オペル・マンタ

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オペル・マンタ
マンタA
Opel Manta 01b Foto MSp 2006-10-13.jpg
販売期間 1970年 - 1988年
乗車定員 5人
ボディタイプ 2ドア クーペ
3ドア ハッチバック
エンジン 直4ガソリンSOHC 1196cc 1297cc 1584cc 1897cc 1979cc DOHC2410cc
変速機 4/5速MT
3速AT
駆動方式 FR
サスペンション 前:独立 ダブルウィッシュボーン・横置きリーフ
後:固定 4リンク パナールロッド・コイル
全長 4340mm(A) 4445mm(B)
全幅 1630mm(A) 1670mm(B)
全高 1355mm(A) 1325mm(B)
ホイールベース 2430mm(A) 2518mm(B)
後継 オペル・カリブラ
-自動車のスペック表-

オペル・マンタ(Opel Manta)はドイツの自動車メーカー・アダム・オペル社が1970年から1988年まで生産したスペシャルティカーである。

前年の1969年に登場し、大ヒットとなっていたフォード・カプリのライバルとして、1ヵ月後に登場するアスコナ姉妹車種として登場した(同年に発表されたトヨタ・セリカカリーナの関係と同じである)。

マンタA[編集]

初代モデル。機構的にはアスコナ(A)同様、カデット(A)・レコルト(C)と共通のエンジン、足回りを用いてごくコンベンショナルな設計となっている。マンタの最大の見せ場はそのスタイリングで、日本人デザイナー・児玉英雄も参画し、カプリよりもあっさりとしたプレーンなラインにまとめられている。性能面でもV6・3000ccが用意されツーリングカーレースで活躍したカプリのようなホットモデルは存在せず、大人しいイメージが強かった。

当初のバリエーションはノーマル、L、SRであったが、後に豪華バージョン「ベルリネッタ」や、インジェクションを装着して105馬力に強化し、最高速度188km/hとした高性能版のGT/Eも追加された。

TE2800[編集]

ベルギーチューナーのトランスヨーロッパ・エンジニアリング社がアドミラルコモドーレに使用されていた2.8 L直列6気筒、142HPエンジンと変速機をマンタに搭載したモデルを1974年に開発した。195/70HR13という太いタイヤを履くために前後のフェンダーにはバルジ(張り出し)が設けられ、2気筒分長くなったエンジンを収納するためにボンネットはバルジ付きのグラスファイバー製となった。この軽量化されたボンネットとバッテリーをトランク内に移設したことにより前後の重量配分はオリジナルのものと変わらなかった。前輪のディスクブレーキはベンチレーテッドのものに強化され、サスペンションも堅められてリミテッドスリップデフが標準で備えられた。

D.O.T. ターボ・マンタ[編集]

1975年英国チューナーのトニー・ホール社がマンタの直列4気筒エンジンにホルセット(Holset)社製ターボチャージャーを装着したモデルを開発した。この改造により出力は156ps/5500rpm、トルクは24.0kgm/4000rpmに向上していたが、サスペンションは標準仕様のままであった。外装ではフロントスポイラー、アルミホイールが取り付けられ、サンルーフ、ヘッドライト・ワイパーが標準で装備されていた。変速機は4速MTが標準でオートマチックトランスミッションがオプションで設定されていた。”D.O.T.”の名称は本車が販売された英国内のディーラー網の”Dealer Opel Team”に由来していた。

マンタB[編集]

マンタB

1975年8月にアスコナと同時にモデルチェンジされ、Bに進化した。同時期のシボレー・モンザ2+2に似たボディラインは初代同様シンプルさを特徴としたが、ボディサイズがやや大型化したものの、搭載エンジンやメカニズムは初代モデルとほぼ同一の機構を踏襲した。

1977年には3ドアのCC(コンビ・クーペ)が追加され、1900ccエンジンが1979ccに換装された。1979年には1200ccエンジンが1300ccにサイズアップされた。その後1981年にアスコナがFF化されてCに発展した後も、1982年にマイナーチェンジを受け、1988年まで継続生産された。

日本には当時の輸入元・東邦モーターズによって、Aが1975年まで輸入販売された。排気ガス規制に対応出来ずに一時撤退後、1983年からB(ベルリネッタとGT/E)の輸入が再開された。

マンタ400[編集]

マンタ400i

マンタ400i[編集]

1979年、当時のWRCグループ4に参戦すべく投入されたオペル初のDOHCエンジン車・「オペル・アスコナ400」のマンタ版として、アスコナがFF化されてラリーから退く直前の1981年3月に登場。マンタBをベースにイギリス・コスワースがチューンした2410ccDOHC16バルブ144馬力エンジンの最高出力は、最終的には340馬力に達した。足回りのチューニングはイルムシャーが担当している。オペル・ベクトラ(A)ベースのカリブラが後継車となり、1989年から1997年まで生産された。

ラリー、レース競技[編集]

マンタ400 Gr.B

オペル・ワークスチームである「GM・ユーロハンドラー」でのマンタによるWRCでの参戦は前述の通りグループBでも継続投入された「アスコナ400」よりホモロゲーション取得が遅れ、1983年のサファリ・ラリーの後となるツールドコルスより実戦に投入される。「アスコナ400」よりさらに軽量になり、ラリーでの走行性能のアップを図っている。

アクロポリスではアリ・バタネン、テリー・ハリマン組で4位。サンレモ・ラリーでもヘンリ・トイボネン、フレッド・ギャラガー組が4位と健闘。最終戦のRAC・ラリーでジミー・マクレー、イアン・イーストロッド組が3位に入賞する。メイクス部門、3位の成績を収めたものの、1984年にはラリーでのワークス活動に終止符を打った。

しかし、その後も英国選手権(ERC)におけるラッセル・ブルックルスなどのプライベーターが好むラリーマシンとしての活躍も続く傍ら、ニュルブルクリンク24時間レースに参戦した経験がある。目立った戦績こそ挙げなかったものの、レギュレーション改定によりマンタを含む製造後10年以上経過した車が締め出される直前の2010年まで参戦していた。

参考文献[編集]

二玄社 別冊CG「自動車アーカイブVol7 70年代のドイツ車編」