チクラーヨ

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チクラーヨ
Chiclayo
ペルーの旗
チクラーヨの風景
チクラーヨの風景
チクラーヨの市旗 チクラーヨの市章
市旗 市章
位置
チクラーヨの位置(ペルー内)
チクラーヨ
チクラーヨ
チクラーヨ (ペルー)
チクラーヨの位置(南アメリカ内)
チクラーヨ
チクラーヨ
チクラーヨ (南アメリカ)
座標 : 南緯6度45分46.6秒 西経79度50分11.81秒 / 南緯6.762944度 西経79.8366139度 / -6.762944; -79.8366139
歴史
建設 16世紀
行政
ペルーの旗 ペルー
 県(Region) ランバイエケ県
 郡(Province) チクラーヨ郡
 (District) チクラーヨ
 市 チクラーヨ
市長 Roberto Torres Gonzales
地理
面積  
  市域 ? km2
標高 27 m
人口
人口 (2021年現在)
  市域 645,366人
  備考 [1]
その他
等時帯 UTC-5 (UTC-5)
夏時間 なし
郵便番号 074
公式ウェブサイト : http://www.gobiernochiclayo.gob.pe/

チクラーヨ(Chiclayo)は、ペルー北西部の太平洋岸の商業都市。人口は64万5366人(2021年)。ランバイエケ県の県都である。急激に近代化が進んでいる。

歴史[編集]

モチェ文化の終わり頃の西暦700頃〜1375年に、モチェ文化の伝統や多くの知識を吸収したランバイエケ文化(シカン文化)が存在し、現在のランバイエケ県にあたるエリアを占めていた。現在のチクラーヨは、ランバイエケ文化圏の一部であった。ランバイエケ文化の最盛期である西暦900年〜1100年頃には、ペルーの海岸地帯全体にその影響を及ぼした。 ランバイケ文化は、建築、宝飾などの点で、モチェ文化を凌ぐものであった。 16世紀初頭、チクラーヨには2つの民族Cinto及びColliqueが居住していた。彼らの族長は、フランシスコ会修道院に土地を寄贈することを決定し、修道院が建設された。修道院の建設時に、チクラーヨの街が建設された。 リマアレキバなどの他のペルーの主要植民都市とは違い、チクラーヨには、スペイン人植民者よりも先住民が多く住んでいた。 1835年4月15日に市となった。 1987年 南東30km離れた郊外のシパンモチェ文化の王墓が発見される。

姉妹都市・提携都市[編集]

スポーツ[編集]

観光[編集]

脚注[編集]

  1. ^ peru cities population.php”. 2023年5月18日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]