フィアット・ウーノ

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ウーノUno )はイタリアフィアットによって生産されていたスーパーミニ・カー。本国では1983年から1995年まで生産されていた。現在でも南アフリカ共和国等で生産し続けられている。

ウーノ・マーク1(1983年-1989年)[編集]

最初のウーノはフィアット・127の後継機種として開発され、3ドアと5ドアハッチバックの2種類が販売された。ベースグレードは45で、999cc 45PSエンジン。60Sはボアφ80×ストローク55.5mmで1,116cc、圧縮比9.2で58PS/5,700rpm、8.9kgm/3,000rpmエンジンを積み車重770kg。70SLはボアφ86.4×ストローク55.5mmで1,304cc、圧縮比9.5で65PS/5,600rpm、10.2kgm/3,000rpmエンジンを積み車重780kg。燃料供給はいずれもウェーバー製ダウンドラフトキャブレターによる。ジョルジェット・ジウジアーロによってデザインされた車体は四角く背が高く、車内のスペースが大きく感じられた。また燃費の良さも人気の一因であった。ちなみにこのウーノはジウジアーロが1978年にデザインしたランチア・メガガンマを改良し、小型化した物であると言われている。1984年にはカー・オブ・ザ・イヤー賞を受賞。

1985年にスポーティー版であるターボieが追加された。ブースト圧0.6バールの石川島播磨重工業(現IHI)製VL-2型ターボチャージャーとボッシュ製LE2ジェトロニックを装備したボアφ80.5×ストローク63.9mmの1,301cc、圧縮比8.0で最高出力105ps/5,750rpm、最大トルク15.0kgm/3,200rpmのエンジンを搭載(『80年代輸入車のすべて』三栄書房、25頁参照)。車重は845kg。最高速は200km/h、0-100km/h8.3秒[1]

ウーノ・マーク2(1989年–1995年)[編集]

1989年9月に登場したウーノ・マーク2は車体前方と後方のデザインが変更され、より低い空気抵抗を実現した。車内デザインも変更され、マーク1の欠点であったダッシュボードが震える現象が改善された。

イタリア国内での生産は西ヨーロッパ一帯での売上数が減少するとともに1995年に終了した。後継機はフィアット・プントである。

ラリー競技[編集]

メインストリームであるグループBをフィアット・グループであるランチアチームに重点を置いていた1985年。グループAエントリーをグループ2時代より131アバルトのサポートカーとして参戦させてきていたフィアット・リトモをリトモ・アバルト130TCにまでスープアップしてきており成績的にも限界が来ていた。

そこで、55SをグループN仕様としてポルトガル・ラリーより投入し、完走。次年のラリー・モンテカルロでは地元プライベータであるもののジョリークラブがターボを3台体制で投入するも、3台ともリタイヤと余り良いところがなかったように見えたが、ポルトガルではグループBのフロントランナーであるトップランナーが続々リタイアしている関係上[2]3位入賞[3]は果たすものの他の2台はドライブシャフトとアクシデントでリタイアしており、戦える信頼性確保にはまだまだ時間が必要であった。

そこでアバルトと共同で1986年、ウーノターボ・アバルトをプロトタイプとしてコルシカ島でのテストを行った結果、フィアットからは同じ市販車ベースでのツインキャブレターを装備した100馬力の70SXグループA仕様をA112アバルトの後継モデルとしつつも採用はされず、メインストリームをグループAとした1987年。ポルトガルでジョリークラブのターボが総合10位と初のクリーンコンディションでのポイントをゲットする[4]も、1987年後半よりウーノでのグループA参戦を、中型車であるレガータへ徐々にバトンタッチしていく[5]

今なお続く製造と販売[編集]

西ヨーロッパでの製造・販売は終了したものの、ウーノは世界各国でいまだ製造・販売され続けている。

南アフリカ共和国[編集]

南アフリカ共和国においてはウーノは日産自動車のライセンス下で2006年まで「ニッサン・ウーノ」及び「ミッレ」として製造されていた。

2007年にはデザインが変更され南アフリカ市場に復活し、現在ではフィアット本社によってマーケティングと流通が行われている。またマーク1のデザインを踏襲した「ウーノ・ウェイ」もラインアップに含まれている。

ポーランド[編集]

ポーランド国内でのフィアット製造工場による生産は1995年6月から2002年10月まで続けられた。

ブラジル[編集]

ブラジルでの生産は1988年4月に始まり販売はまだ継続している。「フィアット・ミッレ」は比較的安価なエントリー・モデルとして知られており、2005年モデルはエタノール対応。2006年までに約200万台が製造された。

アルゼンチン[編集]

イタリア系移民の子孫が多いアルゼンチンでは1989年から2000年まで約18万台のウーノが生産された他、4ドアサルーン型の「ウーノ・デュナ」「ウーノ・エルバ」が1988年から2000年まで製造された。

パキスタン[編集]

パキスタンではラジャ自動車がノックダウン方式により生産を継続している。2006年モデルはブラジル製の右ハンドル版で、完成品は南アフリカ共和国に輸出されている。

モロッコ[編集]

モロッコでの生産は2004年まで続き、現在でも小型タクシー用の車両として人気が高い。

展望[編集]

フィアット・ウーノがフィアット・ヌオーヴァ500とフィアット・プントの中間機種として2、3年のうちにカムバックを果たす可能性が出てきている。

逸話[編集]

ダイアナが事故死した際、追走していたパパラッチは白いフィアット・ウーノに乗っていたという証言がある。しかしながら確証は取れていない。

1990年代初頭にイタリアで悪名を馳せた犯罪グループ「ウーノ・ビアンカ」(イタリア語で白いウーノの意)の名は彼らが好んで盗んだフィアット・ウーノに由来するが、これは当時のウーノにイモビライザーが搭載されていなかったことに起因する。

脚注[編集]

  1. ^ 『外国車ガイドブック1987』p.152。
  2. ^ このラリーではヨアキム・サントスによる多数の観客死傷事故が起きた関係上棄権するチーム、ドライバーが多かった
  3. ^ 20º Rallye de Portugal Vinho do Porto-rallybase.nl 2013年4月22日参照。
  4. ^ 21º Rallye de Portugal Vinho do Porto]-rallybase.nl 2013年4月22日参照。
  5. ^ 8º Marlboro Rally Argentina-rallybase.nl 2013年4月22日参照。

参考文献[編集]

  • 『外国車ガイドブック1987』日刊自動車新聞社