ランチア・フラヴィア

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ランチア2000ベルリーナ
フラヴィア・クーペ
フラヴィア・クーペ(リアビュー)
フラヴィア・スポルト・ザガート
フラヴィア コンバーチブル(2代目)

フラヴィアFlavia )は、イタリアの自動車メーカー・ランチアが1961年から74年まで製造・販売した中型乗用車である。

概要[編集]

当時の大衆車アッピアと、高級車フラミニア間の車格上のギャップを埋める中級車として企画された。設計は当時のランチア社の主任設計者で、戦前フィアットで初代フィアット・500ダンテ・ジアコーサと共同開発したアントニオ・フェッシアであった。

ランチアの名にふさわしく、アルミニウム水平対向4気筒エンジン、ダンロップ製4輪ディスクブレーキを持つ前輪駆動(FWD)車という、当時としては極めて先進的な設計を持っていた。

歴史[編集]

初代 (1960-1975年)[編集]

当初はベルリーナと呼ばれた1,500ccの4ドアセダン型のみで登場したが、程なくランチアの伝統に則って数種類のスペシャルボディが登場する。1961年秋のトリノショーで最初に追加されたのはピニンファリーナ製のクラシカルな美しさを持つ2ドアクーペで、ホイールベースはベルリーナよりも短縮された。続いて ヴィニヤーレ製の2ドア コンバーチブルザガ―トのデザインによる、ルーフまで回り込んだクオーターウインドウを特徴とする斬新なデザインの「スポルト・ザガート」が追加された。スポルトのエンジンはツインキャブレターで100馬力に強化されていたが、非常にデリケートな調整を要する気難しいエンジンであったと言われる。

その後は、高いシャシーの能力に引き換え相対的にパワー不足であるとの声に応えるため、エンジンが徐々に強化された。1,800ccの機械式燃料噴射モデルや5段MTモデルが追加された後、1969年に ランチアがフィアットの傘下に入ると、ヴィニアーレ・ザガート両モデルは生産中止され、フェイスリフトされたベルリーナとクーペのみが2,000ccエンジンを与えられて生き残った。

1971年にはフラヴィアの名が廃されて、ランチア・2000と改名され、アルファ・ロメオ的なフロントグリルを与えられて1974年まで生産された。ボッシュD-ジェトロニック電子燃料噴射付きモデルも登場した。在庫は翌1975年まで売られ、76年にデビューするランチア・ガンマに交代する形で、静かに消えていった。

2代目 (2011年- )[編集]

36年ぶりに復活したフラヴィアは傘下のクライスラーからOEM供給されるモデルとなり、同社の200をベースとしている。ボディタイプは200同様にセダンとコンバーチブルの2種で、2.4Lエンジンやプラットフォームなどメカニズムも共通。内外装もほぼ共通の仕様となり、違いはエンブレムがランチアに変更される程度。

日本におけるフラヴィア[編集]

フラヴィアは1965年以降、当時の日本総代理店であった国際自動車商事を通じて限られた台数が輸入された。1972年10月号カーグラフィック誌のランチア特集号によると、スポルト・ザガートは3台輸入され、1台は売れ残って本国に返品されたと言われる。ヴィニアーレ製のコンバーチブルも少なくとも一台は輸入された。最も多数であったのはピニンファリーナ製のクーペであったようである。ベルリーナも少なくとも2台は輸入され、日本のあるメーカーの実験車として使われた後、1970年代後半の一時、自動車評論家の三重宗久が所有していた。もう一台は新車時から40年近く女性ワンオーナーで極上のコンディションで維持され、最近になって中古車市場に出回った。[1] また、1970年をもって国際自動車商事はランチアの輸入から撤退したため、後期の「ランチア2000」は輸入されなかった。フラヴィアは製造時の品質が高く、故障も比較的少ないと言われるが、スペアパーツが入手困難であった当時の日本で維持することは容易ではなかった。現在ヒストリックカーイベント等で見かけられるフラヴィアのほとんどは近年になって輸入されたものである。

関連項目[編集]