トヨタ・モータースポーツ

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トヨタ・レーシング
(旧トヨタ・チーム・ヨーロッパ)
国籍 日本の旗 日本
本拠地 ドイツケルン
創設者 オベ・アンダーソン
チーム代表 木下美明
活動期間 1975年 -
カテゴリ WRCF1SWCル・マン24h
チームズ
タイトル
WRC 31993,1994,1999
ドライバーズ
タイトル
WRC 41990,1992,1993,1994)
公式サイト TOYOTA Racing
2012年のFIA 世界耐久選手権
エントリー名 トヨタ・レーシング
レーサー オーストリアの旗 アレックス・ブルツ
フランスの旗 ニコラス・ラピエール
日本の旗 中嶋一貴
イギリスの旗 アンソニー・デビッドソン
日本の旗 石浦宏明
オーストリアの旗 セバスチャン・ブエミ
マシン 7. トヨタ・TS030 HYBRID
8. トヨタ・TS030 HYBRID
タイヤ ミシュラン
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トヨタ・モータースポーツ有限会社 (Toyota Motorsport GmbHTMG) は、トヨタ自動車ヨーロッパにおけるモータースポーツ活動を担当する子会社。外部企業向けのエンジニアリングサービスも行っている。本社所在地はドイツケルン2012年よりトヨタ・レーシングとしてFIA 世界耐久選手権 (WEC) に参戦している。

前身は世界ラリー選手権 (WRC) で活躍したトヨタ・チーム・ヨーロッパ (Toyota Team Europe, TTE) 。F1世界選手権ではパナソニック・トヨタ・レーシングの活動母体となった。

歴史[編集]

ラリーでの活躍[編集]

会社の前身は、スウェーデン出身のラリードライバー、オベ・アンダーソンのプライベートチームである「アンダーソン・モータースポーツ」。その活躍が国際ラリー活動を模索していたトヨタの目に止まり、1972年より資金・技術支援を受ける。

1975年よりトヨタの公認を受け、チーム名を「トヨタ・チーム・ヨーロッパ (TTE) 」と名乗る[1]。同年の1000湖ラリーでトヨタのWRC初優勝を獲得する(マシンはカローラレビン)。

1979年、チームの拠点をベルギーブリュッセルからドイツのケルンに移転し、「アンダーソン・モータースポーツGmbH」を設立する。レビンの後はセリカを使用し、年数戦のWRC参戦を続ける。

1983年、トヨタのモータースポーツ活動再開により、本格的にワークス活動を開始する。当時のWRCのグループB規定車両では苦戦したが、サファリラリーでは1984年から3連覇を達成する。1987年グループA規定が導入されると、翌1988年より4輪駆動のセリカGT-Fourを投入する。

1990年代に入るとその活動は黄金期を迎え、1990年カルロス・サインツがWRCとアジアパシフィックラリー選手権 (APRC) で共にドライバーズタイトルを獲得する。1992年にもサインツがWRCのドライバーズタイトルを獲得。1993年にはユハ・カンクネンのドライバーズタイトルに加え、初のメイクスタイトルを獲得してWRCでのダブルタイトルを達成。翌1994年もドライバーズ(ディディエ・オリオール)とメイクスの2冠を達成した。

1993年7月には、トヨタがアンダーソン・モータースポーツGmbHを買収し、社名は「トヨタ・モータースポーツ有限会社 (TMG) 」へと改称された(チーム名はTTEを継続)。

しかし1995年、TTEはシーズン中にリストリクターに関するレギュレーション違反が発覚し、シーズン全ポイントの剥奪、および翌1996年シーズンの1年間参戦禁止という処分を受ける。トヨタ本社ではTMGの存続やアンダーソンの責任問題が議論されたが、1997年もWRC参戦を自粛する形で決着した。TTEは2年間の休止期間中に新規定の「WRカー」としてカローラWRCを開発した(1997年には非公式でテスト参戦)。

1998年よりWRCに正式に復活し、1999年には3度目のメイクスタイトルを獲得する。しかし、トヨタがF1への参戦を決定するとその役割に集中するため、同年限りで27年間のラリー活動に終止符を打った。ただし、その後もプライベーターへのマシン供給などの活動は続けられている。

また、レクサスなどトヨタの市販車を対象に、アフターパーツの企画・製造・販売を行っていたが、2010年に終了している[2]

サーキットレースへの転身[編集]

1990年代後半、トヨタは北米のCARTへのエンジン供給を皮切りに、サーキットレース活動に注力する。TTEはWRC活動の傍ら、ル・マン24時間レース等の耐久レースへ参戦するため、トヨタ・GT-One TS020の開発を行った[3]。1998年と1999年にはル・マン24時間レースに出場し、1999年には総合2位に入ったものの、目標とした総合優勝には届かなかった。

1999年にはトヨタ本社がF1参戦を表明。2000年にはトヨタ常務取締役の冨田務がTMG会長、オベ・アンダーソンがTMG社長に就任する[4]。ケルンのファクトリーは140億円を投じて床面積を約3倍(37,000平方メートル)に拡張し[4]、日本のトヨタ東富士研究所と連携してF1マシンの開発を行うことになる。TS020はテストカーTF101が完成するまでの間、エンジンテスト等に利用された。

1年のテスト期間を経て、2002年より「パナソニック・トヨタ・レーシング」としてF1に参戦を開始する。2003年にはジョン・ハウェットがTMG新社長に就任。創始者のアンダーソンは2004年にチーム代表も辞して第一線を退く。2007年には冨田に代わり、山科忠がTMG会長兼チーム代表に就任する。

2009年シーズン終了後にトヨタ本社がF1撤退を発表。8年間のF1活動において、コンストラクターズ最高成績は4位(2005年)。潤沢な運営資金と最新鋭の設備を誇りながら、F1での優勝は果たせなかった。

F1撤退後の活動[編集]

F1撤退後、TMGは他チームへの売却やMBOも噂されたが、再びヨーロッパにおけるトヨタのレース活動の拠点として、事業転換を進めることになる[5]。シャシー部門責任者のパスカル・バセロンらは残留したが、スタッフ500名を解雇し、ファクトリーの規模を150名体制に縮小した[6]

市販車事業[編集]

F1参戦中は機密保持のため、トヨタ社内の他部門との交流は少なかった。今後は日本の研究開発機関と連携し、車台実験などの機能を補完することになる[7]

また、TMG独自の新規事業として、電気自動車 (EV) のベンチャービジネスを推進している。F1では投入されなかった運動エネルギー回生システム (KERS) の小型バッテリー技術を応用して、ガソリンエンジン車のエンジンと換装するコンバートEVを開発している[7]。この車両は外部企業よりe-WOLF[8]というブランドで市販される。

他社との提携[編集]

F1撤退決定後も、2010年用マシンとして準備していたTF110の開発を継続。2010年にF1参入を目指すステファンGPとの間でマシンの譲渡、人員の移籍、施設の利用などの提携交渉を進めたが、ステファンGPのエントリーが認められず契約は終了した[9]。その後、新規参戦するヒスパニアとの交渉も不調に終わった[10]

TMGの施設内にはエアロダイナミクス用の大型風洞2基やCFDコンピュータ、エンジン用のテストベンチ、サスペンション用の7ポストリグドライビングシミュレーターなどの研究開発資材が揃っており、これら「F1時代の遺産」をレンタルする新事業を拡大している。また、モータースポーツ以外の企業に向けても、ハイテク・エンジニアリングサービスを提供している[11]

2009年に使用したTF109は、2011年からF1のタイヤサプライヤーとなるピレリに、テストカーとしてレンタルされた。フェラーリウィリアムズは自社の風洞以外にTMGの風洞も利用して、2011年用マシンを開発した[12]

2014年よりF1にエンジンメーカーとして参入する計画を進めているP.U.R.E.は、TMG施設においてV6ターボエンジンを開発する契約を結んだ[13]

レース復帰へ[編集]

本業のレース活動に関しては、トヨタのハイブリッド技術の活用を含め、いくつかのカテゴリが候補として浮上した。2011年、ル・マン24時間レースに参戦するレベリオン・レーシングに対しエンジン供給を行い[14]、耐久レースへの復帰路線が濃厚になる。なお、このエンジンはフォーミュラ・ニッポンSUPER GT (GT500) 用のRV8KをLMP1規定にチューンしたもので、新規開発ではない[7]

2012年、新たにLMP1クラス用のハイブリッドマシンであるTS030 HYBRIDを開発。「トヨタ・レーシング」としてFIA 世界耐久選手権に参戦することを表明した[15]。デビュー3戦目となる第5戦サンパウロ6時間レースでは、トヨタとしては1992年以来となる優勝を果たした。

2012年3月には1.6リッター直噴ターボのグローバル・レース・エンジン (GRE) を新規開発中であると発表。ヤリス(日本名「ヴィッツ」)をベース車両にする予定で、世界ラリー選手権への復帰も選択肢にある[16]。同年8月、GT86(日本名「86」)をベースにしたプライベーター用耐久マシンGT86 CS-V3の発売を発表[17]。また、EVレーサーTMG EV P002[18]が伝統のパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムでEVクラス優勝(総合6位)を果たした[19]

脚注[編集]

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  1. ^ 『F1 トヨタの挑戦』、p.101。
  2. ^ TTE
  3. ^ アンダーソンの説明によると、1996年末にカローラWRCの開発を中止し、ル・マンプロジェクトに取り組むようトヨタ本社から通達されたという。しかし、海外営業の猛反対により、WRC復帰とル・マン参戦を並行して進めることになった(「F1 トヨタの挑戦」、p.108)。
  4. ^ a b 『F1 トヨタの挑戦』、pp.110-111。
  5. ^ “TMG、今後はヨーロッパにおけるトヨタの活動拠点に F1チームへの売却は無し”. オートスポーツweb. (2009年11月4日). http://www.as-web.jp/news/info.php?c_id=1&no=23201 2012年3月16日閲覧。 
  6. ^ “トヨタ、500名のスタッフを解雇へ”. ESPN F1. (2009年12月6日). http://ja.espnf1.com/f1/motorsport/story/4616.html 2012年3月16日閲覧。 
  7. ^ a b c 『オートスポーツ 2011年8月4日号』(通号1309) イデア、2011年、pp.31 - 33。
  8. ^ e-WOLF 2012年3月27日閲覧
  9. ^ “ステファンGP、トヨタとの提携終了を正式発表”. F1-Gate.com. (2010年3月22日). http://f1-gate.com/stefangp/f1_6901.html 2012年3月16日閲覧。 
  10. ^ “トヨタ、ヒスパニア・レーシングとの提携を打ち切り”. F1-Gate.com. (2010年11月16日). http://f1-gate.com/toyota/f1_10023.html 2012年3月16日閲覧。 
  11. ^ “元トヨタF1チーム、事業転換の成功に満足”. F1-Gate.com. (2010年11月3日). http://f1-gate.com/toyota/f1_9808.html 2012年3月16日閲覧。 
  12. ^ “ウィリアムズもトヨタの風洞を利用”. F1-Gate.com. (2011年2月1日). http://f1-gate.com/williams/f1_10574.html 2012年3月16日閲覧。 
  13. ^ “ピュア、TMGにファクトリーを移転”. ESPN F1. (2012年3月8日). http://ja.espnf1.com/f1/motorsport/story/72391.html 2012年3月16日閲覧。 
  14. ^ TMG、レベリオンとの提携を発表 トヨタエンジンがル・マンへ - オートスポーツ・2010年12月3日
  15. ^ “トヨタ、2012年のWEC参戦計画を発表” (日本語) (プレスリリース), トヨタ自動車, (2012年1月25日), http://ms.toyota.co.jp/jp/news/other/120125_news.html 2012年3月16日閲覧。 
  16. ^ “トヨタ、WRC復帰へ? ドイツで新エンジンを開発中”. RALLY+.net. (2012年3月26日). http://as-web.jp/rallyplus/news/info.php?no=25149 2012年3月27日閲覧。 
  17. ^ 森脇稔 (2012年8月22日). “トヨタ 86 に入門耐久レーサー、ドイツで発売”. レスポンス. http://response.jp/article/2012/08/22/180047.html 2012年9月17日閲覧。 
  18. ^ TMG@ポール・リカール マシン紹介編”. TEAM SHOW (2012年5月31日). 2012年9月17日閲覧。
  19. ^ “「パイクスピーク」で、トヨタのEVレースカーに乗る奴田原文雄選手が、EVクラス優勝!”. autoblog 日本語版. (2012年8月14日). http://jp.autoblog.com/2012/08/13/2012-pikes-peak-hill-climb/ 2012年9月17日閲覧。 

参考文献[編集]

  • 赤井邦彦 『F1 トヨタの挑戦』 文藝春秋、2003年、ISBN 4163595201
  • 「徹底解剖 パナソニック・トヨタ・レーシング」『レーシング・オン 2005年8月号』 イデア、2005年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]