村田顕弘

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 村田顕弘 六段
名前 村田顕弘
生年月日 (1986-07-14) 1986年7月14日(37歳)
プロ入り年月日 2007年10月1日(21歳)
棋士番号 267
出身地 富山県魚津市
所属 日本将棋連盟(関西)
師匠 中田章道七段
段位 六段
棋士DB 村田顕弘
2017年11月9日現在
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村田 顕弘(むらた あきひろ、1986年7月14日 - )は、将棋棋士中田章道門下。棋士番号は267。兵庫県尼崎市生まれ、富山県魚津市育ち。

棋歴[編集]

プロ入りまで[編集]

1998年小学6年で富山県出身の中田章道を師匠として、関西奨励会試験を受けたが不合格。しかし、翌1999年中学校1年で6級として奨励会入り。2001年に初段に昇段し、2004年前期から三段リーグで戦う。

2007年、中田の妻が四段入りを期待しながら6月に没したことに発奮し、同年秋にその弔いとなる四段昇段を果たした[1][2]。第41回三段リーグ(2007年度前期)での成績は15勝3敗(1位)。21歳でのプロ入りである。

プロ入り後[編集]

初参加の第34期(2008年度)棋王戦の予選を勝ち上がり、本戦出場。同じく初参加の第67期(2008年度)C級2組順位戦では8勝2敗の好成績を挙げ、新四段4名の中で唯一の勝ち越し。また、2009年10月16日竜王戦6組3位決定戦において、新人王戦優勝で波に乗る強敵・広瀬章人を破り、7連勝で5組へ昇級。デビューから6割台の年度勝率を連発し、糸谷哲郎豊島将之稲葉陽とともに「関西若手四天王」[3][4]と呼ばれるようになる。

第4回朝日杯将棋オープン戦(2010年 - 2011年)で予選突破。本戦1回戦で久保利明を破る。また、第59期(2011年度)王座戦で本戦進出(ベスト16)。

五段昇段は2012年3月6日付け。第70期C級2組順位戦10回戦(最終局)の阪口悟五段との対局に勝利して四段昇段後公式戦で通算100勝に到達したことに伴うもの。

第73期(2014年度)C級2組順位戦では、最終戦前の時点で中村亮介岡崎洋に次ぎ5位につけていたが、最終戦で中村との直接対決を制し、岡崎も敗れたため、3位となりC級1組へ昇級。

2017年11月7日、棋聖戦の1次予選で今泉健司に勝利し、昇段の「勝ち星規定」を満たし六段に昇段[5]

2023年6月20日、第71期王座戦挑戦者決定トーナメント2回戦では藤井聡太竜王・名人相手に「新・村田システム」を採用し善戦したが敗れた[6]

人物[編集]

  • 同じく将棋棋士の村田智弘と名前が似ているが、血縁関係はない。
  • 生まれは尼崎市で、幼少時に魚津市に転居。奨励会入会当初は、魚津市から関西将棋会館まで通っていたが、高校1年時に再度尼崎市に転居。
  • 師匠の中田同様、詰将棋作りを特技とし、専門誌「詰将棋パラダイス」への入選歴もある。また、詰将棋を解く方の「詰将棋解答選手権」にも何度か出場している。
  • 趣味は競艇。オフの日は、毎日のようにボートレースの中継を見ているという。ボート関連番組に出演する事もある[7]。「ボートレース」というタイトルの詰め将棋作品を発表している[8]

棋風[編集]

居飛車振り飛車両方の戦型を指しこなすオールラウンダータイプの棋士。嬉野流の派生形である「村田システム」を開発した[9]

不祥事[編集]

  • 2017年2月7日の第75期順位戦9回戦(対高橋道雄戦)では、夕食休憩の際に食料品購入のため外出し、対局中の外出を禁止する対局規定[注釈 1]に違反したとして、厳重注意と対局料50%相当の罰金処分を言い渡された[注釈 2][10]

昇段履歴[編集]

  • 1999年09月00日 : 6級 = 奨励会入会
  • 2003年10月00日 : 三段(第35回奨励会三段リーグ<2004年度前期> から三段リーグ参加)
  • 2007年10月01日 : 四段(第41回奨励会三段リーグ成績1位 = 15勝3敗) = プロ入り
  • 2012年03月06日 : 五段(勝数規定 /公式戦100勝、通算100勝64敗)
  • 2017年11月07日 : 六段(勝数規定 /五段昇段後公式戦120勝、通算220勝148敗)

主な成績[編集]

将棋大賞[編集]

  • 第51回(2023年度) 升田幸三賞特別賞

在籍クラス[編集]

順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦 (出典)竜王戦
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
2007 66 昇段前 21 6組 --
2008 67 C240 22 6組 --
2009 68 C205 23 5組 --
2010 69 C207 24 5組 --
2011 70 C231 25 5組 --
2012 71 C214 26 5組 --
2013 72 C207 27 5組 --
2014 73 C208 28 5組 --
2015 74 C129 29 5組 --
2016 75 C109 30 5組 --
2017 76 C115 31 5組 --
2018 77 C115 32 5組 --
2019 78 C129 33 5組 --
2020 79 C121 34 4組 --
2021 80 C113 35 4組 --
2022 81 C118x 36 4組 --
2023 82 C127* 5-5 37 4組 --
2024 83 C120* 38
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

出演[編集]

ウェブテレビ[編集]

  • 叡王戦記念特番 東西対抗 詰将棋カラオケ(2019年3月30日、ニコニコ生放送)[11] - 西チーム

書籍[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 2016年10月に発生した将棋ソフト不正使用冤罪問題を受けて、日本将棋連盟の公式戦対局規定に同年12月より新たに設けられた。
  2. ^ 同様の行為により、金沢孝史も処分を受けた

出典[編集]

  1. ^ 産経新聞 2007年10月22日
  2. ^ 日本将棋連盟ホームページ・お知らせ「村田顕弘・及川拓馬 新四段誕生のお知らせ
  3. ^ 2010年2月13日放送の「囲碁・将棋ジャーナル
  4. ^ 「羽生世代がもたらした、速さと若さの時代」(倉沢鉄也)WEBRONZA+社会・メディア - WEBマガジン - 朝日新聞社(Astand)
  5. ^ 「村田五段(魚津出身)六段に プロ将棋120勝目」(北日本新聞)2017.11.8
  6. ^ 藤井聡太竜王・名人が“八冠ロード”でベスト4に進出 最終盤で村田顕弘六段に大逆転勝利飾る/将棋・王座戦挑決T”. ABEMATIMES. 2023年6月20日閲覧。
  7. ^ 「日本全国47都道府県応援プロジェクト」
  8. ^ 「ターニングポイントと革新のターン」 屋敷伸之九段、ボートレースを語る”. スポーツ報知 (2021年1月29日). 2021年1月29日閲覧。
  9. ^ 藤井聡太竜王が「一本筋が通った戦法」と評した嬉野流、ハッピーな戦法が広げた将棋の可能性[指す将が行く]”. 読売新聞. 2023年6月20日閲覧。
  10. ^ 棋士2人が外出禁止規定違反、将棋連盟から厳重注意と罰金処分 2017年2月10日 スポーツ報知
  11. ^ 【叡王戦記念特番】東西対抗 詰将棋カラオケ”. ニコニコ生放送 (2019年3月30日). 2020年3月21日閲覧。


関連項目[編集]

外部リンク[編集]