際、周りにいたメディアや観客がペターと一緒に車を押してしまい、これを受けてペターはペナルティを課せられた。
- ^ 自動車メーカー側からはイベント数が多過ぎるとの声が上がり、主催者側はWRCを自国で開催したいという思惑があるため、双方の意向を汲む形で導入された[4]。そのため2009年は伝統のモンテカルロからの開催とならず、ラリージャパンも2010年に回っている。映画の題材となるなど、日本でよく知られているケニアのサファリラリーは、イベント自体の特殊性や開催地の遠さが敬遠され、2002年の開催を最後にWRCからは外されている。
- ^ 2006年最終戦は10月21日のブラジルグランプリで、2007年の開幕戦であるオーストラリアグランプリは3月18日と5ヶ月ある。
- ^ 例として、2006年最終戦のグレートブリテンラリーが12月3日に最終日を迎えたのに対し、2007年開幕戦であるモンテカルロ・ラリーは1月19日と1ヶ月強程度しかオフシーズンがない。
- ^ 一部のステージはWRC初のリトアニアで行われる[5]。
- ^ 例として、モンテカルロは舗装路が積雪や凍結状態となるためターマック、スウェーデンは未舗装路に積雪しているためグラベルとなる[6]。
- ^ 特に1月に開催されるモンテカルロは、ドライ、ウェット、スノー、アイスと路面状況が変化するためタイヤ選択が重要なイベントとなっている。公式サプライヤーの1社で、2014年に全てのワークスチームに供給するミシュランでは、低い路面温度に対応するコンパウンドが柔らかいソフトとスーパーソフトの2種類、モンテカルロ専用となるスタッド付きとスタッド無しのスノータイヤを用意したが、装着分4本とスペアタイヤの搭載は2本に限られるため、選択によっては大きくタイムを失うドライバーが続出する結果となった[8]。
- ^ 2008年〜2010年
- ^ 少々のパンクに対応できる様、2007年まではムースと呼ばれる発泡剤をタイヤ内部に充填していたが、2008年のレギュレーション変更で禁止された。
- ^ 1994年を以て純粋なスリックタイヤの使用は禁止された[10]。
- ^ 同じ冬期のイベントでも、モンテカルロとスウェーデンでのスタッドタイヤは仕様が異なる。2013年のスタッドの高さと数は、モンテカルロが約2mm/180本、スウェーデンが6mm/360本となっている[6]。
- ^ タイヤの接地面に使用されるゴムの種類。一般的に、ソフトはグリップ力は高いが性能保持時間が短く、ハードはソフトに比べるとグリップ力は劣るものの性能保持時間は長い傾向がある。
- ^ 環境負荷の低減とコスト削減のため、2011年までは6本まで、2012年には5本まで、2013年からは4本までと年々削減されているため、タイヤメーカーは耐久性と性能の両立を更に求められることになった[12]。
- ^ WRC開催初年度の1973年から2005年まで供給、その後は傘下のBFグッドリッチブランドとしてIRCに供給するなどの形で一時休止していたが2011年に復帰した[15][16]。2014年は全てのワークスチームが使用する[12]。
- ^ ミシュランと同じく開催初年度の1973年から供給を開始し、2008年から2010年までは独占契約によりワンメイク供給を行った[17]。2011年からF1に集中するため2010年を以て休止したが、2014年に復帰した[18]。
- ^ 2014年からの新規定では、木曜日にスタート前のイベントとなるセレモニアルスタート、金曜日から日曜日を競技とし、最終日は12時頃に終了することとされた[20]。
- ^ 2007年までは「DAY (デイ)」という表現を用いず「LEG (レグ)」と表記していた。現在でも「レグ」と表記している媒体も有る[21]。
- ^ WRC 2011 第12戦 スペイン DAY1のグラベルでは、先頭走者のローブが本来であれば掃除役として不利を被る筈が、早朝かつ無風の状況で走行により巻き上げたダストが2分経過後もコース上に漂い、後続のマシンが視界を遮られて全開走行が出来ず、コースアウト寸前になるマシンも出るなど、ローブ以外は大幅にタイムを落としてしまう。この状況を受けてDAY1後半からはスタート間隔が4分に延長され、ようやく視界がクリアとなった[22][23]。
- ^ この際はシェイクダウン専用のコースを使用する。
- ^ 優勝を争うような選手でもコマ図を読み違え、道に迷いガス欠で棄権するということが起こる。
- ^ 交通渋滞などで遅くなった若しくは早く着いてしまったなど、リエゾンで生じた誤差を正すのが目的。
- ^ 日本の場合は道路運送車両法。
- ^ 通常のSSでは観客は競技車両が走り去るまでの短時間しか観戦出来ないが、スーパーSSでは観客席を設けて同じコースを2台の車両が同時にスタートするため、タイムを争う様子を観戦出来る。厳密には同じコースではないが比較的距離が短いため、タイム差は僅かである。
- ^ 規定により最長距離は80km程度とされている[13]。
- ^ ロードセクションなどの距離はこれ以上あるため、全ての競技の総走行距離はこの限りではない。
- ^ F1監督やWRCでコ・ドライバーを務めていた現FIA会長のジャン・トッドが推進するWRC長距離化政策や元WRCドライバーで現FIA役員であるミシェル・ムートンの影響により、近年は長距離化が進んでいる[25]。
- ^ 最終日の最終SSの1位-3位に、それぞれ3ポイント、2ポイント、1ポイントのドライバーズポイントが与えられる[12]。2013年までは設定SSや距離も様々で、規定は無かったものの殆どが最終日の最終SSに設定されていた。2013年のフランスではDAY1のSS1に設定される例もみられたが、2014年からは最終日の最終SSで距離は10km以上と規定された[26]。
- ^ 通常は60分だが、ミックスサーフェイスのイベントであるスペインでは75分に設定されている。これは、DAY2がターマックでDAY3がグラベルのため、通常の整備作業に加えて仕様変更も行う必要があるため特別に設定されている[27]。
- ^ スーパーラリー制度を適用
- ^ 以前はサービスパークという制度は存在せず、競技中はほぼ時間や場所に関わらず整備が可能であった。
- ^ 15分間のため、整備は必要最低限となる[28]。
- ^ 2014年は、1位から10位まで順に25-18-15-12-10-8-6-4-2-1ポイントとなる[12]。
- ^ トップクラスのカテゴリーで10位になっても、その上にJWRCやPWRCのドライバーが入ってきた場合ポイントは0となる。
- ^ フォルクスワーゲンは“フォルクスワーゲン モータースポーツ”と“フォルクスワーゲン モータースポーツII”の2チームをエントリーしているが、マニュファクチャラーズ選手権のポイントは両チームの合計ではなく別扱いとなる[12]。
- ^ 2012年まで、WRC以外のJWRCやPWRCなどは、WRCと併設されたイベントでWRCのみしか行われないイベント、一部サポートカテゴリーを行われないイベント、全カテゴリーを同時開催するイベントが存在した。
- ^ フォードは、フィエスタ RS WRCと比較して半分程度の価格を目標としている[31]。
- ^ 2010年-2012年までのPWRCに相当する。
- ^ 日本ではJAF
- ^ JWRC経験者のマルティン・プロコップ、ミカル・コシューツコ、パトリック・サンデル、パー・ガンナー・アンダーソンやPWRC経験者のナサール・アルアティヤ、エイビンド・ブリニルドセン、ベルナルド・スーザ、ヤリ・ケトマー、そしてWRCワークス経験者のヤンネ・トゥオヒノ、チェビー・ポンスといった豪華な面々が出場し初年度はチェビー・ポンスが初代チャンピオンに輝いた。
- ^ 新井敏弘、奴田原文雄、鎌田卓麻。
- ^ グループB車両の全てが出場不可となった訳ではなく、300PS以下のB車両は1987年以降も出走は可能だった。実際、小排気量のグループB車両はポイント対象外ながら、ホモロゲーションの切れる1990年代までプライベートチームが走らせる姿を見ることが出来た。ポルシェ・959などもグループB参加車両として開発されていたが、ベース車の生産・販売の問題や莫大な競技参加費用が掛かるなどの様々な事情があり、更にグループBの廃止の煽りを受けてこれらの車が実際の競技に参加することは無かった。
- ^ 参戦はプロトタイプクラスのみ。
- ^ 1993年より2,500台に変更。
- ^ フォルクスワーゲン傘下のセアトは2000年に、フォードと並ぶ古参メーカーとして知られたシュコダも資金難などにより2005年をもってマニュファクチャラーズ選手権から撤退した。
- ^ ヨーロッパで販売されていたモデルをベースとしていたため、日本のカローラとは別物である。
- ^ 競技車両のコストダウンを図ると共に、既に多く出回っているS2000車両をほぼそのままWRカーとしてエントリーを可能とする狙いであったが、S2000車両を持たないスバルや三菱にとってはFIAに見捨てられた形となった。グループNとS2000車両では性能が異なり、仮にグループN車両で参戦出来たとしてもS2000プラス規定の車両に対する競争力は目に見えて劣る。特に2008年まで参戦していたスバルはベースモデルとなり得る車両をラインナップに持たないため、2010年以降の参戦は非現実的であった
- ^ WRカーに替わるS2000はエンジンの回転数を8,500rpmに、純粋なS2000は8,000rpmに制限する2種類のS2000が存在することになるというものであった。
- ^ ワークス活動は2012年で終了したが、現場での活動を担ってきたMスポーツを支援する形の、実質的なセミワークス体制で活動を継続する[37]。
- ^ ワークス活動は2012年に撤退[38]。
- ^ TMGの木下美明社長が「2014年には間に合わせたいと言うのが願望」と語っており、エンジン完成後にFIAの公認を申請していることもWRC参戦への布石と見られている[41]
- ^ 番組ナビゲーターは2006年は倉野麻里アナウンサー、2007年からは松丸友紀アナウンサーが担当している。
- ^ PR的な内容で、選手やレース関係者へのインタビュー、番組プロデューサーの伊藤隆行によるラリーカー同乗レポート、各種イベントの紹介などが行われた。
- ^ オープニング曲は増崎孝司のCHANCE IT。スポーツキャスターは小平桂子アネット。その後、2001年にCS放送のWRC番組でキャスターとして復帰するが2004年に降板している
- ^ ナビゲーターはケイ・グラントと国沢光宏が担当。国沢はテレビ東京での放送になってからも、暫く解説を担当していた。
- ^ テレビ東京系列局の無い地域、且つラリージャパンのみ。
- ^ 日本テレビ系列・テレビ朝日系列クロスネット局、ラリージャパンのみ。
- ^ a b FIA Cup for Drivers
- ^ a b 2011年参戦
出典
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- ^ “第12戦ラリーGB 異常事態の中、ソルベルグ(スバル)優勝”. NIPPON Rent-A-Car. (2005年9月)
- ^ WRC 2013 第4戦 ポルトガル . J SPORTS. (2013年4月21日)
- ^ “【WRCコラム】2009年 第1戦 ラリー・アイルランド”. J SPORTS WRC Mr.フクイのものしり長者 de WRC!. (2009年1月26日)
- ^ “【WRC】ラリーポーランド、2014年のルートの詳細を発表”. Response. (2013年12月6日)
- ^ a b WRC 2013 第2戦 スウェーデン . J SPORTS. (2013年2月17日)
- ^ “ひとつのラリーで舗装路とグラベル路をこなすシーズン唯一のミックスサーフェイスイベント”. MICHELIN MOTORSPORTS REPORT WRC. (2013年10月24日)
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- ^ “グラベル用ラリータイヤ最新事情”. MICHELIN MOTORSPORTS REPORT WRC. (2011年6月16日)
- ^ a b “アスファルト用ラリータイヤのパフォーマンス”. MICHELIN MOTORSPORTS REPORT WRC. (2011年8月16日)
- ^ “今年もWRCは"雪と氷のモンテカルロ"から。ミシュランのWRC公式タイヤサプライヤー4年目がスタート”. MICHELIN MOTORSPORTS REPORT WRC. (2014年1月15日)
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- ^ a b “ラリー中のタイヤ・マネージメント”. MICHELIN MOTORSPORTS REPORT WRC. (2011年9月10日)
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- ^ 2015年シーズンからはパドル式MTの使用が許可され、各メーカーが順次搭載している
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- ^ “シュコダがファビアR5を開発、2015年デビューへ”. RALLY PLUS.NET. (2013年12月5日)
- ^ “WRC-2,WRC-3の詳細が発表”. RALLY PLUS.NET. (2012年11月22日)
- ^ “弊社業務縮小に伴う、一部業務廃止のご案内”. RALLYART NEWS. (2010年3月10日)
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- ^ a b “2014年WRC(FIA世界ラリー選手権)の見どころ”. MICHELIN MOTORSPORTS REPORT WRC. (2014年2月7日)
- ^ “MINI、WRC 撤退へ…年内にワークス活動を終了”. Response. (2012年10月13日)
- ^ “VW、2013年からWRCに参戦…マシンは ポロ”. Response. (2011年5月6日)
- ^ “VW、2019年末までのWRC継続が確定”. RALLY PLUS.NET. (2012年6月10日)
- ^ “トヨタのWRC復帰は2014年?”. RALLY PLUS.NET. (2012年7月10日)
- ^ “世界に衝撃を与えたトヨタ社長のWRC番組出演”. RALLY·X. (2014年1月29日)
- ^ “WRCコミッション「トヨタには2017年規定を早急に提示」”. RALLY PLUS.NET. (2014年3月27日)
- ^ “WRCコミッション、「今年中に2017年規定を策定」”. RALLY PLUS.NET. (2014年5月28日)
- ^ “リチャーズ、「WRCはネット配信に専念すべき」”. RALLY PLUS.NET. (2014年5月31日)