シュコダ

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2005年 ラリージャパンWRカー

シュコダ・オートチェコ語Škoda Auto a. s.)とは、チェコ自動車シェア一位を占める老舗自動車メーカーで、ドイツフォルクスワーゲン社の子会社である。本拠地は、中央ボヘミア州のムラダー・ボレスラフ(Mladá Boleslav)市。 社名のŠkoda 発音ヘルプファイル)は日本語シュコダまたはシュコーダスコダと表記され、フォルクスワーゲン グループ ジャパン株式会社(VGJ)のサイトでは「シュコダ」の表記を採用している。また、ラリージャパン(2005)にワークスチームが参戦した際には、車体の右側面に「Škoda」、左側面にカタカナで「シュコダ」と表示していた。遠くからみると「シュコダ」の「ダ」の濁点部分が3つに見える場合もあった。

目次

[編集] 小史

Škoda 633(1931)
Škoda 100(1969–1977)
シュコダ・ファヴォリット(1987–1995)

100年前から続く名門のメーカーで、企業の歴史は1895年オーストリア=ハンガリー帝国時代)のラウリン&クレメント(Laurin&Klement)社創立にまで遡ることができる。

ラウリン&クレメント社は当初自転車を製造していたが、1899年オートバイの生産を開始し、次いで1901年自動車の生産を開始した。1925年、ラウリン&クレメント社はシュコダ社Škodovy závody)に買収され、以降は「シュコダ」ブランドとして自動車を製造することとなる。第二次世界大戦前、シュコダ社は兵器産業で名を成すなどヨーロッパ有数の工業コングロマリットとなっており、自動車部門でもすでにフルラインアップを持つ自動車メーカーとなっていた。現在シュコダの最高級モデル、スペルブ(あるいはシュパーブ/Superb)の名は、その時代への追想の面があると思われる[要出典]。しかし、第二次世界大戦が始まると、ナチス・ドイツ占領下のシュコダはドイツ軍軍需品生産企業とされ、民需品の生産が大きく制限された。

大戦後にチェコスロバキアが共産主義国家化すると、民間企業の国有化政策の一環から、シュコダの自動車部門は分社化され、国営企業・Automobilové závody, národní podnik(AZNP)社となった。その後、当時の共産主義政権の政策(タトラとの競合)から、AZNP社は大衆車の開発・生産に注力し、国の経済が順調だった1960年代にはリアエンジンの小型車である「1000MB」と「S100/110」が設計された。しかし、1970年代以降に国の経済が停滞すると、AZNP社の開発・生産力も落ち、「1000MB」と「S100/110」の発展形が1990年代まで製造されることとなった。ただし、ペレストロイカの影響による社会変化を受け、1987年にAZNP社はイタリアベルトーネ社設計のFF車、「ファヴォリット」(Favorit)を登場させている。

ビロード革命後、ほとんどの産業で国営企業の民営化が行われる中、チェコ政府はAZNP社を民営化する際に、共同経営者として強力な外国資本の導入を導入する方針を採った。その結果、政府は1990年にドイツのフォルクスワーゲン社との提携を決定し、1991年にAZNP社はシュコダ・オートとしてフォルクスワーゲンの子会社となった。現在は、年間40万台の自動車を生産中。2005シーズンまでは、ワークスチームとしてWRCに参戦していた。


  • 1994年-WRCF2クラスで、メイクスタイトルを獲得した。参考リンク
  • 2004年-ラリージャパンにプライベートチームが、オクタビアで出場するが、車検落ちとなり出走していない。
  • 2005年-上海VWが中国市場向けの新型パサートを発表したが、これはスペルブをベースにしたものである。また、ラリージャパンにワークスとして初出場(2台)した。1台は完走、もう1台はクラッシュのためリタイア。2007年現在、日本で最初で最後のワークス出場となっている。

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[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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