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|画像=Javier Zanetti - Inter Mailand (1).jpg
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|本名=ハビエル・アデマール・サネッティ
|本名=ハビエル・アデマール・サネッティ
|愛称=エル・プピ、エル・トラクトルトラクター)、カピターノ、カピタ
|愛称=El Pupi(プピ、男の子), <br>El Tractor(トラクトルトラクター, <br>Il Capitano(カピターノ、キャプテの中のキャプテン)
|カタカナ表記=
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|アルファベット表記=Javier Adelmar Zanetti
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|誕生日={{生年月日と年齢|1973|8|10}}
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|出身地=[[ブエノスアイレス]]
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|身長=178cm<ref name="Javier Zanetti, Profile">{{cite web| title=Javier Adelmar Zanetti|work=goal.com|url=http://www.goal.com/en/people/argentina/72/javier-adelmar-zanetti | accessdate=30 January 2012}}</ref>
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|体重=75kg
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{{MedalSilver|[[アトランタオリンピックにおけるサッカー競技|1996 アトランタ]]|男子}}
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'''ハビエル・アデマール・サネッティ'''(Javier Adelmar Zanetti, [[1973年]][[8月10日]] - )は、[[アルゼンチン]]・[[ブエノスアイレス]]出身の[[プロフェッショナル (サッカー)|サッカー選手]]。ポジションは[[ディフェンダー (サッカー)|DF]]および[[ミッドフィールダー|MF]]。[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン代表]]。
'''ハビエル・アデマール・サネッティ'''(Javier Adelmar Zanetti, [[1973年]][[8月10日]] - )は、[[アルゼンチン]]・[[ブエノスアイレス]]出身の[[プロフェッショナル (サッカー)|サッカー選手]]。[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン代表]]である。ポジションは[[ディフェンダー (サッカー)|ディフェンダー]]および[[ミッドフィールダー]]。曾祖父母がイタリア北部の[[フリウリ]]地方出身であり、イタリの国籍も有する[[イタリア系アルゼンチン]]である


1995年から[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]に在籍しており、1999年8月29日からキャプテンを務めている。2009-10シーズンには[[セリエA (サッカー)|セリエA]]、[[コッパ・イタリア]]、[[UEFAチャンピオンズリーグ]]の3冠を達成。2005-06シーズンから2009-10シーズンまでセリエA5連覇全てにキャプテンとして貢献し、イル・カピターノ(Il Capitano、キャプテンの中のキャプテン)というニックネームを授かった。2010年10月20日、[[UEFAチャンピオンズリーグ]]の[[トッテナム・ホットスパーFC]]戦では同大会の最年長得点記録を更新した。イタリアのクラブでプレーするイタリア国外出身選手としては最多となる公式戦出場記録(750試合以上、更新中)を保持している。[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン代表]]としては[[アトランタオリンピックにおけるサッカー競技|アトランタオリンピック]]、2度の[[FIFAワールドカップ]]、4度の[[コパ・アメリカ]]に出場している。アルゼンチン代表最多出場記録を保持している。
==経歴==
===概要===
兄セルヒオの影響でフットボールを始め、13歳の時に[[CAインデペンディエンテ]]の下部組織に入ったが、実力不足の評価を受け退団。レンガ積み職人である父親の仕事を手伝いながら練習を続け、18歳になった[[1992年]]からタジェレスでプレイを再開。ここでの活躍が評価され、[[1993年]][[CAバンフィエルド]]にスカウトされる。そして[[1995年]][[7月1日]]に[[セリエA (サッカー)|イタリア]]の[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]に移籍。


アルゼンチンではエル・プピ(El Pupi)というニックネームで呼ばれ、その屈強さ、弾力性、スタミナ、右サイドバックを務めた時の攻撃性能などから、イタリアではエル・トラクトル(El Tractor、トラクター)と呼ばれる。ユーティリティ性で知られており、左右両サイドのディフェンダー・ミッドフィールダーとしてプレーできる。本来のポジションは守備的ミッドフィールダーやセントラル・ミッドフィールダーであるが、近年は右サイドハーフでプレーすることが多い<ref name="tactical Formations">{{cite web| title=tactical Formations|work=Football-Lineups.com|url=http://www.football-lineups.com/players/player.php?route=109 | accessdate=25 January 2007}}</ref>。アルゼンチン代表では右サイドバックを務め、攻撃と守備の双方で活躍している。
[[1994年]]、[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]の新会長に[[マッシモ・モラッティ]]が就任したが、彼が最初に獲得した選手がこのサネッティだった。


== 経歴 ==
以後インテルで長くプレーしており、アルゼンチン代表としても長く活躍している。キャプテンシーに溢れ、その闘志溢れるプレーはファンにこよなく愛されている。また、同じ[[ミラノ]]を本拠地としているライバル[[ACミラン]]のサポーターからも尊敬を集めている(同様にACミランの前キャプテン[[パオロ・マルディーニ]]もインテルサポーターから尊敬されていた)。
=== クラブ ===

[[2006 FIFAワールドカップ]]での活躍も期待されていたが、同僚の[[ワルテル・サムエル]]と共に惜しくも落選した。アルゼンチン代表監督が[[アルフィオ・バシーレ]]へ交代すると再び招集されるようになり、代表キャップ数を[[ロベルト・アジャラ]]の記録115から更新して歴代トップとなった。故障も少なく常に試合に出場できる安定感抜群の選手である。インテル在籍は10年を越え、欧州カップ戦100試合出場、[[セリエA (サッカー)|セリエA]]出場500試合を達成し、なおも継続中である。

===クラブでの活躍===
[[File:Javier Zanetti - Inter Mailand (3).jpg|thumb|right|250px|インテルでキャプテンとしてプレーするサネッティ]]
[[File:Javier Zanetti - Inter Mailand (3).jpg|thumb|right|250px|インテルでキャプテンとしてプレーするサネッティ]]
1993年
*[[CAバンフィエルド]]にスカウトされ同年トップリーグデビューを果たす。
*この年にバンフィエルドに入団した選手には[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]のチームメイトだった[[フリオ・クルス]]がいる。


==== アルゼンチン時代 ====
1994年
ブエノスアイレスに生まれ、港湾区域のドック・スド地区で育った。兄の影響でサッカーを始め、13歳の時に[[CAインデペンディエンテ]]の下部組織に入団したが、実力不足の評価を受けて退団。学校に行きながら煉瓦工の父親の仕事を手伝い、さらに牛乳配達や従兄弟の食料雑貨店の店番として働いたが、サッカーへの情熱も忘れなかった。1991年、当時は[[プリメーラB・ナシオナル]](2部)のクラブだった[[CAタジェレス]]と契約し、33試合に出場して1得点した。1993年に[[プリメーラ・ディビシオン (アルゼンチン)|プリメーラ・ディビシオン]](1部)の[[CAバンフィエルド]]に移籍。同年には後にインテルでチームメイトとなる[[フリオ・クルス]]もバンフィエルドに加入している。20歳のサネッティは1993年9月12日の[[CAリーベル・プレート]]戦で移籍後初出場し、17日後の[[ニューウェルズ・オールドボーイズ]]戦(1-1)で移籍後初得点を挙げた。傑出した活躍でサポーターの人気を得て、[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン代表]]にも初招集された。リーベルと[[ボカ・ジュニアーズ]]が獲得を狙ったが、サネッティはバンフィエルドに残留し、バンフィエルドでは通算66試合出場4得点の記録を残した。
*[[CAリーベル・プレート]]と[[ボカ・ジュニアーズ]]からの誘いが来るが断って、もう1年バンフィエルドでプレイする。
*バンフィエルドでの成績は通算66試合4ゴール。


==== インテル ====
1995年
1995年にイタリア・[[セリエA (サッカー)|セリエA]]の[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]に移籍した。同年に就任した[[マッシモ・モラッティ]]会長が獲得した最初の選手となり、同時に[[セバスティアン・ランベルト]]もインデペンディエンテからインテルに移籍している。8月27日、[[スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ]]で行われた[[ヴィチェンツァ・カルチョ]]戦でデビュー。2011-12シーズン終了時点で16個のタイトルを獲得しているが、このうちの15個はキャプテンとして獲得したものである。獲得したタイトルは1個の[[UEFAカップ]](1997-98)、4個の[[コッパ・イタリア]](2004-05、2005-06、2009-10、2010-11)、4個の[[スーペルコッパ・イタリアーナ]](2005、2006、2008、2010)、5個のセリエA(2005-06、2006-07、2007-08、2008-09、2009-10)、1個の[[UEFAチャンピオンズリーグ]](2009-10)、1個の[[FIFAクラブワールドカップ]](2010)である。2009-10シーズンにはイタリアのクラブとして初めて3冠(セリエA、コッパ・イタリア、UEFAチャンピオンズリーグ)を達成した。
*インテルに移籍。シューズケース1つだけを持ってイタリア・ミラノへ。
*インテルでの公式デビューは[[8月27日]]の[[ヴィチェンツァ・カルチョ|ヴィチェンツァ]]戦。それ以来インテルで750試合以上の公式戦に出場することになる。


1997-98シーズンにはUEFAカップで優勝。決勝の[[SSラツィオ]]戦ではペナルティエリア外からのシュートでチームの2点目を記録した。この際にラツィオに所属していた[[ロベルト・マンチーニ]]は後にインテルの指揮を執っている。1999年には[[ジュゼッペ・ベルゴミ]]が現役引退し、サネッティがキャプテンを引き継いだ。2000年には[[リーガ・エスパニョーラ]]の[[レアル・マドリード]]への移籍を考えたが、モラッティ会長と話し合ってインテル残留を決めた<ref>[http://www.goal.com/jp/news//////1815323/1 サネッティ:「マドリー移籍に迫ったことがある」] Goal.com 2010年3月3日</ref>。2004年、[[国際サッカー連盟]](FIFA)100周年を記念して[[ペレ]]が選出した[[FIFA 100]](偉大なサッカー選手125人)に選出された。 2004-05シーズンにはコッパ・イタリアで優勝。リーグ王者の[[ユヴェントスFC]]を破ってスーペルコッパ・イタリアーナのタイトルを獲得した。
1998年
*[[UEFAカップ]]を獲得。決勝では対戦相手の[[SSラツィオ|ラツィオ]]に対しペナルティエリア外からのシュートで2点目のゴールを得点した。当時ラツィオ所属の[[ロベルト・マンチーニ]]は後にインテルで指揮をしているが、この試合の活躍からサネッティが中盤のポジションでも成功することを確信していたという。


2005年8月28日の[[トレヴィーゾFC]]戦で右足の筋肉を断裂し、3ヶ月の欠場を余儀なくされたが、2005-06シーズンにはコッパ・イタリアで2連覇を達成。[[カルチョ・スキャンダル]]によってユヴェントスのスクデットが剥奪され、インテルが繰り上がりでリーグタイトルを獲得した。スーペルコッパでは延長戦の末に[[ASローマ]]を下して2連覇を達成した。2006年9月4日には、インテルの元キャプテンであり元会長でもあった[[ジャチント・ファッケッティ]]が死去。その直後に行われた2006-07シーズンのセリエA開幕戦では、「貴方は人としてあるべき姿だった。いなくなって寂しいよ...さようなら ジャチント」と刺繍を施したキャプテンマークを巻いて出場した。2002年11月6日の[[エンポリFC]]戦以降は約4年に渡って得点がなかったが、2006年11月5日の[[アスコリ・カルチョ]]戦で久々に得点した<ref name="Match Formations">{{cite web|title=Match Formations|work=Football-Lineups.com|url=http://www.football-lineups.com/wiki/_match1323.php | accessdate=17 January 2007}}</ref>。同年夏に[[マイコン・ダグラス・シセナンド|マイコン]]が加入すると、それまで主に右サイドバックを務めていたサネッティはサイドハーフにコンバートされたが、見事に適応してレギュラーを張り続けた<ref name="tactical Formations"/>。9月27日、[[バイエルン・ミュンヘン]]戦でインテルでの公式戦通算500試合出場を達成した<ref>{{cite web|url=http://www.clarin.com/diario/2006/09/26/um/m-01278768.htm|title=Zanetti completes 500 matches with Inter |accessdate=2012-12-05}}</ref>。2006年11月22日、[[スポルティング・リスボン]]戦で[[欧州サッカー連盟]](UEFA)主催大会通算100試合出場を達成した<ref>{{cite web |title=tactical Formations|work=Football-Lineups.com|url=http://www.football-lineups.com/players/player.php?route=109 | accessdate=17 January 2007}}</ref>。2006-07シーズンにはリーグ戦で2連覇を達成。
1999年
*[[ジュゼッペ・ベルゴミ]]の引退にともなって、インテルの主将を引き継いだ。


2007年11月24日、ジュゼッペ・メアッツァで開催された[[アタランタBC]]戦で、セリエA通算400試合出場を達成。「400」と大書されたキャプテンマークを巻いて試合に出場した。2008年9月、昇格組の[[USレッチェ]]戦(1-0)でインテルでの公式戦出場600試合を達成。試合後、副キャプテンの[[イバン・コルドバ]]に記念皿をプレゼントされた<ref>[http://inter.it/aas/news/reader?N=29886&L=en&IDINI=29900 Inter and Zanetti: 600 times together]</ref>。2008年2月に行われた2位ローマとの直接対決(1-1)では、88分に同点ゴールを決めて引き分けに持ち込んだ。最終節までもつれた優勝争いを制して3連覇を達成。2007-08シーズンはチームで唯一全38試合に出場したが、イエローカードは1枚も受けなかった。2008年8月24日、ジュゼッペ・メアッツァで開催されたスーペルコッパのローマ戦はPK戦までもつれたが、最後はサネッティがPKを決め、インテルが2-2(PK 6-5)で勝利した。これはクラブ・代表通じて自身初のPKであったが、「多分、誰も知らないだろうけど、僕がPKを蹴るのは人生で初めてのことだったんだ。幸いにも、上手くいったよ」と語った。9月24日の[[USレッチェ]]戦でインテルでの公式戦出場600試合を達成。サネッティはディフェンダーに分類されることが多いが、2008-09シーズン前半戦は[[エステバン・カンビアッソ]]や[[サリー・ムンタリ]]など中盤の選手に負傷者が続出したため、[[ジョゼ・モウリーニョ]]監督は10月の[[ジェノアCFC]]戦や[[ACFフィオレンティーナ]]戦などで、サネッティを再び中盤で起用した。これ以来、モウリーニョ監督はマイコン、[[ルシマール・ダ・シウヴァ・フェレイラ|ルシオ]]、[[ワルテル・サムエル]]、[[クリスティアン・キヴ]]を4バックのレギュラーに据え、サネッティは主に中盤で起用された。同シーズンには4連覇を達成。2シーズン連続でリーグ戦全38試合に出場した。
2004年
*FIFAが100周年を迎えるにあたって、元ブラジル代表[[ペレ]]が選出した[[FIFA 100]](偉大なサッカー選手125人)に選出された。


2009-10シーズンは自身もクラブも好調なスタートを切り、特に[[ミラノ・ダービー]]ではライバルの[[ACミラン]]を4-0で粉砕した。10月17日の[[ジェノアCFC]]戦(5-0)では相手のボールを奪ってカウンターの起点となり、チームの2点目に貢献<ref>[http://soccernet.espn.go.com/report?id=278500&cc=5901&league=ITA.1 Stanković stunner as Inter cruise]</ref>。同シーズンのセリエAで初めて5点差の勝利を挙げた10月24日の[[カルチョ・カターニア]]戦(2-1)はセリエA通算476試合目の出場となり、クラブ歴代2位の[[ジャチント・ファッケッティ]]の記録に並んだ。サネッティはまた、公式戦149試合連続出場のクラブ記録も保持している</blockquote><ref>
2005年
{{cite news| url = http://goal.com/en/news/60/south-america/2009/12/16/1689931/south-american-dispatch-javier-zanetti-tempted-home-from| title = South American Dispatch: Javier Zanetti Tempted Home From Italy By Banfield| publisher = www.goal.com| date = 16 December 2009| accessdate=2009-12-18}}</ref>。2010年3月27日、ローマ戦でイエローカードを貰い、累積警告で翌節の[[ボローニャFC]]戦は出場停止となったため、リーグ戦連続出場が137試合で途絶えた<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/4684789/ サネッティ、連続出場記録がストップへ] Livedoorスポーツ 2010年3月28日</ref>。4月16日、ユベントスとの[[イタリアダービー]]に出場し、インテルでのリーグ戦出場500試合を達成した<ref>[http://goal.com/jp/news/1867/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2/2010/04/17/1882161/%EF%BC%95%EF%BC%90%EF%BC%90%E8%A9%A6%E5%90%88%E5%87%BA%E5%A0%B4%E3%82%92%E5%96%9C%E3%81%B6%E3%82%B5%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3 Goal.com 500試合出場を喜ぶサネッティ] 2010年4月17日</ref>。セリエA最終節、[[スタディオ・アルテミオ・フランキ=モンテパスキ・アレーナ|スタディオ・アルテミオ・フランキ]]で行われた[[ACシエナ]]戦では、得意のドリブルからペナルティエリア内の[[ディエゴ・ミリート]]へパスし、ミリートの得点が決勝点となって優勝が決定。セリエAでは5連覇を達成し、コッパ・イタリアでも優勝した。UEFAチャンピオンズリーグでも順調に勝ち上がり、決勝ではバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)を2-0で破って45年ぶりの優勝を果たした。決勝はインテルでの700試合目という節目の試合だった。キャプテンとして[[ビッグイヤー]]を掲げ、3冠を達成。
*[[コッパ・イタリア]]獲得。
*[[8月28日]]の対[[トレヴィーゾFC|トレヴィーゾ]]戦で右足の筋肉を断裂、3ヶ月欠場した。
*[[イタリア・スーパーカップ]]獲得。


2010年夏、インテルとの契約を2013年まで延長した。37歳71日だった2010年10月20日、サン・シーロで行われたUEFAチャンピオンズリーグの[[トッテナム・ホットスパーFC]]戦(4-3)で先制点を挙げ、同大会での最年長得点記録を塗り替えた<ref>{{cite web |title= Inter Milan 4 Tottenham 3 |url=http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/europe/9102192.stm |publisher=BBC Sport |accessdate=20 October 2010 |date=20 October 2010}}</ref>。なお、この記録は後にACミランの[[フィリッポ・インザーギ]]や[[マンチェスター・ユナイテッドFC]]の[[ライアン・ギグス]]によって塗り替えられている。サネッティは同大会で2点しか挙げておらず、最初の得点は1998年12月の[[SKシュトゥルム・グラーツ]]戦(2-0)で挙げたものだった。12月には日本で開催された[[FIFAクラブワールドカップ2010]]に出場し、準決勝の[[城南一和天馬]]戦では同大会史上最年長(37歳4ヶ月)で得点を挙げた。2011年1月19日の[[ACチェゼーナ]]戦でセリエAでの出場試合数を520試合とし、ベルゴミが保持する歴代最多出場記録(519試合)を塗り替えた。5月11日、コッパ・イタリア準決勝のローマ戦セカンドレグで、プロ通算1000試合出場を達成した。2011-12シーズン、セリエAの20クラブでイタリア人以外がキャプテンを務めたのはインテルのみであった。11月20日の[[ノヴァーラ・カルチョ]]戦で、ベルゴミが保持していた公式戦最多出場記録を更新した。12月3日の[[ウディネーゼ・カルチョ]]戦でキャリア2度目の退場処分を受けたが、キャリア初の退場は1999年2月17日、コッパ・イタリアの[[パルマFC]]戦であり、12年以上も退場処分を受けなかった。2011-12シーズン終了時点で、17人もの監督の下でプレーしている。2012年8月23日、[[UEFAヨーロッパリーグ]]予選プレーオフ、[[FCヴァスルイ]]戦でインテルでの公式戦出場800試合を達成した。
2006年
*コッパ・イタリア獲得。
*[[セリエA (サッカー)|セリエA]]優勝 (2005-2006シーズン。セリエAの[[カルチョ・スキャンダル]]によりインテルが繰り上がり首位となった)。
*イタリア・スーパーカップ獲得。


=== アルゼンチン代表 ===
2007年
[[File:Javier Zanetti - Argentina.jpg|thumb|right|200px|アルゼンチン代表でプレーするサネッティ]]
*セリエA優勝(2006-2007シーズン)。
*このシーズンにおいては、チーム事情により本職のサイドバックではなく、サイドハーフにコンバートされたが見事に適応し、シーズン通してスタメン出場し続けた。


1994年にアメリカで開催された[[1994 FIFAワールドカップ]]後、右サイドバックの人材を求めていた[[ダニエル・パサレラ]]監督によって[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン代表]]に招集され、1994年11月16日の[[サッカーチリ代表|チリ]]戦でデビューを飾った。なお、同じ試合で[[ロベルト・アジャラ]]も代表デビューを飾っている。1996年にはU-23アルゼンチン代表として[[アトランタオリンピックにおけるサッカー競技|アトランタオリンピック]]に出場し、アルゼンチンの準優勝に大きく貢献。1998年には、フランスで開催された[[1998 FIFAワールドカップ]]本大会のメンバーに選出された。決勝トーナメント1回戦の[[サッカーイングランド代表|イングランド]]戦では、前半終了間際に[[フアン・セバスティアン・ベロン]]のフリーキックから2-2となる同点ゴールを決め、アルゼンチンはPK戦(4-3)の末にイングランドに勝利したが、準々決勝で[[サッカーオランダ代表|オランダ]]に敗れた。
2008年
*セリエA優勝(2007-2008シーズン)。
*チームで唯一全38試合に出場したが[[イエローカード]]は一枚も貰わなかった。優勝争いはセリエA最終節までもつれたが、2位のローマとの試合では同点のゴールを決めてスクデット獲得に大きく貢献。
*イタリア・スーパーカップ獲得。
*[[9月24日]]の[[USレッチェ]]戦でインテルでの公式戦出場600試合を達成。


2002年には日本と韓国で共催された[[2002 FIFAワールドカップ]]に出場したが、[[マルセロ・ビエルサ]]監督のチームはグループ3位でグループリーグ敗退に終わった。2005年には[[FIFAコンフェデレーションズカップ2005]]に出場し、準決勝の[[サッカーメキシコ代表|メキシコ]]戦で代表100キャップを達成。さらにこの試合ではマン・オブ・ザ・マッチに選出された<ref>{{cite news |url=http://www.fifa.com/confederationcup/news/newsid=27258.html| title = Centurion Zanetti celebrates in style |publisher=FIFA.com |date=26 June 200 |accessdate=2007-06-26|archive url=http://web.archive.org/web/20071001150304/http://www.fifa.com/confederationcup/news/newsid=27258.html}}</ref>。[[2006 FIFAワールドカップ・南米予選]]では[[ホセ・ペケルマン]]監督によって12試合に起用されたが、ドイツで開催された[[2006 FIFAワールドカップ]]本大会では、世代交代を理由に[[ワルテル・サムエル]]とともに選外となったため、議論を呼んだ<ref>{{cite news |url=http://home.skysports.com/worldcup/article.aspx?hlid=387534&plid=7321&clid=632&cpid=4 |title=World Cup snub for Zanetti |publisher=Skysports.com |date=15 May 2006 |accessdate=2007-07-11}}</ref>。サネッティの代わりには[[リオネル・スカローニ]]がサプライズ選出されたが、この選出は多くのファンやメディアを困惑させた。
2009年
*セリエA優勝(2008-2009シーズン)。
*2年連続リーグ戦全38試合に出場した。
*[[10月24日]]の[[カルチョ・カターニア|カルチョ・カターニア]]戦に出場し、インテルでのリーグ戦出場が476試合となり、[[ジャチント・ファケッティ]]に並んだ。


2006 FIFAワールドカップ後に就任した[[アルフィオ・バシーレ]]監督は、2007年2月7日の[[サッカーフランス代表|フランス]]との親善試合にサネッティを招集。この代表復帰戦で見事な活躍を見せ、[[ハビエル・サビオラ]]の決勝点をアシストしてバシーレ監督政権下初勝利に貢献した<ref>[http://www.eurosport.com/football/int-friendlies/2006-2007/sport_sto1079917.shtml "Saviola sinks Les Bleus in Paris"] Yahoo sports</ref>。2007年の[[コパ・アメリカ2007]]では同大会4回目の出場を果たし、キャプテンのアジャラを補佐する副キャプテンとして準優勝に貢献。2007年4月、National Giuseppe Prisco Awardに出席した<ref>[http://www.tuttoabruzzo.it/index.php?option=com_content&task=view&id=6364&Itemid=251 "Premio Prisco: i vincitori della V edizione"] {{it icon}}</ref>。コパ・アメリカ2007終了後にアジャラが代表引退すると、キャプテンマークはサネッティに渡された。2007年11月17日に行われた[[2010 FIFAワールドカップ・南米予選]]の[[サッカーボリビア代表|ボリビア]]戦は116試合目の出場となり、アジャラが保持していたアルゼンチン代表最多出場記録(115試合)を塗り替えた<ref>[http://www.uefa.com/competitions/ucl/news/kind=1/newsid=622052.html "No stopping record-breaker Zanetti"] UEFA.com</ref>。2008年10月に[[ディエゴ・マラドーナ]]監督が就任すると、マラドーナ監督の意向で[[ハビエル・マスチェラーノ]]がキャプテンに就任し<ref>[http://www.fifa.com/worldcup/news/newsid=943929.html Mascherano accepts captaincy offer] FIFA.com</ref>、サネッティではなく[[マンチェスター・シティFC]]の[[パブロ・サバレタ]]がレギュラーとして起用された。南アフリカで開催された[[2010 FIFAワールドカップ]]本大会では[[エステバン・カンビアッソ]]とともに選外となり、マラドーナ監督は南米だけでなくヨーロッパの識者からも強い批判を浴びた。サネッティの代わりに30歳の[[アリエル・ガルセ]]がサプライズ選出されたが<ref>[http://www.football-lineups.com/footballer/5011/ Ariel Garce matches]</ref>、ガルセは過去5年間で2度しか代表に招集されたことがなく、本大会では出場機会なしに終わっている。
2010年
*[[3月27日]]の[[ASローマ]]戦でイエローカードを貰って累積警告で出場停止となり、リーグ戦連続出場が137で途絶えた<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/4684789/ サネッティ、連続出場記録がストップへ] Livedoorスポーツ 2010年3月28日</ref>。
*4月16日の[[ユベントス]]とのイタリアダービーに出場し、インテルでのリーグ戦出場500試合を達成した<ref>[http://goal.com/jp/news/1867/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2/2010/04/17/1882161/%EF%BC%95%EF%BC%90%EF%BC%90%E8%A9%A6%E5%90%88%E5%87%BA%E5%A0%B4%E3%82%92%E5%96%9C%E3%81%B6%E3%82%B5%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3 Goal.com 500試合出場を喜ぶサネッティ] 2010年4月17日</ref>。
*[[コッパ・イタリア]]獲得。
*セリエA優勝(2009-2010シーズン)。
*リーグ最終節の[[ACシエナ]]戦、アウェーの[[スタディオ・アルテミオ・フランキ=モンテパスキ・アレーナ|スタディオ・アルテミオ・フランキ]]で勝てば優勝という試合で、得意のドリブルからペナルティ・エリア内の[[ディエゴ・ミリート]]へパスをし得点となる。結局、それが決勝点となる。
*[[5月22日]]の[[UEFAチャンピオンズリーグ]]決勝戦でインテルでの公式戦出場700試合を達成。[[バイエルン・ミュンヘン]]に2-0で勝利し、インテルの主将としてビッグイヤートロフィーを掲げた。インテルに45年振りのチャンピオンズリーグ優勝をもたらし、国内リーグ、国内カップ、チャンピオンズリーグの三冠制覇を成し遂げた。
*[[FIFAクラブワールドカップ2010]]準決勝の[[城南一和天馬]]戦で同大会史上最年長(37歳4ヶ月)での得点を挙げた。


2010年8月20日、[[セルヒオ・バティスタ]]新監督は再びサネッティを招集し、9月7日の[[サッカースペイン代表|スペイン]]との親善試合で約1年ぶりの出場を果たし、世界王者相手に4-1で勝利した<ref>[http://www.goaledor.com/argentina-national-team/argentina-batistuta-and-zanetti-winning-home-their-respective-records.html Argentina: Batistuta and Zanetti, winning at home for their respective records | Soccer News -Soccer Team - Soccer player | Football News @ Goaledor.Com<!-- Bot generated title -->]</ref>。10月に日本の[[埼玉スタジアム]]で行われた[[サッカー日本代表|日本]]との親善試合にも招集されたが、試合前に負傷離脱した<ref>[http://www.ole.com.ar/futbol-internacional/Pupi-Milito_0_343765689.html Pupi no, ¿y Milito?]</ref>。2011年6月25日、母国開催となった[[コパ・アメリカ2011]]のメンバーに選出されたが、チームはグループリーグで苦戦。辛うじてグループリーグを突破したものの、準々決勝で[[サッカーウルグアイ代表|ウルグアイ]]にPK戦の末敗れた。サネッティ自身は全4試合にフル出場している。
2012年
*[[8月23日]]の[[UEFAヨーロッパリーグ]]予選プレーオフ、[[FCヴァスルイ]]戦でインテルでの公式戦出場800試合を達成した。


== 人物 ==
===アルゼンチン代表===
敬虔なカトリックである。インテルでチームメイトだった[[ウェズレイ・スナイデル]]とは親友であり、スナイデルはサネッティの影響でカトリックに改宗した<ref>[http://www.catholicnewsagency.com/news/dutch-soccer-player-who-scored-winning-goal-against-brazil-is-catholic-convert/ Dutch soccer player who scored winning goal against Brazil is Catholic convert :: Catholic News Agency (CNA)<!-- Bot generated title -->]</ref>。
[[File:Javier Zanetti - Argentina.jpg|thumb|right|200px|アルゼンチン代表でプレーするサネッティ]]
1994年の[[1994 FIFAワールドカップ|アメリカW杯]]に敗退した直後の[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン代表]]は、右サイドバックの人材を求めていた。その時[[ダニエル・パサレラ]]監督の目に止まったのがサネッティである。代表デビューは11月16日の対チリ戦。当時は全く無名といっていい存在だったが、以降サネッティは代表メンバーにおいて不動の存在へと成長する。ちなみにこの日は、長期間に渡ってアルゼンチンのセンターバックを支えることになる[[ロベルト・アジャラ]]が代表デビューした日でもある。


2007年、イタリア人歌手の[[ミーナ (イタリア人歌手)|ミーナ]]とコラボレートして「Parole parole」という曲をスペイン語でカバーし、彼女の「Todavía」というアルバムに収録された。2012年5月、サネッティと[[アンジェロ・パロンボ]]はテレビの人気番組である「インドネシアン・アイドル」(Indonesian Idol)に出演し、[[エロス・ラマゾッティ]]のPiù bella cosaという曲を生演奏した<ref>{{cite news| url=http://www.insideworldsoccer.com/2012/05/javier-zanetti-sings-indonesian-idol.html | title= Watch Javier Zanetti singing on Indonesian Idol | work= inside World Soccer | date=27 May 2012}}</ref>。
[[1996年]][[アトランタオリンピック|アトランタ五輪]]ではアルゼンチンの準優勝に大きく貢献。


=== 家族 ===
[[1998年]][[1998 FIFAワールドカップ|フランスW杯]]に代表選出。
兄の[[セルヒオ・サネッティ]]もサッカー選手であり、ディフェンダーとしてプレーした。インテルで5シーズンの間チームメイトだったイタリア人の[[クリスティアーノ・ザネッティ]]( Cristiano Zanetti)とは同姓であるが、血縁関係はない。


1999年12月23日、7年間交際した女性とアルゼンチンで結婚式を挙げた。ふたりの出会いはサネッティが19歳・妻が14歳の時であった。妻の父親は大学教師であり、妻自身はフォトグラファーとして働いている。ふたりは[[コモ湖]]の近くに住んでおり、ミラノのNavigli地区にエル・ガウチョ(El Gaucho、牧童)という名前のレストランを経営している。2005年6月11日、第1子となる長女が誕生した。2008年には第2子となる長男が誕生し、2012年5月9日には第3子となる次男が誕生した。
[[2002年]][[2002 FIFAワールドカップ|日韓W杯]]に選出されるも、アルゼンチンはグループステージ敗退。


=== チャリティ活動 ===
[[2006年]][[2006 FIFAワールドカップ|ドイツW杯]]に向けた予選では12試合に出場。しかしW杯本戦では代表落選。代表監督の[[ホセ・ペケルマン]]は[[FIFA U-20ワールドカップ|ワールドユース]]での実績があり、世代交代を進めていた。サネッティには代表発表前に監督から連絡はあったものの「リストに加わることができるよう全力を尽くしてきたし、招集には常に応じてきた。戦術上の問題なのか何なのか、代表に選ばれなかった理由はわからない」と述べている。
[[国際サッカー連盟]](FIFA)がアルゼンチンで行っている[[SOS子供の村]]の親善大使である<ref>{{cite news| url = http://www.inter.it./aas/news/reader?N=22868&L=en| title = J.ZANETTI NEW FIFA AMBASSADOR FOR SOS | publisher = Inter.it| date = 4 May 2006| accessdate=2007-06-07}}</ref>。2001年の経済危機後、サネッティ夫妻はアルゼンチンとラテンアメリカのストリートチルドレンを助けるためにPUPI財団を設立した<ref>[http://www.fundacionpupi.org/ Funducion PUPI]</ref>。インテルでチームメイトの[[エステバン・カンビアッソ]]とともに、「Leoni di Potrero」(空き地の獅子)という少年サッカースクールを企画運営している<ref>{{cite news| url = http://www.inter.it/aas/news/reader?N=27374&L=en&IDINI=27384| title = Cambiasso, Zanetti: "Only Inter counts"| publisher = Inter.it| date = 14 September 2007| accessdate=2007-10-10}}</ref>。


== 所属クラブ ==
[[2007年]][[2月7日]]の対フランス戦で代表復帰を果たす。
*1992-1993 {{flagicon|ARG}} [[CAタジェレス]]
*1993-1995 {{flagicon|ARG}} [[CAバンフィエルド]]
*1995- {{flagicon|ITA}}[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]


==タイトル==
2007年[[11月17日]]の対ボリビア戦に出場し、アルゼンチン代表キャップ数歴代単独1位の116を達成。
[[File:Javier Zanetti FC Internazionale 3.jpg|thumb|right|憂鬱そうな表情のサネッティ]]


=== クラブ ===
[[2009年]]、[[ディエゴ・マラドーナ]]は[[マンチェスター・シティ]]所属の[[パブロ・サバレタ]]をファーストチョイスとしており、ほとんど代表に呼ばれていなかった。
* '''インテル'''
: [[セリエA]] (5) : 2005-06, 2006-07, 2007-08, 2008-09, 2009-10
: [[コッパ・イタリア]] (4) : 2004-05, 2005-06, 2009-10, 2010-11
: [[スーペルコッパ・イタリアーナ]] (4) : 2005, 2006, 2008, 2010
: [[UEFAカップ]] (1) : 1997-98
: [[UEFAチャンピオンズリーグ]] (1) : 2009-10
: [[FIFAクラブワールドカップ]] (1) : 2010


=== 個人 ===
[[2010年]][[5月11日]]に[[2010 FIFAワールドカップ|南アフリカW杯]]に向けた30名のアルゼンチン代表候補が発表されたが、サネッティは候補リスト外に終わった。ワールドカップ後の9月7日に行われた[[サッカースペイン代表|スペイン]]との親善試合で代表に1年ぶりに復帰し、世界王者相手に4-1での勝利に貢献した。
* Pallone d'Argento : 2002
* [[FIFA 100]] : 2004<ref>{{cite news| url = http://home.skysports.com/list.aspx?hlid=189225&plid=7321&clid=&cpid=219| title = Pelé names his top 100 players| publisher = Skysports.com| date = 4 March 2004| accessdate=2007-07-11}}</ref>


== 個人成績 ==
[[2011年]][[6月25日]]、母国アルゼンチンで開催された[[コパ・アメリカ2011]]のメンバーに選出された。しかし、チームはグループリーグで苦戦。辛うじて突破したものの、準々決勝で[[サッカーウルグアイ代表|ウルグアイ]]にPK戦の末敗れた(なおサネッティ自身は全4試合にフル出場)。
=== クラブでの出場記録 ===
; 2012年11月3日


{| class="wikitable" style="text-align: center;"
|-
!rowspan=2| クラブ
!rowspan=2| シーズン
!colspan=2| 国内リーグ
!colspan=2| 国内カップ
!colspan=2| 国際カップ<sup>1</sup>
!colspan=2| その他<sup>2</sup>
!colspan=2| 通算
|-
!align=center |'''出場'''
!align=center |'''得点'''
!align=center |'''出場'''
!align=center |'''得点'''
!align=center |'''出場'''
!align=center |'''得点'''
!align=center |'''出場'''
!align=center |'''得点'''
!align=center |'''出場'''
!align=center |'''得点'''
|-
|rowspan=1 align=center|'''[[CAタジェレス]]'''
|align=center|1992–93
|align=center|33
|align=center|1
|colspan="2"|—
|colspan="2"|—
|colspan="2"|—
!align=center|33
!align=center|1
|-
|style="background: #DCDCDC" align=center colspan="2" |'''通算'''
|style="background: #DCDCDC" align=center|'''33'''
|style="background: #DCDCDC" align=center|'''1'''
|style="background: #DCDCDC" align=center colspan="2"|—
|style="background: #DCDCDC" align=center colspan="2"|—
|style="background: #DCDCDC" align=center colspan="2"|—
|style="background: #DCDCDC" align=center|'''33'''
|style="background: #DCDCDC" align=center|'''1'''
|-
|rowspan=2 align=center|'''[[CAバンフィエルド]]'''
|align=center|1993–94
|align=center|37
|align=center|1
|colspan="2"|—
|colspan="2"|—
|colspan="2"|—
!align=center|37
!align=center|1
|-
|align=center|1994–95
|align=center|29
|align=center|3
|colspan="2"|—
|colspan="2"|—
|colspan="2"|—
!align=center|29
!align=center|3
|-
|style="background: #DCDCDC" align=center colspan="2" |'''通算'''
|style="background: #DCDCDC" align=center|'''66'''
|style="background: #DCDCDC" align=center|'''4'''
|style="background: #DCDCDC" align=center colspan="2"|—
|style="background: #DCDCDC" align=center colspan="2"|—
|style="background: #DCDCDC" align=center colspan="2"|—
|style="background: #DCDCDC" align=center|'''66'''
|style="background: #DCDCDC" align=center|'''4'''
|-
|rowspan=18 align=center|'''[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]'''
|align=center|1995–96
|align=center|32
|align=center|2
|align=center|5
|align=center|0
|align=center|2
|align=center|0
|colspan="2"|—
!align=center|39
!align=center|2
|-
|align=center|1996–97
|align=center|33
|align=center|3
|align=center|5
|align=center|1
|align=center|12
|align=center|0
|colspan="2"|—
!align=center|50
!align=center|4
|-
|align=center|1997–98
|align=center|28
|align=center|0
|align=center|4
|align=center|0
|align=center|9
|align=center|2
|colspan="2"|—
!align=center|41
!align=center|2
|-
|align=center|1998–99
|align=center|34
|align=center|3
|align=center|5
|align=center|0
|align=center|9
|align=center|1
|align=center|2
|align=center|0
!align=center|50
!align=center|4
|-
|align=center|1999–00
|align=center|34
|align=center|1
|align=center|8
|align=center|1
|colspan="2"|—
|align=center|1
|align=center|0
!align=center|43
!align=center|2
|-
|align=center|2000–01
|align=center|29
|align=center|0
|align=center|1
|align=center|0
|align=center|4
|align=center|0
|colspan="2"|—
!align=center|34
!align=center|0
|-
|align=center|2001–02
|align=center|33
|align=center|0
|align=center|1
|align=center|1
|align=center|10
|align=center|1
|colspan="2"|—
!align=center|44
!align=center|2
|-
|align=center|2002–03
|align=center|34
|align=center|1
|align=center|1
|align=center|0
|align=center|18
|align=center|0
|colspan="2"|—
!align=center|53
!align=center|1
|-
|align=center|2003–04
|align=center|34
|align=center|0
|align=center|5
|align=center|0
|align=center|12
|align=center|0
|colspan="2"|—
!align=center|51
!align=center|0
|-
|align=center|2004–05
|align=center|35
|align=center|0
|align=center|3
|align=center|0
|align=center|11
|align=center|0
|colspan="2"|—
!align=center|49
!align=center|0
|-
|align=center|2005–06
|align=center|25
|align=center|0
|align=center|5
|align=center|0
|align=center|8
|align=center|0
|align=center|1
|align=center|0
!align=center|39
!align=center|0
|-
|align=center|2006–07
|align=center|37
|align=center|1
|align=center|4
|align=center|0
|align=center|8
|align=center|0
|align=center|1
|align=center|0
!align=center|50
!align=center|1
|-
|align=center|2007–08
|align=center|38
|align=center|1
|align=center|4
|align=center|0
|align=center|8
|align=center|0
|align=center|1
|align=center|0
!align=center|51
!align=center|1
|-
|align=center|2008–09
|align=center|38
|align=center|0
|align=center|4
|align=center|0
|align=center|8
|align=center|0
|align=center|1
|align=center|0
!align=center|51
!align=center|0
|-
|align=center|2009–10
|align=center|37
|align=center|0
|align=center|4
|align=center|0
|align=center|13
|align=center|0
|align=center|1
|align=center|0
!align=center|55
!align=center|0
|-
|align=center|2010–11
|align=center|35
|align=center|0
|align=center|5
|align=center|0
|align=center|8
|align=center|1
|align=center|4
|align=center|1
!align=center|52
!align=center|2
|-
|align=center|2011–12
|align=center|34
|align=center|0
|align=center|2
|align=center|0
|align=center|8
|align=center|0
|align=center|1
|align=center|0
!align=center|45
!align=center|0
|-
|align=center|2012–13
|align=center|10
|align=center|0
|align=center|0
|align=center|0
|align=center|6
|align=center|0
|align=center|0
|align=center|0
!align=center|16
!align=center|0
|-
|style="background: #DCDCDC" align=center colspan="2" |'''通算'''
|style="background: #DCDCDC" align=center|'''580'''
|style="background: #DCDCDC" align=center|'''12'''
|style="background: #DCDCDC" align=center|'''66'''
|style="background: #DCDCDC" align=center|'''3'''
|style="background: #DCDCDC" align=center|'''154'''
|style="background: #DCDCDC" align=center|'''5'''
|style="background: #DCDCDC" align=center|'''13'''
|style="background: #DCDCDC" align=center|'''1'''
|style="background: #DCDCDC" align=center|'''813'''
|style="background: #DCDCDC" align=center|'''21'''
|-
|style="background: #DCDCDC" align=center colspan="2" |'''キャリア通算'''
|style="background: #DCDCDC" align=center|'''679'''
|style="background: #DCDCDC" align=center|'''17'''
|style="background: #DCDCDC" align=center|'''66'''
|style="background: #DCDCDC" align=center|'''3'''
|style="background: #DCDCDC" align=center|'''154'''
|style="background: #DCDCDC" align=center|'''5'''
|style="background: #DCDCDC" align=center|'''13'''
|style="background: #DCDCDC" align=center|'''1'''
|style="background: #DCDCDC" align=center|'''912'''
|style="background: #DCDCDC" align=center|'''26'''
|}
<sup>1</sup><small>[[UEFAチャンピオンズリーグ]]、[[UEFAヨーロッパリーグ]] </small><br>
<sup>2</sup><small>[[セリエA (サッカー)|セリエA]]プレーオフ、[[スーペルコッパ・イタリアーナ]]、[[UEFAスーパーカップ]]、[[FIFAクラブワールドカップ]]</small>


=== 代表での年別記録 ===
== 人物 ==
<ref>[http://www.national-football-teams.com/v2/player.php?id=316 :: National Football Teams ::.. Player - Javier Zanetti<!-- Bot generated title -->]</ref><ref>[http://www.rsssf.com/miscellaneous/zanetti-intl.html Javier Adelmar Zanetti – International Appearances<!-- Bot generated title -->]</ref>
なお、曾祖父母が[[フリウーリ]]地方出身であるため、イタリアのパスポートも有する[[イタリア系アルゼンチン人]]である。


{{サッカー代表個人成績|アルゼンチン|1}}
愛称はPUPI、イル・トラットーレ(トラクターのようなドリブルをみせることから)。長期にわたって安定した実力を保ちアルゼンチンA代表では最多試合出場を記録する。その高いキャプテンシーでチームメイト、首脳陣、ファンから支持を受けており、[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]では外国人ながら[[バンディエラ]]的な存在としてカピターノ([[キャプテン]])をつとめている。
|-
|1994||3||0
|-
|1995||15||1
|-
|1996||6||0
|-
|1997||4||0
|-
|1998||9||2
|-
|1999||11||0
|-
|2000||7||0
|-
|2001||9||0
|-
|2002||6||0
|-
|2003||8||1
|-
|2004||14||1
|-
|2005||10||0
|-
|2006||0||0
|-
|2007||15||0
|-
|2008||11||0
|-
|2009||8||0
|-
|2010||2||0
|-
|2011||7||0
|-
!通算||145||5
|}


=== 代表での出場試合と得点 ===
==備考・逸話==
<small>アルゼンチンの得点を左側に示している</small>
{{雑多な内容の箇条書き|date=2010年4月|section=1}}
{| class="wikitable collapsible collapsed" style="font-size:90%"
*加入当初、ほぼ無名選手であったサネッティがポリ袋に入ったサッカーシューズだけを持って練習場に来る姿を見て、メディアは「モラッティは、イタリア人と錯覚するような名字の無名選手を獲得したようだ。とても活躍は期待できそうもない。」と酷評したが、すぐにレギュラーの座を勝ち取り、以後中心選手として活躍する事になる。
|-
*ポーランドのある検事がアルゼンチン対イングランドをテレビ観戦していた。試合はサネッティのゴールで延長戦に突入し、検事は毎日定刻どおり行っていた出勤時間をずらすことになった。そして時計の針が10時を回った時、自宅外に止めてあった車が爆発。検事のスケジュールを調べていたマフィアが仕掛けた爆弾だった。後日、この検事とサネッティは感謝の手紙のやり取りを行っている。
!colspan="7"|'''代表での出場試合と得点'''
*私生活ではチームメイトと深く付き合わないことにしているが、元チームメイトの[[ロベルト・バッジョ]]とは親友の間柄である。
|-
*[[2006年]][[9月4日]]、[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]会長であり現役時代グランデ・インテルの偉大なキャプテンでもあった[[ジャチント・ファッケッティ]]が死去。直後の[[セリエA (サッカー)|セリエA]]開幕戦にサネッティはキャプテンマークに「貴方は人としてあるべき姿だった。いなくなって寂しいよ...さようなら ジャチント」と刺繍して出場した。
! #
*[[2007年]][[11月24日]]、ホームの[[スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ]]で開催された[[アタランタBC|アタランタ]]戦で、[[セリエA (サッカー)|セリエA]]出場通算400試合を達成。それを記念して、サネッティのキャプテンマークには「400」と大書されていた。
! 日付
*アルゼンチンとラテンアメリカのストリートチルドレンを助ける為にサネッティが設立した慈善団体PUPI財団がある<ref>[http://www.fundacionpupi.org/ Funducion PUPI]</ref>。
! 場所
*同じインテルでアルゼンチン代表の[[エステバン・カンビアッソ|カンビアッソ]]と共に「Leoni di Potrero(空き地の獅子)」という少年サッカースクールを企画運営している。週2回火曜日と(水曜日に試合の無い週の)木曜日には2人もミラノ郊外の専用練習場で少年達の練習に参加してサッカーを教えている。
! 対戦相手
*[[2008年]][[8月24日]]、ホームの[[スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ]]で開催された[[イタリア・スーパーカップ]][[ASローマ|ローマ]]戦はPK戦までもつれ、最後はサネッティがPKを決め[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]]が2-2(PK)6-5で勝利したが、これがクラブ・代表通じて自身初めてのPKだった。これについて「多分、誰も知らないだろうけど、僕がPKを蹴るのは人生で初めてのことだったんだ。幸いにも、上手くいったよ」[http://jp.goal.com/jp/Articolo.aspx?ContenutoId=834351]と話した。
! 最終結果
*[[2000年]]、[[レアル・マドリード]]移籍を考えたが、モラッティ会長と話し合い、残留を決めたと話している<ref>[http://www.goal.com/jp/news//////1815323/1 サネッティ:「マドリー移籍に迫ったことがある」] Goal.com 2010年3月3日</ref>。
! 大会
*キャリアで対戦した中で最も厄介だった相手としてラツィオ時代の[[パベル・ネドベド]]を挙げており、その理由にサイドを何度も上下するスタミナを挙げている<ref>[http://www.goal.com/jp/news/1867/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2/2011/01/15/2306289/%E3%82%B5%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3%E6%9C%80%E3%82%82%E5%8E%84%E4%BB%8B%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%83%8D%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%89%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F サネッティ:「最も厄介なのはネドヴェドだった」] Goal.com 2011年1月15日</ref>。
! 得点
|-
|colspan=7 align=center|'''1994'''
|-
| align=center|1
| 11月16日
| [[サンティアゴ・デ・チレ]]
| {{fb|Chile}}
| align=center|3–0
| 親善試合
|
|-
| align=center|2
| 12月21日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Romania}}
| align=center|1–0
| 親善試合
|
|-
| align=center|3
| 12月27日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|FR Yugoslavia}}
| align=center|1–0
| 親善試合
|
|-
|colspan=7 align=center|'''1995'''
|-
| align=center|4
| 1月8日
| [[リヤド]]
| {{fb|Japan}}
| align=center|5–1
| [[キング・ファハド・カップ1995]]
|
|-
| align=center|5
| 1月10日
| [[リヤド]]
| {{fb|Nigeria}}
| align=center|0–0
| [[キング・ファハド・カップ1995]]
|
|-
| align=center|6
| 1月13日
| [[リヤド]]
| {{fb|Denmark}}
| align=center|0–2
| [[キング・ファハド・カップ1995]]決勝
|
|-
| align=center|7
| 2月14日
| [[メンドーサ]]
| {{fb|Bulgaria}}
| align=center|4–1
| 親善試合
|
|-
| align=center|8
| 5月13日
| [[ヨハネスブルク]]
| {{fb|South Africa}}
| align=center|1–1
| 親善試合
|
|-
| align=center|9
| 5月31日
| [[コルドバ (アルゼンチン)|コルドバ]]
| {{fb|Peru}}
| align=center|1–0
| 親善試合
|
|-
| align=center|10
| 6月14日
| [[ロサリオ]]
| {{fb|Paraguay}}
| align=center|2–1
| 親善試合
|
|-
| align=center|11
| 6月22日
| [[メンドーサ]]
| {{fb|Slovakia}}
| align=center|6–0
| 親善試合
| align=center|'''1'''
|-
| align=center|12
| 6月30日
| [[キルメス]]
| {{fb|Australia}}
| align=center|2–0
| 親善試合
|
|-
| align=center|13
| 7月8日
| [[パイサンドゥ]]
| {{fb|Bolivia}}
| align=center|2–1
| [[コパ・アメリカ1995]]
|
|-
| align=center|14
| 7月11日
| [[パイサンドゥ]]
| {{fb|Chile}}
| align=center|4–0
| [[コパ・アメリカ1995]]
|
|-
| align=center|15
| 7月17日
| [[リベーラ]]
| {{fb|Brazil}}
| align=center|2–2
| [[コパ・アメリカ1995]]
|
|-
| align=center|16
| 9月20日
| [[マドリード]]
| {{fb|Spain}}
| align=center|1–2
| 親善試合
|
|-
| align=center|17
| 10月11日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Colombia}}
| align=center|0–0
| 親善試合
|
|-
| align=center|18
| 11月8日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Brazil}}
| align=center|0–1
| 親善試合
|
|-
|colspan=7 align=center|'''1996'''
|-
| align=center|19
| 4月24日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Bolivia}}
| align=center|3–1
| [[1998 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
| align=center|20
| 6月2日
| [[キト]]
| {{fb|Ecuador}}
| align=center|0–2
| [[1998 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
| align=center|21
| 6月20日
| [[トゥクマン]]
| {{fb|Poland}}
| align=center|2–0
| 親善試合
|
|-
| align=center|22
| 7月7日
| [[リマ]]
| {{fb|Peru}}
| align=center|0–0
| [[1998 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
| align=center|23
| 9月1日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Paraguay}}
| align=center|1–1
| [[1998 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
| align=center|24
| 12月15日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Chile}}
| align=center|1–1
| [[1998 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
|colspan=7 align=center|'''1997'''
|-
| align=center|25
| 7月6日
| [[アスンシオン]]
| {{fb|Paraguay}}
| align=center|2–1
| [[1998 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
| align=center|26
| 7月20日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Venezuela|1930}}
| align=center|2–0
| [[1998 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
| align=center|27
| 9月10日
| [[サンティアゴ・デ・チレ]]
| {{fb|Chile}}
| align=center|2–1
| [[1998 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
| align=center|28
| 9月12日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Uruguay}}
| align=center|0–0
| [[1998 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
|colspan=7 align=center|'''1998'''
|-
| align=center|29
| 4月29日
| [[リオデジャネイロ]]
| {{fb|Brazil}}
| align=center|1–0
| 親善試合
|
|-
| align=center|30
| 5月14日
| [[コルドバ (アルゼンチン)|コルドバ]]
| {{fb|Bosnia and Herzegovina}}
| align=center|5–0
| 親善試合
| align=center|'''1'''
|-
| align=center|31
| 5月19日
| [[メンドーサ]]
| {{fb|Chile}}
| align=center|1–0
| 親善試合
|
|-
| align=center|32
| 5月25日
| | [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|South Africa}}
| align=center|2–0
| 親善試合
|
|-
| align=center|33
| 6月14日
| [[トゥールーズ]]
| {{fb|Japan}}
| align=center|1–0
| [[1998 FIFAワールドカップ]]
|
|-
| align=center|34
| 6月21日
| [[パリ]]
| {{fb|Jamaica}}
| align=center|5–0
| [[1998 FIFAワールドカップ]]
|
|-
| align=center|35
| 6月26日
| [[ボルドー]]
| {{fb|Croatia}}
| align=center|1–0
| [[1998 FIFAワールドカップ]]
|
|-
| align=center|36
| 6月30日
| [[サンテティエンヌ]]
| {{fb|England}}
| align=center|2–2
| [[1998 FIFAワールドカップ]]
| align=center|'''1'''
|-
| align=center|37
| 7月4日
| [[マルセイユ]]
| {{fb|Netherlands}}
| align=center|1–2
| [[1998 FIFAワールドカップ]]
|
|-
|colspan=7 align=center|'''1999'''
|-
| align=center|38
| 3月31日
| [[アムステルダム]]
| {{fb|Netherlands}}
| align=center|1–1
| 親善試合
|
|-
| align=center|39
| 6月9日
| [[シカゴ]]
| {{fb|Mexico}}
| align=center|2–2
| 親善試合
|
|-
| align=center|40
| 6月13日
| [[ワシントンDC]]
| {{fb|United States}}
| align=center|0–1
| 親善試合
|
|-
| align=center|41
| 6月26日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Lithuania}}
| align=center|0–0
| 親善試合
|
|-
| align=center|42
| 7月1日
| [[ルケ]]
| {{fb|Ecuador}}
| align=center|3–1
| [[コパ・アメリカ1999]]
|
|-
| align=center|43
| 7月4日
| [[ルケ]]
| {{fb|Colombia}}
| align=center|0–3
| [[コパ・アメリカ1999]]
|
|-
| align=center|44
| 7月11日
| [[シウダ・デル・エステ]]
| {{fb|Brazil}}
| align=center|1–2
| [[コパ・アメリカ1999]]
|
|-
| align=center|45
| 9月4日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Brazil}}
| align=center|2–0
| 親善試合
|
|-
| align=center|46
| 9月7日
| [[ポルト・アレグレ]]
| {{fb|Brazil}}
| align=center|2–4
| 親善試合
|
|-
| align=center|47
| 10月13日
| [[コルドバ (アルゼンチン)|コルドバ]]
| {{fb|Colombia}}
| align=center|2–1
| 親善試合
|
|-
| align=center|48
| 11月17日
| [[セビージャ]]
| {{fb|Spain}}
| align=center|2–0
| 親善試合
|
|-
|colspan=7 align=center|'''2000'''
|-
| align=center|49
| 2月23日
| [[ロンドン]]
| {{fb|England}}
| align=center|0–0
| 親善試合
|
|-
| align=center|50
| 3月29日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Chile}}
| align=center|4–1
| [[2002 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
| align=center|51
| 4月26日
| [[マラカイボ]]
| {{fb|Venezuela|1930}}
| align=center|4–0
| [[2002 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
| align=center|52
| 6月4日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Bolivia}}
| align=center|1–0
| [[2002 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
| align=center|53
| 6月29日
| [[ボゴタ]]
| {{fb|Colombia}}
| align=center|3–1
| [[2002 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
| align=center|54
| 7月19日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Ecuador}}
| align=center|2–0
| [[2002 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
| align=center|55
| 7月26日
| [[サンパウロ]]
| {{fb|Brazil}}
| align=center|1–3
| [[2002 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
|colspan=7 align=center|'''2001'''
|-
| align=center|56
| 2月28日
| [[ローマ]]
| {{fb|Italy}}
| align=center|2–1
| 親善試合
|
|-
| align=center|57
| 3月28日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Venezuela|1930}}
| align=center|5–0
| [[2002 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
| align=center|58
| 4月25日
| [[ラパス]]
| {{fb|Bolivia}}
| align=center|3–3
| [[2002 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
| align=center|59
| 6月3日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Colombia}}
| align=center|3–0
| [[2002 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
| align=center|60
| 8月15日
| [[キト]]
| {{fb|Ecuador}}
| align=center|2–0
| [[2002 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
| align=center|61
| 9月5日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Brazil}}
| align=center|2–1
| [[2002 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
| align=center|62
| 10月7日
| [[アスンシオン]]
| {{fb|Paraguay}}
| align=center|2–2
| [[2002 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
| align=center|63
| 11月8日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Peru}}
| align=center|2–0
| [[2002 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
| align=center|64
| 11月14日
| [[モンテビデオ]]
| {{fb|Uruguay}}
| align=center|1–1
| [[2002 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
|colspan=7 align=center|'''2002'''
|-
| align=center|65
| 3月27日
| [[ジュネーヴ]]
| {{fb|Cameroon}}
| align=center|2–2
| 親善試合
|
|-
| align=center|66
| 4月17日
| [[シュトゥットガルト]]
| {{fb|Germany}}
| align=center|1–0
| 親善試合
|
|-
| align=center|67
| 6月2日
| [[茨城県立カシマサッカースタジアム|カシマスタジアム]]
| {{fb|Nigeria}}
| align=center|1–0
| [[2002 FIFAワールドカップ]]
|
|-
| align=center|68
| 6月7日
| [[札幌ドーム]]
| {{fb|England}}
| align=center|0–1
| [[2002 FIFAワールドカップ]]
|
|-
| align=center|69
| 6月12日
| [[宮城スタジアム]]
| {{fb|Sweden}}
| align=center|1–1
| [[2002 FIFAワールドカップ]]
|
|-
| align=center|70
| 11月20日
| [[埼玉スタジアム2002]]
| {{fb|Japan}}
| align=center|2–0
| 親善試合
|
|-
|colspan=7 align=center|'''2003'''
|-
| align=center|71
| 2月12日
| [[アムステルダム]]
| {{fb|Netherlands}}
| align=center|0–1
| 親善試合
|
|-
| align=center|72
| 6月8日
| [[長居陸上競技場]]
| {{fb|Japan}}
| align=center|4–1
| 親善試合
| align=center|'''1'''
|-
| align=center|73
| 6月11日
| [[ソウル]]
| {{fb|South Korea}}
| align=center|1–1
| 親善試合
|
|-
| align=center|74
|7月16日
| [[ラ・プラタ]]
| {{fb|Uruguay}}
| align=center|2–2
| 親善試合
|
|-
| align=center|75
| 9月6日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Chile}}
| align=center|2–2
| [[2006 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
| align=center|76
| 9月9日
| [[カラカス]]
| {{fb|Venezuela|1930}}
| align=center|3–0
| [[2006 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
| align=center|77
| 11月15日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Bolivia}}
| align=center|3–0
| [[2006 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
| align=center|78
| 11月19日
| [[バランキージャ]]
| {{fb|Colombia}}
| align=center|1–1
| [[2006 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
|colspan=7 align=center|'''2004'''
|-
| align=center|79
| 4月28日
| [[カサブランカ]]
| {{fb|Morocco}}
| align=center|1–0
| 親善試合
|
|-
| align=center|80
| 6月2日
| [[ベロ・オリゾンテ]]
| {{fb|Brazil}}
| align=center|1–3
| [[2006 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
| align=center|81
| 6月27日
| [[マイアミ]]
| {{fb|Colombia}}
| align=center|0–2
| 親善試合
|
|-
| align=center|82
| 6月30日
| [[イーストラザフォード]]
| {{fb|Peru}}
| align=center|2–1
| 親善試合
|
|-
| align=center|83
| 7月7日
| [[チクラーヨ]]
| {{fb|Ecuador}}
| align=center|6–1
| [[コパ・アメリカ2004]]
|
|-
| align=center|84
| 7月10日
| [[チクラーヨ]]
| {{fb|Mexico}}
| align=center|0–1
| [[コパ・アメリカ2004]]
|
|-
| align=center|85
| 7月13日
| [[ピウラ]]
| {{fb|Uruguay}}
| align=center|4–2
| [[コパ・アメリカ2004]]
|
|-
| align=center|86
| 7月17日
| [[チクラーヨ]]
| {{fb|Peru}}
| align=center|1–0
| [[コパ・アメリカ2004]]
|
|-
| align=center|87
| 7月20日
| [[リマ]]
| {{fb|Colombia}}
| align=center|3–0
| [[コパ・アメリカ2004]]
|
|-
| align=center|88
| 7月25日
| [[リマ]]
| {{fb|Brazil}}
| align=center|2–2
| [[コパ・アメリカ2004]]決勝
|
|-
| align=center|89
| 9月4日
| [[リマ]]
| {{fb|Peru}}
| align=center|3–1
| [[2006 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
| align=center|90
| 10月9日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Uruguay}}
| align=center|4–2
| [[2006 FIFAワールドカップ・南米予選]]
| align=center|'''1'''
|-
| align=center|91
| 10月13日
| [[サンティアゴ・デ・チレ]]
| {{fb|Chile}}
| align=center|0–0
| [[2006 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
| align=center|92
| 11月17日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Venezuela|1930}}
| align=center|3–2
| [[2006 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
|colspan=7 align=center|'''2005'''
|-
| align=center|93
| 2月9日
| [[デュッセルドルフ]]
| {{fb|Germany}}
| align=center|2–2
| 親善試合
|
|-
| align=center|94
| 3月30日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Colombia}}
| align=center|1–0
| [[2006 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
| align=center|95
| 6月4日
| [[キト]]
| {{fb|Ecuador}}
| align=center|0–2
| [[2006 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
| align=center|96
| 6月8日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Brazil}}
| align=center|3–1
| [[2006 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
| align=center|97
| 6月15日
| [[ケルン]]
| {{fb|Tunisia}}
| align=center|2–1
| [[FIFAコンフェデレーションズカップ2005]]
|
|-
| align=center|98
| 6月18日
| [[ニュルンベルク]]
| {{fb|Australia}}
| align=center|4–2
| [[FIFAコンフェデレーションズカップ2005]]
|
|-
| align=center|99
| 6月21日
| [[ニュルンベルク]]
| {{fb|Germany}}
| align=center|2–2
| [[FIFAコンフェデレーションズカップ2005]]
|
|-
| align=center|100
| 6月26日
| [[ハノーファー]]
| {{fb|Mexico}}
| align=center|1–1
| [[FIFAコンフェデレーションズカップ2005]]
|
|-
| align=center|101
| 6月29日
| [[フランクフルト]]
| {{fb|Brazil}}
| align=center|1–4
| [[FIFAコンフェデレーションズカップ2005]]決勝
|
|-
| align=center|102
| 11月12日
| [[ジュネーヴ]]
| {{fb|England}}
| align=center|2–3
| 親善試合
|
|-
|colspan=7 align=center|'''2007'''
|-
| align=center|103
| 2月7日
| [[パリ]]
| {{fb|France}}
| align=center|1–0
| 親善試合
|
|-
| align=center|104
| 6月2日
| [[バーゼル]]
| {{fb|Switzerland}}
| align=center|1–1
| 親善試合
|
|-
| align=center|105
| 6月5日
| [[バルセロナ]]
| {{fb|Algeria}}
| align=center|4–3
| 親善試合
|
|-
| align=center|106
| 6月28日
| [[マラカイボ]]
| {{fb|United States}}
| align=center|4–1
| [[コパ・アメリカ2007]]
|
|-
| align=center|107
| 7月2日
| [[マラカイボ]]
| {{fb|Colombia}}
| align=center|4–2
| [[コパ・アメリカ2007]]
|
|-
| align=center|108
| 7月5日
| [[バルキシメト]]
| {{fb|Paraguay}}
| align=center|1–0
| [[コパ・アメリカ2007]]
|
|-
| align=center|109
| 7月8日
| [[バルキシメト]]
| {{fb|Peru}}
| align=center|4–0
| [[コパ・アメリカ2007]]
|
|-
| align=center|110
| 7月11日
| [[プエルト・オルダス]]
| {{fb|Mexico}}
| align=center|3–0
| [[コパ・アメリカ2007]]
|
|-
| align=center|111
| 7月15日
| [[マラカイボ]]
| {{fb|Brazil}}
| align=center|0–3
| [[コパ・アメリカ2007]]決勝
|
|-
| align=center|112
| 8月22日
| [[オスロ]]
| {{fb|Norway}}
| align=center|1–2
| 親善試合
|
|-
| align=center|113
| 9月11日
| [[メルボルン]]
| {{fb|Australia}}
| align=center|1–0
| 親善試合
|
|-
| align=center|114
| 10月13日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Chile}}
| align=center|2–0
| [[2010 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
| align=center|115
| 10月16日
| [[マラカイボ]]
| {{fb|Venezuela}}
| align=center|2–0
| [[2010 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
| align=center|116
| 11月17日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Bolivia}}
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| [[2010 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
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| 11月20日
| [[ボゴタ]]
| {{fb|Colombia}}
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| [[2010 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
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|-
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| 3月26日
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| 6月15日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Ecuador}}
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| [[2010 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
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| [[ベロ・オリゾンテ]]
| {{fb|Brazil}}
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| [[2010 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
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| 8月20日
| [[ミンスク]]
| {{fb|Belarus}}
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| 親善試合
|
|-
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| 9月6日
| [[ブエノスアイレス]]
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| [[2010 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
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| 9月10日
| [[リマ]]
| {{fb|Peru}}
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| [[2010 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
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| 10月11日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Uruguay}}
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| [[2010 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
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|10月15日
| [[サンティアゴ・デ・チレ]]
| {{fb|Chile}}
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| [[2010 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
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| 11月19日
| [[グラスゴー]]
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| 親善試合
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|-
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|-
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| 2月11日
| [[マルセイユ]]
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| 親善試合
|
|-
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| 3月28日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Venezuela}}
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| [[2010 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
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| 4月1日
| [[ラパス]]
| {{fb|Bolivia}}
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| [[2010 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
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| 6月6日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Colombia}}
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| [[2010 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
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| 6月10日
| [[キト]]
| {{fb|Ecuador}}
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| [[2010 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
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| 8月12日
| [[モスクワ]]
| {{fb|Russia}}
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| 親善試合
|
|-
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| 9月5日
| [[ロサリオ]]
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| [[2010 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
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| 9月9日
| [[アスンシオン]]
| {{fb|Paraguay}}
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| [[2010 FIFAワールドカップ・南米予選]]
|
|-
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|-
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| 9月7日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Spain}}
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|
|-
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| 11月17日
| [[ドーハ]]
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|
|-
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|-
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| 2月9日
| [[ジュネーヴ]]
| {{fb|Portugal}}
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| 親善試合
|
|-
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| 3月26日
| [[イーストラザフォード]]
| {{fb|United States}}
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| 親善試合
|
|-
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| 6月20日
| [[ブエノスアイレス]]
| {{fb|Albania}}
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| 親善試合
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|-
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| 7月1日
| [[ラ・プラタ]]
| {{fb|Bolivia}}
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| [[コパ・アメリカ2011]]
|
|-
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| 7月6日
| [[サンタ・フェ]]
| {{fb|Colombia}}
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| [[コパ・アメリカ2011]]
|
|-
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| 7月11日
| [[コルドバ (アルゼンチン)|コルドバ]]
| {{fb|Costa Rica}}
| align=center|3–0
| [[コパ・アメリカ2011]]
|
|-
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| 7月16日
| [[サンタ・フェ]]
| {{fb|Uruguay}}
| align=center|1–1
| [[コパ・アメリカ2011]]
|
|-
|}


==タイトル==
== 脚注 ==
{{Commonscat|Javier Zanetti}}
*セリエA(2005-06、2006-07、2007-08、2008-09、2009-10)
{{Reflist}}
*コッパ・イタリア(2004-05、2005-06、2009-10)
*イタリアスーパーカップ(2005、2006、2008、2010)
*UEFAカップ(1997-98)
*UEFAチャンピオンズリーグ(2009-10)
*FIFAクラブワールドカップ(2010)


==所属ラブ==
== 外部リン ==
*[http://www.javierzanetti.com 公式サイト]
*1992-1993 {{flagicon|ARG}} [[CAタジェレス]]
*[http://www.futbolpunto.com/jugadores/Javier-Adelmar-Zanetti Profile at FutbolPunto with maps and graphs]
*1993-1995 {{flagicon|ARG}} [[CAバンフィエルド]] 
*[http://www.bdfa.com.ar/jugador2.asp?codigo=2605 Javier Zanetti profile al bdfa.com.ar]
*1995-   {{flagicon|ITA}}[[インテルナツィオナーレ・ミラノ|インテル]] 
*[http://www.footballdatabase.com/index.php?page=player&Id=908&b=true&pn=Javier_Adelmar_Zanetti Javier Zanetti] profile, detailed club and national team statistics, honours (palmares) and timeline

*[http://www.inter.it/aas/squadra/player1?codgioc=G0683&L=en&STAG=2005/06/ Player profile at Inter Milan's official website] – inter.it
== 出典・脚注 ==
*[http://www.afa.uolsinectis.com.ar/Seleccion_Nacional/Mayores/Equipos/Jugadores.htm?Op=101&Cod_Jugador=39 Javier Zanetti's international profile] – AFA
{{Commonscat|Javier Zanetti}}
*[http://www.fundacionpupi.org Official site of the '''PUPI Foundation'''] – FundacionPUPI.org, founded by Javier and Paula Zanetti
<references />
*{{es icon}} [http://www.soydebanfield.com.ar/tgg_fana_029.shtml Banfield Interview]


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[[Category:アルゼンチンのサッカー選手]]
[[Category:アルゼンチンのサッカー選手]]

2013年5月2日 (木) 07:14時点における版

ハビエル・サネッティ
名前
本名 ハビエル・アデマール・サネッティ
愛称 El Pupi(プピ、男の子),
El Tractor(トラクトル、トラクター,
Il Capitano(カピターノ、キャプテンの中のキャプテン)
ラテン文字 Javier Adelmar Zanetti
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1973-08-10) 1973年8月10日(50歳)
出身地 ブエノスアイレス
身長 178cm[1]
体重 75kg
選手情報
在籍チーム イタリアの旗 インテル
ポジション DF(SB) / MF(SH, DH, CH)
背番号 4
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-1992
1992-1995
1995-
アルゼンチンの旗 CAタジェレス
アルゼンチンの旗 CAバンフィエルド
イタリアの旗 インテル
33 (1)
66 (4)
584 (12)
代表歴2
1996
1994-[2]
U-23アルゼンチン
アルゼンチンの旗 アルゼンチン
12 (0)
145 (5)
獲得メダル
サッカー
1996 アトランタ 男子
1. 国内リーグ戦に限る。2012年11月11日現在。
2. 2012年4月25日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ハビエル・アデマール・サネッティ(Javier Adelmar Zanetti, 1973年8月10日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス出身のサッカー選手アルゼンチン代表である。ポジションはディフェンダーおよびミッドフィールダー。曾祖父母がイタリア北部のフリウーリ地方出身であり、イタリアの国籍も有するイタリア系アルゼンチン人である。

1995年からインテルに在籍しており、1999年8月29日からキャプテンを務めている。2009-10シーズンにはセリエAコッパ・イタリアUEFAチャンピオンズリーグの3冠を達成。2005-06シーズンから2009-10シーズンまでセリエA5連覇全てにキャプテンとして貢献し、イル・カピターノ(Il Capitano、キャプテンの中のキャプテン)というニックネームを授かった。2010年10月20日、UEFAチャンピオンズリーグトッテナム・ホットスパーFC戦では同大会の最年長得点記録を更新した。イタリアのクラブでプレーするイタリア国外出身選手としては最多となる公式戦出場記録(750試合以上、更新中)を保持している。アルゼンチン代表としてはアトランタオリンピック、2度のFIFAワールドカップ、4度のコパ・アメリカに出場している。アルゼンチン代表最多出場記録を保持している。

アルゼンチンではエル・プピ(El Pupi)というニックネームで呼ばれ、その屈強さ、弾力性、スタミナ、右サイドバックを務めた時の攻撃性能などから、イタリアではエル・トラクトル(El Tractor、トラクター)と呼ばれる。ユーティリティ性で知られており、左右両サイドのディフェンダー・ミッドフィールダーとしてプレーできる。本来のポジションは守備的ミッドフィールダーやセントラル・ミッドフィールダーであるが、近年は右サイドハーフでプレーすることが多い[3]。アルゼンチン代表では右サイドバックを務め、攻撃と守備の双方で活躍している。

経歴

クラブ

インテルでキャプテンとしてプレーするサネッティ

アルゼンチン時代

ブエノスアイレスに生まれ、港湾区域のドック・スド地区で育った。兄の影響でサッカーを始め、13歳の時にCAインデペンディエンテの下部組織に入団したが、実力不足の評価を受けて退団。学校に行きながら煉瓦工の父親の仕事を手伝い、さらに牛乳配達や従兄弟の食料雑貨店の店番として働いたが、サッカーへの情熱も忘れなかった。1991年、当時はプリメーラB・ナシオナル(2部)のクラブだったCAタジェレスと契約し、33試合に出場して1得点した。1993年にプリメーラ・ディビシオン(1部)のCAバンフィエルドに移籍。同年には後にインテルでチームメイトとなるフリオ・クルスもバンフィエルドに加入している。20歳のサネッティは1993年9月12日のCAリーベル・プレート戦で移籍後初出場し、17日後のニューウェルズ・オールドボーイズ戦(1-1)で移籍後初得点を挙げた。傑出した活躍でサポーターの人気を得て、アルゼンチン代表にも初招集された。リーベルとボカ・ジュニアーズが獲得を狙ったが、サネッティはバンフィエルドに残留し、バンフィエルドでは通算66試合出場4得点の記録を残した。

インテル

1995年にイタリア・セリエAインテルに移籍した。同年に就任したマッシモ・モラッティ会長が獲得した最初の選手となり、同時にセバスティアン・ランベルトもインデペンディエンテからインテルに移籍している。8月27日、スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァで行われたヴィチェンツァ・カルチョ戦でデビュー。2011-12シーズン終了時点で16個のタイトルを獲得しているが、このうちの15個はキャプテンとして獲得したものである。獲得したタイトルは1個のUEFAカップ(1997-98)、4個のコッパ・イタリア(2004-05、2005-06、2009-10、2010-11)、4個のスーペルコッパ・イタリアーナ(2005、2006、2008、2010)、5個のセリエA(2005-06、2006-07、2007-08、2008-09、2009-10)、1個のUEFAチャンピオンズリーグ(2009-10)、1個のFIFAクラブワールドカップ(2010)である。2009-10シーズンにはイタリアのクラブとして初めて3冠(セリエA、コッパ・イタリア、UEFAチャンピオンズリーグ)を達成した。

1997-98シーズンにはUEFAカップで優勝。決勝のSSラツィオ戦ではペナルティエリア外からのシュートでチームの2点目を記録した。この際にラツィオに所属していたロベルト・マンチーニは後にインテルの指揮を執っている。1999年にはジュゼッペ・ベルゴミが現役引退し、サネッティがキャプテンを引き継いだ。2000年にはリーガ・エスパニョーラレアル・マドリードへの移籍を考えたが、モラッティ会長と話し合ってインテル残留を決めた[4]。2004年、国際サッカー連盟(FIFA)100周年を記念してペレが選出したFIFA 100(偉大なサッカー選手125人)に選出された。 2004-05シーズンにはコッパ・イタリアで優勝。リーグ王者のユヴェントスFCを破ってスーペルコッパ・イタリアーナのタイトルを獲得した。

2005年8月28日のトレヴィーゾFC戦で右足の筋肉を断裂し、3ヶ月の欠場を余儀なくされたが、2005-06シーズンにはコッパ・イタリアで2連覇を達成。カルチョ・スキャンダルによってユヴェントスのスクデットが剥奪され、インテルが繰り上がりでリーグタイトルを獲得した。スーペルコッパでは延長戦の末にASローマを下して2連覇を達成した。2006年9月4日には、インテルの元キャプテンであり元会長でもあったジャチント・ファッケッティが死去。その直後に行われた2006-07シーズンのセリエA開幕戦では、「貴方は人としてあるべき姿だった。いなくなって寂しいよ...さようなら ジャチント」と刺繍を施したキャプテンマークを巻いて出場した。2002年11月6日のエンポリFC戦以降は約4年に渡って得点がなかったが、2006年11月5日のアスコリ・カルチョ戦で久々に得点した[5]。同年夏にマイコンが加入すると、それまで主に右サイドバックを務めていたサネッティはサイドハーフにコンバートされたが、見事に適応してレギュラーを張り続けた[3]。9月27日、バイエルン・ミュンヘン戦でインテルでの公式戦通算500試合出場を達成した[6]。2006年11月22日、スポルティング・リスボン戦で欧州サッカー連盟(UEFA)主催大会通算100試合出場を達成した[7]。2006-07シーズンにはリーグ戦で2連覇を達成。

2007年11月24日、ジュゼッペ・メアッツァで開催されたアタランタBC戦で、セリエA通算400試合出場を達成。「400」と大書されたキャプテンマークを巻いて試合に出場した。2008年9月、昇格組のUSレッチェ戦(1-0)でインテルでの公式戦出場600試合を達成。試合後、副キャプテンのイバン・コルドバに記念皿をプレゼントされた[8]。2008年2月に行われた2位ローマとの直接対決(1-1)では、88分に同点ゴールを決めて引き分けに持ち込んだ。最終節までもつれた優勝争いを制して3連覇を達成。2007-08シーズンはチームで唯一全38試合に出場したが、イエローカードは1枚も受けなかった。2008年8月24日、ジュゼッペ・メアッツァで開催されたスーペルコッパのローマ戦はPK戦までもつれたが、最後はサネッティがPKを決め、インテルが2-2(PK 6-5)で勝利した。これはクラブ・代表通じて自身初のPKであったが、「多分、誰も知らないだろうけど、僕がPKを蹴るのは人生で初めてのことだったんだ。幸いにも、上手くいったよ」と語った。9月24日のUSレッチェ戦でインテルでの公式戦出場600試合を達成。サネッティはディフェンダーに分類されることが多いが、2008-09シーズン前半戦はエステバン・カンビアッソサリー・ムンタリなど中盤の選手に負傷者が続出したため、ジョゼ・モウリーニョ監督は10月のジェノアCFC戦やACFフィオレンティーナ戦などで、サネッティを再び中盤で起用した。これ以来、モウリーニョ監督はマイコン、ルシオワルテル・サムエルクリスティアン・キヴを4バックのレギュラーに据え、サネッティは主に中盤で起用された。同シーズンには4連覇を達成。2シーズン連続でリーグ戦全38試合に出場した。

2009-10シーズンは自身もクラブも好調なスタートを切り、特にミラノ・ダービーではライバルのACミランを4-0で粉砕した。10月17日のジェノアCFC戦(5-0)では相手のボールを奪ってカウンターの起点となり、チームの2点目に貢献[9]。同シーズンのセリエAで初めて5点差の勝利を挙げた10月24日のカルチョ・カターニア戦(2-1)はセリエA通算476試合目の出場となり、クラブ歴代2位のジャチント・ファッケッティの記録に並んだ。サネッティはまた、公式戦149試合連続出場のクラブ記録も保持している[10]。2010年3月27日、ローマ戦でイエローカードを貰い、累積警告で翌節のボローニャFC戦は出場停止となったため、リーグ戦連続出場が137試合で途絶えた[11]。4月16日、ユベントスとのイタリアダービーに出場し、インテルでのリーグ戦出場500試合を達成した[12]。セリエA最終節、スタディオ・アルテミオ・フランキで行われたACシエナ戦では、得意のドリブルからペナルティエリア内のディエゴ・ミリートへパスし、ミリートの得点が決勝点となって優勝が決定。セリエAでは5連覇を達成し、コッパ・イタリアでも優勝した。UEFAチャンピオンズリーグでも順調に勝ち上がり、決勝ではバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)を2-0で破って45年ぶりの優勝を果たした。決勝はインテルでの700試合目という節目の試合だった。キャプテンとしてビッグイヤーを掲げ、3冠を達成。

2010年夏、インテルとの契約を2013年まで延長した。37歳71日だった2010年10月20日、サン・シーロで行われたUEFAチャンピオンズリーグのトッテナム・ホットスパーFC戦(4-3)で先制点を挙げ、同大会での最年長得点記録を塗り替えた[13]。なお、この記録は後にACミランのフィリッポ・インザーギマンチェスター・ユナイテッドFCライアン・ギグスによって塗り替えられている。サネッティは同大会で2点しか挙げておらず、最初の得点は1998年12月のSKシュトゥルム・グラーツ戦(2-0)で挙げたものだった。12月には日本で開催されたFIFAクラブワールドカップ2010に出場し、準決勝の城南一和天馬戦では同大会史上最年長(37歳4ヶ月)で得点を挙げた。2011年1月19日のACチェゼーナ戦でセリエAでの出場試合数を520試合とし、ベルゴミが保持する歴代最多出場記録(519試合)を塗り替えた。5月11日、コッパ・イタリア準決勝のローマ戦セカンドレグで、プロ通算1000試合出場を達成した。2011-12シーズン、セリエAの20クラブでイタリア人以外がキャプテンを務めたのはインテルのみであった。11月20日のノヴァーラ・カルチョ戦で、ベルゴミが保持していた公式戦最多出場記録を更新した。12月3日のウディネーゼ・カルチョ戦でキャリア2度目の退場処分を受けたが、キャリア初の退場は1999年2月17日、コッパ・イタリアのパルマFC戦であり、12年以上も退場処分を受けなかった。2011-12シーズン終了時点で、17人もの監督の下でプレーしている。2012年8月23日、UEFAヨーロッパリーグ予選プレーオフ、FCヴァスルイ戦でインテルでの公式戦出場800試合を達成した。

アルゼンチン代表

アルゼンチン代表でプレーするサネッティ

1994年にアメリカで開催された1994 FIFAワールドカップ後、右サイドバックの人材を求めていたダニエル・パサレラ監督によってアルゼンチン代表に招集され、1994年11月16日のチリ戦でデビューを飾った。なお、同じ試合でロベルト・アジャラも代表デビューを飾っている。1996年にはU-23アルゼンチン代表としてアトランタオリンピックに出場し、アルゼンチンの準優勝に大きく貢献。1998年には、フランスで開催された1998 FIFAワールドカップ本大会のメンバーに選出された。決勝トーナメント1回戦のイングランド戦では、前半終了間際にフアン・セバスティアン・ベロンのフリーキックから2-2となる同点ゴールを決め、アルゼンチンはPK戦(4-3)の末にイングランドに勝利したが、準々決勝でオランダに敗れた。

2002年には日本と韓国で共催された2002 FIFAワールドカップに出場したが、マルセロ・ビエルサ監督のチームはグループ3位でグループリーグ敗退に終わった。2005年にはFIFAコンフェデレーションズカップ2005に出場し、準決勝のメキシコ戦で代表100キャップを達成。さらにこの試合ではマン・オブ・ザ・マッチに選出された[14]2006 FIFAワールドカップ・南米予選ではホセ・ペケルマン監督によって12試合に起用されたが、ドイツで開催された2006 FIFAワールドカップ本大会では、世代交代を理由にワルテル・サムエルとともに選外となったため、議論を呼んだ[15]。サネッティの代わりにはリオネル・スカローニがサプライズ選出されたが、この選出は多くのファンやメディアを困惑させた。

2006 FIFAワールドカップ後に就任したアルフィオ・バシーレ監督は、2007年2月7日のフランスとの親善試合にサネッティを招集。この代表復帰戦で見事な活躍を見せ、ハビエル・サビオラの決勝点をアシストしてバシーレ監督政権下初勝利に貢献した[16]。2007年のコパ・アメリカ2007では同大会4回目の出場を果たし、キャプテンのアジャラを補佐する副キャプテンとして準優勝に貢献。2007年4月、National Giuseppe Prisco Awardに出席した[17]。コパ・アメリカ2007終了後にアジャラが代表引退すると、キャプテンマークはサネッティに渡された。2007年11月17日に行われた2010 FIFAワールドカップ・南米予選ボリビア戦は116試合目の出場となり、アジャラが保持していたアルゼンチン代表最多出場記録(115試合)を塗り替えた[18]。2008年10月にディエゴ・マラドーナ監督が就任すると、マラドーナ監督の意向でハビエル・マスチェラーノがキャプテンに就任し[19]、サネッティではなくマンチェスター・シティFCパブロ・サバレタがレギュラーとして起用された。南アフリカで開催された2010 FIFAワールドカップ本大会ではエステバン・カンビアッソとともに選外となり、マラドーナ監督は南米だけでなくヨーロッパの識者からも強い批判を浴びた。サネッティの代わりに30歳のアリエル・ガルセがサプライズ選出されたが[20]、ガルセは過去5年間で2度しか代表に招集されたことがなく、本大会では出場機会なしに終わっている。

2010年8月20日、セルヒオ・バティスタ新監督は再びサネッティを招集し、9月7日のスペインとの親善試合で約1年ぶりの出場を果たし、世界王者相手に4-1で勝利した[21]。10月に日本の埼玉スタジアムで行われた日本との親善試合にも招集されたが、試合前に負傷離脱した[22]。2011年6月25日、母国開催となったコパ・アメリカ2011のメンバーに選出されたが、チームはグループリーグで苦戦。辛うじてグループリーグを突破したものの、準々決勝でウルグアイにPK戦の末敗れた。サネッティ自身は全4試合にフル出場している。

人物

敬虔なカトリックである。インテルでチームメイトだったウェズレイ・スナイデルとは親友であり、スナイデルはサネッティの影響でカトリックに改宗した[23]

2007年、イタリア人歌手のミーナとコラボレートして「Parole parole」という曲をスペイン語でカバーし、彼女の「Todavía」というアルバムに収録された。2012年5月、サネッティとアンジェロ・パロンボはテレビの人気番組である「インドネシアン・アイドル」(Indonesian Idol)に出演し、エロス・ラマゾッティのPiù bella cosaという曲を生演奏した[24]

家族

兄のセルヒオ・サネッティもサッカー選手であり、ディフェンダーとしてプレーした。インテルで5シーズンの間チームメイトだったイタリア人のクリスティアーノ・ザネッティ( Cristiano Zanetti)とは同姓であるが、血縁関係はない。

1999年12月23日、7年間交際した女性とアルゼンチンで結婚式を挙げた。ふたりの出会いはサネッティが19歳・妻が14歳の時であった。妻の父親は大学教師であり、妻自身はフォトグラファーとして働いている。ふたりはコモ湖の近くに住んでおり、ミラノのNavigli地区にエル・ガウチョ(El Gaucho、牧童)という名前のレストランを経営している。2005年6月11日、第1子となる長女が誕生した。2008年には第2子となる長男が誕生し、2012年5月9日には第3子となる次男が誕生した。

チャリティ活動

国際サッカー連盟(FIFA)がアルゼンチンで行っているSOS子供の村の親善大使である[25]。2001年の経済危機後、サネッティ夫妻はアルゼンチンとラテンアメリカのストリートチルドレンを助けるためにPUPI財団を設立した[26]。インテルでチームメイトのエステバン・カンビアッソとともに、「Leoni di Potrero」(空き地の獅子)という少年サッカースクールを企画運営している[27]

所属クラブ

タイトル

憂鬱そうな表情のサネッティ

クラブ

  • インテル
セリエA (5) : 2005-06, 2006-07, 2007-08, 2008-09, 2009-10
コッパ・イタリア (4) : 2004-05, 2005-06, 2009-10, 2010-11
スーペルコッパ・イタリアーナ (4) : 2005, 2006, 2008, 2010
UEFAカップ (1) : 1997-98
UEFAチャンピオンズリーグ (1) : 2009-10
FIFAクラブワールドカップ (1) : 2010

個人

個人成績

クラブでの出場記録

2012年11月3日
クラブ シーズン 国内リーグ 国内カップ 国際カップ1 その他2 通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
CAタジェレス 1992–93 33 1 33 1
通算 33 1 33 1
CAバンフィエルド 1993–94 37 1 37 1
1994–95 29 3 29 3
通算 66 4 66 4
インテル 1995–96 32 2 5 0 2 0 39 2
1996–97 33 3 5 1 12 0 50 4
1997–98 28 0 4 0 9 2 41 2
1998–99 34 3 5 0 9 1 2 0 50 4
1999–00 34 1 8 1 1 0 43 2
2000–01 29 0 1 0 4 0 34 0
2001–02 33 0 1 1 10 1 44 2
2002–03 34 1 1 0 18 0 53 1
2003–04 34 0 5 0 12 0 51 0
2004–05 35 0 3 0 11 0 49 0
2005–06 25 0 5 0 8 0 1 0 39 0
2006–07 37 1 4 0 8 0 1 0 50 1
2007–08 38 1 4 0 8 0 1 0 51 1
2008–09 38 0 4 0 8 0 1 0 51 0
2009–10 37 0 4 0 13 0 1 0 55 0
2010–11 35 0 5 0 8 1 4 1 52 2
2011–12 34 0 2 0 8 0 1 0 45 0
2012–13 10 0 0 0 6 0 0 0 16 0
通算 580 12 66 3 154 5 13 1 813 21
キャリア通算 679 17 66 3 154 5 13 1 912 26

1UEFAチャンピオンズリーグUEFAヨーロッパリーグ
2セリエAプレーオフ、スーペルコッパ・イタリアーナUEFAスーパーカップFIFAクラブワールドカップ

代表での年別記録

[29][30]


アルゼンチン代表国際Aマッチ
出場得点
1994 3 0
1995 15 1
1996 6 0
1997 4 0
1998 9 2
1999 11 0
2000 7 0
2001 9 0
2002 6 0
2003 8 1
2004 14 1
2005 10 0
2006 0 0
2007 15 0
2008 11 0
2009 8 0
2010 2 0
2011 7 0
通算 145 5

代表での出場試合と得点

アルゼンチンの得点を左側に示している

脚注

  1. ^ Javier Adelmar Zanetti”. goal.com. 2012年1月30日閲覧。
  2. ^ “Javier Adelmar Zanetti - Century of International Appearances” (英語). RSSSF. http://www.rsssf.com/miscellaneous/zanetti-intl.html 
  3. ^ a b tactical Formations”. Football-Lineups.com. 2007年1月25日閲覧。
  4. ^ サネッティ:「マドリー移籍に迫ったことがある」 Goal.com 2010年3月3日
  5. ^ Match Formations”. Football-Lineups.com. 2007年1月17日閲覧。
  6. ^ Zanetti completes 500 matches with Inter”. 2012年12月5日閲覧。
  7. ^ tactical Formations”. Football-Lineups.com. 2007年1月17日閲覧。
  8. ^ Inter and Zanetti: 600 times together
  9. ^ Stanković stunner as Inter cruise
  10. ^ “South American Dispatch: Javier Zanetti Tempted Home From Italy By Banfield”. www.goal.com. (2009年12月16日). http://goal.com/en/news/60/south-america/2009/12/16/1689931/south-american-dispatch-javier-zanetti-tempted-home-from 2009年12月18日閲覧。 
  11. ^ サネッティ、連続出場記録がストップへ Livedoorスポーツ 2010年3月28日
  12. ^ Goal.com 500試合出場を喜ぶサネッティ 2010年4月17日
  13. ^ Inter Milan 4 Tottenham 3”. BBC Sport (2010年10月20日). 2010年10月20日閲覧。
  14. ^ “Centurion Zanetti celebrates in style”. FIFA.com . (26 June 200). http://www.fifa.com/confederationcup/news/newsid=27258.html 2007年6月26日閲覧。 
  15. ^ “World Cup snub for Zanetti ”. Skysports.com . (15 May 2006 ). http://home.skysports.com/worldcup/article.aspx?hlid=387534&plid=7321&clid=632&cpid=4  2007年7月11日閲覧。 
  16. ^ "Saviola sinks Les Bleus in Paris" Yahoo sports
  17. ^ "Premio Prisco: i vincitori della V edizione" (イタリア語)
  18. ^ "No stopping record-breaker Zanetti" UEFA.com
  19. ^ Mascherano accepts captaincy offer FIFA.com
  20. ^ Ariel Garce matches
  21. ^ Argentina: Batistuta and Zanetti, winning at home for their respective records | Soccer News -Soccer Team - Soccer player | Football News @ Goaledor.Com
  22. ^ Pupi no, ¿y Milito?
  23. ^ Dutch soccer player who scored winning goal against Brazil is Catholic convert :: Catholic News Agency (CNA)
  24. ^ “Watch Javier Zanetti singing on Indonesian Idol”. inside World Soccer. (2012年5月27日). http://www.insideworldsoccer.com/2012/05/javier-zanetti-sings-indonesian-idol.html 
  25. ^ “J.ZANETTI NEW FIFA AMBASSADOR FOR SOS”. Inter.it. (2006年5月4日). http://www.inter.it./aas/news/reader?N=22868&L=en 2007年6月7日閲覧。 
  26. ^ Funducion PUPI
  27. ^ “Cambiasso, Zanetti: "Only Inter counts"”. Inter.it. (2007年9月14日). http://www.inter.it/aas/news/reader?N=27374&L=en&IDINI=27384 2007年10月10日閲覧。 
  28. ^ “Pelé names his top 100 players”. Skysports.com. (2004年3月4日). http://home.skysports.com/list.aspx?hlid=189225&plid=7321&clid=&cpid=219 2007年7月11日閲覧。 
  29. ^ :: National Football Teams ::.. Player - Javier Zanetti
  30. ^ Javier Adelmar Zanetti – International Appearances

外部リンク