敦賀駅
敦賀駅 | |
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駅舎(2008年10月18日) | |
つるが Tsuruga | |
所在地 | 福井県敦賀市鉄輪町一丁目1-24 |
所属事業者 |
西日本旅客鉄道(JR西日本) 日本貨物鉄道(JR貨物) |
電報略号 | ツル |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 3面7線 |
乗車人員 -統計年度- |
3,386人/日(降車客含まず) -2013年- |
開業年月日 | 1882年(明治15年)3月10日 |
乗入路線 3* 路線 | |
所属路線 |
北陸本線 ( 湖西線直通含む) |
キロ程 | 45.9 km(米原起点) |
◄新疋田 (6.7 km) (16.6 km) 南今庄**► | |
所属路線 | 北陸本線貨物支線(敦賀港線) |
キロ程 | 0.0 km(敦賀起点) |
(2.7 km) 敦賀港► | |
所属路線 | ■小浜線 |
キロ程 | 0.0 km(敦賀起点) |
◄西敦賀 (3.3 km) | |
備考 |
直営駅 みどりの窓口 有 |
敦賀駅(つるがえき)は、福井県敦賀市鉄輪(かなわ)町一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅である。
概要
日本海側の港町として栄えた敦賀市の中心駅である。駅前には都奴賀阿羅斯等(つぬがあらしと)の銅像、駅前通りには港町に因みヤマトよ永遠におよび、鉄道の町ということで銀河鉄道999の銅像がそれぞれ設置されている。
北陸本線を所属線[1]としており、当駅が起点となる小浜線を含めた2路線が乗り入れている。また、2つ隣の近江塩津駅から分岐する湖西線の列車も多数直通しているが、湖西線列車には近江塩津駅を通過する列車も多く、当駅が実質的な湖西線への乗換駅の機能を持っている。列車も湖西線経由と案内される。また、日中の北陸本線米原駅方面の普通列車(新快速を含む)は近江塩津駅発着のため、一旦湖西線経由の列車を利用して近江塩津駅で乗り換える必要がある。
このほか、当駅からは敦賀港駅へ通じる北陸本線貨物支線(通称「敦賀港線」)が分岐している。この支線はJR貨物の第一種鉄道事業路線であるが、2009年3月いっぱいで貨物列車の設定がなくなったため、事実上休線となっている。なお、JR貨物は北陸本線(本線部)の第二種鉄道事業免許を有している。
北陸本線有数の難所である柳ケ瀬越え、杉津越えに南北を挟まれた駅であり、その歴史的背景から広大な敷地を有する。駅構内の東側には敦賀第一機関区と客貨車区が、また敦賀電化時には駅南側に敦賀第二機関区が設けられ、峠越えに備えた重装備のD51形機関車が多数配置され、機関車の交換やローカル列車の仕立てが多数行われていた。長時間停車の列車も多く、乗客がホームに出て休む姿も多かった。昭和30年代に入り近代化が行われ、「鳩原ループ線」および深坂トンネル・北陸トンネル建設による新線切り換え・複線化と交流電化が行われ輸送力の強化が図られた。現在は長距離列車の大半が交直流電車を使用する優等列車への置き換えられ、2015年3月13日の上り臨時寝台特急「トワイライトエクスプレス」を最後に、長時間停車する列車はなくなった。さらに、国鉄時代には特急列車も含めて当駅には全列車が停車していたが、民営化後は福井・金沢・富山方面への速達性を高める観点から、当駅を通過する列車も設定された。
その後、電車化や貨物列車削減および民営化によって敦賀第一機関区は廃止、旧敦賀第二機関区はJR西日本の敦賀運転所となり、さらに組織変更が行われ福井地域鉄道部敦賀運転派出を経て、現在は敦賀地域鉄道部敦賀運転センター車両管理室となっている。交流電気機関車の営業用第一号となったED70 1号機は敦賀第二機関区に配置され、使用停止後も永らく敦賀運転所内に保管されていた(現在は長浜鉄道スクエアにて屋内展示)。なお敦賀地域鉄道部は、北陸本線の新疋田駅と小浜線の各中間駅を管理下に置いている。
一方、貨物列車の中継としての機能もあった。前述の通称「敦賀港線」への貨物列車や専用線発着の私有タンク車による硫酸輸送等もあったが、現在は貨車継走はなく、旧機関区や側線群が整理され大きな未使用地になっている。なお、この場所は島式ホーム2面4線を持つ高架駅として計画されている北陸新幹線の駅用地などとして利用する構想がある。
交流電化は当時最新の技術であったが、その後は直流区間への高価な交直流電車のやりくりができないなどのデメリットも出てきた。そのため、地域活性化の起爆剤として大部分の費用を地元自治体の負担により2006年に当駅以南の直流化を実施し、当駅まで新快速をはじめとする直流電車が乗り入れてくるようになった。新快速は湖西線経由の場合は近江舞子駅、米原駅経由の場合は彦根駅まで各駅に停車するが、案内放送や時刻表には「新快速 xxまで各停」と案内・表記している。またICOCAなどの各種乗車カードは利用できず、改札内の通路にはその旨を記した看板が掲げられている。
歴史
- 1882年(明治15年)3月10日:官設鉄道の洞道口駅(後の洞道西口駅)から敦賀駅間(のちに北陸本線を経て柳ヶ瀬線となる区間)と敦賀駅から金ヶ崎駅(現 敦賀港駅)間(現在の敦賀港線)開業により、一般駅として設置される。
- 1895年(明治28年)4月1日:線路名称が制定され、東海道線の所属となる。
- 1896年(明治29年)7月15日:北陸線として敦賀駅から福井駅間が開業する。
- 1897年(明治30年)9月20日:東海道線の敦賀駅から金ヶ崎駅間の旅客営業が廃止される。
- 1902年(明治35年)11月1日:線路名称が改定され、東海道線の米原駅 - 敦賀駅 - 金ヶ崎駅間が北陸線に編入される。
- 1909年(明治42年)
- 1910年(明治43年):2代目駅舎が完成。
- 1917年(大正6年)12月15日:小浜線が十村駅まで開業する。
- 1919年(大正8年)1月11日:北陸本線の敦賀駅から敦賀港駅間の旅客営業が再開される。
- 1945年(昭和20年):敦賀空襲で2代目駅舎を焼失する。バラックによる3代目駅舎を建設する。
- 1951年(昭和26年)3月:4代目の現駅舎が完成する。
- 1957年(昭和32年)10月1日:北陸本線の木ノ本駅 - 近江塩津駅 - 敦賀駅間の新線が単線開業および交流電化され、旧線は柳ヶ瀬線となる。
- 1962年(昭和37年)6月10日:敦賀駅から今庄駅間に北陸トンネルが開通し、当該区間の新線切り替えに伴い交流電化、複線化される。
- 1963年(昭和38年)9月30日:鳩原ループ線が開通し、新疋田駅から敦賀駅間が複線化される。柳ヶ瀬線の敦賀駅疋田駅間が休止される。
- 1964年(昭和39年)5月11日:休止中の柳ヶ瀬線が廃止される。
- 1986年(昭和61年)11月1日:荷物の取扱を廃止する。
- 1987年(昭和62年)
- 1997年(平成9年)3月22日:定期貨物列車の設定が無くなる。
- 2003年(平成15年)
- 2006年(平成18年)
- 2010年(平成22年)10月22日:仮駅舎の供用を開始する。
- 2014年(平成26年)4月5日:敦賀駅交流施設オルパーク供用開始[2]。
北陸本線・湖西線直流化工事
北陸本線の長浜駅と当駅までと、湖西線の永原駅と近江塩津駅までの直流電化への変更が滋賀県と福井県が主導となって決まり、2003年4月に工事協定を結び、同年10月26日に着工した。工事は2006年9月23日深夜から9月24日未明にかけて行われた電気設備切替工事をもって完了し、同年10月21日から京阪神方面との新快速をはじめとする直流電車の直通運転が始まった。これにより、朝8時台の福井行き1本以外の普通列車は、当駅で系統が分断された。
従来は、北陸本線長浜駅 - 虎姫駅間と湖西線永原駅 - 近江塩津駅間にあったデッドセクションが、当駅北3.9km地点(北陸トンネル敦賀側坑口から200m)に移設された。
ちなみにこの直流電化事業は、2003年完成の小浜線電化事業、計画中の琵琶湖若狭湾快速鉄道(リゾートライン)計画と共に「嶺南鉄道三点セット」と呼ばれている。
また敦賀市都市計画マスタープランによると、北陸新幹線敦賀駅駅舎整備事業と平行して現在工場と農地が広がる木の芽川右岸を開発、中高層の高度利用も考慮した住宅地および商業地を整備する計画が存在するようだが、具体化に至っていない。
駅舎改築計画とその後
完成から50年以上が経過し、一部で老朽化が進む駅舎について、バリアフリー化もあわせた改良が検討されてきたが、駅のホームが比較的軟らかい地盤の上にあることからエスカレータやエレベーターの設置が難しく、目に見える形で進んでいなかった。しかし、2009年から2010年にかけて敦賀市が事業主体となって駅舎改築が検討されていることが明らかになった。概要は以下の通り[3]。
- 駅舎を3階建てに改築し、改札口を3階に移動。跨線橋で各ホームにアクセス
- 駅舎は2代目駅舎(1910年落成、1945年7月12日の敦賀空襲で焼失)をモチーフにしたデザインを中心に検討中[4]。
- バリアフリー化は駅舎1階 - 3階と跨線橋 - 各ホームにエレベータを設置する事で実現。
- 駅舎を現地から30mほど南に移動(概ね市営駐車場の東側の位置)。
しかし、2007年末頃から北陸新幹線の敦賀駅延伸を考慮し、「新幹線の状況が決まらない以上、駅舎改築には同意できない」とJR西日本が表明し、駅舎改築計画は事実上凍結された。その後、現駅舎を大規模リニューアルする案が浮上、2008年11月25日に開かれた「敦賀駅周辺整備構想策定委員会」でその方針が明らかとなった。概要は以下のとおりである[5]。
- 中2階を新設、トイレを増設し、待合室を拡張。観光案内所も拡充へ。
- 一部は中2階までの吹き抜け構造に。床面積は約1.5倍の1330平方メートルとなる。
- 外観デザインは当初3案が存在。これに加え、先の改築計画でまとまった2代目駅舎をモチーフとした案を追加した。
- JR西日本のバリアフリー化工事は、幅4mの跨線橋を新設した上で各ホームとの間にはエレベータと上りエスカレータを新設。
- 駅舎のうち、駅長室がある部分は現状のままとする。
費用は約6 - 8億円と見込まれ、2009年度当初予算へ盛り込んでJR西日本が2009年度に着手するバリアフリー化工事と同時着手、2年の工期をめどに同時完成を目指すとしていた。その後、駅舎デザインに関して市民からの提案があり計画は少々延期されたものの、2010年5月頃から仮駅舎を建設、10月22日に仮駅舎の供用を開始した。旧駅舎(待合室辺り)は解体された後、敦賀市が2013年の完成予定で建設する[6]。 2014年4月5日 敦賀駅交流施設オルパークが供用を開始した。
なお、これらのバリアフリー設備については2012年12月16日に供用開始された[7]。
駅構造
島式ホーム3面6線と切り欠きホーム1線、合計3面7線のホームを有する地上駅。駅舎は構内の西側にある。1・2番のりばには小浜線、3 - 7番のりばには北陸本線の列車が発着する。
4番のりばは、5番のりばの新疋田方を切り欠いてあるため、ホームの階段からさらに150mほど離れている。構造上は小浜線列車の発着も可能である。北陸本線の下り本線は3番のりば、上り本線は6番のりばであり、どちらも主に特急列車が使用している。小浜線の本線は1番のりばである。また、2番のりばは「小浜1番線」、4番のりばは「中1番線」、5番のりばは「中2番線」、7番のりばは「上り1番線」として扱われている。
2006年9月24日に構内全域の電化方式が交流から直流に変更された。同年10月21日より、3番のりばの向かい側(旧4番のりば)が5番のりばに、切り欠きホーム(旧5番のりば)が4番のりばに変更された。
ホームは改札口やコンコースより高い位置に設けられている。その構造であるがゆえにホームの周囲(特に東側)に風を遮るものがなく、特に冬は寒風に晒されるという難点もある。
各ホームともカーブ状の線形に位置している。また、列車の通過速度は制限がかけられており、比較的速度を落とす。また、一部の特急電車は当駅でパンタグラフの昇降を行うほか、一部列車では乗務員の交代がある。当駅を通過する列車でも冬期に着氷の点検を行うときには運転停車を行い、ホームに待機している作業員が車両を点検、氷を落として発車する。客扱いを行う列車は乗降中に点検を行う。
小浜線が電化するまでは金沢・富山方面へ向かう特急列車が2番のりばに到着し小浜線と同一ホームで乗換えができたが、電化工事が始まった2002年から、2番のりばを直流電化にするため、3番のりば発着になった。そのため、主に旧4番(現5番)のりばに発着していた上り特急列車も6番のりば停車に変更されている(ただし、当駅で機関車交換を行う上り寝台特急列車は現在も5番のりばに停車)。
実際にホームの嵩上げが行われているのは、1・2・4番のりばのみであり、新快速も乗り入れ当初は4番のりば折り返しをメインにしていたが、現在は5番のりば折り返しの新快速が増えたため、福井方面の列車との乗り換えの利便性が高まった。
旅客駅としてはJR西日本敦賀地域鉄道部の直営駅であり、みどりの窓口が設置されている。
のりば
のりば | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1・2 | ■小浜線 | 小浜・東舞鶴方面 | ||
3 | ■北陸本線 | 下り | 福井・金沢方面 | 特急・普通 |
4 | 北陸本線・ 湖西線 | 上り | 大阪・米原方面 | 新快速・普通 |
5 | ■北陸本線 | 下り | 福井・金沢方面 | 主に普通 |
北陸本線・ 湖西線 | 上り | 大阪・米原方面 | 新快速・普通 | |
6 | 特急 | |||
7 | 新快速・普通 | |||
■北陸本線 | 下り | 福井・金沢方面 | 一部の普通 |
- 当駅から近江塩津方は近畿エリアの路線記号の適用対象であるが、当駅は金沢支社管内に含まれている関係で、2015年3月14日改正時点でも構内の旅客案内に路線記号は取り入れられていない。
- 北陸本線上り方面からは1-5番のりばに、北陸本線下り方面からは5-7番のりばに、小浜線からは1・2・4・5番のりばに入線できる(ただし、4・5番のりばからの小浜線定期列車の停車設定はない)。
- 普通列車は時間帯によって停車するのりばに違いがある。新快速で4番のりば以外に停車するものがあり、福井方面からやってくる当駅止まりの列車の場合、時間帯によって7番のりばに到着するものもあれば5番のりばに到着する列車もある。このため、当駅止まりの上り列車から後続の上り特急列車に乗り換えようとする場合、前者は対面乗り換えが可能だが、後者は6番のりばへ回る必要がある。
- 小浜線の列車は主として1番のりばからの発車である。2番のりば発の定期列車は1本あるかないかという程度であり、到着後入庫する列車の降車用として使用されることが多い。
- 敦賀地域鉄道部敦賀運転センター車両管理室から小浜線ホームには直接入ることはできない。このため一度4番のりばに入線後、転線する必要がある。また、イベントなどで小浜線へ直通運転がある場合、4番のりばなど小浜線のホーム以外に入線することがある。
ダイヤ
日中は北陸本線は特急が「サンダーバード」(一部の列車は通過)・「しらさぎ」とも毎時1本停車する。福井方面の普通列車・姫路方面の新快速とも毎時1本停車し、折り返していく。朝晩には米原駅に行く列車や6時11分発の快速列車がある。
敦賀駅交流施設オルパーク
駅舎の隣接地には、敦賀市が整備した交流施設「オルパーク」が所在する。
敦賀市が整備する形で2014年(平成26年)4月5日に開館した施設で[2]、駅機能の一部を補完し、且つ公民館の機能を持たせた交流施設として整備され、敦賀市が所有し、敦賀駅交流施設管理運営共同企業体(エコシステム、南洋ビルサービスによる企業体)が指定管理者として運営管理を行っている。東京大学教授で建築家の千葉学が設計し、1909年(明治42年)頃に建設された2代目駅舎のシルエットを基に「『過去と未来』が交わる創造的な空間」を原案としてデザインされた[8][9]。愛称は一般公募から選定により決定したもので、「オル」は「人が集まって居る(おる)」とヘブライ語で「絆」を表す「ol」を表しており、「市民と来訪者が絆を深め、賑わいを生み出す」という理念が込められている[10]。
1階には休憩所(待合室)、総合案内所(観光案内所)のほか、テナントとしてコンビニエンスストア「セブン-イレブン ハート・イン JR敦賀駅店」(ICOCA電子マネー対応・セブン銀行ATMあり、営業時間 6時30分 - 21時00分[注 1])、駅弁「塩荘」売店(営業時間 7時00分 - 20時00分)、立ち食いそば店「気比そば・うどん あまの」(営業時間 7時00分 - 20時00分)、福井銀行のATMコーナーなどが出店している。2階には多目的室と休憩所が設けられている。
バリアフリー対策としてエレベーター1基が設けられているほか、1階にはオストメイト対応の多機能トイレ、2階には授乳室が設置されている。
その他の施設
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
近距離用の自動券売機は高額紙幣が利用出来ないが、金沢支社管内で最も早く自動改札に対応した近距離券売機である。高額紙幣で乗車券等を買う際にはみどりの券売機を利用する。同支社管内の直営駅では唯一、近距離用券売機上に掲げられている運賃表にアーバンネットワークのラインカラーが採用されている[11]ほか、掲載区間も従来より拡大されている[12]。
3番・5番のりば中央部、6番・7番のりば中央部にそれぞれ塩荘の売店と待合所がある。
以前、改札口から連絡通路脇に小便小僧があり、鯉が飼育されていた。
駅東側には広大な敷地が広がり、転車台や給水塔など歴史的価値のある構造物も現存している。
貨物取扱
現在、JR貨物の駅としては車扱貨物の臨時取扱駅となっており、貨物列車の発着は無い。貨物設備は無く、専用線も当駅には接続していない。
最後まで使用されていた専用線は、東洋紡へ続くものであった。この路線は、浮島町駅から当駅まで輸送されてきたエチレングリコールを輸送するために使用されていたが、1996年頃に廃止された。また、当駅東側にあるJX金属敦賀リサイクル(当時は日鉱亜鉛敦賀製錬所)へ続く専用線もあり、黒部駅へ輸送する亜鉛焼鉱の搬出に使用されていたが、亜鉛製錬終了に伴い1995年10月頃に廃止された。
なお、日鉱亜鉛から東洋紡績へ、といった同一駅構内間の輸送が行われていたこともあった。
当駅から南に敦賀地域鉄道部および敦賀運転センター車両管理室がある。 車両基地である敦賀運転センター車両管理室構内にはJR貨物関西支社の乗務員区所である「敦賀機関区」が併設されている。北陸本線の上り列車で敦賀駅を発車して車窓右手側に確認できる。
駅弁
- 華ちらし
- あなごずし
- 角鹿弁当
- 焼きさばずし
- 鯛鮨
- 越前ごのみ
- ます寿司
- 笹すし
- へしこの炙り寿司
- 鯛の舞
- 鯖街道さばずし
- 極上さばずし
利用状況
1日の平均乗車人員は以下の通りである[14]。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
1998年(平成10年) | 3,018 |
1999年(平成11年) | 2,995 |
2000年(平成12年) | 2,928 |
2001年(平成13年) | 2,839 |
2002年(平成14年) | 2,777 |
2003年(平成15年) | 2,772 |
2004年(平成16年) | 2,784 |
2005年(平成17年) | 3,023 |
2006年(平成18年) | 3,012 |
2007年(平成19年) | 3,147 |
2008年(平成20年) | 3,326 |
2009年(平成21年) | 3,873 |
2010年(平成22年) | 3,498 |
2011年(平成23年) | 3,885 |
2012年(平成24年) | 3,489 |
2013年(平成25年) | 3,386 |
駅周辺
駅前
改札口は西側のみで正面にバス・タクシーのりば、隣接して市営駐車場(有料)・駐輪場(無料)がある。駅前からは片側2車線の道路があり歩道はアーケード付き商店街となっている。なお、駅前を含む市街地全体がモータリゼーションにより活気が失われていることから、駅周辺の活性化のための再開発事業が行われている。
名勝・旧跡
- 敦賀念法寺
公共施設
- 福井県警察 敦賀警察署駅前交番
- 敦賀駅前合同庁舎(厚生労働省福井労働局敦賀労働基準監督署・同局職業安定部敦賀公共職業安定所・財務省国税庁金沢国税局敦賀税務署[15])
- 福井県 嶺南振興局二州健康福祉センター(保健所)
- プラザ萬象(市の多目的ホール)・敦賀市立図書館・敦賀市福祉総合センター「あいあいプラザ」
製造業・研究機関
商店街・主な商業施設
主な宿泊施設
金融機関など
駅東側
東側は木の芽川を挟んでいくつかの工場が立地している。
駅前からは、線路を直接跨ぐ道路がないため迂回の必要があるが、北陸新幹線駅舎新設工事とあわせて行われる予定の東口開発のさいには、駅前通りをそのまま東に伸長し、国道8号敦賀バイパスに接続させる計画がある。
- JX金属敦賀リサイクル
- 日本ピーエス 本社工場
その他
バスのりば
- 敦賀駅停留所(ロータリー内)
- 敦賀白銀町停留所(北西約300mの福井鉄道・コミュニティバス白銀町[北西向き]停留所と共用)
- 小松・加賀温泉・福井・武生・敦賀 ⇔ 東京駅・東京ディズニーランド(中日本エクスプレス) - 夜行便。このほかの敦賀市に停車する高速路線バスは、北陸自動車道敦賀ICのバスストップを使用している。
- 今庄365スキー場(温泉)直行バス
- 1日1往復のみ。土日祝と12月29日~1月3日のみの運行。運賃は大人600円・小児300円となっている。
主なJRの現業機関
- 敦賀地域鉄道部 - 金沢支社に属する地域鉄道部のひとつ。駅や施設および車両区所などを横断的に管轄している。車両は125系電車・521系電車やEF81形電気機関車を配置している。また、寝台特急「日本海」・「トワイライトエクスプレス」の大阪行きは当駅で機関車の付け替えを行っていた。夜間滞泊もある。かつては、福井地域鉄道部敦賀運転派出と称していた。
- 敦賀機関区 - JR貨物関西支社の乗務員区所。
その他
- 2004年に放送された『列島縦断 鉄道12000キロの旅 〜最長片道切符でゆく42日〜』で、当駅は6月5日のスタート地点となった。なお、朝の生放送は当駅からではなく敦賀トンネル温泉から中継された。
隣の駅
※当駅に停車する特急「サンダーバード」(一部通過)・「しらさぎ」の隣の停車駅は各列車記事を参照のこと。
- 西日本旅客鉄道
- 北陸本線(一部 湖西線直通)
- 隣の南今庄駅との駅間距離(営業キロ)は16.6km離れており、2012年4月1日現在、JR西日本管内の在来線では最も長い駅間距離となっている[18]。
- ■小浜線(全定期列車が各駅に停車)
- 西敦賀駅 - 敦賀駅
- 日本貨物鉄道
- 北陸本線貨物支線(通称「敦賀港線」)
- 敦賀駅 - 敦賀港駅
建設予定の未成路線
- 西日本旅客鉄道
- 北陸新幹線
- 南越駅(仮称) - 敦賀駅
かつて存在した路線
脚注
注釈
出典
- ^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年
- ^ a b 近藤諭(2014年5月21日). “「若狭湾美術作家集団」展:敦賀駅交流施設で開幕”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ 2006年5月下旬の福井新聞記事。
- ^ 毎日新聞(2006年10月13日付)
- ^ 福井新聞(2008年11月26日付)
- ^ 福井新聞(2010年4月13日付)
- ^ 敦賀駅バリアフリー設備の供用開始について(プレスリリース) - JR西日本(2012年11月1日付) ※インターネット・アーカイブ
- ^ “敦賀駅交流施設オルパーク(建築部門 実績紹介)”. 大鉄工業. 2015年3月6日閲覧。
- ^ “概要・コンセプト”. 敦賀駅交流施設「オルパーク」. 2015年3月6日閲覧。
- ^ “愛称は「オルパーク」 4月開業の敦賀駅交流施設”. 47NEWS(中日新聞) (2014年2月4日). 2015年3月6日閲覧。
- ^ 2008年3月15日のダイヤ改正に伴い、湖西線の一部駅名改称に合わせた運賃表の新フォーマット移行によるもので、琵琶湖線のほか奈良線・嵯峨野線、さらに米原駅以東のJR東海に属する東海道本線のカラーも確認できる。
- ^ 従来は琵琶湖線のうち米原経由石山までしか表示されていなかったが、湖西線経由大津・膳所・石山が追加された(石山は距離の差が少なくいずれの経路でも運賃は同額)。さらに草津線の手原も追加されている。
- ^ 『JR時刻表』2010年8月号(交通新聞社刊)285ページ
- ^ 福井県統計年鑑による。
- ^ 敦賀駅前合同庁舎(ふくふくマップ) - 福井県(2011年2月8日閲覧)
- ^ 福井新聞(2010年10月14日付)
- ^ a b 各商店街組合の名称に準拠。 ※参考:加盟商店街リスト - 福井県商店街振興組合連合会(2011年2月8日閲覧)
- ^ データで見るJR西日本2012 P.83 - 西日本旅客鉄道
関連項目
外部リンク
- 敦賀駅|駅情報:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道
- 敦賀駅交流施設オルパーク
- 敦賀駅交流施設整備事業・敦賀駅バリアフリー化事業・駅前広場整備事業(お知らせ) - 敦賀市
- 嶺南地域鉄道整備 - 福井県
- 琵琶湖環状線いよいよ実現へ!! - 滋賀県